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第1節 四大公害裁判の教訓

 昭和48年3月20日に判決が下された熊本県水俣病訴訟を最後に、富山県イタイイタイ病訴訟(第1次訴訟)、新潟県新潟水俣病訴訟および三重県四日市公害訴訟のいわゆる四大公害訴訟の裁判は一応の終結をみた。
 これらの四大公害訴訟は、その公害による被害者が多数にわたり、かつ、その被害もあるいは人命に及んだり人の健康を損うなどの著しいものがあった点で、いずれもその帰すうについて、大きな社会的関心が払われたものである。
 各訴訟において下された判決は、いずれも原告側の主張を原則的に認めており、被告側たる企業に対し、相当の損害賠償額の支払いを命じ、きびしく企業責任を追及している。また、これらの判決は、行政の姿勢に対しても強い反省を促すものであった。
 それでは、裁判は、具体的にどのような点を問題としたのだろうか。四大公害訴訟の判決の概要をみていこう。
(1) イタイイタイ病訴訟
 この訴訟は、富山県神通川流域の住民が、三井金属鉱業株式会社に対して、43年3月に提起した損害賠償請求訴訟(第1次訴訟)である。
 この訴訟において主たる争点となったのは、三井金属鉱業株式会社神岡鉱業所から排出された廃水等に含まれていたカドミウムによりイタイイタイ病が発生したかどうかの因果関係の立証である。
 46年6月に行なわれた判決は、因果関係について疾病を統計学的見地から観察する疫学的立証法を導入し、その観点からの考察を中心に、臨床と病理的所見等を付加した上で、三井金属鉱業神岡鉱業所から排出される廃水等とイタイイタイ病との間に相当因果関係が存することを認定した。
 そして、大筋においてそのような説明が科学的に可能な以上、被告が主張するカドミウムの人体に対する作用を数量的な厳密さをもって確定することや経口的に摂取されたカドミウムが人間の骨中に蓄積されるものかどうかの問題はいずれもカドミウムと本病との間の因果関係の存否の判断に必要でないとされ、法律的な意味で因果関係を明らかにすることと、自然科学的な観点から病理的メカニズムを解明するために因果関係を調査研究することとの相違が明確にされた。このことは、公害裁判における原告側の因果関係の挙証責任を事実上緩和することを意味するものである。
 この第1審の判決に対しては、即日三井金属鉱業株式会社から控訴が申し立てられ、事件は名古屋高等裁判所金沢支部に係属したが、47年8月の控訴審判決においても、住民側の主張が認められている。
(2) 新潟水俣病訴訟
 この訴訟は、新潟県阿賀野川流域の住民が昭和42年6月(第一次訴訟)に、昭和電工株式会社を被告として、同社の鹿瀬工場からの廃液に含まれているメチル水銀化合物により汚染された魚類を摂取したため、新潟水俣病に罹患し、重大な被害を被ったことに対する損害賠償を請求したものである。
 裁判の審理の過程においては、新潟水俣病と昭和電工鹿瀬工場の廃液との因果関係および昭和電工の故意または過失責任が主たる争点となった。
 とくに、故意または過失責任については、先のイタイイタイ病訴訟が鉱業法の無過失責任規定に基づく訴えだったため、争点として登場しなかったが、本訴訟においては大きな争点としてとりあげられた。
 46年9月の判決において、まず、因果関係については、原因物質および汚染径路について様々の情況証拠により、関係諸科学との関連においても矛盾なく説明でき、汚染源の追求が被告企業の門前に達した時には、被告企業において汚染源でないことの証明をしない限り、原因物質を排出したことが事実上推認され、その結果工場排水の放出と本疾病の発生とは、法的因果関係が存在するものと判断すべきであるとされた。
 また、被告企業の責任については、鹿瀬工場の排水中にメチル水銀が含まれており、それが阿賀野川沿岸住民を水俣病に罹患させることがあっても、被告がこれを容認していた事実は認められず、従って、故意があったことを裏づけるに足る証拠はないとされたが、過失については、
? 化学企業としては、有害物質を企業外に排出させることのないよう常に安全に管理する義務がある。しかるに被告は、熊本大研究班の有機水銀説等に謙虚に耳を傾けることもなく慢然と水俣病の先例をいわば対岸の火災視していたため、十分な調査分析を怠り、工程中にメチル水銀化合物が副生し、かつ、流出していたのに気づかず、これを無処理のまま工場排水とともに、放出し続け、沿岸住民を水俣病に罹患させたことに過失があったと認められる。
? 企業の生産活動も一般住民の生活環境保全との調和においてのみ許されるべきであり、最高の技術設備をもってしてもなお人の生命身体に危害が及ぶおそれがあるような場合には、企業の操業短縮はもちろん、操業停止まで要請されることもあると解する。
 として、人の生命身体の安全確保に対する企業の注意義務違反が指摘された。
(3) 四日市公害訴訟
 この訴訟は、三重県四日市市磯津地区の住民が、42年9月に四日市コンビナートを形成している6社を被告として、これらの6社の排煙により発病し重大な被害を被ったことに対する損害賠償を請求したものである。
 審理の過程において、主たる争点となったのは、共同不法行為の成立、故意または過失責任、因果関係等であり、47年7月に判決が下された。
 四日市公害訴訟は、他の公害訴訟がいずれも一つの企業が重金属を排出した結果生じた公害を問題にするものであるのに対し、コンビナートを形成している多数の工場からの排出による公害が問題にされた最初の訴訟であり、しかもばい煙による公害という全国各地にみられる公害が裁かれるという意味で注目されていた。
 判決においては、まず、共同不法行為責任に関し被告の工場が順次隣接し合って集団的に立地し、しかも、だいたい時を同じくして操業を開始しているので客観的な関連共同性を有していると認められ、そのような場合には、結果の発生についての予見可能性がある限り、共同不法行為責任があるとされた。
 さらに、工場の間に機能的、技術的、経済的に緊密な結合関係があると認められる場合にはたとえ一工場のばい煙が少量で、それ自体としては結果の発生との間に因果関係が存在しないと認められるような場合においても、結果に対して共同不法行為責任を免れないこととされた。
 次に、被告6社の故意または過失責任に関しては、故意は認められないものの、次の2つの点において、過失があるとされた。まず、被告はその工場立地に当たり、住民の健康に及ぼす影響について何らの調査、研究もなさず慢然と立地したことが認められ、立地上の過失があるとされた。
 次に、被告は、その操業を継続するに当たっては、ばい煙によって住民の生命、身体が侵害されることのないように操業すべき注意義務があるにもかかわらず、慢然と操業を継続した過失も認められるとされた。
 一方、被告が、四日市への進出は、国や地元の奨励によるものであると主張したことについては、たしかに当時の国や地方公共団体が経済優先の考え方から、工場による公害問題の惹起などについて事前の慎重な調査検討を経ないまま、工場誘致を奨励するなどの落度があったこともうかがわれるけれども、企業側が、工業進出に関し激烈な払い下げ運動を行なったこと等は明らかな事実であり、被告の過失を否定するにはたりないとされた。
 また、被告が、そのなしうる最善の大気汚染防止措置を講じて、結果回避義務を尽した以上被告に責任はないと主張したことに対しては、少なくとも人間の生命、身体に危険のあることを知りうる汚染物質の排出については、企業は経済性を度外視して、世界最高の技術、知識を動員して防止措置を講ずべきであり、そのような措置を怠れば過失は免れないと解すべきであるとされた。
 最後に、因果関係については、各種の疫学調査によると、磯津地区の閉塞性呼吸器疾患とばい煙は明確な因果関係があり、大気汚染以外の因子は、いずれも大気汚染の影響を否定するに足るほどのものでないとされ、これまでの判決と同様の姿勢が示された。
(4) 水俣病訴訟
 水俣病訴訟は、熊本県水俣地区とその周辺の住民が44年6月にチッソ株式会社に対して行なった損害賠償請求訴訟である。わが国の公害のいわば原点ともいうべき水俣病に関して行なわれたこの訴訟は、一つの訴訟としては、原告側被害者138人という四大公害訴訟中最大のものであると同時に、その判決が、いわゆる自主交渉グループや公害等調整委員会に調停を求めるグループなど訴訟とは別に行なっている水俣病交渉の動静に対して大きな影響を与えるものとして、社会的注目を浴びてきた。
 この訴訟においては、チッソ水俣工場の廃液放出と水俣病発病との因果関係については、43年12月の政府見解に従うとして被告企業もこれを認めたため、最終的には争われなかったが、最大の争点となった被告の責任については、48年3月に行なわれた判決は、被告の注意義務違反を指摘し、過失責任があったことを認めた。すなわち、化学工場は、その廃液中に予想外の危険な副反応生成物が混入する可能性が大きいため、とくに、地域住民の生命・健康に対する危害を未然に防止する高度の注意義務があるにもかかわらず、被告側の対策、措置にはなに一つとして納得のいくようなものはなく、被害の過失の責任は免れえないと述べている。
 また、判決は、その他の争点についても、過去に行なわれた両当事者の見舞金契約の有効性や損害賠償請求権の消滅時効などに関する被告側の反論をしりぞけた。
 以上、四大公害裁判のあらましをみてきたが、これら裁判において、公害事件における因果関係、責任、共同不法行為、損害賠償等についての新しい考え方が示された。そしてこれら裁判に共通して、判決がその非を責めたものは、被告企業の公害防止に関する態度であり、公害防止のためには、企業は、単になしうる最善の防止措置を講ずるだけでは足らず、いかなる手段をとっても被害者を出すことは許されないという厳しい姿勢で公害防止に臨まなくてはならないことを指摘するものであった。

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