課題名

H-12 景観の変化から探る世界の水辺環境の長期的トレンドに関する環境社会学的研究

課題代表者名

嘉田由紀子(京都精華大学 人文学部)

研究期間

平成14−16年度

合計予算額

55,768千円(うち16年度 17,503千円)

研究体制

(1)水辺環境の古写真収集とディープインタビューによる比較分析手法の開発に関する研究
   (京都精華大学、関西学院大学、筑波大学、京都大学)

(2)水辺環境変遷のアーカイブ作成と公開手法に関する研究
   (〔株〕環境総合研究所、滋賀県立琵琶湖博物館)

(3)多様な水文化主体間の環境コミュニケーションの育成手法に関する研究
   (〔有〕テラ、〔株〕環境総合研究所、京都精華大学)

研究協力機関、研究協力者
   日本ラテンアメリカ協会    古谷桂信
   甲南大学非常勤講師      乾清可
   レマン湖博物館        カリーヌ・ベルトラ
   元パリ国立自然史博物館    パトリシア・ペルグリーニ
   マラウイ大学チャンセラー校  ローレンス・マレカノ、ジョージ・ムワレ
   水と文化研究会事務局長    小坂育子
   滋賀県新旭町役場環境課    阿部能英

研究概要

1.序(研究背景等)

 「21世紀は水の世紀」と言われ、地球人口が急速に増大する中で「持続的な淡水資源の保全と利用」は重要な地球環境問題のひとつとなっている。今、世界人口63億人の中で、安全な飲み水を確保できない人口が12億人、トイレなどの衛生設備を欠いている人口が29億人いるといわれている。
 これまでの淡水資源の保全手法は、淡水を物質資源として把握し、どこにでも適応可能(グローバルスタンダード)な工学的資源管理メカニズムの構築をめざして、いわゆる制御論的な管理制度をつくりだすという手法が主流であった。過去100年以上の近代科学技術の進展の中で形成されてきた工学的・制度的手法は、その利便性のもつ魅力とともに、土木的な公共事業の経済波及効果、特に先進国によるODAなどの回路を通じて、自国への経済還流効果などの期待もあいまって、急速に世界にひろまりつつある。
 そこで見落とされ無視されてきたのが、地域の生態的条件のもつ環境価値や、生態的条件に則して歴史的に育まれてきた伝統的知識(Indigenous Knowledge)に基づく社会・文化的固有性である。水と人間のかかわりは、利便性だけでなく、人びとが歴史的に形成してきた社会組織や、宗教や楽しみ等をも含む総体としての生活文化そのものである。環境保全の主体はあくまでも人間社会であり、人びとの社会意識や主体性発揮(エンパワメント)の様相、人間行動の動機づけの条件をふまえ、ローカルスタンダードとグローバルスタンダードの融合的な政策手段こそが、環境保全の実践への条件となる。
 地域毎の社会・文化的構造を理解することなしに、いたずらに工学的管理をめざして制御論的な管理制度を技術移転することは、先進国の企業だけを利するという問題とともに、途上国の負債を逆に増やすことにさえなる。と同時に、伝統的な水管理システムを破壊し、しかし新しい仕組みが作り出せず、水不安は社会的不平等を広げるというような潜在的な社会問題をはらんでいる恐れさえある。
 本研究の代表者たちは、1980年代初頭より、琵琶湖・淀川水系を中心に、地域住民の生活意識と地域社会の水の自治組織の伝統を探りながら、[生活環境主義]という新たな政策哲学を提示してきた。生活環境主義は、近代技術だけに依存せず、しかし自然保護だけに特化しない、地域住民の生活の仕組みをときほぐし、その持続的な継承を求めるいわば第3の環境政策哲学を目指すものである。特に過去10年ほどは、写真など、地域に根ざしたイメージ情報を活用しながら、地域住民の水環境意識の本質と変遷をさぐる「資料提示型ディープインタビュー調査」(当事者にかかわる写真や地図などの資料提示により、環境意識と生活行動動機に奥深くはいりこむことを可能とする濃密なる聞き取り調査手法>を開発し、琵琶湖の総合保全計画などに役立たせてきた。本研究は、琵琶湖周辺で開発された手法を国際的にひろげ、地球規模から多様な水文化を比較するために10ヶ国の文化地域においてこの手法を応用するものである。

2.研究目的と方法

  世界的にすすむ近代工業化の中で急速に変容しつつある世界各地の淡水資源の価値を、20世紀初頭から21世紀初頭にかけての100年間の水辺景観の変遷に埋め込まれた生態文化的側面から比較環境社会学的手法を活用して明らかにし、新たな政策手段を提案することが本研究の目的である。
 以上の目的のために、本研究では、以下の3つのサブテーマから研究をすすめる。
 サブテーマ(1)は、現在急速に変容しつつある世界各地の水と人の環境変遷史を、水辺の景観や生活光景を映しこんできた写真という物的証拠によって探る。そうすることにより、ともすれば水量・水質という物質的評価と、一方で言語的で感性的な主観的評価とに両極に分断されがちな環境認識の仕組みを、国際的な比較を可能とする評価軸に展開するための研究開発を行うことができる。具体的.には、世界的に近代化がすすんだ過去50−100年間の水辺景観の長期的トレンドに埋め込まれた「水・人間の生態文化的関係システム」を、「今昔写真比較」を活用した「資料提示型ディープインタビュー」によるフィールドワークの手法により解明する。これは本研究の柱をなす部分であり、対象地域を選ぶために、近代的行政組織による環境管理(ガバナンス)が底流となっている先進国と、自然に依存した暮らしが今も重要な、そして多くの場合、植民地支配を経験した途上国の違いを比較の軸とした。とはいえ、途上国とひとことでくくりえない宗教的・歴史的背景も重要である。そこで、世界各地の水辺から、先進国、途上国あわせて、10ヶ国の水辺を選択した。先進国は、日本(琵琶湖・淀川水系)、スイス(レマン湖)、フランス(セーヌ川)、イギリス(湖水地方)、アメリカ合衆国(メンドータ湖)の5ヶ国であり、中進国として中国(北京、太湖)、途上国として、ネパール(カトマンズ盆地)、グアテマラ(アティトラン湖)、マラウイ(マラウイ湖)、ケニア(ナイロビ川)の4ヶ国である。


 サブテーマ(2)は、文化的に多様な背景をもつ対象地域10ヶ国の水辺景観の「写真アーカイブ」の作成を行い、現場でのインタビューに活用すると同時に、その有効な公開手法を開発した。と同時に統計データなど、目にみえる風景変遷の背景に隠されている数量化可能な環境データを融合し [統合型データベース]の構築を行った。そうすることで、各種の政策担当主体間や地域住民との意思形成に利用可能な基礎資料の作成をめざした。
 サブテーマ(3)は、上記で作成したアーカイブ資料を、地球環境問題として重要性を増している淡水資源の管理に直接関係する各地の地域住民に提示をし、異なった世代や異なった文化間での「環壌コミュニケーション」の試験的な舞台づくりを行うとともにグローバルスタンダードがローカルコンテクストに出会う社会的プロセスの考察を行い、地域住民が、自主的な環境保全政策や水の自治に向かうための動機づけや、地域社会のエンパワメントへ活用するための基礎研究を行う。先進国では、日本(琵琶湖・淀川水系)、スイス(レマン湖)、フランス(セーヌ川)、中進国として中国(太湖)、途上国として、グアテマラ(アティトラン湖)とマラウイ(マラウイ湖)の6ヶ国をこのサブテーマでは対象とする。
 このような視点を総合するなかで、地域の歴史文化的固有性を考慮した淡水資源管理施策の提言を行い、各種の国際会議などで研究情報を発信し、本研究手法の国際的な波及効果を求める。

3.研究の内容・成果

 (1)水辺環境の古写真収集とディープインタビューによる比較分析手法の開発に関する研究
 日本での調査研究から、仮説的に、水辺景観の変化に潜む「水・人間の生態文化的関係システム」を探るために、「上水・下水システムと水辺」「生態系としての水域」「景観としての水辺」という3つの切り口をとりあげた。
 「上水・下水システムと水辺」とは、人間の生活にとって必須物質である水を、人間の生活の場から空間としての水辺につなぐ構図のことである。人は水を取り入れ、人間身体というトポロジー(場)の中で代謝過程を経てし尿としたり、生活排水として水を外界に送りだす。日本では古来より「上(かみ)と下(しも)」として、人間身体に取り込まれる水と出される水を精神的に区別してきた。そのことにより、生物的汚染による衛生問題を回避してきたが、そこには「水の神聖視」という観念も隠されている。上水・下水システムはいわば、人間の身体と人間意識を水という物質世界につなぐ情報回路でもある。
 「生態系としての水域」とは、水辺は魚類などの生き物を育みながら、多様で複雑な生態系をつくりだしてきた。その中でも、魚類を食する習慣は水域と人びとを生業的につなぐ役割を果たしてきた。人の水利用のシステムをとりかこむ形で、水辺の生態系の物質循環としての健全性が、持続的な水の利用と人びとの食料の確保を可能としてきた。また水中の生き物は、遊びという意味で子どもたちを水辺に導く重要な契機も与えてきた。
 「景観としての水辺」とは、水がそのものだけでは存在しえない何らかの容器を必要とするという性質から、湖沼や河川や湿地は水の容器として人間活動を水辺になじませる場であり、それゆえ、水をとりまく生物や周囲の事物を含めて、人間は、地域に固有な望ましい景観を形成してきたといえる。
 このような3つの切り口を、ここでは、日本の環境社会学の蓄積の論理として重要な「認識論」「主体論」「組織論」「所有論」という4つの論理と重ね合わせて、分析を試みた。その分析対象としてのテーマ領域は理念的には、表1のような見取り図として設定した。つまり「上水・下水システムと水辺」については、認識論的にみると、何をもってきれいな水、きたない水と判断をするのか、という汚染認識というテーマ領域を用意することになる。主体論では、上水・下水の水管理の主体性問題、組織論では、水管理組織のありかた、そして所有論では、水そのものの所有習慣や所有権(近代化された場合には)という領域になる。同様に、「生態系としての水域」では、認識のテーマ領域では生物の有用性など漁業対象生物の認識、主体論では、漁業主体の領域、そして組織論では漁業組織のあり方、そして所有論では、水中生物へのアクセスを保障する習慣や漁業権(近代的な場合には)となる。「景観としての水辺」では、認識論的にみるとどのような水辺を美しいと認識をするのか、という「美的認識」領域となり、主体論としては景観保全の主体、また組織論的には景観保全の社会組織、そして所有論的には、美的景観にアクセスを許す所有関係あるいはひろい意味での「景観鑑賞権」などのテーマ領域となるであろう。
 これらのテーマ領域について、過去100年あまりの「近代化のプロセス」での、変遷過程をフォローするのが、サブテーマ(1)の具体的な分析目的となる。とはいえ、紙幅の関係で、すべての対象地点について、すべての領域での記述をする余裕はなく、むしろ、それぞれの領域での文献研究や現場のインタビュー調査から、地元の人たちが重要とみなすテーマを選ぶ事とした。

 本研究において、最も多くのエネルギーを注いだのは、水辺を撮影した古写真の発掘と収集である。世界各地の水辺の歴史・文化的研究を行っている研究者や博物館、資料館、大学や個人の書庫などから古写真を発掘する作業はすでに1990年代から行っていたため、今回のように短期間で、10ヶ国、約8,000枚の写真収集が可能となった。
 古写真発掘と、インタビュー過程でいかなる固有文化(ローカルスタンダード)が見えてきたのか、その変遷プロセスにいわゆるグローバルスタンダードがいかに反映され、影響を与えてきたのか、各国別の研究結果を以下にとりまとめてみよう。

<1.日本(琵琶湖・淀川水系)>
 急速に水汚染が進んだといわれる琵琶湖も昭和30年代までは、川水、湖水などが浄化せずに直接飲用にされていたことは意外と知られていない。昭和30年代の琵琶湖周辺での洗い場写真などの古写真を活用したディープインタビューにより、人びとの汚染認識は、一般に水質を管理しようとする行政的認識と大きく異なることがわかった。行政的水質管理が、水の中の物質の「制御」を狙っているが、人びとが汚いと判断するのは、水や水場との「かかわりが失われること」であるという「関係論的」あるいは「共感論」的認識であった。昭和30年代まで、地域社会では、上水と下水を厳密に分ける「上下水分離システム」が存在し、水場を空間的に使い分けながら、し尿や使い水を肥料として使い回すという仕組みがつくられていた。「近い水」「大地を離れない水」に信頼をおくシステムであり、それが結果として、人の健康と生命を維持しながら、農業生産のための肥料分を確保する、というローカルな生活システムを作ってきた。特にし尿について、大便と小便をあらかじめ分離をし、それぞれに肥料として活用する、大小便分離型トイレが有効に機能していた。このような仕組みは個別の家族というよりは地域共同体全体としての共通な水管理の仕組みを作っていた「社会的関係性」の中にうめこまれたといえる。その結果、琵琶湖への汚濁負荷が少なく、琵琶湖の清浄さが確保された。
 しかし、昭和30年代以降の上水道が導入されると、家庭排水が増加し、河川や琵琶湖の汚染がすすんだ。そこで水質汚染対策として行政により下水道システムの導入がはかられたが、その結果上水源も琵琶湖、下水処理水を流す場所も琵琶湖という高度にエネルギーを利用する大循環システムが生まれ、巨額の公共投資を行いながら、水汚染問題の深刻さから解放されていない、という問題をかかえることになった。ここには県や国という中央集権的な行政管理の強化がみてとれる。この変換のシステムを示したのが図2と図3である。


 この上下水道システムの整備と並行して、琵琶湖そのものを多目的ダム化するために水辺はコンクリート化され、生態的健全性も失われ、琵琶湖での魚類生産は大幅に減少した。多目的ダム化は、水の所有と利用の権限が地元から行政体に移行するという所有論的な意味もある。本来琵琶湖漁業は地域共同体により維持され世界的にみても特色のあるいわゆるCBO(Community Based Organization)であり「地域に根ざした資源の自主管理」の国際的モデルともいえるが、琵琶湖総合開発の中で、漁業資源そのものが水資源開発母体である政府による補償対象となり、その資源管理の権限を弱めてきてしまった、といえる。
 さらに、景観的には、日本の伝統的な美しい水といわれてきた近江八景などの景観も大きく破壊され、水資源的価値のみが強調されるようになった。1990年代になって湖岸の景観や生態系の修復がなされ始めたが、これは行政主導によるものであり、必ずしも住民の意識が高まった結果であるとはいえないものであった。

<2.中国(北京、太湖)>
 中国については、「南舟北馬」といわれるように、水環境は南部と北部で大きく異なっており、ここでは北部の水不足地帯の大都市北京と、南部の長江下流の太湖辺の無錫について、比較しながら検討してみたい。
 北京の水と人のかかわりを社会学的にみると、ふたつの特色が指摘できる。ひとつは、「生活利用としての水」と「景観としての水」が社会的に区別されていることである。それはながらく国家の中枢を占める人たちを中心にして北京という都市が形成されていたからと考えられる。第2の特色は「水は独占できる」ということである。「景観としての水」は政治的な権力者によって、「生活としての水」は経済的に豊かな人(井主)によって、である。この二種の水は、1950年以降、一般住民に開放されてきた(生活としての水は家族への個別化)経緯がある。
 今「生活利用としての水」=水道化と進み、「景観としての水」=観光化として進んだ。このふたつの方向は、一般住民には基本的に喜ばれているものの、このふたつが共通に出くわしている課題がある。それは水の汚染問題である。かつて「生活利用としての水」は、両覇としてし尿を肥料に再利用する仕組みの中で、きれいな水を保持するしかけが井主を中心としてあり、「景観としての水」は権力を通じて清冽な水を保持するしかけがあった。そのしかけがいま外されており、水質汚染に対してグローバルスタンダードとしての公共的な下水道政策が急速に進められつつある。
 一方、水郷地帯である太湖周辺では、「生活用水としての水」は「景観としての水」と空間的にも社会的にも分離されることなく、総体として、地域組織により管理されてきた、という歴史がある。運河を流れる水は生活用水として利用され、その水は魚を育む漁業空間や、魚の養殖空間ともつながっていた。水郷地帯から排出されたし尿は、各家庭のオマルや便所から確実に舟運によって運びだされ、農業の肥料や場合によっては魚の養殖用にも活用されてきた。太湖周辺では、人間のし尿だけでなく、家畜の糞や養蚕の残渣、湖の水草や泥などの栄養分が農業や養殖に利用され、きわめて高度な「栄養分循環型」の生活・生産様式が形成されてきた。
 しかし1980年代に導入された「生産請負制度」を契機に、地域社会における資源循環型の生産様式は個別農家の経営に分断され、さらに1990年代に進む工業化や経済成長により、化学肥料なども導入されるようになった。また工業生産からの廃水も運河や湖に流れだし、太湖の富栄養化は急速に進んだ。
 2000年以降、太湖周辺では、漁業生産や養殖をおさえ、湖に返還する「退漁還湖」政策がとられ、養魚場を禁止し、特に無錫の五里湖では、湖岸10kmにわたり、噴水や緑化による都市公園化が進みつつある。つまり「食を捨てて景観へ」という方向であり、都市公園化に伴う計画は、ヨーロッパの造園の思想を導入したもので、湖岸での今昔写真を活用したインタビュー調査によると都市公園化は多くの住民には歓迎されているといえる。
 さらに、急速にすすむ大量消費時代をむかえ、下水や汚濁物を権力者(行政)にお任せという過去の意識の継続がゴミ汚染問題も招いている。その結果、国際的支援を受けての大規模な下水道建設が現在急速にすすみつつある。

<3.ネパール(カトマンズ盆地)>
 ネパールでは1920年代と現在の写真比較によるインタビュー調査を行った。その結果、水と人のかかわりにおいて無視できない文化的固有性として、物質としての汚染問題と同時に、精神としての穢れ・清浄問題を避けて通ることができないということがみえてきた。つまり、近代的な意味での物質的汚染は、必ずしも文化的な意味での穢れを意味していない。その典型が物質的には大腸菌などが多量に含まれていても「聖なる水」として信仰され続ける水である。
 ネパールには、掘り込み井戸や深井戸など、伝統的にはさまざまな「土地を離れない水」の利用がすでに5−6世紀からつくられてきた。これは地下水を巧妙にめぐらし湧き水のように日常的に利用できる仕組みであった。しかし、1970年代以降、世界銀行などの国際機関の主導により、急速に西欧式の水道化が進んでいる。カトマンズ盆地では家庭の6割程度に水道が引かれているが、その供給状態は不安的で、1日1−2時間しか給水されない場所さえある。水道が導入され家庭排水が増えたところでは、下水道も計画され一部建設されているが、下水処理場はなく下水管の排水は未処理のままたれ流し状態である。
 では、人の下のものはどう受け止められているのであろうか。ネパールにおいては、人間のし尿はできるだけ日常生活から排除すべきものと考えられている。ネパールでは便所のある家はたった2割程度しかなく、残りは便所がない。便所が汚くなると家の神様が出て行くという共同的信仰もあった。
 さらにネパールにおいては、物質としての循環の輪を、カーストという社会的制度が分断する。ここでは、上水道をひき、下水道をつくろうという、グローバルスタンダードが施設として建設されても、その管渠を維持する技術的な仕組みはうまく機能していない。その上、その維持管理のための費用徴収などの制度的仕組みもうまく機能せず、力トマンズ盆地のパタンの例では、約3割の水道水は不法取水されているという。掘り込み井戸などを伝統的に維持してきた地域社会の共同体的な組織は弛緩し、その機能が弱められているが、一方で近代的な行政システムも十分には形成されていない。しかもカースト的な社会的分断もあり、近代システムが導入されることで、上流地域での汚染物は下流地域の下層カーストに「つけまわし」されることになり、その水域汚染の潜在的危険性は増大することになる。近代的な上下水道導入の負の影響が、カトマンズ盆地の人びとの水不安をますます高めていることになる。

<4.スイス(レマン湖)>
 スイスとフランスの国境にあるレマン湖は、アルプスの水を集める構造湖で、切り立った山岳地帯にあり、レマン湖沿いには2000年前のローマによる統治の時代から石による水道がつくられ、また湖辺にはブドウ畑が開かれ、農業や交通の要所としての町が成立していた。しかし、湖に対して人びとは、敵がやってくる場として恐怖感をもっており、湖に対して親しい思いを持つに至ったのは18世紀以降である。その山岳湖水の風景は、19世紀中頃以降、パリ市民など都市民によりレジャーの場として人気の観光地となってきた。当時、レマン湖を宣伝するポスターに典型的に見られるように、「アルプスの山々」「青い湖水」「白い帆船」「湖岸の城」「ブドウ畑」などがレマン湖の景観としての水辺認識における表象システムをつくりだしていた。

 100年にわたるレマン湖辺の景観を比較してみると、山々の稜線のような自然だけでなく、湖岸の町並みや建物なども100年前とくらべてほとんど変わっていないというその景観の継続性を指摘できる。特にその景観の継続性の中には、湖が直接に土地の農業や暮らしと深く結びついてきた事が反映されていることである。100年前とほとんど変わらないブドウ酒づくりの村、サン・サフォリンでの聞き取りから、視覚的な景観の継承の裏には、地方自治体が中心となった土地利用規制のような制度があり、さらに相続などを農業後継者に優先させる家族内の協定があり、さらに、村毎のブランドを経済的に維持するコミュニティビジネスとしてのブドウ酒づくりがあることがわかる。このようなビジネスを支えるのは、ブドウ酒農家のブランドや暮らしぶりに対するゆるぎない「誇り」ともいえる精神的なものである。
 さらにバルク舟や蒸気船など、自動車交通が優先となった現代でも、博物館や地域住民が中心となり、その文化の継続のために、大きなエネルギーをそそいで保存運動をくりひろげている。さらに、漁業なども漁業に従事する人数を行政的に制限しながら、過剰利用にならないような仕組みが埋め込まれている。加えて、漁村をエコミュージアムのような形で保存し、観光に生かす方向もさぐられている。
 水利用については、ローマ時代からの水道に加えて近年、現代式の水道が導入されており、レマン湖の水を汲み上げて一般に給水されている。また下水道も20世紀になって建設され、処理場も管理されている。と同時に、各町の中心部には、自噴するわき水が今も残され、美しく花々で飾られ「土地を離れない水」が維持されている。
 所有論的にみると湖岸の水辺の景勝地は、ホテルや個人により占拠されているが、湖岸線から数メートル以内は個人で囲いこむことを禁止する自治体もある。水辺は誰もがアクセスできるように、という思想からである。レマン湖の景観の美しさは、直接民主制により自分たちの生活環境を自分たちで守り続けるという住民の意思の現れともいえる。つまり景観保全が、形式的には私有地であっても、地域共同体により土地利用上の共同的申し合わせの上にあり、かつ地域としての共有ブランドを開発し、そしてそのブランドが観光化も伴って経済的基盤を提供している、という複合的な水辺保全のモデルがここにあるともいえるだろう。

<5.フランス(セーヌ川)>
 フランスを代表する水辺としてセーヌ川は絵画や歌など、近代的な表象システムに深くとりこまれ、世界に広く流布されてきた。それゆえここでは、表象システムが、生活文脈の中での人びとによる水辺の評価システムといかなる関連にあるのか、その歴史性の中から探ってみた。あわせてパリの上下水道の歴史もさぐり、下水道が「し尿忌避文化」から生まれたことも確認した。
 パリ市民の上水・下水システムの歴史を見ると、中世以来、セーヌ川の水をくみあげる水売り屋が活躍した。パリ市民の暮らしに上水道を供給したのは1865年、オスマンによる水道設置であるが、同時に富裕層の間では、この頃、レマン湖などからのボトル水が求められた。現在パリ上水道の水源は6割が上流からの遠隔地水であり、セーヌ川の濾過水も4割ほど入っているが、水道水への信頼は低く、飲み水はもっぱら「エビアン」「ヴィッテル」など、瓶詰め水に依存している。水道システムという「土地を離れた水」への不信は、「土地を離れない水」が瓶詰めされた「商業化された水」には勝てないといえるようだ。
 一方、下水を見ると、19世紀中頃のパリ市民の汚水は、し尿を含めてすべてを道路に捨てていたため、パリは大変な臭気の町であり、ひとたび雨がふると道路には汚水があふれ、足元にはし尿も流れ出したので、その汚れから入々を守る「運び屋」という商売さえあった。パリ市民の下水が、流されないようになったのはオスマンの都市改造が完成した19世紀末である。
 社会史家のアラン・コルバンによると川の「景観を見る」という視点は18世紀以降の近代意識の産物である。セーヌ川べりの過去100年の今昔写真を比較して気付くのは、景観の枠組みが大きく変化していない点だ。100年前の建物は今もほぼそこにある。セーヌ河岸の整備は18世紀後半から始まり、1853年から20年をかけてのオスマン知事の都市改造で都市景観的にはほぼ完成していたからである。
 とはいえ、今のセーヌ川から生活の臭いはほとんどせず、コンクリートや石で固められた川岸を直線化された高速道路が走り、暮らしにかかわる施設はほとんどなく、川岸のプロムナードに集う人びとが水に直接触れる場所はほとんどない。しかしその同じ場所の古写真をよく観察すると、セーヌの河岸にも糸をたれる釣り人や、夏の暑い日に水遊びをする子ども達がおり、リンゴやワインなどの食料品をのせた船が市場を開き、洗濯船の中では洗濯がされ、川で流されずに泳ぐ為のプールまで設置されていた事に気付く。子どもだけでなく、馬や犬も川岸を下りて水を飲み、水と戯れていた。20世紀初頭、護岸整備がほぼ終了していたうえ、既にセーヌ川の水は直接汲んで飲めない程汚れ、水売りの水が飲用にされていたが、100年前にはセーヌ川も他の水辺と同じように人びとの暮らしに近い活動の場だった。
 セーヌ川辺にいた42人に今昔写真を提示してインタビューをした結果、セーヌ川で泳ぐことや子どもを遊ばせることなどは強く忌避されている。しかしたとえ洪水の危険はあってもセーヌ川沿いに住むことは多くの市民に願望されている。またこれらの人たちの中には、100年前の風景には、「コンビビアル」(親和的な、心地よい)という表現をする人も多く、今は見る景観に特化しているセーヌ川で失われてしまった生活光景への潜在的な願望は隠されているともいえるだろう。

<6.イギリス(湖水地方)>
 イギリスの水辺景観の代表は、いわゆる「湖水地方」の美観といえる。湖水地方は、イギリスの表象化された景観論の柱をつくってきたが、それはナショナルトラスト運動により社会化されたという歴史的系譜をもっている。イギリスのナショナルトラストが追求した美は、低い山並にかこまれた湖水であり、いわゆるチョコレートボックスの表の絵であり「picturesque」っまり、絵のように美しい景色といわれる。その景観は、「wildであるが、安心できるwild」「伝統的であること」「静かでジェントルであること」「古い建物と湖と山(丘)」がセットになっている景観といえる。
 このような湖水の景観が広まる仕組みとしては、ナショナルトラストの発生当時のgrand tourと言う、イギリスの上流家庭の子弟による大陸への修学旅行がある。旅行により文化、芸術を学び、絵画を土産にもってかえることが流行したが、その理想は、17世紀イタリア絵画を典型とした、表象としての景観イメージであった。これがいかに「見る」ための表象であったかを象徴的に物語る仕組みが「クロード・グラス」であり、これは景観を眺める現場に持っていき、グラスに景観を映して、その美観を楽しむという仕組みである。つまり現場に行っていても、なおそれをガラスの中にタブローとして収めて恣意的に景色を「切り取る」ことで成り立つ、望ましい景観といえる。切り取られた湖水景観の中には、古い建物と羊飼いは必須の要素である。この羊飼いの生活現場での水利用について調べてみると、彼らは湖水を全く利用せず、山々から生まれる湧き水に依存する暮らしで、今でもその仕組みを継承している。つまり、湧き水への評価により生活を成り立たせているのである。
 さらに湖水地方の町々を訪問し、18−19世紀の水利用の跡をたどると、そこでも湧き水や井戸水など、「土地を離れない水」が主な水源であったことがわかる。現在も、移動手段は馬車から車に変わったが、このような湧き水飲み場は多くの場で残されており、水利用の歴史への人びとのこだわりがみてとれる。

<7.マラウイ(マラウイ湖)>
 マラウイ湖辺における1940年代の150枚の写真の発見により、水辺環境の変遷が大変緻密に再現できた。それによると、自然度が高いと思われる現在の水辺も水草帯や湿地帯は過去数十年の間に破壊され、魚類などの生産が減少した結果であることがわかった。また湖水を直接に生活に利用する水システムは1940年代と現代と基本的には変わっていない。しかし人口増加などの影響で、水汚染問題は深刻化している。その背景には、し尿についての根深い「忌避文化」がある。人びとはし尿、特に大便については、見るのも見られるのも、話題にするのも極力きらう。し尿を忌避するという意味は、穢れ感からではなく、どちらかというと人間観に根がある。し尿の中で特に糞は他人から呪術をかけられやすいと信じられている。それゆえ、便所がマラウイで広まらないのは、経済的に建設が困難という理由以上にこの呪術問題がある。村の周囲には大便が点在し、これらが雨とともに川や湖に流れこみ、生物的汚染を助長するのである。コレラや下痢、ビルハルツイアなどの寄生虫病も人間のし尿が水域へ流入することが基本的な原因である。
 また過去のマラウイ湖南部の湖岸近くのバオバブの木がある地域では「ゾウに注意」の看板があり1946年段階では野生動物がたくさんいたことがわかるが、現在その場所には大きな村ができており、ゾウもワニもカバも今は国立公園にしかいない。これらの写真からマラウイのような非工業国においても、過去数十年の間に特に水辺の沿岸域の生態システムの破壊がすすんでいることがわかる。これらの国では、過去の生態調査データなどがきわめて限られており、写真によるインタビューを活用した過去の生態系の復元は、大変重要な環境変遷史調査手法といえる。
 現在、マラウイには急速に高収量品種が導入され、主食のトウモロコシの生産にも種子や化学肥料が必須となっているが、これらはいずれも輸入品であり、外貨の少ないマラウイでは、自国の貨幣の価値が下がるにしたがって輸入品は大変高価なものとなっている。2004年の調査で、マラウイ湖辺チェンベ村でのトウモロコシ生産のための投下現金は、トウモロコシの生産価格を大きく上回っているが、人びとが生存するために必要な経済活動ゆえに、赤字であってもトウモロコシ生産を続けざるをえない。
 このような経済、生態条件の中では、人口増加によって増加した糞尿を肥料化する方向などは生活保全のひとつの提案といえる。

<8.ケニア(ナイロビ川)>
 東アフリカのケニアの首都ナイロビは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、先住の人びとが暮らす生活地にイギリス人入植者が入り込み、植民地化の政治構造の中で開かれた町である。高度が高いので涼しく、マラリア蚊などの生息も少なく、白人好みの立地であり、現在300万人が居住する東アフリカ最大の都市となっている。このナイロビには、町の名前の語源となったナイロビ川が流れている。
 町が生まれた20世紀初頭のナイロビ川はまだ木々も茂り美しい川であった。ナイロビ川が生活排水や廃棄物で汚染され始めるのが1960年代の独立前後からであり、川べりの道路には固形廃棄物がうずたかくつまれるようになる。この頃には都市的なビルも建設されており、それぞれのビルは、独自に地下水を汲み上げ、水道施設をつくり水洗便所を利用するための下水もつくり、ビル毎の大型浄化槽で対応をしてきた。
 都市の拡大に応じてケニア政府は1974年には水開発省を作り、大都市や農村部にまでいわゆる上水道を広める活動を始める。1978年にはナイロビの人口の15%に水道が行き渡り、それを2000年には100%にする、という計画が作られ、水道を敷設すると経済的に豊かになるというキャンペーンも張られてきたが、現在の水道普及率に関する統計は筆者らの調査の範囲では探すことができなかった。行政の管理は、技術的にも制度的にもかなり低く、基本的なガバナンスの欠けた状態での水道化の問題は、ネパール、グアテマラなどよりも深刻と言える。
 とはいえ、人びとは水なしに生活できない。汚濁物が流れこむナイロビ川で洗濯をし、食器を洗い、時としてボトル水を購入する金がない時には飲用にも利用せざるをえない。
 現在、ナイロビ川には、固形廃棄物がうずたかくつまれ、穴式便所が川べりにつくられ人糞なども直接に川に流れこみ、生ゴミも混じり饐えた臭いがする状況となっている。雨季になるとこれらの廃棄物は一気に下流に流される。川の周辺にはいわゆる農村部からナイロビに出てきた人びとが居住しており、洪水の危険性のある水辺には社会階層的にも劣位におかれた人びとが住むという傾向がみてとれる。
 1999年からこの川の浄化を求めて国連環境計画(UNEP)が中心となって「ナイロビ川流域プロジェクト」(Nairobi River Basin Project)が始められ、河川の上流から下流まで20ヶ所で水質や汚濁物の起源、動植物の分布調査などがはじめられ、河川の浄化を生態系の復元という根本から始めようというねらいとなっている。同時に地元住民の参加も促しているが、数年経ったところでまだ具体的な目にみえる成果はないようである。
 ナイロビ川の事例は、行政的管理もできず、かといって住民による管理もなされず、まさに、放置され、汚濁が進む水辺の象徴ともいえる状況を呈している。

<9.グアテマラ(アティトラン湖)>
 アティトラン湖辺の1920年代と現在の写真比較から、上下水システムや水辺景観の変遷プロセスが解明された。かつて自然の湖水を直接飲み水や洗濯などに利用してきたこの地域には琵琶湖と同様の時間的、空間的使いわけシステムが存在し、社会的に成立していた。さらに植民地時代からの伝統である地下浸透システム(吸い込み式穴)により水の安全性が確保されていた。現在ここに上水道が導入されはじめているが、金額が高いことから必ずしもすべての家庭に普及しているわけではない。特に、洗濯などは湖でするべきものという心性が深く根付いており、湖での洗濯は今も社交の場として重要である。
 人間のし尿については、し尿を肥料に利用する伝統はなく、し尿を貯めて地下浸透をしなくなると埋めるという方式をとっていた。最近海外からの援助団体が、水洗便所の導入を図るべく、下水処理施設をつくった。しかし現在の所得水準の元では人びとは下水処理費用を払えない。上水道の支出は負担できても下水処理費用は負担できない。湖辺の町の一部では各家庭に水洗便所をつくり下水の管はひいたが、処理場をつくる費用が捻出できなかった。それゆえ、下水は湖に直接排出され、伝統的な地下浸透システムの時代よりも湖の汚染は進んだ。この事例は、ネパールと同様、近代的でグローバルなシステムとして推奨される管渠を利用する方式は、管渠の技術的な維持管理が不整備であることと、料金徴収などの問題から、社会的にうまく機能していない。
 湖辺の土地の所有と利用は、国家的な登記制度はあるが実際はほとんど機能しておらず、それよりも、土地を使用しているという実態が所有を形づくることになる。近隣の間での所有争いが起きた場合は、自治体の長が持つ「杖の力」で所有の調整を行うことになる。
 景観的には、山と湖、漁船、洗濯女、そして織物をする女性とトウモロコシを生産する男性という生産を組み込んだ表象システムが観光イメージをつくりだしているが、景観的にすぐれた土地から住民が追い出され、海外からのNGOによる景勝地の囲いこみなどの問題も発生しつつある。湖にはマシモンというカソリックを装った伝統的なマヤの神である大地や水神信仰もある。

<10.アメリカ合衆国(メンドータ湖)>
 アメリカ合衆国の中西部にあるウイスコンシン州の州都であるマジソンは人口20万人弱の小都市であるが、町の中心部にはメンドータ湖をはじめ、モノナ湖など水系がつながる4つの湖があり「マジソン4湖群」と呼ばれ、湖の汚染問題を扱う研究者や行政の間では有名な湖となっている。それは19世紀中頃からまさにこの湖が、生活排水による「富栄養化問題」に悩まされその対策に研究者や行政が精魂をつぎ込み、その途中経過がデータとして残されているからである。
 マジソンの町がある場にはもともと先住のメノミニ系住民が居住していたが、ヨーロッパ系の植民者が入り込み土地を買収あるいは収容し、白人による町づくりが始まった。1850年に州都になったが、当時の人口は1万人弱であったが、19世紀を通じて次第に人口が増大してきた。20世紀初頭と現在の同じ場所、同じアングルによる一連の写真比較から、今私たちが見る緑濃い、アメリカでも有数の「最も住みやすい町」のひとつに選定されたマジソンは、この100年の間に建設されてきたことがわかる。
 水辺の公園化は20世紀初頭から市当局によりなされてきたが、現在、水辺の居住地には一般の固定資産税にプラスして「湖辺税」という特別税が賦課され(一般のサイズの屋敷で年間1万ドルあまりの高額である)、湖辺税は目的税として、湖の清掃費や環境保全に利用されている。朝晩2回、水辺の公園は市の清掃車がまわり浮遊ゴミなどの収集を公費で行っている。いわば行政による公共管理がなされ、受益者は税金で対応するという社会学的にいう「公私2元的管理」がなされている。とはいえ、近年、河川周辺の住民が新たに流域保全のNGOなどもつくり、ボランティア的な組織も形成されつつある。
 景観的にはこのような美しい町をつくりだしてきたマジソン市であるが、湖の水質問題では19世紀中頃から悩まれ続けてきた。マジソンに居住した人びとの水利用をみると、1870年代には用水は井戸水、し尿や生ゴミなどは空き地に放置したり土中に埋めたりしていたが、人口が増大するにつれて、町中に腐敗物が臭うようになり、特に湿地帯の汚染はひどかった。
 そこで当時ヨーロッパで流行し始めた水洗便所が歓迎され、1870年代に普及しはじめる。井戸から水をくみ天井近くの水いれから一気に水を流してし尿を廃棄する技術は瞬く間にマジソン市民の間に広がるがその排水はすべて直接に河川や湖に流された。そして1880年代には、湖に水草が繁茂し、それが夏場には腐敗し水質は急速に悪化した。1880年代にはマジソン市として上水道を敷設し、水洗便所の利用はさらに進み、湖の汚染も進む。そこで1900年には4湖群の最上流の湖の出口に下水処理場がマジソン市の行政の手により建設され、排水がひとつ下流の湖に流され、次にはその湖が水草で覆われる。そして、排水口はさらに下流の湖にもっていくが、そこでも新たに水草汚染が広がる。このような「下流につけまわし」の下水道排水政策の教訓から、1950年代には4湖群の最下流部に下水処理場を建設し、処理水は100kmほど離れたミシシッピ川に流す工事がなされた。同時に、下水処理水は一滴たりとも4湖群には流さないという「排水バイパス計画」がつくられ、それが完成したのは1988年である。下水道建設費は最終的にはひとりあたり3,000ドルを越えている。しかし、湖群の水質は人びとがのぞむような清浄さにはならず、夏には相変わらず水草や植物プランクトンが繁茂している。1990年代になり、現在の汚染源は周辺の農地や家畜からである、ということで現在は農業排水の排出規制がなされ、その規制にあわない農場は強制的に廃業に追い込まれるというような強固な水政策が地元政府の手によりなされている。
 マジソン4湖群の水対策はまさに100年以上にわたる「富栄養化」との闘いであり、それぞれの時代の最新技術を使い、高額の公共投資をして水を処理するといういわば「し尿忌避文化」に基づく思想でなされてきたが、最終的には土地利用というような面的な農業排水問題に行き着いている。この過程での研究開発、工学技術、税金や汚染対策制度、そして金銭的な投資を考えると、多くの途上国が上下水道による水管理というシステムを導入することはほとんど不可能であることがわかるであろう。

(2)水辺環境変遷のアーカイブ作成と公開手法に関する研究
 本サブテーマでは、サブテーマ(1)で収集・撮影した写真資料等保存のためのデジタルアーカイブ(写真倉庫)データベース手法の開発とその調査での利用支援を目的とする。さらに写真による情報を多面的に理解できるような写真以外の地図、統計データなどの収集・入力も行い、画像、地図、統計データなどからなる統合型データベース(インターネットGIS)の基礎部分の開発も目的とした。
 このために、まず、調査参加者からのヒアリングによって、ニーズ分析を行った。その結果、仝獣歪敢困両譴罵用可能であり、かつ文字情報の蓄積が可能な画像データベース、▲ーワードの合致による自動ハイパーリンクの生成が可能な文書情報システム、2菫データベースを主体にして地図情報を取り込むことが可能な地理情報システム(GIS)のニーズが高いことがわかった。それゆえ、3年間かけて、それぞれについてのソフトウェアを試作し、サブテーマ(1)や(3)の調査において実際に使いながら改良を行った。全体の研究は次の3つのプロセスから行った。
 まず、調査現揚で地域住民に写真を提示し、その画像にかかわる生活記憶や体験などのインタビューを行った。マラウイやネパール、グアテマラでは、電気の利用が現場で困難なことから、データベースからプリントをした写真を活用した。しかし、日本やヨーロッパでは、パソコンによる写真提示が可能であった。
 特に、日本においてはモバイル対応の画像データベースが有効なツールとなった。図4にはそのシステム例を表示した。ここでは、写真表示機能のほかに、全文検索エンジンの機能強化、フラグづけによる分類機能の強化が必要とされ、それらの機能を含めてモバイル環境で動作する既存ソフトウェアが存在しないために、試作品の作成を行った。現場でのインタビュー調査では、写真を見ながら次つぎと記憶や経験が語られるが、それらが直接に入力できるだけでなく、キーワード付けや、インタビューの進行による提示写真の検索・表現がきわめて有機的につながり、大変有効なシステムとなった。
 統計情報については、図表や文字情報などの書式が多様で統一化が難しいために、HTML文書の形で作成し、このHTML文書にもキーワードによるフラグ付けをできるようにした。そして、現場情報と統計情報のキーワードの共通項目を利用して自動的にハイパーリンクを形成することで情報の統合化を図る方針をたてて、ソフトウェアの試作品を作成した。
 既存の地理情報システム(GIS)の場合に、GIS機能が中心にあってそれにデータベースを付加する構造のものが主体である。しかし、本研究調査のように、データが多様な場合には、むしろ逆に、画像データベースが主体にあってそれにGIS機能を付加する方式の方が使いやすいものになることがわかり、これについてもソフトウェアを作成した。
 さらに、キーワードを付与し、キーワードをもちいて写真を分類する機能を強化した。統計情報については、図表や文字情報などの書式が多様で統一化が難しいために、HTML文書の形で作成し、キーワードによる分類機能と統計情報のハイパーリンク機能を組み合わせて効率よく、かつ、見落としなく、写真と関連上のリンク付けができる仕組みを画像データベースに追加した。
 サブテーマ(1)で撮影・収集した写真情報および関連資料の関係を示すと図4のようになる。
 作成した編集用・モバイル対応画像データベースのカード画面のサンプルを図5に示す。本プログラムは画像情報と文字清報を最大16,383枚まで格納し、現地調査の場面でその場で情報を検索・表示し、ヒアリングデータなどを追記、編集することができる。
 図6は公開版データベースの検索画面である。公開データベースでは編集機能をはずして、写真の検索、表示機能のみを公開することとした。現時点では、著作権、肖像権など制度的な側面がクリアされていないので、プロジェクトメンバーに限定した公開にとどめている。





 公開版データベースの検索画面では、キーワードによる検索(プルダウンメニューをクリックすれば検索)機能と、自由な語句を記入することによって行う検索のふたつの検索機能を提供する(図6)。キーワードは編集用画像データベースのキーワード付与機能を使って作成されたキーワードをそのまま用いる。自由語句検索は、インターネットポータルサイトと同様に、データベースの全フィールドを横断的に対象として全文検索を行う。なお、スペースで区切って複数の語句を指定するとAND条件で検索を行う。
 検索結果はサムネイル画像の一覧として表示され、サムネイル画像をクリックすると写真カード画面(図7)に移行する。写真カード画面には撮影地点を示す地図とキーワードおよび関連情報一覧が示される。キーワードをクリックすると、同じキーワードを共有するカードをブラウジングすることができ、関連情報をクリックすると、図8のように別ウインドウが開いて関連情報を参照できる。
 これらデータベースは、現在急速にすすむウェブシステムでの利用が可能であり、研究だけでなく、政策的にも多いに活用可能となった。しかし、2005年から始まった個人情報保護法とのからみなどもあり、写真情報の公開には、制度的なバリアーがあることもあわせて指摘しておきたい。

(3)多様な水文化主体間の環境コミュニケーションの育成手法に関する研究
 本サブテーマでは、淡水資源問題の現場である地域社会での景観や生活環境の変遷を今昔写真比較により探ることが、水資源の保全や自主的管理という実践活動に果たして有効な手段となるのかを検討した。人は自分たちのおかれた状況を深く知り、判断能力が高まるなかで、コミットメント意識が芽生え、エンパワメント効果も生まれると想定される。それゆえここでは、サブテーマ(1)で収集した今昔写真を活用しながら、異世代間や異文化間のコミュニケーションのあり方を現場に即して検討した。具体的には、現地での協力体制がとれた、日本(琵琶湖)、中国(太湖)、スイス(レマン湖)、フランス(セーヌ川)、アフリカ(マラウイ湖)、グアテマラ(アティトラン湖)の6地域を事例とした。
 収集した元写真は写真集やネガやプリント写真、また一部は乾板写真であった。それらを定型的に利用できるような仕組みが、サブテーマ(2)によりつくりだされた。今回収集した写真は対象地域全体で8,000枚ほどであり、その中からそれぞれの場面に対応する提示写真を選別するために、サブテーマ(2)でのシステムは大変効果的であることが判明した。
 蓄積した写真の中からプリントをした古写真やパソコンに入力した古写真をもって、それぞれの対象文化に馴染みのある研究者が現場調査にでかけ、その現在の場を同定し、撮影を行い、今と昔の写真資料を活用しながら関係する地域社会や地元の人びとに写真資料を提示し、ディープインタビューを行った。また都市部など昔を知る人をインタビュー相手として同定することが不可能な場所では、水辺の人びとに今昔写真を活用したアンケート的調査を街頭で実施した。過去の経験から、突然に環境認識について話しかけるのはかなりむずかしいことが予想されたが、今昔写真を呼び水として、水辺に関心をむけてもらうという効果は明らかであった。そのことで、水と人間のかかわりに潜む文化的固有性と価値観をさぐった。同時にそれぞれの地域で現在の水辺状況を表す写真を多数撮影することで、将来的な変遷研究への準備も行った。
 多様な水文化を担う主体間での環境コミュニケーションの促進のために、今昔写真の活用はどのような効果があるのか、本サブテーマでの課題に対しては、以下の4点があきらかとなった。

〔軌媼嬰な言語化されていない生活環境の総体を知る上での有効性
 人と自然の関係性は、個別地域に固有な生態的空間的条件の中に埋め込まれている。しかもその埋め込みは無意識的で言語化されていない当事者にとっては「あたりまえ」の状態といえる。日本、アフリカ、南アメリカのいずれの事例においても、このあたりまえ性を払拭し、生活環境の総体を当事者たちが自ら知る上で、写真による今昔比較の有効性は高いことが判明した。特に琵琶湖辺で行った地域の水利用調査では、地元でありふれた家の中の湧き水写真を日常的に目にする「コミュニティカレンダー」として作成することで、地域環境に対する関心が高まり、その地域では、湧き水保全の組織も動きはじめている。グアテマラでも、今昔写真のカレンダーは、地域の環境保全活動に大きく役立ち市の行政もその効果を認めている。

調査する者とされる者の間に介在する権力関係の払拭効果
 地元の写真を対話の中で活用することで、調査者と被調査者という関係性に内在する権力関係を弱め、社会的位相の転換を図る可能性もみえた。そのことにより、たとえば、し尿に対する認識など、さもなければ外部の人間に語ることがはばかれる伝統や、あるいはコンプレックスの中で語ることを避けられている生活文化などについても語ってもらうことができた。そして、外部の人間が外部的な関心から発する疑問ではなく、内在的な関心からの発話行為が可能となった。このことが、ともすれば、専門家やよそ者の視点で発せられる問題発見や問題提起を止揚し、あくまでも地元の生活経験と生活実態に即した疑問の提示を可能とする糸口になることもわかった。

識字率の高低の差を払拭するコミュニケーション効果
 マラウイやグアテマラのように、多くの途上国では、一般に識字率は決して高くない。とくに女性や子どもなど、水汲みや洗濯など、水辺の生活活動の中心である人たちの識字率はひくい傾向にある。そのような社会状況の中で、写真によるコミュニケーションは、大きな喜びと楽しみをもって受け入れられるメディアであることも判明した。また日本のような高度に学校教育が普及している社会においても映像的資料への関心は高いことも判明した。日本の今津中学校では2年にわたり、総合学習の一環として「甦れ写真たち」という今昔写真を活用した現地調査を行ってきたが、生徒から、「甦ったのは写真だけではない、お年寄りが元気になった」という思わぬ効果を指摘する意見があった。

だ験茣鎚変遷についての知識と経験の増大によるエンパワメント効果
 生活環境の変遷を、異なった世代間で直接的に伝達することで、上の世代にとっては、過去の確認、下の世代にとっては、多様なライフスタイルの可能性をイメージさせた。そして、自文化に対する愛着と、実践的行動に対するエンパワメントの源泉となることも判明した。このことは特に日本の琵琶湖辺の事例とグアテマラの事例で顕著であった。
 しかし、今昔写真を介した世代間や異文化間のコミュニケーションは、以上のような社会的文化的効果を確認することができたが、この限界もあわせて指摘しておきたい。特に、過去の写真については、どこでも入手可能なものではなく、むしろ希有な存在でもある。さらに、ケニアの例でみられたように、多くの途上国では過去の写真資料はほとんど残っておらず、写真というメディア自身が特殊な社会階層のものでもある。また写真は写した人の主観が入り込む記録である。「何をどう写すか」という撮影者の意図と作品の表現なども含めて今後の検討が必要である。

4.3つのサブテーマを通しての全体総括と考察

 本研究により、現在日常的に目にする水辺景観の歴史的背景を、現場で生活する当事者の認識と視点からさぐることができた。この結果をややモデル的に示して、統括的なまとめとしたい。
 まず、上水と下水の分離・循環の仕組みについてみよう。中国、日本では伝統的に、し尿を肥料に利用する文化が根づいていた。これを「し尿親和文化」(Feces-Philia)と名づけよう。し尿利用のために便所が作られ、人間の大小便は水域と隔離され、結果として水域の安全性が確保される。アフリカにみられるように、そもそも便所をつくる動機が生まれず、し尿は屋外に放置をする文化を「し尿忌避文化」(Feces-Phobia)と名づけよう。ネパールもアフリカほど強固ではないが、し尿を穢れたものとみる「し尿忌避文化」的地域といえるだろう。実はヨーロッパも、フランスの例でみてきたように、し尿を積極的に集め、肥料として利用するという思考は弱く、できたら廃棄したいという思想であった。それが雨水排除と水洗便所を目的とした「下水道文化」といえる。
 特にアフリカでは大便に対する穢れ感が強いことから便所をつくる動機は弱く、し尿は野山に放置され、水域汚染の危険性をます。グアテマラにおいても、「し尿忌避文化」がみられるが、それが古来マヤ文明からの伝統なのか、スペイン植民地時代の影響なのか、今回の調査では明らかにされなかった。図9には、し尿忌避文化のアフリカにおいていかに水域汚染が拡大するのか、それに対して、日本や中国のし尿親和文化においては、いかに空間の「使い分け」がし尿による水域汚染を防いできたのか、その仕組みを模式的にしめした。さらに図10には、ネパールやグアテマラ、またケニアなどにおいて、上下水道を使えることができる社会的な上流階層の未処理の下水が、社会的な下層階層の生活環境にはいりこむことで、汚染の「つけ回し」がなされ、社会的問題、いわゆる「環境正義」の問題を惹起させる恐れがあることを示した。
 今、日本では都市農村を問わず、また中国やアフリカ、南米などは都市部を中心に、グローバルスタンダードとしての水洗便所の利用を目的とした下水道が計画・建設されつつある。これらは個人の快適性と利便性からみたら望ましい技術であろうが、水域全体の安全性の確保や生態系の保全を考えた場合、公共的に必ずしも望ましい技術ではない。現在の世界人口60億人のうち12億人が安全な水が入手できない。29億人は衛生設備、特にし尿による衛生問題、つまり「便所問題」をかかえている。近代的上下水道システムは、衛生問題を解決しながら水資源の確保を行うことが期待された。しかし最終処理場をもつ下水道設備が建設可能で、同時に直接飲用水として水道が利用可能な人口は世界中でたった5億人しかいない。この人口を増やそうと過去20年近くにわたって国連機関や各国政府はさまざまな衛生投資を行ってきたが、安全な水や衛生にアクセスできる人口は増えていない。この背景にはかなり本質的問題が隠されている。それが今回の調査では明らかになったといえる。
 つまり、ネパールやグアテマラの例に典型的にみられるように、工学技術の不足と、料金徴収などの制度の不備の両方に問題がある。上水道の費用負担も困難な人たち(全世界でひとり1日2ドル以下の収入の人口は40億人もいる)に下水道施設の維持管理費用の負担は無理である。しかし一般には、上水道以上に下水道は維持管理費用がかかる。アメリカのマジソン4湖群では100年以上かけて、上下水道の仕組みをつくってきたが、今、農地排水をかかえ「農地に下水道をっくるわけにいかない」という技術による対策の限界が当局の関係者からも言われている。
 水洗便所技術はさらに、し尿による環境ホルモン問題などが科学的に明らかになるにつれその限界が指摘されはじめている。それどころか、「西欧文明への憧れ」である水洗便所システムは本質的問題をかかえている。水の多量消費と水によるし尿の分散、そして本来肥料になり得るし尿の廃棄によるエネルギー損失問題、さらに建設費の莫大さと、管路の維持管理問題である。
 水辺の生態系維持については、今回は多くの資料を提示できていないが、収集資料の中からは、途上国、先進国を問わず、沿岸域の生態系、特に、水辺水草帯、ヨシ帯などの破壊が進み、魚類の生息環境がおびやかされていることが示された。先進国においては、パリのセーヌ川の例でみられたように、自動車交通による道路の建設、その直線化は河川や湖沼の沿岸域の生態系を大きく破壊している。また途上国では、ケニアのナイロビ川のように、増大する入口による糞尿や生ゴミで河川の生態系は破壊されている。

 今昔写真比較により、現在日常的に目にする水辺景観の歴史的背景は「望ましい景観システム」としての分析も可能とした。「望ましい景観システム」の分析においては、イギリスやフランス、スイスの歴史的仕組みの中にみられるように、社会集団としての表象システムが生まれ、流通し、定着していく社会的プロセスと、水辺そのものへの人びとの生活や生産の中での評価システムとの関係性の構造がこの研究から明らかになってきた。
 水や水辺と人びとの景観をめぐる関係性の構造をまとめてみると、人びとは表象システムと評価システムというふたつの思考と感性の回路をもっていることが判明した(図11)。評価システムがあてにできるのは、「見る、聞く、臭い、触れる、味わう」という身体の五感感覚に根ざした要素群の関係システムである。これは物的な基盤をもつことが可能な領域を含む。それに対して、表象システムは、「宗教的信頼」や「科学信頼」など精神の領域に含まれ、近代社会にあっては「商業的(ブランド的)信頼」追加される。さらに宗教か、科学か、商品か、という強力なシステムの効力源に対して、自らの経験的知識と習慣にもとつく生活習慣(ハビトゥス)としての評価もある。これは、決して伝統的な村落社会などに優勢なだけでなく、現代社会においても有効な言説である。なぜ、自分の町の上水道技術者よりも、ヨーロッパのエビアンという湧き水に信頼を寄せるのか?それは、物理的に遠くなった水(遠い水)「大地から離れた水」への生活者の無言の抵抗であり、そこで次なる商業ブランドにからめとられ、そこで、いかに過剰なエネルギー浪費を行っていようと、「アルプスの湧き水」という表象された「近い水」「大地から離れない水」への信頼が醸成されているといえる。そこには、新しい現代的なハビトゥスが創生されつつあるといえるだろう。

 19世紀中頃、パリで上水道が普及し始めたとたん、瓶詰めのレマン湖水が売り出されはじめたのは偶然ではないだろう。商業主義の「売る水」思想は、長い管渠に依存する上水システムとセットでもある。ここには、水辺の景観や水の意味が、社会的表象システムと、身体五感による評価システムの中で絶えず影響し合い、創造され、流布され、変容をうけていく、文化的プロセスが見え隠れしている。
 イギリスの美観の象徴でもある「ピクチャレスク」な湖水景観は、そこで暮らす羊飼いの住居は点描としての対象ではあっても意味のある存在ではなく、セーヌ川を流れる水は眺める対象ではあっても触れる存在ではない。一方、レマン湖のワイン農村の100年変わらぬ景観には、表象システムと評価システムとの間に相互にまさに創造的な関係性成立の糸口がみえる。レマン湖岸のワイン畑の背景にはりめぐらされた土地利用規制、相続制度への配慮とともに、産業として地域毎のワイン生産が成り立つための地域ブランドへの誇りと愛着が、外からの守りたい表象化された景観と、生活の中での評価のシステムをつなぐ鍵ともいえるであろう。
 さらに総括として、水や水辺はどのような主体により、どのような組織的対応がなされてきたのか、社会組織論的にまとめてみよう。図12は、生活用の用水と排水の供給と管理の社会的仕組みとして4つの母体(左下には「地域のコミュニティ的管理」の領域、右側には「国家や行政管理」の領域、左上には「商業的な企業管理」、右上には「NGOやNPOによるボランティア的管理」の領域を示した)を抽出し、歴史的変遷をイメージした見取り図である。「→」はその変化の方向を示している。同様に、図13には、景観管理をめぐる社会的主体の見取り図を国別に示した。
 景観については、そもそも「景観」の意味が発見されたのは、近代であり、今回の調査で必ずしも十分な資料が集まっていないことから、現在の組織母体を示した。いずれの図も、今回とりあげた10ヶ国の中でも、特に具体的な調査地となった地域の事例から考察したものであり、同じ国内においても地域により状況が異なることが推測される。またこのような見取り図はあくまでも、モデル的に示すものであり、さまざまな異論があるだろう。あくまでも、一次資料の比較のためのモデルと考えたい。
 歴史的にみると、世界各地で、まず地域に自生的なコミュニティが水管理の主要な母体であった。日本における水や漁業、水域の管理主体としての村落社会がその典型である。行政の近代化の中で、社会セクターとして「企業管理(市場)」と「国家(行政)」が生まれ、日本の琵琶湖でみてきたように、コミュニティ管理は次第に行政管理に移行するが、しかし現在でも中間組織としての「コミュニティ」が重要な役割を担っている。コミュニティとは公私とは別の共同(性)を実現し、「公−共−私」という3つのセクター体制のひとつとなってきた。しかし近代化とともに、元来共同セクターが担ってきた用排水や景観などの管理は、国家と市場に機能分化していった。そこで望まれたのは、より豊かな市場(私)、より強大な国家(公)による、豊かな生活だった。
 ところが近代の後期になり、人びとの意識がそれまでの経済的な豊かさや国家による安全だけでは十分にすくい取れない、生きがいなど生活の質の向上へと移りゆく過程で、これまでのより豊かな市場(私)、より強大な国家(公)だけでは実現できないことに気づき始めた。そこで自分たちが参加できるNPO・ボランティア(共)セクターが、豊かな生活の質を実現できる社会構成の重要なセクターになりつつある。日本の場合、多くのNPOがコミュニティを基盤としているのは、生活の質を維持するのにコミュニティの果たしてきた役割が非常に重要であったからであると推測できる。ここには「制御論」的な水環境管理に欠けている、水辺や生き物との親しみをもったかかわりの再生をめざす「共感論」ともいえる動きがでているともいえるだろう。
 日本(琵琶湖)を例にあげると、その管理はコミュニティから国家・NPOへと移りつつある。ことに景観となると日本の琵琶湖の場合、管理という発想なくコミュニティがそれを維持してきたのが、1980年代になって琵琶湖の景観条例が出来、一気に行政(国家)管理へと移行していくようにみえる。しかし、実際はコミュニティの果たしている役割は大きく、NPOの役割は比較的小さいのではないかと考える。
 ネパール(カトマンズ盆地のパタン)の場合も同様、コミュニティの人びとによる管理からNPO管理(現状は国家がバイパスされた)へ移行しつつある。神仏への祈りと生活の必要に応じて景観の改変が行われてきたが、現在はその改変に対して、国外のNPOがブレーキをかけ、世界遺産登録されるなど、結局は国際援助がNPOをバックアップする形で景観の維持がなされている。パタン市のとなりのバクタプール市では、市街地に入るのに20ドルの料金をとって、国外のNPOと地元のNPOそして住民が町並みを維持する方向ですすんでいる。比較的ラディカルに生活と景観保護のすり合わせが急激にできあがった事例であると考えられる。
 図12にはその位置関係と矢印の方向を示したが、ここからは、5つの大きな傾向が見える。
 1つは「コミュニティ管理から行政管理へ」という流れをもつ地域(国)であり、日本(琵琶湖)や中国の太湖地域が典型といえる。2つめは「私的・商業的管理から国家管理」へという流れであり、中国の北京の場合、私的に独占可能な用水やし尿は、上下水道の導入を契機に、ODAのような海外からの資金を導入しながら国家管理へと進んでいる。アメリカ合衆国においても、私的領域を拡大する形で19世紀に進んだ白人によるインディアンの土地や水辺の収奪は、国家・行政的な管理の方向に向かい、それは「納税制度」という回路を経て、徹底した上下水道システムの形成にむかっている。3つめは「国家管理から商業管理へ」という方向で、イギリスやフランスはすでに20世紀初頭に上下水道の行政管理がかなり進んでいたが、現在急速に、民間企業による商業的管理に移行しつつある。4つめは「コミュニティ管理からNGO管理へ」という流れであり、ネパールやグアテマラの例でみてきたように、伝統的なコミュニティ管理が弱められる中で上下水道システムが導入されようとしているが、その機能不全により、NGOなどが国家をバイパスする形で影響力を持ち始めている事例といえる。5つめは「管理不能型」ともいえるマラウイやケニアの例であり、もともとコミュニティとしての水管理意識が弱い中での急速な人口増加の中で、水汚染に対して国家もNGOも民間も手がだせない状態といえる。生活する住民にとって、最も問題の多い地域といえる。スイスの場合にはいずれにも属さず、いわばすべての主体がバランスをもって水環境の保全に当たっている事例といえる。
 さらに景観保全・管理をめぐる社会的主体を図13でみてみると、そこには大きく3つの傾向が見える。1つは「国家管理主導型」であり、日本、フランス、中国、アメリカなどであり、景観保全をさまざまな条例や法律により遂行しようという国家群であり、日本では琵琶湖で1990年代に景観条例が施行されたが、2004年には国家的なレベルで景観法が制定され、文化的景観も含めて行政が主導する方向が示されている。中国においても、太湖の例に典型的に示されるように、自然景観の保全も含めて行政と国家の主導で景観の改変がなされている。フランスのパリでは19世紀中頃に行政によるパリの大改造計画が基本構造となり、近年のパリ市内の建物規制やセーヌ川べりの利用規制などがなされてきた。2つめは「国家とNGOの相補的管理」であり、ネパールやグアテマラに典型的にみられるように、表むきは国家管理であるが、実態は、国際的なNGOが自然保護や景観保全に対して、具体的な政策を提案、実行している事例である。マラウイやケニアも、自然保護区の国立公園化や世界遺産化などで、国家的管理の中に国際NGOの政策が織り込まれている。3つめは「NGO
独立管理」であり、この展開が、イギリス湖水地方のナショナルトラストの形成によるものである。ここでは、NGOが土地の利用権だけでなく、所有権もとりこむことで、長期にわたる景観保全の政策を実現しているといえる。これらいずれの例からもはずれるのがスイスであり、景観保全はコミュニティや農家、観光業、国家、そしてNGOなどさまざまな主体がそれぞれの役割を発揮しながら、総体としての景観保全に貢献しているといえるだろう。


 21世紀の地球規模での淡水問題に対処するためには、あらためて20世紀的な開発哲学と、技術的限界について、見直すことが必要となる。そのための基本的な立場が、地域社会の伝統的価値観の意味を深く探りながら、地域に固有の方式(地域社会による資源管理)を探ることである。本研究では、そのためには、多様な水文化を担う主体間での環境コミュニケーションの促進がまず求められる。人類に普遍的な回答は今、見あたらない。しかし世界的に共通していえることは、人と水とのかかわりは物質論だけではすべてを語ることは不可能であり、「共感論」ともいえる感性的かかわり論が隠されているという発見があった。社会学者のハバーマス流にいうと「コミュニケーション的知識」であり、「人と水のコミュニケーションの再生」こそが現在求められている世界的な共通課題といえるだろう。
 今昔写真を介した世代間のコミュニケーションは、上で示したような社会的文化的効果を確認することができたが、この限界もあわせて指摘しておきたい。特に、過去の写真については、どこでも入手可能なものではなく、むしろ希有な存在でもある。その資料の限界性もわきまえておきたい。さらに、写真のコミュニケーション促進効果は、写真のみ机上で利用するのではなく、写真と現場を有機的につなぐことで、より多くの効果がえられる。世界水フォーラムにあわせて、日本の新旭町で、世界の子どもたちが、今と昔、途上国と先進国の状況をクロスさせながら水問題や水文化について語り会った事例は、今後の異文化コミュニケーションに多くの示唆を与えてくれたといえる。
 水の政策は、このような文化システムまで含めて、総体としての水と人間のかかわりの仕組みを読み解いていく必要がある。過去100年にわたる世界10ヶ国の今昔写真によるインタビュー調査により、このような文化的システムの内実が次第にみえてきたことは本研究のひとつの重要な成果といえるだろう。

5.研究者略歴

課題代表者:嘉田由紀子
        1950年生まれ、京都大学大学院農学研究科博士後期課程修了卒業、アメリカ・ウイ
        スコンシン大学大学院修士課程修了、農学博士、現在、京都精華大学人文学部教授
        主要著書:水をめぐる人と自然−日本と世界の現場から(編著)、有斐閣(2003):
        環境社会学、岩波書店(2002):Socio-Ecological Changes around Lake Biwa:How
        Have the Local People Experienced the Rapid Modernization? Ancient Lakes(ed.
        By Kawanabe and others), PP.243-260, Kenobi Productions, 1999.

主要参画研究者
(1)  鳥越晧之
        1944年生まれ、東京教育大学大学院文学研究科博士課程修了、文学博士、現在、筑
        波大学大学院入文社会科学研究科教授、2005年度から早稲田大学人間科学学術院教授
        主要著書:花を求めて吉野山、集英社(2003):柳田民俗学のフィロソフィ,東京大学出
        版会(2002):自然環境と環境文化(編著)、有斐閣(2001)

   ◆Ц点郛
        1951年生まれ、京都大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士、現在、関西学
        院大学社会学部教授、矢作川研究所研究顧問
        主要著書:村の生活環境史、世界思想社(2004):環境漁協宣言(監修)、風媒社
        (2003):観光と環境の社会学(共編)、新曜社(2003):ヒマラヤの環境誌(共著)、八坂書房(2000)

   :松田素二
        1955年生まれ、京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了、ケニア・ナイロビ大
        学大学院修了、現在、京都大学大学院文学研究科教授
        主要著書:日常的実践のエスノグラフィー語り・コミュニティ・アイデンティティ
        (共編著)、(2002)世界思想社:現代アフリカの社会変動−ことばと文化の動態観
        察(共編著)、(2002)人文書院:The World of Everyday Life as a Source of
        Creativity and Resistance in Urban Africa(Kurimoto.E. ed)Rewriting Africa:
        Toward Renaissance or Collapse? JCAS Symposium series no.14, JCAS, ppll3-131, 2001

(2)  大西行雄
        1949生まれ、京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了、理学博士、
        現在、〔株〕環境総合研究所代表
        主要著書:新台所からの地球環境(共著)、ぎょうせい(1998)

   ◆Ы山廣光
        1952年生まれ、日本大学農獣医学部水産学科卒業、現在、琵琶湖博物館専門学芸員
        主要著書:「よみがえれ!写真たち」文部科学省親しむ博物館作り委嘱事業実施報
        告書、琵琶湖博物館(2002)

(3)  Ь林亜里
        1956年生まれ、学習院大学文学部国文学科卒業。
        毎日新聞社、平凡社を経てフリーランスのライター、企画編集者に。1993年より滋
        賀県立琵琶湖博物館(当時開設準備室)の古写真収集と聞き取り調査、画像データ
        ベース作成に携わる。琵琶湖博物館1周年企画展「私とあなたの琵琶湖アルバム」
        (滋賀県立琵琶湖博物館)「第9回世界湖沼会議支援写真展「今昔写真で見る世界
        の湖沼の100年」(ILEC・滋賀県立琵琶湖博物館)企画・展示・編集担当。
        主要著書:町の水族館・町の植物園−さかなやさんとやおやさん、福音館書店刊
        現在、〔有〕テラ代表。

   ◆大西行雄
        1949生まれ、京都大学大学院理学研究科博士後期課程修了、理学博士
        現在、〔株〕環境総合研究所代表
        主要著書:新台所からの地球環境(共著)、ぎょうせい(1998)