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むすび

環境政策の新しい座標
 国際的にも、国内的にも、「環境問題」に対する人々の関心が爆発的に高まったのは、ごく最近のことといっていいだろう。いうまでもなくその契機となったのは、ひとつには先進諸国における技術の進歩、工業生産の高度化などによって環境の破壊が余りにも爆発的な様相を呈しはじめたことにあった。BHCあるいは水銀などの蓄積性有害物質が全地球的な汚染をもたらしていること、油やプラスティックによって海洋の汚染がいちじるしく拡大しつつあることなどの認識が世界の人々に環境問題に対する関心を高めることになった。わが国の場合は、37万平方キロという狭小な国土の、しかもその数パーセントにすぎない1万平方キロの平地で年間2,000億ドルをこえる生産活動が行なわれている結果、一層環境汚染を濃密化させ、現実に多くの人々の健康・生命にまで影響を与えていることが、環境汚染の恐ろしさを認識させるのに拍車をかけている。
 またふたつには「黄金の60年代」と呼ばれた1960年代の先進諸国の経済発展が、人々の生活に物質的な豊かさをもたらした結果、人々の意識が「環境」という新しい次元の豊かさに目覚め、こうした意識から更めて周囲を見渡してみたとき、そこに余りにも貧しく汚染した環境を発見したことも、爆発的な環境問題への関心を高めた契機になったといえるだろう。
 しかしわれわれが最も注目しなければならないことは、環境問題に対する関心が爆発的な様相を呈したことそのものではなく、その爆発的様相を通じて環境問題の本質、その対処方法などについて、大きな意識の転換が進行しつつあるという点である。それは環境汚染がとかく局地的な現象にすぎず、しかもどちらかといえばそれは経済の発展、人類の進歩の裏側にかくれた「必要悪」であるといった意識から、次第に環境の汚染は、国民共通の、あるいは人類共通の財産である環境資源を食いつぶしていることであり、しかもそれは今後の経済の発展、人類の進歩を基本的に阻む重要な要素であり、したがって、もしこれを克服することができなければ人類は自分の運命のみならず、地球の上に住むすべての生物の運命までも危機におとし入れるのではないかという認識に目覚めてきたことである。そしてこの新しい認識は、環境問題に対処する方法論にも大きな転換をもたらそうとしている。それは一言にしていえば、環境を“閉じた国土”、“閉じた地球”のなかの有限な資源のひとつとしてとらえ、この有限な環境資源の浪費を防ぐためにはどう対処するべきかという視点から方法を考えるということである。このことは、汚染防止という受動的政策から、環境管理という能動的な政策への転換を要請するものであろう。換言すれば、いまや環境問題、環境対策は新しい「座標」のもとに編成されなおすべきときに直面しているといっても過言ではなかろう。
 以上のような新しい座標から眺めた場合、わが国の環境対策の現状は果たしてどうであろうか。昭和42年に公害対策基本法が制定されて以来、汚染物質の排出に対する各種の規制、被害者の救済などの対策は急速な進歩をとげてきた。環境庁の発足によって、これらの政策が一元化されたこと、地方公共団体の公害防止体制が整備されてきたことも大きな効果をあげた。また民間各企業の公害防止努力も最近数年においてはかなりの進展をとげた。そうした意味においては、環境対策の進展はおおいに評価さるべきであり、事実部分的にはかなりの効果をあげた面もある。
 しかし、環境資源を有限と考え、“閉じた国土”の環境を保全するという視点から考えた場合には、なお必ずしも十分でない問題がいくつか露呈しはじめていることも否定できない。
 その第1は、日本の国土の環境資源を考えた場合、これを最適に保全するためには、どの程度の汚染にくいとめるべきか、汚染の程度を最小にするためには、国土利用のパターンはどうあるべきか、立地する産業の構造はどうあるべきかといった、国土利用、産業構造との関連で、環境対策を考える点についての考慮が不足していることである。第二は、環境の汚染が直接的な生命、財産に与える影響だけでなく、広く生態系全体にわたってどういう影響を与えるのか、またそれを最小にするにはどういう環境の保全を考えればいいのかということであり、自然環境の保全をはかる場合にも、生態系との関連において考えるべき面が大きいことである。第三は、環境の保全にもっとも重要な役割を果たす技術の開発の面で、生態系や有害物質の慢性毒性の解明技術の立ち遅れもいちじるしく、その開発の促進が必要となっており、さらには、公害発生を除去するための技術のみでなく、有限な環境資源の利用の観点から、クローズド・システムの技術開発が必要となるが、これらの技術開発はまだその端緒が見えはじめたにすぎず、多くは今後の課題として残されている点である。
 今後、わが国の環境問題を解決していくためには、生活環境関連社会資本の充実がとくに必要とされていることはいうまでもないが、このほか、上に述べたような問題意識から、当面指向しなければならない環境対策の方向を考えると、おおよそつぎのようなものになろう。
 第一に、わが国の国土全体について、環境資源の消費を最小にしながら、経済の発展を確保する国土利用のビジョンを作成し、これに基づいて工業立地、産業構造、環境制御などの総合的施策を実施しなければならない。また第二には、環境の保全のための制御システムを経済メカニズムのなかにとり入れるための施策を進めることである。これに関連してOECD環境委員会の提唱したPPP(汚染者費用負担の原則)は市場メカニズムによって環境制御を実現する考え方に立っているという意味で注目すべきものといえよう。
 さらに第三には、工業開発、観光開発など国土の開発に当たって、それが環境にいかなる影響を与えるかを、すべての側面から検討し、その検討に基づいて開発計画、開発手法を再検討するという、一種の環境アセスメントを当面実施し、環境保全と開発との接点を見出す努力を行なわなければならない。
 第四には、現在世界の人々に大きな衝撃を与えている重金属や難分解性物質による健康被害あるいは健康影響に対して、その毒性の解明および生態系を通ずる汚染メカニズムの解明等を急がなければならない。
 第五に、クローズド・システム技術をはじめとする無公害化を指向する技術の開発を強力にすすめるとともに、もろもろの分野で新技術が採用されるに先立って、環境保全への影響を含めたテクノロジー・アセスメントを実施し、環境汚染の未然防止に努めなければならない。
 1970年代の人類にとって、環境問題への対応は、経済、社会問題を通ずる最大の課題であるが、この課題の解決に当たっては、盛り上がる世論を適切に評価し、住民との対話を通じてこれを行政にフィードバックさせていく努力を払うとともに、政策をトータルシステムとして有機的・総合的に関連づけながら展開させていくことが今日最も緊急を要する問題といわなければならない。

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