前のページ

むすび

環境と共に生きるための新しい責任と協カ
 我が国国民はもとより、人類全てにとって環境を守る新しい努力が求められている。しかし、これは、決して容易な道ではない。環境を守ろうとすれば、いろいろな貴重なものをこのために割き、振り向ける必要がある。家庭であれば、ごみを分別したり、電気スイッチをこまめに消したりといった余分な労力と時間を使わなければならない。環境を汚すことの少ない商品を購入すると、そうでない商品よりも価格が高いかもしれず、この場合には、今までにない余分な費用を支払わなければならない。企業も同様であって、環境への負荷の少ない生産プロセスを導入しようとすれば、まず技術の開発や施設の設置に資金を投入しなければならない。資金や技術はもちろん、人材も新たに必要となる。また、その生産プロセスの運転のために、場合によっては、新たに資源や原材科やエネルギーが必要になることもある。資金や技術、資源・エネルギー、労力・時間といった貴重なものを余分に、また、今までと違った使い方で使うことは、誰にとっても不便なものである。避けられれば避けたいと思うのが偽らない気持ちであろう。しかし、環境の状況は第l章に見たとおりであって、将来への楽観は決して許されない。暮らし方、仕事の進め方、生産や消費などをこれまでのとおりに続けることができなくなったのが、今日の人類が置かれている状況である。
 我々が環境を守る行動を今以上に取らないでいたとしても、しばらくの間は今日程度の経済的利益を享受し続けられるかもしれない。とはいえ、そうした利益は、物質的に閉じ、全ての事が他と関連して変化する地球生態系の中では、他人の利益、例えば、未来の世代の利益を損なって得られるものであったり、海の向こうで生きる人々の利益を損なって得られるものとなってしまう可能性がある。さらに、我が国の深刻な公害で経験したとおり、環境にやさしい行動を取らずに得た利益よりも、他人や他の筒所で生じる不利益の方が大きいおそれも十分にある。他方、第4章第1節で見たとおり、我々が互いに役割を分担し、協力して取り組めば、それぞれが負担する費用や労力なども節約ができ、また、環境の悪化に伴って国の内外に生じる不利益や将来に生じるであろう不利益を大きく減らす可能性がある。我々に今求められているのは、狭い損得勘定から離れ、互いの長所を活かし、短所を補うことのできる望ましい協力関係を描き、それを実践することである。
 役割の分担に当たっては、単に効率性といった尺度だけでなく公平や公正といった尺度も重要である。例えば、直接に汚染の原因となる活動を行う者は、まずもって公害防止の貴任を果たす必要がある。さらに、環境に対するそれぞれの係わり方に即し、環境への負荷を減らすことを通じて、未来の世代に対する責任、地球全体への責任も担っていかなければならない。こうした責住を踏まえた望ましい役割の分担は、第4章第2節で見たとおり、具体的な問題の態様に応じて様々である。しかし、どのように役割分担がなされようとも、協力なくしては問題は解決されない。
 協力には、当事者がそれを意識する、しないは別として、結果として行われるものも多い。第3章で見たように今日の経済システムでは分業が進み、社会は、その成員が相互に依存する複雑な網の目からなっているが、このような経済システムの下では、意識されない協力関係が数多い。あるたった1社の企業が環境対策を行い、そのコストを価格に上乗せせず、他人に転嫁せずに自ら賄ったとしても、その影響は、例えば、雇用者所得や株主配当の減、将来の生産の基盤となる技術への投資の減などを通じて経済に波及し、国民はその影響を知らず知らずのうちに受ける。あることを行えば、他のことができなくなる。このできなくなったことの価値を費用に見立てたものを機会費用というが、誰もがこの機会費用を支払わないままに何かを成し遂げるということはできない相談である。
 網の目となった経済の働きを通じて広く国民が機会費用を含めた種々の費用等を究極的には負担するとすれば、国民にとって重要なことは、環境保全のための資金・労力などの負担に目をふさいだり、これを避けることではなく、どのような負担を行うかを進んで選択することである。そうすれば、最も重い環境保全努力を担う者も、いわば安心してその努力を果たすことができよう。他方、何をも失わずにいようとすれば、結局は、環境の悪化によって、将来、自らかあるいは自らの子や孫が被害という形で大きな費用を背負い込むことになろう。
 協力がうまく行われ、環境対策が効果的に進められれば、我々には環境の恵みを最大限に享受できる可能性が生まれてこよう。近時、ネットワークという見方で社会が語られ、ネットワークによって新しい価値を産み出す方策が探られているが、まさしく人と環境の問題こそネットワークという見方を必要としている。環境行政は、環境を守るための辛い犠牲を関係者の間に配分する行政というよりは、環境の恵みを最大限に、そして永続的にそれぞれが享受するための建設的な努力のネットワークを創る積極的な行政ということができよう。
 第4章第1節で見た多くの問題で、協力が、対策の隘路を打開する鍵となっている。協力を妨げている、関係者それぞれの抱える問題点、あるいはそれぞれの主張は多種多様であるが、立場を異にする人々が互いに協力関係を結ぼうとする場合には、これらの問題点等についての何にもとらわれない相互理解がまずもって必要なことは言うまでもない。こうした趣旨から、今年次の報告では、環境行政が直面しているいくつかの主要な環境問題を取り上げ、それぞれの関係者が抱えている問題点や主張を紹介した。今後は、平成5年3月に国会に提出された環境基本法案が国民の合意をもって制定され、そこに盛られた新しい理念や責務が国民皆の規範となり、これに照らして、問題点が克服されていき、異なる主張が歩み寄りを見せて、建設的な協力関係が積極的に創られていくことが期待される。政府においても、個々の人々の努力が関係者の協力のネットワークの中で具体的な環境保全の成果へと円滑に結びついていくよう、第4章第2節で見たように、枠組みづくりなどを通じて支援していく必要がある。
 協力を得るために行使される力には、報償を与える報酬の力、制裁を与える強制の力などいろいろな力があると言われる。けれども自発的、永続的な協力のためには、相互理解が不可欠であり、そして、相互理解の基礎は他者への「思いやり」である。それは、我々日本人にとって馴染みの深い東洋の先哲が種々の考察を巡らしてきた知恵のエッセンスとも言えよう。同様の知恵は、我が国の言葉の中にも見出される。大和言葉の「やさしい」とは、「痩す(やす)」という古語を起源としているが、このことは、痩せるほどに自省し、恥を知る者がなし得る、他者への思いやりが日本人にとってのやさしさであったことを示唆している。他者への思いやりが「あうん」の呼吸を生み、日本の社会を海外の人々にとって分かりにくいものにしているとの批判もあろうが、宇宙船地球号の中で人類が生き抜き、文化を享受していくためには、この船に乗り合わせた他の乗員への思いやりはますます重要となっている。
 第3章第3節で見た環境基本法案に褐げられた理念にあるとおり、地球環境時代の思いやりには、国境を越え、現代世代と将来世代の時間の壁を超えた思いやり、生態系の一員としての、他の生物への思いやりなどが含まれよう。このような思いやりは日本人にとって決して難しいものではないはずである。自ら実践して他の模範となり、また、世界の人々にその必要性と有効性を訴えかけていくこともできるはずである。環境基本法案の閣議決定に際する宮沢内閣総理大臣の談話に示されているように、我々は、自然の摂理と共に生きた先人の知恵も受け継ぎつつ、地球環境時代に対処していこうとしている。
 環境基本法案は、地球サミットの成果に沿った新たな取組みを世界に先駆けて始めるための挑戦であって、地球的規模で環境を守り、次代に引き継いでいくための努力は緒に就いたばかりである。新しい環境の理念を実際の行動に結実させていくことがこれからの課題である。そのために我々ができることは、まさしく我々の足元にある。一つひとつの問題をおろそかにせず、新しい知恵で解決していくことが人類の明るい未来に向けた唯一の道なのである。

前のページ