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むすび

 今年は、二度にわたる世界大戦を経験した激動の20世紀の最後の年であると同時に、「ミレニアム・ゲート・イヤー」といわれる新しい千年紀の入口の年でもある。序章でも触れたとおり、2000年版となる今回の環境白書は、過去を振り返った昨年の白書の内容と対を成すものであり、この歴史的な節目を環境政策においても大変重要な時期と捉えるところから出発している。

 コンピュータの誤作動による影響とその対応が注目された2000年問題(Y2K問題)も心配されたほどの混乱も起きず、むしろミレニアムを祝う行事が多数催され、明るい雰囲気の下で今年は幕を開けたといえよう。西暦を用いる国々において、2000という切りの良い数字は、人々が過去を精算し明るい未来に思いを馳せる格好の契機となったことは間違いない。

 一方、さらに視野を広げ、「宇宙船地球号」の行く手に目を転じてみると、深刻化する地球環境問題に人類社会が直面しているという厳しい現実が見えてくる。そこには、世紀という単位で捉えると、もう待ったなしの、Y2K問題よりもはるかに切実な問題が横たわっている。すなわち、地球環境の劣化に歯止めをかけられる人類社会の転換期は今しかないという、私たちにとってもう一つの「2000年問題」が存在するのである。

 すでに見てきたとおり、地球環境の劣化を引き起こした原因構造は、現に私たちが生きる現代文明の内にこそある。そこには、地球の無限性を信じ切り、使い減りのしない環境を酷使することによって現在の人類の繁栄を築くことが、未来の人類の幸福にもつながるという大いなる誤解があった。私たちはごく最近まで人類社会の「持続可能性」についての認識を欠いていたといえよう。

 「持続可能性」は、環境政策を考えるうえでとりわけ重要な概念となりつつある。この概念の意味するところを端的に表現するとすれば、「人類の一部で地球を独り占めしないこと」であろう。これにはおおむね二つの意味がある。その一つは縦の関係、すなわち時間の流れから見て「未来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、現在世代のニーズを満たし続けること」である。もう一つ横の関係をこれに付け加える必要があろう。すなわち国際社会全体としては、先進国の独り占めを控えること、言い換えれば「他国にとって平等な発展の可能性を奪うことなく、自国のニーズを満たし続けること」である。さらに地球の生態系全体としては、その一員にすぎない人類の独り占めを反省することである。

 それでは、私たちの営んでいる経済社会が持続可能であるといえるためには、人間活動と環境との関わりから、一体どのような条件が満たされる必要があるのだろうか。すでに述べたとおり、この白書ではそれを三つに整理した。第一に、人間活動からの排出物の排出が自然の物質循環による自浄能力の範囲内にとどめられなければならない。第二に、環境資源の利用が環境の再生能力の範囲内にとどめられなければならない。第三に、生態系が微妙な均衡を保っていることを考慮して、人間活動ができるだけ負の影響を与えないようにしなければならない。

 今回の環境白書では、こうした持続可能な発展への道筋に、経済社会のあり方を明確な目的意識を持って方向転換することが必要不可欠であること、その時期は「循環型社会元年」とも呼ばれる現在をおいてないこと、そして、「環境と共生する文化」の歴史的な素地のある日本が率先して循環型社会のモデルを示すことにより、21世紀の世界の潮流の中に「経済社会のグリーン化」の力強い流れを形づくっていく役割が求められていること、そのためには政策主体そして国民一人一人が社会の主人公として足元からの変革を着実に進めていかなければならないことを、次のような文脈で述べた。

 序章「21世紀の人類社会が直面する地球環境問題」では、20世紀における地球環境のマクロ的変貌と将来予測を踏まえて、人類社会の持続可能性を考えるとき、現在が地球環境の劣化に歯止めをかけるべき転換期とならなければならないことを明らかにした。
 これがまさに地球環境にとっての2000年の意味であり、21世紀の持続的発展への扉を開くために日本が率先して努力すべき必要性を指摘した。

 第1章「環境の世紀に向けた世界の潮流と日本の環境政策の展開」では、まず、地球規模での環境問題による影響、経済活動の拡大、国際関係の変化とそれらに対応する環境保全のための取組の方向性を考察し、次に少子高齢化や情報化を始めとする技術進歩、産業構造の変化など国内で起こる社会経済の構造的変化と環境対策の課題を明らかにした。
 こうした21世紀に予想される内外の構造変化を見据えつつ、環境配慮を組み込んだ経済社会としての「循環型社会」のあり方とその実現のために政策主体が果たすべき役割を考察した。

 第2章「『持続可能な社会』の構築に向けた国民一人一人の取組」では、経済社会の全体像だけでは見えにくい国民一人一人の視点から捉えた具体像を、個人の意識や行動の変化が企業の活動や行政施策に影響を与え、経済社会を持続可能なものに変革させる可能性について考察した。
 ここでは、特に財・サービスを消費する主体、資本を提供する主体、民間団体の活動を組織する主体という三つの側面から環境保全につながる個人の役割に着目するとともに、環境との共生を支える地域コミュニティの再興の必要性とその条件について論じた。これにより個人の目的意識を持った取組が持続可能な経済社会を構築するに当たっての大きな力になることを明らかにした。

 21世紀に予想される内外の構造変化を踏まえつつ、どのように経済社会のあり方を変えていくべきか要約してみよう。
 様々な構造変化の中にあって、環境との共生を確保するためには、国民一人一人に環境の価値に対する正確な認識と合理的な行動原理がしっかりと確立されることがまず求められよう。このためには、あらゆる局面で環境に関する知見、環境情報、環境技術等が適切に普及活用されることが不可欠である。
 環境の世紀を実現する鍵となる「環境保全と経済活動との統合」のためには、環境保全コストが市場メカニズムへ適切に反映されることを通じて経済社会の各部門における環境効率性を自ずと高めていくことが今後特に重視されよう。また、地域特性を活かして形成される環境共生型の地域社会がその基礎構造となることが望まれよう。
 もとより環境の世紀に向けた経済社会の構造変革は、社会の構成員それぞれにとって相当のエネルギーが必要な共同作業である。このため、政策主体の立場から、環境政策を始め各分野の行政施策の方向が各活動主体の環境保全への取組姿勢とうまく整合するように努め、互いに補強し合って相乗的な効果が上がるようにしなければならない。

 ここで、環境との関わりについて人類史を溯ってみよう。人類がこの地球上に初めて現れたのは、約500万年前のアフリカにおいてであったといわれている。最古の文明であるシュメール文明が起こったのは紀元前5300年頃、すなわち約7300年前であるという。人類文明の約7300年に及ぶ歴史のごく最近のわずかな期間、とりわけ産業革命が世界に波及した以降100年余りの間に、私たちは地球が46億年という長い年月をかけて形成・蓄積してきた資源やエネルギーを大量に消耗し、汚染物質や廃棄物を環境中に排出しつつ現代文明を築いてきた。この結果、地球環境の急激な劣化を招き、人類社会の持続可能性に黄色信号が点灯している。

 土壌の塩類集積によって衰退した南メソポタミアのシュメール文明や、過度の森林破壊によって滅亡したイースター文明のように、かつて古代文明はその因果関係を知らないままに環境の劣化のしっぺ返しを受けて滅んだ。これまで人類は、荒廃した土地を去り新しい土地を開拓することにより、次々と新しい文明を発展させてきた。そして現代の欧米文明に至り、文明がグローバル化し、地球上に逃げ場がなくなってしまった。今や人類は地球規模の環境劣化と真っ正面から対峙しなければならなくなった。


 現代文明が空間的広がりを極大化した今、人類社会の持続的発展は自らの拠って立つ現代文明を超越することから切り拓かなければならない。比喩的に表現すれば、今の人類社会は“現代文明病”に侵されている患者といえる。これに対処するには、生活パターンを抜本的に見直し、日常生活を自己管理すると同時に積極的に新陳代謝を促すことにより、思い切った体質改善に努めるしかない。これこそ人類社会ができるだけ早い時期に絶対にやり遂げなければならない重い課題であることは間違いない。

 人類社会のあらゆる活動のスピードからみて、その成否は21世紀中に判明するであろう。悲観的になりすぎることも、自暴自棄になることも避けなければならない。未来はこれから創り出すものであり、今日の選択とそれに基づく行動の積み重ねとがその明暗を左右するからである。そして、人や組織における個々の変革努力が共通の目的意識を通じ適切に組み合わさったとき、大きな相乗効果を発揮する。今回の環境白書では、このような足元からの変革努力により社会が大転換を遂げる可能性があることを強調した。私たち人類は、“環境を味方にする”ための社会変革の処方箋を生み出す英知と素早い実行力を持ち合わせているはずである。21世紀は、そうした可能性を秘めた「環境の世紀」なのである。

 現在が人類社会にとって持続可能性を回復するための転換期にならなければならない。現在に生きる世代が未来世代の命運を握っており、環境問題への対応を誤るわけにはいかない重い責任を担っている事実を、いわば「地球環境における2000年問題」として、私たちは肝に銘じなければならない。

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