福島の環境再生のいま

 東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故発生から11年。復興を進める福島で、放射性物質に汚染された環境を再生するために進められたのが除染作業です。除染によって大気中の放射線量は大きく下がり、避難指示区域にも住民が帰還し、農業や地域の祭りが再開されるなど、震災前の暮らしが少しずつ戻ってきています。


 一方、除染作業によって生じたのが放射性物質を含む「除去土壌等」。これをどうするかといった次なる課題があります。現在は福島県内の中間貯蔵施設で管理されていますが、国は2045年までに福島県外で最終処分することを決定しています。


 福島の暮らし、そして除去土壌等の県外最終処分に向けて何ができるか。皆さんに知ってほしい福島のいまを伝えます。


上部写真/左から、栽培実験での作業の様子、大熊町役場職員の佐藤由香さん、中間貯蔵施設のあるエリア

東日本大震災により、
何が起こり、何が必要だったのか

 震災前、首都圏への電力の供給源であった福島。2011年3月11日、東日本大震災によって発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故によって、福島では放射性物質による汚染が広がりました。放出された放射性物質による人の健康や生活環境への影響を少しでも早く低減するため、環境省と市町村が分担して実施してきたのが除染作業です。


 放射性物質が付着した表土をはぎ取ったり、建物の屋根や道路の舗装面などを洗浄したりという方法で除染は進められましたが、どのくらいの表土をはぎ取るとどのくらい放射線量が下がるのか。手探りで始まった作業を経て、各地の空間線量率は大きく下がりました。


 一方、除染によって生じたのが大量の除去土壌等です。大型のフレキシブルコンテナ(粉末や粒状物の荷物を保管・運搬する袋)に詰められた大量の除去土壌等が県内各地の仮置場等に保管されましたが、このままでは住民の帰還を進めることができません。除去土壌等を安全かつ集中的に管理、保管するために検討されたのが、中間貯蔵施設でした。


 除染、そして除染後の福島はいま、どうなっているのでしょうか。

除染と除去土壌

 除染――東日本大震災後一般的になった言葉ですが、除染の「いま」を知っている人は少ないのではないでしょうか。また、除染によって生じた除去土壌の課題については、まったく知らない人も多いことと思います。


 除染と除去土壌のこれからを理解していただくとともに、除染後の地域の姿や除去土壌の再生利用に向けた取り組みを紹介します。

除染はいま、どうなっているのだろう

 帰還困難区域を除く福島県内の市町村では、2018年3月までに面的除染が完了しました。除染によって空間線量率が安全なレベルまで下がったことを受けて、福島県の12%を占めていた避難指示区域の面積が現在では2.4%まで減少しています。また、特定復興再生拠点区域内*1でも、解除の基準となる年間被ばく量20ミリシーベルトを下回る葛尾村と大熊町について、それぞれ2022年6月12日、6月30日に避難指示が解除されました。


 いまも帰還困難区域は残っているものの、日々計測・公開されている数値が示すように、福島の多くの地域では放射線量が下がり、県外のほかの町と変わらない風景が戻りつつあります。


*1 特定復興再生拠点区域 将来にわたって居住を制限するとされてきた帰還困難区域内に、避難指示を解除して居住を可能と定めることが可能となった区域のこと。各市町村が復興および再生を推進するための計画(「特定復興再生拠点区域復興再生計画」)を作成し、内閣総理大臣の認定を受け、区域内の帰還環境整備に向けた除染・インフラ整備等が集中的に行われている。

インタビュー

「住民目線で、まちの様子を発信」

地域新聞『大川原LIFE』編集局
(大熊町役場職員)
佐藤由香さん


 役場の若手有志で「まちのかわら版をつくろう」と、2019年10月に創刊したのが『大川原LIFE』です。まちの公式HPは情報を端的にわかりやすく掲載するものですし、マスメディアで報じられる情報は、どうしても取材側の視点というバイアスがかかっています。「実際にまちに住む人の言葉で、まちのことを伝えたい」という思いで、蛍を見つけたことやキッチンカー情報、農業生産者さんの様子など、“普通”が徐々に戻っている様子をさまざまな切り口から紹介しています。


 大熊町の名前はまだネガティブなイメージで口にされることが多く、私自身も帰還はしたものの、当初はまちの外へ目が向いていました。ところが編集に携わって以降、ここでの暮らしを楽しみ、この地に根ざした暮らしをしたいという気持ちが強くなり、大熊町の魅力を実感しています。『大川原LIFE』を通じてそんな思いを伝え、まちに愛着を感じてもらえたらうれしいですね。


 今は職員で制作していますが、今後はまちの人にも参加していただけたら、もっとおもしろくなるのではと思っています。

中間貯蔵施設の受け入れについて

 除染作業が進む中で課題となったのが、除去土壌等をどうするかという問題です。各地の仮置場等にある除去土壌等を1カ所で管理する中間貯蔵施設を設ければ、除染が進んだ多くの地域で住民の帰還を進めることができます。


 とはいえ、その集約管理をどこですればよいのか。さまざまな議論を経て、最終的に中間貯蔵施設は、東京電力福島第一原子力発電所を取り囲む帰還困難区域の大熊町と双葉町に受け入れていただくことになりました。受け入れていただくにあたって、その重いご負担等を考慮し、中間貯蔵施設開始後30年以内(2045年まで)に福島県外で最終処分することを法律で規定しています。


 「国や県から『復興のためだ』と、さんざん口説かれ、苦しかったですよ。中間貯蔵施設予定地の地主さんにとっては、先祖代々暮らしてきた場所なんですから」。双葉町の方はこう語ります*2


 復興を進めるために欠かせなかった中間貯蔵施設の整備。その背後には、大熊町、双葉町の方々の、代々暮らしてきた土地を提供するという大変重い決断がありました。


*2 『福島環境再生100人の記憶』より前双葉町議会議長佐々木清一さんの言葉を引用

インタビュー

「言葉では表せない皆さまの思いを
心に留めて」

環境省福島地方環境事務所
 庄子真憲さん 


 中間貯蔵施設は、大熊町と双葉町にまたがる1,600haという広大な土地に造らせていただいています。この場所では、震災前には2つの町で約2,700人の方がお住まいになり、豊かな土地で農作物の栽培などが営まれていました。


 「先祖伝来のこの土地があったからこそ、自分はいま、ここに生かされている」。こうしたかけがえのない大切な家屋や宅地、田畑、さらには墓地などを、地元の皆さまには、福島の復興のために、言葉では表せない思いで提供していただきました。


 大熊町、双葉町の方々が、中間貯蔵施設を受け入れてくださったおかげで、福島県内の除染で発生した土壌を各地の仮置場に運び、それを中間貯蔵施設に集約することができ、除染の取り組みが前進していきました。


 そして帰還困難区域を除いた地域では、2018年で除染が完了し、今年の春には、これらの除染で出た土壌についても、仮置場から中間貯蔵施設への搬入がおおむね終わりました。 ここまで福島の環境回復が進んだのは、地元の方々のふるさとを手放す大変重いご決断があってこそだということを、常に心に留めています。


 福島の多くの地域では、国内各地と同じ程度の水準の空間線量率になっています。厳格な検査を経て出荷される農産物は、ほかの地域より安全ともいえるでしょう。まずは福島の現状を知り、足を運んでいただきたいと、心から願っています。

除去土壌の再生利用の推進

 中間貯蔵施設に運び込まれる除去土壌等の量は東京ドーム約11杯分と膨大な量になります。2045年3月までには、この除去土壌等を福島県外で最終処分することが国としての約束であり、法律にも定められています。また、県外最終処分を実現するために、環境省では、2016年に取りまとめられた「中間貯蔵除去土壌等の減容・再生利用技術開発戦略」に基づき、最終処分量を低減する再生利用の実証事業や減容に関する技術開発等を推進しています。


 再生利用とは、放射能濃度の低い除去土壌から、草木や金属などの異物を取り除き、必要に応じて品質調整を行い、覆土により放射線を遮へいするなどして安全性を確保し、公共工事の盛土等に利用することです。


 現在も帰還困難区域に指定されている飯舘村長泥地区では、実証事業の一環として、除去土壌と遮へい土を活用した農地の盛土造成を行っています。また、地元の農家さんの協力のもと、2020年度と2021年度は、野菜の栽培実験を実施し、これまでに栽培した野菜等に含まれる放射能濃度は、一般食品の基準値である1kg当たり100ベクレルよりも十分低い数値でした。


 また、技術開発に関しては、中間貯蔵施設内(大熊町)の技術実証フィールドにおいて、除去土壌等の処理や減容・再生利用等に関する実用的な技術の開発を行い、中間貯蔵施設に運び込まれた除去土壌等を用いた調査研究を行っています。


 これらの取り組みは、2045年の県外最終処分に向けて、中間貯蔵施設に保管されている除去土壌等の最終処分量を減らすため実施されています。

インタビュー

「長泥の未来に向けた、初めの一歩」

長泥地区住民 鴫原圭子さん


 農地再生のための実証事業を行うと説明を受けた時には、大がかりな内容だったので先の予想がまったくつかず、どうなるものかと思っていました。それでも長泥には長年住んでいた家やお墓もある。実証事業によって、長泥がどうなっていくのかを見たいという一心で栽培支援員として協力してきました。


 長年営農していた人の意見を聞きながら花や野菜を栽培し、昨年からは水田も始めています*3。震災によって農作業から離れてしまいましたが、農作物を作る喜びや収穫の楽しみ、さらには、限られた人数ではありますが、栽培支援に参加する長泥の人にも会えてうれしく思っています。


 今後の農地利用に関しては、「何かやってみなければ、次のステージにはいけない」と考えています。事業に携わったことで、「次は麦や大豆を植えるのはどうだろう」とか「蕎麦やとうもろこし畑が一面に広がったらステキ」などと「次」を考えることができました。世界に例のない試みに参加しているという意識を持ちつつ、長泥の新しい名物を生み出したい。そこに多くの人が訪れる未来を夢見ています。


*3 再生利用実証事業における栽培実験により、作物への放射性セシウム移行性の確認等を行っています。出荷制限があるため、栽培した野菜等は廃棄しております。なお、栽培実験は、長泥地区住民に栽培支援員として協力していただき、協働で作業しています。

環境再生からその先の未来のために

 まずは現状を知ってもらいたい。これは福島の環境再生に関わる人たちに共通する思いです。


 除去土壌等の県外最終処分や再生利用等への理解を促すため、環境省ではさまざまな取り組みを進めています。例えば、中間貯蔵施設をはじめとした福島県内の環境再生に関わる施設や飯舘村長泥地区における再生利用実証事業の現場では、一般の方にも実際にご覧いただける見学会を定期的に実施しています。


 また、除去土壌等の減容・再生利用の必要性・安全性等に関する全国での理解醸成活動の取り組みの一つとして、2021 年から、全国各地で「『福島、その先の環境へ。』対話フォーラム」を開催しています。これまで5回開催しており、当日は山口壯環境大臣のほか、有識者や若者世代と、福島の除去土壌等に関する課題や今後について、参加者から寄せられた率直な質問や意見について議論を交わしました。


 さらに、福島県内のニーズに応え、環境再生の取り組みのみならず、脱炭素、資源循環、自然共生といった環境の視点から地域の強みを創造・再発見する「福島再生・未来志向プロジェクト」を推進しています。このプロジェクトの一つである、「FUKUSHIMA NEXT」では未来志向で環境に関する取り組みを意欲的・先駆的に実施する人々を表彰し応援しています。


 復興が進む一方で、いまなお避難生活を続け、ふるさとや自宅に戻れない方が多くいます。その中には、中間貯蔵施設のために先祖代々の土地を国に提供していただいた方もいます。電力を含めたエネルギー問題が世界共通の課題となっているいま、私たちはこの現実とあらためて向き合い、自分だったら福島の復興や未来のために何ができるのか、一度考えてみてはいかがでしょうか。

写真/石原敦志

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