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専門家に聞く

神於山を守る人達~だんじり祭りと里山保全の関係って?~

岸和田といえば、“だんじり祭”です。重さ4トンの豪快な山車が疾走し、角を曲がるときも、他の祭りの山車のようにスピードを落とさず、勢いよく走りながら直角に曲がる。まさに豪快、ただし、極めて危険です。

山車を前に引く青年団、旋回のきっかけをつくる前梃子、舵取り役の後梃子、後梃子に合図を送る大工方。全員が息を合わせ、一気に曲がる。この「やりまわし」という見せ場は、各自の持ち場に対する責任感と団結心がなければ成功しません。

岸和田は町内会(町会と呼ぶ)が、祭りを通じて生きています。だんじりに参加する町では、子どもからお年寄りまで各年齢層ごとに役割が決められ、それぞれが分担し、祭りを運営しています。

神於山の里山保全と、だんじり組織とは何か関係があるのでしょうか。まちを動かす力は、里山保全の力につながるのでしょうか。様々な人の言葉を聞きつつ、そのことを考えてみました。

やりまわし ─だんじりの様子(岸和田市提供)
やりまわし ─だんじりの様子(岸和田市提供)

記事:堤幸一 写真等提供:岸和田市環境保全課、進ひろこ、財団法人環境情報普及センター


やっちゃれや的活動 ~協議会ってこんな感じ~

里山保全活動となると、通常、キーパーソンと呼ばれる、少し変わった人が、大いに引っ張るか、全体を包み込むか、しているものです。この取材では、まず、立ち上げ段階からもっとも中心的に動いたキーパーソンを探ってみたいと思いました。

神於山里山保全活用推進協議会の岸和田市役所の担当者は井上さんです。彼は協議会の活動を、“やっちゃれや!的に進む活動”と表現しました。この言葉のニュアンスは、関西に住む人間にも、少々わかりにくく、微妙に岸和田の言葉だと思います。まあ、“ごちゃごちゃいわんと、わっと行こうか”といった感じでしょうか。

神於山の経緯をよく知っている井上さん、てっきり当初からの関係者かと思えば、前年まで他の課にいたとのこと、まじめなお役人さんですから、キチンと情報を押さえるあたりはさすがですし、いまや重要なキーパーソンです。

岸和田市環境保全課の井上さん
岸和田市環境保全課の井上さん

誰が協議会を引っ張るのか ~専門家の位置づけ~

協議会の中に強力なリーダーシップの持ち主がいるのでしょうか。

神於山の保全活用推進協議会は、委員構成に地元色を強く打ち出しています。メンバーの多くが地元の市民協議会(小学校区単位の町内連合会)の会長であり、関係行政機関の参加があって、専門家が少しいる、という感じです。

自然再生推進法では、科学的な知見に基づいた協議を重視し、専門家の参加の確保を求めています(自然再生基本方針)。複雑な自然を相手に、試行的に取り組むわけですから、専門家のアドバイスや指導が不可欠ということなのでしょう。ただ、神於山では、それをあまり前面に出していません。何かをガッと動かすときには、専門学者の正論が裏目に出るときがある。また、他所から先生が来て、地元と折り合いがつかないとマズイということから、あえて地元の盛り上がりを優先し、意識して構成したようです。

現場ルポ編でレポートしたように、彼らは、地元の子どもたちの自然教育に力を注ぎつつあるし、岸和田に関連社員が多く住む大企業との森づくりを協働で始めています。ここらにも、神於山保全活用推進協議会の特色があらわれています。

呼びかけと人々の反応 ~なんの問題もなかった~

協議会の方々。左から、一ノ谷さん(土生滝町)、上田さん(阿間河滝町会 会長)、河野さん(神於山保全活用協議会 会長)、田口さん(神於山保全くらぶ代表)、西村さん(座中会長)
協議会の方々。左から、一ノ谷さん(土生滝町)、上田さん(阿間河滝町会 会長)、河野さん(神於山保全活用協議会 会長)、田口さん(神於山保全くらぶ代表)、西村さん(座中会長)

ここから協議会の関係者にお集まりいただき、話をうかがいました。
まずは、協議会会長の河野さんからです。元行政職員でもあり、温和な感じで、皆んなのまとめ役でもあります。

協議会会長の河野さん
協議会会長の河野さん
(河野)
「きっかけは、神於山の昔を知っていて、なんとか昔のようにしたいと思ったからです。保全活用推進協議会には、町会などの地元団体に皆入ってもらった。神於山はシンボルです。農業関係の方にとっては、水をためる山です。岸和田は400~700ものため池があって、水の確保にすごく苦労した土地なんですよ。最近は、湧き水が出なくなって、春木川なども水が減りました。岸和田でも町の方の人は、神於山を拝むという話しも聞いてます」



なぜ、いま神於山なのか、という意見は出なかったのでしょうか。という問いかけには、座中(ざなか)会長の西村さんが間髪いれずに応えてくれました。

西村さん(座中会長)
西村さん(座中会長)
(西村)
「なかったなあ。座中のメンバーは650人です。神於山の北側が共有地になっていて、年一回り、山の状態の確認などもやろうということになりました。そのうち、われわれが一度、竹を伐採してみようという話しになってやってみたけど、切るには切るが整理はようせんし、すぐに元の通りになってしまう。昔は松の木の薪を取りに行ってました。中学生の時は、カタリキ(大八車)に乗せて運んで、家で割ったけど、今は竹の始末に困るなあ」



井上さんによると、座中というのは、共有地の管理組合のようなもの。650名の財産を束ねる仕事ですから、その辺の町会長よりよほど偉いし、大変、責任が重いとのことです。
河野さんや西村さんは、話をされても重みがあって、まさに協議会のキーパーソンでした。

神於山との関わりの変化 ~里山の“すくど掻き”~

一ノ谷さんは、物知りで、話好きな人柄らしい。いろいろな話にタイミングよく挟んできます。

一ノ谷さん(土生滝町)
一ノ谷さん(土生滝町)
(一ノ谷)
その内容がおもしろい。「57歳になる僕の記憶では、40~50年前は松が多かった。“すくど”をおばあちゃんと拾いに行ったこともあったなあ。その頃は、山裾にマツタケもシメジもあった。この40年間がターニングポイントでしたね。神於山と生活とのつながりがなくなったんですよ。プロパンガスになって薪も使わなくなった。子どものころは、大風や台風が来たら“すくど掻き”に行ったもんです。ちなみに、近所のうちでは、今でも薪のふろで頑張っているところがありますよ。これは、感心しますね」


“すくど”って何でしょう、という素朴な質問にも、皆が丁寧に答えてくれました。

上田さん(阿間河滝町会長)
上田さん(阿間河滝町会長)
(上田、西村、一ノ谷)
「“すくど掻き”といっても分かるのは40歳以上か。若い子は知らん。通じません。“すくど”は松葉だけを固めて四角くしたもの。小枝や笹は入れません。火付けに使い、わらよりも燃えやすい。“すくど”は薪とは違います。“さらい”でさらえて形をつくるんです」

なるほど、人々にエネルギーを与えてくれていた里山を表現する大切なキーワードです。

かつての神於山(岸和田市提供)
かつての神於山(岸和田市提供)

里山保全への人集め ~トップダウンでもなく、ボトムアップでもなく?~

一般的に、里山保全活動は人集めに苦労しますし、集まった人たちの思いも様々で、まとめ役は大変です。協議会が立ち上がったとはいえ、実際の活動はどうなのでしょうか。どうやって人を集めるのか、そのあたりを聞かせてくださいとたずねると。

(一ノ谷、西村)
「ボランティア・座中・地元・行政が一体となることはできます。ただ、市役所が変なの出してきたらはじかれる。最初に、投げ方かたを間違うとこじれます」

これには、皆さん一様にうなずきます。どうも、結局、保全活用推進協議会から話を投げかける形をとったようですが、ここで一言付け加えがありました。

神於山保全クラブ代表の田口さん
神於山保全クラブ代表の田口さん
(田口)
「市民に力はありますが、ボトムアップ型でもないですよ」

あれれ、これは少し意外な感じです。通常、“行政の言いなりにならない”というのは、市民からのボトムアップ力が強いというふうに理解するのですが…。どうもまだ、このまちの人の動き様がつかめてないようです。

青年団が生きている ~だんじりの組織とは~

今では地方に行っても、なかなか元気な青年団に会えません。また、青年団とはいっても40歳代が当たり前といったところも多いなか、岸和田では見事に青年団が生きていました。

といっても、町会単位で構成される“だんじり”の青年団のことです。“だんじり”では、町会の中に、婦人会などの団体と並行して、ピラミッド型の祭礼組織をつくります。

少し長くなりますが、若い順に並べてみます。

15歳までの「少年団・子ども会」(綱の前方部分を曳きます)
25歳までの「青年団」(曳き手の中心、年間を通じて町の各行事に参加します)
35歳までの「組」(後梃子を担当します)
45歳までの「若頭」(青年団・組をとりまとめます)
55歳までの「世話人」(町全体のまとめ役)
それ以上の「相談役、賛助員、参与」(世話役を終えた年配者の組織、後進を指導します)
そして、世話人の中から選出される「曳行責任者」そして「町会長」という構成になります。
※年齢は、町会によって、多少異なるようです。


この組織は、極めて上下関係に厳しく、仕事上の肩書きは一切関係ありません。社長であろうが、議員であろうが、組は若頭の言うことが絶対です。しかも、“だんじり”に向けた寄り合いが月1回あり、これが年中続いている。この“生きた組織”が町会の行事に関わってくるわけですから、かなり特殊な土地柄と言ってもよいかもしれません。

そのため、生活すべてが“だんじり”という人も出てきます。協議会の会長からして「普段テレビは見ないけれど、“だんじり”をみるためにケーブルテレビを引いている」ようです(笑)。

また、新しく“だんじり”を作り直すとしたら、軽く1億円はかかります。下手をすると1軒あたりの負担が100万円単位になる場合もあります。町会長だと、その数倍は覚悟がいる。それでもざっと集まってくるようです。

「あるテレビ番組を見ていたら、町内でお金を出し合うのに、1軒あたり数万円が集まらないという話があった。私たちには信じられない。私の親戚などは、町会長になるにあたり、1年待ってもらい、会社をやめて会長になりました。それくらい大変だし、責任のあることです」(井上)

うらやましいような、少しこわいような、でもとっても頼もしい組織です。

地車(ぢぐるま・だんじり/曳行される山車の一種)

地車そのものも勇ましく美しい。総ケヤキ作り、なかでも彫刻は精巧で、静の中に動を見ることができる。
豪華絢爛の江戸文化が生んだ地車、戦記・神話に題材をとっているものも多く、史上名高い人物があちこちに出てくる。
だんじりには、千個を越えるパーツがあり、それらを精巧に加工し、組み上げていくことのよって、はじめて一台のだんじりが完成する。

だんじり神輿/土呂幕部分 彫刻(岸和田市提供)
だんじり神輿/土呂幕部分 彫刻(岸和田市提供)

土呂幕(どろまく)

だんじりの彫り物の見所のひとつ。正面、左右面の3面。約天地50センチ×左右約180センチ(左右面)スペースいっぱいに迫力のある彫刻作品が彫られている。

だんじり神輿/桝合部分(岸和田市提供)
だんじり神輿/桝合部分(岸和田市提供)

市民協議会の結束力 ~もうひとつの組織~

岸和田市には24の小学校区があり、小学校単位にいくつか町があります。校区ごとに市民協議会があり、例えば、神於山の地区の会長は上田さんです。上田さんは、物静かな方で発言は少なく、ここまで、話を静かに聞いておられます。だんじりの次は、市民協議会について皆さんの話をうかがってみました。

○河野さんの地区では…
「山滝地区(山の南東)の町会長:牛滝川の清掃を夏にするとなると、環境部会の声かけでも牛滝含め400人集まった。内畑(山の東)だけで450軒しか家がないのに300人、全部の家から誰かが出てくれたことになります」

○上田、一ノ谷さんの地区では…
「修斉地区(山の北西)の町:町の総会では地元の半分ぐらいしか集まらない。ただ、来いよと声をかければ130人でも簡単に集まりますよ」

○井上さんの地区では…
「市街地で、だんじりを持っていない町(野田町):人が多いため、総会は、隣組単位で一票となってます。総会をやった後も、その後ずっと懇親会で残って楽しんでいる。だんじりはないけど仲間意識は強いです」

市民協議会独自で新聞を年数回出しているところもあります。市民協議会も強力な組織で、いざとなったら皆さん、集まっていただけるようです。保全活用推進協議会が市民協議会長を重視した理由が、よくわかりました。

キーパーソンはどこに?

さて、ここまで話をうかがったにも関わらず、なお見えない疑問を解くため、失礼を承知のうえで、「活動を進めるうえで中心となった方はどなたでしょう。」とたずねてみました。

○西村さん曰く「保全くらぶの動きは大きいなあ…」
○河野さん曰く「座中が、よう決断なさった…」
○田口さん曰く「里山講座など行政の一貫した姿勢では…」
○井上さん曰く「地域の力でしょう…」
○皆さん曰く、「いや、やっぱ、だんじりで築かれた世代間のつながりでしょ」

あれれ、里山保全のキーパーソンを聞きだすつもりが、また“だんじり”に戻った(笑)。

里山保全への人集め(その2) ~ 慎重に進める意味とは ~

“だんじり”と市民協議会、ここまで強力な組織2つが背景にあるわけですから、神於山保全を前面に掲げれば、一気に里山再生が進むのではと考えますが…。
「おそらく、町会に『やって下さい』とお願いすれば、“必ず”やってくれます。若いのを10人お願いします、と言えば10人。鎌や箒、塵取りもそろう。でも、神於山で、すぐに、それをやることは考えてません。まずは、竹林の伐採や子どもたちの教育を10年間やって、そこからですね」(井上)

なるほど…。きっとこんなことかもしれません。
“だんじり”や“市民協議会”は、地域社会の論理で成り立っています。地域社会の経験が薄い人間から見ると、「そんな組織があるなら、お願いしたらいいじゃないか」と考えるのですが、これは少しばかり暴論でした。
地域社会の組織は、共通の利益や思いや文化を守ろうとする“基盤”があって、始めて成り立つものです。里山という生活文化は、基盤からはずれて久しく、だからこそ単純に受け入れがたい、受け入れてはいけない、ということでしょう。
10年の積み上げが岸和田の人たち、特に子どもたちをどう変えていくか。もう一度、地域の生活基盤に神於山が入ってきたとき、ためらわず、この土地の人たちは、まちをあげて動員をかけるのではないでしょうか。

神於山の活動に何を学ぶか

何らかの活動が動き出すときは、必ず少数のキーパーソンがいるものだ──そのようなねらいで視察に臨んだわけですが、キーパーソンを絞り込むことはできたのでしょうか。どうも、個人を超えた大きな力に圧倒されたような気がします。

江戸時代から300年続く“だんじり”は、少々過激なこともあって、何度も中止のお触れが出たようですが、その都度、やり抜いてきたものです。厳しい年貢にあえぐ農民たちは、“せめてこの日だけは苦しみを忘れたい”と懸命だったのです。

神於山の取り組みは、岸和田という地域の特殊事例なのか、その奥に普遍的な意味が隠れているのか。10年間、ともにお付き合いしてみたい、そんな気にさせる素晴らしい人たちでした。

皆さん、まずは“だんじり”に行ってみませんか(笑)。

岸和田駅前パレード(岸和田市提供)
岸和田駅前パレード(岸和田市提供)

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