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第2節 

1 1972年国連人間環境会議

 国連人間環境会議は、1972年6月5日から2週間にわたってスウェーデンのストックホルムで開催された。この会議の開催は第23回国連総会で1968年12月に決定された。主要な役割を果たしたのは、今回と同じくスウェーデンであった。スウェーデンは1968年のストックホルムにおけるOECDの国際科学協力政策委員会の特別会議で、国境を越える大気汚染物質の移動によってスカンジナビア半島の森や湖が被害を受けていることを明かにした。今日の地球環境問題の一つである酸性雨である。このようなノルディック諸国がおかれた状況をもとに、スウェーデンは、国連総会で地球規模での国際協力の必要性を訴え、国連総会は1972年の国連人間環境会議の開催を決定した。
 1972年国連人間環境会議が開催されるに至った背景は、次のようなものであった。
 第一は、1950年代、60年代の急速な経済発展である。先進工業国では飛躍的な経済成長に伴って、排ガス、廃水、廃棄物が飛躍的に増大し、かつて無限と考えられていた大気や水という環境資源が受容し浄化し得る能力を超えるまでにいたり、その限界が認識されるようになったことである。
 第二は、この地球を「宇宙船地球号」と呼ぶ考えである。人口、天然資源、環境資源など地球上のあらゆる要素が複雑微妙に相互依存しており、有限かつ一体のものとして、この地球をひとつの宇宙船にたとえ、みなが協力してこれを守っていかなければならないと考えるようになったことである。
 第三は、開発途上国における環境問題である。工業の汚染による環境破壊よりも、あるれる人口、低い栄養、住宅、教育施設の不足、自然災害、疫病のおそれといった貧困からの脱出が、最大の環境問題になっていたことである。
 会議直前に発表されたローマクラブの「成長の限界」は、地球という有限な世界の中での経済成長の行く着く先をひとつのモデルとして示し、大きな衝撃を与えた。
 この国連人間環境会議では、「かえがえのない地球(ONLY ONE EARTH)」のために、「人間環境宣言」や「行動計画」が採択された。我が国からは、大石武一環境庁長官(当時)が政府代表として出席し、我が国の提案により、この会議を記念して、毎年6月5日を国連の「世界環境の日」とすことが決定された。
 南北の関係については、この会議では、開発が環境汚染や自然破壊を引き起こすことを強調する先進国と、未開発・貧困などが最も重要な人間環境の問題であると主張する開発途上国とが鋭く対立をした。事務局長演説は、「環境問題の現状と、環境に関する行動に与えられるべき優先順位は、先進国と開発途上国の間ではあきらかな差異があります。開発途上国においては、将来の不確かな必要を食料、住宅、仕事、教育または保健という生活に欠くべからざるものに優先させることは到底できないことは明らかであります。」と述べている。採択された宣言や行動計画にはこれら先進国及び開発途上国のそれぞれの国々の主張が盛られている。

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