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むすび

―ト―タルな環境保全を目指して―
 我々の環境を巨視的に三つの相にわけてみることができる。人為のほとんど加わっていない原生自然と、人為によって作られた都市と、その間に展開している人為の加わった林野、農山村などの人為自然環境という3つの環境相であり、その中に我々の生活の基盤がある。
 産業化と都市化の進展する中で、この三つの環境相それぞれにおいて人為の圧力が高まり、自然の改変を通じて原生自然を減少させ、人為自然環境が保持している自然の価値を損い、あるいは環境の汚染を通じて都市域を中心に局地的ではあるが人々の生命、健康を脅かすまでに公害は深刻化した。
 このため、1970年代に入って、自然については、より厳しい開発規制によって原生自然を核とするかけがえのない自然を守り、一方では都市において身近かな自然を保護することを通じて、すぐれた自然景観や野生動物の保護の強化とあいまって国土に存在する多様な自然の多面的な価値を保全する総合的な自然環境保護政策の基礎が整備されてきている。また、1970年代に入って汚染防止の本格的な努力が始まり、工場、自動車などの環境の汚染・汚濁の発生源における排出・廃棄の規制が強化されることとなった。これらを通じて深刻な環境破壊を招く人為を規制することによって、事後的な対応という側面は有していたが、環境の危機管理が進んだのである。
 これによって行政と民間が一体となった公害の防止努力によって公害は一時的の危機的状況を脱し、環境汚染は全般的に改善傾向を示すこととなった。しかし、都市的な経済社会活動の増大、都市域の拡大などに伴って、我々の生活は、都市・生活型公害を始めとして汚染の改善の遅れている事業活動もあり、依然として多様な公害発生源に取り囲まれているのが現状である。
 一方、物的な消費はかなりの水準に達し、定住傾向が強まる中で住みよい環境に対する欲求が高まってきており、環境に対するニ―ズは高度なものとなってきている。このことは、環境政策がより幅広い展開を求められていることを意味している。生命・健康を脅かすような深刻な公害の防止にとどまらず、多様な環境汚染の改善を進めるとともに、三つの環境の相において自然の多様な活力を見直し、これを積極的に活用していくことが求められている。
 人間は、長い歴史の中で生産力の拡大を通じて安全・衛生、さらには利便を追及してきたが、今日の産業化社会とそれまでの農耕社会とでは、この人間の営為に伴って人間と環境との係わり合いが大きく変化してきている。
 農耕社会では、その生産も生活も基本的には自然の営みを律している自然の物質・エネルギ―循環に包摂されたものであったから、人間社会は自然災害、飢餓、疾病、風土病などの自然の脅威に対して脆弱なものであったが、自然の生態系の営みに従属しながら、自然と協調した環境との共生関係を形成してきていたといえる。
 産業化の進展に伴って、我々は石炭、石油、金属など埋蔵地下資源を大量に利用し、生産、流通、消費活動の拡大を通じて膨大な人工の物質・エネルギ―の流れを作り出してきている。この埋蔵地下資源を源泉とする人工の物質・エネルギ―の流れは自然の生態系の中にはなかったものである。この人工の流れの拡大を通じて、産業化社会は、高い安定性と計画性を持った生産力を獲得したが、一方において自然改変と環境の汚染・汚濁を伴った環境負荷を生み出すとともに、自然からの自律性の高まりによって農耕社会が持っていた自然との協調性を失ってきた。
 我々は、急速な産業化を通じて自然の物質・エネルギ―循環に従属した状態を脱け出して、自然の脅威を克服するとともに、人工の物質・エネルギ―の流れのいわば動脈流において高い安全と衛生と利便を備えた物的福祉を享受するようになったが、その同じ人工の物質・エネルギ―の流れのいわば静脈流で、大気、水、土壌の汚染・汚濁、騒音、振動、悪臭等を生み、また、大規模な治水、鉱山やダム開発、道路や鉄道や港湾の建設、工場立地、都市域の拡大などを通じて自然の改変を行っている。このような環境への負荷に伴って、自らの生命、健康を脅かし、あるいはかけがえのない自然の破壊と、生活を取り巻く環境の劣化をもたらすという産業化社会に特有な環境問題に直面することとなったのである。
 産業化の進展する中で、人間と環境との広い係わり合いはどのように変化してきているのであろうか。人間と環境とは基本的に3つの係わり合いを持っている。一つは、呼吸や水、食糧の摂取を行っている人間の基本的な物質代謝を通ずる環境との係わり合いであり、人類の長い歴史を通じて不変の基本的な係わり合いである。この環境との係わり合いは自然の生態系に包摂されて生存している生物一般に共通するものである。自然の生態系の働きに依存した食糧生産を行っている農業、漁業もこの基本的な環境との係わり合いに含めて考えることができる。
 二つは、産業化の進展に伴って拡大を続けている埋蔵地下資源を源泉とする人工の物質・エネルギ―の流れが作り出している産業化社会に特有な環境との係わり合いである。
 三つは、環境の物的な安全、衛生、利便の達成だけでは満たされない、環境に対する我々のニ―ズが求める環境との係わり合いである。このニ―ズは産業化と都市化の中で生活空間から失われていった環境の快適性を求める欲求であり、そこで求められているのは、歩くことを基本的な尺度とするヒュ―マン・スケ―ルを備えたのびのびした空間の開放感、緑や水辺の持つ自然の潤い、歴史的なものが与えてくれる時間の連続性の持つ安らぎを環境に求める人間の感性を通ずる環境との係わり合いであるといえる。
 これらの三つの人間と環境との係わり合いは、環境を資源と考えれば人間の三つの環境利用型態と考えることもできる。人間の基礎的な物質代謝を通ずるものを一次的環境利用、産業化を通ずるものを二次的環境利用、感性を通ずるものを三時環境利用と呼ぶことができるだろう。
 産業化と都市化の進展に伴って、高度成長期に典型的に表れたように本格的な公的管理が不充分なままに、二次的環境利用が急速に都市域を中心に全国的に拡大した結果、自然の改変を通じて環境の三つの相において自然の大幅な後退がもたらされるとともに、環境汚染を通じて一次的環境利用の障害から生命、健康を脅かすような深刻な公害と生活環境の劣化がもたらされ、また、環境の快適性を求める三次的な環境利用に対する強いニ―ズが顕在化してきている。このことは三つの環境利用のバランスが失われ、環境利用の混乱が生じたことを示している。
 このような環境利用の混乱は、産業化の進展の中で、専ら、人工の物質・エネルギ―の動脈流に着目して物的な安全、衛生、利便を追及してきた我々の営為が生み出したものであり、三つの環境利用のバランスに対する配慮を欠いたまま二次的環境利用の拡大を推し進めてきた機能主義と効率主義の限界を示したものである。この機能主義と効率主義は経済的資源制約に対しては有効な対応を示し、目覚しい物的福祉の向上をもたらしてきたが、環境との係わり合いにおいて環境資源制約というより大きな制約条件の中にあることを我々の前に示したのである。
 このことは、産業化以前の社会のように、人間社会が自然の生態系の営みに従属し、受動的にその制約を受けているのではなくて、産業化の進展によって、人為が環境を破壊し、その撥ね返りによって自らの生存の基盤が脅かされるという能動的な環境制約に直面することとなったことを示している。最近ほぼ10年余りの間に急速に進められてきた公害防止の努力は、産業化に伴う錯綜した環境利用を自ら能動的に制御していくことによって、産業化社会が環境資源制約に対応していける可能性を実証したものである。また、現在、国際的な関心を集めている地球的規模の環境問題は、環境の汚染、汚濁の地球的拡散と発展途上国の環境破壊という二つの側面から、このような環境利用の制御を地球的規模で検討していく環境政策の新しい対応が必要となっていることを示しているといえる.
 産業化と都市化の進展に伴って3つの環境相において後退を続けている自然についても、その多様な役割を見直し、産業化社会における自然との協調をつくり出していかなければならない。
 自然の多様な役割の一つは、我々の基礎的な物質代謝を通ずる自然の生態系との結びつきから生まれてくるものである。この自然との結びつきは生物一般に共通するもので、人間と他の生物が同じ生存の基盤を共有していることの認識に立って人為が自然にもたらす攪乱作用を監視し、生物の生存を守っていこうとするところに、自然保護も重要な視点の一つがあるといえよう。
 二つは、2次的環境利用を支えている自然の役割であり、国土保全がその中心にあるといえる。そして、三つは、物的な満足だけで満たされることのない我々の感性が求める自然との触れ合いの重要性であり、この面で樹林、樹木、草花、河川、湖沼、野鳥、小動物等の自然との多様で豊かな触れ合いを、都市と人為自然それぞれにおいて積極的に確保していかなければならない。
 自然は、これらのかけがえのない役割りを持つとともに、物的福祉の視野の中では明らかにすることのできない人との環境との深い係わり合いを映す鏡でもある。自然の学術的研究を深めていくことにより、これら自然の多様な動きが客観的なは握されるとともに、その成果が歴史学、人類学あるいは生物化学などの研究に活かされていけば、そこから環境と人間の係わり合いに関する広い展望が開けていくであろう。
 1970年代に入って本格的に進められてきた産業公害対策を中心とする公害防止は、我々の生命、健康を脅かすところまで深刻化した環境利用上の混乱を修正するための緊急の対応であったといえる。今日、環境政策は、この事後的な対応という側面を有した環境の危機管理の経験を出発点として、産業化と都市化のダイナミズムを活かしながら、これを環境資源制約という新しい条件の中で環境利用を制御することを通じて、三つの環境利用のバランスを確保するとともに、三つの環境相の中で自然との協調を創り出していくことによって、人間と環境との望ましい係わり合いを積極的に創造して行かなければならない。
 このため、公害による生命、健康の被害を受けた人々の犠牲と、環境問題に対する社会的関心を呼び覚ますために払われた多くの人々の努力を政策の原点として、公害による健康被害者の迅速かつ公正な保護を図り、エネルギ―供給構造の変化に対応した環境基準の維持達成に努め、化学物質や廃棄物に係わる環境の安全管理を徹底するとともに、既に劣化した環境については、環境基準の達成のために必要な総量規制を活用するとともに、適切な環境利用を実現していくための都市構造政策を始めとする広範な対応を積極的に進めていかなければならない。
 さらに、産業化と都市化の進展する中で、既に高密度な環境利用が行われている我が国において、事後的な対応の限界を越えて、総合的、計画的、構造的環境保全を進める予見的環境政策が求められているといえる。このためには、二次的環境利用を伴う各種の事業の早期の計画段階から計画の性格、熟度に応じて広域的、総合的な環境保全上の配慮を組み込んでいくことにより環境利用の計画的な制御を通じて、自然との協調を確保しながら最適な環境利用を実現していく必要がある。
 このような環境利用の計画的制御を円滑に進めていくためには、環境利用が利益と損失の両面を持つことから加害者と被害者という社会的利害対立を招きやすくなっている今日の状況を克服していかなければならない。それは、高度の分業化が進んだ今日の産業化社会において、環境を利用することによって生み出される物的福祉の利益は市場を通じて広く人々の間に分散し、一方で、そのための環境利用の歪みが生み出す損失は特定の地域に集中するため、環境利用に伴う利益と損失が分化している現状において、環境を共有しているという認識を復元していくことの重要性を示している。この面で快適環境の創造は大きな意味を持っている。快適性という我々の感性が持っている共通の尺度をもって、環境の創造を進めていくことによって、環境利用の利害対立を越えて、多種多様な環境利用の共存が可能であるという共通の理解が醸成されていくはずである。
 環境政策は産業化と都市化が進展して行く中で、環境利用の制御、自然環境の積極的な保全、そして快適環境の創造を通じて産業化社会における人間と環境との望ましい係わり合いを形成していこうとしているのである。

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