モントリオール議定書20周年とフロン回収・破壊法改正 記念シンポジウム

環境省地球環境・国際環境協力オゾン層保護についてオゾン層の状況や取組の概要シンポジウム「地球環境とフロン」
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モントリオール議定書20周年とフロン回収・破壊法改正記念シンポジウム 『地球環境とフロン』
2007年10月5日 東京国際交流館


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基調講演議事録

司会 それでは、基調講演を開演いたします。基調講演は、アメリカからお越しいただいたローランド博士です。ローランド博士は、プリンストン大学、カンザス大学を経て、現在はカリフォルニア大学化学科の教授でいらっしゃいます。ローランド博士は、1974年、フロンが成層圏のオゾン層を破壊することを初めて明らかにし、オゾン層破壊メカニズムの科学的解明や、国際的なオゾン層保護への取組みに主導的な役割を果たしてこられました。これらの業績により、1995年にノーベル化学賞を受賞されております。本日はローランド博士から、成層圏オゾン層破壊とモントリオール議定書と題した基調講演を行っていただきます。それではローランド博士、よろしくお願いいたします。

ローランド 皆さん、こんにちは。この後ろの席に座って、自己紹介として何を話すべきかを考えていました。そして、初めて東京で講演をした1959年9月のことを思い出しておりました。それからこの48年の間、いろいろなことがありました。それもいくつかお話ししたいと思いますが、この20年から30年にかけて行われた、いろいろな実験や調査の中で、私の研究グループの中だけでも、日本の研究者の方々には非常に重要な役割を果たしていただきました。
その一人ひとりの科学者の名前を挙げることはいたしませんが、日本の大学の研究者の皆様は、非常に重要な研究を行っていらっしゃいました。また、東京に再度来ることができ、そして大気で一体何が起こっているのか、それに対してどんな対策が取られてきたのか、これから先何が必要なのかについてお話をすることができて、非常にうれしく思います。

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これを簡単な導入部として、話を始めます。今回の講演では、成層圏オゾンに焦点を当てようと思います。この成層圏オゾンに焦点を当てる時に、それが変わってきたのかどうかが重要です。何かが変わったかどうかという場合の重要な点は、記録があれば、以前はどうだったかが分かるということです。オゾンの場合、地球大気中のオゾンに関する理解は1920年代、30年代から発展してきました。これは、このスライドに出ている科学者がうまく測定することができて、その測定をもとに現在の濃度が以前と変わっていることが分かるようになったためです。
3人の科学者を丸で囲んでいますが、1936年に行われた国際オゾン会議のときの写真です。先週も、オゾングループの会議がギリシアのアテネで行われましたが、70年前からずっとこれらの研究が続いています。まずお話したいのは、こちらの男性。シドニー・チャップマン氏です。彼は初めて定量的な数字をまとめ、その数字によって、大気中の紫外線による反応を通じてオゾンが生成し、今ではよく知られている「成層圏オゾン層」を形成すると説明した人物です。当時はロケット情報も衛星などもなかったので成層圏上空で測定することはできず、地上で分析をすることになりますが、その分析が非常に質の高いもので、1970年代に連鎖反応が発見されるまでこのデータは使われました。このように、チャップマン氏は1930年にどれだけのオゾンが大気中にあるべきかを初めて説明した人物です。
次に、ドブソン氏は、大気中のオゾンを測定できる装置を開発した功績を持つ人物です。ドブソン氏は、装置を開発しただけではなく、いろいろな場所で測定することができるようにしました。驚くことに、彼が1920年代に開発した装置は、オゾンを測定する装置として今でも基本的に使われています。十分に構成された装置があれば、同じ方法で測定することができるということは、比較をする上でも、確かにその数値が変わったと言うことができ、大きな利点です。
3番目の人物は、ゴッツ氏です。彼はスイスにあるアローサという山岳の非常に小さな町で測定を始めました。彼の膨大なデータは、1931年から毎日オゾンを測定したものですが、現在手に入るデータの中では、最も長期間にわたってある1箇所で測定したデータです。アローサでの測定結果は、オゾンが本当に変化したということを証明する上で重要な役割を果たしました。これが、現在オゾンが変わったということを説明するための基準点を設定した人たちです。

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これは、1968年に出されたドブソン氏の本にある測定結果です。ソ連のレニングラードのオゾン量、スイスのアローサのオゾン量、そしてペルーのホアンカヨのオゾン量。ホアンカヨはオゾンの量が少なく、季節変動も大きくないことが分かります。更に北の方ではオゾン量は大きくなり、また毎年4月にピークを迎えます。レニングラードの量はアローサよりも大きくなっています。南半球のオーストラリアでも同様に春の最初の月にピークを迎えることが分かります。これが一種の背景となる情報で、当時入手できた情報です。

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私のオゾン層そして大気化学との出会いは、化学と気象学の会議に招待されたときのことでした。この会議に参加してあるプレゼンテーションを聞きました。ここに書いてあるラブロックという人本人ではありませんでしたが、ラブロック氏のデータを紹介したプレゼンテーションでした。ラブロック氏が発明した装置は、CFCなどの特定の化合物を測定する精度が非常に高くなっていました。彼は、イギリスからウルグアイ、オンタリオそして南極までの各地で採取したサンプル中のトリクロロフルオロメタンの濃度を測定して、新たな分子が大気に投入されている、つまり、トリクロロフルオロメタンの分子が北でも南でも分布していることを証明したのです。それで私は興味を持ちました。私の研究に資金を出して毎年の定期的報告書に掲載してくれていた原子力委員会に書簡を書き、トリクロロフルオロカーボンに何が起こっているかを研究するための追加的資金を要求しました。資金はこれ以上出せないが、私たちの研究に自由に参加させてあげようという話になりまして、私たちのCFCの物語がここで始まります。

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これは先ほどお出ししていた1972年の私の手書きメモをデータとして表したもので、1973年に科学誌「Nature」に掲載されたものです。緑の点はラブロック氏が測定したものです。

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こちらの男性は、私の研究グループにポスドク研究員として1973年に入ってきたマリオ・モリーナ博士です。彼に提示したプロジェクトの一つが、このトリクロロフルオロカーボンに何が起こっているかの研究で、彼はそれを調査することを選びました。まず、単純な質問を打ち出すことで研究を始めました。分子が大気に入ったら何が起こるのだろうか、どのような一般的な反応が起こっているのだろうか、その分子が除去される反応はどのようなものだろうかというものです。

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ここでは、三つの一般的な反応を示しています。それぞれ、塩素化合物に関連するものです。まず、塩素分子は黄緑色の気体ですが、太陽光と反応して破壊されます。塩化水素は無色の気体で太陽光とは反応しませんが、電荷を持っていて、雨水に溶けて混ざってしまいます。それから、炭化水素と結合した分子は、酸化水素ラジカルなどの大気中の酸化剤と反応して、そして水になって除去されてしまう。これは数か月、こちらは1年半ぐらい反応にかかります。それぞれの反応において、成層圏オゾン層に到達するよりもっと前に、分子は大気から除去されていきます。

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そこで、トリクロロフルオロメタンつまりCFC-11については、高い高度のどこかで紫外光を吸収するのではないかということを考えました。どこで吸収するかは、CFC-11と何が競合するかによって決定されます。CFC-11が分解するには、まず非常に短波長の紫外光が必要です。この紫外光は、大気中のオゾンと酸素によって吸収されてしまいます。したがって、この分子は、紫外光が当たって分解されるには、非常に高い高度まで上がって約25kmの成層圏まで上がる必要があります。すると塩素分子が出てきます。ジクロロジフルオロメタンつまりCFC-12も同じような挙動を持っていますが、その反応が起こる高度はもう少し高いところになります。

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ここまででは、他に重要な発見はありませんでしたが、これらは面白い科学的な取組みでした。そして、成層圏で何が起こっているかという問題は、この後、この塩素原子に何が起こるかによることになります。塩素原子が実はオゾンを攻撃するのです。分子がオゾン層を通って塩素原子が放出されると、すぐに塩素原子がオゾンと反応して、一酸化塩素と酸素分子ができます。一酸化塩素は酸素原子と一緒になって、また塩素原子が出てきます。
この2つの反応は約1分で起こります。そして、オゾンはなくなってしまいますが、塩素はなくなりません。塩素がまたオゾンと反応する。何度も何度もこの反応は繰り返されるということで、約10万回この反応は連鎖することになります。CFCは毎年何百万トンも大気中に放出されるわけですから、それを10万回繰り返すことになると、大きな問題になります。

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私たちが1974年に初めて「Nature」誌に出した論文の抄録には、3つの文章がありました。最初の文章は、大気中に放出されるCFCの量がどんどん増えているということ、二つ目の文章のポイントは、それは40年から150年も安定しているということ、三つ目の文章は、塩素原子がたくさん放出され、オゾン層を攻撃してオゾンが大量に減ってしまうことを指摘しています。

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では、このように成層圏オゾンが破壊されることが問題となる主な理由は何でしょうか。この図はそれを説明したものです。波長が短く、活性が少ないUV-Aは、ほとんど地上に到達することができます。生物種の中でも、UV-Aの波長に非常に弱いものは、基本的には地上で生きることはできません。次にUV-Cというのは、成層圏ですべて吸収されますので、地上に到達しません。ただ、UV-Bは地上に到達することができますが、その量はオゾン量によって決まってきます。ここで非常に心配されるのは、皮膚がんです。気象関係の問題もあります。あまりここではオゾン破壊が何をもたらすかは詳しくは述べません。

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どこでその反応が起こっているのかの計算は、大気モデルによります。この線は様々なモデルで計算した、CFCの濃度の予測です。このモデルを使うと、CFC-11の寿命は40~50年という結果が出ました。ここで出てくる疑問は、このモデルの精度がどれぐらい良いのか、それをどう検証したらいいのかということです。

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これは、実際にこの成層圏に行って、サンプルを採取して、どれだけのCFCがあるのかを調べることによって検証できます。ただ、自分たちは空気よりも重いので、成層圏に行くことはできません。一方で、成層圏中のCFCの測定結果は何千とありますが、実際に何が起こったかということについて考えさせるには、成層圏での測定以上のことが必要になります。
ここに示すシリンダーは、実験室で真空状態にされて、三つの異なる高度でふたが開く装置が備え付けられています。

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これが上空に運ばれ、この図が実際に観察された結果です。二つの研究グループがあり、両方コロラドのグループですが、測定を行っています。この緑の線は前年に計算した予測値、赤い四角と黄色い丸はCFC-11の測定値です。前年のモデルの計算値と測定値の間では、かなり一致度が高いことが分かります。これによって、CFCに一体何が起こっているかという問題には何かがあると、多くの人を説得することができました。

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そして、1976年の夏の終わりごろに、二つの全米科学アカデミーの委員会から報告書が出されました。当時知られていた化学物質について調査した報告書で、基本的にはローランドとモリーナが提案したことは実際に起こっているらしく、その提案から外れるデータはないと書かれています。これは、全米科学アカデミーがそう言っているという事実を作りました。つまり、私たちが論文を初めて出して2年後には、私たちが話をしているという以上に、信頼性の高い科学だということになったわけです。

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これは全米科学アカデミーの報告に対しての新聞記事の1部です。これが何を示しているかというと、1970年代のアメリカでのCFCの主な用途はスプレー缶の噴射剤であり、スプレー缶は別の噴射剤を探さなければいけないと言っています。

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産業界は、代替噴射剤である炭化水素をすぐに見つけました。これは転換の1つの例でしたが、ポンプ式や、回転式のものもあります。CFCが将来いつか禁止されるかもしれないという懸念を持つや否や、代替品が登場し始めました。そして、その「将来」は、私たちが思っていた以上に早く現れました。アメリカ、カナダ、そしてスカンジナビア諸国において、CFCの噴射剤としての使用の禁止が1970年代後半に始まったのです。ただし、他の国は、80年代半ばになって初めて禁止しました。

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私たちが行った測定の1つは、アラスカからニュージーランド、チリまでで行ったCFC-11の濃度の測定でした。ラブロックが1971年に測定したのと比べますと、大気中への蓄積が随分増えていることが分かりました。これで確認されたことは、これらの分子の寿命が非常に長いということです。そして現在の最良の推計によると、これらの分子の寿命は45年、CFC-12の寿命は約100年と考えられます。

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その後、特に変化はありませんでしたが、1980年代の半ばに、二つの科学者グループが登場しました。一つのグループ、南極昭和基地の忠鉢氏は、春の始め頃から南極の上空のオゾンに起きている非常に妙なことを報告しました。そして、イギリスの南極観測基地のファーマンらも、彼らの観察結果を報告しました。彼らの観察では、オゾンが非常に大きく失われるという現象が、南極で毎春起きているということでした。

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これがイギリスの南極観測基地で、南緯76度に位置しています。

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そして、これが、ファーマンらが蓄積したデータの結果でして、1985年に発表されました。1960年代、70年代を見てみますと、300ドブソンユニットのオゾンが上空にあったことが分かります。300ドブソンユニットというのは、大体全球の平均量であり、特に異常な数値ではありません。1ドブソンユニットは、大気中の1ppbの分子ぐらいです。300ppbというのは、大気の平均オゾン量といえます。そのとき測定されたのは正常な量だったのですが、70年代後半に、突然、300から200まで低下しました。そして、彼らは南極の上空で非常に妙な現象が起きていると公表するに至りました。彼らは、これが大気中の塩素と関係しているのではないかと考えている、としていました。

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ファーマンのグループが彼らのデータを発表したすぐ後、私たちは、他にこういったことを観察している人がいないかという問いに移り始めました。そして、NIMBUS-7という衛星が1978年の終わりに打ち上げられ、衛星の下のオゾン量を報告し始めました。1979年10月のデータを見てみましょう。大体10万のオゾンの測定を行っていて、そのデータは色分けして表示されています。250から275ドブソンユニットは青で、この黒い部分はわずかに250以下ぐらいですから、南極上空では250から270ドブソンユニットぐらいというのが、最初にNIMBUS-7衛星で79年10月に測定した値であります。

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その4年後には、170ドブソンユニットぐらいになっています。270から4年間で170に下がっています。

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更にその4年後を見てみましょう。125ドブソンユニットぐらいまで更に下がっています。これで、南極上空の成層圏で大きな変化が起こっており、それは春の始めに起こり、また、10年前には見られなかったのに大量のオゾンがなくなってしまっていることが明らかになってきました。一体何が起きているのかという問題を解明するには、今まで南極で主に行われていた測定を更に強化するだけでなく、どうすれば情報を追加的に得ることができるかという問題にも目を向ける必要がありました。1986年から1987年にかけて2つの南極観測隊がNASAによって編成されました。1つ目のものは、地上観測であり、いくつかの研究グループがオゾンの測定を南極上空で新たに行うというものでした。1987年に彼らはもう一度南極に戻りましたが、それに加えて、飛行機調査というのが、1987年に南極に送られました。2機の飛行機が使われました。1つはDC-8という普通のいわゆる商業用の飛行機を改造したもので、もう1つはスパイ用飛行機を改造したもので、商業用飛行機が11km の高度を飛行するのに対し、18kmという非常に高い高度を飛行することができました。そして、これらのグループが、いろいろな報告を出し始めました。

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その間、実験室では、東京大学の佐藤博士が、塩化水素と硝酸塩素(ClONO2)の反応を調べ始めました。硝酸塩素は、地上レベルでは基本的に未知なものです。この分子は、水分と接触すると反応しますので保存が難しく、また、科学文献にもほとんど出てきませんでした。しかしながら、これが成層圏にあると仮定すると、重要な役割を果たすのではないかという説が、70年代に考えられました。この実験では、硝酸塩素の吸収スペクトルを見ています。硝酸塩素の吸収スペクトルはこことここです。そして生成物である硝酸がこちらに出ています。次に、硝酸塩素に塩化水素を加えてみます。こことここではまだ塩化水素は加えられていませんが、ここで塩化水素を加えるのです。そうすると、このように完全に変わります。この測定は1秒間隔で行っています。ですから、実験室では非常に早く反応が起きていることが分かります。もしも成層圏でこの反応が起きているとすれば、非常に重要な反応であると考えられます。そして、実際にこの反応は起こっており、非常に重要な反応の一つであるということが分かってきたわけであります。これが南極オゾンホールで観察されたのです。

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これは佐藤博士の測定に関するものですが、コンネルとウェブルスという2人の大気モデルの研究家に測定データを渡し、これらの反応が大気中でこの速さで起こるとすると、オゾンの計算にはどのような変化があるかを尋ねたところ、どちらか一つの反応でも成層圏で起きれば、これまでとは大きく違った形でオゾンの計算を行わなければならないというのが彼らの答えでした。

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実際に両方の反応が大気には存在し、南極域の低濃度でのオゾン層破壊の重要なファクターとなっています。
デザフラとソロモンたちの調査隊第一陣が南極で、一酸化塩素の測定を行いました。そして、2つの高度、1つは青、1つは赤で示している箇所を発見しました。この青で示した一酸化塩素の反応は、モリーナ博士と私が言っていたものですが、赤で示したより低高度でのものは、全く予期しないものでした。そこで、問題は、この低高度の場所に行き、この状況をより詳しく調査することはできるか、ということでした。

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そこで、一酸化塩素とオゾンの測定装置を搭載したスパイ用飛行機ER-2が登場し、チリのプンタアレナスから飛行していったわけです。

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左にある1つ目の図を見ると、南の方に飛行していき南極半島に到達すると一酸化塩素は大きく上がっていますが、オゾンはほとんど変わっていません。これは8月23日の結果で、南極では冬の終わりにあたります。南極点はまだ暗く、太陽は水平線上の低い位置にあります。ここでは大したことは起きていません。しかし、3週間後の9月16日にはマイク・プロフィットとジム・アンダーソンによって測定されています。プロフィットはボルドー、アンダーソンはハーバードの方です。一酸化塩素がやはり大きく上がっていますけれども、オゾンがなくなっています。左の測定と右の測定との間で、オゾンの3分の2が3週間で消えています。

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これはタイミング的にはずれているのですが、オゾンホールができるときに南極で何が起きているのかが分かりやすいと思います。成層圏での温度がマイナス78℃よりも下がると、十分に冷たくなり、極域成層圏雲(PSCs)というものが形成され始めます。この極域成層圏雲というのができると、先ほど言ったような反応や他の反応が雲の表面で起こる可能性が出てきます。ですから、極域成層圏雲ができる温度になりますと、オゾンがほとんどなくなるわけです。オゾンホールの化学を理解する上で重要なのは、この雲がその他の塩素化合物の反応の触媒表面として働き、オゾンが急速に失われてしまうということです。

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そして1987年にモントリオール議定書が採択されました。南極で何が起きているか、その原因はまだよくは分かっていませんでしたが、ただ非常に妙な現象が起きていることは分かっていました。それをバックグラウンドとして頭に入れ、モントリオール議定書は1987年9月に調印されました。そしてその当時の議定書では、10年ぐらい先にCFCの大気中への放出量を半減しようと言っていました。それが87年で、ロンドンは1990年ですが、100%削減になりました。ただ、それは世紀末頃までに行うというものでした。92年にコペンハーゲンにおいて、先進国の100%の削減は96年1月1日までに行うことになりました。コペンハーゲン合意を赤の強い線で示していますが、今は概ねこれに基づいています。96年にCFCをなくし、そして21世紀に向けても努力が行われているわけです。

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南極とは関係はありませんが同時に多数行われていたもう1つのことは、スクリーンにあるとおり、アローサの長期にわたるデータの入念な再分析です。その入念な再分析により、スイス上空では冬にオゾンが失われていることが分かりました。

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そして、他の北半球の地域も見てみると、黒く塗りつぶした四角がアローサですが、評価するのに十分長期のデータがある他の基地を見てみますと、北半球の18の観測地点すべてにおいて、冬の同じ時期にオゾンが失われていることが分かりました。ですから、これもやはりオゾンが北半球で失われており、何かが起きているということを発見するもう1つのデータとなりました。

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これらのデータはすべて、1988年にInternational Ozone Trends Panelによって報告されています。その報告書に対する対応はすぐに起こりました。特にデュポン社は、報告書が出されて2週間後には対応を行いました。

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基本的にここにまとめてありますが、南極でのオゾンの50%が破壊されているということ、CFCが主な原因であるということ、「ホール」以外でも減少しているということ、年平均でも1979年の値から5%減っているということ。デュポン社は、この報告によって自分たちはこの事業をやめようと確信した、とのことです。デュポン社がこういったものを作らないようにしようという決定を行って、モントリオール議定書の策定・施行への抵抗はほとんどなくなりました。

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そして、それがどのようにして取り組まれてきたかを見てみます。このスライドは一時的にそのまま残しておきたいと思いますが、パワーポイント発表資料をマッキントッシュで準備をしていまして、このパソコンで見せようとしたところ、これは2006年に公表されたオゾン層破壊に関する科学評価ですが、それ以外の5つは、どのように動くか分からないまま他の方からお借りした複雑なもので、うまく表示されませんでした。

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2006年版で現状を見てみると、300ドブソンユニットと比べてどれだけのドブソンユニットのオゾンがあるかというと、1994~95年までにオゾンがどれだけ破壊されたかが分かります。そして、変動が大きいため、オゾンが回復しているかどうかはまだはっきりしていません。ただ、オゾンは横ばい状態になりつつあるかもしれないということが示唆されます。

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そして、南極での測定は引き続き行われ、南極オゾンホールは引き続き生じています。これは2005年10月8日という特定の日のオゾンホールです。これを見ていただくと、ここが南極半島で、ここが南米です。チリのプンタアレナスとアルゼンチンのウシュアイアでは、両方ともドブソンユニットはかなり低くなっており、300よりもはるかに低く150~160ぐらいです。イギリスの南極基地であるハリーベイでは113でした。ですから、2005~2006年の南極オゾンホールは、今までと同じぐらい大きくなっていますが、それ以上に大きくはなっていません。今は10月第1週ですが、オゾンホールというのが2007年の中で最大の大きさに達しようとしています。今のところ、目だっては何も起こらない、つまり記録破りの年でもなければ、大きく回復していることを示すものではないようです。

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1つデータが欠けていますが、この年は衛星が運用されず、測定ができませんでした。1機目の衛星が止まる前に2機目の衛星へとスムーズに交代できなかったためです。もう1つ、2002年で低くなっていますが、オゾンホールが二つに分かれ、すぐに消えてしまったということで、南極での気象がいかに重要かを示しています。一番大きな値は、1998年、それから2006年に至るまで、これら3つの年にわたって大体同じぐらいです。オゾンホールは、ある種の仲間はずれもありますが、長い間存在しているということは言えるようです。

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ウシュアイアのような場所、そしてそこでの紫外線の放射を見てみますと、これは既に15年前の状況ですが、オゾンホールが上空に広がったときのもので、10月23日と11月6日の間でオゾンの量が2倍ぐらいに変わっています。そして人間にとって皮膚がんへの感受性が非常に高くなる295ナノメーターという波長を見てみますと、これは対数表示になっているので、こちらとこちらの間で10倍、こちらとこちらも10倍の差があり、11月6日にオゾンの量が189ドブソンユニットとなったときのこの波長では、強度は100倍強いということです。モントリオールの会議でも2週間前に学んだことがあるのですが、今もウシュアイアでオゾンホールがこのように頭上を覆うと、紫外線の強度が以前よりも非常に強くなるので、子どもたちは衣服に特別な注意を払わなければならないという発表がありました。

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これは表現の仕方が違うまた別のものです。UVインデックスというのは、紫外線の放射がどの程度人間に影響を与えるかという、重大さの指標です。高いところでは15くらいで、非常に高くなっております。黄色の線は、南カリフォルニアのサンディエゴのもので、12のところでピークになっています。赤い線は、南極半島にあるパルマです。早い時期、1979年頃には、パルマはこのような状況だったということがお分かりいただけると思います。時間がたって、オゾンホールがあるとこのようになり、インデックスは14~15ぐらいまで上がります。そうしますと、特に南極半島での放射の影響は、紫外線強度が南カリフォルニアの日光よりも25%ほど強くなっていることになります。そして、南極での紫外線放射は、以前の南カリフォルニアの日光と比べても、はるかに高くなっており、地表に住む人々の状況が大きく変わっていることが分かるわけです。

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モントリオール議定書が発効した後、地上、対流圏でのCFC-11の量の測定値を見てみますと、大体1994年に最大値を迎えて、以降徐々に下がってきているのが分かります。モントリオール議定書がCFC-11の濃度が地表レベルでそれ以上上がらないようにし、緩やかにですが減少していくよう転換させることができたということです。

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一方、CFC-12を見てみますと、これは半減期が2倍なので、より緩やかに減少するわけですが、ここ数年間ではほぼ同程度で横ばい状況に入ってきています。年間1%しか減少していかないので、21世紀を通じて緩やかに減少していくことになるだろうと思います。

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次に、地球温暖化という流れで少し見ていきたいと思います。この測定結果は、1880年から現在までの125年間の、地球の温度のデータで、このように途中で変動しておりますが、1970年頃からは一定して温度が上昇していることが分かります。この左から右上のところまでの温度の変化は、約0.8℃です。30年間で非常に大きな変化があり、温暖化のスピードへの懸念を生んでおり、我々が今後大気に対して気をつけていかなければならないことが分かります。

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また、フロンは我々が必要とする大気保護の中でもごく一部にすぎないわけですが、温室効果ガスの蓄積によって起こる地球温暖化というのは、全球的により重大な問題です。これはキーリング氏によって測定された、二酸化炭素の濃度が増加している様子です。このように南極ではまっすぐ増加していますが、北半球では、光合成によって二酸化炭素が減り、分解によってまた増えるという季節変動があります。このように重ねますと、ここでは年間1ppmぐらいの増加ですが、ここでは2ppmぐらいになっています。2倍の速度で増加しているわけです。この二酸化炭素というのは、我々が懸念している温室効果ガスとして最も重要な大気中分子です。2倍の速度で増えているという事実は、何とかコントロールしなければなりません。

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それからメタンは2番目の温室効果ガスです。この測定は1978年に始まり、1983年には定期的な測定が始まりました。メタンは大体10年ぐらい年間約1%ずつ増大し、その後変動期があり、今は2000年以降あまり変化がありません。十分な理解はまだできていませんが、メタンは温室効果ガスの増加に関しては、思ったほど寄与していないのではないかと言われています。予想としてはこのように右肩上がりだと思われていましたが、実はそうではありませんでした。我々としては大気の制御を何らかの形で行える可能性があるのではないかということが分かりました。

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これは、2000年までの250年間にわたっての重要な温室効果ガスです。CO2、メタン、CFC、対流圏オゾン、N2O。CO2は、21世紀中は非常に強力に増加すると考えられています。CFCは減少していきます。モントリオール議定書によるCFCのコントロールは、この分子を大気から次の1世紀で完全に除去することができるので、温室効果ガスの影響を、京都議定書よりも効果的に抑制してきた、という興味深い声明がなされています。

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次に、地球温暖化に対する予想として、氷や雪が水面や岩石に変わるところで起こる増幅によるという予想があります。特に極地、北極域では影響が大きいと考えられておりまして、北極では定期的に様々な状況が観測されており、非常に強く現れている現在の地球温暖化の影響です。ただ、それほど単純ではありません。

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これはスプルースというマツの種類の森林で、キクイムシという虫によって殺されてしまいます。ですが、キクイムシというのは、アラスカの非常に寒い夜に死んでしまいます。ただ、最近の非常に寒い夜は、今までほど低温にならず、キクイムシが死にません。そのため、このようにすべての木がキクイムシによって死滅し、1万6000平方キロメートルの森林がなくなってしまいました。

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あと2枚しかスライドはなかったと思います。地球温暖化は、どこでも影響を及ぼしますが、中でも海水面の上昇は、やはり低地の国々に問題を引き起こします。バングラデシュは間違いなく大きな影響を受ける国の1つで、海面が1m上昇すると、恐らくバングラデシュの大半が水没してしまうでしょう。

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そして、最後のスライドですが、大変興味深い観察が示されているため、紹介いたします。それは、国民1人あたりの電力使用量は、アメリカでも特にカリフォルニア州では横ばいになっている一方で、国内のその他の地域では増えており、この傾向は30年前頃に始まっているということです。1人あたりの電力使用量には規制と経済的措置がとられますが、今や一番安い方法で管理するのではなくて、安価な方法と最も効率のいいものを組み合わせて行うということが一部では始められています。これによって、ここで1人あたりの電力使用量が横ばいになっています。 このほか、あなた方にもできる一番大きな効果の1つは、エネルギーを賢く使用するようにするということです。これは、今後50年、100年にわたって大気にとっての主要なテーマです。なぜなら、地球温暖化を制御していくということは、人間にとって実に大きな課題となるからです。
私たちはモントリオール議定書で協力して取り組んできたという事実によって、ある程度の自信は持ってよいと思います。京都議定書とそれに続くものが必要とする効果よりはるかにその効果は小さいとしても、それは正しい方向だと考えています。ありがとうございました。

司会 ローランド博士、ありがとうございました。基調講演終了のお時間まで少しお時間がありますので、よろしければ会場の皆様からご質問をお受けしたいと思います。ローランド博士、よろしいでしょうか。ありがとうございます。  それでは会場の中から何かご質問がある方、スタッフがマイクをお持ちしますので、挙手をお願いいたします。どなたかいらっしゃいませんでしょうか。では、1階席中央の方、お願いします。

質問者 大変興味深いご発表をありがとうございました。気候変動と比べてモントリオール議定書に成功をもたらした最も大きな要因は何であったとお考えでしょうか、モントリオール議定書は気候変動問題と比べてはるかに小さいとおっしゃっていましたが、恐らく成功要因というのは、気候変動問題自体でも、モントリオール議定書から学べることがあるのではないかと思います。  アメリカの産業界そのもの、あるいはオゾンホールに関する科学委員会を率いている人たちなどが考えられますが、やはり科学委員会の成功が世界全体を成功に導いたと思われますか?

ローランド 今の質問の根本は、モントリオール議定書の成功によって、エネルギーの制御の成功につながるかということかと思います。それははるかに大きな問題で、今のところ、アメリカはあまり協力的でないため、アメリカの強力な参画がなければ、やはり難しいと思います。二酸化炭素を大気中に排出している1位と2位の国がアメリカと中国で、この2か国が強力に参画しないと、世界の他の国で取り組むことは難しいと思います。
アメリカの変化、大統領の変化ではなく国の変化の現れがあり、モントリオール議定書での成功体験は数ヶ月で忘れるわけはなく、アメリカも今後数年の間には交渉に乗ってくると思います。
モントリオールでも、最も好ましいと考えられる特徴は何であったかという議論がありました。アメリカ国務省においてモントリオール議定書の策定に非常に大きく貢献したリチャード・ベネデッィクという人は、次のように言っておりました。彼が気づいたこととして、意思決定を作り上げていこうというあまり多すぎない人数が最初に集まり、1000人ではなく20人くらいの規模で話し合い、お互いの信頼を築きあげながら一緒に働くことができたということでした。彼は、1000人という大きな単位では一緒に取り組めないと確信しています。枠組みを作り上げていくためにより少人数のグループが必要であって、今のところ、どのように扱われていくのかが明確でないが、現在の会議はうまく前進していくには大規模すぎるということが懸念の1つであるとのことでした。

質問者 どうもありがとうございます。

司会 ローランド博士、基調講演を行っていただき、誠にありがとうございました。
皆様、どうぞ温かい拍手でお見送りください。

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主催
地球環境とフロン