課題名

D―3 グローバル水循環系のリン・窒素負荷増大とシリカ減少による海洋環境変質に関する研究

課題代表者名

原島 省(独立行政法人国立環境研究所水土壌圏環境研究領域 海洋環境研究室)

研究期間

平成14−16年度

合計予算額

106,329千円(うち16年度 35,070千円)

研究体制

(1)リン・窒素・シリカ流入変動に対する海域の応答に関する総合解析
  (独立行政法人国立環境研究所〈研究協力機関〉(財)日本気象協会、(財)海洋化学研究所)

(2)陸水域のシリカシンクに関する研究

 河川・湖沼におけるシリカ循環の生物地球化学過程に関する研究(滋賀県立大学環境科学部)

 ダム湖におけるシリカシンクとNOWPAP海域への流入負荷に関する研究

  (信州大学理学部化学科分析化学研究室〈研究協力機関〉(財)海洋化学研究所)

 集水域におけるリン・窒素負荷とシリカシンクのモデル化(岡山大学大学院自然科学研究科)

(3)海洋生態系へのシリカ減少の影響評価

 制御実験系および海域現場観測による海洋生態系へのシリカ減少の影響評価

  (独立行政法人水産総合研究センター瀬戸内海区水産研究所生産環境部)

 N,P,Si依存型の海洋生態系モデルによるシリカ減少の影響評価

  (九州大学応用力学研究所〈研究協力機関〉神戸大学)

研究概要

1.序(研究背景等)

 人間活動増大のため、水域へのリン(P)、窒素(N)の負荷が増大する一方、大規模ダムの数は全世界で36,000を超え、それらの総貯留量は自然状態の河川水貯留量の700%近くに達したといわれている。水系の分断による弊害は多く指摘されているが、近年注目されているのが次のような「シリカ欠損仮説」である。すなわち、停滞水域の増加とN、Pの負荷増大により陸水珪藻類が増加し、自然の風化溶出により供給されている溶存シリカ(DSi)を吸収し生物態シリカ(BSi)となって沈降・堆積してしまう。このため、海域に流下するDSiが減少し、DSiを必要とする珪藻類(無害)よりもDSiを必要としない非珪藻類(有害赤潮を引き起こす種を含む)が有利になる。従来の負荷型海洋汚染と異なり、海洋生態系に必須な物質の陸からの補給が人為影響で欠落してしまうという視点は非常に新しいものである。この現象の典型例として提出されたのが、ドナウ川-アイアンゲートダム-黒海の系(図1中の地域3.)における長期変化であるが、地球環境上で最重要なアジア域における知見が不足している。
 一方、有害赤潮(HAB)の問題は世界の沿岸海域に広がりつつあるが、シリカ欠損との関連については十分立証されていない。SCOPE(環境問題特別委員会)は、シリカ欠損の地球環境問題としての重要性を考慮し、2回の「シリカ循環ワークショップ]を主催した。また、UNEP(国連環境計画)は日本海・黄海の環境保全を目的とした北西太平洋地域海行動計画(NOWPAP)を策定し、日中韓露の政府間協力事業として開始させた。その中でNOWPAP/3-WG2およびWG2が、それぞれ「河川経由・直接負荷によ
る海洋汚染」および「有害赤潮のモニタリング」という課題の専門的作業グループとなって検討を行っている。NOWPAP/3にはシリカ欠損という視点は陽には含まれていないが、両課題にとって水系改変と汚染負荷の複合した海域環境変質という要素は不可欠であり、今後考慮されるべきであると考えられる。

2.研究目的

 この課題ではシリカ仮説の検証を行い、その科学的な不確実性を解決してゆくとともに、今後の地球規模の水系の環境管理への提言を行うことを目的とする。検証のためのフィールドとして、以下のような理由で、琵琶湖(仮想大ダム湖)-淀川-瀬戸内海(以降BYS水系と略称、図1)を選んだ。i)日本は高度経済成長期に進行したN、P負荷増大とその後の削減という双方向の人為影響を経ており、それに対する水域の応答のデータは世界的にみても重要である。特に、海域の珪藻/非珪藻存在比の検証材料となる瀬戸内海の赤潮の長期時系列データは他国には存在しない。A)シリカ欠損に関しては、欧米に比べてアジア水域の知見が少ない。特にモンスーンアジアでは、高温時に多雨が重なるためDSiの溶出率が高く、本来シリカ欠損は起こりにくいが、経済成長が著しいため、同等の環境変質が起こるかもしれず、その評価を行うことが世界的にも重要視されている。我国は火山性土壌が多く、河川が短いためさらにシリカ欠損は起こりにくい状況を呈している。そうであるがゆえに、我国の水系について検証できれば、この仮説が地球規模で重要であることが証明できるといってよい。

3.研究の内容・成果

 以上のような目的から、サブテーマ(2)は陸水域のシリカ欠損の解析を中心とし、サブサブテーマ(2)-,任論己化学的要因によるシリカ循環過程を明らかにする。(2)-ではBYS水系におけるシリカのソース、シンクを明らかにするとともに、簡略なモデルにとりまとめる。(2)-△任蓮BYS水系とは諸元の異なる信濃川水系を対象とし、ダムの多い犀川と少ない千曲川の比較をおこなってシリカ欠損仮説の検証を的確に行う。さらに、NOWPAP海域(図1の地域2.)に流入する信濃川水系の知見を得る。
 サブテーマ(3)ではシリカ欠損の海域生態系への影響の解析を中心とし、サブサブテーマ(3)-,任牢霑壇な珪藻、非珪藻植物プランクトンの培養実験とともに瀬戸内海域の観測船による調査を行う。(3)-△任論限峽魯皀妊襪砲茲蝓■痢■弌Siの増減が珪藻類、非珪藻類の競合にはたす役割を検証する。
 サブテーマ(1)では、瀬戸内海域についてはフェリーを利用して海洋上層の時系列観測を行い(図1下段)、(3)-,猟敢坐イ砲茲覬直プロファイル観測と相互補完的に海域での生物地球化学的過程を明らかにする。さらに、他のサブサブテーマの知見を統合する。さらに、本研究課題で得られた知見をこれまでにシリカ欠損に関して世界の報告例(図1中の地域3.〜7.)と比較・適用し、シリカ欠損過程の検証を的確にすることを目的とする。



 以下に、各サブ(サブ)テーマごとの内容・成果を列記し、それらを課題全体としての考察と成果をそれ
ぞれ4.と5.にまとめる。

 (1)リン・窒素・シリカ流入変動に対する海域の応答に関する総合解析
 「シリカ欠損仮説」を、BYS水系のデータ解析によって検証した。特に、陸水域の長期変動を調べるため小林純の河川水質データを発掘・電子化し、海域の気象への短期応答を調べるためにフェリーを利用した高頻度観測を行った。その結果、琵琶湖がSiのシンクになっていること、時間的には1950年代から1970年代にかけてsiのシンクが強まったが、1990年代には弱まった(Si濃度が回復した)と推定できた。この理由は、琵琶湖の植物プランクトン増殖がP制限であり、SiのシンクもP負荷の増減に制御され
ていることによると考えられる。仮説の後段、すなわち海域の珪藻/非珪藻量比の関係は、海域を一律に扱うのではなく、河口隣接域(大阪湾北東部)とその他の海域を分けて定義することによって説明できる。すなわち、河口隣接域では、上流停滞水域でDSi/DIN(溶存無機窒素)の相対比が減少しても、海域に流入するDSiの絶対濃度は海域表層よりも高く、しかも陸から直接負荷されるNとPも高いため3元素ともに制限要因にならず、成長率の早い珪藻類が卓越する(DSi欠損であってもDSi制限には至ら
ない)。ここでの珪藻増殖でさらにDSiを奪われた海水が分散して他の海域上層のDSi濃度を下げ、珪藻類の沈降を促し、この結果上層に渦鞭毛藻の増殖する余地ができる、という説明である。
 世界の主要な水系のデータを検討したところ、開発が進んだ流域の河川ほどDSi/DIN比が低く、河川に比べて湖水のDSi濃度は低くなっていた。すなわち、静水効果とN、P富栄養化があいまってシリカ欠損を招いていることが推定できる。また、ミシシッピ水系では、河川部のDSi/DIN比が低下したのにもかかわらず、その河口隣接海域ではむしろ珪藻類の増殖がめだっており、瀬戸内海域と同様であった。このように、シリカ欠損仮説の海域植物プランクトン構成への適用は単純ではないが、海域の物理・珪藻類の動態特性を考慮することにより地球規模での有意性が推定できる。

(2)陸水域のシリカシンクに関する研究
_論遏Ω仂造砲けるシリカ循環の生物地球化学過程に関する研究
 陸水域の停滞水域におけるDSi減少過程の詳細を把握するため、琵琶湖を停滞水域の仮想的大ダム湖と想定し、主に生物的要因によるDSiの変動過程を調査・評価した。まず、琵琶湖とその集水域におけるDSiの分布とその変動について調査し、その結果、琵琶湖のような水滞留時間が長く、水深の大きな水域はDSiシンクの場として大きく作用していること、各河川のDSi濃度は各河川の集水域地質に主に依存すること、そして、増水時(降雨時)における1フラッシュによって平水時の数倍から数十倍に相当するDSiの負荷があることを示した。次に、琵琶湖とその集水域における各態ケイ素の分布を調査した。その結果、全ケイ素の大部分はDSiとして存在しており、BSi、コロイド態ケイ素(CSi)、鉱物態ケイ素(LSi)は全ケイ素の数%から数十%の範囲にあることが明らかとなった。また、琵琶湖に流入したDSiは、主に、浮遊珪藻によって取り込まれBSiとなり、その後、沈降過程における珪藻被殻の分解により、CSiを経て、再びDSiへと回帰するものと考えられる。また、一部のBSiは完全に分解されることなく沈殿・堆積しており、琵琶湖湖底堆積物中には多量のBSiが存在していることが明らかとなった。さらに、BSiを中心とした沈降粒子の動態を調べた結果、循環期には比較的珪藻類が優占し、BSiが大きく分解を受ける前にすみやかに表層から深層へと沈降するため、湖水中からのDSi除去作用が大きくなることがわかった。以上のことから、琵琶湖におけるシリカシンクの規模は、主に湖内の生物作用、つまり珪藻によるDSiの取り込み、そして珪藻被殻の湖底への沈降・堆積の程度によって決まると考えられる。

▲瀬犖个砲けるシリカシンクとNOWPAP海域への流入負荷に関する研究
 BSi水系とは諸元を異にする信濃川水系を対象として、シリカ欠損仮説をより的確に検証するため、2002年8月から30ヶ月間、月1度の頻度でDSiその他の陽、陰イオンの分析を行い、時系列変化と流下方向の変化を解析した。まず、ダム湖が点在する犀川の231μMに比べて、ダム湖が少ない千曲川の平均DSi濃度は429μMであり、1.86倍高いことが判明した。また、渇水期であった2002年8月に、犀川の生坂ダム上流側よりも下流側で、DSi濃度が低下していること、しかも、DSi低下分とDIP低下分の比が珪藻増殖に必要なSiとPの比(レッドフィールド比)に近かった。ただし、その後の調査ではこのような現象が常に顕著であるわけではなかった。また、犀川のより上流部分においてもDSiの減少は顕著ではなかった。したがって、現象としてはこのダムで弱いSiシンクが機能するものの、通常期の水の滞留時間(容積/通過流量)が数日以下で琵琶湖の5〜8年に比べて短いことによると考えられる。すなわち、シリカシンクには水の滞留時間が重要である。DSiの溶出源として存在するLSiとBSiのうち、BSiの定量分析は非常に煩雑であり、世界的に統一的な評価を行うことが難しい状況となっている。そこで、本研究では、湖底泥や珪藻土を試料として、LSiとBSiの半自動形態別分析法(アルカリ連続抽出法)を開発するとともに29Si核の固体高分解NMR法によるBSiの化学的特徴付けを行った。これらの基礎的な知見・技術は、今後のSiの動態研究に寄与すると考えられる。

集水域におけるリン・窒素負荷とシリカシンクのモデル化
 BYS水系のシリカシンクの簡略なモデル化をめざし、現今のDIP、DSi分布を1950年代測定結果と比較した。高度成長の影響を受けて現在DIPは緩やかに減少しているがDSiは50年代と大きな違いはみられなかった。琵琶湖集水域では南湖や野洲川近隣河川のDSiが高く、流量を重みとする平均DSi濃度は178μM、また瀬田川流出水の年平均濃度は33μMで、流入したDSi量の80%が湖水でシンクを受けることになる。このシンクは湖岸のアシや湖水・底泥の珪藻やデトリタスとともに蓄えると考えられる。
1979-2000年の資料では湖水のDIPとクロロフィルが減少しDSiは窒素とともに増加している。また実験により、DSiはアシや稲ワラからも溶出し、その率は低温・酸性で低く、高温・塩基性で高くなることを確認した。以上の結果を考慮し、琵琶湖流出河川のDSiと放流量を与えて、流域の水文・水理過程と季節変化を表現する流域総観モデルとともに表面・地下水の水質が河川水に反映されるタンクモデルに記述した。前者は河道位数則・レジム則・抵抗則及びキルヒホッフ則を用いて流域の水収支を表し、解析解・実験式・経験式で熱、懸濁・溶存物収支を月単位で計算し、後者は日雨量を与え表面及び基底流出の配合比率で水質が形成されるとしてDSiなどの濃度を予測する。3段タンクモデルを淀川水系の4次以上の流城に適用し、1991年の流況との比較で流出解析のパラメータを検討し、水質解析では家庭・水田の排水効果を考慮した。その結果、モデル計算結果は概ね観測値の変動幅を再現した。さらに、モデルでは、DSiの起源として、土壌浸出のほか、シリカ肥料、稲ワラからの溶出も考えられること、それらが表面・中間及び基底流出のどの経路からも河道に流出してくることが表現された。また淀川下流のDSi濃度変動は2002年寡雨、2003年多雨、2004年は台風で特徴づけられる降雨特性に応じて変わること、琵琶湖のシンクがある宇治川と高DSiの木津川・桂川の流量比によって決まることが確認された。

(3)海洋生態系へのシリカ減少の影響評価
 \御実験系および海域現場観測による海洋生態系へのシリカ減少の影響評価
 ケイ素負荷量の減少が沿岸・内湾域生態系、特に植物プランクトンを中心とした低次生産機構に及ぼす影響を評価することを目的とし、大阪湾において、周年にわたり、栄養塩、BSiおよびクロロフィルa濃度の分布調査を行った。その結果から、大阪湾では、珪藻類の増殖が栄養塩によって制限を受ける状況はまれで、そのような状況が生じたとしても、ケイ素よりもリンがまず制限因子となるであろうことが示唆された。また、大阪湾におけるケイ素の循環過程の特徴として、湾奥部でケイ素をトラップする機構が働いていること、ケイ酸塩の負荷源として底泥からの溶出が重要な役割を果たしていることなども確認された。一方、リンおよびケイ素の濃度を制御した混合培養実験の結果からは、DSiの負荷量(濃度)が低下すると、珪藻類から鞭毛藻類へ優占種群が遷移するというシリカ欠損仮説の根拠となる理論の正当性が再確認されるとともに、その遷移が2〜3μMの濃度域で起こることを示した。さらに、DSiのみならず、DIPの負荷量(濃度)が変化しても植物プランクトンの優占種群が変化することを実験的に示し、沿岸・内湾域における植物プランクトンの群集構造を考える上で、単独の栄養塩の負荷量(濃度)に加えて、ケイ素を含めた各栄養塩類間の負荷量(濃度)のバランスを考慮する必要があることを指摘した。

■痢■弌Si依存型の海洋生態系モデルによるシリカ減少の影響評価
 窒素、リン、珪素を含んだ海洋生態系モデルを瀬戸内海のうちの大阪湾に適用し、卓越赤潮種の変化の要因を明らかにすることを試みた。大阪湾北東部は、基本的に珪藻類赤潮が卓越する海域であるが、長期的には1990年代前半よりも後半のほうがその卓越が顕著になった。この2つの期間の条件の差に着目して卓越の要因を明らかにする。まず、大阪湾奥に、夏季躍層が発達する表層3mのボックスを設定し、毎年赤潮が発生する8月の海況を1990年〜1999年の間再現する。国土交通省による淀川の河川流量、リン、窒素、珪素濃度データ、大阪府水産試験場による大阪湾奥における水温、塩分、栄養塩、植物プランクトン濃度観測データ、大阪地方気象台による日射量データを用いた。最初に、河川流量と塩分データを用いて、ボックスにおける水平・鉛直移流、水平・鉛直渦拡散係数の経年変動を推定した。次に、このボックスに栄養塩3種(DIP、DIN、DSi)、植物プランクトン2種(珪藻、渦鞭毛藻)、動物プランクトン、デトリタス、溶存有機態リン・窒素(DOP・DON)をコンパートメントとし、渦鞭毛藻の日周鉛直移動を考慮した数値生態系モデルを適用して、大阪湾奥上層における毎年8月の栄養塩濃度、クロロフィルa濃度の経年変動を計算した。計算結果のうち全リン濃度の経年変動は観測結果をよく再現したが、クロロフィルa濃度は観測値よりやや低めの値となった。しかし、計算された珪藻と渦鞭毛藻の濃度割合の経年変動は、赤潮発生件数の割合の経年変動をよく再現した。以上の海洋生態系モデル計算結果から、大阪湾奥で1990年代前半渦鞭毛藻赤潮が卓越し、1990年代後半珪藻赤潮が卓越した理由は、半飽和定数が珪藻より高い渦鞭毛藻が近年のリン濃度減少のために、以前より増殖しにくくなったことがその主な原因であることが推定された。

4.考察

 サブテーマ(1)、(2)の結果から、琵琶湖がその静水効果とN、P負荷によりシリカのシンクになっていることは確定したといってよい。琵琶湖流入水で平均DSi濃度が170μM台であるのに対し流出水で30μM台なので7-8割が湖で沈降していることになる。湖水の珪藻類の増殖はSi制限ではなく、基本的にはP制限でコントロールされている。したがって、N、P負荷が増大した高度経済成長期には湖水の珪藻類が増加し、その吸収・沈降によってDSiの流下が減少したと推定される。そして、1990年代以降、規制等により湖へのP負荷が減少したため、DSiの溶出は回復したもようである。ミシガン湖においてもDSi濃度の回復が報
告されており、湖沼へのP削減は有効であると推定される。
 シリカ欠損分の割合は、停滞陸水域の滞留時間(より詳細にはさらに水深、成層度)に依存していると考えられる。琵琶湖では流入したDSiの大半が欠損するのに対し、信濃川の生坂ダムでは、渇水時にはシリカ欠損が顕著だが平常時にはそうはならない((2)-)。DSiの土壌からの溶出率は地質の影響を受け、琵琶湖集水域中でも流域によって差異がある。また、個々の降水・増水サイクル(1フラッシュ)がDSiの流下量増加に直結している((2)- ↓)。これは、DSiが溶出してくる速度は比較的速く、NやPほど増水によって希釈されないことを示している。堆積岩(特に石灰岩)起源の土壌が多いヨーロッパに比べ、火山性土壌の多い日本では基本的にDSi溶出が多い。さらにモンスーンによって高温期に降水が多いこともDSi溶出・流下を大きくしている。さらに、稲作(DSiを陸上植物のなかで最も多く吸収する)やシリカ肥料の投与など、欧米にないソース・シンクも大きく((2)-)、これらが現今のシリカ欠損仮説には考慮されていない。
 シリカ欠損は二段階、すなわち停滞陸水域のみでなく、海域のうち大阪湾奥のように陸からの直接的なNとPの負荷が大きい領域でも起こっていることが推定される(サブテーマ(1)、(3)-)。海域の「仮想的シリカ欠損量」を、流入したDSiが河川水と海水との混合で保存された場合のDSi分布と観測によるDSi分布の差で定義すると、これが大阪湾奥で極大となり、琵琶湖で欠損する分だけでは説明できず、むしろ量的には大阪湾で欠損する割合のほうが大きい。
 シリカ欠損は確かに珪藻類/非珪藻類組成比に影響を及ぼし、珪藻類が卓越するかどうかの遷移はDSi濃度が2〜3μM付近にある((3)-)。この値はEgge & Aksnes(1994)のメゾコズム実験による推定値とも符合する。ただし、実際の海域の珪藻類/非珪藻類組成比はDSi/DIN相対比あるいはDSi/DIP相対比から単純に説明できるものではなく、見かけ上シリカ欠損仮説と矛盾する点もある。第一に、琵琶湖でDSiの欠損が起こるのにもかかわらず、それが流入する大阪湾奥部では珪藻赤潮が卓越し、むしろ
それから離れた播磨灘で渦鞭毛藻赤潮が多いこと、第二に、夏の降雨で海域のDSiが増加した後の時期と有害赤潮(渦鞭毛藻)が発生する時期が重なることである。
 第一の点については、大阪湾奥部のような海域を「河口隣接海域」として他の海域と区別して考えると有効である(図2)。この領域では、上流でDSi相対比が低下しても、DSi濃度の絶対値としては制限要因とならないし、NとPの直接負荷が大きいため、N、P、Siとも制限要因になりにくい。(強いて言えばPが制限要因になりやすい、(3)-´)。この結果、まず増殖速度の大きな珪藻類が増殖する。珪藻の増殖でDSi濃度が奪われた海水が播磨灘など他の海域に分散し、そこで珪藻類の卓越度を低下させ、DSiに依存しない鞭毛藻類赤潮が起こる。ミシシッピー川水系(図1-地域4.)でも、同川で長期的にDSi/DIN比が減少したにもかかわらず、同河口沖ではむしろ珪藻バイオマスが増加し、HABの増加はやや離れたフロリダ半島沖でよく報告されており、この説明があてはまると考えられる。



  第二の点については、珪藻類と渦鞭毛藻藻類の挙動の差異によると考えられる。すなわち、春季ブルームでDSiが枯渇すると珪藻類は浮力を減らして沈降してしまう(Bienfang,1988)。夏季の降雨で表層にDSiが増加しても水温成層および塩分成層が障壁となって珪藻類は浮上できない。珪藻が上層に戻れるのは秋季の海面冷却によって上下混合が始まってからである。鞭毛藻類は、鉛直遊泳ができ、夏の間競合する珪藻が少なくなった上層の光と下層の栄養塩の双方を利用できるからである。
 以上を総合すると、N、Pの要因だけでは珪藻赤潮(無害)と鞭毛藻赤潮(有害)の発生比を説明できず、Siの要因を考慮する必要がある。また、「シリカ欠損」は起こるが、P制限に比べて「Si制限」になる場合は少ないと考えられる(サブテーマ(3)- ↓)。ただし、ヨーロッパ等に比べ本来シリカの供給が大きい日本の水系でも珪藻赤潮/鞭毛藻赤潮の割合がSiに影響されるらしいことから、シリカ欠損仮説はグローバル水系に適用されるものと考えられる。端的な例は、長江(図1-地城6)への三峡ダムの建設によるDSi流下の減少である。また、渇水期の調査結果(サブテーマ(1)、(2)-◆↓)が示すように、DSi相対比の低下以上に、河川流量低下によるDSi流下絶対量の低下が海域の珪藻赤潮/鞭毛藻赤潮の割合に影響を与える。すなわち、黄河の「断流」や「南水北調」による長江の流量低下、さらに汎く気候変動によって流入が減ると予想される流域の変質も懸念される。

5.課題としての成果の要約

1)琵琶湖-淀川-瀬戸内海水系のデータを精査することにより、2段階(琵琶湖および大阪湾奥)のシリカ
 欠損過程を検証できた。また、海域の珪藻赤潮/鞭毛藻赤潮の比がN、Pの過程だけでは説明でき
 ず、Siの過程を考慮してはじめて説明できる。
2)シリカ欠損の海域影響については、従来の仮説、すなわちN:P:Siの元素比(stoichiometry)だけの議
 論では説明できず、「河口隣接域」を他の海域と区別して取り扱うことや、珪藻類がDSi枯渇で沈降す
 るなどの詳細な過程を議論に含める必要があることもわかった。
3)高度経済成長期以前も含む小林純の河川水質データの発掘・電子化を行い、またフェリーをプラット
 フォームとした観測から瀬戸内海表層の栄養塩の長期・高頻度データセットを整備した。両データセッ
 トとも、長期時系列的要素と広域記述的な要素を備えており、広汎な環境変動解析に貢献できる。
4)「陸水域のシリカ欠損とその海域影響の可能性」のシンポジウムを開催し、本研究課題のアピールと
 ともに、学識経験者からの話題提供をいただき、包括的な知見を集積した。
5)UNEP-NOWPAP/3-WG2への国別レポート中のResearch Activityの項にシリカ欠損過程の記述を含
 め、国際環境行政への提言とした。
6)本成果の主論文はAmbio誌(スェーデン王立科学アカデミー刊)で受理され、「地球規模でみて陸か
 ら海へのケイ素供給のキーエリアでありながらデータ・知見の少なかったアジア域においてシリカ欠損
 過程を検証した貴重な研究」との評価を得ている。
7)本研究内容が、国土交通省による河川整備基金事業「栄養塩濃度が河川水質環境に及ぼす影響
 に関する研究報告書」、水産庁・林野庁・国土交通省による国土総合開発事業「森・川・海のつなが
 りを重視した豊かな漁場海域環境創出方策検討調査報告書」に引用され、行政施策へのアウトカム
 として挙げられる。

6.研究者略歴

課題代表者:原島 省
  1950年生まれ、京都大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士、現在、独立行政法人 国立
  環境研究所 水土壌圏環境研究領域 海洋環境研究室長

主要参画研究者
(1) :原島 省(同上)

(2) Щ暗賃悉鏈管
  1946年生まれ、名古屋大学大学院理学研究科博士課程退学、理学博士、現在、滋賀県立大
  学環境科学部環境生態学科教授
(2):樋上 照男
  1952年生まれ、京都大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士、現在、信州大学理学
  部化学教室教授
(2):大久保 賢治
  1954年生まれ、京都大学大学院工学研究科修士課程修了、工学博士、現在、岡山大学大学
  院環境学研究科・社会基盤環境学専攻・都市環境創生学講座・流域都市水工学分野教授
(3):樽谷 賢治
  1964年生まれ、広島大学大学院生物圏科学研究科博士課程修了、学術博士、現在、独立行
  政法人 水産総合研究センター瀬戸内海区水産研究所生産環境部環境動態研究室 研究員
(3):柳 哲雄
  1948年生まれ、京都大学大学院理学研究科修士課程修了、理学博士、現在、九州大学応用
  力学研究所シミュレーションセンター長 教授

7.成果発表状況


H. Miyake, K. Nozaki, and O. Mitamura: Verh. Internat. Verein. Limnol. , 28, 1727-1732(2002)
"Chemical characteristics of small lagoons"Naiko"connected with Lake Biwa"
T. Yanagi: J. Oceanogr. , 58, 797-804(2002)
"Water, salt, phosphorus and nitrogen budgets of the Japan Sea"
8凝臂福Э經超学会誌,26,621-625,(2003)
「陸水域におけるシリカ欠損と海域生態系への影響」
M. Hinatsu, Y. Tsukada, Y. Minami, H. Tomita, and A. Harashima: J. Adv. Mar. Sci. Tech. Soc. ,
9,37-46(2003)
"A. Study on original location of water sampled through inlet set on volunteer observing ship"
ヌ哲雄、原島 省:海の研究,12,565-572(2003)
「瀬戸内海における溶存態無機リン・窒素・珪素分とその要因」
Ω刀正行、藤森一男、中野 武、原島 省:分析化学、53、1375-1387(2004)
「フェリーを利用する海洋観測プラットフォームの開発及び日本近海における海洋汚染観測」
Ч掌啓介、樋上照男、野村俊明:分析化学 53,419-427(2004)
「モリブドリン酸アンモニウム沈殿の水晶発振子への付着を利用するリン酸イオンのフロー
分析法の開発」
C. Mizuno, S. Bao, T. Hinoue, and T. Nomura: Anal. Sci. , 21, 281-286(2005)
"Adsorption behavior of metal ions onto a Bovine Serum Albumin(BSA)membrane monitored
by means of an electrode-separated piezoelectric quartz crystal"
柳哲雄、白木喜章:海の研究, 13, 197-205(2004).
「冬季周防灘の栄養塩収支」
原島省:沿岸海洋研究, 43, 39-44(2005)
「フェリーモニタリングデータに基づいたシリカ欠損仮説の検証」
A. Harashima, T. Kimoto, T. Wakabayashi and T. Toshiyasu: Ambio(accepted) "
Verification of the global silica deficiency hypothesis based on biogeochemical trends in 
The aquatic continuum of Lake Biwa-Yodo River-Seto Inland Sea, Japan"