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自然再生推進法に基づく自然再生協議会の事例紹介です。
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昭和33年ごろの浅畑沼(前島幸彦さん提供)
麻機ではかつて、雨は音から先にやってきた。遠くでザワッと音がし始めたかと思うとやがて覆いかぶさるように迫り、バタバタバタと大音響になる。ハスの葉に打ち付ける雨だ。梅雨どき、ハスは見事な淡紅色の花を一面に咲かせていた。
一日降った翌朝、空は青く晴れ上がっても足元ではじわじわと水が増していた。水が少し下流から逆流してくるのだ。沼の間の農道が決まって沈んだ。朝雨が降ったら夕方学校から帰れない。今日降れば明日は通れない。人々は道を踏み外さないように両側に柳を植えた。
昭和30年代までのこの浅畑沼の情景は、今は人々の記憶の中にのみある。そして柳並木が残った。
記事:清藤奈津子
写真等提供:静岡県静岡土木事務所、前島幸彦、清藤奈津子
現在、麻機地区では巴川の遊水池整備が進められている。遊水池とは大雨の際、水を一時的に貯めることで洪水を防ぐためのもの。田畑を買いあげ、掘り下げて池を造る。
5つの工区のうち、第4工区・第3工区はすでに完了している。最初に完成した第4工区は、一部が池になり水鳥が遊ぶ。ヨシ、マコモが茂り、池をめぐる遊歩道も整備された。大雨の際には浸水するが、ふだんは水のない場所が運動場や公園として住民の憩いの場に活用されている。
第3工区にも池ができ、昔の姿を忍ばせている。
現在は第1工区の工事中。大きな重機が四角くほ場整備された田を掘り返している。
麻機遊水池全景(着工前)と予定工区(静岡土木事務所提供)
※クリックすると拡大します。
もとより平坦なこのあたりは一面の低湿地だった。西北に背負った丘陵から巴川が流れ出し、この地をゆるやかに行きつ戻りつして大沼小沼をつくりながら清水港へ流入した。大雨の際にはあちこちで川が逆流し氾濫した。
いくつもの沼は水路で結ばれていた。あるところではヨシが茂り、あるところにはハスが育ち、あるところは田んぼだった。ヤナギの林を抜けると小川が流れていた。子どもたちはそれを飛び越えて魚釣りをした。鳥の声が聞こえ、いつも生き物の気配がしていた。春の雨で増水すると、魚が田んぼにのっこみ(入り込み)、田んぼではナマズの産卵も見られた。「浅畑沼で遊ぶのは本当に楽しかった」と、今も近くに住む栗山由佳子さん(麻機自然再生協議会委員)は40年前を振り返りこう語る。
現在の麻機遊水池(背後の丘陵より臨む)
昔ここでは人々は腰まで泥に浸かりながら田植えをした。いわゆる沼田だ。「田んぼが大雨で流されるから杭でつないでいた」と多くの人が真顔で言う。浮島の状態で、田んぼがその下の地盤からゆるゆると離れていったという。十年一作と言われ、収量は極めて悪かった。それでも米を作り続けるしかなかった。沼田を乾かし良田にしたい、それは農民たちの悲願だった。
ほ場整備が昭和34年に始まった。沼に土を入れ排水路を整備したことで、田の面積は一気に広がり豊かな耕地が出現した。見捨てられてごみ溜めにされ、悪臭を放って「ごみっちょ」と呼ばれていた現在の第4工区も、生産の場になった。陰鬱な泥沼のイメージはいつの間にかなくなった一方で、洪水被害が度重なるようになった。かつては沼で緩衝されていた雨水が一気に川に流れ込んだためである。昭和49年の「七夕豪雨」は流域で過去最大の被害をもたらした。非生産的だと思われた沼が実は安全を支えていたことに、皆が気づいた。
静岡県は巴川流域総合治水対策事業の柱の一つとして、麻機地区に遊水池を整備することを決めた。工事は昭和50年に始められた。住民たちは田んぼを守ることよりも生活の安全を選び、反対の声はなかった。
「巴川流域麻機遊水池自然再生協議会」は静岡県静岡土木事務所の主導で平成15年1月に設立された。きっかけは、第3工区(元の浅畑沼)で出現した美しいミズアオイの花だった。
土には多くの植物の種子が埋蔵されているが、十分な酸素を得ることができなければ発芽することはない。第3工区の工事で、表土を移動させたりかき回したりしたことにより、眠っていたミズアオイが一斉に芽を出し大群落となって花開いたのである。いわば「シードバンク」が引き出されたわけだ。伝説だったオニバスも復活した。
水面ができたことで自然環境が変わり、植物、昆虫や魚、それをえさにする小鳥や水鳥が増えた。自然愛好家・保全家たちはこれを見逃さなかった。栗山由佳子さん(前出)は、ミズアオイを研究する兵庫県の学者を招請し、ミズアオイシンポジウムを開催した。現「NPO法人麻機湿原を保全する会」でも、動植物の調査を行い保全について検討していた。
工事を進める静岡県土木事務所はこれらを重視し、工事も自然環境に配慮しつつ住民との合意の上で行うために、自然再生協議会の設置へと動いた。平成9年に河川法が改正され、治水事業は環境保全を抜きにしては考えられなくなっていた。
第3工区の現在の様子 |
ミズアオイ群落 (静岡土木事務所提供) |
ミズアオイの花 (静岡土木事務所提供) |
自然再生協議会の会長には、地質と湧水の専門である土隆一静岡大学名誉教授を招いた。
団体会員は、地域の小学校、町内会、ロータリークラブなどと、学識者の集まるNPO法人麻機湿原を保全する会、柴揚げ漁保存会、歴史文化を研究する麻機村塾など、県土木事務所から依頼した17団体。個人会員は公募で自然環境の保全に関心を持つ18名が集まった。現在は団体会員24団体、個人会員18名、学識経験者2名に増え、行政機関7機関を合わせると総勢51名である。
この協議会の注目すべき点は、希望した人は誰でも委員として受け入れることである。「保全の方法や工事の仕方に反対意見や疑問をもって事務所に来る人には、委員になって一緒に考えてください、とお願いします」と担当者の津島康弘さん(静岡県静岡土木事務所)は言う。この方法で協議会の中で議論を重ね、合意をとっていくことで、皆が納得していくという。開かれた協議会だ。
柴揚げ漁風景(平成12年1月/静岡県静岡土木事務所提供)
協議会の下に策定部会(委員数41名)が設置され、方針はここで固められている。
協議会は設立以来およそ1年半にわたり、麻機湿原の勉強会を行ってきた。委員の中には自然や麻機の歴史文化にこれまで触れたことのない人も多く、レベル合わせができないと協議に入れないためである。団体会員になっているNPO法人麻機湿原を保全する会には、昆虫、魚類、両生類、植物など多方面の専門家がおり、講師役を担った。並行して、麻機の目指す姿とはどのようなものか検討を重ねた。麻機のよい点、貴重な・保全したい動植物のリストづくりから始め、工区ごとの目標を定めるとともに課題も抽出した。浅畑沼のあった第3工区について、昭和30年代前半の自然の状況に復元することで合意ができたのは平成16年度末のことだ。
第13回策定部会(平成18年2月)
協議会では、平成17年度末までに全体構想をまとめ上げ、18年度からは今後の実施計画を作る段階に入る予定だったが、まだ全体構想の最終合意に至っていない。一方で、完成した第3、4工区と工事中の第1工区については、その中でゾーニングを行い、ゾーンごとの利用方法・目標像の検討をはじめている。
「ごみっちょ」と言われた第4工区は、ヨシやマコモを茂らせたままにするサンクチュアリ部分と、防犯上刈り取って見通しをよくする場所を設けた。一部では枯れた植物の堆積のため早くも陸化が始まっている。それにより雨水の貯留量が減るため、静岡土木事務所の今後の検討課題となっている。
第3工区のミズアオイ群落はあっというまに姿を消した。ミズアオイを生育させるには表土の撹乱をし続けることが必要だ。工事が終わると、ミズアオイのあった場所はどんどん大型の草に覆われていった。タコノアシなどの他の希少種も減っている。
もともと、遊水池整備はかつての沼と全く同じ状況に戻すことではない。芝生のある人工的な公園もそこには造られる。各工区に公園としての利用エリアがあり、花壇に花を植えたい人も、子どもたちをそこで元気よく走り回らせたい学校の先生も、委員として参加してきている。遊水池に期待するものが委員によってかなり違うのが、麻機自然再生協議会の特徴だ。目指す自然の姿を同じくする者が集まってできた協議会ではない。「麻機をよいところにしたい」という思いは皆同じで明確だが、その具体的イメージを初めから一つにしていたわけではなかった。遊水池で繁殖する外来魚問題も解決しないままだ。裏を返せば、そこがこの協議会の悩みにもなっている。
自然再生推進法に基づいた自然再生協議会では、自然の保全や再生を目標として活動するケースがほとんどだ。開発による汚染や土木工事によって損なわれた自然を回復・再生しようとする活動が典型といえる。麻機の事例が面白いのは、土木工事がきっかけで、昔の自然の状況が図らずも蘇えることになり、自然や文化を保全したい人たちと利害が一致したところにある。途絶えていた柴揚げ漁も文化として復活した。土木工事が自然再生の一環でもあったのだ。
しかし、その役割を終え、公園的な利用計画づくりの段階に入った今、県土木事務所を含め公園として利用したい人と、自然を再生し保全したい人との思いのずれが顕在化してきた。全国でも3番目という早い段階で立ち上がった自然再生協議会でありながら、全体構想を取りまとめるための合意形成に時間をかけている背景には、そうした事情も潜むようだ。
麻機遊水池自然再生協議会は新たな出発点にある。自然再生と公園をうまく一つにするために、協議会がどのように進展するか。今後の動きを見守りたい。
現在の第4工区。ヤナギとマコモ、ヨシが生えている