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第3節 

1 森林の有する多様な価値と開発利用に伴う問題

 一つの生命体ともいえる地球にとって、森林の果たす役割は極めて大きい。海洋とともに物質循環、エネルギー循環の要めとして、地球生態系の重要な構成要素である。熱帯林をはじめ、大量の森林の消失は微妙なバランスの下に形成されてきた地球の循環系を狂わせ、異常気象等を通じて我々の社会に取り返しのつかない影響を及ぼすのではないかと危倶されている。
 また、地球上に生命が誕生して以来、進化の過程とともに営々と築き上げられてきた生物社会は5百万から1千数百万種を擁する極めて複雑かつ精妙な構造を持つに至っており、その約半分が生息するといわれる熱帯雨林のみをとってみても、その無秩序な開発行為は生物社会への重大な挑戦である。蓄積された時間に比べ、あまりにも短時間で進む減少自体が地球生態系に与える影響について人類全体が思いをはせるとともに、木材、エネルギー資源、食糧、医薬品等の生産をはじめ、保健休養の場として来るべき世代の森林利用の可能性を阻害しないよう真剣な考慮を払っていくことが必要となっている。
 人類の多くは森林と共に生きてきた。森林は単に資源供給の場であるのみでなく、我々に清澄な水を与え、災害から守る役割を果たしてきた。さらに、ヨーロッパにおいて「森林は文化の母」といわれ、また我が国でも「照葉樹林文化」、「ブナ帯文化」などといわれるように森林とのふれあいの中に生活・文化を育んできた。そしてものの豊かさから心の豊かさが求められる今、森林にやすらぎの場を求める声も高い。
(1) 森林の有する多様な価値
ア. 地球の生命の源泉としての森林
 森林には陸上の植物現存量の90%が生存しており、「緑の地球」を象徴する存在となっている。葉緑素をもった植物は光合成により有機物をつくりだし酸素を発生させる。植物の生命体はこうしてつくられた有機物により構成され、動物や多くの微生物は直接、間接に植物による有機物生産に依存して生命体をかたちづくっている。
 また、森林の存在は地球上の熱収支や水収支に大きく影響するとともに、地球上の炭素循環へのかかわりも大きい。代表的な見積もりによれば、地球上の植物と土壌は約2.2兆トンの炭素を固定しており、これは大気中にある炭素のおよそ3倍にあたるものである。森林の現存量の変化は二酸化炭素の大気中濃度に影響を及ぼし、ひいては大気中の熱保有量、気温を左右する。地球が生物の生息に適した環境を保っていく上で、森林は不可欠な役割を果たしている。
イ. 木材等の生産機能
 森林からは木材が産出され、住宅等の建築材料や家具の素材として利用されるとともに、紙、板紙の原料ともなっている。特にアフリカ、東南アジアなどの熱帯木材の輸出地域においては、主要な外貨獲得の手段となっており、例えばインドネシアでは全輸出額の15%を木材製品の輸出によって得ている。
 また、森林は、開発途上国においては重要なエネルギーの供給源である。FAOの評価によれば、薪炭材はアフリカの開発途上国の全エネルギー消費の6割、アジア諸国の2割弱、ラテンアメリカ諸国の1割弱を賄っており、最貧諸国では9割を越えている。
 さらに、木材以外の林産物の経済的価値も、地域経済にとって木材生産物の価値と同等以上に評価されることもある。主なものとしては、アフリカにおける野生生物、アジア諸国におけるラタン(とう)や竹、あるいはラテンアメリカにおける果物及びナッツなどがある。
ウ. 野生生物の生息の場
 森林は、豊富な植物相を有し、多彩な哺乳類、鳥類、昆虫などのすみかとなっており、これらの構成員が相互に複雑な関係を保ちながら一体となって生態系を形づくっている。特に熱帯雨林は「生物種の宝庫」と呼ばれ、世界の地表面の7%しか占めていないところに、地球上の生物種の半数が生息しているといわれている。こうした多様な種の価値を経済的に評価することは難しいことであるが、その薬剤としての価値だけに限っても、米国の薬剤の40%以上は野生生物から得られており、毎年400億ドルの商業価値を生み出していると評価されている。
エ. 水源かん養の働き、山地災害を防ぐ働き
 森林は降雨を地下へ浸透させ、河川への流出を緩やかにし、河川水量を平準化させる働きを果たしている。第3-3-1図は降水のゆくえを森林である場合と裸地である場合とで比べたものであるが、森林に降った雨水のうち降雨直後に表面から流出する量は全体の約25%であり、約35%が地下に貯留され徐々に流出していくのに対して、裸地では降水の55%が降雨直後に地表面を流出していき、地下に貯留される5%程度といわれている。また、森林の根は土壌を引き締め、土石の崩壊を防いでいる。このほかにも、森林は干害を防止する働き、風害や飛砂害を防ぐ働きを果たす。
オ. 気象緩和等の働き
 森林内では一日における最高気温は低く、最低気温は高いという較差の少ない穏和な気温条件が作られる(第3-3-2図)。森林内と裸地との較差の差は2〜3℃といわれているが、ときには10℃近くに及ぶことが観測されている。また、森林の蒸散作用によって大量の気化熱が消費され、地表の温度上昇を防いでいる。そのほかにも、森林は、湿度を調節する働き、農地や住居を風害から守る働きなどをはたしている。
カ. 大気汚染物質の吸収
 森林、樹木は硫黄酸化物や窒素酸化物などの大気汚染物質を吸収する能力を持っている。例えばクスノキ一本(胸高直径25cm、樹高7.5m)で1年間に約130gの二酸化硫黄、約160gの二酸化窒素を吸収すると試算されている。
キ. 生活に安らぎを与える働きなど
 鎮守の森は、都市化が進む中でも宗教的な理由から自然のままに保全され、子供たちの遊び場や祭りの際の集いの場となるなど地域の共同体意識を養ってきた。
 そのほかにも、森林は、生活にうるおいを与え見る人の心を和ませる働き、自然にひたり安らぎの場を提供する働きを有しており、登山やハイキングなど自然と親しむレクリエーションの場としても重要である。そしてこうした期待は、国民の心の豊かさを重視し、余暇生活を重視する傾向に伴って今後一層高まっていくものと思われる。


(2) 森林生活の減少に伴う問題
 森林は我々の生活に計り知れない恵みをもたらしてくれる極めて重要な資源である。しかし、そのかけがえのない価値が十分に認識されないままに不適切に利用されると、大きな損失をもたらすこととなる。
ア. 野生生物への影響
 熱帯林には一説によれば約300万〜900万種の動植物種が生息・生育しているといわれるが、このうち現在までに同定されている種は60万種程度に過ぎない。また、熱帯林の生態系においては、生物種相互間、動物種と非生物的環境とが密接で壊れやすい関係を形作っており、わずかな地域の森林の減少や一つの種の消滅が多くの種の絶滅につながっていく。現在、熱帯林に生息する生物種については、その有用性についての調査がなされているものは全体の1%に過ぎないという状況の中で、熱帯林の急速な減少により、何万の種とその遺伝子が十分な研究もなされないまま地球上から消えていっている。
 また、かつて行われたような大規模な森林の皆伐が動物の生息に大きな影響を及ぼすことは我が国内においても推測されている。第3-3-3図は、我が国において天然のブナ林が一度に大面積にわたって皆伐されその跡地に画一的にスギやヒノキといった針葉樹が植林された時、中小の哺乳類の個体数や種類がどのように変動するのかをあらわした模式図である。施業のための林道工事、伐採行為によって逃げ出し、その後、伐採跡地の二次植生などの環境に適応して一時的に増加する種類もあるが、完全な森林性でしかも巨木がなければ生息できない種(ヤマネやコウモリなど)はダメージを受けると推測されている。
イ. 二酸化炭素の固定作用の減退
 巨大な二酸化炭素の吸収源である森林の喪失は、二酸化炭素濃度を増加させ、地球温暖化を加速させることが懸念されている。大規模な減少が問題となっている熱帯林についていえば、それが健全で成長段階にあるとすれば森林の1ha当たりの二酸化炭素吸収量は年間7〜9t(炭素換算)あることから、1,000万haの減少は約8,000万tの吸収減となる。
 あわせて、森林の減少は、樹木とその下の土に含まれていた炭素を酸化させ大気中に放出させる。森林減少による炭素の放出量についてはいくつかの推計がなされているが、最近では毎年16億t前後であろうと考えられている。この値は人間の化石燃料の使用による二酸化炭素排出量の約3割に相当する。第3-3-4表は主要数か国について熱帯林からの純放出量を比較したものであるが、南米や東南アジアなどの熱帯地方がその大部分を占めている。
ウ. 土砂崩れ、洪水等の災害の発生
 1988年11月、タイ南部で発生した洪水は人々の生活や産業活動及び自然生態系に甚大な被害をもたらした。ESCAP調査団の報告によれば、4日間にわたる大雨により、5万戸を越える家屋、1,000以上の道路、300以上の橋に被害が生じ、最も被害の大きかったスラッタニ州では全耕地の38%にあたる3万6千haの耕地が被害を受けた。
 こうした甚大な被害をもたらした原因は、雨量の大きさもあるものの、傾斜地における森林減少等が主要因と考えられている。タイ南部では、25年前には42%を占めていた森林面積が、1985年には22%にまで減少しており、森林減少跡地に降った豪雨が土壌に吸収されず一気に流出し、植生の失われた傾斜地の土壌を押し流していったことが今回の大災害をもたらした原因であると考えられる。
 また、ガンジス川上流域における急激な森林減少は、インドやバングラデシュなどにおいて毎年のように洪水を発生させ、多大な被害を生じさせている。
エ. 途上国における木材資源の枯渇
 森林資源は開発途上国における生活の基盤であるとともに、将来の発展にむけた貴重な外貨獲得源でもある。しかし、いろいろの目的のために減少している森林面積に対し、新たな造成面積は10分の1程度に過ぎず、開発途上国の中には、既に輸出向けの木材、木製品の生産ができないだけでなく、自国の需要をみたすこともできない状況に進みつつあるものもある。(第3-3-5図)。
 薪材の不足状況にある人口は、1980年に13億人であったのが2000年には27億人にまで倍増すると予測されている(第3-3-6図)。また、1985年においては開発途上国のうち林産物の純輸出国は33か国あったが、適切な森林経営及び人口林拡大への投資が持続されなければ、今世紀末には10か国に減ってしまうとの予測もなされている。

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