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磐梯朝日国立公園(磐梯吾妻・猪苗代地域)のストーリー
宝の山々と虹色の瞳、
見上げれば
「ほんとの空」

磐梯吾妻・猪苗代地域
磐梯吾妻・猪苗代地域は全域が火山活動の活発な地域であり、磐梯山を中心に30万年ともされる間に噴火を繰り返してきました。
火山活動で形成された大地に生まれ、遷移してきた自然がこの地域の大きな特徴です。火口湖や窪地から形成され遷移してきた湿原、火山の堆積物で堰き止められ形成された数多くの湖沼、植生遷移が進んだ針葉樹の原生的森林、そうした多様な環境と季節の変化の大きさにより、この地域には多様な生物相が育まれてきました。
磐梯吾妻・猪苗代地域の自然は、この百数十年でかたちづくられ、今なお成長の過程にある「できたての若い自然」。その世界でも貴重な自然を目にし、身を置くことができる地域であることが特徴です。
- 磐梯朝日国立公園は、山形県・福島県・新潟県にまたがり、出羽三山から朝日連峰にかけての地域、飯豊連峰を中心とした地域、そして磐梯吾妻・猪苗代地域の3つの地域からなります。
- 磐梯吾妻・猪苗代地域は、「きわめて特徴的な爆裂火山を有する成層火山(磐梯山)を中心とした火山連峰及びこれらを風景型式とし、原始的な自然、豪雪環境によりもたらされた自然林生態系、壮大な火山景観、火山活動により造形された清らかな湖沼群といった非常に変化に富んだ自然景観を持ち、それぞれ傑出性が高い」ことを理由として国立公園に指定されました。
- 磐梯山とその北側の裏磐梯を有する磐梯地区、西吾妻山を最高峰とする吾妻連峰と安達太良山を包括する吾妻地区、猪苗代湖を包括する猪苗代地区の3地区に分けられます。
- 磐梯山ジオパークとして日本ジオパークに認定されており、磐梯山を中心に裏磐梯、表磐梯、猪苗代湖にかけ個性的なジオサイトが広がっています。

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磐梯地区
磐梯山と桧原湖 明治に噴火した磐梯山の荒々しい山脈とその噴火によって形成された桧原湖、小野川湖、秋元湖の3つの大きな湖をはじめ、裏磐梯の260もの湖沼群が特有の景観を見せてくれます。
磐梯山西側の雄国沼はニッコウキスゲの大群落で知られ、湿原の植物群落は国指定天然記念物に指定されています。
裏磐梯ビジターセンターを中心に、湖沼を廻る探勝路やキャンプサイトが整備され、裏磐梯の代表的な自然を楽しめることが大きな魅力となっています。 -
吾妻地区
浄土平 吾妻連峰には2,000m級の新旧火山が連なっており、オオシラビソなどの天然林が広がり、山中には湿原が点在しています。浄土平、安達太良山などでは、今なお火山ガスが噴出する荒涼とした火山景観を見ることができます。また、地区内には数多くの温泉が湧出しています。
浄土平ビジターセンターを基点に吾妻小富士や一切経山、五色沼(魔女の瞳)への登山・トレッキングが人気です。
さらに、標高1,600mに天文台を有する日本屈指のスターウォッチングスポットとしても知られています。 -
猪苗代地区
猪苗代湖 磐梯山麓に位置し、日本で4番目の面積を誇る広大な湖である猪苗代湖からなり、どこからでも雄大な磐梯山の山容を望むことができます。水面の標高が514mと日本でも有数の高地にある湖です。天を映す鏡のような美しさから別名「天鏡湖」とも呼ばれています。冬季にはコハクチョウをはじめとする渡り鳥の飛来地となっています。
湖畔には湖水浴場が点在しており、天神浜にはキャンプサイトもあります。
01 火山と湖の国
磐梯吾妻・猪苗代地域では、磐梯山、吾妻連峰、安達太良山などの火山活動によりかたちづくられた地球の息吹を感じられるダイナミックな景観が訪れる人々を楽しませます。
特に1888(明治21)年の磐梯山の噴火では、大規模な山体崩壊が起きて小磐梯が消滅し、真ん中が大きくえぐれた裏磐梯の特徴的なかたちができました。同じく山体崩壊により発生した岩屑なだれにより川が堰き止められ、裏磐梯三湖(桧原湖、小野川湖、秋元湖)に代表される260もの湖や沼が生まれました。雄国沼や毘沙門沼などの名を持つ湖沼が季節ごとに異なる美しい表情を見せてくれます。
1900(明治33)年には安達太良山でも大規模な噴火が発生し、当時火口内で硫黄採掘および硫黄精錬所で働いていた人に甚大な被害が発生しました。この噴火で、沼ノ沢には直径300mに達する陥没口が形成され、この場所にあった鉱山事務所や精錬所などの建物が失われました。
また、日本で4番目に大きな湖である猪苗代湖も磐梯山の度重なる火山活動により盆地の水が堰き止められてできたとされています。天鏡湖とも呼ばれる猪苗代湖と磐梯山の雄大な姿は地域の誇りです。
吾妻連峰もまるで地上とは別世界のような火山の様々な風景を見せてくれます。なかでも吾妻小富士はすり鉢状の火口の縁を一周できるので、とても人気があります。他にも吾妻連峰には、浄土平の砂礫の荒涼とした大地、珍しい湿原の草花、一切経山からの五色沼(魔女の瞳)の眺めなど、ここでしか見られない絶景が見られます。




自然の脅威と恵み
この地域は、度重なる噴火の脅威とともにありました。1888(明治21)年の磐梯山の噴火では、北麓の3つの集落が埋没しました。この噴火では500名近くの犠牲者が出ており、明治以降の日本における最大の火山災害とされています。川が堰き止められてできた桧原湖の水位が徐々に上昇し、桧原宿は湖底に沈みましたが、大山祇神社の社は水没を免れ、今も鳥居が湖畔に姿を見せており、宿場まちが湖のそこに眠っていることを伝えています。
しかし、人々は火山とともに逞しく生きてきました。会津若松市出身の遠藤十次郎(現夢)は私財を投じて、火山災害により荒廃したこの地に10万本以上の植林を行い緑の森を取り戻しました。
火山は脅威であるとともに多くの恵みも与えてくれます。土湯温泉、中ノ沢温泉、岳温泉、高湯温泉、白布温泉、姥湯温泉など、中世、近世にまで遡る歴史のある名湯では源泉を管理する湯守が継承されており、豊かな自然と地域の文化にふれ、ゆったりとした時間を過ごすことができます。また、土湯温泉では火山の地熱エネルギーをバイナリー発電により再生可能エネルギーとして利用して、温泉地のまちづくりと観光地づくりを目指す取り組みが進められています。
猪苗代湖は地域の水がめとして、暮らしや農業のために豊かな水を届けてくれています。明治時代に猪苗代湖から郡山市周辺の農業のために引かれた安積疎水は、近代日本を代表する未来を拓いた「一本の水路」として日本遺産に登録されました。猪苗代湖では毎年10月から3月にシベリアから白鳥が飛来するため、冬の風物詩として楽しみにしています。




02 真新しい神秘の大地
磐梯山、吾妻連峰、安達太良山などの火山の活動によって、地形の変化や植生の消失が度重なって起きているため、荒涼とした大地に草花や木々が育ち、少しずつ植生が遷移することによって、やがて豊かな生態系が形成される途上にあります。火山礫に覆われた荒々しい山肌をはじめ、珍しい湿生植物が見られる湿原、標高1,600m以上の厳しい環境の中で美しい花を咲かせる高山植物、一方で、緑豊かなブナやミズナラの美しい林も見られ、様々な環境を好む野鳥の楽園となっています。
磐梯山や安達太良山、吾妻連峰の火山の荒涼とした風景と可憐に咲く高山植物、四季により鮮やかに移ろう山麓の風景のコントラスト、雄国沼のニッコウキスゲの大群落などの湿原の草花は、国立公園でしか見られない美しさを見せてくれます。
世界的に見てもこの地域の自然は真新しく、地球の荒々しくも神秘的な活動を感じる事ができるこの地域には多くの人に楽しんでもらえる他にない価値があります。




ヒトと土地のつながり
この地域には、磐梯山ゴールドライン、磐梯吾妻レークライン、磐梯吾妻スカイライン、西吾妻スカイバレーといったドライブに最適なルートがあります。
沿道にはいくつもの展望スポットがあり、山肌が剝き出しの火山や深い渓谷、様々な角度からの磐梯山や安達太良山、火山活動によって生まれた峰々、湖沼群など、まるで絶景の写真集のような風景を車窓に見ることができます。
もっと発見や感動を求めたい人々には、登山や探勝路散策、トレッキングなど自然の中で様々なガイドツアーで満喫してもらう事ができます。四季折々の自然の魅力を体全体で感じたい方には季節ごとのアクティビティが揃っています。グリーンシーズンは、猪苗代湖での湖水浴、湖沼群でのカヌー体験やキャンプ、最近はサイクリングやヒルクライムなどのサイクルスポーツが特に人気です。ホワイトシーズンはスキーや、スノートレッキング、ワカサギ釣りなど、魅力あふれるアクティビティが訪れる人々を待っています。
山々を望むこの地域では、厳しい自然とともにありながら、このようにリゾートとしてだけでなく、人の営みと土地のつながりの長い歴史があります。吾妻連峰の麓のフルーツラインでは、地形と気候を活かして、さくらんぼ、桃、梨、ぶどう、りんごなどの果樹園がたくさんあり、季節の味覚が人々を魅了するでしょう。春になると吾妻小富士に現れる雪形は「種まきうさぎ」として親しまれてきました。猪苗代湖畔の地域に広がる水田やソバ畑と雄大な磐梯山の風景は、土地と結びついた持続可能な地域の暮らしのあり方を見せてくれます。
また、新しいヒトと土地の関わり方として、地域の生態系を守るための外来種防除の取り組みを通じた「学び」のプログラムの提供などを行っています。




03 美しい雪国の四季
この地域、特に会津は日本屈指の豪雪地帯であり、大雪に閉ざされることもあります。国立公園内の道路も冬期は閉鎖される路線がありますが、厳しい寒さのなかでしか見られない美しい風景があります。
山々はますます険しく真っ白な姿でそびえ立ち、標高の高い湖沼群は全面結氷し、広大な雪原になります。また、磐梯山の爆裂火口にできる黄色い巨大氷瀑のイエローフォールや、ユーモラスで表情豊かなかたちのスノーモンスター(樹氷)、猪苗代湖のしぶき氷は、まさにこの国立公園でしか見られない一見の価値のある自然の造形です。
スカイラインは冬の間は閉ざされますが、春になると開通し、ゴールデンウィーク頃まで「雪の回廊」のドライブを楽しむことができます。
雪国では、冬は雪に閉ざされるからこそ、春の芽吹きや初夏の新緑、秋の紅葉の季節には際立つ美しさがあります。特に秋には、色とりどりの紅葉に染まる山の景色を求めて、首都圏からも多くの人々が訪れます。




唯一無二の文化
厳しく長い冬の環境が雪国ならではの文化を創造し、社会の発展とともにリゾートとしての新たな価値が生み出されてきました。
周辺の歴史ある会津若松や喜多方などのまちでは、寒い冬を耐える伝統的な様式の建物の街並みが雪に包み込まれる風景が昔ながらの日本を今に伝えています。
雪国の冬の湿潤な気候にあった会津塗や、温泉地を中心に古くから伝わるこけしや笹野一刀彫などの美しい伝統工芸がいまも豊かなデザインを生み出しています。また、厳しい冬期の食料の確保のために育まれた発酵食品や醸造などの文化が伝承されており、おいしい郷土料理や数々の日本酒の銘酒が人々をもてなします。
吾妻連峰の山麓では厳しい自然のなかで、風雪に耐え忍び力強く生きる吾妻山の木々をモチーフとした吾妻五葉松の盆栽の文化が生まれ、この地域の自然ともにある美しさを教えてくれています。
福島市出身の作曲家古関裕而は、故郷にゆかりのある曲をつくっており、この地で運行されていた沼尻軽便鉄道をイメージした「高原列車は行く」が有名ですが、「晴れた吾妻の峰越えて」とはじまる「花のスカイライン」は、昭和34年に開通した「磐梯吾妻スカイライン」を記念して作曲されており、本公園の風景を歌った曲になっています。
この地域では日本有数のスキーリゾートとして、1950年代からいくつものスキー場が開業しました。今ではスキーだけでなく、例えばスノートレッキング、ネイチャースキーや氷上のワカサギ釣りなどの魅力的なアクティビティや、歴史ある日本のまちの観光ができる国際的なスノーリゾートとして魅力が高まっています。




04 繰り広げられた歴史の舞台
東北地方には文筆家で登山家の深田久弥が日本百名山に数えた名峰が合わせて15座あり、そのうち磐梯山、安達太良山、吾妻山(最高峰を西吾妻山とする吾妻連峰)の3座はこの地にあります。この雄大な三山は時に噴火で姿を変えながら、今もこの地域の象徴として愛されています。
東北地方の山々と日本の歴史との関わりは深く、古代から山岳信仰の対象として、また、人と物資輸送の大動脈であった街道とその宿場町、数多くある城下町の風景として、そこにあり続けました。磐梯山、安達太良山、吾妻連峰と猪苗代湖もときに日本の歴史を動かした舞台となりました。また、雄大で美しい自然のありようは、古代から現代に至るまで、地域の精神文化や芸術にも大きな影響を与え続けています。
本公園の貴重な自然資産としての価値はもちろんのこと、少し視点を変えて歴史・文化資産としての価値にも触れてみると新たな発見や感動がある自然と人の物語が詰った地域です。




歴史・文化と信仰
磐梯山、安達太良山、吾妻連峰の三山と猪苗代湖のまわりには、米沢城、会津若松城(鶴ヶ城)、福島城、二本松城の4つの城があり、城下町が街道で結ばれ宿場町が設けられていました。今も歴史的な建造物や街並みを訪ねるまち歩きを楽しむことができます。それぞれの城に関わりの深い、伊達政宗や上杉鷹山、松平容保らの歴史上の有名な人物の生涯と、この地域の雄大な自然の風景とをなぞらえて巡ってみるのもこの地域ならではです。
二本松から会津に至る地域一帯は、幕末の歴史の転換点ともなる会津戦争の舞台として知られており、古戦場やエピソードの残る地が点在しています。特に安達太良山麓の母成峠は、慶応4年8月21日に会津藩と新政府軍の戦場となり、のちに鶴ヶ城の白虎隊の悲劇へとつながることになりました。
また、磐梯山、吾妻山は古来より霊験あらたかな修験道の聖地とされ、山中では修験者(山伏)が修行していました。磐梯山の麓、磐梯町にある国指定史跡の慧日寺跡は、平安時代の初期に開かれた山岳寺院ですが、磐梯吾妻修験の拠点ともなったと考えられています。人と自然(山岳)は信仰により精神的にもつながっていました。
人と自然のつながりは文化芸術にも影響を与えました。地域の風景を詠んだ和歌や俳句はいくつもありますが、古くは万葉集に「会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね」(会津嶺のある国が遠くて逢えなくなったら、偲ぶよすがにするように、衣の紐を結んでください。)という歌があり、会津嶺とは磐梯山のこととされています。
彫刻家、画家そして詩人として知られる高村光太郎の妻で、画家であった智恵子は現在の二本松市の酒造家に生まれました。光太郎が彼女の死後に出版した詩集「智恵子抄」には、彼女の故郷を思う言葉を記した「あどけない話」が収録されています。「智恵子は東京に空が無いといふ、ほんとの空が見たいといふ。私は驚いて空を見る。(中略)智恵子は遠くを見ながら言ふ。阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だといふ。あどけない空の話である。」



