報道発表資料本文


都市型環境騒音・大気汚染による環境ストレスと健康影響に関する環境保健研究
(平成4年度~平成7年度)

                          国立環境研究所特別研究報告

はじめに
 現在、なお解決が困難とされている主要な都市環境問題である道路交通由来の騒音
と大気汚染(とくにデイーゼル排ガス)について、それらによるストレスと健康影響
を疫学的に評価すること目的として本研究が実施された。
幹線道路沿道での交通騒音が環境基準を超える地域があり、とくに夜間交通量の増加
を反映して夜間も昼間レベルと変わらない騒音レベルの地域も増加傾向にあることか
ら、沿道住民の「環境ストレス状態」の一側面としての睡眠影響についてより詳細な
検討が必要と考えられた。また、近年、ディーゼル排ガス由来の浮遊粒子状物質
(SPM)には、動物実験により生体の抗原-抗体反応(アレルギー反応)を増強する作
用が示唆されており、都市部を中心として急増傾向にあるとされる各種アレルギー疾
患への影響が憂慮されているが、その関連性についてはなお不明の点が多い。そこで
アレルギー疾患の代表格であるスギ花粉症の疫学調査を計画し、その中で大気汚染の
影響についてモデル的に検討することにした。スギ花粉症は集団内での有症率も高
く、明らかな季節性があり、また自覚症状が比較的明瞭であるなどの特徴があること
から、疫学調査の対象としては比較的扱い易い疾患と考えられた。

研究の概要
本研究で得られた成果を要約すると以下の通りである。
[1]. ストレス評価のための心理・生理学的実験研究
心拍間隔変動スペクトル成分による自律神経系活動の評価法については、これまで主
として、循環系等の疾患に関連した臨床評価、労働環境中の有害因子による健康影響
の評価、心理生理学・人間工学における精神作業負荷量の測定などへの応用が検討さ
れてきた。本研究では、一般生活環境下でのストレスの生物学的評価法としての有用
性について検討した。
その結果、心拍間隔変動スペクトル成分の自律神経活動指標としての利用に関して
は、その評価方法に関する重要な点がいくつか明らかになった。すなわち、1)心拍間
隔変動の呼吸性洞性不整脈成分については、呼吸速度による影響は簡便な方法で補正
可能である。2)心拍間隔変動の食事による影響を除くには食後120分以上を要する。
3)心拍間隔変動スペクトル成分により示される自律神経活動は軽度の肥満によっても
影響を受ける。4)日本人の健康男子集団において通常みられる頻度の喫煙・飲酒で
は、心拍間隔変動スペクトル成分への影響は大きくない。
以上のような評価方法上の問題点を解決した後、心拍間隔変動スペクトル成分により
評価した自律神経系活動と、個体のストレス状態との関連性を検討した結果、心拍間
隔変動スペクトル成分を用いることで、精神作業負荷による交感神経系活動の一過性
の亢進やその回復過程に対する音暴露の複合的影響を評価することが可能であり、こ
の評価のために同成分は心拍数よりも鋭敏な指標であることが明らかとなった。

[2].都市環境における複合的ストレス状況の評価のための調査研究
都市環境における複合的ストレス状況の評価に関連して、大都市での職域における断
面調査と、地域における不眠症の断面調査を行った。
職域での断面調査は、前述のような基礎的検討を加えてきた心拍間隔変動スペクトル
成分による自律神経系活動評価法を大都市勤労者におけるストレス評価に適用した。
その結果、職域健診時に測定した自律神経系活動のバランスが、遠距離通勤者や長時
間残業者では交感神経優位に傾いていることが示された。この結果は大都市勤労者の
複合的ストレス状況を特徴的づける遠距離通勤や長時間残業などの要因によってもた
らされた慢性的なストレス状態を表している可能性がある。さらに、このような生理
的状態は、仕事等に関する主観的なストレス感とは必ずしも対応しないことも示唆さ
れたが、こうした状態の意義や、それが持続した場合の健康影響等をさらに明らかに
するためには、心拍間隔変動の長期連続モニタリング、これと睡眠等ライフスタイル
全体との詳細な関連の検討など、なお多くの課題が残されている。
地域での断面調査は、各種要因による複合的ストレス状態としての、不眠症に関する
疫学調査である。成人女性住民を対象とする断面調査からは、以下のことが明らかと
なった。1)不眠症のリスクファクターとして加齢等の要因が見出され、これらが従来
の疫学的・臨床的知見と整合したことは結果的に、上記の不眠症判定基準の妥当性を
支持した。2)幹線道路の沿道を除けば、各種リスクファクターの影響を考慮した場合
の不眠症有症率の地域差は小さかった。3)幹線道路の夜間道路交通量と沿道直近にお
ける不眠症リスクとの間には直線的な関係がみられ、夜間道路交通騒音が沿道住民に
とって不眠症の有意なリスクファクターであることが確かめられた(図1)。4)交通量
のもっとも多い地域において睡眠時騒音暴露レベルを実測したところ、不眠症群では
対照群よりも睡眠時騒音暴露レベルが高いことが確認された。5)寝室内騒音レベルか
ら不眠症リスクを評価する場合には、騒音評価指標として等価騒音レベルが優れてい
ることが示唆された。

[3].都市型大気汚染状況とアレルギー疾患の関連性に関する研究
スギ花粉症と大気汚染の関連性を明らかにするために地域集団における疫学調査をは
じめとしていくつかの調査研究を実施した。
平成5年度から平成7年度までの3年間、スギ花粉の飛散が終わった6月ないし7月に、関
東地方の5地域(茨城県日立市、茨城県水海道市、東京都葛飾区、川崎市川崎区、川崎
市麻生区のそれぞれ一部地域)、各地域1000名を対象とした郵送法による質問票調査
の結果は、スギ花粉症と大気汚染の係わりを積極的に支持するものではなかった。す
なわち、各年度の断面調査においては各地域のスギ花粉症有症率は主としてスギ花粉
飛散数と対応しており、性、年齢、アレルギー性疾患の家族歴などの関連要因の地域
差を考慮しても、大気汚染度との関連性を見いだすことはできなかった(図2)。平成
6年度および7年度の追跡調査においても、スギ花粉症の新規発症率が大気汚染レベル
の高い東京および川崎の対象地域でやや高い傾向がみられたものの、有意な関連性は
みとめられなかった。ただし、今回の地域集団における調査はスギ花粉症の自覚症状
を対象としたものであり、発症の前段階としてのスギ花粉への感作に対する大気汚染
の関与を検討したものではない。

今後の検討課題
本研究を通して、道路交通騒音による中高年女子での不眠症への影響についてほぼ定
量的に整理され、また、大気汚染によるスギ花粉症発生への増強効果は、少なくとも
中高年者では認められなかった。都市環境に係わる自動車交通による汚染がなお改善
されず、夜間の交通騒音やSPMの汚染状況が続いている現状においては、さらに今回検
討し切れなかった諸条件についても引き続き検討を重ね、より総合的な環境保健サー
ベイランスを継続していくことが必要と思われる。

担当者連絡先
国立環境研究所 地域環境研究グループ都市環境影響評価研究チーム 新田 裕史
(電話 0298-50-2497) 


用語説明

心拍間隔変動:
健康者が安静にしている場合でも心拍は完全に規則的ではなく、リズムのわずかな"ゆ
らぎ"(=心拍間隔変動または心拍変動)が観察される。心拍間隔変動の中には何種類
かの周期の異なる"ゆらぎ"が含まれる。このうち呼吸に同調した"ゆらぎ"は自律神経
のうち心臓副交感神経の活動に、より遅い周期(10秒に1回前後)の"ゆらぎ"は末梢
血管の収縮を支配する交感神経の活動に関係する。

不眠症:
最近の定義では、客観的にどれだけ眠っているかではなく、主観的に睡眠不全感が強
いことが不眠症の条件とされる。本研究では、1)睡眠のことで困っており、2)入眠困
難・中途覚醒・早朝覚醒・熟眠困難の4症状のうち1つ以上が、週1日以上ある状態
が、1カ月以上持続しており、3)このため翌日に「気分がすっきりしない」「仕事の
エラーが増える」などの問題が生じている場合を、不眠症と定義した。なお狭義には
これに加えて、「今夜もまた眠れないのではないか」と心配するためにますます眠れ
ない、という条件を加えることもある。

等価騒音レベル:
環境中の騒音レベルはふつう時々刻々変動する。ある時間帯の平均的な騒音レベルを
表す指標には各種あるが、音の物理エネルギーを時間平均した等価騒音レベルが世界
的にもっともよく使われる。各種指標の中で、人間の心理的不快感との相関がもっと
も高いといわれる。記号はLAeq、単位としてはdB(デシベル)を用いる。

浮遊粒子状物質:
大気汚染物質のひとつであり、大気中に浮遊する大きさが10μm以下の粒子をいう。大
気の汚染に係る環境基準が定められている。都市大気中ではその発生源としてディー
ゼル排出粒子の寄与が大きいことが知られている。

スギ花粉症:
鼻や眼の症状を主とするスギ花粉によるアレルギー疾患である。本研究では、質問票
への回答に基づいて、「鼻症状(くしゃみ、鼻水、鼻づまりのうちの2つ以上)と眼
症状(かゆみなど)がかぜをひいていないのに、毎年のように繰り返して、早春に起
きるか、もしくは早春に強くなる。」場合をスギ花粉症とみなした。臨床的には症状
とアレルギー検査等の種々の検査を総合して診断される。





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