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第1節 公害に係る健康被害損害賠償保障制度の創設

(1) 公害に係る健康被害損害賠償保障制度の検討経緯
 大気の汚染または水質の汚濁による健康被害の発生は、今日重大な社会問題となっている。
 このような公害により健康被害を受けた人に対しては、行政的な救済措置として、すでに昭和44年に制定された「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」に基づき、当面の緊急措置として医療費等の給付が行なわれてきたが、同法では逸失利益に対する補償がない等給付の内容は限定されており、また、47年にはいわゆる公害に係る無過失責任法が制定されたが、これは民事の領域における被害者救済であり、被害者は究極的には多大の労力と時日を要する民事訴訟等の手段により損害賠償を求めるほかはないという問題が残っていた。とりわけ、大気の汚染による閉塞性呼吸器疾患等のような複合汚染による非特異的疾患にあっては、個々に因果関係を証明して民事上の解決を求めることは著しく困難である。
 したがって、このような公害に係る健康被害者の救済を迅速かつ円滑に行なうためには、汚染原因者からの賦課金を財源とし、公害による被害者に一定の給付を行なうという損害賠償を保障する行政上の制度の確立が急務となっており、すでに一部地域では、本問題の急迫性にかんがみ本制度発足までのつなぎとして、事業者からの拠出金を財源とする救済基金制度が発足し、あるいは検討されている現状にある。
 このような情勢をふまえ、この損害賠償保障制度については、昨年4月17日に中央公害対策審議会に対し、環境庁長官から諮問がなされ、同審議会の専門委員会において審議されることとなった。同専門委員会は、とくに医学専門的な事項について3回の医療分科会を開催するほか、13回に及ぶ審議を行ない、47年12月22日に中間報告を行なって各界の意見を聴取したうえ、48年3月には、最終報告をまとめ、これが4月5日に同審議会より答申されるにいたった。
(2) 公害に係る健康被害損害賠償保障制度の内容
 中央公害対策審議会の答申に示された本制度の内容の骨子は次のとおりである。
ア 制度の性格
 本制度は基本的には民事責任をふまえた損害賠償保障制度として構成することとする。
イ 制度の対象
 本制度の対象となる被害は、社会的にみて問題が多く、被害者の救済が緊急かつ重大である大気の汚染または水質の汚濁による健康被害としての疾病を対象とすることとする。
ウ 因果関係についての問題
 本制度が個々の被害者に所定の給付を行なう場合、その疾病と環境汚染との因果関係を明らかにすることが問題となるが、非特異的疾患といわれる大気汚染系疾病にあっては、個々に厳密な因果関係の証明を行なうことはまず不可能であるので、指定地域にあって暴露要件を満たす者が指定疾病にかかっていると判断されれば、個々の患者につき因果関係ありとして認定するという制度的取決めを行なう。
 さらに、損害賠償の費用は、汚染原因者がその寄与度に応じて負担するのが原則であるが、大気汚染系疾病にあっては、個々の原因者の汚染物質の排出行為と疾病との因果関係を個々に証明することもまた不可能に近いため、汚染原因物質の総排出量に対する個々の排出量または、汚染原因物質を含む原燃料の使用量の割合をもって大気の汚染に対する寄与度とし、これをもって健康被害に対する寄与度とする制度的割切りを行なう。
エ 給付の内容
 本制度の給付は、?医療費のほか?患者本人に対する補償費、?指定疾病により死亡した患者の遺族に対する遺族補償費、?指定疾病にかかっている義務教育終了前の児童に対する児童補償手当、?介護を要する状態にある者に支給する介護費、?通院に要する交通費等相当分を中心とする療養手当および?葬祭料とする。
 このうち、補償費は、四日市公害裁判判決の例等にならい、たとえば全労働者の男女別、年令階級別平均賃金を基礎とし、労働能力の喪失度または日常生活の困難度に応じて損害額を平均化、定型化して、定期的支払金として支給するものとし、給付水準は公害裁判判決の水準、社会保険諸制度の水準等をふまえ、公害被害の特質、本制度における因果関係の考え方、慰謝料的要素を総合的に勘案し、結果的には全労働者の平均賃金と社会保険諸制度の給付水準の中間になる額を設定することが適当である。
オ 福祉事業
 公害により損害を受けた患者のそこなわれた健康の回復と福祉の増進を図るため、福祉事業を行なう。
カ 費用負担
(ア) 本制度の給付に必要な費用の負担は、大気の汚染または水質の汚濁に対する汚染原因者の寄与の程度に応じて分担させることを基本とし、公費の負担はこの原因者負担の原則に背馳しないかぎりで行なうものとする。
(イ) 大気の汚染に係る賦課徴収の方式としては、まず固定発生源については、汚染原因者に環境汚染に対する寄与度に応じて応分の負担をさせるという見地から、汚染原因者に対し、その汚染負荷量に着目して直接賦課金を課す方式をとることとする。
 また、自動車等の移動発生源等については、大気の汚染に対する寄与度の大きさは無視しえないが、個々にその寄与度をとらえることは困難であるので、負担の公平性をふまえつつ、現実に可能な費用負担の求め方について検討する。
(ウ) 水質汚濁に係る健康被害も本制度の対象とすべきであるが、その費用負担のあり方については、水質汚濁に係る被害はおおむね特異的疾患であり、非特異的疾患とは事情が異なるので、民事上の求償という見地を基礎としつつ負担の方法を検討することとする。
キ 機構
(ア) 給付の実施機構は、都道府県および政令で定める市とし、都道府県および政令市には指定疾病であるかどうか、症状の程度はどの程度であるかを調査審議する認定審査会を設置する。
(イ) 賦課徴収面における機構としては、特別な法的根拠のもとに設立される公法人に徴収義務を行なわせることとする。
(ウ) 本制度の重要事項について調査審議する審議会および給付に関する処分についての審査請求事件を扱う不服審査会を設けることとする。
ク 民事上の責任との関係
 本制度により給付が行なわれた場合には、給付に要する費用を本制度に基づいて拠出した者は、その給付額の限度において被害者に対する損害賠償の責めを免れることとする。
 なお、本制度は、被害者が訴訟をおこし、または和解等を行なうことを妨げるものではない。
ケ 経過措置
 本制度発足時にすでに原因者が明らかとなっている疾病について本制度を適用することには問題があるが、被害者の保護を図るという立場から、所要の経過措置を講ずることとする。
(3) 今後の問題
 国としては、この答申を受けて、公害に係る健康被害損害賠償保障制度を立法化するとともに、制度の円滑かつ迅速な実施に資するため、昭和48年度において公害損害賠償保障制度創設準備に要する調査研究を行なうこととしている。
 また、財産被害、とくに農業・漁業等の生業被害については、その救済措置を検討する必要があるが、被害の態様が様々であり、かつ、因果関係について究明されていないことが多い(たとえば赤潮による漁業被害)などの問題点が残されているので、まず48年度においては、これらについて基礎的な調査研究を開始し、49年度においては、調査研究の充実とともに、その制度の具体的なあり方の検討を進めることとしている。
 なお、本制度が発足しても、環境汚染を未然に防止し、人の健康をそこなわない環境基準を維持達成することが環境政策の基本である以上、汚染原因者の汚染防除努力が最大限に払われるべきことは当然であり、公害諸規制をはじめ各行政分野で十分な措置がとられることが第一義的に必要であることはいうまでもない。

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