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参考資料1 国連人間環境会議における大石代表演説

 議長閣下、代表各位および列席の皆様
 私は日本国代表団を代表して、閣下が本国連人間環境会議の議長に全会一致で選任されましたことを心からお祝い申し上げます。閣下の有能な指導の下に本会議が実り多い成果をあげることを確信いたしております。
 国連の歴史において、さらには人類の歴史において先例をみないこの国連人間環境会議の開催にあたり、かわることのないイニシャティヴをとりつづけ、ホスト国として、多大の労を惜しまれなかったスウェーデン国政府および国民に対し、深い敬意を表明する次第であります。
 また二年の長い間、ジャマイカのケイス ジョンソン大使を委員長としてこの難問にとりくんで多大の成果をあげてきた準備委員会の努力を高く評価いたします。
 さらに本会議を成果あらしめるべく精力的に世界各国を訪問し、超人的な努力をつづけられたストロング事務局長および同氏とともに献身を惜しまなかった事務局の各位に深く感謝するものであります。
 私は世界各国を代表する皆様の前で、人間環境問題についてのわが国の経験と対策を紹介し、あわせて私の所信の一端を申し述べる機会を得ましたことを光栄に存ずるものであります。
 日本は四面を海にかこまれた島国であります。おだやかな気候に恵まれ、自然は四季おりおりの美しさにいろどられております。春は桜、夏の光、秋は紅葉、冬の雪景色と、私どもの祖先は長い間それぞれの季節に生きる喜びを味わって参りました。1200年の昔、万葉の詩人は「石ばしる垂水の上のさ蕨の萠えいづる春になりにけるかも」とおおらかに早春のよろこびを歌い上げております。このように日本人は何世紀にもわたって自然を愛し、自然とともに心豊かに生きて参りました。
 1800年代後半、わが国は明治維新を断行し、国を開いて世界各国に交わりを求めるとともに、近代科学技術文明を導入して西欧先進諸国に追いつくべく決意を固め、その努力を始めました。当時世界は帝国主義の時代であり、わが国もまたこの国際的政治潮流に沿って国の発展を求めたのであります。度重なる戦争がこれにつづき、領土は拡大し、経済圏もまた広がりました。しかし第二次世界大戦によって総てが崩壊したのであります。
 戦後わが国は戦争の永久放棄を宣言し、民主主義と平和主義を国の基本方針と定めました。そして荒廃した国土と壊滅した経済社会から立直り国民の福祉の向上を図るため、エネルギー産業、重化学工業を主軸として、経済の高度成長を進めることになったのであります。国民は20年にわたって懸命の努力をつづけ、ようやくその目標に近づいたかに見えたとき、高度経済成長の反面である深刻な環境破壊に直面することになったのであります。大気は汚れ、河川は汚濁にまみれました。都市は過密化し、貴重な自然は破壊され始めました。遂には公害による多数の患者と死者をさえ発生するに至ったのであります。日本国民は多くの生産、より大きいGNPが人間幸福への努力の指標であると考え、これに最大の情熱を傾けて参ったのでありますが、その考えが誤りであることに気がつきました。数多くの海岸が埋め立てられてコンビナートになり、緑豊かな自然が削りとられて道路となり、住宅となりました。都市からは緑が消え、僅かばかりの公園すら手入れが行きとどかず、草花は踏みしだかれました。知らず知らずの間に人々は自然を愛する豊かな心を失うようになり、自然をいつくしむ公徳心さえも低下して参りました。環境破壊は人間の精神をもむしばみ始めたのであります。
 何よりも環境汚染は人の健康生命に大きな打撃を与えました。「水俣病」と呼ばれる有機水銀中毒事件はその典型例であります。これは水俣市の化学工場において触媒として使用した無機水銀の一部分が反応工程中有機水銀にかわり、排水とともに内海に排出され、プランクトン―魚―人間という食物連鎖を通じて人体に蓄積された結果、知覚、言語、歩行の障害、ときには精神障害などの症状を生じたものであり、しかも死の転帰につながるおそろしい病なのであります。原因の究明がおくれたこと、政府を含め関係者による対策が手ぬるかったこと等により多数の悲惨な犠牲者を出しました。さらに阿賀野川流域でも同じような水銀中毒による死者、患者の発生を見るに至りました。早期に十分な救助の手をさしのべ得なかったことに政府は責任を痛感いたしておりますが、まことに遺憾のきわみであります。このほか鉱山排水中に含まれるカドミウムが主要な原因と考えられ、骨折疼痛を主訴とする「イタイイタイ病」や、四日市、川崎、大阪等いくつかの工業都市における重化学工場等の排煙に起因する慢性気管支炎等が発生いたしました。さらに数年前には西日本地区で米ぬか油の製造過程で熱媒体に用いたPCB(ポリ塩化ビフェニール)が油に混入して、これを食べた人々の間にPCBの亜急性中毒患者が発生する事件も起りました。これは一つの事故ではありますが、いま世界各地で問題になっているPCBによる環境汚染のおそろしさを暗示するものではなかろうかと注目されております。
 度重なるこのような悲惨な経験を通じて日本国民の間に深刻な反省が生まれてきたことは当然であります。「だれのための、何のための経済成長か」という疑問が広く住民、自治体から提起され、健康で明るく豊かな生活環境をとり戻すことを求める国民の声が、潮の満ちくるように高まってきたのであります。このような情勢のもとで、経済成長優先から人間尊重へと、わが国の政治はその方向を大きく変えることになったのであります。
 政府はすでに1958年には水質保全法を制定して水質汚濁防止を手がけましたが、1967年には公害対策基本法を制定して、公害に挑戦する基盤をつくりました。さらに1970年末に「公害国会」とよばれる臨時国会が招集され、14にのぼる環境保全のための法律の制定、改正が行なわれました。法律の制定、改正にあたっては当然のことながら国民生活優先の姿勢を強く打ち出しております。このような立場から、大気汚染や水質汚濁等の公害の規制を一段と強化するとともに、公害防止事業費事業者負担では「汚染原因者が公害防止費用を負担せよ」との原則を強く押し進め、公共事業についても、その費用の一部を企業に負担せしめることとしております。海洋汚染防止法もまた画期的な立法ということができましよう。わが国は1969年のIMCO海水油濁防止条約改正条約の第4番目の批准国となり、その進んだ油濁防止の規定を国内法にもり込んだのであります。環境保護のための法制の整備と規制の強化には、その後も全力を傾けております。
 1971年7月には環境庁が新設されました。これにより、多くの省庁にわかれていた公害防止および自然保護関係の行政を統合して「環境保全に最重点をおく」という新しい理念をかかげた、強力な行政を展開する体制を整えたのであります。いま東京の国会では無過失賠償責任法案が審議されております。これは、日本において、これまで私法の大原則であった過失責任の考え方を修正するものでありまして、公害被害者の迅速な救済のため、たとえ無過失であっても原因者が賠償の責に任ずるとするものであります。
 また、私は公共事業の計画策定にあたり環境アセスメントの手法をとり入れる所存であります。その事業の環境に及ぼす影響について事前に十分な調査検討を行なわせ、必要と認めるときは、環境庁が環境保全の措置を勧告するものであります。近い将来にはこの環境アセスメントをさらに国土開発、観光開発等の事業にも広く応用したいと考えております。
 政府はまた環境整備のため著しく立ち遅れている社会資本の充実につとめております。このため公園、下水道、廃棄物処理についてそれぞれ年次計画の策定、実施を行なっております。他方産業界においても公害防止に対する認識は高まりつつあります。1972年度においては、民間設備投資中に占める公害防止関係投資の比率は11パーセントを越えるものと推計されております。
 公害との戦いは長い長いものであることを覚悟しなければなりません。われわれはいまだその門口に立ったにすぎません。しかし、最近一部の地域では効果が現われはじめております。私どもは公害のない日本を目標に環境行政にとりくんで参る所存であります。
 公害から環境を守るとともに、われわれは自然環境を無秩序な開発による破壊から守ることにも意を注いで参りました。東京の北130キロメートルにある尾瀬が原は貴重な高層湿原植生をもち、ユニークな美しさで知られております。私は勇断をもって工事中の観光自動車道路の建設を中止させました。さらに自然環境保全についての抜本的な法律案を準備しております。
 われわれは自然の一部であります。科学技術を応用するに当ってはこの点をしっかりと認識することが肝要でありましよう。人の生きる道を教える倫理学はこれまで人と人との関係をのみとりあげて参りました。しかし人が人として生きるためには、自然との調和を忘れてはならないのであります。
 私の国には「老僧のつぎ木」という古い説話があります。寺の境内でせつせとつぎ木に精を出している年老いた僧がいました。「あなたが存命中には実はなりそうにもありませんよ」といった人に、老僧は静かに答えました。「自然は悠久のいのちをもっています。私は子の代、孫の代のためにつぎ木をしているのです」。
 開発途上国においては生活環境向上のための開発の方策が種々検討されておりますが、その実行の段階において人間環境の悪化を招かないよう慎重な考慮を払うことがきわめて肝要であります。この点については先にのべたわが国の経験が大いに参考になることと信じます。われわれの知識と経験が開発を進めている多くの開発途上国によって十分に活用されることを強く念願する次第であります。
 以上私は日本の経験を率直に皆様にお知らせいたしました。日本のとってきた対策についても若干ふれて参りました。さらに人間環境についての私の所信を申し上げました。このような背景の下に、人類の歴史上画期的な国連人間環境会議の意義を一層高からしめるために、日本国代表団を代表して私は以下の諸点を強調いたします。
1. わが代表団は、政府間作業部会の努力によってまとめられた人間環境宣言案が、人間環境の保全を人類至上の目標であると認識したことに賛同し、われわれとわれわれの子孫のためにこれを強く支持します。とくに、核兵器の実験による破壊から環境を守ろうとする「大量破壊兵器の禁止」を定める第21項の原則を高く評価するものであります。
2. 日本国代表団は、環境活動を調整し、環境改善を促進するための「国連環境委員会」の設置、および「国連環境基金」の創設を全面的に支持いたします。日本は、主要先進国が相当額の拠出を行なう場合には、基金に対し目標額の10パーセントまでの拠出を行なうことを約束いたします。
3. 人類の最大の希望は世界の恒久平和であると信じます。その目的の達成には絶えざる努力が肝要であり、世界の今日までの歴史は平和へのあがきの記録であったともいえるでしょう。そのために基本的に必要な条件は、すべての民族がおのおのその特徴を生かしながら、経済的にも文化的にもあまり差のない生活をもつことであります。現在のように先進国と開発途上国との間に大きい格差のある限りわれわれの理想には程遠いといわなければなりません。いまこそ先進国は開発途上国の速やかな開発、繁栄へできる限りの協力をしなければなりません。同時に先進国は、わが日本が歩んだ環境破壊の道を二度と開発途上国に踏ませないための配慮を忘れてはなりません。
4. 海洋に重大な関心を有する国として、わが国は総合的な海洋汚染防止対策を積極的に促進するとともに、海洋汚染の防止をはかるため、船舶の構造、運航に関する国際基準が速やかに充実強化されることを強く希望するものであります。また、わが国に入港するタンカーその他の船舶には、ビルジ、バラスト水等を処理することを義務づけておりますが、さらにこれを強力に実行して日本近海における油の汚染を防止したいと考えております。同時に原油積出港における処理施設の整備、ロード・オン・トップ式の改善等によって、油排出量を大幅に減少させることが必要であると考えます。
5. 日本国政府は本年3月米国との間に渡り鳥を保護するための条約を締結いたしました。大洋を隔てた二国間の渡り鳥保護条約としては世界で最初のものであります。無心に国境をこえてゆく渡り鳥は自然保護の国際協力のシンボルともいえるでしょう。さらに最近わが国はソ連との間に条約締結について基本的合意を得ましたし、ひきつづき中国、カナダ、オーストラリア、東南アジア等の国々とも渡り鳥の生息地の保護、生態に関する情報交換を内容とする条約の締結を希望しております。私はこのような渡り鳥保護条約が他の地域においてもつぎつぎと締結され、そのような条約網がついには全地球をおおうにいたることを期待しております。
6. わが代表団はかけがえのない地球を守るために人類の英知を集めて開催されたストックホルム会議が人類史上に永遠に記念されることを願っております。このため、毎年6月5日からの一週間を「世界環境週間」と定めて、国連はじめ各国政府がこの問題の重要性を再認識するための行事を世界的に行なうことを提唱いたします。
7. 環境問題解決のための努力は、長期にわたり辛抱強く行なわれなければなりません。その解決への道程は遠くけわしいものでありましよう。しかし私は将来に大きい光明が輝いていることを信ずるのであります。
 数年のうちに全世界の人々が再び一堂に会して、それまでの成果を再検討し、国際協調の強化をさらに推進することが必要になるのではないでしょうか。その必要性が増大し、その意義が認められた時には、わが国は次の人間環境会議の開催について、あらゆる協力をおしまない旨を申し述べます。
 御静聴ありがとうございました。

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