課題名

D-2 有害化学物質による地球規模の海洋汚染評価手法の構築に関する研究

課題代表者名

功刀 正行(独立行政法人国立環境研究所化学環境研究領域動態化学研究室)

研究期間

平成12−14年度

合計予算額

206,324千円(うち14年度68,735千円)

研究体制

(1)有機汚染物質による地球規模の海洋汚染評価手法の構築に関する研究

(独立行政法人国立環境研究所、東京大学)

(2)環境ホルモン・重金属等による地球規模の海洋汚染観測システムの構築に関する研究

(独立行政法人産業技術総合研究所、静岡県立大学、名古屋大学)

(3)有害化学物質の地球規模での時空間変動機構および分解過程に関する研究

(独立行政法人国立環境研究所、東京薬科大学、愛媛大学)

研究概要

1.序

 地球環境問題の解決における研究の役割は、グローバルな施策決定の際にネックとなる科学的不確実性を克服してゆくという点に集約される。国際海洋法やアジェンダ21に記述されているように、海洋環境問題は本来的に国際的な要素を持ち、研究も戦略的な構想のもとに展開してゆく必要がある。また、海洋環境問題は、多数の問題の複合体であるが、特に残留性有機汚染物質(POPs)や環境ホルモンに代表されるように汚染物質の多様性と海洋負荷の増大の影響は、地球規模の海洋に拡大しつつあり、しかも多くの科学的不確実性を内包しているので、研究面での早急な取り組みを必要としている。

 農薬、残留性有機汚染物質、重金属など人為起源有害化学物質による海洋汚染は広域化し、欧米や途上国沿岸および外洋の海水や大気から検出されているが、これまでの調査では海域や時期が限られており、地球規模での海洋汚染の実態、汚染源の推定、長期変動等を早急に明らかにすることが求められている。海洋はこれら汚染物質の最終到達地でありたまり場であると早くから指摘されてきたが、どのような物質が、どの程度の速度で拡がり、どの海域に集積しているのかといった定量的な調査や解析はほとんど行われていない。これら有害化学物質には内分泌攪乱作用があり、食物連鎖を通して海洋生態系に広く蓄積されて行くために、海洋汚染の実態把握は生物濃縮や生態毒性理解の基礎情報として必要であり、早急な評価手法の確立が必要である。また、20015月に、難分解性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POPs条約)が成立、我が国も20028月に批准し、この条約第11条「研究、開発及び監視」を実施する上でも本研究の推進および継続が必要とされている。

 

2.研究目的

 従来においても商船を利用した観測は大きな成果をあげており、国際海洋機構をはじめとする国際的な機関においても、篤志観測船による海洋観測の重要性が指摘されるようになってきている。しかしながら、従来の篤志観測船はセンサー等による主要項目の観測が主であり、有害化学物質の様な極めて低濃度の海洋汚染の観測を指向していないのが実状であった。そこで、遅れ勝ちである地球規模の有害化学物質による海洋汚染の実態解明に向けた新たな展開として、複数の外国航路船に試料捕集装置を含む観測機材を搭載することにより、有害化学物質による海洋汚染の解明に資する観測情報を取得、提供することを目的とした地球規模の高密度海洋観測態勢を構築する。また、広汎な有害化学物質を対象とするために、多成分(農薬、有機汚染物質、内分泌攪乱物質など)・多元素人為起源の有害化学物質同時分析手法を確立し、地球規模での海洋汚染の状況を把握する。

 さらに、これらの観測結果とともに、人為起源の有害化学物質の起源、移動、分解過程などその行方や汚染動向を明らかにすることを目的とする。

 

3.研究の内容・成果

(1)有機汚染物質による地球規模の海洋汚染評価手法の構築に関する研究

 有害化学物質による地球規模の海洋汚染評価に資する観測手段として、日本−ペルシャ湾および日本−オーストラリア間に就航す原材料輸送船に搭載する海洋汚染観測システムを新たに開発し、それぞれ同一海域における複数回の観測を実施することにより、観測システムの評価と改善を行った。原材料輸送船は、各輸送原材料によって構造などが異なるため、海運会社の協力および情報提供を受け、それぞれに対応した観測用採取ライン等を新たに設けた。初年度は配管、電気設備、機器設置設備の全てにおいて未経験のため、当該年度に進水を迎える新造油輸送船を対象とし、造船所における新造時にこれらの基礎設備工事を実施した。また、2年度は石炭運搬船を対象とし、定期ドッグ入りの際に同様な基礎設備工事を実施した。図1に石炭運搬船に搭載した海洋汚染観測装置を示す。写真の左は有害化学物質濃縮捕集ユニット、中央は濃縮捕集ユニット制御部および海洋環境基礎項目観測ユニット、右が採水装置である。外洋海水中の極微量有害化学物質を観測するための船上での濃縮捕集には固相抽出法を採用した。固相抽出剤としてはイオン交換樹脂が広く用いられているが、我々が推進費で開発したポリウレタンフォーム固相抽出法を採用した。しかし、初年度の観測の結果、極低濃度

 

 

1 石炭運搬船に設置した海洋汚染観測システム

 

 

2 日本−オーストラリア航路における全試料採取位置

 

の外洋海水では十分な回収率が得られない物質があることが明らかになったため、近年開発された活性炭素繊維フィルターとポリウレタンフォームとの複合固相抽出剤を開発し、十分な回収率が得られることを確認した。各航路とも、それぞれ往復25日から45日と長期の航海であるため、全ての観測を研究者が行うことは難しい。当初、海洋汚染観測システムは可能な限り自動化を行う予定であったが、間欠的な運用であること、航路および季節により最適観測条件が異なること、トラブル時対応が難しいこと、さらに船側の協力を得られたことなどから、自動化は最低限とし、乗組員に観測および試料捕集作業を依頼することとした。可能な範囲で乗組員に試料採取作業を代行してもらうために操作マニュアルを作成し、初回我々が乗船観測を実施すると、ともに操作手順を教え、以後観測を依頼した。概ね順調に観測は実施できたが、偶発的なトラブルにより一時的に観測できない場合があり、帰港時に対応したが、支援態勢を含めた検討が必要である。図2に、日本−オーストラリア間に就航している石炭運搬船に搭載した濃縮捕集システムによる全試料採取位置を示す。さらに広汎な化学物質を対象にするために、近年注目されているアルキルフェノール類およびビスフェノール類に関して同一捕集法での観測の可能性を検討した結果、ある程度の傾向は把握できるものの回収率およびコンタミネーションに関してさらなる配慮が必要であることが明らかになった。

 

(2)環境ホルモン・重金属による地球規模の海洋汚染観測システムの構築に関する研究

 海洋汚染監視システムを構築する上での基礎となる、自動採水装置の開発と分析方法の高度化を行った。重金属類や有機スズ化合物は、吸着体による海水からの直接濃縮や回収が困難であるため、海水そのものを採取し、実験室に持ち帰る必要がある。通常、航海は数十日に渡ることや自動採水器を設置するエンジン室の気温は30℃近くになることから、採水海水の変質をできる限り抑えるため、冷蔵機能を備えた採水システムが不可欠であった。また、環境中での動態を解明するためには、溶存態と懸濁態を分別して定量することが重要であるので、ろ過システムを組み込んだ。なお、車金属類は

 

 

3 日本−オーストラリア航路海水中のTBTMBTの濃度分布

 

酸を添加しないと、低温保存しても水酸化物の沈殿や器壁への吸着による損失が避けられないため、採水容器に予め酸を添加しておいた。本システムは12本の採水容器に任意の時間に海水をろ過採取することが可能であった。分析法の高度化に関しては、採取海水量が限られることから、少量試料から可能な限り多様な情報を抽出するための高感度多成分分析方法を開発した。この結果、キレート樹脂濃縮/ICP-MS/ICP-AES法により150mlの海水中の35元素を定量可能とし、GC-ICP-MS法によりppqレベルの9種類の有機スズ化合物を定量可能とした。図3に日本−オーストラリア間でのTBTおよびMBTの分析結果を示す。また、雌性ホルモン様活性物質のバイオアッセイ注を開発した。開発した採水装置を、日本−ペルシャ湾間を航行するタンカー並びに日本−オーストラリア間を航行する石炭コンテナ船に搭載し、採水した海水試料を分析した結果、これらの海域の元素濃度、有機スズ濃度、雌性ホルモン様活性を測定することが可能となった。各海域毎の地理的、気候的な特性に応じて元素濃度が変動していること、また幾つかの微量元素濃度は、日本近海やペルシャ湾内で高いこと、北半球で高く南半球では低いことなど、人為的な活動の影響が地球規模でも現れていることを明らかにした。有機スズ化合物に関しても、TBTは日本近海やマラッカ海峡で濃度が高いこと、南半球では北半球に比べて濃度が低いこと、閉鎖性水域でありかつタンカー通行量の多いペルシャ湾ではTBT濃度は予想に反して低い一方、TBTの分解生成物であるMBTや無機のスズが非常に高くなっていることなど、外洋域の汚染実態を初めて明らかにした。すなわち、TBTの海洋環境中での分解速度には日射量が非常に大きい影響を及ぼすこと、スズの海洋化学的な挙動に関しては、人為的な影響が既に自然の循環を越えていることなどを明らかにした。雌性ホルモン様活性に関しては、太平洋中部海域において、そのものは活性を有しないが、体内に取り込まれて代謝されることにより活性を示す物質の存在が示唆された。しかし、これに関しては測定回数が1回だけであり、再調査とその実体解明が今後の課題として残された。

(3)有害化学物質の地球規模での時空間変動機構および分解過程に関する研究

 有害化学物質による地球規模海洋汚染の動態を把握するために、日本−ペルシャ湾間(観測海域:太平洋、南シナ海、マラッカ海峡、ベンガル湾、アラビア海)、日本(相馬)−オーストラリア東岸(マッカイ、グラッドストン、ニューキャッスル)間(対象海域:太平洋、珊瑚海)における観測を実施し、総数500検体強の試料を採取した。日本−ペルシャ湾間における観測結果では、広範な海域においてβ-HCHが検出され、太平洋においても全ての観測地点からβ-HCHが検出された。一方、日本−ペルシャ湾間ではαおよびγ-HCHは初年度は一部の海域からのみ検出されたが、最終年度の観測では全ての海域から検出された。また、太平洋では両異性体とも全ての海域から低濃度であるが検出された。さらに、初年度は固相抽出剤のバックグランドが高く明確でなかったt-クロルデンおよびt-ノナクロルが、2年度の観測結果から極めて低濃度ながら太平洋海域の全観測地点から検出された。β-HCHは、ペルシャ湾航路においては陸域に近い海域で高く、海洋の中央付近では少なくなる傾向が観測された。

 また太平洋海域では極めて特徴的なパターンを示し、日本(大陸)から遠ざかるにつれ、濃度は漸減し、赤道付近でほぼ極小となり、以後オーストラリア沿岸域まで低い状態が継続する傾向が見られた。しかしながら、最終年度に実施した連続観測では、北半球より南半球の方がβ-HCHが高いときもあり、大気や海流との関係により変動していることが示唆された。さらに外洋域から100300pg/Lparental PAHが検出されており、種々の化学物質が広域に拡散していることを伺わせる。PCB類は本観測においては、通水総量の不足(感度不足)および固相抽出剤のブランクなどにより検出できず、これらに対応するためにはより総通水量を増やせる固相抽出剤と洗浄法の開発が必要である。

 

 

4 日本−ペルシャ湾間の観測結果例(HCH類)

 

 一方、PAHの光分解は海水中で最も早く、NaCl溶液よりも早いことから海水中のNaCl以外の共存物質が分解を促進していることが明らかになった。沿岸域では諸条件によりこれらの有害化学物質は複雑な動態を示すが、外洋域においても変動が見られ、太平洋の南北間の観測は短期に異なる季節変動を捉えることができ、化学物質の起源および動態を解析する上で極めて貴重な情報を提供することが明らかとなった。

 

4.考察

 商船を利用した地球規模海洋汚染観測手法により、本研究で観測した広域(日本近海、南シナ海、ベンガル湾、アラビア海、ペルシャ湾、太平洋、珊瑚海およびその周辺海域)海洋から多くの有害化学物質(農薬、船底塗料など)を検出し、これらの化学物質が極めて広範囲に分布していることを明らかにした。しかしながら、安定した観測には、装置の安定度、捕集剤のクリーンアップ、回収率、そして何より乗組員を始めとする組織的な支援態勢が不可欠であり、総合的なスキルと運営力が必要であることをあらためて感じた。装置的には、概ね順調に稼働し貴重な試料および情報が得られることを確認したが、間欠的な運用によるため観測機器の性能の維持方法、均一な性能の捕集剤供給、校正頻度などに改良の余地がある。多数の試料採取には人力が不可欠であり作業には若干のスキルを必要とするため、比較的頻繁な乗組員の交代に対応するマニュアルの作成により、連続した観測する場合への態勢を整えたが、空白期間が長い場合へ対応はまだ十分とは言えず、観測機器を含めた検討が必要である。

 商船に搭載した自動採水器で海水を採水する場合、最大の問題は取水口から採水器までの経路からの汚染であろう。通常これにはポリエチレンライニングされた鋼管が使われており、防蝕目的で純鉄を電解溶存させる装置が組み込まれている。このため、これらに起因する汚染が懸念される。これまでの分析結果からは、主成分元素では汚染は認められないが、一部の微量元素と有機スズ化合物では汚染が認められた。また、有機スズ化合物は汚染に加えて、試料の安定性の問題等もあるが、これらに注意して採取、データ解析を行うことにより、地理的・気候的特性から考えて妥当な値を得ることが可能となった。この3年問の研究から、TBTなどの有機スズ化合物の汚染が地球規模で進行していることが明らかとなった。従来、有機スズによる汚染は、港の近傍に限られた地域汚染と考えられていた。しかし、最近では太平洋に生息するイカや、駿河湾などの深海に生息する深海生物中にもTBTが検出されたことから、地球規模の汚染の進行が懸念されていたが、これまで海水を直接分析した例はなく、本研究で初めて実証的なデータとして地球規模の海洋汚染実態を解明することが可能となった。また、微量金属に関しても、各海域に特徴的な濃度分布が明かとなってきた。雌性ホルモン様活性に関しても、バイオアッセイ法により外洋海水で初めて、雌性ホルモン様活性の分布を測定することが可能となった。しかし、測定が1回しかできなかったため、これに関しては今後の再調査と、雌性ホルモン様活性を示す物質の実体解明が更に必要と考えられる。

 本研究により有害化学物質による海洋汚染はきわめて広範囲に及んでいることが改めて明らかになった。当初は回収率が十分でなかったこともあったが、外洋域ではやはり検出は困難であるかと思われた。しかし、観測システムの総合的な性能が向上して来るにつれ、検出される物質も海域も増え、従来ほとんど検出されることが無かったDDT類も一部で検出された。これらの結果から、現在POPsをターゲットとした場合、海水中の濃度で1pg/L1ppq)までは現在のシステムで対応可能であり、さらにこれ以下の濃度範囲までを対象にする場合、あるいは他の化学物質を対象にする場合にも、対応できる可能性が高いことが明らかになった。

 

5.研究者略歴

課題代表者:功刀正行

1947年生まれ、東京理科大学理学部卒業、農学博士、現在国立環境研究所化学環境研究領域動態化学研究室主任研究員

主要論文:

1) 功刀正行、藤森一男、中野 武、原島 省:分析化学、51, 1001-1008 (2002) 定期フェリーを利用した海水中有害化学物質の観測

2) M.Kunugi, A.Harashima, K.Fujimori, T.Nakano: Froceedings of International Workshop on Marine pollution by Persistent Organic Pollutants (POPs)(2001) “Studies on seasonal and spatial distributions of hazardous chemicals"

3) T.Niki, M.Kunugi, A.Otsuki: Marine Biology, 136, 759-764(2000) “DMSP-lyase activity in five marine phytoplankton species: its potential importance in DMS production"

 

サブテーマ代表者

(1):功刀正行(同上)

 

(2):田尾博明

1957生まれ、東京大学大学院理学系研究科化学専門(修士)修了、理学博士、現在産業技術総合研究所資源環境技術総合研究所水圏環境保全部水質計測研究室長

主要論文:

1) R.Babu Rajendran, H.Tao, T.Nakazato, A.Miyazaki: Analyst, 125, 1757-1763(2000), “A quantitative extraction method for the determination of trace amounts of both butyl- and phenyltin compounds in sediments by GC-ICP-MS”.

2) H.Tao, R.Babu Rajendran, C.R.Quetel, T.Nakazato, M.Tominaga, A.Miyazaki: Anal.Chem., 71, 4208-4215 (1999), “Tin speciation at femtogram order in open ocean seawater by GC-ICP-MS using shield torch with normal plasma condition".

3) R.Babu Rajendran, H.Tao, A.Miyazaki, R.Ramesh, S.Ramachandran: J.Environ. Monitoring, 3, 627-634 (2001), “Determination of butyl-, phenyl-, octyl- and tributylmonomethyltin compounds using GC/ICP-MS in marine environment (Bay of Bengal), India".

 

(3):功刀正行(同上)