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カワウの生態と保護管理の背景

カワウの保護管理の背景

環境省.2004.特定鳥獣保護管理計画技術マニュアル(カワウ編)より

歴史的経緯

カワウは、かつて全国の内湾や河川など人の身近な環境に生息していたものと考えられる。1970年以前のカワウの分布や個体数などの生息状況の記録は断片的なものしかないが、北海道を除き、カワウの地方名が本州、四国、九州に偏りなく分布することから、カワウはこれらの地域に広く分布していたものと考えられる。また、アンケート及び文献調査により、1970年以前には、青森、福島、茨城、千葉、東京、岐阜、愛知、三重、兵庫、大分、宮崎、鹿児島の1都11県における生息は確認されており、1920年代から1940年代の鳥獣関係統計(狩猟統計)の記録からも、カワウが全国的に生息していたことが示唆される。

カワウは、1960年代以降の河川の改修、内湾の干潟・浅海域の埋め立て、ダイオキシンやDDT、PCBなど有害化学物質による汚染などによって、生息数が減少したと考えられている。各地にあったコロニーやねぐらは消失して生息域が分断化した。1971年には、関東で最大だった千葉県大巌寺のコロニーが消失し、残ったコロニーは愛知県鵜の山と大分県沖黒島、それに上野動物園の飼育個体に由来するコロニーのみとなり、1950年代半ばには関東地方だけで約7,000羽生息していたカワウが、1971年には全国で総数3、000羽以下に減少したと考えられている。これは、レッドデータブックの絶滅危惧に相当する減少率であった。1978年においてもコロニーは全国で青森県、東京都、愛知県、三重県、大分県に各1箇所ずつ、わずか5箇所程度であった。

1980年代に入ると、関東地方や愛知・三重を中心にコロニーの分布は拡大していった。禁猟、有害化学物質の規制による水質改善、利用可能な食物資源の増加、コロニーの保護などが、個体数増加の要因と考えられている。また、個体数が増加した地域での攪乱(生息環境の破壊;ねぐら・コロニーへの銃器や花火の使用、放水、樹木の伐採、それらの作業を含めた人の侵入など)によってさらにカワウの拡散(特に冬期の季節移動)が促進され、移動先で定着する個体が増えて、全国的に分布が広がるようになったことも一因として考えられる。分布や個体数回復の要因については、まだよくわかっていない部分も多いが、このような複合的な要因によって、カワウの個体数および分布はもとの状態に戻りつつあると見ることもできる。それに伴い、増加したカワウにより、内水面漁業への食害が各地で問題化している。 しかし、有害化学物質による汚染は依然として環境中に残っており、水域生態系の高次捕食者であるカワウの体内にはそうした物質が残留し、奇形や浮腫なども観察されている。したがって、現在は個体数増加がみられるカワウも、有害物質の影響により、再び減少に転じる危険性を孕んでいる。このことは、水資源や水産資源など、カワウと同じ資源を利用する人間への有害物質の影響とも、無関係ではないと考えられる。

カワウはまた、人にとって身近な鳥であったため、古くからその生態をうまく利用した鵜飼や採糞といった生活文化もはぐくまれてきた。日本人とウ類との歴史は古く、古墳時代や弥生時代の遺跡から鵜飼の文化を伝えるものが出土している他、記紀神話などの神話や伝説、万葉集などの詩歌や絵画にもウは登場する。鵜飼は現在、ウミウが多く利用されているが、かつてはカワウを使った方法が盛んに行われていた。

1971年にコロニーが消失した大巌寺では、400年前からカワウがコロニーを形成していた記録があり、狩猟からカワウを守るための禁猟区設定や、千葉県指定の天然記念物指定も行われた。昔は木の下に藁を敷き詰め、糞を採取して肥料としていた。当時の森林は広大であったので、木が枯れればコロニーは移動し、枯れた樹木も時間とともに再生するという循環ができていたようである。また付近の住民はカワウが驚いて飛び立つ際に吐き出す魚を自分達の食事用として拾い集めたという。愛知県知多半島の鵜の山でも同様な利用様式が江戸末期以来行われ、カワウの糞採取の権利を入札によって決め、その収益を地区の財産として、小学校の建築費用や災害救助費等に活用していた記録がある。弱った営巣木は伐採して換金し、跡に植林を行って植生の回復も行なっていた。このような村民による共同管理は、化学肥料が主流になった1958年まで続けられていた。大分県沖黒島のカワウコロニーにおいても、肥料として糞を利用したことが記録に残っている。こうしたカワウを積極的に利用する生活技術や思想は、カワウの分布が著しく縮小した1970年前後の時期までに、各地から失われてしまった。これは、日本人の生活形態が大きく変化し、また生息地の水域生態系が改変されたこととも関係していると思われる。

最初に述べたように、カワウはもともと全国に広く分布する鳥類であり、何らかの形で人々と関わりを持ってきた動物であると考えられる。しかし、ここ数十年間の永いカワウ不在の後、カワウが現れた地域では、カワウは「なじみのない見慣れない鳥」になってしまい、カワウがいない間に様々な形で変化してきた人々の生活と、摩擦を生じるようになった。こうした、ここ数十年の間に生じた野生生物との共存の文化の消失は、サルやシカ、カモシカといった野生動物の被害問題の場合と共通するものがある。




ねぐら・コロニーにおける被害

コロニーが形成される場所としては、海や湖の島や半島にある林地、養魚池跡や農業用ため池、さらには公園の池などの周囲の林地、河畔林が多い。このうち、問題とされやすい場所はふだん人の利用頻度が高い公園の池が多い。それ以外では景勝地や国立公園、さらには用材やチップ収穫のための施業が行われている国有林や民有林でも問題が起きている。

近年、カワウによるねぐらやコロニーにおける問題として取り上げられた具体的な内容には、樹木の衰弱・枯死、悪臭、景観の悪化、土砂流出、崖崩れ、木材としての価値の低下などがあり、地下水の衛生上の問題や農業用水の富栄養化などの周辺の水質悪化が懸念されるケースもある。これらは、いずれの場合にも人間による林地の利用とカワウの営巣やねぐらによる利用が重なることにより生じる問題である。

カワウの営巣による樹木の枯死は人により嫌われたとの記述が江戸時代の文献にあり、昔から人はカワウによって樹木が枯死することを嫌っていたことが伺われる。しかしながら、過去にカワウが水辺に当たり前のように分布していたと推測される時代には、営巣場所になるような林地が多数あったため、それほど問題は深刻ではなかったと考えられる。ところが、近年は人による水辺の利用・開発が多岐にわたり、何らかの形で人が利用していない水辺の林は少なくなってきており、問題が起きる一因となっていると考えられる。ねぐらやコロニーで問題が起こった場所では、カワウを追い払うことが問題解消のひとつの方針となるが、追い払われた群れが移住した場所によっては、新たに問題が起こること、あるいは以前問題となっていた場所に再び舞い戻る可能性もある。したがって、カワウの保護管理計画を立てる上では、広域的視野に立ち、上記のように問題が広がらないよう考慮しなくてはならない。




漁業被害

漁業被害について、関係者は、カワウが魚を食べること自体が内水面漁業者における被害と考える傾向が強い。また、魚を食べるだけでなく、カワウが漁獲された魚を食べるときに漁具を破損することによる被害もある。しかし、カワウによる被害をどうとらえるかについては、それぞれの地域の漁業実態により変わってくるので地域ごとに被害をとらえることになる。

また、湖沼河川は漁業による生産の場であると共に、一般の人のレクリエーション、環境保全の場でもあるため、釣りをする人々等からもカワウにより魚が釣れなくなったとの声も多く、被害の把握をする際には地域住民の意向も重要である。

カワウの被害内容について、飛来数が多くなればなるほど被害が増大する直接被害とカワウの飛来数の増減とは必ずしも一致しない間接被害に別けることができる。

直接被害は採食量との関わりが大きいため、カワウ個体数の増減や飛来する場所・時期により被害の大きさが変わる。また、魚ばかりでなく刺網や定置網等漁具の破損もある。間接被害は遊漁者が減少することにより起こる遊漁料収入の減少が主体となるが、原因はカワウによるものだけではなく、台風による増水や週末の天気による釣り機会の減少、遊漁者そのものの減少及びアユの解禁前における評判等(風評被害)による年間遊漁券の買い控え等様々な要因が複雑に絡み合っており、カワウによる被害割合の推定を困難にしている。