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第1節 

3 水俣病

(1) 沿革
 水俣病は、熊本県水俣湾周辺において昭和31年5月に、さらに第二の水俣病として新潟県阿賀野川流域において40年5月に発見されたものであり、43年9月にそれぞれチッソ(株)、昭和電工(株)の工場から排出されたメチル水銀が魚介類に蓄積し、その魚介類を経口摂取することによって起こったことが政府の統一見解として発表された。
 被害の発生に際して、熊本県、新潟県等でそれぞれ独自の水俣病対策がなされていたが、昭和44年12月に「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」(以下「救済法」という。)の施行とともにそれぞれの関係地域が指定地域として指定され、46年8月には水俣病か否かについての認定の要件等についての環境事務次官通知及び公害保健課長通知が出され「救済法」に基づく医学を基礎とした認定業務についての周知徹底が図られた。
 一方、新潟水俣病第一次訴訟の判決が昭和46年9月に、また、水俣病(熊本)第一次訴訟についても判決が48年3月に出され、それぞれ昭和電工、チッソの加害者としての損害賠償責任が確定した。これらを踏まえた被害者団体と原因企業との直接交渉によって補償協定が、被害者団体と昭和電工との間には同年6月に、被害者団体とチッソとの間には同年7月にそれぞれ締結された。以後、「救済法」又は「公健法」による認定者は、この協定に基づき原因企業から直接補償を受けるようになった。
 昭和49年9月には「救済法」を引き継いだ「公健法」による地域指定がなされるとともに、認定の要件等の認定業務についてもそのまま引き継がれた。
 熊本の水俣病については、認定申請者の急増に伴い未処分者が増加したため、昭和52年6月水俣病に関する関係閣僚会議において「水俣病対策の推進について」の申合せを行い、以後これに基づき認定業務の促進を図ることとした。
 これを受けて、昭和52年7月「後天性水俣病の判断条件について」が環境保健部長通知として示され、認定のための水俣病の医学的な診断基準の具体化、明確化がなされるとともに、53年7月には「水俣病の認定に係る業務の促進について」の環境事務次官通知が出された。熊本県においても52年10月に月間150人検診120人審査体制(61年8月には月間250人検診200人審査体制に移行)を整備するなど未処分者の早期解消のための努力が重ねられた。さらに、54年2月には「水俣病の認定業務の促進に関する臨時措置法」が施行され、国においても認定業務を行うことができることとなった。
(2) 現状
ア 水俣病の認定業務
 水俣湾周辺の水俣病の現存被認定者数は、平成5年12月末現在、熊本県851人(「救済法」又は「公健法」により認定された者の総数1,725人、それ以外に「救済法」施行前認定者(「救済法」施行時死亡していたため法による認定をうけていない者。以下同じ。)44人)、鹿児島県289人(「救済法」又は「公健法」により認定された者の総数486人、それ以外に「救済法」施行前認定者1人)となっており(第5-1-1表)、認定申請中の未処分者は熊本県1,882人、鹿児島県157人となっている。ここ数年滞留申請者の処分は比較的順調に進み、未処分者数は昭和61年以降逐次減少してきているが、いまだ相当数の申請(再申請)があることや一部申請者による検診拒否、さらには申請者の高齢化による判断の困難化、未検診の死亡者や寝たきり等で検診を受けられない者の増加などのため、現在なお多数の未処分者が残されている。
 一方、阿賀野川流域における水俣病(新潟水俣病)の現存被認定者数は、平成5年12月末現在412人(「救済法」又は「公健法」により認定された者の総数685人、それ以外に「救済法」施行前認定者5人)であり、未処分者は3人となっている。
 このため、熊本県及び鹿児島県においては、未処分者の早期解消のため今後とも認定業務の促進に努めることが必要であり、整備拡充を図ってきた検診審査体制を適切に維持運用していくとともに、県外在住者など検診審査が遅れていた者に対する対応の強化などが重要になってきている。なお、県外在住の申請者については、県外検診機関を名古屋、大阪及び東京に整備している。
 水俣病の認定については、従来から医学的な判断に基づいて行ってきたところであり、昭和60年10月の水俣病に関する医学専門家会議において、改めて水俣病の判断条件の妥当性を確認している。また、平成3年11月の中央公害対策審議会答申「今後の水俣病対策のあり方について」においても、判断条件に変更が必要となるような新たな知見は示されていないとされた。
イ 治療研究事業
 認定審査が長期にわたっている申請者に対し医療費の自己負担分等を補助し、その症状の変化等を把握していくための治療研究事業を昭和49年度から実施している。
ウ 水俣病総合対策事業
 水俣病については、これまで「公健法」等により水俣病被害者の公正な救済に努めてきたところであるが、現在もなお、地域住民に健康上の問題が存在し、大きな社会問題となっている。環境庁においては,これらの問題への総合的な対策のあり方について中央公害対策審議会に諮問を行い、平成3年11月に、「今後の水俣病対策のあり方について」との答申が行われた。
 この答申を踏まえ、平成4年6月から、メチル水銀曝露を受けた可能性がある住民に対し健康診査等を行う健康管理事業、水俣病とは認められないが四肢末端の感覚障害を有する者に療養費及び療養手当を支給する医療事業を内容とする水俣病総合対策事業を実施しており、5年12月末現在3,572人が医療事業の対象者となっている。
エ 水俣病認定申請棄却処分に対する行政不服審査請求
 「救済法」に係る処分につき環境庁長官に対し行政不服審査請求を行った者は、平成5年12月末までに629件あり、うち取消し12件、却下2件、棄却380件の裁決を行ったほか、取下げが35件あった。「公健法」に係る処分につき公害健康被害補償不服審査会に対し審査請求を行った者は、5年12月末までに674件あり、うち取消し6件、却下2件、棄却225件の裁決を行ったほか、取下げが65件あった。
オ 水俣病関係訴訟
 水俣病の認定申請者団体等により、水俣病の発生拡大や被害者の救済に関して国、県等を被告とした裁判が現在全国9裁判所で係属している。
 平成2年9月以降、水俣湾周辺の水俣病に関する損害賠償請求訴訟に係る6裁判所から和解勧告がなされた。これに対し、国としては、訴訟の争点が国の行政のあり方の根幹にかかわる問題であり、交渉等により妥協を図るという性質のものではないことから、和解勧告に応じることは困難であると回答している。
 これまで、国、熊本県、原因会社等を被告とする損害賠償請求訴訟について以下のような判決が出されている。
? 昭和62年3月30日(熊本地方裁判所:被告国、熊本県、チッソ)
 原告らは水俣病に罹患していると認められる。チッソ、国、熊本県の損害賠償責任を認める。
? 平成4年2月7日(東京地方裁判所:被告国、熊本県、チッソ)
 原告らは医学的に水俣病と診断することができない。チッソの損害賠償責任を認め、国及び熊本県の国家賠償法上の責任を否定。
? 平成4年3月31日(新潟地方裁判所:被告国、昭和電工)
 原告らの感覚障害は水俣病によるものと推認できる。昭和電工の損害賠償責任を認め、国の国家賠償法上の責任を否定。
? 平成5年3月25日(熊本地方裁判所:被告国、熊本県、チッソ)
 原告らの健康障害は有機水銀の影響によるものであると認めるのが相当である。チッソ、国、熊本県の損害賠償責任を認める。
? 平成5年11月26日(京都地方裁判所:被告国、熊本県、チッソ)
 原告らは水俣病に罹患していると認められる。チッソ、国、熊本県の損害賠償責任を認める。
 なお、これらの訴訟についてはいずれも控訴がなされている。
カ チッソ金融支援措置
 認定患者に対して、原因企業たるチッソ株式会社は補償金の支払を行っているが、原因者負担の原則を堅持しつつ、補償金の支払に支障が生じないよう配慮するとともに、併せて地域経済・社会の安定に資するとの観点から、昭和53年6月の「水俣病対策について」の閣議了解等に基づき、関係金融機関による金融支援措置等を要請する一方、熊本県が県債を発行して調達した資金をチッソ株式会社に貸し付けるという方式(県債方式)が採られてきている。
 しかし、近年の長引く不況でチッソ株式会社の経営状況も急速に悪化し、補償金の支払に支障をきたす恐れも生じたため、平成5年8月の水俣病に関する関係閣僚会議申合せに基づき、同社へ約106億円の臨時特別の県債発行による金融支援措置が講じられた。また、県債方式については、平成5年度補償金支払分をもって期限切れとなるが、関係省庁等による協議の結果、引き続き6年度以降の取扱いについても、この方式を8年度補償金支払分までの3年間延長することとなったほか、5年11月に開催された水俣病に関する関係閣僚会議において6年度以降の方針等に関する所要の決定が行われた。
キ 国立水俣病研究センター
 国立水俣病研究センターは昭和53年10月に水俣病に係る唯一の総合的医学研究機関として設立され、水俣病像解明及び治療法確立等のため臨床研究、基礎研究及び疫学的調査研究を行っている。61年9月にはWHO(世界保健機構)から、協力センターの指定を受けており、平成5年10月にはWHOとの共催により、「有機水銀による環境汚染および健康影響の評価に関する国際シンポジウム」を開催した。同センターの組織は、1課3部11室からなり、定員は27名となっている。

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