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第3節 

1 地球サミットの背景とその準備過程

 前節で見たように、限りある地球の上での持続可能な開発を実現するためには、新しい考え方が要請されるが、こうした考え方は、これまでの20年間の間に様々な角度から議論され、肉付けされて、今日に見るように具体的な枠組みを形づくるまでに至ったのである。ここでは、その過程を振り返ってみよう(第3-3-1表)。
(1) 国連人間環境会議
 国連人間環境会議(ストックホルム会議)は、1972年(昭和47年)、スウェーデンのストックホルムで、環境問題全般についての初めての大規模な国際会議として開催されたものである。昨年開催された地球サミットは、この国連人間環境会議開催20周年を記念する意味もあった。当時、先進工業国では第2次大戦後の急速な経済発展、生産規模の拡大により、排ガス、排水、廃棄物などが飛躍的に増大し、公害が大きな社会問題となっていた。先進国では、「宇宙船地球号」の考え方が広まり、地球は相互に依存し合った有限かつ一体のものだという認識が人々に受け入れられつつあった。さらに、会議直前に発表されたローマクラブの報告書(「成長の限界」)は、資源制約の面から幾何級数的な成長の持続不可能性を訴えたものであり、有限な世界の中での経済成長の行き着く先をモデルとして示し大きな衝撃を与えた。他方、開発途上国では、増大する人口により加速された貧困と環境の悪化からの脱却が急務となっていた。こうした背景のもと、国連人間環境会議では、経済発展と環境問題について議論されたが、開発が環境汚染や自然破壊を引き起こすことを強調する先進国と、未開発・貧困などが最も重要な人問環境問題であるとする開発途上回とが鋭く対立した。最終的には、環境問題を人類に対する脅威ととらえ、これに国際的に取り組むべき旨を明らかにした「人間環境宣言」及び「行動計画」が採択され、各国連機関の環境への取組を促すための触媒的機能を果たす機関(後の国連環境計画(UNEP))の設立が決められた。現在の様々な環境保護の国際的取組、例えば、オゾン層保護の国際的取組の基礎となっているウィーン条約の採択などに対して、この「人間環境宣言」やUNEPが果たした役割は大きいものがある。しかし、折角の行動計画については、強力なフォローアップの構造が設けられておらず、また、程なく世界を襲った石油危機の中で不況からの脱出が重視され、その実行は十分になされ得なかった。


(2) ナイロビ会議(UNEP管理理事会特別会合)
 ナイロビ会議は、ストックホルム会議10周年を記念して、1982年(昭和57年)にケニアのナイロビで開催された。ストックホルム会議後10年を経て、石油危機によりもたらされた世界的な経済停滞は大方払拭されつつあったが、環境は着実に悪化していった。この会議で採択された「ナイロビ宣言」では、「環境、開発、人口、資源の間には密接かつ複雑な相互関係があり、この相互関係を重視した総合的で、かつ、地域ごとに統一された方策に従うことは、環境上健全で、かつ、持続的な社全経済の発展を実現させる」こと、及び「環境に対する脅威は、浪費的な消費形態のほか貧困によっても増大する。双方とも人々に環境を過度に利用させる可能性がある」ことが打ち出され、先進国と開発途上国との間でなされていた環境と開発をめぐる議論についての共通の土俵が形づくられ始めた。
(3) 環境と開発に関する世界委員会
 環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)は、ナイロビ会議での日本からの提案に基づいて設けられたものである。ナイロビ会議に出席した原政府代表(環境庁長官(当時))は、21世紀の地球環境の理想像を模索するとともに、これを実現するための戦略を策定することを目的とする特別委員会を国連に新設すべしという提案を行った。その後、各国の賛同を得て、ノルウェーのブルントラント女史(後の首相)を委員長とする委員会が設立された。この委員会は、1984年(昭和59年)から1987年(同62年)までの4年間、精力的な活動を行い、その報告書「われら共有の未来」を国連総会に提出した。この報告書では、環境と開発の関係について、「将来世代の二ーズを損なうことなく現在の世代の二ーズを満たすこと」という「持続可能な開発」の概念を打ち出し、その後の地球環境保全のための取組の重要な道しるべとなった。
(4) 地球サミット準備会合の議論
 今日では一般的になっている「持続可能な開発」という概念は、環境と開発は不可分の関係にあり、開発は環境や資源という土台のもとに成り立つものであって、持続的な発展のためには、環境の保全が必要不可欠であるとする考え方である。先進国と開発途上国とではそれぞれの状況が違い、この考え方の実現には異なる形の取組が必要である。まず、先進国では、現在の大量生産・大量消費・大量廃棄の社会経済活動を見直し、環境への負荷の少ない持続可能な社会を実現しなくてはならない。一方、開発途上国では、生活水準を上げるとともに人口増加率を抑え、貧困、人口増加、環境破壊の悪循環を断ち切り、環境への負荷を減らす必要がある。このように、地球環境問題に対しては、先進国、開発途上国の双方が、それぞれの異なった立場に即して努力して行かなければならないのである。
 こうした背景のもと、1972年(昭和47年)の国連人間環境会議以来、各国及び国際機関でどのように環境の保護及び向上に取り組んできたか、並びに、経済と環境をどのように統合してきたかを検証し、全ての国の経済行動に関係した主要な環境上の問題等を評価し、国際協力の取組の一層の強化のための提言を行うことなどを内容として、1989年(平成元年)の国連総会において、地球サミット開催が決議された。いわば、地球サミットは、積年の議論の溝を埋め、持続可能な開発の実現に向け人類の英知を結集し、その具体的方法に全ての国々が合意するための機会であったと言えよう。
 地球サミットが開催されるに当たっては、4回の準備会合が開かれ、また、これと並行して気候変動枠組条約、生物多様性条約についての条約交渉や、様々な主権者による国際会議など数多くの会合が開かれ、その過程で、開発途上国における開発の重要性、環境問題の責任論や開発主権、持続可能な開発を行うための資金協力など持続可能な開発に向けた取組について、先進国と開発途上国との間で、あるいは先進国の間で議論が繰り広げられた(第3-3-2表)。
ア 地球環境問題の責任論
 開発途上国は、先進国が、産業革命以来、経済発展を追求するあまり、自然資源を過剰に消費し、また、大量の廃棄物を放出して環境に負荷を与えてきたと考え、こうした先進国にこそ、今日の環境問題の責任があると主張した。例えば、地球温暖化問題では、大気中の二酸化炭素濃度の上昇の大部分は先進国からの排出に起因するもので、その責任は先進国自らが取るべきものであり、地球温暖化を理由として、開発途上国の工業発展や、森林伐採を制約するのはおかしいというものである。こうした主張の背景には、開発途上国においては、貧困からの脱却が最優先の課題であり、また、それが環境問題への対策としても有効であるとする考え方がある。確かに、開発途上国においては、人口増加とそれにより加速される貧困により、生存のためにやむなく自然を犠牲にし、こうした自然環境の悪化がさらに貧困を加速するという悪循環があり、この悪循環からの脱却のために経済的な発展が必要となっている。
 他方、先進国からは、今日の地球環境問題は全世界共通の問題であり、温暖化やオゾン層の破壊などの地球環境の悪化の被害は、先進国、開発途上国の区別なく受けるのだから、先進国、開発途上国を問わず、地球環境問題に対して共通する責任があり、協力して取り組まなくてはならないと主張した。この背景としては、大量生産・大量消費型の経済社会を形成して経済発展を続けてきた先進国の責任は重いが、今後、開発途上国が、先進国がかつてそうであったように結果として経済発展を優先して環境保全対策を怠たることとなれば、近い将来、地球環境への負荷の大半を現在の開発途上国が占め、地球環境の悪化は取り返しのつかないほど進んでしまうという懸念がある。また、責任論とは離れるが、地球全体の対策の費用効果を見ても、例えば地球温暖化対策では、先進国で一層の二酸化炭素排出削減を進めるだけでなく、エネルギーの利用の効率性が低くしたがって対策の費用効果に優れた開発途上国においても二酸化炭素排出削減を図ることが、地球規模では費用効果的な二酸化炭素の排出削減につながると考えられ、開発途上国での対策は重要な意義を有していることも考慮する必要がある。
イ 開発の権利
 以上のような主張と関係して、開発の権利、主権の尊重も大きな論点であった。開発途上国は、領土内の自然資源については、自国の環境・開発政策に従って自国の自然資源を自由に利用する権利は尊重されるべきであり、また、地球上の全ての人間は適切な生活水準を享受する権利があり、そのために開発する権利を有することを主張した。一方、先進国は、開発と環境の統合が重要であり、開発の権利は何にもまして優先するというものではなく、環境上の制約から開発が制限されることもあり得ると主張した。開発途上国の主張は、例えば、熱帯林は、二酸化炭素を吸収して酸素を供給し、あるいは、多種多様な生物種を保存する生態系を形づくっているなど、地球環境保全上重要な存在であるが、熱帯林を有する開発途上国としては、自国の経済発展のためには森林を伐採し、農業や鉱工業を興すことが不可欠であり、地球環境のために開発を断念し、貧困に甘んずることは、到底受け入れられないというものである。すなわち、貴重な自然資源を、地球環境上優先して保全する対象とするか、貧困から脱却するため開発する対象とするかの選択は、それぞれの国のおかれた立場、状況から異なってくるものであるとの主張である。
ウ 資金問題等
 開発途上国としても、持続可能な開発の重要性は十分認識できるものの、通常の開発に代えて環境に配慮した開発とするために追加的に必要となる資金については、自国だけで調達できるものではなく、国際的な協力が不可欠のものであった。この資金問題も重要なそして最も大きな問題であった。
 開発途上国は、温暖化などの地球環境問題はもとより、貧困などの途上国の問題の責任は先進国にあるのだから、問題解決に必要な資金は、「補償」的な性格を持っており、先進国は義務としてこれを拠出すべきであると主張し、この資金は、新規かつ追加的なものであるべきであり、出資者優先の既存の資金供給機関に代えて、開発途上国の意見の反映される新たな国際的資金供給メカニズムを設けることを要求した。一方、先進国は、環境保全の責任は程度の差こそあれ、第一義的には全ての国にあり、先進国が資金供給を義務として行うべきものではなく、追加的資金の必要性は認めるが、新たな資金供給メカニズムの創設ではなく、二国間及び多国間の既存の援助システムの活用が重要であるとした。
 この資金問題については、先進国と開発途上国との間の意見の開きが大きく、地球サミットでの国際合意全体の成否を左右する論点とみなされるに至った。こうした中、地球サミット事務局の主催により、平成4年(1992年)4月に東京で地球環境賢人会議(名誉議長竹下元総理)が開かれた。この会議では、地球サミット事務局のストロング事務局長の発案により、政府代表の立場を離れ、有識者の立場で資金需要、資金源、使途、資金の管理主体等について世界の政治経済のリーダー達が大所高所から議論した。この会議において採択された東京宣言では、地球規模での持続可能な開発のために大規模で追加的な資金の必要性は認めたものの、新規の資金メカニズムの必要性は退け、双務的な「持続可能な開発のためのグローバル・パートナーシップ」の考え方を提唱し、先進国のODAの拡大の必要性を訴えた。さらに、開発と環境に要する資金の供給メカニズムについては既在の世界銀行等の活用を促し、また、その使途については、まず開発途上国が計画を明らかにすることや能力開発を重視すべきことを指摘した。これは、南北間の合意の方向を指し示すものとなり、地球サミットにおける資金問題についての後述のような合意の基礎を提供した。
 技術移転については、環境保全のための技術の移転は地球環境問題の解決に必要不可欠なため、特恵的、非営利的条件での移転が必要であり、民間の保有する技術であっても、譲許的な条件(金利・返済期間等の条件が緩和されていること)での移転が必要とする開発途上国と、技術移転については受け入れ側の能力向上が重要であり、また、民間に対して非営利的条件での技術移転を求めることは不可能で、技術開発の停滞を招くため、知的所有権の尊重が必要とする先進国が対立し、激しく議論された。
 以上のように、地球サミットの準備過程では、主として先進国と開発途上国の間で意見の対立が見られたが、さらに各国の置かれた状況の違いによる先進国内、開発途上国内での意見の対立も見られた。例えば、地球温暖化問題に対して、先進国共通の二酸化炭素の排出抑制目標設定に反対した米国などと積極的に賛成した我が国及びEC諸国、あるいは、先進国責任の原則論に固執した中国、インドと早急な対策を求め現実論を重視した海洋島嶼国グループなどである。
 このように、地球サミットの準備過程では、多数の国々が参加した準備会合が数多く開かれ、各国の主張、意見が述べられるとともに、多数のNGOにも参加が呼びかけられるなど、地球サミットに向け、いわば人類の総意を汲み取るべく努力がなされた。


(4) 地球サミットの成功に向けた我が国の貢献
 我が国は、かつて経済発展に伴う激甚な公害を経験し、かつ公害克服に著しい努力を払いつつ、現在、世界経済の中で大きな地位を占めるに至った。我が国は、地球環境問題の解決に対し、環境負荷の少ない環境保全型の経済社会の実現に向けて、日本自身として努力するとともに、公害を克服しつつ経済発展を成し遂げた経験や技術力と、大きな経済力を、地球規模での持続可能な開発の実現に向け活用することが求められている。これまで、我が国では、例えば、環境分野のODAに関し、1989年(平成元年)のアルシュ・サミットで、今後3年間に環境分野での二国間及び多国間援助を3,000億円にすることを目途にその拡充・強化に努めると表明したが、これを約4,075億円の実績を上げて大幅に超過達成するなど、地球環境問題への国際的取組に努力を払ってきたところである(第4-2-1図)。
 地球サミットに向けても、地球サミットで署名の予定された気候変動枠組条約の外交交渉における作業部会の議長国を務めたほか、同サミットの成否を分けると目された資金問題について東京での地球環境賢人会議開催の受け入れ、さらには、第2回準備会合において、議論が紛糾していた森林問題の国際的合意づくりにつき「世界森林憲章」を提案、議論に方向付けを与えたり、第4回準備会合で、地球サミットの成果となる宣言について具体的な提案を行うなど、同サミットの成功に向けリーダーシップを発揮しつつ積極的に貢献した。

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