1 市民社会成立後の産業と国家の枠組み
環境問題は、産業革命以後、人間の生産力が飛躍的に高まり、自然に対する影響カが増大してきたことに伴い深刻化してきたものである。近代的な市民社会が成立し、産業の発展が進むようになった初期の段階での、産業と環境の関係のあり方、また、行政と産業活動の関係はどのようなものであっただろうか。
西欧諸国では、財産の自由、契約の自由が保証される市民社会の成立以降、市場でつく価格を信号として財貨やサービスが交換される形の経済が発展していった。この市場経済の考え方は、社会の各主体が、自由な市場で成立する価格を指標として、自らの所有する資材や資金を自由な判断で利用して利潤を追求することを認めるものである。このような仕組みの背景となっている考え方は、自由な市場の調整機能に任せておけば、「見えざる手」の働きにより、生産や消費が適正な形に調整されるという「自然調和」の考え方であった。この時期における、国家と社会の関係についても、このような「自然調和」の考え方を反映した意見が示され、国家の役割は、国防や治安維持、あるいは国民の生命・財産の安全保障という最小限の公共サービスに限られるべきであり、市場の機能を妨げるような介入をすべきではないという主張がなされた。いわゆる「自由放任」や「夜警国家」といわれるような考え方である。
自由な市場による生産は、様々な原材料を効率良く利用し、生産を拡大していくのに大きな効果をもたらした。しかし、一方で、様々な問題を発生させることとなった。環境問題もその一つである。自由な市場を重視する考え方のもとでは、まず、個々人の自由な活動の権利、財産を自由に使用する権利が重要視されることから、その活動に伴い社全の他の者に及ぼす影響に十分な注意が払われない可能性が高い。また、個々人の活動は市場で成立した価格を指標とし、市場での取引を媒介として行われるため、価格に反映されない要素や、市場で取引されないものについては、配慮がなされないこととなってしまうという問題がある。このため、環境資源の利用や、汚染物質の排出のように、適正な価格を付け市場で取引することが困難な問題は配慮されないことになってしまう。
このように、公害や重要な環境資源の劣化に見られるような市場を経由しない第三者への影響を経済学では「外部不経済」や「社会的コスト」と表現している。「外部性」とは、ある者の活動が市場を通じないで他の者に影響を及ぼすものであり、公害などはこのような社会的にマイナスの「外部性」の性格を持つものである。「社会的コスト」とは、ある活動について社会全体としてかかっている費用(これは、金銭的な費用だけでなく、健康や生活環境への影響というような形のものも含む。)を意味し、公害などが発生する場合には、公害を発生させた者がその生産活動などにかけている費用のほかに、第三者の被害という形で費用が発生していることから、社会的コストと生産者が実際に負担する私的なコストが一致しないという状況が生じるのである。
次に、以上のような社会の仕組みのもとに実際に発生してきた環境間題について、実態的な対応や制度的な対応がどのように取られてきたのかについて、日本における経験をたどってみたい。