環境省
VOLUME.68
2018年12月・2019年1月号

エコジンインタビュー/できることを、少しずつ。それがいつかカタチになればいい。/白鳥久美子

白鳥久美子

福島県郡山市出身のお笑い芸人・白鳥久美子さん。
震災後も度々福島を訪れて、地元の人たちと触れ合ってきました。
印象に残っているのは、前を向く人たち。
自分にできることをコツコツ進める人に触発されてどう支援していいのか迷っていた自身もいつしか背中を押されていたようです。

 「東京に住んでいるので、今の私は福島を『遠くから見ている』という立場。復興の様子も、一部分しか見ていないけれど、被災地を支援するということは本当に難しいなと感じていました」と話す白鳥さん。

 震災後、初めて福島を訪れたのは、地震から2〜3カ月経った頃だった。仕事で、いわき市にある水族館『アクアマリンふくしま』に行き、壊れたガラス張りのエントランスや、津波で魚たちが流された様子などを目の当たりにした。
「小さい頃に行って楽しんだ思い出があるので、被害を受けた様子に気持ちが沈みました。でも、職員の方はすでに前を向いて動いてらしたんです。明るくしなければやっていられないという部分もあったのかもしれないけれど、彼らを見ていたら、私が暗い顔をするのは、何か違うような気がしました」

 その後も、どん底は経験したから、あとは上に上がるだけと笑顔を見せる料亭の女将さんや、若者をまちに呼び戻そうと農業にチャレンジし、トルコキキョウの花き栽培において“高い品質の花をつくっている”と都内の花き卸売業者から表彰を受けるまでになった男性など、『未来のために動くしかない』と話す、たくさんの福島の人たちに出会ってきた。
「もちろん、あれだけ大きな被害を受けたわけですから、すごく落ち込んで弱ってしまった人は、私の知り合いにもいます。前を向いているからこそ、福島を出て行く決断をした人もいます。何が正解ってことではないですけれど、私は、福島に住む『生活者』の強さを見た気がしました」

福島の前向きな話題を発信したい。

 今年10月には『東北・みやぎ復興マラソン』にゲスト出演し、フルマラソンを走り切った。そこでも復興に力を尽くす地元の人たちの力を感じた。
「東京マラソンだと、浅草寺や都庁など見どころがたくさんありますよね。でもこの大会は津波の浸水エリアにコースがつくられているので、派手な見どころはないんです。だからこそ、まちの人たちが盛り上げようとする意欲はすごかったです」

 高校生が植えたコスモスが風に揺れるコスモスロード、流された松林を復活させようと、若い松が植えられた海岸沿いの道……。そこには常に、多くのまちの人が応援にかけつけていた。
「マラソンの応援って、普通は『がんばれ』じゃないですか。でもこの大会は『ありがとう』って応援してくれるんです。『来てくれてありがとう!』って。また、コースの途中にあるエイドステーションもすごかった。宮城・亘理(わたり)名物のはらこめしとか、ゆりあげ港に揚がったほたての浜焼きとか。福島県も大会の後援をしているので福島産のイチゴやリンゴもありました。東北のおもてなし精神のなせるわざなのか、たっぷりすぎるほどあって。ランナーなのに足が止まるわ、お腹が重くなって走れないわ(笑)。これだけ集めるのは相当パワーが必要だったと思います。復興マラソンという名前がそのうち『グルメマラソン』に変わる日が来たらいいですよね」

 いつか震災地域についた重いイメージがなくなればという思いから、自分にできることを見つけた。
「震災をなかったことにはできないので難しいとは思います。でもこれからは前向きな話題がたくさん発信されるといいんじゃないかな」

 白鳥さんは、今、事務所の先輩と、福島の面白いトコロに着目した新しいプロジェクトをスタートしている。これまでに出会った、前を向く福島の人たちのように、自分にできることを、少しずつ。そして多くの人の小さな活動が積み重なって、未来につながるカタチになればいいと思っている。

profile

白鳥久美子

日本大学芸術学部演劇学科を卒業後、舞台女優を目指して活動していたが、一念発起してお笑い芸人の道へ。2008年にお笑いコンビ「たんぽぽ」としてデビュー。さまざまなお笑い番組に出演して人気となる。2012年には、舞台経歴を生かしてNHKの朝ドラに出演。その後もテレビを中心に活躍中。

写真/有坂政晴

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