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むすび

−新局面を迎える環境行政−
 熊本水俣病裁判等いわゆる四大公害裁判の終結、公害健康被害補償法の成立によって、人の生命及び健康に係る被害の救済についてのルールが確立された。すなわち、四大公害裁判は、企業に対し、人の生命及び健康に係る被害を未然に防止すべき高度の注意義務と不法行為責任を明確化したが、これを契機に訴訟の手段によらなかった各被害者グループと企業との間の補償交渉等も妥結をみた。また、公害健康被害補償法は、公害による健康被害者が訴訟に待つことなく、原因者負担の原則のもとに療養の給付、障害補償費等の補償給付を受ける道を制度化した。今後は、これらのルールに基づく健康被害者救済の円滑な実施を期さなければならない。
 他方、人の生命及び健康に影響を及ぼす有害物質の新たな排出は環境基準の設定及びその強化、排出規制の強化等の措置を通じて、禁止又は厳しく抑制されてきたが、今後とも健康保護のため規制等を一段と強化充実する予定である。しかし、過去に環境中に排出された有害物質のうち、PCB、水銀等の難分解性物質は、生物濃縮のプロセスを経て、長期間にわたって人体に影響を及ぼす潜在的脅威と考えられている。既に、PCB、水銀の環境総点検を実施し、これに基づき問題水域、海域の浄化事業が計画又は実施に移されているが、カドミウム等主として休廃止鉱山による農用土壌汚染等についても、その早急かつ計画的な除去を図り、過去の蓄積汚染の脅威を一掃する要がある。
 国民の環境に対する欲求は、人の生命及び健康の保護にとどまらず更に人間生活の質的向上という見地から快適な生活環境の確保を求めて多面化かつ高度化してきている。高層ビル、火力発電所、空港、新幹線鉄道及び高速道路等の建設と生活環境を巡って種々の問題が生じていることは、こうした傾向を物語り、また、余暇時間の増加とも関連して、自然環境に恵まれた国立公園、国定公園等の利用者は年々増加の一途をたどっている。
 このような国民の環境に対する欲求を背景に、我々は環境保全の価値観を確立し、次の世代への責任をも考慮にいれて長期的な視野にたって、総合的な施策を強力に推進すべき新しい局面を迎えているが、その主要な課題を再説すれば次のとおりである。
 第1は産業構造、消費構造の転換である。
 我が国の深刻な環境問題は、主として狭い国土の有限な環境資源のなかで、急速な経済成長が図られたことから生じているが、産業構造、消費構造が環境汚染をひきおこしやすい型となっている面があることも看過し難い。
 昨年秋以降のいわゆる石油危機は、その他の要因も加わり国民生活に大きな打撃を与えたほか、長期的には、石油資源に多くを依存する産業構造、消費構造のあり方に根本的な検討を迫るとともに使い捨ての大量消費経済に対する反省を促し、省資源、特に資源の再利用への気運を醸成した。
 石油資源に代替し、これを補完する新しいクリーンエネルギーの開発並びに省資源への動向は基本的には環境への負荷を弱め、環境問題解決の有力な手段となるものと期待される。その際、新エネルギーの開発等に当たっては、環境保全に十分な事前の配慮がなされなければならないことは当然である。
 なお、経済構造を省資源・低公害型に転換するためには、環境保全に必要な費用を生産や消費の費用のなかに適切に織り込み、それぞれの経済主体にそれに対応する行動を促すための仕組みを市場機構のなかに定着させていくことが一つの有効な方策であるが、このためには、生産、消費及び廃棄の過程から生ずる環境汚染の防止についての費用負担のルールを検討、確立していく要がある。
 第2は自然環境の保全である。
 昨年閣議決定をみた自然環境保全基本方針は、自然は人間生活にとって、広い意味での自然環境を形成し、生命をはぐくむ母胎であり、限りない思恵を与えるものである。」と規定し、自然環境の保全については、自然を構成する諸要素間のバランスに注目する生態学を踏まえた幅広い思考方法を尊重し、人間活動も日光、大気、水、土、生物等によって構成される微妙な系を乱さないことを基本条件としてこれを営むという考え方のもとに対処すべきである。」とうたうとともに現在破壊から免れている自然を保護するというだけでなく、進んで自然環境を共有的資源として復元し、整備していく方策が必要である。」と述べている。
 今後、自然環境についての可能な限りの科学的調査の基礎のうえにたって、原生自然環境保全地域、自然環境保全地域、都道府県自然環境保全地域の指定を早急に行い、それぞれの地域の特性に応じて人間活動を規制し、自然環境の保護を図っていかなくてはならない。
 第3は環境アセスメントの確立である。
 地域開発等環境に影響を与えるおそれのある行為については、環境を保全し得る範囲内にこれをとどめるため、事前に環境影響を調査評価する環境アセスメントの実施とその制度化が不可欠である。
 しかしながら、環境アセスメントはいまだ経験のつみかさねが十分でなく、その手法、チェック項目等今後の研究検討に待つべき点も多いので、これらを早急に整備し、アセスメント実施主体にこれを明示するとともに、開発の各段階に応じてアセスメントが実施されるというルールが確立されなければならない。
 開発はすぐれて地域的問題であり、地域住民と密接な関係にあるので、開発に際しては当該開発に係るアセスメントに基づいて住民の理解を得、その意向を考慮して決定されることが望ましい。
 最近、航空機、新幹線、高速道路等公共事業と生活環境を巡る問題が各地に発生しているが、今後着手する公共事業について、当面、47年の閣議了解に基づき環境アセスメントを適切に実施し、環境保全に万全を期すべきことはもちろんのこと、これと並行して環境保全の見地から、費用負担のあり方、土地利用規制等についても検討を加えていく必要があろう。
 第4は総量規制方式の導入である。
 地域全体の汚染排出量を望ましいレベル以下に抑えるためには、従来の個々の汚染発生源に対する濃度規制を中心とする規制に加えて総量規制の方式を導入することがより根本的な対策として有効である。
 総量規制方式の導入を図るため、本国会に大気汚染防止法の一部改正案が提出されており、大気系汚染物質については、まず、いおう酸化物について方式の導入が予定され、その他の物質についても導入のための準備を急ぐこととしている。
 水質関係の排出基準についても同様に総量規制方式を導入する必要があるが、水質汚濁の場合は、特に総量規制の前提としてその監視測定技術等について今度確立すべき問題を残しているので、これらの問題を早急に解決し、できる限り早期にその導入を図るべきである。
 第5は生活関連公共投資の促進である。
 下水道、廃棄物処理施設等の公害防止のための生活関連公共施設の整備については、それぞれ長期整備計画に基づいて実施され、特に最近は公共投資のなかでも最も重点がおかれ予算の伸びも著しい。
 しかし、これら施設の整備状況は、人口の特定地域への過度の集中等の現象もあり、全体として先進諸外国と比べてかなり立ち遅れていることはいなめず、今後とも一層その促進を図らねばならない。
 下水道については、その計画的設備とあわせて高度処理技術の開発と実用化が要請されている。すなわち、停滞性、閉鎖性水域の富栄養化現象の要因のかなりの部分は生活排水によるものとみられており、生活排水から窒素等の栄養塩類を除去するための技術の開発とその実用化に努めなければならない。
 廃棄物については、廃棄物の量の増大と質の多様化に対応して一般廃棄物処理施設、産業廃棄物処理施設の計画的設備を図るほか、廃棄物処理施設用地及び廃棄物最終処分用地の確保、産業廃棄物処理体制の整備、廃棄物再利用の促進といった困難な課題に真剣に取り組まなければならない。
 第6は環境科学技術の推進である。
 限られた環境資源のなかで環境保全を図りながら国民生活水準の維持向上を目指すためには、環境科学技術の推進が不可欠である。
 当面する汚染因子の防除を目指す公害防止技術の開発はもとよりクローズドプロセスによる生産システムの開発、無公害生産技術の確立を図り、環境資源の消費を最少限にとどめなければならない。
 公害防止技術の開発と同時に環境行政の前提ともいうべき環境現象の解明や環境影響評価に関する研究といったより基礎的な人間と環境に係る科学の推進も環境保全上極めて重要である。この分野においてもこれまで得られている知見は極めて限られており、環境科学関係諸資料の体系的整備とあわせて、今後の努力に待つべき点が大きい。本年3月発足した国立公害研究所の充実等研究体制の整備を図ること等によりこれらの要請にこたえていく要がある。
 美しい国土と快適な生活環境を現在及び将来の国民のために確保することは、我々国民の共通の願望であり、かつ責務であるが、有限な環境資源に対する適切な評価が多くの国民の間に芽生え、漸次定着化しつつある基盤のうえにたって、我々の英知と努力を環境保全に傾注すれば、物的な豊かさを追求するあまりその蔭で失われた清浄な環境を取り戻すことは可能である。

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