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第2節 

1 貧困で増幅される環境悪化

(1) 貧困と環境
 世界における豊かさの差異を概観するために1989年(平成元年)の1人当たりGNPを国ごとに比較してみよう。OECD諸国をはじめとする高所得国の平均が18,330ドルであるのに比べ、サハラ以南のアフリカ諸国は340ドル、南アジア諸国が320ドル、東アジア諸国が540ドル、ラテンアメリカ諸国が1,950ドルとなっており、その格差はかなり大きい(第3-2-2表)。
 国連食糧農業機関(FAO)は、世界人口のうち必要な栄養を確保できていない人口の統計をまとめている。これによれば昭和50年代後半の時点で、開発途上地域人口の21%、つまり5億1,200万人が低栄養状態にある。低栄養状態の人口は、絶対数ではアジア地域に最も多く、低栄養状態の人口の全人口に占める割合では、アフリカが最も高く、32%に達し、3人に1人が低栄養状態にある(第3-2-1図)。食事エネルギー供給量の伸びについて見ると、1979-1981年から1986-1988年にかけて(昭和50年代後半から同60年代後半)の伸びは、先進市場経済国家で年平均0.5%、開発途上市場経済群ではわずか0.2%、しかもアフリカ諸国に限れば、0.2%の減少となっている。危機的な栄養状態は特に深刻な地域ほど改善されていない(第3-2-3表)。
 こうした貧しさと裏腹の関係にあるのが、人口の増大である。伝統的な自給自足経済が支えることができる以上に人口が増大すると、貧困、栄養不足が生じる。国連人口基金の推計によると、1990年(平成2年)から1995年(7年)にかけての期間の、年間人口増加率は、アフリカで3.0%、中南米で1.9%、アジアで1.8%と高く、一方、北アメリカは0.7%、ヨーロッパは0.2%になるとされている。途上国ほど人口増加率が高い(第3-2-4表)。
 こうした人口増大と貧困が環境に与える影響はどのようなものだろうか。国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)がアジア太平洋地域における貧困と環境との関係について分析した結果によると、人口増加や不公正な土地分配、農業の近代化による農業経営の大規模化に伴い、従来の居住地から離れて生活する人々の存在が、様々な形で環境に与える圧力を作り出している(第3-2-2図)。人口問題の解決に向けた内外の努力は、環境保全の観点からも後押ししなけれぱならないものである。
 貧しい人々は、乾燥地、急峻な山岳地といった環境上脆弱な土地で、過度の耕作、薪採取を行い、環境上貴重な森林を不法に伐採、耕地化し、あるいは、職を求めて都市に流入することを余儀なくされ、その結果様々な環境影響を生じている。以下では、貧しさと環境破壊の関係を具体例に即して考えてみよう。


(2) 土地なし農民と森林減少・劣化
 森林は、住民に燃料、食料、建築資材、家畜の餌等を提供するとともに、雨水の流出を緩やかにし、土壌の流出を食い止め、降雨パターンなど地域的な気候を保ち、動植物の生息地を提供し、これらを通じ、住民の生活を支えるなど地域住民の生活の基盤となる重要なものである。森林の減少・劣化は、現在各地で大きな問題となっているが、その背景には貧困の問題がある。
 ここでは、最も貧しい国の一つであるネパールと、ある程度開発の進んだタイを例に森林減少・劣化の状況とその背景を見てみよう。
 ネパールは、山岳国であり、その国土はヒマラヤ山地、それにつなかる丘陵地、平野部に分かれる。ネパールの一人当たりGNPは170ドル(1989年)であり、国連の定義による最貧国の一つである。主要産業は農業であり、労働者の93%が農業に従事し、GDP(国内総生産)の552%を生み出している。ネパールにおける人口増大も大きく、年2.34%(1990-95年の見込み)の割合で増加している。
 ネパールでは、増加した人々は、生活のため、従来マラリアのために余り人の住まなかった平野部に進出するとともに、丘陵地、山岳地をさらに開墾することとなった。こうして森林が伐採され、急峻な土地に耕作地が切り開かれていった。さらに、後述するようにネパールでは燃料材を森林に求めているため、この面からの森林減少・劣化も深刻である。こうして森林は伐採され、急峻な大地は地滑りを発生しやすくなり、洪水を引き起こす。パングラデシュで頻繁に起こる洪水は、ネパールをはじめとした上流域における森林減少・劣化が原因であるとも言われており、問題は国境を越えて地域的な広がりを見せている。
 次にタイの例を見てみよう。タイは、ネパールに比べ経済発展の進んだ国だが、都市と地方の貧富の差は大きく、1990年では、農業従事者一人当たりの収入額は、都会の労働者の収入の10分の1である。その格差は広がる傾向にあり、地域的にみると、バンコク居住者が最も収入が大きく、東北部が最も貧しい。こうした収入の不均衡は、より貧しい国におけると同様の森林減少・劣化の問題を引き起こしている。タイはかつて森の国と呼ばれたほど緑豊かな国であった。1961年(昭和36年)の夕イ森林局の統計によるとタイの森林面積は約29万km
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、全国土の56.7%を占めていた。その後、タイの森林は急速に減少し、1988年(63年)には14万3800km
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、全国土のわずか28%しか残されていない。タイ森林局の見積りによれば、1978年(53年)から1985年(60年)までの間、年平均3,970km
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ずつ熱帯林が減少している。過去30年問、年3%の割合で森林が減少してきたことになる(第3-2-3図)。
 その結果、森林の保水能力の喪失による洪水、水不足、塩害、土壌流出による農地被害などが引き起こされた。1988年(昭和63年)11月に集中豪雨がタイ南部を襲い、死者約350人、倒壊家屋5万5000戸という災害を引き起こしたが、この災害は、タイ国政府が1989年(平成元年)に天然林伐採を禁止するきっかけとなった。また、土壌劣化のみられる地域の面積は1989年(元年)のFAOの見積もりによれば、17.2万km
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であり、国上総面積の33.7%に達している(第3-2-5表)。
 タイにおける森林減少・劣化の原因については、不法な商業伐採、農地のための開墾が指摘されているが、貧しい農民が森林を切り開き、地力のかん養に特に意を用いずに農地にしていった点も大きい。こうした農民の多くは土地を持たない貧農であり、生活困窮のために、むやみに森林を伐採し、森林により貯えられた地力にのみ依存してキャッサバ、メイズ等の換金作物を栽培し、地力がなくなると、新しい次の森林の伐採を行う。長期間のサイクルをかけて、伐採、耕作、放棄、そして樹木回復と地力かん養を行う伝統的な焼畑耕作とは異なり、焼畑のサイクルが短く、地力を十分回復させることができず、土地は次第に荒れ、放棄される。タイ国政府の見積もりによれぱ、これまでに約8万km
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から9万km
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の森林がこうした土地なしの貧農によって切り開かれたという。これは、タイ全土の土壌劣化した土地の面積に比較すると、その約半分に当たる面横である。
 特にインド以西のモンスーン地域や乾燥地域において見られる森林減少・劣化と貧困とを結び付けるもう一つの例は、燃科材採取のめの森林伐採である。こうした人々の行う森林伐採は、多くの国で森林の再生力を超えた量に及んでいる(第3-2-4図)。また、薪が取れなくなると燃料源として家畜の糞を用いる例が多いが、糞は農地に返して肥料として使うことにより地力維持に大いに役立つものであり、燃料としての使用の増大は次に述べるように農地の疲弊を招き、そのストックとしての豊かさを低下させる。


(3) 農村人口の増加と土壌劣化・砂漠化
 土地は様々な目的に利用されているが、農業地、牧畜地等の食糧生産の場としての利用が重要である。しかしこうした農地、牧畜地としての土地利用も地方の貧困状況によっては土地資源を悪化させるような方法を採らざるを得ず、環境を破壊するものとなっており、それが地域の人々の生活を更に悪化させるという悪循環を生んでいる。
 砂漠化が著しい地域は第1章でみたようにアフりカサヘル地方である。UNEPが1992年(平成4年)に公表したデータによると、アフリカに存在する乾燥地(UNEP報告書の定義に基づく)は、1959万km2であり、アフリカ大陸総面積の65%を占め、そのうち人の住めない極度乾燥地を除く残り3分の2に約4億人、アフリカ人口の3分の2の人々が生活している(第3-2-5図)、こうした乾燥地のうち農業、牧畜業といった農地として用いられている土地の73.0%、1045.84万km2がある程度以上の砂漠化に見舞われている(第3-2-6図)。さらにアフリカの乾燥地のうち、土壌侵食、表土飛散、塩害といった土壌自体の悪化にみまわれている地域は、335.4万km2、アフリカの乾燥地全体の18.1%を占める。日本の面積が約37.8万km2であるから、その約38倍の土地が砂漢化にさらされ、約9.4倍の面積が土壌の悪化に見舞われていることになる。
 UNEPの報告では、サヘル地方において、1900年(明治33年)から1990年(平成2年)にかけて、人口が急速に増大する一方で、単位面積当たりの牧畜地の生産性が減少していることが指摘されている(第3-2-7図)。人口が増大すると薪、穀物、畜産物の需要が増大し、そのため、貧しい人々がより多くの薪を必要とし、章地の再生能力を超えた家畜を放牧し、休耕期間が短縮され、あるいはより生産性の低い地域で耕作を行うようになる。その結果、樹林や草地は衰退して単位面積当たりの生産性は低下する。このような地域は再生可能性が低いため、土壌が疲弊し、干ばつの影響を受けやすくなり、砂漠化が進行する。代替燃料の確保や生産性の向上などを行う資力のないこうした貧しい人々が、人口増加によって、環境の受容力を超えたかたちでより条件の悪い土地で生活しなければならなくなることは、砂漠化の重要な要因となっている。そのほか、不適切な灌漑に起因する農地の塩分濃度の上昇等も指摘されている。
 1985年(昭和60年)をピークとして、21のアフリカ諸国で3000万人から3500万人が干ばつの影響を受け、約1000万人が環境難民として移住を余儀なくされた。干ばつは毎年のようにアフリカ大陸のどこかで発生していると言うが、大規模な干ばつであった1968年から73年(昭和43-48年)、1982年から85年(同57-60年)、1990年から91年(平成2-3年)にかけてのものは、すべてサヘル地方で発生している。このような干ばつは、地域に備えがあり、かつ適切な対応が行われる場合には、直接砂漠化に結び付くようなものではないが、サヘル地方のようにそのような余裕のないところでは、砂漠化を加速させ、また、環境難民を発生させることになる。


(4) 都市の貧困層住民と環境悪化
 途上国において貧しさが存在するのは、地方のみではない。都市においても貧しい人々が多く集中しているが、こうした人々は環境悪化の影響を受けやすい生活を送っている。
 1990年(平成2年)における都市人口の割合は世界各国平均で45%、先進国平均で73%、開発途上国平均で37%となっており、途上国人口における都市人口の占める割合は決して多くない。しかし1990年(2年)から1995年(7年)までの都市人口の伸びは、先進国が年0.8%であるのに対し、途上国は年4.2%にもなると見込まれている。地域別に見るとアフリカ地域で4.9%、アジア地域で4.2%と高い。特にアジア太平洋地域では大都市の発達が著しい(第3-2-6表)。人口400万人以上の大都市の数を見ると、1950年(昭和25年)には、アジア太平洋地域では東京、上海、北京、カルカッタ、天津の5都市であったが、1960年(35年)には7都市、1990年(平成2年)には21都市にも増加し、2000年(12年)には28都市に計2億人が居住すると見られている。
 こうした都市人口の増大は、自然増よりも、地方から流入する人口による社会増による。都市では地方に比べ経済活動が活発である。都市経済のGDPの国内GDPに占める割合は、ミャンマーが54%、フィリピン53%など軒並み高くなっている。(第3-2-7表)。貧しいとはいえ、都市は地方より日銭が得られるなど経済的には暮らしやすい。こうして都市に人々が流入してくる。これらの人々は、貧しく、適切な居住空間を確保することができないため、スラムなどの環境の悪い地域に住むことが多い。都市人口に占める貧しい人々の割合については、世界銀行が評価を行っているが、バングラデシュの86%を筆頭に、低所得国では、ほぼ2割以上、中所得国でもフィリピンのように30%を超える国がある(第3-2-8表)。
 こうした人々には、上水道設備が行き届かず、最も必要とされる清浄な水が確保されない。一方、下水道や廃棄物処理といったインフラストラクチュアーもそもそも都市の急速な拡大に追い付かず、不足気味であることに加え、ましてスラムなどには届きにくい状況にある。こうしてスラムでは上水道、下水道、排水、道路、保健、教育といった基本的なサービスが決定的に不足することになる(第3-2-9表)。これらの地域ではごみや排水は、はとんど処理されずに近くの河川や水路に投棄され、水質汚濁や病気の原因となり、こうした地域にしか住めない貧しい人々の生活環境をさらに悪化させる。都市における貧しい人々はこうした環境悪化の影響を直接受ける。さらに、こうした人々の置かれた状況が逆に環境を悪化させるという悪循環が続いていく。
 貧困は環境問題の大きな原因である。地方の貧しさが森林、水資源、農地、牧畜地といった自然資源を悪化させ、環境を破壊し、危うくなった環境の下で、人々は一層貧困に陥っていく。他方、都市の貧しい人々は、環境の良くない地域で生活を余儀なくされ、水質汚濁、ごみ問題を生じさせるとともに、こうした問題に生活を脅かされている。

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