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十和田八幡平国立公園のストーリー

一頭のツキノワグマが森をゆっくりと歩いている。後ろの茂みから鞠のように飛び出してきたのは、その子供たちだ。時折クマたちは足を止めてなにかを探すようなそぶりを見せる。ブナの実だ。
こんな想像が容易にできてしまうほど、十和田八幡平国立公園には、ブナに代表される冷温帯落葉広葉樹林(ブナ帯)の豊かな森がある。これだけの自然林が残っているのは、日本のみならず、世界的にも珍しい。
ブナが色づき始め、クマたちが長いまどろみに入る準備をしている頃、あちこちから立ち昇る湯気目指して、今度は人間たちがやってきた。目指すは温泉だ。国立公園内だけでも多数の温泉があり、大勢の人が訪れる。古くから続く湯治文化が根付いているのだ。
ここを訪れると、自然の音を邪魔しないよう、ちょっと小声で話したくなる。
大自然の中に“お邪魔している”感覚になるのだ。
動植物と人が共存する豊かな森
十和田八幡平国立公園では、動植物が主役だ。世界でも有数の群落を形成するブナを中心に、ミズナラやカツラなどの落葉広葉樹、そして多雪環境に適応したオオシラビソ林など、多様な森林環境がある。さらに八甲田連峰、岩手山や秋田駒ヶ岳の山頂付近では森林限界を越え、高山植物が可憐な花を咲かせる荒涼とした山稜となる。
十和田八甲田地域には、十和田湖、奥入瀬渓流、八甲田連峰などがあり、岩手山、八幡平、秋田駒ヶ岳などからなる八幡平地域には、火山現象と冷温によって生み出された湖沼と高層湿原がある。そんな多様性のある環境の下で、動物たちも豊かに暮らす。
森の中には、ツキノワグマやニホンカモシカ、テンやムササビといった哺乳類をはじめ、モリアオガエルやクロサンショウウオなどの両生類、クマタカなどの貴重な鳥類もいる。
山深いエリアであったため、奥山の自然林は人の侵入を許さず、大規模な開発などが行われることもなかった。その周辺は明治~昭和前期を中心に薪炭林として伐採されたこともあったが、現在では、自然に回復し、ブナの二次林が形成されているところである。
最近では、人の手があまり入っていないこのエリアの自然の豊かさを求め、夏はハイキング、冬はスノーシューやスキー、また、水辺ではカヌーなど、インパクトを与えない形でブナの森を楽しむ人も増え始めている。深い森のざわめきに、注意深く意識を向ければ、多種多様な生き物の気配が充ち満ちていることに気付くはずだ。




東北の湯治文化
東北には、300年以上続く湯治文化がある。もともとは山をなりわいの場としていたマタギなどによって発見され、藩主などの高い地位の人たちが病気療養のために訪れていた場所もあった。しかし、近代になって一般庶民にも普及し、現在ではさまざまな人々が世界中から上質な湯を求めて東北の山間部を訪れる。
正月湯治、寒の湯、春湯治、田植え前の湯、泥落としの湯など、農閑期をうまく利用した湯治文化は、苛酷な農作業の疲れを癒すとともに、仕事への活力の源でもあった。こうした湯治文化はかつて日本全国にあったが、いまなお色濃くその風習が残っているのが、十和田八幡平国立公園だ。
湯治宿は、一般的な温泉旅館とはやや異なる。療養のための長期滞在が目的なので、簡易な宿泊施設と自炊施設、自炊のための食品を売る売店などがあるだけだった。旅館としての機能が湯治宿に備わった今でも、美しい山々の景色を眺めながら湯に浸かり、“なにもしない”をする。忙しい日常から解放された、特別な時間が湯治場には流れている。
この、“暮らすように滞在する”湯治というスタイルは、点から点へと移動することが多い現在の旅行者には逆に新鮮に映る。実際、湯治文化に触れようとやってくる人は増え続けており、滞在を通じて心身をリフレッシュさせる新・湯治の時代が幕を開ける日は近そうだ。




