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第1節 

1 国際的取組

 地球環境問題を巡って国際会議が、1990年度も多く開催された。また、国際協力も着実に前進した(第3-1-1表)。その中で最も大きな進展をみせたのは、オゾン層の保護と地球温暖化防止についてである(第3-1-2表第3-1-3表)。
 これらの会議を通じて、地球的規模での国際協力を進めていくには、南北の協力とともに、先進国の協調が必要であり、先進国が開発途上国が進んで協力する条件を作っていくことが必要であることが明らかになってきた。この観点から、先進国首脳サミットやOECDでの会議がますます重要になってくるとともに、日本、米国、ヨーロッパの三極の日常的な政策調整が必要となっている。
 我が国は、これら先進諸国が協力して地球環境問題に対処できるよう努力してきており、また、地域的には特にアジア地域の環境協力の推進に努めてきた。
 この1年に特に進展のあった事柄について、経過を含めて次に述べる。
(1) オゾン層の保護
 地球を取り巻く成層圏のオゾン層は、太陽光線の有害な紫外線から地球上の生物を保護している。地球上の生物は、成層圏のオゾン層の保護の下で生存しているのである。
 1974年にカリフォルニア大学のローランド教授らによってオゾン層がフロン等により破壊されるという論文が発表され、1980年前後には、欧米を中心にフロンガスを噴射剤とするエアゾール製品の製造禁止などの対策がとられた。その後、UNEPを中心として国際的な対策の枠組みが検討され、1985年3月に「オゾン層の保護のためのウィーン条約」が採択された。この年、南極上空のオゾンホールが報告された。ウィーン条約に基づき具体的な規制を講じるための議定書の策定作業が進められ、1987年9月に「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」が採択された。これは、地球環境問題に対する国際社会の大きな成果であった。しかし、その後、多くの科学的知見が集積され、モントリオール議定書による規制では、オゾン層を適正に保護するためには不十分であることが明らかになってきた。国際会議でもこのことが重要課題として取り上げられるようになった。
 1990年6月、ロンドンにおいて、モントリオール議定書第2回締約国会合が開催された。
 サッチャー首相(当時)をはじめ英国政府は、この会議に積極的な貢献を行い、パッテン英環境大臣(当時)が議長を務めた。我が国は北川石松環境庁長官(当時)が政府代表を務め、潜在的なフロン生産大国であるアジアの開発途上国のフロン規制への参加を求めるなど、会議の成功のために積極的な貢献を果たした。
 この会議では、開発途上国がフロン規制に参加しやすい条件を整えるため途上国援助のための基金の設立が決定されたが、これは地球環境問題への南北協力の一つの成果である。また、概略次のような規制の強化を行った。
? 現行規制物質の規制スケジュールを強化し、2000年までに特定フロン(CFC-11等5種類のフロン)については全廃、特定ハロン(ハロン-1211等3種類のハロン)については原則全廃とすること。
? 特定フロン以外の10種類のフロン、四塩化炭素及び1,1,1-トリクロロエタンを新たに規制対象とし、前二者は2000年までに、後者については2005年までに全廃にすること。
? 規制物質の代替品として有力な34種類のHCFC(水素を含んだフロンでオゾン層破壊能力は比較的小さい。)についても、生産、使用及び輸出入に関する統計資料を事務局に報告すること。
 また、上記34種類のHCFC等について大気中への放出を最小限にするため、可能な範囲で放出規制システム、回収、再利用をすべきこと等きめ細かな対策が決議された。
 我が国においては、ウィーン条約及びモントリオール議定書の的確かつ円滑な実施を確保しオゾン層の保護を図るため、1988年5月に「特定物質の規制等によるオゾン層の保護に関する法律」が制定され、規制等の措置が講じられているが、今回のモントリオール議定書の改正等を受け対策の強化等を図るため、1991年3月「特定物質の規制等によるオゾン層の保護に関する法律の一部を改正する法律」が公布されたところである。


(2) 地球温暖化防止
ア 地球温暖化防止への取組進展
 地球温暖化問題が国際的に注目されたのは、1985年10月にUNEP等の主催により専門家が参画したフィラハ会議(オーストリア)が国際社会に地球温暖化の予測と影響の大きさを警告したことに始まると言われている。1987年11月のフィラハ=ベラジオ会議(イタリア)を経て、1988年6月トロント(カナダ)でサミットの直後に科学者・政策決定者を交えて行われた「大気変化に関する国際会議」から政策的な課題となった。このトロント会議では「いまや行動の時である」ことが合意され、最初の目標として「2005年までに二酸化炭素排出量を1988年水準から20%削減」との提言を行い、反響を呼んだ。
 国際社会における取組は、1988年11月にUNEPとWMOが「科学的知見」、「環境的・社会経済的影響」、「対応戦略」の検討を行うIPCCを設置したことにより本格的に開始された。IPCCの検討と並行して多くの国際的取組が進展している。1989年3月には、オランダ、ノールウェー、フランスの呼びかけによる「環境首脳会議(ハーグ会合)」が開催され、我が国からは、竹下登首相(当時)の代理として青木正久環境庁長官(当時)が出席した。この会合においては、地球温暖化対策の実行のための強力な機能の整備をうたった「ハーグ宣言」が採択され、また、1989年6月の「UNEP管理理事会」においては、「気候変動に関する枠組み条約」の外交交渉のスケジュールが決定された。1989年7月のアルシュ・サミットでも、経済宣言の3分の1を環境問題に割き、条約の必要性などが盛り込まれた。
 また、開発途上国においても「海面上昇に関する小国会議」(マレ、1989年11月)、「気候変動準備世界会合」(カイロ、1989年12月)、「地球温暖化と気候変動に関する国際会議」(ナイロビ、1990年5月)などの会合が活発に開催されている。
 米国はIPCCの設立に大きな役割を果たしたほか、米国環境保護庁は「気候変動が米国に与える影響」、「地球気候の安定化に向けた政策オプション」報告書を作成し、影響と対策に関する多くの知見が得られた。また、米国は1990年4月に主要18か国を集めた「地球的規模の変動に関する科学的・経済的研究についてのホワイトハウス会議」を開催し、地球温暖化について、科学的調査研究を強長するとともに科学的不確実性が対策の開始の妨げにならないことを確認した。我が国も、一連のIPCCの検討作業に積極的な貢献を行ったほか、1989年9月に「地球環境保全に関する東京会議」を開催し、地球温暖化を主要な問題として取り上げ、「環境倫理の確立」を呼びかけた。
 こうした中でオランダ等の主催でオランダノールトヴェイクで1989年11月に「大気汚染と気候変動に関する閣僚会議」が開催され、我が国からは志賀節環境庁長官(当時)が政府代表として出席した。この会議で採択された「ノールトヴェイク宣言」では、先進国がIPCC及び第2回世界気候会議で検討されるレベルに温室効果ガスの排出を安定化させることに合意するとともに、遅くとも1992年の国連環境開発会議までに気候変動に関する枠組み条約を採択すべきことが合意され、この会議以降、二酸化炭素等の温室効果ガスの排出抑制目標の検討等IPCCを中心とした地球温暖化防止のための枠組み条約づくりに向けた国際的な取組に大きな弾みがつくこととなった。
 1990年度は、地球温暖化防止のための国際的取組が行動の段階に向けて大きく前進した年であったと言えよう。8月にはIPCCが2年近くにわたる検討の成果として地球温暖化問題に関する科学的知見等を国際的コンセンサスとして取りまとめ、11月には第2回世界気候会議において137か国もの多数の国が参加して、立場の違いを超えて協力して地球温暖化の防止に取り組んでいくべきことに合意した閣僚宣言が取りまとめられるなどこれまでの地球温暖化問題をめぐる一連の国際的議論の総括が行われ、これを出発点として、1991年2月からは枠組み条約づくりに向けての外交交渉が開始された。
イ IPCC第一次報告書の対応戦略
 1990年8月の第4回全体会合で採択されたIPCC第1次評価報告書では、ノールトヴェイク宣言により検討を委ねられていた温室効果ガスの排出安定化の目標についてはその結論を得るに至らず、第2回世界気候会議に議論を持ち越したものの、約2年にわたる世界の専門家、行政官が一体となって行った検討の成果として科学的知見、環境的・社会経済的影響及び対応戦略に関し、現時点で最も信頼すべき見解を取りまとめている。その概要は次のとおりであるが、特に、地球温暖化に関する科学的知見について国際的コンセンサスを得、影響を包括的に整理したこと、さらに、不確実性の解明に努めつつ、その結果を待たずに対策に取り組むことが必要であるとして、フロンの排出の段階的廃止、エネルギー効率の向上と節約、持続的な森林管理と森林の拡大の推進、温室効果ガスの排出がないかより少ない代替エネルギー源の利用、農業における対策の検討の5項目の短期的対策を示したことが特筆される。
? 特段の対策が講じられなければ、温室効果ガス濃度は2025年に2倍に達する速度で増加し、最も妥当と考えられる予測では、全地球の平均として2025年までに温度上昇は現在より約1℃、2030年までに海面上昇は約20cm、21世紀末までには温度上昇は約3℃、海面上昇は約30〜110cmと予測されること、大気中の温室効果ガス濃度を現状レベルに安定化するために二酸化炭素等の温室効果ガスの人為的な排出を60%以上削減する必要があること。
? 地球温暖化は、世界の社会、経済及び自然のシステムに多大な影響をもたらし、人類が本格的な予防対策及び適応対策を講じない限り、地球の環境には重大かつ潜在的には破滅的ともいえる変化が生じるであろうこと。例えば、海面の上昇は都市の低地などを脅かして多くの人々に移住を余儀なくさせ、自然生態系は種の分布や構造が変化し、農林業や水資源利用に重要な影響がもたらされること。
? 地球温暖化がもたらす可能性のある深刻な影響に鑑み、不確実性の下でも直ちに正当化されうる対策を開始すること。国際協力の下に、技術の開発及び普及を強化していくための段階的かつ柔軟な対応策が計画されるべきであること。先進国と開発途上国は問題に立ち向かう共通の責任を持つが、先進国は排出量を抑制するとの将来の合意に沿って経済を適合させることにより気候変動を抑制する対策を採ること、発展を阻害しないような方法で開発途上国が対策を採れるよう協力をすること。
ウ 第二回世界気候会議
 IPCCにおける検討と並行して、各先進国において、国際的な合意形成に向けて、率先して二酸化炭素をはじめとする温室効果ガス排出量の安定化、削減の目標を独自に策定する動きが活発となった。1990年10月のEC委員会ではEC全体での二酸化炭素排出量を2000年までに1990年水準に安定化するという目標を定めた「ルクセンブルグ合意」が採択された。また、我が国も国際的な枠組み作りに貢献していく上での基本的姿勢を明らかにすべく「地球温暖化防止行動計画」を1990年10月に策定した。このほか、英国、ドイツ、フランス、オランダ、イタリア、デンマーク、カナダ、スウェーデン、ノールウェー、オーストラリア、ニュー・ジーランド等の多くの先進国が第2回世界気候会議までに温室効果ガスの安定化又は削減の目標設定を行った(第3-1-4表)。
 1990年11月に専門家による科学技術会合に引き続き行われた第2回世界気候会議の閣僚レベル会合では、IPCCの報告及び科学技術会合の声明を受け、温室効果ガスの排出抑制、森林保全、開発途上国支援等の問題を中心に条約交渉会議に向けての合意形成の努力が行われた。その成果は閣僚宣言として取りまとめられたが、地球温暖化問題に対する世界的な対応策の基礎として先進国と開発途上国とで内容に差異はあるが共通の責任があることを認め、効果的な条約を1992年の国連環境開発会議までに締結することに世界のほとんどの国が合意したことは、条約づくりはじめとする今後の国際的取組の展開において画期的な意義を有していると言えよう。
 懸案となっていた温室効果ガスの排出抑制目標に関しては、我が国をはじめとする多くの先進国がその手法や出発点が異なるものの概ね1990年レベルで2000年までに二酸化炭素または二酸化炭素とその他の温室効果ガスの排出量を安定化させるための行動をコミットしたことにつき具体的国名を挙げて歓迎し、すべての先進国が温室効果ガスの排出抑制に大きな効果のある目標、戦略等を設定することを求めるとともに、開発途上国にも可能な範囲で行動を求めている。
 なお、我が国は地球温暖化問題への対応の基本的姿勢として、二酸化炭素等の温室効果ガスの排出抑制目標とその実現のための対応の全体像を明らかにした「地球温暖化防止行動計画」を策定して、第2回世界気候会議に臨んだが、その内容は会議参加者から高い評価を得た。
 閣僚宣言の概要は次の通りである。
? 不確実性を低減し、予測能力を高め、対応戦略を立てるため、調査研究活動を強化する必要があること、及び科学的確実性の欠如をもって環境破壊を防止するための措置を延期する理由とすべきでないこと。
? 究極の目標は、気候への危険な人為的干渉を防ぐようなレベルで温室効果ガス濃度を安定化させることであり、第一段階として、世界経済の持続可能な発展を確保しつつ、モントリオール議定書によって規制されていない温室効果ガスの排出量を安定化させる必要性があることを強調すること。
? すべての温室効果ガスの排出抑制やその吸収源も考慮した、できるだけ包括的な手段をとるよう勧告すること。
? 開発途上国に対して、適切かつ追加的な資金が融通され、環境的に健全な利用可能な最良の技術が公正かつ最も有利な条件で迅速に移転されることを勧告すること・
? 適切な経済的手段は、費用効果的な方法で環境改善を達成する可能性を提供しうる。いかなる形の経済的あるいは規制的手段の採用においても慎重かつ確実な分析が必要とされる。我々は、関連する政策において、規制的アプローチの均衡のとれた配合と合わせ各々の国の社会経済的条件に適した経済的手段が利用されるよう勧告すること。
? すべての国々に対して、既存技術の再評価・改良・新技術の導入を含む技術開発及び技術の普及における各国の努力及び国際協力を強化することを推奨すること。
? 第45回国連総会での気候変動に関する決定の後、遅滞なく条約交渉を開始し、関連措置を含む効果的な条約を1992年国連環境開発会議までに締結すべきことを確認すること。
 1991年2月、これらの国際会議での議論をうけて、米国で気候変動に関する枠組み条約についての第1回条約交渉会議が開催された。この会議では、今後の交渉を進めるに当たり必要な手続き規定や議長団、ワーキング・グループ等が決定されるとともに、条約についての各国の基本的考え方の表明が行われた。今後概ね3か月に1度にペースで条約交渉会議が開催される予定である。


(3) 先進国の取組
 主要先進7か国とECの首脳による主要国首脳会議(サミット)では、1981年のオタワ・サミット以来、その経済宣言の中で環境について触れており、特に1989年のアルシュ・サミットでは、実に経済宣言の3分の1が環境問題に割かれた。
 1990年7月のヒューストン・サミットの経済宣言では、地球温暖化に関して気候変動に関する枠組み条約が1992年までに策定されるべきことを確認し、気候変動の科学及び影響などに関する協力の一層の強化の必要性並びに温室効果ガス排出削減のための新しい技術と方法を今後数十年の間に開発する共同作業を行うことの重要性の認識を示すとともに、森林減少の抑制、生物学的多様性の保全、積極的な林業活動の促進等のために必要な国際的取決め又は合意を1992年までに策定すべきことを提唱している。また、東欧諸国の民主化による東西冷戦の終結を背景に、この地域で深刻化している環境問題に対処するために必要な支援の重要性を指摘している。
 OECDでは、1991年1月、パリにおいて、約5年に一度開催されるOECD環境委員会閣僚レベル会合が開かれた。我が国からは、愛知和男環境庁長官が出席した。この会議では、議論の総括として。コミュニケを発表し、1970年代の「特定し修復する」アプローチ、1980年代の「予見し防止する」アプローチから、1990年代は長期的戦略的計画と緊密な国際協力に基づく「環境管理」の時代に入っていくことが必要であることを合意した。また、次のことを重点とする1990年代の環境戦略を打ち出した。
? 経済政策と環境政策の統合を図り、特に、経済的手段の活用を進めるとともに、環境指標の開発、普及に努めること。
? OECD諸国内における環境政策の改善を進めることとし、新たに、OECDにより加盟国の環境政策の実施状況の審査の開始に努力すること。
? 東欧、開発途上国に対する環境援助を強化するとともに、地球的規模の環境問題に積極的に取り組むこと。
 経済政策と環境政策の統合については、次の原則によりOECD諸国政府の政策を進めることを提案した。
? 経済政策と環境政策との根本的な関連を認識しつつ、環境政策と経済政策を企画・実施すること
? 環境保全上の配慮を経済政策決定へ体系的に組み込むこと
? 経済分析と科学的評価に基づいて環境政策の目標や選択の優先度をつけること
? 環境政策と各経済部門の政策の両立が中心の目標となるべきであり、そのため監視と評価を継続して行うべきであること
? 経済的手段は、規制措置とともに用いられ、政策統合実現のための重要な手段であること
? 競争力と貿易に対する不当な制約を避けるために国際的協議と協調を進めること
 さらに、湾岸危機での原油流出問題に対して、イラクを非難する特別声明を出すとともに、コミュニケにも、「油汚染に対する準備、対応及び協力に関する国際条約」(仮称)を早期に完全履行することが緊要であること、各国の対応能力、情報に関する登録制度を整備することが盛り込まれた。
(4) アジア地域の取組
 1990年10月、バンコクで国連アジア太平洋経済社会委員会(ESCAP)主催による初めての「アジア太平洋環境大臣会議」が開催された。ESCAP加盟国から37か国、準加盟国から4か国、オブザーバーとしてヨーロッパなどから10か国、国際機関から22機関の参加があった。
 この会議は、1992年の国連環境開発会議に向けたアジア太平洋地域における準備会合の性格も持っており、この会議で採択された「アジア太平洋地域における環境上健全で持続可能な開発に関する閣僚宣言」の概略は、次のとおりである。
? 環境上健全で持続可能な開発に関する地域戦略の検討をさらに推進するとともに、1992年国連環境開発会議に対するESCAP地域の貢献について検討すること。
? 環境と開発に関する地域活動についての協力及びその調整を、ESCAPが中心になって行うこと。
? 環境上健全で持続可能な開発に関連した活動を対象とした研究、研修、政策等の研究所/センターの地域ネットワークづくりを促進すること。
 また、?を受けて1991年2月には、バンコクで日本政府の援助のもとに上級事務レベル会合が開催された。この会合では、ESCAP地域の地域戦略が策定され、1991年4月に韓国で開催されるESCAP総会へ提出されることとなった。
 アジア太平洋地域への取組として、我が国は、1989年6月の「アジア地域国際環境シンポジウム」の成果を踏まえ、アセアン諸国との政策対話を推進するため、1990年9月に東京で環境庁主催による「日・アセアン環境専門家会合」を開催した。
 また、昨年度のオゾン層保護セミナーに引き続き、地球温暖化問題についてアジア太平洋地域での影響や対策への取組を協議するため、1991年1月、名古屋市で「地球温暖化アジア太平洋地域セミナー」を開催した。このセミナーは環境庁、愛知県、名古屋市及び(社)海外環境協力センターの共催で、IPCCのボリーン議長ら地球温暖化に関する世界的な専門家のほか、アジア太平洋地域18か国の上級行政官、UNEP、アジア開発銀行等の国際機関等から関係者約200人が参加した。
 同セミナーにおいては、IPCC等における検討結果の紹介、地球温暖化問題についての10か国からのカントリー・レポート及び国際機関からの取組状況の発表が行われた。さらに、アジア太平洋地域という観点から討議が行われ、最終日には、研究とモニタリング、対応戦略の形成及び地域内協力について討議内容を総括した議長サマリーが採択された。
 また、アセアン海域の大規模な油流出事故の緊急防除体制の整備については、アジアにおける油流出に対する準備及び対応に関する国際協力事業(OSPAR計画)の一環として、運輸省は、1991年1月、横浜市でIMOとの共催でアセアン諸国の参加の下に、「1991年の油汚染に対する準備及び対応に関する国際フォーラム」を開催し、今後の国際協力体制を促進するための基盤づくりを行った。
 今後、世界の中でも工業化、都市化の進展が著しいと見込まれるアジア地域においては、地域的な公害対策のみならず地球温暖化対策をはじめとする地球環境問題への対応についても積極的に協力していくことが必要である。
(5) 環境分野の政府開発援助(環境ODA)の拡充・強化
 我が国の環境分野の政府開発援助(環境ODA)は、着実に増加している。また、政府開発援助によって開発途上国の環境に悪影響を及ぼすことがないよう、環境への配慮を充実する体制を整備している。
 我が国の政府開発援助は、開発途上国政府の要請に基いて行われるものであるが、環境分野の事業は、直接かつ短期的な経済的利益をもたらすものでないだけに、開発途上国からの要請の優先順位が低いという傾向があった。しかし、環境対策は、その被害が顕在化してからでは手遅れであるか、環境回復が可能な場合にも多額の費用がかかるため、未然防止が肝要である。このようなことから、地球的規模での環境保全という要請と開発途上国の主催の尊重とをともに満たしつつ、環境協力を実施していくためには、「要請主義」を弾力的に運用し、開発途上国との政策対話を進め、環境ODAの拡充・強化に努めることが必要である。
 開発途上国の環境保全の取組への支援の強化については、1989年6月の地球環境保全に関する関係閣僚会議申合せにおいて合意されているところであり、さらに総理大臣の諮問機関である対外経済協力審議会(会長:大来佐武郎元外相)では、1991年3月、意見「地球環境問題と我が国対外経済協力について」を取りまとめ、今後の我が国の環境分野における援助のあり方について提言を行なった。
 我が国は、1989年のアルシュ・サミットに出席した宇野宗佑首相(当時)が、1989年から3年間に環境分野に対する二国間多国間援助を3,000億円程度を目途として拡充・強化に努めるとの政府の方針を内外に示した。1989年度の実績は約1,300億円で着実に実施中であり、その実績は、アジア地域をはじめとして世界的な広がりをもっている(第3-1-1図)。環境ODAを支えるためには資金・技術・人材の三つの要素が必要であり、特に開発途上国に対する環境保全技術の移転及び開発途上国における人材養成は、開発途上国自身の環境問題への対処能力向上を図る上で非常に重要である。このため、現在国際協力事業団(JICA)を通じ専門家派遣や研修員の受け入れ等を実施しているが、さらに、1990年のヒューストン・サミットに出席した海部俊樹首相は、開発途上国への技術移転の中核的機関として、技術情報のデータベース機能及びそれを利用した研修、コンサルティング機能を持つUNEP地球環境技術センターを我が国に設置する構想について検討が行われており、UNEPの正式決定を得た上でその推進に協力したい旨を表明している。また、タイ及び中国では、我が国の資金的、技術的援助により、環境モニタリングに係る人材養成・研修・環境研究の機能を持つ環境研究研修センター設立プロジェクトが進められている。
 また、政府開発援助を行うに際しての環境配慮については、有償資金協力を行う海外経済協力基金(OECF)は「環境配慮のためのガイドライン」を作成し、無償資金協力と技術協力等を行う国際協力事業団(JICA)は分野別の「環境配慮ガイドライン」をダムについて作成したほか、順次作成することとしており、環境面への配慮を実施している。

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