文字サイズ

専門家に聞く

「2億年の生命」に魅せられて 産卵や幼生調査し干潟保護訴える

真夏の大潮の日。周防灘に開いた椹野川ふしのがわ河口は潮が引き、広大な干潟が出現します。その中にぽつんとある小さな人影は、山口カブトガニ研究懇話会代表の原田直宏さんです。カブトガニが活発に活動する季節に、干潟で幼生の調査しているのです。この干潟で十年以上もカブトガニを見つめてきた原田さんは、カブトガニ保護と干潟の自然再生について熱く語ってくれました。

椹野川河口干潟で幼生の調査する原田さん
椹野川河口干潟で幼生の調査する原田さん

記事・写真等提供:ジャーナリスト 吉田光宏

よしだ・みつひろ 日本環境ジャーナリストの会会員で、環境と農林水産業の接点の現場を取材、執筆している。椹野川河口域・干潟再生協議会の個人委員


干潟環境の健全さを示す

「干潟が埋め立てられてきた瀬戸内海では、これだけのカブトガニ生息地は他にありませんが、カブトガニの生息数は確実に減っているのも事実です。2億年もほとんど姿を変えずに生きてきたカブトガニ保護の大切さを訴える場所として、自然再生協議会に大きな期待をしています。

なぜカブトガニを守らなければならないか。その理由は、生物学的に貴重であるだけでなく、カブトガニが生息できる環境そのものが大切だからです。干潟の食物連鎖の頂点にいるカブトガニの生存は、他の生物の生存につながっています。人間の命を支えている魚介類の生産の場である海や干潟の環境が健全であるかどうか、カブトガニはそのバロメーターと言えるでしょう」

2004年に発足した「椹野川河口域・干潟自然再生協議会」の応募委員として、また専門的な討議をするカブトガニワーキンググループの取りまとめ役として、原田さんはカブトガニの価値を訴え続けてきました。

原田さんが調査を続けているのは、県中央部の椹野川河口のほか、下関市の千鳥浜、県東部の平生湾など県内にある主な干潟です。海岸に産卵しにくるカブトガニの数や、干潟にいる幼生の数や大きさを記録しています。大きくなると沖に出て干潟から姿を消しますが、孵化して間もない7ミリほどのものから、6~7年生で10センチほどに成長したものを干潟では見ることができます。調査データは毎年「日本カブトガニを守る会」の総会で発表されるほか、協議会の話し合いの中で貴重な資料となっています。

平生湾での調査
平生湾での調査

貴重さ教えた1冊の本

瀬戸内海に面する山陽町(現在の山陽小野田市)で生まれた原田さんは、子どものころに近くの海岸でよくカブトガニを見ることがありました。でも、周囲の大人や子どもと同じように、別段珍しい生きものとは感じなかったと言います。

原田さんがカブトガニに本当の意味で「出会った」のは、1991年初版の岩波新書『カブトガニの不思議―「生きている化石」は警告する』(関口晃一著)という1冊の本でした。

「カブトガニがいることは知っていましたが、この本で2億年を生きてきたカブトガニの生態が神秘に満ちていることを詳しく知りました」

さらに興味を引かれたのは「山口のことはよく分かっていない」という本の一節。県立高校で生物を教えている原田さんは、自らの研究テーマとしても取り組むべきものだと関心を持ちました。すぐに行動を起し、本に紹介してあった産卵の確認方法を参考に、めぼしをつけた場所を下見。1992年7月下旬の大潮の満潮時、自宅から車で15分ほどのところにある下関市の王喜海岸へ産卵観察に出かけました。「本当に産卵をしているのだろうか」。砂浜に出るまで胸が高鳴りました。どうでしょう、読みはぴったり的中しました。

「一つがいのカブトガニが波打ち際にいるのを見つけましてね。初めての産卵の光景にとても興奮し、夢中でカメラのシャッターを切っていました。もしこのときに発見していなかったら、現在のようなカブトガニとのかかわりを持っていることはないでしょう」

この時は、カブトガニが産卵の時に出す泡(産卵泡)のことをよく知らなかったので「もし今の自分だったら、もっとたくさんのつがいを確認できたかもしれませんね」と、振り返ります。

研究用として卵を実験室で発生させ、さらに自宅でその幼生の飼育を開始しました。10年後の2002年にうち4匹が成体(雄)に成長。前年に笠岡市のカブトガニ博物館が初めて雌の成体を育て上げたのに続いて、原田さんは雄の成体の飼育に初成功したのです。

自宅で育てたカブトガニ
自宅で育てたカブトガニ

調査を始めたころ、原田さんは岡山県笠岡市にあるカブトガニ博物館や保護対策を実施している大分県杵築市に出かけて、調査方法を学びました。ちょうど同じころ、「大事件」が起こりました。1994年、王喜海岸の産卵個体数が前年の3分の1に激減したのです。その後もあまり回復することはなく、原田さんは「このままではカブトガニが絶滅してしまう」と危機感を募らせました。

「自分が記録しているデータは、カブトガニ絶滅への記録ではなかろうか。調査だけでなく具体的な保護活動をする団体が必要ではと思うようになったのです。一個人よりも、団体の方が県などの自治体を動かす力がありますから」

カブトガニの調査や準備をして、観察会にこぎつけたのは2年後の1996年。県内の高校で生物を教えている教師仲間や生徒数人が参加してくれました。こうして翌1997年秋、ついに「山口カブトガニ研究懇話会」を立ち上げることができました。

「見よう見まねで設立にこぎつけました。名前を単に『守る会』にしなかったのは、まずカブトガニの実態をよく調べることが大切だと思ったからです。長い目で見るとその方が確実に保護につながると考えたからです」

翌年1998年6月には県知事や下関市に、「早急に適切な対策を」執るように要望書を提出。ホームページも立ち上げ、情報発信を始めました。現在会員は140人。6月と12月の年2回、会報を発行。観察会は下関、山口でそれぞれ年1回開いています。

観察会の様子は地元のテレビや新聞に報道されます。また原田さんは地元紙に寄稿してカブトガニがどんな生きものであるかを紹介し、保護を訴えたこともあります。一般市民のカブトガニに対する関心は次第に大きくなっているようです。

観察会で子どもたちに解説する
観察会で子どもたちに解説する

干潟で産卵や幼生調査

カブトガニが活動する夏は、原田さんがもっとも忙しいシーズンになります。大潮の朝と夜の産卵調査、干潟での幼生も調べます。定点観察している王喜海岸に出かけるのは、毎年30回以上。さらに車で40分ほどかかる椹野川河口での調査が重なります。ほかにもグループや団体を対象にした講演、自宅で飼育しているカブトガニの世話などがあります。さらに勤めている県立宇部中央高校では剣道部顧問でもあり、休む暇はありません。4月から定時制勤務になるので、状況は変わるかもしれません。

授業の一環として生徒に産卵や幼生の観察をさせてやりたいのですが、時間や場所の制約がありなかなか難しいようです。その代わりに理科教室で幼生を飼育して、生徒が自由に見られるようにして、カブトガニへの関心を持ってもらいたいと願っています。

懇話会の活動では会費を徴収していないため、通信費や会報の印刷代などの活動資金を賄うのは寄付やカンパ、講演などで謝礼としてもらったお金です。活動をサポートしてくれるスタッフの充実も課題です。

「懇話会発足時から多くの個人や団体に支えられてきました。高校生時代の同窓生や同期会のメンバーがカンパを呼びかけてくれたり、知らない人からの寄付もあったりします。何よりもうれしいのは、カブトガニを守ることの大切さを理解してもらえることです」

原田さんは、「懇話会の活動はまだまだ小さな力」と控え目ですが、原田さんが保護活動に立ち上がるまで、山口県ではカブトガニを専門に研究する人はほとんどいませんでした。絶滅危惧種をリストアップした「山口県版レッドデータブック」(2002年)も、当初はカブトガニがリストから漏れるなど、研究者の間でも関心は低かったのです。原田さんの要請や提言によって堤防工事の際に産卵場所に砂を入れたり(平生湾)、産卵場所にかかる橋を橋脚のない構造に変更したり(椹野川河口干潟)、行政が動いてくれました。

「行政がカブトガニの保護に配慮してくれるようになったことを歓迎しています。これだけでも懇話会を立ち上げた価値がありました」

原田さんは、今後は佐賀県伊万里市のようにカブトガニ生息地の看板を設置し、一般の人に知ってもらうような環境づくりも訴えていくつもりです。

カブトガニの幼生
カブトガニの幼生
カブトガニの成体
カブトガニの成体
夜間の産卵調査(下関の千鳥浜)
夜間の産卵調査(下関の千鳥浜)

「理想の干潟像」を模索

2億年を生きてきたカブトガニが、ここ2~30年で激減している背景には、自然環境がどんどん悪化している現実があります。「元の自然に戻す」のが自然再生の目的ですが、さて、それはいつの時点の自然なのでしょうか。カブトガニが繁殖している椹野川河口干潟の南潟は、2004年の台風で、それまでの泥質から砂質に変化しました。ところが、泥質だったのは以前の工事が原因とされており、南潟の元々の姿は砂質の干潟だったというのです。

「この先、干潟がどのように変化していくのか読めません。どういう状態にするのがベストなのか、悩ましいところです。それでも山口湾は広く、河川が泥も砂も運んでくるので、全部が砂質に変わることはない。砂泥質がかなり残るのではないでしょうか。生息場所がずっと狭くて条件の厳しい平生湾でもしっかりと生きているので、絶滅までしてしまう可能性は小さいのではないかと思います」

自然再生協議会の重点項目の1つは、以前干潟でたくさん採れたアサリの復活です。砂質を好むアサリと泥質を好むカブトガニの幼生が、同じ場所に生息できるのでしょうか。カブトガニは稚貝を食べますが、殻が厚いアサリではなく、他の殻の薄い貝を食べています。現時点では、カブトガニの生態や周囲の環境との関係は、詳しくは分かっていません。

「詳しい水質や底質などの科学的なデータとなると、ほとんどないのが現状です。沖に出た成体の生活史も未解明です。研究機関が本腰を入れて調査をしてくれるなら、喜んで協力したいと思います。魚網にからまるカブトガニを嫌ってきた漁業者からも、どんな生き物であるかを詳しく聞いてみたいです。

カブトガニを守るには、河口を含めた流域、瀬戸内海などより広い範囲を見据えた対策が必要となります。研究者や自然保護活動団体など、さまざまな顔がそろっている協議会では、さまざまなアイデアや意見を聞けますし、何かできそうな期待も持てます。カブトガニと、干潟を生業の場としている漁業者の生活が共存できる日が来れば最高ですね」

カブトガニをどう守るかは、実は人間社会の中で解決すべきものばかりのようです。「人のいない干潟に出ると、ほっとしますよ」と、にっこり笑う原田さん。日焼けした顔が干潟に出ようと誘っていました。

原田直宏さん(宇部中央高校で)
原田直宏さん(宇部中央高校で)
原田さんは1952年生まれ、京都大学理学部卒業。

関連情報

ページトップに戻る