2. 生物多様性に関する施策の背景−我が国の生物多様性の現状−

(1) 自然環境の特性

 日本の国土はユーラシア大陸の東端に位置し、南北約3,000キロ、標高3,000メートル級の山岳を含む弧状列島から成り、国土の約4分の3は起伏に富んだ山地に占められている。
 気候帯としては亜熱帯から亜寒帯にわたり、気候は湿潤で、季節風の影響により四季の変化がはっきりしている。起伏に富み急峻な地形は我が国の気候を一層変化に富んだものとしており、本州では脊梁山脈を境に気候は大きく異なっている。
 また、我が国は4つの主要な島と3,000以上の属島から構成されており、生物相の面からは島嶼的性格が強いといえ、中には非常に特異な生物相を有する島嶼も含まれる。
 このような複雑な日本列島の気候や地形条件、また、その形成過程において繰り返された大陸との連続と分断の歴史は、我が国の生物多様性の成立に大きな影響を与えている。


(2) 生態系の多様性の現状

 我が国においては、国土の自然環境の現状を全国規模で把握する自然環境保全基礎調査を継続的に実施しており、その一環として全国土を覆う5万分の1レベルの現存植生図を整備している。
 第4回の調査結果(1988〜1992)によれば、我が国の国土は、67.0%が森林、22.8%が農耕地、4.4%が草原、4.2%が市街地・造成地となっている。また、人為による影響から見た我が国の植生は、自然性の高い植生(自然林等)、人為の影響を受けた植生(二次林、二次草原)、植林地、及び農耕地と市街地・造成地が、それぞれほぼ4分の1ずつを占めている。

−森林−
 森林は国土の67.0%を占め、生物の生育・生息の場として重要な役割を果たしている。我が国の森林は、その内訳をみると、自然林が26.9%、里山などの二次林が35.9%、残りの37.2%がスギ、ヒノキ等の植林地となっている。
 我が国の自然林には、亜寒帯性・高山性の針葉樹林、針広混交林から、温帯性の落葉広葉樹林、暖帯から亜熱帯の照葉樹林まで多様なタイプが含まれるが、大面積の自然林が残存しているのは北海道のみであり、全国の自然林の59.5%が北海道に分布している。その他東北及び中部地方の山岳部及び南西諸島にもある程度のまとまりで残されているが、それ以外の地方では山岳、離島等に小面積かつ断片的に分布しているに過ぎない。
 二次林は、人里近くに位置し薪炭材の生産や落葉等の採取に利用されてきたが、同時にこれらの環境に依存する多様な動植物の生息・生育の場としての役割も果たしてきた。
 このような我が国の森林の近年の推移は、森林面積全体では微減にとどまっているが、内訳をみると二次林及び自然林が減少し、植林地がわずかながら増加している。また、二次林の中には、人為的作用の減少に伴って植生遷移が進行し、燃料の採取等人々の営みを通じて維持されてきた多様な環境が失なわれつつあるものもみられる。

−草原−
 我が国の植生に占める草原の割合は、4.4%と大きくないが、採草・放牧地等として各地の山地に点在しており、大陸系遺存種等草原特有の生物の生息環境として重要である。 しかし、近年は草原の利用の衰退とともに森林への遷移が進行しており、これらの種の急激な減少が懸念されている。

−湿原−
 我が国の植生に占める湿原の割合はごくわずかであるが、生物の生息・生育環境として重要な生態系である。我が国の湿原は、基本的には降水のみによって涵養されるミズゴケ類を中心とする湿原とヨシ等を中心とする河川の中下流域に分布する湿原の二つのタイプに区分される。これらの湿原は、北海道から沖縄まで広い範囲に分布しているが、特に後者のタイプの湿原は、人の生活領域に近接しており開発等による影響を強く受けてきている。

−河川・湖沼−
 河川・湖沼では、水域及び河岸・湖岸が一体となった生態系が形成され、魚類等の水生生物のみならず、河畔に特有の植生やこれらに依存する小動物、水鳥類等の生息環境として重要な役割を果たしている。
 一方で高密度の土地利用が行われている我が国においては、多くの河川が人間活動に伴う環境の改変を受けている。一級河川の幹川等113河川(総延長11,412km)を対象にした第3回基礎調査(1985)による河口から幹川の上流の上端までの水際線の改変状況調査では、水際線の人工構造物化は21.4%であった。また、全国の主要な二級河川の幹川及び一級河川の支川等のうち良好な自然域を通過する河川等153河川(総延長6,249km)を対象にした第4回基礎調査(1992)による改変状況調査では、水際線の人工構造物化は26.6%であった。魚類の遡上状況をみると、74の幹川においては27河川が調査対象の最上流区間まで遡上可能で、37河川は総区間の80%以上が遡上可能区間となっており、また、79の支川のうち、遡上が確認される50河川については、7河川が幹川河口から最上流区間まで遡上可能、また、22河川は幹川河口から80%以上の区間まで遡上可能な河川となっている。
 同様に平野部の小川や水路においても、せき等の設置による本流との分断、あるいは構造物の設置などの水路の人工化による水生生物の生息・生育域の消滅や断片化がみられる。

−沿岸海域−
 潮間帯が自然のまま維持されている自然海岸は、生物の生産及び生息・生育の場として重要であるが、我が国においては高度経済成長期を中心に海岸線の人工的改変が進められた。1993年度の調査の結果によると、我が国の本土部分の海岸線19,134キロの38.0%が潮間帯に護岸等の工作物が設置されている人工海岸となっている。また、自然海岸の減少傾向も続いている。
 干潟は沿岸海域の中でも特に底生生物が豊かな環境であり、多様な沿岸性の魚類やシギ・チドリ類等の渡り鳥にとって重要な生息環境となっている。我が国では、干潟の多くは人口が集中し経済活動の盛んな内海や内湾に分布しており、埋立等による消滅が進行している。1989年から91年にかけて行われた調査の結果によると、我が国に現存する干潟は51,443haであり、1978年以降3,857haの干潟が失われた。
 我が国の南西諸島では、裾礁を主体とするサンゴ礁が発達している。我が国のサンゴ礁は、世界のサンゴ礁の分布の北限に当たっているが、黒潮の恵みにより造礁サンゴ類は高い多様性を有している。
 しかし、南西諸島の海域では、オニヒトデの食害や赤土の流入によりサンゴ類の生息状況が悪化し、一部を除き回復は進んでいない。1989年度から3カ年で実施されたサンゴ礁調査の結果によると、南西諸島海域のサンゴ礁の礁池内では、本来サンゴ類が生息可能な環境のうち良好な生息が見られたのは約8%にとどまっている。


(3) 種の多様性の現状

 我が国には、哺乳類が188種(亜種も含む数。以下同じ。)、鳥類が665種、爬虫類が97種、両生類が64種、また維管束植物7,087種等、多くの動植物が分布しており、国土面積の割には豊かな生物相を有している。さらに、例えば裸子植物及び被子植物の約35%が固有種であるように、その動植物相には多くの固有種が含まれている。
 このような我が国の生物相は、変化に富んだ地形や気象条件、また日本列島の形成過程で繰り返された大陸との連続と分断の歴史によってもたらされたものであり、近代に至るまでの長い歴史を通じて、その豊かさは維持されてきた。しかし、近代以降、特に戦後の経済の高度成長に伴って開発による生物の生息・生育地の消滅や分断、汚染等による生息・生育環境の悪化が進行し、国土の自然環境は急激に変化した。また、希少な動植物の乱獲なども要因となって、現在、我が国においては、多くの種がその存続を脅かされるに至っている。
 我が国では、1991年に、環境庁において動物のレッドデータブックを刊行している。
 その後、分類群毎に見直しを行っており、1997年8月には、両生類及び爬虫類のレッドリスト(レッドデータブックの基礎となる種のリスト)の見直しを終了している。また、植物については、1997年8月、環境庁においてレッドリストをとりまとめている。
 これらによれば、我が国に生息する哺乳類の約7%、鳥類の約8%、爬虫類の約19%、両生類の約22%、汽水・淡水魚類の11%が存続を脅かされている種として掲載されており、また、維管束植物の約20%が同様に存続を脅かされている種とされている。
 なお、我が国の種の多様性については、例えば昆虫類については、全種数が7万から10万種と推定されているのに対し、これまでに記載されている種は約3万種に留まっているなど未だその全体像が明らかになっていない分野も少なくない。また、それぞれの種に関しても国土全域の分布を知るためには、情報の空白域が数多く残されており、生物多様性の現状を把握するための基礎的情報の整備が急務となっている。


(4) 種内の多様性の現状

 すべての種は種内に遺伝的多様性を保持しており、生物多様性を保全する上で遺伝子レベルの多様性の保全は重要な課題である。種内の遺伝的多様性を保全するためには、同一種内の島嶼、水系など地理的に隔離された集団である地域個体群についても、その保全を図っていくことが重要である。
 環境庁が作成したレッドデータブック(1991)によれば、現在、我が国では哺乳類、両生類、淡水魚類、貝類などの分類群で32の地域個体群が絶滅のおそれが高いとされている。
 また、個体の人為的な移動・移入による地域個体群の遺伝子の攪乱も広がっており、それぞれの地域に保たれてきた遺伝的多様性の消失も懸念されている。
 我が国では、野生生物の遺伝的多様性の構造やその攪乱の現状はまだ十分把握されていないが、一方で、多くの地域個体群が消滅しつつあり、現状の正確な把握と問題点の抽出が急務となっている。