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事例紹介(専門家に聞く)

自然再生推進法に基づく自然再生協議会の事例紹介です。
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クマゲラの森を守る、それが森の再生に通じる

 クマゲラは日本最大のキツツキの仲間だ。全身約45センチで、カラスよりやや小さい。真黒の礼服、真っ赤なベレー帽を頭上に乗せているかのような風貌を特徴とする。4月半ばに産卵し、雛は5月中旬に孵化すると考えられている。
 秋田県森吉山麓のノロ川流域では、昭和53年から3年連続で合計9羽のクマゲラの繁殖が確認された。これを契機に、昭和58年に330haが森吉山国設鳥獣保護区の特別保護地区(クマゲラの森)として設定された。その後、平成5年には、保護区設定10年目の更新期に特別保護地区が一挙に3.5倍の1,175haに拡大、まさに悲願達成であった。
 森吉山麓高原における自然再生では、豊かなブナ林を象徴するクマゲラの再生・保護を長期的なビジョンとして掲げている。今回は、森吉山麓高原における森林再生とクマゲラの保護との関わりについて、秋田大学名誉教授の小笠原暠さんにお話を伺った。

記事:(財)環境情報普及センター
写真等提供:秋田大学小笠原暠名誉教授、秋田魁新報社、宮城県図書館

本州にはいるはずがないと思われていたクマゲラが発見された

──クマゲラという鳥はそもそもどのような鳥でしょうか。特に森吉山とクマゲラの間には深い関わりがあるようですが、その辺からお話ください。

小笠原 クマゲラは北海道でみることができますが、本州には生息しない鳥とされていました。

秋田大学名誉教授の小笠原暠さん
秋田大学名誉教授の小笠原暠さん

 ところが昭和45年頃から、秋田県の森吉山周辺でクマゲラを発見したという情報が地元の人たちから寄せられるようになりました。ちょうど私は昭和42年から秋田大学に奉職し、秋田県野鳥の会にも所属していました。野鳥の会ではクマゲラ生息の確証を得るため現地の調査をしたり、地元の人への聞き込みを行っていましたが、その姿までは確認できていませんでした。
 昭和50年のことです。地元に住む元・森吉町役場勤務の庄司国千代さんから、森吉山のブナ伐採地でクマゲラを目撃したという連絡が入りました。残念ながら、私自身は、ちょうど外せない用事があって行けなかったので、私の研究室の学生であった泉祐一君(現・秋田県職員)が、「じゃあ、私が行ってきます」ということで庄司さんと連絡を取り、現地に入った。
 翌日、泉君から大学の方に電話がありまして、「クマゲラの雄、確認した。写真も撮った。早く来い」と、もうほとんど命令するような勢いでした。それを契機に、私たち秋田県野鳥の会有志は暇さえあれば、手弁当で森吉山に日参し、クマゲラの観察を続けることになったんです。

 クマゲラの行動を観察して記録に取る。餌を採った跡のある採餌木を調べ、その樹種、食痕の位置、分布などを記録する。ねぐらを探し、穴の位置、面積当たりの本数なども詳細に調べました。
 これで確実に、森吉山ノロ川地域一帯の天然ブナ林にクマゲラが生息することが確認されました。昭和52年からは秋田県自然保護課がクマゲラ保護のための調査を実施することとなり、私たちは県の依頼を受けた形で調査を進め、昭和53年にはついに、森吉山でのクマゲラの繁殖を確認することができたんです。

──そもそも、クマゲラは本州にはいないとされていたんですよね。

小笠原 そういうことになっていました。日本の動物地理分布上の重要な境界線「ブレーキストン線」が北海道と本州の間、津軽海峡に引かれています。クマゲラは、ヒグマやナキウサギとともに北海道にはいるが、本州には生息しないとされていました。
 ところが、いろいろと研究論文を調べていますと、1934年(昭和9年)に、京都大学講師の川口孫治郎さんが、秋田県の八幡平で2羽捕獲しているんですよ。そのとき、川口さんは、「クマゲラは秋来て、春渡り去る」という表現を残していました。つまり、冬越しに本州に来ているんだと。
 しかし、クマゲラの習性や飛翔能力から考えると、毎年津軽海峡を越えて本州に渡来するとは考えにくい。おそらく氷河期に北海道から本州に移動したクマゲラが本州のブナ林に棲みつき、現在に至った。天然林の伐採が急速に進む中で、山深い、しかも古木の多い天然ブナ林が残っている秋田県の森吉山やその周辺でわずかに子孫を残し続けているんだろうと、考えています。森吉山でクマゲラの繁殖が確認されたということは、私の考えを裏付ける科学的な根拠になると思います。

江戸時代に描かれた伊達家鳥類図譜「禽譜」より(宮城県図書館所蔵)
江戸時代に描かれた伊達家鳥類図譜「禽譜」より
(宮城県図書館所蔵)

──それが「大発見」だったわけですね。

小笠原 クマゲラは本州にはいるはずがないと思われていたんです、学会では。
 「生息」はしても、繁殖は確認されていなかった。ですから、1978年の繁殖確認というのは、本州初めてですよ。
 その場所が、まさに今、自然再生事業がおこなわれようとしている森吉山の伐採地だったわけです。

──そもそも、たくさんいたのが、何らかの原因で減っていって…ということでしょうか?

小笠原 もともとたくさんいたかどうかもわかっていません。
 いろいろ古い文献を調べてみると、南は日光までいたらしいという記録があるんです。つまり奥羽山脈の脊梁にブナ林が残っていますね、そこに点々と血のつながりが残っていたんじゃないでしょうか。
 その後、拡大造林があって──林野行政が悪いと言うことではなく、必要性があってということなんでしょうけど──、ブナ林も結構、伐られていますよね。
 で、なぜか本州のクマゲラの生息地はすべてブナ林なんです。北海道では、針葉樹林のトドマツとかね、針広混交林に生息しています。おもしろいことに、ドイツでも繁殖はほとんどすべてブナでした。

──地球規模で見た時のクマゲラの分布というのはどうなっているんでしょうか。

小笠原 スペインからカムチャツカまでいるんですよ。北はスカンジナビア半島ですね。日本は西端、しかも大陸とは完全に隔離されて久しい。本州・東北地方のクマゲラは南限といってもいいですね。
 人によっては、ドイツやスペインの辺りにいるものとロシアの辺りにいるものとの亜種のレベルで境界線があるんじゃないか、という人もいますが、種のレベルではヨーロッパのクマゲラも日本のクマゲラも同じ種と考えていいと思います。

クマゲラの世界の分布図
クマゲラの世界の分布図  拡大図はこちら(JPG)

──生息状況はどうでしょうか?

小笠原 ヨーロッパ、特にドイツ、フランスでは戦後造林した森林がずいぶん立派になってきてます。そういった森林にクマゲラが棲みつき始めたようです。逆に日本では、森林の伐採で生息範囲が狭められ、造林もほとんどクマゲラが棲むことのできないスギ造林地になって、きわめて嘆かわしい状況といえます。
 北海道では、東京大学の北海道演習林でずっと調査していますが、本州に比べれば結構いますよね。本州は、全然較べものにならないくらい少ない。確認されている生息地も、八幡平山系と、白神山地の山系だけですね、今のところ。
 個体数が少ない上に生息地が奥深いブナ林ということで、見つけることもきわめて難しい。というのは、東北地方のブナ林はササが深くて歩けないんですよ、普段は。だから積雪期に雪崩覚悟で歩かないと見に行けないわけです。


かつては、クマゲラ“アレルギー”も根強かった

──さて、そのクマゲラは、本州ではブナ林のシンボルになっています。今回の自然再生事業の中でも。

小笠原 ブナ林以外のところでは、繁殖していないんです。
 繁殖できないわけじゃないんですが、していない。やはり適地はブナ林なんでしょう。営巣は、まっすぐ伸びて、下枝がないブナの幹、だいたい地上10m前後のところに巣穴を掘ります。
 高さだけでいえばアオモリトドマツなんかもあるんだけれども、皆、下枝があるんですよ。蔦も絡んでいる。そうすると天敵が木をよじ登ってくるもんですから、営巣しないんです。

──クマゲラがいるということは、自然が豊かということで、地元の人たちにとっても喜ぶべきことなんでしょうか?

小笠原 昔はまったく状況が違っていましてね。
 30年前にクマゲラの営巣が確認された当事、森林所有者の営林局にとっても、町の主力産業である林業関係者にとっても、森吉山のブナはドル箱だったんです。その森吉山で、クマゲラがいたから手を付けるな、なんて理論は到底通らない。
 「たかだか、クマゲラが数つがいいたからといって、林業はどうなるのか、原木の供給をどうするのか。鳥ごときに生活を奪われてはたまらない!」という、クマゲラ“アレルギー”は非常に強かった。
 私たちは、当時、1,000haの森林保全を学術的に要望したんです。でも、伐採と林道工事が先行し、県・地元・営林局の妥協の産物として保護区は330haに縮小されました。それでも、いわば悲願達成という形で指定を受けた聖域だったんですね。
 平成5年に、鳥獣保護区10年目の更新期に特別保護地区が一挙に3.5倍の1,175haに拡大されました。1,000ha以上というのはひとつがいのクマゲラの繁殖に必要な面積ということで私のこだわりがあったんですが、いわば、6年越しの保護区拡大運動が実ったわけです。

──それが今の自然再生の流れにもつながるわけですね。

小笠原 時代の流れですかね、昔日の思いです。
 最初にクマゲラを最初に見つけたときの論文に掲載したのが下図です。
 クマゲラは、この伐採跡地で待ち構える私たちの前に姿を現し、それでまた森に戻っていったんです。

クマゲラ行動図(小笠原・泉、1977)
クマゲラ行動図(小笠原・泉、1977)  拡大図はこちら(JPG)
クマゲラ行動図(小笠原・泉、1977)
  拡大図はこちら(JPG)

そのときの情景は今もまぶたに焼き付いて離れません。
 当時、森林を伐採して放牧地を造成しようとしていました。林業から農業へ転換が図られたのですが、それもうまくいかず、今の再生事業に結びついたんです。

──今の再生事業地っていうのは、まさにその発見の場所と言っていいわけですか。

小笠原 記念すべき地です。その地で今、クマゲラの繁殖場所をつくろうとしているんです。
 実は事業対象地の500ha全部が伐採地ではなくて、草地となっている面積は250haくらい。あとの250haは択伐したブナ林なんです。沢沿いや尾根沿いには、ブナが残っているんです。そういうところは十分、エサ採り場として、今も機能しているんです。

ブナ林生態系のシンボル・クマゲラ

──クマゲラはブナ林じゃないと生息できないということですが、ブナ林を象徴する生き物、ブナ林生態系のある意味では代表的な生き物ということができるのでしょうか。

小笠原 それは言えると思います、本州に関しては。ただ、北海道は道南を除いてブナがほとんどないもんですから。
 ドイツなどでは、アカマツに営巣しているのも見てきました。周辺によいブナの林がないときには、そういう木でも営巣するんです、たまには。ヨーロッパアカマツでしたね。日本のアカマツとはだいぶ違います。ただ、ブナ林も両方あるところでは、やはり、ブナ林に営巣していました。

──よく生態系ピラミッドを描いて食物連鎖の頂点にいる生き物をその生態系のシンボルとしますが・・・

小笠原 クマゲラの場合、トップよりは下ですね。クマタカなどが頂点に君臨していますから、生態系の頂点というわけではない。

──それでもなお、クマゲラがブナ林のシンボルとされているのは、どうしてなんでしょう?

小笠原 クマゲラは、枯れ木などに潜んでいる虫とか幼虫とか、アリとか…、そういうものを餌として食べてるでしょ。だから古い木がないと彼らは生きていくことができないんですよ。巣穴も地上10メートル以上で大きなブナが必要です。クマゲラが生きていくには、成熟したバランスの取れたブナ林が必要になります。逆に、クマゲラが棲むブナ林は安定した典型的な生態系といえるわけです。

──それと、あと広い面積が必要だということですね。何百ヘクタールとか。

小笠原 百ヘクタール単位ではまったく足りないです。行動範囲としては、千ヘクタール以上はないとだめなんです。
 ブナ林がないと、クマゲラはいない。でも、ブナ林があっても、成熟した、よいブナ林じゃないといない。しかも1,000haくらいが塊として必要です。


森吉山麓高原の森を再生することで、クマゲラにとってはどんな意味があるのか

──隔離分布のような、生息域が分断されてることを改善する上で、緑の回廊のようなものを再生する計画もありますが?

小笠原 あれは、すごく有効だと思います。期待はしています。ただ、今の現状でどうかと思うところはある。つまり、つながっていない部分が残るわけですから、回廊とはいいながら分断されている。
 つながりが大事なんです。分断されて、あまりにかけ離れ過ぎていると、彼らは行き来しないんですよ。2~300mくらいなら楽に行き来するでしょうけど、1kmも離れると、ちょっと厳しい。意外と飛べない鳥なんです。しかも森の中を飛んでいて、開けたところ、例えば人家の上を飛んでいくようなことはしない鳥なんですよ。
 クマゲラは、秋口になって結構移動するときがあるので、そのときに単発的に行き来することは不可能ではないでしょう。でも、そんなには飛べない。ある程度、森がつながってないと行き来はできないんです。

──ここで再生しようとする森林は1つがい分の面積に満たないくらいで、クマゲラの生息にはあまり効果はないという見方はされないでしょうか?

小笠原 そうとも言えない。つまり、ここで繁殖した個体が別のところに行って拡がっていくことも可能なんです。少しでも多くのブナ林を再生することによって、より多くのつがいを繁殖させることにつながりますから、キャパシティができてくるということですよ。

──成熟した森ということでは、ここ森吉の自然再生事業も、100年先くらいまでと長い時間がかかりそうですね

小笠原 すぐには利用してくれないでしょうね、クマゲラが。
 でもクマゲラは、今以上ブナ林が伐採されなければ、現状維持は大丈夫。その間に、ブナ林が再生されるような場所が増えれば、見通しも悪くはない。
 今まさに取り組むべき、非常によい事業だと思います。

──クマゲラがブナ林のシンボルとして、世の中の人に知られるようになったのは、せいぜいここ10年の話のようですね。

小笠原 そうですよ。今でこそ、白神山地のシンボルのように言われてますけど、森吉こそが、秋田にとって、また本州全体にとっても、発祥の地なんですよ。今はいろんな人がクマゲラに関心を持ってきてますね。東北一帯のシンボルなんですよ。

──クマゲラだけでなく、自然再生の対象としているブナ林への思いと言いますか。かつての古き良き時代の思い出も含めて、それを再生していこうとする取り組みについて、先生の期待を伺っておきたいと思います。

小笠原 全面的に再生できれば一番よいと思っていますけども、それは現実的に無理ですから、やりやすい地域から部分的に再生していくと。そうすると将来的につながっていくだろうと見ています。
 ブナ林はいいですよ、本当に。四季を問わず、よいです。
 鳥以外にも、ブナ林の中に清流が流れるでしょ。水がよい。魚もたくさんいる。そういう環境をつくりたいんです。
 だってね、天然林といっても、スギ林に入ってみると少ないんですよ、生き物が。下草も少ないでしょ。本当につまらない。秋田スギって、経済価値はあるけれども、生物は少ないから、無味乾燥なんです。

──ブナは、木偏に無いって書いて役立たずって言われましたよね。

雪被る森吉山を臨む(平成18年2月)
雪被る森吉山を臨む(平成18年2月)

小笠原 昔は軽視されてきた。最近は、木材加工の技術が発達してきて、いろんな用途が出てきています。
 ぼくだって、ブナ林が好きになったのはクマゲラがいたからだと思う。頻繁にブナ林に入ることによって、その意味がわかってきたし、興味が出てきたんです。
 だから、多くの人にブナ林に接してもらい、そのよさを感じ取ってもらいたいんですね。


関連情報

参考文献

  • 『クマゲラの世界』小笠原暠著、秋田魁新報社(昭和63年初版発行)

    「クマゲラの世界」表紙
    「クマゲラの世界」表紙

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