午後1時25分 開会
○滝澤環境保健部長 それでは、ただいまから水俣病問題に係る懇談会の第13回を開催させていただきます。
本日は本当にご多忙中のところ、先生方、ありがとうございます。
それでは、まず資料の確認をさせていただきます。
資料一覽が議事次第の下にございますけれども、まず、その資料の不足等ございましたら、お願いしたいと思います。
それで、一言補足させていただきますと、「水俣病問題に係る懇談会」提言書(草案)に加えまして、追加資料としまして、草案に対する各委員からの修正文案というものをあわせてお配りさせていただいております。
それから、参考資料の1の第12回懇談会議事録につきましては、委員の皆様方の確認をとれたものでございます。既に環境省のホームページに掲載されてございます。
それでは、以後の議事進行を有馬座長にお願いしたいと思います。
○有馬座長 どうも、1時開催、ちょっとおくれてすみませんでした。後でまた詳しくその理由を申し上げます。
それでは、議事進行につかせていただきましょう。
議事録は、出席された各委員の確認了解をいただいた後、環境省ホームページに掲載し公開させていただきます。
さて、前回のことは今もうホームページの方に出しましたが、それ以後大分時間がたちましたが、今回の間にずっと懇談会を取りまとめる努力をしてまいりました。
そこで、きょうの議題になりますが、懇談会の取りまとめということでございます。
懇談会の取りまとめに向けましては、これまで、今申しましたように、この前の世話人会を開いてから、5月22日に開いて以来、大分長い間、きょうまで時間をとりました。その理由というのは、柳田委員に草案を大変ご努力をいただいて議論をまとめるという格好で大変な努力を世話人の方々にお願いをしてまいりました。
その後、8月24日まで、全部で実に7回にわたっての議論を重ねてきた次第であります。その1回ごとも大変な時間でありまして、半日以上かけるというふうな議論を重ねて、草案の懇談会への提出にやっときょう至りましたことを私は大変喜んでいる次第なのです。
大変、世話人の方々にご努力を賜りご苦心を賜ったことを心から感謝を申し上げます。
すなわち、世話人の柳田委員、亀山委員、吉井委員、及びオブザーバーとして加わっていただいた加藤委員、この方々に心から深く感謝する次第あります。
また、事務局の方も、さまざまな資料、データ等について、世話人の方からの質問に対してきちっと答えてくださってありがとうございました。
特に柳田委員には大変なご苦労をおかけしたこと、本当に徹夜になるくらいのことを何日も続けてやってくださったこと心から感謝いたします。一昨日の夜、昨日の朝と申すべきでしょう、それまで本当に徹夜して最終的なきょうのこの報告書にまとめてくださった次第であります。きょうお配りしております約60ページにわたるこの文章を本当に丁寧に書いてくださったことを柳田先生に心から感謝する次第であります。
そこで、きょうは、草案を執筆してくださった柳田委員からこの草案のご説明をいただいて、それに基づいてひとつ議論を進めていきたいと思います。
そのまず前に、環境事務次官よりご発言があろうかと思いますので、ひとつごあいさつをお願いいたします。
○炭谷環境事務次官 環境事務次官の炭谷でございます。
きょう、このように大変立派な提言書の草案をまとめていただきまして、心から御礼申し上げます。
特に、この草案におきましては、5月以来、柳田委員をはじめ世話人の方々、本当に、議論に議論を重ね、推敲に推敲を重ねて今日まできてこのような形にまとめていただいて、また、その間、有馬先生にも適宜議論にも加わっていただいて大変ご努力いただいた点について、心から御礼申し上げたいと思っております。
きょう一つご報告をさせていただきたいと思います。
この懇談会の中でもいろいろと議論をされている点、大きく言えば、行政、政治、また、科学者、マスコミ、いろいろな面でどういうふうにこのような被害を二度と起こさないようにしたらいいか、それが一つの論点だったと思いますけれども、それとともに、被害者の方々に対する救済のあり方、それから、水俣地域における地域のもやい直しといいますか、地域おこしといいますか、そういう問題、その三つに大きく分かれていたのではないのかというふうに思います。
私ども、それを受けて行政的に努力をしなければならないということで、その一環といたしまして、きょう朝、定例の大臣の記者会見がございました。その席で小池環境大臣からこのような発言をいたしておるところでございますので、ご披露させていただきたいと思います。
今申しましたように、救済策と水俣病発生地域の地域づくりの対策は車の両輪でございます。このうち、地域づくりの対策、すなわち水俣病発生地域の再生・融和、水俣病被害者に関連する医療と地域づくりを連携させる取り組み、これを一層進めるためには、国と地元、県市町との連携が重要でございます。そこで、このような連携を深めるために室を設けたいというような方針を大臣が発言されております。
具体的には、今後、熊本県、水俣市等の関係地方自治体と相談させていただきますが、できれば、熊本県、水俣市等から地元の事情のわかる人を派遣してもらいまして、環境省の中に、水俣病発生地域環境福祉推進室、仮称でございますけれども、そのようなものを創設したいという方針を小池環境大臣から発言しております。
これによって、環境省、県、市の職員が一緒になって検討いたしまして、血の通った地域づくりというものの対策を打ち出していく場にしたいということでございます。
このように、私ども、これから全力で、きょう、これからご議論いただく懇談会の提言というものをより具体的にしていくために、国だけではなくて地元とも一緒になって考えていくということの方針を大臣が明らかにされている点をご披露させていただきたいと思います。
○有馬座長 ありがとうございました。
この懇談会の気持ちといたしましても、ともかく、水俣病の被害に遭われた方たちが皆さん、今後、幸せに暮らしていかれるような方向に何とかして持っていっていただくべく考えさせていただいた次第でございます。
また、これから、世界に対してもこういうことが、日本の国内はもちろん、世界でもこういうことが二度と起こらないようにしていくことが必要だと考えて議論を進めてまいりましたので、よろしくお願いいたします。
それでは、柳田委員、この草案につきまして、一つご説明をお願いいたしたいと思います。よろしくお願いします。
○柳田委員 お手元の草案、大変ページ数が多いものですから、全部詳細に読み上げるには余りにも時間がかかりますので、要点を述べていきたいと思うのです。
まず最初に、草案の目次をごらんになっていただければと思うのですが。
我々懇談会が水俣病問題をどのようにとらえ、そして、これから被害者やあるいは被害地域の再生を図り、また将来に向けてこうした過ちが二度と起こらないようにするには行政はどうあるべきかというようなことを含めて、非常に広い範囲にわたって議論を重ねてきたわけです。
そして、そうした議論の結果を提言するに当たっては、抽象的にならずに新しいさまざまな問題提起をしてそれを行政の中で生かしていっていただきたい。そのことが水俣病50年という歴史の認識とそして今後50年に向けての非常に未来志向の新しい国づくりにつながっていくということが望まれるのではないかというような、大変大きな理想論も含めて提言をまとめていこうということがこの懇談会の皆さんの一致した意見でありました。
その具体的な内容を論述の構成に沿って申し上げますと、まず、なぜ今水俣病というものをとらえて、そして行政改革等に結びつけるかということ、そして、その認識の重大性ということをきちっと申し上げなければいけないのではないかということで、国の行政が今担うべき責任の根源ということをまず明らかに述べておこうということでこの提言書の草案は始まっております。
それだけ行政の責任ということを論じるに当たっては、やはり、今日的な状況あるいは新しい状況というものを踏まえた上でさまざまな論拠を提示しなければいけないわけでありますけれども、その中でやはり一番大きかったのは、50年たってもなおかつ被害者の救済や地域の再生ということがいまだ完全ではない、そして、多くの被害者たちが苦しんでいるという、その現実そのもの、それから、そうした被害を拡大させた国の不作為責任ということが司法のレベルで最高裁まで行って明確に確定の判決が出たということ、これは非常に重いと思うのです。
後ほど申し述べますけれども、最近さまざまな事案について国の行政の不作為ということが問われて敗訴する例が相次いでいるわけですが、それは、一つの時代の大きな曲がり角、行政にとって時代の潮流が大きく変わってきているのだということを認識しなければいけないということを示すものでもあると思うのです。
そうした行政の責任認識というものを踏まえて、どのようにそれではこれからの行政があるべきかということで立てた大きな柱が、一つは、さまざまな国民の命の安全に係わるような事態が発生したときに、行政はそれをどのように対処し、そして、対処するに当たって有効な、被害を最小限に食いとめたり、あるいは、被害者、家族というものをどう救済していくかということについて適切な対応をしていく、さらに、それが再発を防ぐような方向で生かされていくというような、そうしたニーズに対してどのような行政体制をとったらいいのかということをまず一つ大きな柱にしました。
それから、2番目には、現在も存在し、しかも次第に高齢化していって、メチル水銀中毒による障害がいろいろな意味でその一人一人の被害者に重い荷物となってきているということ、その重荷がますます厳しくなってきているという中で、どのようにしてそうした被害者を救済するのか。それから、水俣病というものが差別偏見の中で非常に不幸な歴史をたどったがゆえに、今までみずからが被害者であると言うこともできなかったような人々が多数存在する。そして、そうした人たちがようやく口を開くようになった中で、どのようにこうした新しく申し出た人たちを救済していくのか、そうしたことをにらんでどのような救済・補償制度を考えたらいいのかということが第2の柱になっています。
それから、第3の柱は、この水俣病被害というものは、一度補償すれば済むというものではなくて、重度な障害を背負い、あるいは病気に苦しみ続けるというような実態があり、しかも、その地域がさまざまな意味で亀裂が入り人々の気持ちがとても厳しい状況になったり、あるいは経済的に地盤沈下したりというようなことを担ってしまったこの地域をどう再生させ、そして、これからを生きていく被害者たちにどのような福祉対策に取り組んだらいいのかというようなことです。
特に、被害者の中では胎児性患者が今まで余り注目されなかったわけですが、実態を見るとそのあたりも大きくクローズアップして対策の柱にしなければいけないのではないかというような、こうした地域の再生と福祉の問題が第3の柱になるわけです。
それから、もう一つありますのが、この教訓を未来に向かって生かす、あるいは世界に向かって生かすというような積極的な未来志向の提言というのも必要であろうというようなことであります。
以上4点がこの提言をまとめるに当たっての柱であります。
水俣病問題というのは、学問的な世界、あるいは企業の倫理の問題のあり方、非常に幅広くさまざまな問題を含んでいるわけですが、今回は、最高裁判決で行政責任が問われたというような実態を踏まえて、行政のあり方というところに一番大きな焦点を絞る方がいいのではないかと。一般的にふろしきを広げて幅広くさまざまなことを言うよりは、これからの国づくりに直接かかわり合いを持つ行政に関する提言ということが一番大事なのではないか、そしてまた、大臣の懇談会という異色の性格からいっても、まさにそこが重要なのではないかということで、提言の内容は行政が直接かかわるところが大半を占めております。
以上のような議論のまとめ方から目次が構成されたわけです。
そして、ページを開きますと、はじめにというところで、懇談会が目指すものの概要が書いてございます。その概要の論旨は1ページにほぼ書かれてあるわけですが、1ページに書かれてあることは、ただいま私が申し上げたことであります。
2ページに移りますと、こうした日本の国の将来のつくり方というものは、根本的には、この懇談会の初期において屋山委員が発言されたように、日本の戦後の経済成長や国の豊かさを求める歩みを見ると、障害者や被害者や弱者という者を軽んじて、そして、そうした犠牲の上に、例えば100人のうち九十数人がおいしいものを食べていくというような、そういうことでいいのか。弱者や被害者や病者や障害者やそうした人たちが伸び伸びと生きられるような条件を九十数人の人が背負ってともに歩むような国づくりに変えていく必要があるという、この意見をまさに具現化するのが以下に述べるような提言ではなかろうかと思うのです。
たくさん提言の項目があるのですけれども、大きな柱となるところを12項目、このはじめにというところの2ページから3ページにかけて述べております。ここだけはきちんと読んでおきたいと思うのです。
(1)国民のいのちを守る視点を行政施策の中で優先事項とすることを行政官に義務づける新しい「行政倫理」を作り、その遵守を、各種関係法規の中で明らかにすること。
とくに苦しむ被害者や社会的弱者のいる事案に関しては、行政官は「行政倫理」の実践として、「乾いた3人称の視点」ではなく、「潤いのある2.5人称の視点」をもって対処すべきことを、研修等において身につけさせること。
行政倫理というものは今までの法規やあるいは行政業務の中で存在しませんでした、公務員倫理というものはありましたけれども。公務員倫理という一般的な公僕の守るべきモラルというものとちょっとニュアンスが違う、より限定的に、国民の命を守る上で、あるいは健康を守る上で守るべき基本的な規範というような意味で行政倫理というものを設けて、それを各種関係法規の中でうたうべきではないかということです。
各種関係法規の中は、公害に関して対策を立てるべき基本法がありますけれども、そうした環境基本法の中においてこそ、まさにこういうことは実現すべきであろうと思うわけです。
(2)各省庁に「被害者・家族支援担当部局」を設けること。
被害者の情報というのは、極めて重要であると同時に、速やかな救済をしないととんでもないことになるわけです。被害者の訴えというものは、しばしば門前払いという形でほとんど相手にされないことが多かったというのが戦後の歴史でありました。そういうことではなく、被害者の訴えというものに真摯に耳を傾け、何が問題なのかを明らかにして支援の手を差し伸べていくような、そういう窓口というものがあるべきではないかというのが2番目です。
そうしたことをより広く、環境公害だけではなくてさまざまな問題について対応していこうということが3番目に述べてあることでございます。
(3)時代の潮流は、政府全体として公害、薬害、食品被害、産業災害、事故等の被害者を支えるための「被害者支援総合基本計画」(仮称)の策定をすべき時期に来ている。
というわけです。
この「被害者・家族支援担当部局」を設けることとほぼ一体の組織の問題として、(4)公害、薬害、食品被害、産業災害、事件等の原因究明と安全勧告の権限を持つ常設の「いのちの安全調査委員会」(仮称)を設置すること、という提案をしております。
これは、例えば航空・鉄道事故調査委員会とか原子力公安委員会とかさまざまなものが一部存在するわけですが、より広範に一般国民の日常生活の中で起こってくるさまざまな安全問題について取り組まなければいけないという、それを常設の機関としてつくろうということ。そして、その大きなねらいとしては、今の(1)、(2)、(3)とナンバーリングを振ってある上の方のゴシックで書いてありますけれども、上の方から言いますと2番目のパラグラフになりますが、さらに水俣病事件の教訓を国家レベルで未来に向かって真に生かそうとするなら、国家の安全にかかわる既存の危機管理体制と並んで、国民1人1人の日常における「いのちの安全」を守るためのもう一つの危機管理体制を確立することを、21世紀型政治政策の最重要課題として掲げるべきであろう、こう述べております。
これは、懇談会としては大きな目玉にしたいと思っていたことです。
当然、国家の外敵からの侵略とかあるいは諜報活動とか、さまざまな問題に関して危機管理体制というものが内閣にあるわけでありまして、それと同じように、国民の命の安全にかかわることというのは、最近の社会の現実を見ればわかるとおり、実にいろいろな形で次々に起こってくるわけです。それを、その都度の臨時の対応でなく、がっちりと常設の政治政策の体制として確立するためには、やはり大きな内閣府が持つべき危機管理体制のような形にしなければいけないのではないか。それを具現化するのが(2)の「被害者・家族支援担当部局」と(4)の「いのちの安全調査委員会」というセットになっているわけです。そして、その基本理念は(3)における基本計画で明らかにしてほしい。
現在、犯罪被害については、先だって犯罪被害総合基本計画というものが立てられたわけで、時代の潮流はそういう方向に向かっているわけですから、これをより一層拡大することが、日本の国民の安全、そして健康を守っていく上で重要ではないかという考えです。
(5)からは救済・補償の問題に入ります、2番目の大きな柱になるわけですが、すべての水俣病被害者に対して公正・公平な対応を目指し、いまだ救済・補償の対象になっていなかった新たな認定申請者や潜在する被害者に対する新たな救済・補償の恒久的な枠組みを早急に打ち出すこと、ということであります。
これについては、詳細はまた後ほど説明したいと思います。
問題の核心は何かと言えば、平成7年の政治解決は最終決着とその時点では言われたわけですが、実際には、そこで救済し切れなかった人たち、あるいは救済から漏れた人たち、あるいは、いまだみずから名乗り出ることが諸般の事情でできなかった人たち、さまざまな水俣病被害者という存在があって、そうした人たちに対してどうしたら救済・補償の手を差し伸べられるかということを改めてきちっと考えないといけない。
現実に、新たな認定申請を出している人は、一昨年の最高裁判決以後4,200人に上っていますし、それから、その中で特に損害賠償請求の訴訟を起こしている人が1,000人を超えるほどになっている。また、その新たな認定申請もできないでなお迷っている隠れた潜在的な被害者というのは相当数いると予想される。
このような実態の中で、恒久的な被害救済のシステムをつくらないと、同じようなその都度対応していく対応というものが繰り返されるだけになってしまうということであります。
現実に今一つ問題になっているのが、(6)番に書かれておりますような、熊本・鹿児島両県の認定審査会が長期にわたって機能を停止しているのは異常事態であり、国は両県と連携し待たされている被害者の身になって、責任をもって早急に認定審査再開の方策を立てるべきである、ということです。
最高裁判決は司法の判断として別に認定基準を否定したわけではないわけでありまして、ただ、行政上、水俣病被害拡大の行政対応をしなかったという、この不作為の責任を問われて損害賠償を命じられたわけでありますけれども、いずれにせよ、最高裁判決、これは大阪高裁判決を受けているわけですが、その大阪判決では、認定基準にある証拠プラス諸条件といったことを満たさない人も、有機水銀中毒、メチル水銀中毒の影響がなかったとは言い切れない、だからこれは補償の対象になるのだという認識を示しているわけで、それはある意味で公健法における認定基準以外の人も水俣病の被害者であるということで補償対象になるという意味で、このあたりが大変論争を呼んでいるところでありまして、認定基準に認められた人だけが水俣病患者と呼ばれ、それ以外の人が当初においてはほとんど切り捨ててあった、それがさまざまな訴えをすることによって、2次的に補償救済の対象になってきたという、この対応の仕方というもの、これを何とかしなければいけないというものが(5)であると同時に、(6)のように、一体こういう混乱の中で認定審査会というものを引き受けて審査員になっていいのかどうかというようなこと、批判にさらされるのは嫌だとか、さまざまな事情があるようでございますけれども、いずれにしても、昨年、一昨年ともう既に1年9カ月から10カ月になろうとする年月の経過の中で、申請者が4,200人も宙づり状態になっているということは異常事態であります。法できちっと決められている認定審査業務というものがこうかくも長期にわたって宙づり状態になっているということは、やはり異常事態と言わざるを得ない。これは速やかに行政の対応として方策を立てなければいけないということを進言しているわけです。これは被害者にとっては大変納得できない火急の問題ではなかろうかと思います。
(7)からは第3の柱になります。
第3の柱は、福祉と地域の再生の問題でありますけれども、(7)国は関係地方自治体等と連携して、水俣地域を「福祉先進モデル地域」(仮称)に指定し、水俣病被害者が高齢化しても安心して暮らすことのできるような総合的な福祉対策を積極的に推進すること。その中で胎児性水俣病患者の福祉対策には格別の配慮が必要である。
新潟水俣病の被害者に対しても、同質の福祉対策を取ること。
当然、水俣病といっても新潟も含まれるわけで、これはかねて当然のこととして水俣病対策といえば新潟水俣病も含まれてきたわけですが、それを今回の福祉対策の充実に当たっても同じ質で対応してほしいということをつけ加えているわけです。
福祉先進モデルとは何かということについては後ほどまた具体的にページを追ってご説明したいと思うのです。
(8)水俣地域の人々の「もやい直し」の活動を積極的に支援する。
チッソをめぐってチッソ側と被害者側とか、あるいは一般市民と被害者とか、あるいは、チッソ内部でも組合騒動とか、さまざまな意味で分裂を繰り返してきた水俣地域の人々の不幸というものをここで取り戻して、みんなが本当に気持ちよく生きられる地域に再建していかなければいけないということで、地元ではかねて、もやい直し、もやいづくりという活動がいろいろな形で展開しているわけですけれども、それをより積極的に国も支援してこの地域を新しい姿につくりかえていこうということ、負の遺産を抱えた地域を逆手にとって全国の中でもよりすぐった福祉や環境のすばらしい地域にしていこうという、そのことにもこのもやい直しはつながっていくわけですし、また、そうした新しい地域建設の重要な要素でもあるわけです。
(9)国は水俣地域を「環境モデル都市」(仮称)に指定し、関係地方自治体等と連携して、地域の環境、経済、社会、文化にわたる再生計画を積極的に支援すること。
これは、前述の福祉先進モデル地域とこの環境モデル都市というものがいわば車の両輪のように一体化しているわけです。環境整備、それは単に水銀、ヘドロを抑えるだけといったそういう問題だけではなくて、より広く世界に誇り得るようなよりよい環境の地域にしていこうという幅広い意味を持っているわけですから、経済、社会、文化、非常に広がりを持った意味を込めてあるわけです。
そして、(10)これら「福祉先進モデル地域」(仮称)と「環境モデル都市」(仮称)の取り組みを総合的で持続性のあるものとするには、二つを一本化して「環境・福祉先進モデル地域」とし、立法化の措置も視野に入れた制度化が必要であろう、ということで、全体を総合的に見た立法化による、いわばこの地域を特区的な扱いにして施策を実施していくということを望んでいるわけですが、それが一時的な花火に終わらないで恒久的にそのまちが築かれていき人々のもやい直しが進んでいくには、制度化の前提としての何らかの立法化が必要なのではないかということを述べているわけです。
第4の柱が(11)と(12)でありまして、水俣病の教訓を生かすためには、何といってもその全体像というものが明らかにならなければいけない。今まで、さまざまな学術研究、調査研究も行われてきましたけれども、また、行政レベルでもさまざまな調査が行われてきましたけれども、本当に水俣病の被害者は何人ぐらいいるのかということすら明確にはなっていない。また、水俣病の被害地域というのはどれくらいなのかということも、ある程度の報告はあるにしても、全体像として総合的なまとまった調査研究報告書というのはない。このあたりをいろいろな角度から多面的な調査研究をして、この水俣病の被害の全体像というものをとらえる必要があるだろうということを述べているわけです。
(12)が水俣病・環境化学センター(仮称)を設立するなど、首都圏にも水俣病の研究と学びと情報発信の拠点を設けること、ということを提案しております。
既に水俣には、国がつくったさまざまな環境施設、あるいは民間の施設、大学の施設、ありますけれども、その総合的に研究・学び・情報発信というものをより広く世界に発信していく上で首都圏に拠点をつくるべきではないか。それは、多くの研究者やあるいは若い学生、生徒諸君が学ぶ上でも、また情報発信基地としても大きな役割を果たすのではないかという考えからこの提案をしているわけです。
以上、主要な12点について、冒頭にいわば概要として列記したわけです。非常に多岐にわたりますし、半年や1年で実現するのは困難な問題も多々含まれておりますけれども、50年という長いタイムスパンの中で今後を考えるに当たっては、やはり、中長期的な提言ということを積極的にする必要があるということで、以上のように多岐にわたる提言をまとめたわけです。
以下、時間も余りありませんけれども、順次主要なポイントについて、より各論的に説明していきたいと思うのです。
まず、第1章、なぜ、今、水俣病か~その歴史的意味からの出発~ということですが、これは、詳しくは後ほど読んでいただければと思うのですけれども、昭和31年に最初の水俣病患者が公的に認知されて以降、昭和34年、大体、医化学研究の面ではチッソの排水の中に含まれるメチル水銀が原因であろうというところに絞られてきたわけですが、その34年ぐらいが非常に重要な行政施策のターニングポイントであったはずなのです。かなりのデータが明らかになり患者が続出しているという状態の中で、そこではっきりと行政が対応すれば、その後、何千、何万とふえていく被害者、そして地域の広がりということを防ぎ得たではないかということを、今までの文献、あるいは関係者の証言などから実証的に論じて、それゆえに国の不作為ということの責任が今日に問われるという最高裁判決の中身というものがはっきりしてくるだろうということで、この第1章を構成してあります。
行政の審議会や検討会などの提言書、報告書では異例なぐらい、9ページの2章にかかって述べている責任論については厳しい論調になっております。
この水俣病の責任は、当時の医療、健康、福祉を担当した厚生省だけではなくて、そうした厚生省がやろうとしていたことにブレーキをかけた通産行政、通産省の動きということが非常に大きなマイナスの役割をしたわけでありまして、そのあたりの経過というものをかなり厳しく論じております。公的なこういう報告書の中でこのように国の責任を厳しく論じたのは、金平先生も関係したハンセン病問題に関する報告書とか若干ありますけれども、異例なことではないかと思います。
でも、この重大な被害をもたらした現実を見るときに、そこをまず直視しないと本当の意味での改革につながっていかないという認識で述べさせてもらったわけです。
また、その中では、被害の実態に関して、ほんの断片的でありますが、被害者の声というものも引用したりしております。
そしてまた、そうした被害対策を行政がとり切れなかった責任の一端として、やはり、科学者や専門家あるいは医学者、そうした科学的なデータやあるいは見解というものをリードしていかなければいけない立場の人たちが、どのように行政の中に巻き込まれて、実質的には役に立たないようなことになってしまったということについても論述してあります。
このあたりはしょりまして、これはまた後で読んでいただくことにして、提言に入っていきたいと思うのです。
19ページに飛びます。
第3章、「いのちの安全」の危機管理体制を、これは先ほど概要を述べたとおりなのですけれども、前提としての物の考え方、物の見方で、2.5人称の視点ということを述べております。これは去年の懇談会のある会で私が述べたわけでありますけれども、人間の命というものは人称性を持っている、1人称の命、2人称の命、3人称の命、そして死というものも同じように、1人称の死、2人称の死、3人称の死とそれぞれ違いがあります。
そこからヒントを得て、これは哲学の問題でもあると同時に、臨床医学の問題でもあったわけですが、3人称に立ちますと、往々にして物事を客観的に見るのはいいのですけれども、余りにも客観的、科学的になると、そこに生きている人々の個別的な生きざまや人生や価値観やあるいはニーズといったものを見落として画一的に線引きをしてしまうという、そういうことが行政の実態になりがちであったわけです。そのことが最近になってさまざまな事例で批判を浴びることになっているわけですけれども、その問題の解き口として、では、どうすればいいのか、行政官は前線に立ったり、あるいは施策の立案をしたりするときにどうすればいいのかというときに、当然、みずからの行政なり法律なり化学なりの知識を生かすことは重要ですし、客観的で冷静であることは重要であるわけですが、それだけではない、被害者、あるいは病者、弱者、そういう人たちの立場にたって、その心情を理解して弾力的に物事を運用するという、そういう姿勢が必要であろうと。
かといって、1人称、2人称になりきってしまったのでは、客観性やあるいは中立の立場が維持できなくなる。そこで、1人称、2人称に近づくその心情を理解し、寄り添うのだけれども、あくまでも客観的で冷静な理論や論理というものも忘れないという、この両者を兼ね持った視点として2.5人称の視点ということを私が10年来提言してきているわけです。それを現在は結構いろいろなところで導入されているわけでありまして、例えば、私が身近に体験したものでは、医学の領域では医学部教育の中でそういう視点の重要性ということを講義で使う教授も出てきておりますし、また、職員研修などで裁判官や公務員の研修でそういう講義をしたこともありますし、あるいは、最近、これは民間でありますけれども、日本航空の安全顧問を頼まれてやっていた中で、日本航空は会社を挙げて、今、安全のために乗客の立場に立って業務に当たるという意味で2.5人称の視点というものを導入して、そのキャンペーンもやっているというような、こういうような受け入れ方をしているところ見ると、私の一人芝居でもなさそうだということで、懇談会の皆さんの同意を得て、共感を得て、これを盛り込んだのですが、用語としては、やはり、行政の中ではいまだなじまないので、そこで、行政倫理ということを持ち込んでみたらどうかというところに持っていったわけです。それが22ページの提言としてまとめてあるところであります。
これは、ゴシック体で22ページの冒頭に書いてあるのは、さっき読み上げたことをやや詳しく書いてあるわけです。
そして、その行政倫理というものをより具体化していく上で基本的に必要な考え方として、補論という形で議論を追加しております。そこだけ読ませていただきます。
この「行政倫理」を実効性のあるものにするために、試案として、次の取り組みを示しておきたい。
i)とくに環境基本法やこれに基づき進められる環境行政においては、上記の趣旨を基本的理念とすることを謳うこと。
ii)国の行政機関や地方自治体は、上級幹部を含む全職員を対象とする業務研修において、「2.5人称の視点」が被害者や社会的弱者の立場を配慮した「民中心主義」の行政姿勢や中核になることを、さまざまな事例検討や実地体験をとおして身につけるカリキュラムを組むこと。(これは大学の専門課程のカリキュラムにおいても導入されるべき課題であろう。)
iii)行政に携わる者すべてに、「2.5人称の視点」の意識を浸透させるためのハンドブックを作成して、全職場に配布すること。
こう述べております。ここは一つのスローガン的な用語の導入ということを言っているわけですが、次の第2節、「被害者・家族支援担当部局」(仮称)の設置をというところに移りたいと思うのです。
それは、このところが大事なので、ちょっと見ていただきたい。22ページの最後の黒い三角がついているところ、幾つかの事例を申し上げております。
犯罪被害者に対し、警察、検察、裁判所が相談の窓口を開設したり、情報提供するようになった。さらにそれらの対策を政府全体の課題として取り組むために、犯罪被害者支援基本計画が立てられた。(平成18年)
次、キャッシュカード犯罪の被害者に対し、銀行は一切補償しないという方針を、行政が銀行側の養成によって長年にわたって容認してきたが、金融庁はキャッシュカード被害者急増の現実を踏まえて姿勢を180度転換して、銀行に全額補償させる預金者保護優先の制度を立法化によって確立した。これは昨年です。
次が、厚生労働省脳死臓器提供検証会議は、単に脳死判定や臓器提供が正しく行われたかを1例ずつ医学的に検証するだけでなく、愛する家族を失ったドナー家族側が精神的に問題をかかえていないかなどを調べて、必要があれば専門家による支援をするための「ドナー家族の心情把握等作業班」を設置してその作業に入りつつある。(平成16年以降)
アスベスト健康被害者、建築物耐震偽装事件被害者それぞれに対する速やかな救済の対応。
いろいろとこういう動きというものの根底にある行政姿勢の変化というものは、まさに私の言う、被害者側の立場に立って考えるということで、往年の門前払い的な行政のあり方が大きく変わってきていることを示すものだと思うのです。
キャッシュカード犯罪一つを問題にとっても、おととしの夏ぐらいまでは、銀行ははしにも棒にもかからないぐらい門前払いでありました。そして、旧大蔵省は、この問題は、88年に経済財政調査会の専門部会で銀行の圧力に負けてすべて預金者の自己責任にしてしまった約款を認めて以来、ずっと銀行の独り舞台だったわけです。欧米諸国では、既に70年代などから、被害者保護、消費者保護の立場から全然違う施策をとってきたのですが、日本だけが異色の銀行保護をやってきたのです。それが大きく変わったというのも時代の動きかと思うのです。
そういうことを背景にして、23ページの下の方のゴシックで組みました[1]以下の提言があるわけです。
[1]国の行政機関及び自治体に、公害・薬害・食品危害の被害者、産業事故・都市災害・不良工業製品(商品)の事故・建築物災害の被害者、医療事故の被害者、経済事件の被害者、インターネット上の情報被害者などの訴えと相談に対応し、必要に応じて被害者・家族に対する支援の態勢を組む組織として、「被害者・家族支援担当部局」を設置する。
[2]各種の被害者支援の法律や制度を政府全体として総合的に比較検討し、犯罪被害者支援基本計画を全被害者に拡大するような「被害者支援総合基本計画」を策定し、全体的に内容の充実をはかるとともに、未だ制度化されていない分野については、早急に立法化・制度化の道をはかること。
こういう提言をしております。お気づきかと思うのですけれども、環境大臣のいわば諮問機関であるこの懇談会が、環境省の範囲を超えて政府全体に及ぶような提言をしていいのかどうかということは小池大臣に聞いたことがあります。大いにやってほしいということなので、大胆に、しかしまた、巧手提言しないとほとんど実行上意味がないだろうというようなこともありまして、幅広く内閣あるいは政府全体としてというような問題意識を盛り込んだわけです。
直ちに実施されるかどうかは別として、いずれ時代の潮流はこういう方向に行くだろうと予想されるので、あえて提言したわけです。
その補論というところが補論であっても結構重要でありまして、具体的な内容、あるいはヒントというような意味で書いてあるわけです。
被害者・家族支援の組織のあり方について、試案として次の取り組みを示しておく。
i)「被害者・家族支援担当部局」は、行政機関の長に直属するスタッフ部門として、他のあらゆる業務部門から独立した組織とする。
業務のラインとは違って、省庁のトップのいわば支援スタッフ、あるいは参謀的な役割と言ったらいいかと思うのです。
ii)同部局は、被害が発生した事件の情報をキャッチしたら、速やかに行動を起こせるだけの専門スタッフをかかえる。
これは重要なことですね。これは企業などの安全担当部門では徐々にこういうところが採用されているところがあります。
iii)同部局は、必要な情報を関係業務部局に速やかに発信して、「2.5人称の視点」による対応を幹部・一般職員に徹底する。
最近、ある検察部門で、犯罪被害者が重要な申し出をしてきたら、事務官がそっけなく受付に来て突っ立ったまま何のあいさつもしないで黙って書類を受け取って帰ってしまったということが大きな問題になって、幹部が謝罪するというような事態もありましたけれども、それはまさに「2.5人称の視点」と正反対なわけです。もう四、五十年も前の役所かと思うようなことがいまだあるわけです。
iv)アメリカのNTSB(国家安全運輸委員会)は、1997年、「渉外・広報・及び家族支援局」を設置し、事故発生時に速やかにスタッフが現地に急行し、被害者・家族の支援にあたる体制を整えた。これはモデルとして参考になろう。
オランダの場合はもっとより積極的なものが今できつつあります。
次、第3節、「いのちの安全調査委員会」(仮称)の設置を、これは先ほど大体申し上げたのですが、国土交通省に航空事故・鉄道事故調査委員会があるように、いろいろな関係官庁にそれぞれの所管の問題についての「いのちの安全調査委員会」をつくるというのが一つの方法でしょう。
もう一つは、内閣が何か統括的にそういうものを持つということも案だと思うのです。
私は驚いたのですが、オランダはそういう体制をとりました。きょうやっと間に合ったのですが、そのオランダの法律の取り寄せに間に合ったのですけれども、2004年にその法律ができて、オランダの今までの事故調査委員会というのは、航空、船舶、鉄道などだけだったのが、ほとんどすべての分野に関して業務を網羅して受け付ける。それは例えば軍隊の航空機やあるいは陸上輸送とか、それが事故を起こした場合まで対象になるとか、それから、産業事故から健康被害からすべてを一括して一つの国の安全調査機関、セーフティー・インベストゲーションボードとなっていますけれども、それが受け持つという巨大な組織をつくったのです。大変刺激的だと思うのです。この春ぐらいから少しずつそれが回転し始めているということです。
そうしたことをにらみながら、日本も、最近におけるような日常生活におけるさまざまな事故から、子供が巻き込まれる事故なんて最近多いですけれども、そういうものから大きな航空事故、鉄道事故、あるいは環境被害、そうしたものも含めてこれから対応していくようなことが望ましいということであります。
ちなみに、歴史的な経過を見ますと、昭和41年に大変大きな連続航空事故があって、そして、当時、事故調査機関というものがなくて、行政機関が臨時に専門家に頼んでやっていたのを、それではだめだというので、欧米並みにやろうということで航空事故調査委員会が設置されたのが1974年でありますけれども、それまで丸8年かかっている。
それから、信楽事故が起こってから鉄道事故調査委員会ができるまでやはり8年かかっているわけです。
かなり一つの新しい組織体制をつくるのには時間がかかるということは、これまでの歴史から見るとやむを得ないのかもしれないのですけれども、でも、いろいろな最近における事故の実態を見ますと、こうした取り組みというのは極めて重要な火急の課題ではないかと私は思っております。
そのことを25ページの最後のところでゴシックで、先ほども言いましたように、国民1人1人の日常におけるいのちの安全を守るためのもう一つの危機管理体制ということで、この提言の中の大きなうたい文句にしたいと思って提案しているわけです。
そして、26ページ、この上のゴシック体はもう既に頭の方で読んであるので省略しますけれども、こうした「いのちの安全調査委員会」(仮称)を設けた場合の中身について補論でかなり詳しく参考までのことを述べております。
その補論の中のiii)、これが環境省なんかが一番絡むところかと思うのですが、国及び地方の行政機関は、環境の異常現象(動植物の異変、有害物の発生等)、環境汚染、健康被害、生命の危機等の情報を把握した時は、速やかに「いのちの安全調査委員会」に通報しなければならない、というようなことで、水俣病を例にとるならば、あのように、非常に厳しい、狂い死にするような形での悲惨な状況が発生した状況が本当に速やかに真剣に取り組まれていたならば、その後の展開は全く違ったであろうという教訓をこういう形で生かそうとしているわけです。
なお、iv)ですけれども、「いのちの安全調査委員会」は強力な調査権限を与えるべきであるということを述べております。
アメリカのNTSBですと軍の内部まで調査できるのです。
先ほどのオランダの事故調査委員会の法律条文を見て驚いたのですが、物すごい強力な調査権限でどこにでも入っていけるというようなことが書いてありました。大変驚きでした。そうしたことは日本の法体制にどの程度かみ合うかわかりませんけれども、大いに参考にしてほしいと思います。
27ページの上の方にそのオランダのことをちょっと書いてあります。
その他、「いのちの安全調査委員会」についての詳細な参考事例はまた後ほど読んでいただければと思います。
このあたりがいのちの危機管理体制についての具体的な提言です。
次に、被害者の救済・補償の問題に移りたいと思うのです。
この問題につては、懇談会及び世話人会で最も議論を重ねたところでした。重要なポイントが幾つかありますので、それを読んでいきたいと思うのです。
まず、28ページは読みませんけれども、そこで[1]、[2]、[3]、[4]と4項目挙げたのは、今、この救済・補償の問題というのは新しい視点で取り組まなければいけない事態になっているということを四つほど挙げたわけです。それは、やはり、最高裁判決があったということ、それから、新たな認定申請者が激増しているということ、さらに3番目に、訴訟も約1,000人が起こしているということ、それから4番目に、50年の節目であり本格的な救済の枠組みをつくらなければいかんのではないかという時期に来ている。
こういうことを背景にして、それでは、この問題というものが、今、日本の行政の中でどんな位置づけをなされるべきかということで、29ページに最近におけるさまざまな司法判断を例に挙げております。
事件が違えば問題は違うじゃないかという見方ではなくて、これくらいいろいろな問題について行政の不作為というものが相次いで、国家賠償法に基づく損害賠償が請求されて、それが最高裁でまで認められるというようなことで、かなりの異常事態ではないかと思うのです。
1番目が「筑豊じん肺訴訟」、2番目が「水俣病関西訴訟」、3番目が「B型肝炎訴訟」、いずれも最高裁まで行って国側が敗訴しているわけです。
さらに30ページ、追記として、まだ地裁段階なのでこれを書くべきかどうかは議論がありましたけれども、また、今後、控訴審や最高裁まで行ったときにどう判断されるかは未知数ですけれども、しかし、これだけ地方裁判所でもさまざまな事案について国が敗訴する、行政の誤りが指摘されるということは、それはそれで一つの傾向を示す事実であろうということで列記したわけです。
30ページのi)が「原爆症不認定取り消し訴訟」の真っ先に判決の出た大阪地裁判決、それから、31ページに行きましてii)がそれの広島地裁判決です。iii)が「薬害C型肝炎訴訟」の大阪地裁判決、ここには記載してありませんが、一昨日、福岡地裁判決が出されて、この大阪地裁判決よりさらに薬害C型肝炎の国の責任の範囲を広げている判決が出ております。それから、iv)が「トンネルじん肺訴訟」ということで挙げてあります。
これも一つの行政が直面している時代の課題であるという認識の上に立って水俣病判決の最高裁の判断を受けとめなければいけないという構成になっております。
そういう中で、特異な事例ではありますが、物の考え方として、環境庁だけではなくて、恐らく、この水俣問題について大きな解決をしていくには、高度な政治的な判断、端的に言えば総理の判断が求められるであろう。また、そうしない限り前へ進まない、動かないのではないかということで、その事例を挙げているのが32ページ、上よりの1行あきの次からの事例です。参考までに読んでおきます。
折しも、水俣病の発生が公式に確認された昭和31年と同じ年に移民が開始された「ドミニカ移民」に対する外務省の施策(政情が不安定なうえに農耕困難な荒れ地を楽園の如くに宣伝して移民を奨励し、移住者に苦難を強いた)に対し、平成18年7月21日、小泉首相は前月の東京地裁判決で国家賠償法の点では勝訴していたにもかかわらず、政治判断でドミニカ移民者に対し、異例の「おわび」談話を発表するとともに、移民の代表を首相官邸に招いて、失政を反省する言葉を語った。判決は国に賠償責任なしとの判断を示しながらも、移住をすすめるにあたって、現地調査や情報提供に関する政府の義務違反があったことを指摘していた。小泉首相はそのことを“実質敗訴”と受けとめて、法的には敗訴でもないのに、外務省の立場を飛び越えて「おわび」の談話を発表する決断をしたのだという。行政の論理からでは、こういう発想と決断は出て来ない。また、小泉首相の心を動かした背景には、尾辻秀久・前厚生労働大臣の5年にわたる水面下での努力があった。高い次元の政治決断とは、そういう対応を指すのである。移住者代表は、「私たちが求めていたのは、お金ではなく国からの謝罪だった。これで私たちも棄民ではなく移民になれた」と語った。水俣病の認定を却下された人々や新たに認定申請をしている人々の中にも、「求めているのはお金ではなく、はっきりと“水俣病患者”と認められた上での、国からの謝罪なのだ」という声が少なくない。
こう述べさせてもらっております。そのことが以下の提言にもつながってきます。
第2節、行政の論理に縛られない視点というのは、一々読みませんけれども、思い切った施策にはさまざまな過去のしがらみを飛び越える事も必要ではないかということを言っているわけです。
そして、33ページ、第3節、複雑な救済・補償制度と混乱の根源ということで、これはここで一応復習しているわけです。認定基準及び認定制度、そしてまた補償制度、そうしたものの絡み合いをクロノロジーに沿って整理したのが33ページ以降の系図です。これは読むまでもなく先刻皆様ご承知のとおりであります。
そして、35ページに行きまして、それをさらに明確に、何か対応するとそれに対して漏れたものが後で問題になってくる、訴訟が起こったりあるいはかつて運動が起こったりするという繰り返しが35ページから始まる矢印でずっと書いてあるクロノロジーです。
この年譜を見ると、本当に立ち上げの初期において基本的に被害者対策というものがあるゆがんだ形をもってしまったがゆえに、その後その修正ができなくなってしまった。そうして、それを絶えずのりで切り張りして張り合わせていかなければいけなかったという実態が嫌でもおうでも見えてきてしまうわけです。特にその中核になるのが認定基準と補償協定がリンクしてしまったということです。
認定基準については二つの大きな批判があったわけです。一つは、認定基準というもので線引きをして、水俣病患者と名称して補償する人とそれから外された人と、その線引きの妥当性ということと、その線引きの根拠として、メチル水銀中毒の蓋然性がどの程度あるかというものを一応の目安として医学的な治験をもとに50%以上の蓋然性があるということで水俣病認定をしていたわけですが、その50%認定の諸条件、いわゆる判断条件というものが妥当かどうかという、このもう一つの批判、議論があったわけです。
しかし、我々は医学の専門家ではないので、その50%の妥当性とかさまざまなことについて、いや、40%にすべきだというような、そういう議論はできませんでした。
それから、線引きそのものについては、これは行政措置としては当然どこかで線引きをしなければいかんというのはやむを得ないにしても、それが全体の救済制度の中で本当に妥当なものであったのかどうか、もう一度考えてみる必要があるということで、さんざん議論をしました。
そして、その結果、お手元の図表をちょっと見ていただきたいのですが、お手元に図表を配りました。これは説明のためにとりあえず暫定的につくったもので、行政がこういう考え方で採用したとか、そういうことではなくて、我々の考えを整理したものであります。
左の方から、チッソが流した排水の中にあったメチル水銀が食物連鎖で人体に影響を与えた。その影響の度合いというものが人によって100%から0%まであるわけです。その人がどれくらい被害とメチル水銀との因果関係があるかというのは、その人の健康被害の状態を症候という形で診断をして、その症候が二つ以上、そして、その他若干の条件をつければ、これはやはりメチル水銀による中毒被害であろうということで、認定される。そうすると、認定患者というのは水俣病患者と呼ばれるわけです。しかし、その認定審査会で除外されると、下の白い方のグループに入ってしまいますと、当初は、そのまま水俣病患者ではないのだから何の救済の対象、補償の対象にもならなかったわけですが、それは不当であるということで幾つもの訴訟が起こってきました。チッソに対する損害賠償請求やあるいは行政に対する不服申請やさまざまな訴訟がたくさん起きてきました。
先ほどのクロノロジーに見たものの中で主な解決策としては、司法救済ということで、裁判で判決を得て、そして救済された、つまり補償金なりその他の救済を受けたという、そういう人たち、それから、その後、たくさんの訴訟を受けて喧騒状態になったので、平成7年に一気に政治解決という形で訴訟を取り下げてさまざまな妥協案をのんでそこで一件落着したという、こういう人たち、それから、その前後から、政治解決にも漏れたけれども、ある程度メチル水銀の影響があるのではないかという状況を満たす人に対しては、行政が手帳を交付したりして救済の手を差し伸べたということがその前後にあるわけです。それは、その後、次第に充実していったわけですけれども、しかし、ここの経過を見ると、認定制度の中で認定をされた人とされない人が大きく分かれて、されない人は訴訟などで訴えないと救済の窓が開かれなかったという、こういう事後的なものであったために、非常に多くのトラブルを繰り返してきたわけです。
しかも、また、下の括弧の中に書きましたけれども、左側から読んでください、ちょっと順序が変ですけれども。
しかし、認定却下されてそのまま黙っていた人、あるいは訴訟で勝訴できなかった人、それから、政治解決でも対象から外された人、諸事情で何の訴えもできないでただ潜んでいた人など、さまざまな人が存在していたわけです。
そうした人たちが、今、新たな認定申請を一気に出してきたり、あるいは、潜在的な被害者としてまだためらっている人もいるというふうな実態であるわけです。
このあたりの実態については、丸山先生の、最近における新たな申請をした人の、何ゆえに今まで黙っていたのか、何ゆえに今になって申請したのかという実態調査のデータがこの提言の中にも詳しく紹介してありますけれども、この偏見・差別の強かった水俣病というこの世界ならではいろいろな病気を抱えてしまっても黙っていた人がいかに多かったかということがわかるわけです。
今後の提言として、それではどうしようかと、認定患者あるいは認定基準というものが動かせないならば、なぜ動かせないかといいますと、これは公健法という法律が一つあって、それを安易に変えると、一人一人がチッソと協定している補償協定というものがあって、これは民対民の契約であって、それを行政が一方的に変更することはできないというややこしい法律関係になってしまっているわけです。これが救済・補償を混乱させた最初の間違いだったと思うのです。認定基準と補償協定がリンクしてしまったという。この問題を解決しようとすると、非常に多くの要素が絡んできます。我々は何とか変えられないかということで大いに議論しました。行政側は、一貫して変えられないというしがらみを強調してきました。そして、最終的に到達したのが、認定制度、認定基準を我々で積極的に承認したわけではないけれども、また、我々は専門家ではないので、その具体的な内容を動かすことはできないにしても、枠組みとして、今までのようなことではだめだということが、この認定申請を新たに出している人が大勢に上ることや潜在患者が恐らくたくさんいるだろうという、このこと一つとってみても、新たな枠組みをつくらなければ同じ混乱の蒸し返しになるだろうということで、この右の方に書きましたように、とりあえず行政が対応しているこの認定制度、そして、認定患者を決める判断条件というものがある。だけれども、そこではめるということではなくて、そこで審査を受けて蓋然性が50%以上にならない人も同時に何らかの枠組みで恒常的に救済されていくという、そういう全体を大きなまるで囲む、いわば同心円的に考えれば、中央に認定患者という小さな丸があって、それを取り巻く大きな同心円の丸があって、そして、その真ん中の小さな丸に入れなかった人もそれなりにある救済・補償を受けられていくという制度をつくって、例えば平成7年の政治解決のように、半年間だけしか受け付けなくて、あとはもう乗りおくれてしまうとか、あるいは、そこでもやはり認定を受けられなくて外された人が行き場がなくなってしまうとか、そういう混乱を全部なくす恒常的な仕組みをつくるということがその一番右側に書いた図面なのです。今までとかなりニュアンスが違ってくるわけなのです。
今までは、認定基準を外されるともうそこで真っ白になってしまって何らかの訴えなり手続をしないと、つまり新たな出発をしないと救済されなかったのが、最初の認定を受ける段階で全部込みにして判断されていくというような枠組みをつくれないかということです。
これは行政技術の中でくふうしてほしいということです。
そこに、一番右の方に、斜線のある部分は認定患者で、これも今までどおりあるわけですが、白い部分について、新枠組み患者というような、これはキーワードはあるわけではありませんし、提言しているわけではありません。これは単なる概念を示しただけで、新しい枠組みの中でとらえられる被害者という意味です。こういう用語を我々が使っているわけではありません。ただ説明のために書いただけです。
もう一つ大事なことは、被害者の要求として、認定患者だけがなぜ水俣病患者であり、それ以外の49%以下はなぜ水俣病患者と言われないのか、患者でもないのに救済を受けるって変だとか、あるいは人格が認められないに等しい、我々も同じメチル水銀被害者であれば、同じ名称で呼ばれるべきではないかという批判、意見、要望が出されていました。そのあたりを何とか乗り越えるために、水俣病患者という認定患者と新しい枠組みの中で白枠の方で救われている患者を総称する一つの定義を持った用語というものをつくる必要がある。
ちなみに、この提言書の中では、暫定的ではありますけれども、水俣病被害者という用語で統一して述べております。それは、認定患者も認定から外されて別の補償を受けた人、あるいは救済を受けた人全部を含めて、水俣病被害地域で何らかのメチル水銀による被害を受けた人たちを包括的に呼ぶものとして水俣病被害者というキーワードを一貫して使っております。それは冒頭に断り書きをつけてあります。
しかし、その用語をここで求めている統一名称にしろという意味ではありません。もちろん結果的にそうなることもあるかもしれませんけれども、我々はそれを同一名称として行政が使うべきだと提案したわけではありません。この提言を論述するに当たって一貫したキーワードが必要だからそういう言葉を使ったわけです。
蛇足になりますが、一番右の矢印の下にありますことが、この新しい枠組みで重要な条件でありまして、新たな救済の枠組みは常時開かれていること、年月を区切って締め切らないということ、それから、恒久的な救済で恒久性を持つということ、一時的なものではない、政治解決のような一時的なものではないということ、それから、既存の被害者との公平性を保つことは非常に重要である。
仮に、仮に、大げさな話、新しい枠組みで救済された人が前で訴訟したり活動したり、あるいは自主交渉したりして、やっとその補償を受けた人よりもより優遇されるようなことがあたのでは、これはおさまらないだろうと。その現実というものを見ながら、ある傾斜を持った形で救済・補償がなされるのは、これは仕方がない。そのあたりをよくにらんで救済・補償の内容というものは別途行政なり、あるいは、そういうものを検討する会議なりが議論していくべきであろうと。我々はそこまではとても立ち入らないけれども、枠組みだけについては提言をしておきたい、こういうことです。
以上がこの救済・補償に関する章の議論であり提言であったわけです。
39ページの第4節です。
新規申請者が示す問題の根の深さ、ここに丸山研究班のデータを詳しく紹介しております。それを読みますと、本当に水俣病の構造の複雑さ、そして、長引いていることの意味というものがよくわかるかと思うのです。
そして、41ページに飛びまして、恒久的な救済・補償の枠組みの方向ということを議論しております。
ここでも「2.5人称の視点」に立って被害者に寄り添うような枠組みを考えましょうということで、その提言を43ページに述べております。
43ページの真ん中より下の方にゴシック体で、救済・補償のあり方あるいは枠組みを見直す方向について、次の提言をしたい。
[1]いわゆる「認定基準」は、「患者群のうち、(公健法上の、及びチッソとの補償協定上の)補償額を受領するに適する症状のボーダーラインを定めたもの」(大阪判決。最高裁判決において是認)と理解されるのであり、また、そのような意味合いにおいてはなお機能することができるといってもよい。したがって、「認定基準」を将来に向かって維持するという選択肢もそれなりに合理性を有しないわけではない。
これは、行政は一貫してこの姿勢を貫いてきているわけですが、それを認めた上でもなおかつ、しかしながらで続くわけです。
一方、水俣病被害問題をこの「認定基準」だけで解決することはできないということも、これまでの事実経過、(「認定基準」とは異なる基準を用いて……これは後でちょっと字句の修正はまた別途正誤表ができますけれども、これは準拠です……「認定基準」とは異なる準拠を用いて、「政治解決」を図らざるを得なかったこと、「認定基準」とは異なる準拠によって国等の損害賠償請求を求める司法判断が確定していること、最高裁判決後、大量の認定申請者・訴訟提起者が続出していること、「認定基準」を運用すべき審査会が1年半以上も構成されず、認定申請者が放置されていること等)に照らし、あまりにも明らかである。
そこで、今最も緊急になされなければならないことは、補償協定上の手厚い補償を必要とする患者が今後も出てくるかもしれないこと、補償協定に基づく補償を受けてきた患者の法的立場の安定を考慮する必要もあること等の理由から、「認定基準」をそのまま維持するにせよ、この「認定基準」では救済しきれず、しかもなお救済を必要とする水俣病の被害者をもれなく適切に救済・補償することのできる恒久的な枠組みを早急に構築することであろう。
[2]この枠組みの構築に当たっては。
ア)新たな枠組みによっても却下された人々が、後に司法判断で認められるというような事態をできる限り回避しうるものにしておかなければならない。
また、裁判に訴えると違うより幅広い基準で認められてしまうというようなことがないような万全の枠組みをつくれということです。
イ)従来の救済策によって救済・補償を受けている人々の権利ないし法的地位を侵害しないよう十分に配慮するとともに、歴史的経過からやむなく異なる時期、異なる枠組みにより異なる救済・補償を受けることとなる人々の間の公平感、均衡を保つように留意する。
ウ)新しい枠組みでは、いわゆる「汚染者負担の原則」からチッソが救済・補償の主体となるにせよ、最高裁によって国の行政責任が明確に認定されたことを何よりも重視すべきであり、国が救済・補償の前面に立つしくみにすべきである。
ここは非常に行政にとっては厳しい指摘になると思うのです。チッソが第一因者であり、払えないからとりあえず国が肩がわりするというのではなくて、国が最初から前面に立って補償・救済に当たれということを言っているわけでして、かなり強い提言になっております。
エ)新たな枠組みは、前回の政治解決の教訓に鑑み、将来に向かって開かれたものとして構築されるべきである。
オ)新しい枠組みでは、認定された「水俣病患者」と、それ以外のあいまいな呼称の被害者とを包括的な名称で統一的にとらえるようにすることが望まれる。
これは先ほど図面で説明したところであります。
[3]従来の「認定基準」に基づいて認定-救済を求めている人々が4,200人以上存在するにもかかわらず、これらの人々が、その多くは医療費等の支給を受けているとはいえ、審査会が構成されないという理由で、1年半以上も放置されているという現状は早急に解消される必要がある。法律上の手続に従って権利の救済を求めている人が正当な理由なく、このように放置されるようなことがあってはならない。これもまた、待たせれる側の身になるなら、すなわち「2.5人称の視点」に立つなら、躊躇はゆるされるものではない。
[4]あらたな救済・補償に伴い、国は財政負担を強いられることになるが、国全体が経済成長の恩恵を受けその陰で犠牲となった人々への償いととらえるなら、「汚染者負担の原則」に基づく原因企業の負担は当然にしても、国民の税金を財源とする一般会計から応分の支出をするのも当然のことと考えるべきであろう。
ここはある意味で革命的なことを言っているわけです。こういう役所の審議会あるいは懇談会が財政のあり方にまで口を出して、しかも、あの水俣病というのは日本の国の高度成長で国民全体が恩恵を受ける豊かになったのだから、犠牲になった人に対しては国民の税金の中から払うのは当然だということを堂々と述べているわけで、このような論調を述べた今までの報告や提言というものは恐らく皆無だったろうと思うのです。
このあたりは政治的には物議を醸すかもしれませんが、大胆に書かせてもらったわけであります。
環境庁のこれからの努力を期待したいと思います。
そして、次は福祉の方に移りたいと思います。
46ページ、第5章、「環境・福祉先進モデル地域」の構築をというとで、まず、胎児性水俣病患者、これは小児性患者を含めてあります。患者認定の場合に、胎児性か小児性かということは区別なく認定しておりまして、統計上、あるいは実際の福祉対象としての実態上も、医学的な問題は別として、基本的には両者を同じレベルで福祉の対象とするということは問題ないと思うのです。胎児性水俣病とこの以下で使う中では小児性水俣病も含めてのことになっております。
46ページには、胎児性水俣病というものの問題性というものを述べているわけです。特に現地のこういう人にかかわっている立場、例えばこの中で言えば加藤委員なんかもまさにゴッドハウスそういう仕事に携わっているわけですけれども、そういう人たちにとっての認識の最も象徴的なところだけ読ませていただきますと、46ページの真ん中、ど真ん中です。胎児性水俣病の発生はから始まる文章ですけれども。
胎児性水俣病の発生は、そうした医学の通念を覆したのである。それは、地球環境を汚染してでも経済的繁栄を求めようとする人間の傲慢さに対する警鐘であると同時に、人間の営みは適切な制御を受けないと種の保存さえ危うくするおそれがあることを知らせる警鐘でもあった。その警鐘に、早い時期に行政や専門家が気づいていたなら、水俣病の拡大を防ぐ対策への取り組みも変わっていただろうし、何千人もの被害者の発生を防ぐこともできたであろう、ということで、この胎児性水俣病患者というものは、いわば人類への警鐘、環境破壊への警鐘の大変注意しなければいけない存在であるということを述べているわけです。
しかし、次の段落も非常に重要なので、ちょっと数行だけ読ませていただきますと。
胎児性水俣病の患者たちは、全身におよぶ重い障害を背負い、差別と偏見にさらされることの多い人生を歩んできたが、ただ、われわれが、いたずらに悲惨な側面にばかり目を向けるだけであったら、懸命に生きている胎児性患者に対して否定的な目を向けることになると、介護や支援にあたっている人たちは語っている。水俣病被害地域では、胎児性患者のわが子を「宝子」として、愛情を注いで育んできたという事実がある。そして、胎児性患者の中には、多大な苦難を背負いながらも、「生きていてよかった」と呟きをもらう患者もいる。家族の愛と微かな支援のみで、半世紀を生き抜いてきたこの事実は、人間のいのちと生きることの意味について大切なメッセージを含んでおり、被害者への社会的支援を考えるうえで、根底に据えるべきものは何かを教えてくれる。
こういう現地の人の声をここで書かせております。
第2節、胎児性患者の実態、これは余り今まで東京の方では公にされていませんでしたが、ゴッドハウスの加藤氏らのグループが実態調査を行ったもので、極めて貴重であります。非常に多様なニーズがいかに切実なものであるかということがこのデータから続々と伝わってきます。それが47ページから48ページにかけてです。
もう時間が迫ってきたので、少し急ぎますが、そして、3番目、胎児性患者支援の課題ということで、課題をるる、49ページから50ページにかけて述べて、どのような実態があり、どういうサービスが必要かということを論じております。
そして、そこに加えて、50ページ、第4節、患者の身体機能の低下と家族の高齢化という実態の中で、体力が弱り、そして疲れやすくなり、症状が進行するというようなことの中で、ますます福祉対策が重要になってくるということを述べております。
51ページに「福祉先進モデル地域」(仮称)の提言ということで、その概念と具体的なないようについて述べています。若干読んでみます。51ページ、真ん中のAというところです。
「福祉先進モデル地域」の基本的な概念として……次の3点ですが、これをちょっと修正、まだこれは直っていなくて、4点なのです。4点ありまして……。
i)水俣病被害者の生活支援を主眼としつつも、一般障害者も共にサービスを受けられること。
ii)一人一人のニーズの多様性やライフステージによるニーズの変化に柔軟に対応すること。
iii)家族のニーズに対しても対応すること。
こうなっておりまして、それにもう一つ概念としてつけ加わりますが、後でまた書き足したものをお配りしますけれども、別紙資料をちょっとごらんになっていただきたい。追加資料というものがお手元にわたっていると思うのです。これは確定版ではなくてまだ議論中のものなのでまだ定性があるので参考までに配ったのですが、その中で、3ページ、追加資料の3ページの一番上の(4)、その中で、手書きで加筆したところが概念の第4項です。重篤な障害を背負って生き抜いてきた胎児性患者の経験が、今後、この地域で生活していく重篤な一般障害者……害が抜けているのです……障害者に対する地域生活支援を充実する施策に生かされることということを入れています。
つまり、胎児性患者のとても厳しい障害に対する救援が地域の一般的な重症心身障害児とかさまざまな障害者の福祉政策にも反映されるべきであるというようなことを述べているわけです。
そうして、具体的な内容として、B、具体的な施策の内容についてということで、たくさんの項目が挙げてあります。全部読むと時間がなくなってしまいますので、項目だけ読みますと、[1]が水俣病に対する総括的な医療体制の整備ということで、非常に重要なことは、いろいろな複雑な症状を示すわけですが、それに対して総括的に診られるお医者さん、あるいは、その中で特に重要な症状に対して専門的に診られるお医者さんが不足している。そのあたり若干表現は今後字句の訂正がありますけれども、不足しているので、そのあたりが患者さんにとっては非常に困っている場面が多いので、そうした医療体制というものをしっかり構築してほしい。
それから、次のページ、52ページ、[2]「生活の場」づくりということで、グループホーム、ケアホームとか、さまざまなヘルプ組織、あるいは生活訓練とかリハビリとか、そういったことについての場の提供ということを述べております。
それから、生きがいに結びつくものとして、[3]「働く場」づくりということが非常に重要だということ。
それから、[4]として、さまざまな「相談窓口」を幅広く官民両方合わせて行きやすいところにたくさんつくってほしいということを述べております。
そういったことを提言しているのがこの福祉対策であります。
次、53ページ、「もやい直し」、そして「環境・福祉先進モデル都市」へということは、亀裂の入った水俣地域の人々の心というものを一つに、またもう一度地域再建、コミュニティー再建に向かって統一していこう、手を結んでいこうというような活動、さまざまなものが既にあるわけですが、これをより本格的に、国全体の問題として見つめてあげ、そして、行政も手を差し伸べるべきではないかということを述べております。
そういう中で、現地、水俣地域では、農業にしろ漁業にしろ、非常に今クリーンになった形で生産活動に励み、そして、それをブランド化して、経済再建、そして地域の再興に生かしているわけです。とてもそれは成果を上げつつあるわけで、そうした地元の人たちの気持ちを酌みつつ、より深く広く環境モデル地域というものをつくっていくことが必要なのではないかということで提言しているのが55ページから56ページにかけての提言であります。
55ページの下の方で、提言の[2]のところで、国として水俣地域を世界に誇るに足る「環境モデル都市」(仮称)に指定して、地域の環境、経済、社会、文化にわたる再生と興隆の様々な計画を全面的に支援する制度をつくることということで、これは、当然、自治体が主体的にかかわってこないとできないわけです。
次の56ページの[3]、水俣市とその周辺は、国の経済成長政策の陰であまりにも大きな犠牲を払わされてきた地域であり、しかも住民はその苦しい経験をバネに、「環境モデル都市」の構築を目指して、安全で安心して暮らせる美しい環境づくりに汗を流して励んでいる“特区”とも言うべき地域である。国も県も、そのことを十分に認識して諸施策にあたるべきであり、とりわけ現在問題になっている産業廃棄物処理施設をあえて水俣市に建設しようとする計画につては、懇談会としても無関心ではいられず、熊本県が地域住民の声に耳を傾け慎重に対処することを望むものである。
我々としても、この産廃施設問題については黙ってはいられないという姿勢を示しました。
そして、さらにそこに文言も加えまして、産廃施設は県が主体的に責任を持つものですが、国がここを「環境モデル都市」として扱っていくからには、これは県の問題だといって遠目に見ていることはやはり許されないのではないか、国も積極的にこの産廃施設について発言し、県に対して背中を押していくような対応が必要ではないかということを言葉として追加することにしております。
追加の文言は、先ほどの最後の世話人会で決めたのですが、今の文章の最後、熊本県が地域住民の声に耳を傾け慎重に対処することを望むものであるとともに、国もこの問題について「環境モデル都市」構築の視点から、積極的にかかわるべきである、こういうふうな文章を加えることにしております。
それから、[4]が埋め立てたメチル水銀ヘドロが絶対に拡散しないような長期安全計画を確立し、30年、50年という時間経過の中でも絶えず見直し作業が継続されるようにすること。
そして、結びとして、なお、「福祉先進モデル地域」と「環境モデル都市」の二つを一本化して、「環境・福祉先進モデル地域」(仮称)とするのが、制度的に妥当かもしれない。
そして、これより立法化ということも含めて検討してほしいという文言にしてあります。
やはり、埋め立てヘドロは、もう埋めたからいいかというとそうではなくて、やはり、年月の経過というのは恐ろしいもので、そのことを十分に念頭に置いて対応してほしいというのは、我々の提言自体が50年先まで考えていろいろなことを議論したということであります。
最後、第6章、未来へのメッセージ、これは、初めに申し上げましたように、水俣病という歴史的な経験、負の遺産をより積極的に前向きに、今後の環境づくり、あるいは国づくりに生かしていこう、そして、世界の環境問題に貢献していこうという、こういう意識で提言をしているわけです。
そして、この「水俣病・環境化学センター」をつくろうという提言の中身については、58ページから59ページにかけてかなり詳しく具体的な所見を書いております。
以上、時間を大変長くとってしまいましたので、はしょるところも多かったのですが、以上、この1年有余に及ぶ懇談会の議論がこのあたりで終息してまとまったということです。
途中、行政側と懇談会側とで意見の調整がなかなかつかずに、基本的な考え方の枠組みの違い、あるいは言葉のとらえ方の違いなどで大変な議論も重ねてきました。そして、一字一句文言に至るまで、大変、精力的に議論したために長い時間がかかってしまったわけです。日によっては6時間も7時間も議論したこともありました。でも、何とかここで懇談会という第三者の立場からの行政への提言ということをこういう形でまとめることができたので、懇談会の各委員の積極的な発言やあるいはまたそれに対する行政からの資料の提起やそうしたことに対して感謝申し上げたいと思います。
以上です。
○有馬座長 ありがとうございました。
先ほど、いわば最後の世話人会が12時から予定としては1時までというつもりで私はおりましたけれども、少し長引いたということで、15分ぐらい長引いたかと思います。
この会の出発が1時15分ぐらいから始めたかと思いますので、15分ぐらいの延長ということは覚悟いたしていたのでありますが、予定といたしましては、一応、3時に終了ということでありました。
そこで、緊急にまずご相談は、ここで、皆さんのご予定もあろうと思いますが、3時半まで延長させていただこうと思いますが、よろしいでしょうか。
そして、大変、今、丁寧な全般にわたるご報告を、柳田先生が詳しくお話しになられたことは、この内容の詳しいことがよくおわかりいただけたかと思う次第であります。
また、きょうは、残念なことに、トリイ委員、それから、丸山委員お出でになる予定でおりましたけれどもお出でにならなかったということと、何か外国出張のようなことで、連絡を私もしてみたのですが、ちょっとつかないところがありました。
それから、屋山委員がご都合で来られていない。
そうしますと、この提案書の草案をまとめる世話人の方々、私も何回かあそこに出席させていただきましたので、世話人の方がずっと、私は非常に内容がわかっていて、ほぼ言いたいことは、まだまだもっと強く言いたいというようなことはあると思いますけれども、ともかくまとめるという方向でここまでまいりました。
そこで、世話役をやってくださった方々、世話人の方及び私は内容をよくわかっているのですが、それにご出席でなかった方というのは、金平委員、きょうはお一人ということでございますので、まず、金平委員から少しご質問、ご意見をまずいただきたいと思います。
どうぞご発言を。
○金平委員 それでは、私自身は、世話人の方にまずお礼を申し上げたいと思います。
私は、この会にかかわりましたときに、正直申しまして、それまで深くこの問題にかかわって来なかった、そういう、自分としてはハンデを持ちながら参加いたしましたけれども、話を伺っていて、一番基本的なところで私の心をとらえたのは、50年たって水俣病は終息していないということでした。
それからもう一つは、懇談会がちょうど立ち上げられた直近において、最高裁の判決が出ていたこと、そして、行政、特に国と熊本県の不作為が問われたこと、このことが一つありました。
もう一つは、判決後に認定の申請者が、たしか始まったときには2,800人ぐらいという数字だったかと思うのですけれども、この1年間の中で4,200人までふえるということ、この最高裁判決とそれから認定申請者が出てくる、しかも急増する、この事実、この二つの事実の前で、私は、やはり、そこから出発して考えなくてはいけないというふうに思いました。
柳田委員のご説明の中にもありましたけれども、初めに申しましたように、水俣は終息していないと、そしていろいろな問題があるということがわかりましたけれども、私は、まず、今申しました判決と認定患者の新たな申請、この二つの事実を押さえながらこの懇談会では何か絞って問題を整理しなくてはいけないのではないかというふうな感じを個人的にまずもっておりました。
その意味においては、今回、最後、本当に追い込みでまとめていただきました、これは私たちが行きつ戻りつしながら当初のころやっていた問題を本当に取り入れてくださって、この形で私の考えていたスタンスでまとめていただいたという、今、印象が、伺っていて大変強うございまして、その意味で、最初に申しましたように、感謝をしたいというふうに思っています。
問題は、やはり、どうこれからこの問題をそれでは終わっていないとしてどう行政に取り組んでもらうか、それには、やはり避けて通れないのは最高裁も指摘した行政の不作為がなぜ起こったか、そして、それをどう今後修復できるのかということ、このことを我々の提言にある程度盛り込めたというふうに今思っています。
このことをぜひ国の方では、確かに国の設置した懇談会は国に対して、提言するのは提言でございますから当然ですけれども、厳しく時には責めを指摘しながら、しかし、我々の中では相当具体的な提言もしておりますので、これをぜひ取り上げていただきたいというふうに今思っております。
それともう一つは、やっぱり、水俣病を当然取り上げておりますけれども、水俣病の問題は本文の中にも入っておりますけれども、これをやはり普遍化しなくてはいけない問題が非常に多いというふうなことを思っておりました、この1年間。そして、この1年間の中にも、随分いろいろな判決もありまして、普遍化に拍車をかけるともうしましょうか、そういう気持ちでもおりますけれども、とにかく、我々の報告書の中で、水俣病を通して、水俣病を当然としながら、そのほか、この行政の不作為というふうなものが起り得るであろう他の問題について、要するに普遍化した問題としてある程度これを国が受けとめていただければというふうに考えたところでございます。
以上です。
まだ言い出すといっぱいあるのでございますけれども、とりあえず全体の……今、柳田先生から伺いました印象だけ申し上げました。
失礼しました。
○有馬座長 ありがとうございました。
それでは、各委員のご意見を手短にお聞きいたしましょう。
加藤さんもオブザーバーとして出席しておられたので、きょうのこの原案に対してずっと親身になって見ておられたと思うけれども、ご意見を一言いただきましょう。
○加藤委員 短い時間の中で発言したいと思います。
先ほど、柳田先生の方から、非常に丁寧な報告をしていただいたのですが、まずもって、本当に、柳田先生、ありがとうございました。最後まで本当に大変だったというふうに思います。
それで、どうしても、追記のところで、今言っておかなければと思いまして、補足ということで今ちょっと述べさせていただきます。
ページ51ページのところの総括的な医療体制の整備というところで、先ほどの最後の世話人会で確認された文言になると思いますので、既にこれが皆さんに配られているということですので、ぜひ、ここは訂正をしておいていただきたいのですけれども、51ページ、下の段の水俣病に対する総括的な医療体制の整備というところの冒頭の、残念なことに水俣病の医療機関の多くはのここは全部削除してください。その後は、水俣病特有の症状について総合的に判断できる医師や症状に応じた専門的治療をすることのできる医師が不足しているということ、そして、その後に、患者の日常的な痛みやしびれの頻発に対して対症療法しかない、その後に追加です。脳の神経細胞を損傷され長年にわたり差別や偏見にさらされた患者にとって、メンタルケアが必要である。カウンセリングや心療内科、精神科の医療援助も必要であるというのを追加していただくよう、お願いします。
それと、相談業務についても、民間も含めて相談の窓口に当たることがいいだろうということも文言の追加です。
それと、さらにこの「福祉先進モデル地域」を実現するために、立法措置に取り組むに当たっては、国は被害地域の関係自治体に対し法案内容を検討するための協議会の設置を促すこと、関係自治体は積極的に主体的に取り組むことというのが追加されていたのを、大事なことなので報告させていただきます。
すみません。
あと全体的に、起草をここまでまとめるのに大変険しい山があったというふうに思っています。
いずれにしろ、この懇談会が始まったとき、委員の先生方が真摯に水俣病に学んでくださった、それがついに水俣病の現実を懇談会全員で見ることができて、そこからが険しい山道だったというふうに思います。結局、登り切ることはできなかったと思います。しかし、少なくとも糸口は開いたというふうに思っています。認定基準そのものについてというよりも、新たな枠組みというところで検討課題を残したというふうに思っています。
いずれにしろ、この懇談会が始まったときに、関西訴訟の患者さんたち、そして、この提言書をまとめる段階で、水俣市議会、それから不知火患者の会から、提言書の中で、ぜひ、今、混迷する水俣の状況を切り開いてほしいという、そうした声が届けられていたことも一つの報告したいというところです。
以上です。
○有馬座長 ありがとうございました。
亀山委員。
○亀山委員 私は、この草案をまとめる立場の方に加わっておりましたので、特にこれ以上申し上げることはありません。よくまとまったものだということなので、ほかの委員の方にもお目を通していただいて、できれば、今、ご説明があったとおり、多少手直しが追加の中にもありますし、そういうことはお任せするとして、これで提言がまとまればいいなと思っております。
水俣病の関係の現地の方々その他にはご不満のところもまだたくさんあろうと思うのですが、一方、行政の方にも相当なこれは、特に現在の環境省には、ある意味で非常にダメージを与えるおそれがあるような珍しい提言になっているのではなかろうかという気がいたします。その意味で、この提言を受け取って大分いろいろご苦労なさることがあろうかと、実はひそかに危惧しておるのですが、ぜひとも何とか頑張っていただき、この提言の主要なところを生かす方向で頑張っていただければ大変ありがたいと思っています。
ご苦労さまでございます。
○有馬座長 ありがとうございました。
吉井委員。
○吉井委員 提言書の取りまとめに関係をさせていただきましたから、きょう、その素案を了承していただきまして、そして、一部座長にそれをお願いするということで決着をしたのを大変感慨深く思いますし、そして、安堵いたしております。
この世話人会は非公開でやりましたので、ここでその内容の一部をやはり報告する義務があるのではなかろうかと思いますので、少し話させていただきたいと思います。
提言書は委員で作成をすると決めましたので、大変大きな荷物を背負ったわけでありますが、幸い、柳田委員にすべての取りまとめ、文章化をお願いをいたしました。それは、役所文章ではなく平易でかつ情のこもった懇談会独自の個性のある報告書をつくりたいという願いがあったからであります。そこで、柳田委員には、論議を重ねるたびに徹夜で条文化をしていただきました。まさに物心両面で大きな負担をおかけいたしました。これができたのもまさに柳田先生の努力の賜物だと感謝をいたしております。
委員会は、先ほど7回とおっしゃいましたが、委員だけでやった会合もありまして8回ぐらいになると思います。それで、時間は延べで30時間を優に超えたのではないかと思います。それに、夜中にファクスをやりとりするというようなことをずっとやってまいりました。
それから、有馬座長も参加をいただいたり、また、書面でご指示をいただきましたので、指示どおり修正をしたり削除をしたりいたしたこともございます。
マスメディアの方で、懇談会と環境省が鋭く対立して座礁に乗り上げていると大きく報道をされてまいりました。環境省側から多くの箇所で削除や修正を強く求められたのは事実であります。しかし、それだけで混乱をしたということではございません、後でちょっと触れますけれども。
環境省が執拗に削除・修正を求められたのは、行政の実務やあるいは長い間の水俣病の複雑な経過、それに関係省庁や与党、PTAのご配慮、こういうものがあったと理解をいたしております。
しかし、一方で、我々の立場といたしましては、報告書の冒頭にも書いてありますように、懇談会が目指すものに示しておりますが、行政の立場を離れ、しかも水俣病問題のしがらみに縛られない第三者として広く国民的視点から、しかも自由に水俣病問題の本質を論議する委員会であると、こう認識をいたしておりまして、したがって、提言書はできるだけ行政の影響を排除した独自のものでなければならないと、こういう方針で一貫してきたから対立をしたと言われているわけであります。
決して環境省の圧力でこれができたということではありません。もちろん、メディアの照明は認定基準の見直しというところに当てて報道されておりまして、認定基準の見直しは環境省の圧力で通されなかったと一部報道もございましたが、そういう事実はございません。
環境省が認定条件は検討会の議題としてはお願いしていないと一貫して主張されております。しかし、国の過ちを検証していく上でどうしても、認定基準あるいは救済・補償の問題にぶち当たります。そこで、私たちは、その問題についても論議を、環境省を交えて大変激しい論議をやってまいったのでありますけれども、しかし、そのことを提言書として書き込んで突きつけたという事実はございません。
その混乱の根底になるものについてすごく論議をしたということであります。
それから、むしろ、論議の焦点は世話人会の性格、懇談会の性格、あるいは報告書のあり方、このことについてすごく論議をいたして、白熱した論議をしてまいりました。
例えば、環境省の課長から、突如、懇談会は環境大臣の要請で引き受けたのだから環境省の指示に従う公的義務があると、こういう意味の発言がございまして、これに委員が反発をするということもございました。懇談会はそういうことは聞いていない、それから趣旨にも書いていない、大臣のお話もなかったと、そういう気持ちで引き受けたのではないと、そういう決まりがあるのかというような論議をしたり、あるいは、環境省側からは、報告書は懇談会の代表と環境省の事務局で製作をすると懇談会で決定しているから、環境省の言い分も入れるべきであるというご主張がございました。しかし、これに対しても私どもは環境省と世話人が合同で報告書を作成するということは、環境省の事務局が懇談会の委員と同格でということではない、環境省は事務局として報告書作成に必要な資料を提供したり、事実関係を確かめたりと、世話人の審議の補佐をするためであると、こういう反論をいたしましたし、そのとおりに審議は続けさせていただきました。環境省の言い分も入れた報告書を作成する必要がある場合には、懇談会の委員に環境省の部長とか課長を入れた委員会構成にすべきだからであります。
また、懇談会は法的拘束力がございません。したがって、懇談会の意見は国民的、一般的なとらえ方、常識を示したものと言えます。環境省は、その報告書を受けてから実現できるかどうかを判断してもらいたいと、こういう主張はしてまいりました。
とは申しましても、環境省の部長、課長の方々もご出席して論議をしたわけでございますので、どうか、できるだけ提言が実現するように努力をお願いしたいと、このように思っております。
大臣の要請を受けまして、国の失敗を検証してきたわけでありますが、その一つに、発生当時の原因究明を要する大切な時期に、日本化学工業会の田宮委員会がチッソと業界を養護し国の方針を代弁して原因究明を混乱させたこと、それから、厚生省食品衛生調査会水俣中毒特別部会が国に都合の悪い報告を中間発表して国によって即刻解散させられたということが鮮明に浮かび上がってきたわけでありますけれども、国の政策を肯定させるために第三者機関や研究機関の審議に干渉し、客観性をねじ曲げ、行政の都合のよいように利用したことがその後の水俣病の被害の拡大を許し、混乱を招いた大きな原因となったというのが懇談会の一致した指摘でもあります。
そこで、そのような指摘をした懇談会が同じ轍を踏んではならないということをしっかりと心にとめて取り組んでまいったつもりであります。
認定問題については、提言書は触れておりませんけれども、これは懇談会の中で、各委員それぞれの立場から厳しい意見を述べられております。幸い、環境省がこの懇談会の模様は公開をいたしておりますし、ぜひ、これもあわせて読んでいただきたい。そうすることがこの懇談会の内容を十分把握していただくことであると、いわゆる提言書と懇談会の議事録を合わせたのが本当の懇談会の報告書だと、そのように思いますので、ぜひお読みをいただきたいと、そのように思います。
簡単でございますが、報告といたします。
○有馬座長 ありがとうございました。
柳田委員。
○柳田委員 今、各委員から、何か柳田に全部負わせたみたいなことを言われたわけですが、実は、私が個人的な思想を書いたわけではなくて、もちろん、「いのちの安全調査委員会」のように、私が40年ぐらいキャンペーンやってきたことをバックグラウンドにして書き込んだというところもありますけれども、でも、基本的には、私は、まとめるに当たって、全議事録、この懇談会の本会議の全議事録に目を通して、皆さんの意見を可能な限り盛り込むということ、それから、議論の中で出てきた、出てこなくても重要な文献については30冊ぐらい目を通しました。それから、役所からいただいた基本資料とか、そういうものと照合しながら間違いのないような記述、事実誤認のないような記述、しかし、積極的に、50年、100年の、国家100年の計を考えるようなことを書いておきたいという基本的な姿勢で書かせていただきました。
福祉問題については、公開の懇談会の中では余り積極的に詳しい議論はなかったので、まとめの段階には行ってから、世話人会の段階で、現地の吉井さんや加藤さんを通じて現地の声というものをできるだけ具体的に詳しく聞きながら、どういうことを書くべきかにつて詰めていきました。
そういう経過でございまして、このために本当にもうこの3カ月ぐらい夜も昼もなくファクスのやりとりをしたりとか電話をかけたりとか、ほとんどこれに集中してきたわけですが、それは私がひとり相撲をやったというよりは、懇談会全員の意見を可能な限り取り入れて網羅的に皆さんのご意向を書き込むためのコーディネーター役だったと思っております。
特に微妙な救済・補償の問題で認定のあり方についての大変表現の難しいところは、法律の専門家である亀山先生が絶妙な文章を考えてくださったりして救われたところもございます。
以上、経過をちょっとご紹介させていただきました。
○有馬座長 どうもありがとうございました。
ここで確認をさせていただきたいと思いますけれども、それから、私の考えを提案をさせていただきたいと思います。
まず確認をさせていただきたいことは、少なくともきょうご出席になられた委員の方々は、この草案を提案書として最終的なものとお認めいただいたと考えてよろしいでしょうか。
(「はい」の声あり)
○有馬座長 よろしいですか。
私といたしましては、きょう欠席の委員の方が何人かおられますので、私から電話等々で確認をして、これもお送りしてありますね、ですから、この提案書をお読みになった上でなお何か修正意見があるかどうか、これは確認してみたいと思っています。
そこで、私といたしましては、これに対しまして、まだ、きょう、先ほどの12時から1時までで多少の字句の修正がありましたので、先ほど既に柳田委員及び加藤委員からその点ご指摘はありましたけれども、正確な字句に関しましてはもう一度きちっと精査した上で最終案にまとめさせていただきたいと思っています。
そこで、欠席の委員の意見及びきょうの12時から1時までの間の修正の件、先ほどちょっと出ましたご意見等々を含めて、字句の訂正等々、私にご一任いただけるかどうか、この点についてお諮りをいたします。
もちろん、その間、最終案に関しましては皆様のお手元にできる限り早くお送りいたしますので、なお、ご不満がある場合には私の方におっしゃっていただければ、またさらにお諮りをして最終案に持っていきたいと思います。
その間、柳田委員等には私からもう少し詳しくまたご相談をするつもりでおりますけれども、最終案を一応私にお任せいただいてよろしいでしょうか。
○柳田委員 ちょっと補足させてください。
世話人以外の先生方、特に丸山委員、トリヤマ委員のようにいろいろご専門の立場から見識をお持ちの方については、この途中経過を頻繁にファクシミリで、私、報告して、たたき台の文章なども報告して、その都度お返事をいただいたり、特に丸山先生からは、ポイントはここであるとかさまざまな助言をいただいたりした経過がありますので、いきなりずばっとこの報告書が行って驚くということはないと思うのです。
○有馬座長 ありがとうございます。
そこで、なるべく早い時期に、ここまでまとまりましたので、最終案を大臣に差し上げたいと思うのですが、私といたしましては、ちょっと台湾に出張したり、その後またフィンランドに出張する等々ということで、この一、二週間、非常に忙しいのですが、たまたま来週の水曜日の午前中から午後の初めにかけて、そこは日本にいるのですが、その辺は、大臣はそもそも日本におられるのかな。
多分、私が帰るころ大臣がいなくなるのだと思うよ。
いずれにしても、なるべく早い時期に、大臣がおられるときと私がいるところを合わせて、そして、皆様方に大至急時間を打ち合わせた上でなるべく大勢の方がご出席賜れる日に大臣に提言書を差し上げたいと思っておりますので、ちょっと、森本さん、時間を少し考えてください。
○森本企画課長 少なくとも、確実には19日は確保させていただいているのですが、その前に倒せるかどうかを少し。
○有馬座長 前に倒せれば倒した方がいいと思うので、ここまで随分皆さんにご苦労おかけしましたので、なるべく早い時期に差し上げたいと思うので、お時間を設定してください。
○森本企画課長 はい。
○有馬座長 それから、先ほど亀山委員もおっしゃっておられたことでありますし、私が非常に率直なところ大変この提案書で心配をしていることがあります。それは、大臣も含め皆様方によってしたことですが、この懇談会の提案は、かなり省庁を越えたものがある。環境省の枠を越えたところがたくさんあるので、今後、環境省としても、相当、他の省庁に対しても相談をかけなければいけないこともあろうし、ご苦労になられる。
そういうことに関して、やはり、ご努力を賜りたいと思っておりますけれども、大変ご苦労をおかけすることになろうということを心配をしております。
そこで、きょう、この会を終わるに際しまして、まず、部長及び次官より、一言ずつお考えをお聞かせいただきたいと思っております。
どちらが先でも結構です。
○炭谷環境事務次官 それでは、私の方から。
○有馬座長 どうぞ、お座りになって。
○炭谷環境事務次官 いえ、そんなに長くはなりませんので。
どうも、13回にわたりましてご議論いただきまして、本当にありがとうございます。
また、起草委員会、打ち合わせといいますか、先ほど聞きますと、8回、30時間に及ぶという長期間、このような起草委員会の盛り上がりは、私の長い公務員生活の中で初めての経験でございます。
きょう、ほぼおまとめいただきました提言書につきまして、確かにこれは環境省だけでできるものよりも他の省庁のご協力を得なければできないものがたくさんございます。
私ども、環境省がこれから霞が関にまいりまして、これを実現するよう、努力を重ねてまいりたいと思っております。
また、中には、法律に精通しなければならない、また予算措置を伴う部分等があるわけでございます。それらについて、十分検討させていただきまして、私どもなりに最大限の努力をさせていただきたいと思っております。
本当に長い間ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
○有馬座長 では、滝澤部長。
○滝澤環境保健部長 私にまで発言の機会をいただきまして、恐縮です。
1年半近く、長いこと本当に熱心にご審議いただきまして、ありがとうございます。私からも御礼申し上げます。
全般的には、今、次官が申し上げたとおりであります。
先ほど、吉井委員の話の中に、両党、PTAというような話もありました。政治レベルでも、特に救済をどうするべきかという議論が今進行中でございまして、そうした場にきょういただいたご提言をまたそしゃくして伝えるということも私どもの役目かと思っておりますので、上手にそういう動きと連携していけるように対応していきたいと思います。
また、関係省庁、関係するいろいろな制度等々も調整が当然必要になってまいりますので、重く提言を受けとめまして、真摯に頑張っていきたいと思います。
本当に長い間ありがとうございました。
○有馬座長 どうもありがとうございました。
なお、実は、ここに終わりにという7があって、私が書くようにということは言われていて、実は書いたのが……ついてたっけ。
ついているならいい、私の草案がついていなかったものだから。
○森本企画課長 恐れ入ります。
○有馬座長 ついてますか。
○森本企画課長 はい。
○有馬座長 そこについては、当たりさわりのない文言だと思いますので、お認めいただければ幸いです。
ついてますね、ありがとうございました。
そこのところ、何回やったかというのはあいていると思いますが、それはちゃんと入れます。
それでは、大変長い間、皆様に本当におご苦労をおかけしたことを心より感謝を差し上げます。これで、まだ完全に全てが解決できるということにはならないと思いますけれども、少なくとも、第一歩というよりは、もう少し深く解決策に向かって歩が進んだと思いますので、各委員のご努力に感謝をしながら、また、このご不満な点は、ひとつまた、これからさらにどうしたらよいかそれぞれのところでご努力賜れれば幸いです。
そして、もう一つ、これは本来、大臣に差し上げるときに申し上げたい、繰り返して申し上げると思うのですが、言っておきたいことは、こういう提案を出す、私もいろいろ懇談会や審議会で提案を出すのですが、なかなかフォローアップができない。要するに、3年たった後、本当に効果があったのかどうかというようなことがわからないことがあります。
そこで、場合によっては、3年たったところにもう一回報告を受ける会というふうなことをやっていることもありますので、この提案をこの次に差し上げたときにもまた申し上げようかと思っておりますけれども、その後、5年たったとき、あるいは3年たったときに環境省としてどういうふうなところまでこの提案の内容を酌み取って実行してくださったか、あるいは困難であったとか、そういうあたりについてのご報告を賜れれば幸いだと思っております。
このことについて、忘れないうちに、今のうちに注文を申し上げておきましょう。
では、どうも長い間ありがとうございました。
午後3時44分 閉会