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結び

―持続可能な未来の地球の選択に向けた日本の挑戦―
 今日、我々は、人類史を画する転換点に立っている。
 産業革命以未、人類は、生態系が年々に生み出す産物への依存を低め、地球の貯えてきた地下資源を積極的に利用し、これを日々の消費に充てる技術を発展させてきた。特に、第2次世界大戦による荒廃から立ち直る中で、世界も日木も経済的豊かさの拡大がすなわち福祉の向上であると考え、意識して生産を高め、消費を進めてきた。その結果、1960年代央(昭和40年頃)には、環境の汚染、自然の破壊が世界の各地で見られるようになった。この時点では、環境汚染や自然破壊は限られた地域の問題にとどまっていたが、それでも、多くの悲惨な被害を生み、このような方向を未来に延長していったなら、人類の活動が環境の壁に突き当って、人類の活動自体が維持できなくなるような破局が来るのではないかという深刻な反省も先進国の国内では生まれた。こうして、日本や欧米諸国では次々と環境専門の行政機関が作られ、専ら汚染を減らし自然を守るとの観点に立った政策が行われるようになった。
 ところが、環境行政の草創期、世界が高度成長の項点にあった1973年(昭和48年)、皮肉にも石油危機が世界を襲い、人類の経済活動は人為的に設けられた資源の壁に直面することとなった。この影響は長期に及び、挽乱された経済活動はなかなか元の勢いを取り戻すことはできなかった。危機の中で進められた省エネルギーの動きは環境への負荷を引き下げることに役立ったが、他方で国民や企業、政府の財務状況の悪化が、環境保全への資本投下、費用負担の制約になった。環境行政も厳しい対応を余儀なくされたが、今日、高度成長期に生じた問題を克服する算段を編み出し、次の段階へと進む準備ができるところまで来た。
 この混乱の中では、石油危機前において環境よりも経済成長を選ぶしかなかった途上国の多くは、かえって経済的に一層困難な状況に追い込まれることとなった。地域によっては、貧困と環境破壊の悪循環に陥ったり、公害防止への十分な配慮を欠いたままで経済発展を急がざるを得なくなった。途上国の発展にとって1980年代は「失われた10年」と言われることがあるが、まさしく、多くの途上国においては発展はいよいよ切実なものとなり、他方ではますますその実現に慎重な配慮が必要となっている。また、東欧、旧ソ連の中央計画経済諸国も統制的な経済運営の積年の非効率性が吹き出し、民主化、市場化に向けて新しい船出を始めた。
 こうして、ストックホルム人間環境会議の20周年が巡ってきた。1992年(平成4年)6月にはブラジルにおいて、「環境と開発に関する国連会議」が開かれる。世界は、今、長らく続いた石油危機後の混乱や東西冷戦による軍事的緊張の重圧から脱して新しい出発の時を迎えている。これは20年前に方向付けようとしてできなかった環境と経済の統合、環境を保全しつつその恵みを東西南北の別なく、また現在の世代と将来の世代の別なく、分かち合い、享受し得る発展に向けて再挑戦できる機会が巡ってきたことを意味している。しかし、こうした再挑戦の時を待つ間も、地球の環境が従前よっもはるかに貧しいものとなっていることを我々は忘れてはならない。人間活動に起因する環境への負荷も20年前とは比較にならないほど大きく、環境の汚染や破壊が進んでいる。我々の今回の挑戦は失敗の許されない挑戦と言えよう。
 我々は、この挑戦において賢明に行動することができるであろうか。本年次報告の第3章及び第4章では、持続可能性という観点に立って、すなわち、未来の地球の眼から、我々を取り巻く環境の現況とこれを好転させるべく行われている各種の対策を見てきた。そこに見たとおり、我々の営む経済社会活動は未来の地球環境を貧しく汚れたものとするものであって、持続可能なものとはなっていない。対策も持続可能性を高める観点からはまだまだ不足していると言わざるを得ない。これまでのとおりの環境行政では、環境に多くを依存している人間活動の将来は危ういものとならざるを得ない。
 多くの予測が示すように、事態を放置すればほんの数十年先の人類ですら今とは全く異なった環境に住むことになる可能性がある。我々のすぐ後の世代が住む環境を決めるのは今に生きる我々自身である。地球の産物にも、人問活動から生じる不用物を収める地球の容量にも、限りがあることは間違いがない以上、今とは違う何らかの行動が取られない限り、遅かれ早かれ、地球自体が人類と相容れないものになってしまおう。こうした中で、我々が環境のための行動を直ちに取り始めないことは、いわばぱ将来の人類の生きる糧を犠牲にして今日の利益をむさぼることに等しい。我々の今日の利益の一部を将来の活動の基盤のために投資する英知が求められている。
 こうした英知は、将来のためだけでなく現在のためにも必要である。それぞれの国は国境で画された領域の中でその利害、得失をとらえるため、その繁栄がどのような費用によって賄われているかに気付かないことが多い。先進国の公害克服と好対照をなして途上国では自然が破壊されてきた。仮に、世界に国境がなかったならば、たとえ水平線の向う側のことであれ、そこに環境破壊があるならば、人々は資金や労力を投じて環境破壊にさいなまれている人々を救おうとするであろう。また、このような努力が実を結ばないなら、不利な環境を捨てて、人々は環境が優れ経済的に豊かな地域を目指して移り住んでこよう。我々の住んでいる世界には国境があってこうしたことは見られないが、国境に隔てられていても、理性を用いて、人類は助け合わなければならない。誰のせいであれ地球が破壊されてしまったら、人類全ての生存が危うくなる。地球は一つしかなく、人類はそこから逃れようもないからである。
 日本は、17世紀から19世紀中葉にかけて鎖国の時代を経験した。海外資源に一定程度依存しつつも、国内で生み出される自然界の産物を最大限に活用して、独自の高い文化を築いた。その社会では、技術の進歩は必ずしも速くはなかったし、封建的な社会関係は人間性を抑圧することも多かった。気候によっては飢餓が襲い、多くの人命が失われた。こうした江戸時代と同じ世の中に逆戻りすることは誰も望んでいないが、人類は、地球という器の中で暮らさなければならない点では、江戸時代の日本人が置かれていた状況と共通点のある状況に置かれている。好むと好まざるとを間わず、人類は、この限りある地球環境と共存し、その中で幸せを築いていかなければならないのである。江戸時代には、お留め山の禁伐林を盗伐すると極刑に処せられたし、自然界の産物を極力効率的に入手するため、あるいは自然の猛威を防ぐために、人々は力や資金を出し合い、場合によっては強制的な夫役によって辛い普請工事に汗を流した。今日の日本人も、この江戸時代の人々の営々とした努力の成果を各地の美林などに見ることができるし、この時代に整備された堤防や田畑に多くを負って暮らしを立てている。地球環境の中で生き抜くためには、地球の環境が有限であることが明確に認識され、それに応じた行動が育まれなければならない。地球が物質的には閉じた系であることを忘れて行動すれば、それがもたらす災禍は、耐え難いものとなろう。他方、同じように閉じた世界の中で、日本人は、相互扶助や譲り合い、自己犠牲といった洗練された行動を養い、文化を楽しんだ。日本人の知恵は、現代においても決して無価値なものではないであろう。日本人は、単に、その経済力を活用する面だけでなく、技術や知恵や意志や文化といった面でも世界に向けて明確に発言していくことがますます重要となってきている。
 今日、我々がなさなければならないことは、より適切な対策を講じるための科学的知見の集積と実施可能な対策を着実に講じていくことである。対策を後に延ばせば、後代の人々が被害の形で環境破壊のコストを負担する。環境保全の費用は誰かに「つけ回し」することはできても、誰もが負担しないというわけにはいかないものである。我々が今日得ている利益の一部は環境を犠牲にして得られている見せかけのものである。そうであれば、むしろ、各国や各人が、私的な利益や既得の権益、あるいは将来に期待する利益を一部譲り、進んで費用や労力を負担することこそが対策実行の鍵ではないだろうか。こうした厳しい覚悟なくしては、人類の明日はないことを肝に命じる必要がある。
 持続可能な地球社会を築くためにはなすべきことは多い。短期的な利益追求に終わらず長期的利益をも考慮する価値判断の選択、生態系と対立するのではなく地球生態系の一員としてその中での共存共栄を図る発想への転換、人間としての基礎的二ーズに照らした経済発展の質の向上、環境保全への多様な人々の参加と協力の4点を本年次報告では指摘したが、今後は、単なる掛け声ではなく、実際に汗を流す取組が求められている。
 特に、先進国は、経済成長の果実をこれまで思う存分享受してきた。我が国を含めこうした先進国がまず襟を正すべきである。世界各国の中でも日本は、困難に挑戦し、これを乗り越えていく能力の最も高い国の一つである。こうした国に生まれたことを我々は常に誇りに思っている。幸い、我が国は、その歴史的経験から、先進国の人々、途上国の人々を問わず、その思いを理解しやすい立場にある。また、農業国から工業国への迅速な発展の過程で環境問題と取り組んだ経験、その中で培った技術をも有している。我々は、こうした能力や立場、経験や技術など貴重な財産を持っている。我々は他国による努力を待つのではなく、これらを活かし、具体的な対策を次々と講じていくなど他に模範を示す役割を自らに課さねばならない。我が国は、国内にまだまだ多くの公害や自然破壊を抱えているとはいえ、環境対策の分野で既に大きな努力を行ってきた。こうした我が国がさらに環境対策を強めていくことは決して容易なことではない。しかし、持続可能な地球に向けた取組を、他国に率先して我が国が行っていくことが重要である。
 日本は、人と恵み豊かな自然を持つ国であるが、資源的に貧しい国であるがゆえに、限られた資源を有効に使用しつつ文化を発展させてきたという歴史的経験を有している。人類の歴史が新しい段階を迎えられるよう、世界各国と協力しつつ、いま我々がその努力を担い、未来のいつの日か平和で豊かな地球社会が実現できたなら、その中で我々の子孫は名誉ある地位を得ているに違いない。日本人の知恵や努力がこのように期待されている時は今を置いてなかったと言えよう。地球サミットの成果を受けて、我々は、決意を新に、今までとは異なった新しい行動に立ち上がらなければならない。

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