環境省
VOLUME.76
2020年4月・5月号

エコジンインタビュー/地道にコツコツ、自分の一生をかけて福島の復興に力を尽くします!/なすび

なすび

約20年前、テレビ番組の企画で懸賞生活を実践し、
一躍有名になったタレントのなすびさん。
出身地である福島の復興を支援するにあたり、
懸賞生活で自覚した自身の性格をベースに「自分らしい支援」を続けています。

「発災当初、芸能人の方々が何千万円という義援金を送ったり、トラック何台分もの支援物資を送ったというニュースを見るたびに、自分が同じようにできない無力感に苛(さいな)まれました」
と切り出したなすびさん。福島市出身で、両親も福島県内出身のため『生粋の福島県人』と自身を称します。地元のテレビやラジオ番組にも多数出演し、福島の人からたくさんの応援を受けて、タレントとして頑張ってこれたと言い、「それなのに」という焦りが強かったと当時を振り返ります。それでも自分ができることをしようと、コツコツとボランティアを続ける日々を送っていたそうです。

「福島は地震というより原発事故のイメージが強く、風評被害がとても大きかったです。以前、農産物を福島の人と一緒に売っていた時、いくら検査して安全なものを持ってきていますと言っても、買うことをためらう人がいました。『安全』を客観的な数値で示せても、買い手の主観である『安心感』を生むのはとても大変で、これは長期戦になるなと強く感じました」

 ある時「時間がたって、支援の手が薄れてきたのに、こうして足を運んで来てくれるのがうれしい」という言葉をもらったことで、それぞれが自分らしい支援をすればいいのだという気持ちになれたのだと言います。
「懸賞生活をしていた時に1日に200~300枚のハガキをただただ書き続ける生活ができたということが、『一つのことをコツコツ続けられる』という自信を僕に与えてくれていたんです。だからそれなら不器用な僕でもできると、やっと自分らしい支援のかたちを見つけられた、『自分の出番が回ってきた』と思いました(笑)。たとえ地味で小さなことでも、地道にコツコツ、自分の一生をかけて福島の復興に力を尽くそうと思っています」

震災からの復興は、かなう。諦めないこと、それが大切。

 なすびさんが思う福島の良さは、北海道、岩手県に次ぐ全国第3位の広大な土地が、太平洋側の浜通り、山に囲まれた会津、その間にある中通りという3つのエリアに分かれ、それぞれが特徴ある文化や風土を持っているということ。
「冬になると2~3mも雪が積もる会津の檜枝岐村があるかと思えば、温州ミカン栽培の北限で、最近はバナナの栽培も行われている温暖な広野町もあるという、とても自然豊かで個性があるところです。海も山もあって風土がいいから米・野菜・果物・魚介・酒と何でもおいしい。だから多くの人に福島の農産物を安心して食べてもらいたいです」

 イメージを復活させるには時間がかかっても「諦めなければ復興は達成できる」と、なすびさんは自信を持って言います。それは登山未経験だった自身が、4回目の挑戦で世界最高峰のエベレスト踏破を果たした経験によるもの。
「ちょっとしたきっかけでエベレストにチャレンジする気持ちが芽生え、登ってみたら、やっぱり難しくて。雪崩にも巻き込まれたり、何度も挫折して阻まれて『3度目の正直』もかなわなかった。けれどそれでも諦めずにチャレンジしたら、素人の僕でもエベレストの頂上に立つことができました。それと震災からの復興が同じだとはとても言えません。けれども諦めず、チャレンジし続けることで得られることがあるということを伝えたいのです」

 体験したからこそ、わかることがある。だから多くの人に、福島の今を、ネットやテレビで見聞きするだけでなく、訪れて感じてほしいと言います。
「福島の人はとっつきづらいかもしれませんけれど、気持ちの優しい人ばかりです。食べ物もおいしいし気候もいい。最近は訪れた人が福島を気に入って、移住することもあると聞いています。いろいろなところに転がっている福島の良さを、ぜひ来てみて、体験してみてください」

profile

なすび

福島県出身。俳優・タレント。1998年から日本テレビ系列で放映された『進ぬ!電波少年』の「電波少年的懸賞生活」のチャレンジャーに。その後、劇団「なす我儘」を立ち上げ、舞台を中心に活動。「福島に元気と勇気、夢と希望を」との思いでエベレスト登頂を志し、2016年5月、4度目の挑戦で成功する。

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写真/千倉志野

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