7 有害廃棄物の越境移動対策
(1) 問題の概要
有害廃棄物の国境を越える移動は、もともと欧州のように多くの国が隣接し、商業上の往来も盛んな地域においては、従来から日常的なこととして行われていた。しかし、そうした移動の中には、環境上適正に行われているとは言い難いものもあった。特に、イタリアの農薬工場の爆発事故(1976年(昭和51年))により生じたダイオキシンに汚染された土壤が1982年(昭和57年)に行方不明となり、翌年フランスで発見された事件(セベソ汚染土壤搬出事件)を機に、有害廃棄物の越境移動に伴う環境汚染が懸念されるようになり、EC及びOECDにおいて制度づくりが始まった。
さらに1980年代後半に入ると、イタリア、ノルウェーなどからのPCBを含む廃トランス等がナイジェリアに投棄されたココ事件(1988年(昭和63年))など、先進国から開発途上国への有害廃棄物の輸出により途上国において環境汚染を生ずる事件が多発した。このような事件が生じるようになった原因としては、先進国でも処分が困難な有害廃棄物が、より規制が緩く処理費用もかからない開発途上国等へ輸出されがちなことが考えられる。こうして、有害廃棄物の越境移動問題は、先進国間だけでなく、途上国をも含んだ地球的規模での対応が必要な問題であるという認識が強まった。
(2) 対策
こうした問題に対処するため、1989年(平成元年)3月、UNEPを中心に、有害廃棄物の輸出に際しての許可制や事前通告制、又不適正な輸出、処分行為が行われた場合の再輸入の義務等を規定した「有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約」が採択され、1992年(平成4年)5月5日に発効した。
また、有害廃棄物の越境移動問題は、1992年(平成4年)にブラジルで開催された地球サミットにおいても地球環境問題の重要なテーマの一つとして取り上げられたところであり、またアジェンダ21の中でもこの問題への取組の重要性が指摘されている。
このため、我が国において、地球環境の保全に資する観点から早期にバーゼル条約に加入することが必要であるとの認識から、「特定有害廃棄物等の輸出入等の規制に関する法律」が、バーゼル条約の国内対応法として平成4年12月16日に制定、公布された。
同法の主な内容は、?基本的事項の公表、?外国為替及び外国貿易管理法に基づく通商産業大臣の輸出入の承認の義務付け、?通商産業大臣の輸出入の承認に際しての環境庁長官の確認等、?移動書類の携帯の義務付け、?不適正処理が行われた場合の回収、適正処分を命ずる措置命令、である。
同法はバーゼル条約等の国内実施を担保する法律であり、平成5年9月3日に施行令が公布されるとともに、特定有害廃棄物等の輸出及び輸入の最小化に努めることや輸出される特定有害廃棄物等の運搬、処分に際しては、環境保全上の観点から我が国において求められる水準以上の措置が国外においても要求されることなどを規定した基本的事項がとりまとめられたこと(公表は同年10月7日)などにより、条約の国内実施体制が整備されたことを受け、我が国は同年9月17日にバーゼル条約への加入を果たした。同年12月16日から同条約は我が国について発効し、条約対応法である同法も同日付けで施行された。
また、OECD加盟国間のリサイクルを目的とした廃棄物の国境を越える移動の手続きを規定するものとして、1992年(平成4年)3月に採択されたOECDの「回収作業が行われる廃棄物の国境を越える移動の規制に関する理事会決定」についても、我が国はバーゼル条約の我が国についての発効に先立ち加入したため、同決定の適用のある廃棄物の越境移動は平成5年12月16日以降特定有害廃棄物等の輸出入等の規制に関する法律に基づき、必要な規制が行われることとなった。
なお、このほか平成4年12月16日に公布された「廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一部を改正する法律」が、平成5年12月15日から施行され、廃棄物の輸出の場合の厚生大臣の確認、廃棄物の輸入の場合の厚生大臣の許可等廃棄物の輸出入についても必要な規制が行われることとなった。