スキーを愛するからこそ
「脱炭素」に真剣に向き合う、
アスリート・渡部暁斗
ノルディック複合のスキー選手として
輝かしい成績を収めてきた渡部暁斗さん。
地球温暖化により雪が減っている現実を
目の当たりにして危機感を覚え、
現在は
「脱炭素」に積極的に取り組んでいます。
現役選手でありながら、
なぜこのような活動を始めたのか。
2022-23年シーズンから渡部さんが導入した
「エコパートナー」とはどのようなものなのか。
熱い想いを語っていただきます。
雪や氷河の減少を目の当たりにし、
自身が環境に与えている負荷を調べてみた
冬季五輪はソチ、平昌、北京と3大会連続で出場し、4つものメダルを獲得しているノルディック複合選手の渡部暁斗さん。環境の変化への危機感を覚えたのは、20年近くトレーニングで訪れているオーストリアの氷河が減り続けていると実感した時でした。
「標高2700mまで上がることができるオーストリアのダハシュタイン氷河には、秋のトレーニングで毎年のように訪れています。そこで気になっていたのが、氷河の量です。見た目にも年々減ってきているのがわかりましたし、雪が足りずにコースが閉鎖される時期も増えてきていたんです。同じ氷河を長く見続けてきたからこそ、環境の変化をダイレクトに感じることができたんだと思います」
競技シーズンが終わり、3月の末に日本に帰ってからは、春山でバックカントリースキーをするのが楽しみのひとつだという渡部さん。ここでも、ヨーロッパと同じような環境の変化を目の当たりにします。
「バックカントリースキーは地元の長野で楽しみます。毎年同じポイントで休憩するので、数年前と比べると、自分の身長を越えるほどの積雪が少なくなっていることがわかるんです。さらに、融雪も早くなっている。僕が子どもの頃は、ゴールデンウィークを過ぎても営業しているスキー場が多かったのですが、今は3月末から4月頭までしか雪がもちません。両親が“雪かきの手間がなくなって楽になった”と言うくらい、積雪量も融雪スピードも大きく変わってきていると感じていました」
こうして、さまざまな場所で環境の変化に対する危機感を覚えた渡部さんは、まずどのくらい環境に負荷をかけているのかが数値として目に見える、「カーボンフットプリント※1」について調べることにしました。国連の二酸化炭素排出量計算ツールによると、自身の競技活動やご家族の普段の生活を含む世帯当たりの年間排出量が約70トンになることがわかり、驚いたといいます。
「大きなウェイトを占めていたのは移動で、飛行機が57%、食事に関わる部分が26%、電気が10%、車が7%でした。遠征に行くという行為自体が、驚くほど環境に負荷をかけているとわかりました。アスリートは競技で結果を残すほど海外遠征が増えるので、どの競技でも競技力が上がるとカーボンフットプリントも上がっていくと思います。国連の計算ツールに記載されていた、一般の方の一世帯当たりの年間平均排出量が約38トンだったので、僕たちはほぼ2倍。『競技者だから仕方ない』では済まされないと、責任の大きさを感じました」
それまでは、雪山の変化がわかっていながらも、アスリートとして競技で結果を残すことに集中し、環境問題からは目を背けていた、という渡部さん。環境問題に取り組むなら、まずは自分が排出している70トンもの二酸化炭素をなんとかしなければ、と思い立ち、「カーボン・オフセット※2」をするために始めた取り組みが「エコパートナー」です。
※2 日常生活や経済活動において避けることができないCO2等の温室効果ガスの排出について、まずできるだけ排出量が減るよう削減努力を行い、どうしても排出される温室効果ガスについて、排出量に見合った温室効果ガスの削減・吸収活動に投資すること等により、排出される温室効果ガスを埋め合わせるという考え方。
「エコパートナー」と名付け、
共に環境問題と向き合う企業を募る
渡部さんは2022-23年シーズンからエコパートナーと名付けた協賛先を募集。環境への負荷を抑えたサステナブルなシューズを作っているアメリカの企業と想いが一致し、エコパートナーに迎えました。その広告料は、地元の長野県で「J-クレジット」の購入に充てられ、森林整備のために使われています。J-クレジットとは、省エネルギー設備の導入や再生可能エネルギーの利用による二酸化炭素などの排出削減量、また適切な森林管理による二酸化炭素などの吸収量を、「クレジット」として国が認証したものを指します。
「通常、スポンサーからの広告料は契約アスリートの競技や生活のサポートに使われますが、エコパートナーからの広告料はすべて、地球温暖化の防止対策に充てられます。そのため、エコパートナー募集時に設定した広告料は、僕が排出している70トンの二酸化炭素をカーボン・オフセットできる金額にしました。ただ、カーボン・オフセットはお金で解決している部分があり、本質的な課題解決にはなりません。ですから、エコパートナーのロゴをヘッドギアに付けることでそれが環境に配慮している企業であることの周知につなげ、企業の製品購入者が増えることで環境保全につなげたい、と考えています」
渡部さんはさらに多くの人に環境への関心を持ってもらい、人々の行動変容を促すため、他にもさまざまな活動に力を入れています。
「SNSでの情報発信はもちろん、積極的にメディアへの露出を図ったり、環境問題に関するイベントや講演に参加したりと、自分の声を届ける機会を貪欲に増やしています。2023年の夏も『信州環境フェア2023 Action for ゼロカーボンフォーラム』というイベントに参加して、温室効果ガス排出量実質ゼロに挑む自分の体験をお話しさせていただきました」
努力のかいがあって、波及効果は少しずつですが見えてきました。周囲のアスリートからの反応が寄せられ、親交のある現役プロスキーヤーからは「地元にJ-クレジットがあったのでアクションを起こそうと思っている」といった、具体的な声が聞かれるようになりました。環境団体からも「一緒にアクションができないか」と声をかけられる機会が増えたそうです。
「2022-23年シーズンにエコパートナー契約を結んでくれた企業が、次のシーズンも継続してくださることになりました。自分の取り組みを認めていただき、資金を出す価値があると思っていただけたことはとてもうれしいです。そのぶん、『自分が競技でいい成績を収めて話題になるようにもっと頑張らないと』と、身の引き締まる想いです」
2023-24年シーズンのエコパートナーの広告料は、北海道でのJ-クレジット購入に充てる予定だという渡部さん。北海道は2023年の夏、今までにない猛暑に見舞われ、各地で統計開始以来の最高気温を記録するなど、たびたび異常気象に見舞われました。
「北海道には妻の実家があり、トレーニングのためバックカントリーで旭岳を滑ることもあるので、僕にとっては第2の故郷。思い入れが強い土地ということもあり、今回は北海道の旭岳と羊蹄山付近の森林整備を行う『キキタの森プロジェクト』に協力させていただく予定です」
一歩踏み込んだ情報収集をすると、
今まで見えなかったものが見えてくる
環境問題に対して実直に向き合っている渡部さんに、普段の生活の中で気を付けていることを訊いてみました。
「マイボトルを持つ、買い物にはマイバッグを持参するなど、正直、皆さんがされているのと同じようなことをしています。あと、自分のカーボンフットプリントを調べた時に、輸送に対しての二酸化炭素排出量が想像以上に多かったので、なるべく地産地消を意識して、地元の生産物を買うようにしています」
輸送距離が短い食材を選ぶことは環境にやさしい行為だとわかったのも、自身のカーボンフットプリントを調べた結果だと、渡部さんは語ります。
「ですから、みなさんもまずは環境問題について調べてみることをおすすめします。一歩踏み込んだ情報収集を意識すると、今まで見えていなかったものが見えることがありますから。自分のカーボンフットプリントを調べてみるのも良いですし、情報収集や勉強をしようという気持ちを持つことも、環境問題と向き合うきっかけになるのではないかと思います」
最後に、環境への変化を肌で感じてきた渡部さんご自身は、どのような人が“エコジン(エコロジー+人)”であると考えているのでしょうか。
「今の時代は『エコジン』であることが当たり前になりつつあるのかなと思います。もちろん子どもたちも同様で、小さいうちからそういう意識があると将来は明るいですよね。地球上すべての人がエコジン。それが人間としてのあるべき姿になっていくと思いますし、そうなることを願っています」
原稿/中野悦子