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現場ルポ

源流の100年の木で家を造ろう

4月初旬には街道沿いの梅の古木が白い花を咲かせ、5月には土手の桜が咲き誇ります。都心からは一ヶ月余りも遅い春が到来する山梨県小菅村です。新宿駅からJR中央線と青梅線を乗り継いで2時間近く、終点駅の奥多摩駅で下車し、さらにここからバスで50分。左手に首都圏の水ガメである小河内ダムの奥多摩湖を見ながら、バス道路を上っていくと、ここはもう多摩川源流の村です。

車窓から見えるのは支流の小菅川。多摩川の中・下流の風景とは異なって、堆積した褐色の砂地を浅く蛇行しながら流れる川に変っています。村の中心でバスを降り、川原に向うと、川中に突き出るような形で小石が敷かれた釣り場があって、親子連れが楽しんでいます。近くに案内施設「フィッシング・ビレッジ」があり館内にはヤマメやイワナなどの習性や釣りのコツなどが初めて訪れた人にもわかりやすく展示されています。

源流部はここからさらに上流に位置し、大菩薩峠を含む連峰を背にして、滝や渓谷が連続しています。「滝から清冽な水しぶきが上がる。川にはヤマメが泳ぎ、山あいから温泉が湧き出る。小菅村は自然に浸る心の源流」と村案内のパンフレットに記された通り、都会を離れてひととき、澄んだ空気を吸い、渓流の音を聞き、山々の緑を目にしているうちに、次第に心の安らぎを感じてきます。

奥多摩駅近くの多摩川の渓流。この上流に小河内ダムがある。
奥多摩駅近くの多摩川の渓流。この上流に小河内ダムがある。
首都圏の水ガメである小河内ダムによって水を貯える奥多摩湖。この上流が小菅川。
首都圏の水ガメである小河内ダムによって水を貯える奥多摩湖。この上流が小菅川。

記事・写真等提供:佐藤年緒(環境・科学ジャーナリスト)


魅力知る人たちに危機感

ここ小菅村の役場では、廣瀬文夫村長を先頭に地元の森林組合や林業、建築、水問題などの専門家、さらに流域の団体関係者らが定期的に集まって、源流再生の具体策を練っています。多摩川源流自然再生協議会の事務局である多摩川源流研究所(中村文明事務局長)が活動の要になるだけに、同研究所の年間事業計画を検討する4月8日の運営委員会でも委員たちの議論にも熱がこもっていました。

協議会会長は、源流研究所の運営委員長も務める宮林茂幸東京農業大学教授です。森林研究者として、東京都世田谷区と利根川上流の群馬県川場村という都市・山村との交流に長年かかわり、森林へのボランティアの参加といった活動を実践してきました。その成果をこの小菅村を拠点に展開しようと意欲を示しています。

「日本は、このまま森林を放置すると、木の価値がどこまで下がるかわかりません。源流を守ることは国土を守るだけでなく、日本の環境や文化を守ることであることを、ここから全国に広めていきたい」とあいさつする宮林さんです。

山菜販売を営む委員は「人工林が増え、人が山に手を入れなくなったために山野草が少なくなってきている」と訴えました。「各地の河川で釣具が川に捨てられ、魚が被害に遭い、環境が破壊されている。釣り客一人一人が守るべきモラルをここから伝えていきたい」と釣りジャーナリストからの意見も出ました。いずれも、このまま放置すれば源流の魅力を失っていく危機意識を持っている点では共通で、廣瀬村長は「こうした情報を発信することで源流域の活性化につながれば」と期待しています。

協議会会長であり、源流研の運営委員長も務める、東京農業大学の宮林茂幸教授。
協議会会長であり、源流研の運営委員長も務める、東京農業大学の宮林茂幸教授。
小菅村を流れる小菅川の釣り場。
小菅村を流れる小菅川の釣り場。
釣り場近くの街灯にも、シンボルの川魚の模型が飾られる。
釣り場近くの街灯にも、シンボルの川魚の模型が飾られる。

自然とつながった生活景観を

5月4日に開催された「多摩源流まつり」では、会場の一角に一風変わった小屋が出現しました。立ち木を柱に天然素材を駆使した東屋風のパビリオンです。森林再生のコンセプトとして協議会が出展。小菅村の山の木で地元の大工さんが作り上げました。設計したのは協議会メンバーで建築家、法政大学講師の神谷博さんです。

パビリオン内に、小菅村の町並みや植生などがまとめられている図面が展示されています。これも神谷さんが「景観を再生していくうえで最初のステップに」と法政大学に委託して作成しました。一軒一軒の家屋の位置や木の生え方、水の流れなど村の人に聞き取りをしながら書いたそうです。その過程でさまざまなことが明らかになってきたといいます。

村が八幡と熊野と2つの神社を中心に新旧の2地域が形成されていること。社殿が巨樹をそのまま抱え込んで建てられるなど「木と一体化した景観」を形成していたり、鳥居が面する方角もこの辺で一番高い三頭山山頂に向くなど、様々なことが読み取れました。

地域には、わさびやコンニャクなど「自然の幸」がたくさんあります。「コンニャク畑は、急斜面を拓いた南面の場所を占め、住居の日当たりより大事にしていました。かつてコンニャク御殿が建つほど豊かだったのが、輸入の自由化で衰退したのです。コンニャクの生産性は高いので、再生できないでしょうか」と神谷さんは残念そうです。

昔の人と川とのつながりもわかります。

「洗い場などいろいろな形で使われていたのが、生活とのかかわりがなくなり、維持していく人がいなくなると、景観が壊れていきます。生活とのかかわりが景観に表れているのです。いま山の緑と言っても人工林を植えている生活景観ですね。自然と一体となった生活を成り立たせることが、景観の再生になるのでしょう」

源流再生では、再び人が川に自由に降りられるようにし、瀬や淵もあって多様な生物が生き、環境教育の場として子どもたちも遊べる川を取り戻すことを考えているといいます。

源流文化の継承を大事にと、まつりでは小学生が郷土芸能の太鼓を披露する。
源流文化の継承を大事にと、まつりでは小学生が郷土芸能の太鼓を披露する。
源流まつりの会場で出展した自然再生協議会のパビリオン。
源流まつりの会場で出展した自然再生協議会のパビリオン。

4代前のご先祖のお陰で ―水源の森

パビリオンに、小菅村の前村長で北都留森林組合の加藤亀吉組合長がひょっこりと姿を現し、協議会メンバーを激励しに来てくださいました。小菅の森の歴史を知る数少ない人です。早速、話を聞いてみました。

加藤さんによると、この付近の源流の森は、江戸時代に幕府によって保護されてきたものの、明治政府の森林行政の変化で、乱伐などによって荒廃。そこで100年前の明治34年(1901年)から東京都が地元と一体となって、山にカラマツ、スギ、ヒノキを植林し、水源涵養林を育ててきたのです。

「いま木が切れるのは4代前の顔も知らないご先祖のお陰。昔から『木を切ったら子や孫のために必ず植えて返さないとならない』との言い伝えがありました。育てるのに100年掛かる。木は4代かけないとできない事業というのは大変なこと。その精神力は大したものですよ」と加藤さん。

100年経った木が森にありながら、それが市場の価格に反映しないからといって見放されている。

「今では、『おじいさんが植えた山だけど行ったことがない』という山持ちが多い。地主自体が山のことを知らないのです。そんな地主から管理を任されるようになってきた」

厳しい気候の中で、緻密に育っている100年の木。大量生産と効率化の製材流通とは異なる価値観で「源流の木」をどう評価してもらうかが課題となっています。

パビリオンの前で。加藤組合長(中央)の向かって右隣が、中村文明事務局長。後列左端が矢野康明さん、その隣に神谷博さん。組合長の向かって左隣は、協議会のメンバーで作家の丹治富美子さん。
パビリオンの前で。加藤組合長(中央)の向かって右隣が、中村文明事務局長。
後列左端が矢野康明さん、その隣に神谷博さん。
組合長の向かって左隣は、協議会のメンバーで作家の丹治富美子さん。

源流の木で実現する家造り ―下流の大田区で

こんな悩みのなかで明るい希望も生まれています。源流と下流域とを結んで家を造るというモデルプロジェクトが始まっているのです。東京都大田区久が原のカトリック修道院との間で進んでいる話で、修道院に併設して、身寄りのない子どもが自立するための寄宿舎を小菅村の木材で建てる計画です。いわば「産地直送」での家造りで、エコロジーに熱心なカトリック関係者が目を向けてくれたのです。

「この春から設計して、山の木を見てもらって、“この山のこの木を切るのだ”ということを知ってもらう。さらには秋に、材木のもちがよいことにつながる新月(闇夜)伐採をし、葉枯らしをして乾燥させて製材する。こうした一連の段階を、山や木のことも理解して一緒に学習していけば、家に対して愛着を持ってもらえます。木の家を持つことで『循環』ということを理解してもらえるのです」と設計に当たっている神谷さん。産直だからこそ可能なことで、この6月には修道院のシスターと子どもたちが山の木を実際に見学に来ました。

100年もののヒノキもある。これまでも「木曾の檜」と同等であるとプロが認めていた小菅の木が、「多摩源流の木」としてブランド化できる。多摩川の流域の人たちに、「ふるさとの木」で造った家として愛着を持ち、木が育った年数ほど、何代にわたって使ってもらう。そして流域と源流との間に交流も生まれる──。そんな期待があるのです。

「いま都会では居酒屋でも古い木を使っているのが好まれています。こうした都会のセンスがある一方で、木材を持っていながら売り手がなく『宝の持ち腐れ』の源流域との間に立って、下流域で需要をつくり出すことができれば、新しい産直のシステムも生み出していけるのではないでしょうか」と神谷さんは話します。

河川の景観再生を行う計画がある小菅川支流で、人と川とのかかわりのあとが残っている宮川。
河川の景観再生を行う計画がある小菅川支流で、人と川とのかかわりのあとが残っている宮川。

教育体験、生活スタイルから考えて ―大学や東電も支援

多摩源流の再生には、大学や企業なども応援しています。「大学が象牙の塔になってしまってはいけない」と、会長の宮林東京農業大学教授はフィールドに同大の人材を投入し、地域の活性化と人づくりを目指そうとしています。その一つが「源流大学」の構想。農大や法政大学などいろいろな大学の学生がここで単位を取れる仕組みです。

「粗朶の加工を通してデザインを学ぶ。食文化、農林、能力、養蚕などで教員研修をする。自然体験も実習できる。スギ、ヒノキを切ったり、味噌や醤油をつくったりする。栄養学科の学生が源流の文化を体験することになります。学校の先生を目指す学生も、知的な能力と体験がかみ合って初めて子どもにも教えることができるのです」と宮林教授。

神谷さんが教えている法政大学でも同じ。「広葉樹の利用の仕方も源流大学に若い人に来てもらって、材料を与えて、現代的なデザインでつくり出してもらう。木を使った看板とか、木を使った校舎の改装とかすることで、村に特色を持った景観づくりに貢献することができるのではないか」と構想を膨らましています。

東京電力が平成17年7月に協議会に参加し、森林再生モデル事業を開始したことは大きな力になりました。約300ヘクタールの人工林を対象に東京農大とともに森林資源の実態調査を行ったのです。多摩川源流の「百年の木」の価値を再認識して、「百年の森づくり」を再生プロジェクトの基本理念に掲げたきっかけになりました。

「温暖化問題で消費者や社会と一緒になってやっていくのならばということでスタートしました。持続可能性のある社会にしていこう。エネルギー供給者として健康な暮らし、住宅づくりを研究していますが、自分が健康で快適な暮らしをするためにはどういうライフスタイルが必要か。原点の森の問題から何かやらなければならない。それを追求するのが我々のチャレンジです」と、環境部グリーンサポートグループマネージャーの矢野康明さんは、積極的に現地の人たちの間に入って、この事業を全国に情報発信することに力を注いでいます。

3月に東京電力の主催で開かれた多摩川源流の写真展では、源流の木材のヒノキでパネルが作られた。
3月に東京電力の主催で開かれた多摩川源流の写真展では、源流の木材のヒノキでパネルが作られた。
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