- ホーム
- > 環境省のご案内
- > 採用・キャリア形成支援情報
- > 環境省で働く
- > 一般事務
Interview一般事務 職員インタビュー
- 環境省に入省した理由
-
私は、出身が新潟県の小出町(現在は合併により魚沼市)という片田舎で、子どもの頃は川や田んぼで魚や蛙などの生き物を捕まえて遊ぶのが好きだったのですが、段々と、幼い頃に比べて身の周りから生き物が減少していき、生き物を捕まえることが難しくなりました。これでは楽しくない!という危機感?から、極めて単純に、「生き物のために環境を守らなければ!」と考えて環境庁(当時はまだ環境庁でした)を選びました。当時学生だったとは言え、今思えばあまりに思考が単純過ぎて、ちょっと可笑しいですね。ただ、当時、「環境」という言葉に惹かれ、「環境」の仕事をしてみたいとの気持ちが強かったことは確かに記憶しています。
それともう1つ、官庁訪問の際の環境庁の職員やオフィスの雰囲気が明るく重々しくなかった(古臭くなかった)ことも印象的でよく覚えています。その時に感じた環境庁の第一印象は、約30年経った今となっても全く変わるところはないと感じており、それが環境省の大きな魅力だと考えています。- これまでのキャリアパス
1994年入庁/Ⅲ種(行政) 環境庁入庁後、長官官房秘書課、自然保護局企画調整課、特殊法人公害健康被害補償予防協会(出向)、大臣官房会計課、地球環境局地球温暖化対策課、水・大気環境局総務課、水・大気環境局土壌環境課、廃棄物・リサイクル対策部廃棄物対策課、地球環境局地球温暖化対策課、日本環境安全事業株式会社(出向)、大臣官房会計課、環境再生・資源循環局特定廃棄物対策担当参事官室、地球環境局地球温暖化対策課を経て、2021年から環境再生・資源循環局浄化槽推進室にて総括補佐業務を担当。
- 今の仕事の説明
浄化槽推進室では、浄化槽法という法律に基づき、浄化槽の整備と適正な維持管理を推進するための様々な業務に取り組んでいます。私は室長補佐という役職で、室全体を総括しています、というと聞こえは良いですが、実際は年齢が上なだけで、室員の皆さんと力を合わせて全員野球をしているような感じです。
浄化槽(合併処理浄化槽)をそもそも知らない方も多いと思われますので、浄化槽について少しご説明したいと思います。浄化槽は、トイレや台所といった家庭から出る排水を処理する施設です。同様の施設として下水道があり、浄化槽が下水道と同等の排水処理能力を有しています。下水道は都市部を始め広く整備されているため知っている方が多いと思いますが、浄化槽は、下水道が整備されていない地方部等の地域で建物毎に設置される処理施設となります。我が国における浄化槽による処理人口は約1,200万人に上り、地方部等を中心に引き続き処理人口の増加が見込まれています。全国津々浦々の自治体や関係事業者の皆様の努力により浄化槽の整備と維持管理が行われていますが、まだまだ課題は山積しています。かつて設置されていたトイレの排水のみを処理して台所等の排水が垂れ流しである浄化槽(単独処理浄化槽)は平成12年の浄化槽法改正により現在は新設が禁止されていますが、未だに全国で約340万基が残存しており、合併処理浄化槽への転換整備を促進して身近な水環境を守る必要があります。また、浄化槽が整備された後に、処理機能が適切に発揮されるためには、浄化槽法に基づく維持管理が適正に行われる必要がありますが、現状では、適正な維持管理が徹底されていない状況です。こうした状況を踏まえ、どうすれば合併処理浄化槽への転換整備が効果的に進むのか、適正な維持管理の徹底に理解を得るためにはどのような手法が有効か、といったことを日々考えています。実際に浄化槽の現場を見て、厳しい環境の中で日頃よりご苦労されている自治体や関係事業者の皆様のお話をよくお伺いし、時には厳しいご意見をいただき、時には温かい励ましやご指導をいただきながら、意見交換や協議等をさせていただき、それらをもとに課題解決に向けた具体的な施策や新たな予算制度などの立案・実行に取り組んでいます。
そうした取組が少しずつでも現場の課題解決につながり、自治体や関係事業者の皆様から、「ありがとう」と喜んでいただけたときは、とても大きなやりがいを感じます。それが重要な施策(大きな制度改正や新たな予算制度の創設等)であれば勿論ですが、たとえ些細なもの(お困り事の相談、お探しの資料の提供、資料作りのお手伝い等々)であっても、喜んでいただけた時のやりがいは私にとって変わらず大きいものであり、これからも一つ一つできることから、現場の皆様の役に立つ取組を行っていきたいと考えています。- 印象的だった業務・最大の思い出
これまでのキャリアパスの中で色々と印象に残る業務がありました。挙げればキリがないのですが、思い付くままに挙げれば、新人時代にお茶出しが上手くできなかったこと(今はもうこのような業務はないかも知れませんね)、予算業務を担当した際に初めて徹夜で朝まで仕事をしたこと(気が付いたら窓の外から朝陽が昇っていました)、土壌汚染対策法の改正作業に携わり初めて法律の条文を検討・作成したこと(一般職の職員として貴重な経験をすることができました)、放射性廃棄物の中間貯蔵の現地調査のため米国に出張して州政府の行政官と熱心に議論をしたこと(初めての海外出張で不安もありましたが有意義な成果を得られました)、過去に実現できていなかった財政支援制度を困難な調整を経て実現したこと(粘り強く業務に当たり制度を実現できたときの関係者の喜びの声は今も大変印象深いです)、等の業務が印象に残っています。
しかし、やはり東日本大震災時の災害対応業務が最大の思い出になるかなと思います。3月に発災してから7月に異動するまでの約4か月間、発災直後の本当に濃密で得難い業務経験となりました。当時、災害廃棄物処理の業務を担当し、発災から連日昼夜を問わず、避難所のし尿処理やがれき処理等が円滑に進むよう支援の業務に全力で取り組みました。当時の役職は係長でしたが、人手が全く足りない状況下で、被災自治体のご要望や処理の進捗を1つずつ丁寧にお聞きしながら、ご要望を踏まえた新たな補助制度の設計・財務省との折衝、迅速かつ正確な処理の進捗把握の仕組み作り、省内幹部や政務三役への進捗の報告説明、国会議員からのレク要求への対応や国会質問の答弁作成などの業務に自ら責任を持って当たりました。この時は今振り返っても本当に厳しい業務状況であり、必ずしも全ての業務が上手く進んだわけではなかったものの、自分が行う1つ1つの業務が被災地の支援に直接つながるとの実感を得ながら取り組むことができ、また、この時の経験で多少のことでは動じない度胸が付いた気がします。
その一方で、当時はまだ子どもが小さかったのですが、連日の深夜残業で家事や育児等の家庭のことが完全に妻任せになり、非常に大きな負担をかける形になりました。そのような中でも、家庭のことを一手に引き受け、更に、深夜残業で疲弊していた私をよく支えてくれた妻には心から感謝しています。私が当時全力で業務に当たることができたのはひとえに妻のお陰であると考えており、妻には本当に頭が上がりません。
なお、本年1月に発災した能登半島地震において、当室は、被災した浄化槽の復旧や避難所のし尿処理等の支援の業務を担っており、発災後からしばらくの間、大変な業務の状況が続き、再び、妻に非常に大きな負担をかける形となりました。妻にはあらためて心から感謝するとともに、ますます頭が上がらない状況となっていますが、今後、少しずつ恩返しをしていきたいと思います。- 仕事をする上で大切にしていること
繰り返しになる部分もありますが、私は、仕事をする上で、現場で頑張っている方々の想いやニーズをしっかりとお聞きしてそれを施策につなげていくことが大切だと考えています。我々環境省の職員の都合で施策を考えるのではなく、きちんと現場の想いやニーズを汲み取って、地に足のついた仕事をしていきたいと思っています。また、自分が霞ヶ関の省庁の中だけでしか通じない考えや言葉遣いとなっていないか気を付けるようにしています。このことは、実は意識しないと結構難しく、職場の外で、家族等と話をしたりする中で意識するようにしています。
もう1点は、自分が関わる仕事を自分で限定しないようにしています。一般職・総合職といった職種やポストで仕事を限定して考えるのではなく、自分が関わって仕事をすることでプラスになりそうなことがあれば、職種やポストに関わらず積極的に関わるべきと考えており、その方が自分の経験やスキルも増え、組織の活性化も図られて、組織全体のパフォーマンスの向上にもつながるものと思います。このような柔軟で積極的な仕事の仕方が可能であることも風通しの良い環境省ならではの魅力ではないかと考えています。- オフタイムは何をしている?
休日に家にいる時は、できる範囲で家事をするようにしています。料理は妻が非常に得意ですので、私は皿洗いを担当するなど、分担してやっています。休日は、特別に遠出をするというより、妻や子どもと一緒に近場で遊びに行ったり美味しいものを食べに行ったりするのが楽しみです。そうした何気ない感じの休日を妻や子どもと過ごすのが好きですね。あとは、運動不足の解消とリフレッシュのため、ウォーキングで汗をかいてその後に銭湯でゆっくり湯船につかるのが最近のお気に入りです。少し前は、子どもと一緒に近所の公園で走ったり、区民プールで泳いだりしていたのですが、最近やらなくなってしまったので、近々、また再開したいと思っています。
- 子育てや家庭との両立について
仕事と子育てや家庭との両立は、私にとって非常に難しい、永遠のテーマです。私は、仕事が大変である中でも、とても有り難いことに4人の子どもに恵まれ、子育てにも自分なりに精一杯取り組んできました。今は、男性の育休取得がかなり定着してきたと思いますが、10年以上前の時代は、育休制度自体が今ほど整備されておらず、そもそも育休を取得する人がほとんどいない状況でした。
それでも、私は、「仕事は今後いつでもできるが、子育ては今しかできない。かけがえの無い時間を産まれた子どもと妻と過ごしたい。」と考え、4人とも、子どもが産まれたタイミングで約1ヶ月の休暇を取得して、その間、子育てに全力投球しました。私の休暇の申し出を快く了解いただいた当時の上司・部下の皆さんには今でも本当に感謝しています。子育てはとても大変でおむつを替えるのも泣いているのをあやすのもなかなか思い通りにならないのですが(これらも徐々に上手くなりました)、それでも、子どもはとにかく可愛くて何物にも代えられない貴重な時間を過ごすことができ、私にとって子育ては本当に楽しいものでした。こうした経験は私の人生における宝物ですし、加えて、自分自身の精神的な成長にもつながり、視野が拡がって、仕事にもプラスの面が大きいように感じています。