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事例紹介(事業地紹介)

自然再生推進法に基づく自然再生協議会の事例紹介です。
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神於山保全活用推進協議会[現場ルポ]
神於山保全活用推進協議会[専門家に聞く]

神於山保全活用整備について

市街から眺める神於山
市街から眺める神於山

 大阪府南部に位置し、温暖な気候と岸和田城を中心に自然と伝統に恵まれた城下町として発展してきた、祭都・きしわだ(大阪府岸和田市)。市の中央を流れる春木川の水源で、市街地から仰ぎ見たときにまず目に飛び込んでくるのが、岸和田市住民の心の故郷ともいえる「神於山」だ。
 その神於山が、近年の社会的・自然的な状況の変化に翻弄され、荒れ果てている。里山は人の手が入らなくなって荒廃し、竹林の繁茂や、不法投棄なども増えている。
 かつて里山として活用されてきたことで守られてきた神於山の自然を保全し、新たな活用を模索するための挑戦がはじまっている。

記事:岸和田市環境部環境保全課環境再生担当参事・井上博
写真等提供:岸和田市

岸和田市の概要

 岸和田市は、大阪府南部に位置する、人口約20万人の地方都市。温暖な気候、岸和田城を中心に自然と伝統に恵まれた城下町として発展してきた。300年をこえる歴史と伝統を持つ岸和田祭(だんじり祭)をはじめ、貴重な文化的遺産も数多く残っている。
 関西国際空港から車で約15分という距離にあり、また、大阪都心部からはJR阪和線、南海電鉄本線、阪和自動車道が通じるという地理条件に恵まれる。
 市域面積約72km2、人口は約20万人。平成12年の第17回国勢調査によると、年少人口(15歳未満人口)、生産年齢人口(15以上65歳未満人口)及び老年人口(65歳以上人口)に分けた年齢別人口比では、それぞれが全体の16.3%、68.0%、15.5%を占める。ここ最近の傾向としては、生産年齢人口が減少に転じ(前回国勢調査の平成7年比▲0.8%)、年少人口は微増(同0.3%)するものの総人口に占める割合は引き続き減少。一方、老年人口の大幅増(同23.6%)と、少子・高齢化が進行している。

 大阪湾に臨む中心市街は寛永年間(17世紀初め)以降、岡部氏の城下町として発達し、明治中期以後は泉州綿織物を主とする紡織工業都市として発展した。金属、機械器具、レンズ工業も行われ、臨海部の埋立地には1966年(昭和41年)以降木材コンビナート、鉄工団地が建設された。
 和泉山脈北麓と台地では溜池灌漑(ためいけかんがい)による米のほかタマネギ、ミカンや桃、花卉(かき)の栽培が盛んだ。

神於山位置図
神於山位置図  拡大図はこちら(JPG)

きしわだのシンボル・神於山

 神於山は、岸和田市の中央を流れる春木川の水源であり、全域約200ha、標高296.4mの山で、市街地から仰ぎ見たときにまず目に飛び込んでくる。
 その山容は美しく、親しみがあり、農業用の命の水を発する源として古代から『神のおわす山』と呼ばれ、「自然」と「霊山」としての崇拝対象となってきた。また、山麓周辺には遺跡や歴史を有する社寺が多く、地域には民話や伝承も多く、岸和田市の住民の心の故郷ともいえる山である。
 尾根筋は東西に配列し、最高峰や分水嶺は南に偏っている。南側斜面は急峻であるが、北側斜面は比較的緩やかであり、土砂層の谷が侵食され、その谷を基点して山麓の溜池へ注ぐ水路が生じている。その流れは溜池を経て、さらに下流の水路から河川へと続いている。

山側(南東方面)より
山側(南東方面)より
海側(北西方面)より
海側(北西方面)より

 元々の植生は、常緑広葉樹林のうっそうと繁った原生林。現在は、大阪府自然環境保全地域に指定されている「意賀美神社」の境内に名残がある。しかし、人里近くの山であったため、先人達が長年薪採り等に利用し、急斜面や乾燥する所はアカマツ・コナラなどの二次林となり、緩斜面はミカン山・竹林となった。
 一方で、信仰と地形・地質の特性により、神於寺・意賀美神社などには、この地域の模式的な潜在植生が、人里近いにもかかわわらず残っている。
 また、霊山として崇拝されていた神於山は、その周辺とともに宗教的にも庶民の生活と結びつき親しまれてきた。役(えん)の行者創建と伝えられる神於寺や如法峯、般若峯、布引山、北阪明神、光忍上人の伝承等、更には、雨乞いの神として農民の信仰を集めてきた意賀美神社・山直の祖をまつる山直神社、6世紀頃の河合の豪族の墓とされている河合古墓のある東葛城神社など、神於山全山が信仰的な雰囲気に包まれている。
 また、信仰的に庶民と結びついているだけでなく、意賀美神社雨降りの滝の絶景・神於寺の桜と紅葉、ハイキングコース・北阪のミカン狩りなど、多くの市民にリクレーションの場を提供している。
 その反面、自然的社会的環境の変化は激しく、竹の拡大繁茂による植生の悪化、廃棄物の不法投棄、土採り等によって、神於山における自然の保全は厳しくなりつつある状況だ。

神於山まつり
神於山まつり
竹林分布1(昭和36年)
竹林分布1(昭和36年)  拡大図はこちら(JPG)
竹林分布2(平成15年)
竹林分布2(平成15年)  拡大図はこちら(JPG)

神於山を守り、活用していこう ──神於山保全活用推進協議会の発足

 神於山では、昭和48年よりその一部を都市公園『緑と太陽の丘』(約20ha)として自然公園的な位置付けで開設していた。すでに開設から約30年が経過している。この間に林道が開設されたことで、不法投棄等も絶ない。また社会生活の変貌により山に入る機会もなくなり、山は著しく荒廃していった。
 平成10年に策定した岸和田市環境計画を受け、市民主導の自然環境の保全を行うべく、従前里山として利用されていた同山の保全再生を掲げて里山ボランティア育成講座を開講した。
 講座修了生を中心に、平成13年4月に『神於山保全くらぶ』が結成されて、都市公園内を里山として再生すべく活動が開始した。
 こうした中、平成14年に一企業より同山の所有地(約37ha)を市に寄贈するとの申し出があり、庁内で検討した結果、公園部分と合わせた約57haを今後、自然公園的なものとして活用すべく方向性が出されることになった。
 平成14年8月、神於山保全活用事業について、地元住民の方々に説明会を開催。翌年3月には関係官庁と地元住民及び市民活動ボランティアが一体となり、同山において第51回大阪府植樹祭(平成15年4月)を協働して実施、参加者約2,000名と盛況を呈した。
 平成15年9月の『神於山保全活用推進協議会』設立にあたって、神於山全体を対象にするか、市有地部分に限定するか議論もあったが、市民との協働を全面にしての整備を進めるため、神於山とその周辺の自然環境の保全・回復を目的とし、植樹祭実行委員会メンバーなど地元の方々を中心に関係官庁や有職者を選んで立ち上げることになった。
 その後、平成16年3月に、自然再生推進法に基づく整備を進めるため、同協議会を同法に基づく協議会として位置づけることを承認された。
 平成16年10月に自然再生推進法に基づく全体構想を策定。
 平成17年6月に同法に基づく実施計画を策定し、自然再生専門家会議において、「特別に付帯する意見なし」との回答を得た。

“神のおわす山” ──神於山の歴史背景

 和泉地方は恵まれた気候により、弥生時代から人が住み着いており、また大和に近いという地理的特性もあって、古くから開発されてきた。このため、平地部ではどこを掘っても弥生遺跡などの埋蔵文化財があるといわれている。
 岸和田では、遺跡は春木川や天の川流域に多くみられる。当時の土木技術では春木川・天の川が水田耕作に利用できる唯一の流水であったため、その水の源である神於山は命の水を発するところとして大切にされてきた。水田開発が進むに連れ、小さな川や湧き水では充分な水量を確保できず、神於山周辺に多くのため池が造成されていった。
 岸和田の水源であり、水への信仰に支えられた神於山は、古くから「神のおわす山」として、山そのものが神体山として崇拝の対象であった。仏教の伝来、山岳信仰と仏教との習合、修験道の修行の場となったことによって更に信仰を深められた。そして修験者のこもる神於山は人々の尊敬、崇拝を集め、立派な寺院が建てられた。
 中でも南麓に位置する天台宗寺院・神於寺は、中世108坊の大伽藍を誇ったといわれており、南北朝時代には他の和泉の寺達を含めて、千早・赤阪とともに南朝の拠点となったとされている。そうして興隆した神於寺だったが、1484年には根来寺との争いに敗れ、その勢力下に置かれ、さらに豊臣秀吉の根来衆討伐によって完全に灰燼に帰してしまった。しかし、寛政8年(1796)に出版された「和泉名所図会」には本堂、宝勝権現及び10余りの坊舎があると記されている。このように神於山の歴史は、神於寺の歴史に大きく影響されてきた。

和泉名所図会
和泉名所図会

特色のある活動

 山の保全ということでは特筆すべきことはない。ただ、繁茂する竹林の整備を行うに当たって、笹の部分を白浜アドベンチャーワールドのパンダの餌として供給している。同園が人を雇って竹を切っているが、その供給源として、神於山及びその周辺の孟宗竹を提供している。竹林整備・餌の確保・雇用対策と、一石三鳥の効果を産み出している。

エコーはがき
エコーはがき

 また春木川は海から山まで本市域内を流域としているため、その周辺に住む人にとって山と海をつなぐ川・故郷の川として親しまれている。その春木川・轟川の清掃活動で、毎年2回、周辺町会による自発的な一斉清掃活動が行われている。毎回2,000人程度の参加者があり、既に10年ほど続いている。
 これとは別に、「春木川の源流である神於山が荒れることは、豊穣な“茅ぬの海”が荒れることになる」と、大阪府魚連の若手の漁師さんたちが山を保全するべく年に数回、山の一角を「魚庭(なにわ)の森」として整備してくれている。
 また春木川の流域にある本市最大の久米田池も住宅排水などで水質の汚れが目立つ。池の保全をすべく、久米田池を守る会として地元町会が数年前より清掃活動を行っている。
 このように神於山から流れる春木川の流域には多くの人々が住んでおり、川が山と海をつなぐ回廊となっていることを認識し、地元町会が中心となってその清掃活動や保全活動を行っている。

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