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第10回水俣病問題に係る懇談会
会議録


日時:

平成18年3月20日(月)13:00~15:45

場所:

虎ノ門パストラル アイリスガーデン

午後 1時00分 開会

○柴垣企画課長 それでは、定刻になりましたので、ただいまから水俣病問題に係る懇談会の第10回を開催させていただきます。
 本日はご多忙中にもかかわらず7名の委員の皆様にお集まりいただきまして、まことにありがとうございます。柳田委員につきましても5分ぐらいのおくれで到着されるという連絡をいただいております。
 それでは、まず資料の確認をさせていただきます。
 議事次第にありますように、A4横の「これまでの議論における論点のまとめ<I 水俣病の発生拡大と責任>」というものに各委員からのご意見を書き込んだものを資料とさせていただきます。
 それから、参考資料として、前回の議事録を配付いたしておりますけれども、これにつきましては、まだ最終確認が終わっておりませんので、確認をいただきまして、確認がとれ次第ホームページの方に載せたいと思っております。
 それでは、以降の議事進行を有馬座長にお願いいたします。

○有馬座長 皆様、お忙しいところをどうもありがとうございます。きょうは大臣もお出ましいただきましてありがとうございます。
 それでは、まず大臣にごあいさつをいただいて、その後、水俣病の発生拡大と責任についてご議論いただいた後、前回の懇談会で私が環境省の方にお願いしておりましたさまざまな問題について、いわば宿題のようなものをお出しいたしましたので、このことにつきまして、きょうは後ほど事務次官がお見えと思いますので、事務次官からご説明いただくことにいたしたいと思います。
 それでは、まず小池大臣、お忙しいでしょうが、どうぞよろしくお願いいたします。

○小池環境大臣 小池でございます。懇談会のメンバーの皆様方、これでもう10回になります。そして、毎回大変熱心なご議論を賜っておりますことに改めて感謝を申し上げたいと存じます。
 今回は、私として懇談会に期待していること、それからご留意をいただきたいことなどを改めて申し上げたいと思っております。まず、整理させていただきますと、第1回のときも申し上げましたように、まず水俣病の公式確認50年の節目であるということ、そしてまた水俣病問題の長い経緯の中での行政の取り組みであるとかその責任を含めまして、水俣病が持ちます歴史的・社会的な意味について、さらに水俣病が抱えます失敗の本質につきまして、異なる分野でご活躍いただいております皆様方から、またそれぞれの視点からご議論いただくということが、この懇談会の開催の意義としてお願いを申したところでございます。
 そこで、きょうご議論もいただけると聞いておりますけれども、水俣病の発生、そして拡大の責任の問題につきまして、これはもうずっとご議論いただいていることでございますけれども、戦後の日本の高度成長、そしてそれを支えてきた産業政策という背景も踏まえた上で、なぜこのようなことが起こったのかをその責任も含めとらえ直して、こういった過去の失敗を二度と繰り返さないための教訓とか、今後に向けてそれらを生かすべき方策などについてご提言をいただければと、このような形でスタートさせていただいたわけでございます。
 それから、前回ご議論いただいたと聞いておりますけれども、現在進行中の被害者の方々への対応の問題でございます。この懇談会の開催とあわせまして、昨年4月に医療対策の充実を柱とした「今後の水俣病対策について」を発表させていただきまして、新保健手帳の交付など、逐次実施に移しているところでございます。また、認定基準の問題につきましても、最高裁判決でもその見直しは要請されてはおりませんので、これらの問題はご提言いただいても行政として対応できないこともあることをご理解いただきたいと思います。水俣病の被害を健康面だけではなくて、きょうは熊本から皆さんお越しでございますが、生活の面や、また「もやい直し」という言葉に象徴されますように、水俣の町で、またその近隣における差別、そして軋轢といった地域社会の問題も視野に入れてとらえ直し、地域福祉などと連携した新たな救済の方向についてご助言などを賜れればと思っているところでございます。本日も詰めたご議論を引き続きよろしくお願い申し上げたいと存じます。
 私は、本日、途中まででございますけれども、皆様方委員の先生方のお話を直接伺わせていただこうと思っております。以上でございます。よろしくお願いいたします。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 それでは、議事進行に移らせていただきます。まず最初に、本日の懇談会につきましては非公開とする必要はないと私は判断いたします。そこで、原則どおり公開いたしたいと思いますが、いかがでしょうか。
(「異議なし」の声あり)

○有馬座長 ありがとうございます。それでは、本日の懇談会は公開で行い、議事録は出席された各委員の確認、了解をいただいた後、環境省ホームページに掲載し、公開させていただきたいと思います。
 さて、本日でございますが、先ほど大臣もおっしゃられましたように、水俣病の発生拡大と責任について、問題が発生した原因は何であったか、それから教訓として何が言えるかについて議論していきたいと思います。あらかじめこれらのことについて各委員からご提出いただいた意見をまとめた資料では、水俣病の発生拡大と責任を5項目に分類しております。1つずつ区切り、意見を出していただいた方にそれを発表していただいた後に、各委員からもご意見を伺う形で議論を進めていきたいと思いますが、よろしいでしょうか。

○柳田委員 よろしいでしょうか。

○有馬座長 はい、どうぞ。

○柳田委員 前回の委員会では、かなり基本的な問題でさまざまな意見交換をやったわけですが、今回もその続きを進めるに当たって、新聞報道等によると、自民党が小委員会をつくっていろいろ検討していると、こちらの懇談会と同時進行のように見受けられるわけです。それと、認定制度については環境省は変えるつもりはないという発言も幹部からあったといった報告もあったりして、何かここでの議論が、議論したけれども、全然あっちの方では別に決まってしまっているみたいなことだと、どこまで議論していいのか、あるいは議論したことが有効なのかどうかがわからないので、これから議論を進める上で、そのあたりのところを、現況をまず説明していただいてからでないと中身に入れないと思うのですが、いかがでしょうか。

○有馬座長 この点に関しましては、私も前々からここで時々発言していることでありまして、先ほど小池大臣もちょっとそのことにも触れておられましたし、後に次官から、私の方が、この懇談会でお聞きいたしましたことについてお返事があろうかと思います。その際に今の問題を掘り下げようかと私は思っておりますが、いかがでしょうか。

○柳田委員 わかりました。

○有馬座長 そのときにもう一度、今の点をきちんとご指摘いただきたいと思います。要するに、政治の方が動いていること、それから環境省の考えはどこまでどのように考えているのか、今、大臣はちょっと詳しくおっしゃられましたので、そのことも次官の宿題に対するお答えをお聞きしたところで、かみ合わせて考えさせていただきたいと思います。せっかくこの懇談会でいろいろご提言を申し上げようとしておりますので、それが既に済んでいるようなことになってもいけませんので、柳田先生、もう一度その辺を後ほどきちんとご質問いただければ幸いです。
 それでは、お手元に配られております各委員の方がお出しいただきました意見について、25分ほどご議論を賜りたいと思います。まず、ご意見をいただきました丸山委員、柳田委員、吉井委員にお話をいただきたいと思います。
 まずは、水俣病の発生初期における行政等の対応の問題について、ご議論を賜りたいと思います。丸山委員、お願いいたします。

○丸山委員 これはもう前々から言ってきていることなんですけれども、水俣病の発生拡大に関しては、もちろん国としての近代化・工業化の基本的な姿勢といいますか、これが大状況としてあるわけですが、やはり水俣という地域社会の構造・あり方というのが大きくかかわっているというのは、これはいろいろフォローしていけばいくほどそれがはっきりしてくるのです。例えば、チッソの工場排水による汚染というのは、大正15年に既にもう漁民が抗議していて、それに対して一定の対応を迫られているわけです。それからずっと繰り返しチッソの工場排水に対して、海が汚染されているという問題はあったのだけれども、結局地域社会の問題とならなかったということです。漁民にとっては深刻な問題だったけれども、なぜ地域全体の住民・市民の問題とならなかったかというと、原因者がチッソであるということがあって、水俣というのは、多くの住民がチッソに依存しているという、それが直接的あるいは二次的にということで、私はそれをチッソ運命共同体と呼んでいるのですけれども、結局チッソが衰退すると自分たちの暮らしも大きな影響を受けるという構造があったものですから、例えば工場排水を規制するとかという問題は、昭和34年にいよいよ工場排水が水俣病の原因だという蓋然性が非常に高くなったときにどういう対応を地元がとったかといいますと、地域の諸団体、これは労働組合も含めて、結局漁民は排水停止を要求してきていたけれども、しかし、排水を停止するということはチッソの操業停止を意味するからということで、国として排水を停止させるような指導は絶対にしてくれるなということで、地域全体がまとまって国に陳情要請したということもあるわけです。そういう地域社会のあり方というのが結果的にそういう有害な排水に対するきちんとした規制を怠らせて、一方的に漁民だけが被害を受けるということになったわけです。実際にいろいろな深刻な事態が発生してきているのだけれども、地域住民もそれを直視しようとしなかったといいますか、そういうのが長く続いてきたという、そのあたりの地域社会の問題が大きくかかわっているかなと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは、柳田委員、お願いいたします。

○柳田委員 私がここで提案しているのは、初期の段階で何らかの対応をしない限りは、まさにチッソのように被害が拡大し、そして手がつけられないような状態になってしまう。そこで必要なのは、最初に何らかの端緒の情報が得られたときに、それに対する自治体なり国の担当公務員の意識と姿勢の問題が一つあって、それはただ個別の個人に帰属する問題ではなくて、組織としてきちんと裏づけのある意識でなければだめなわけでして、意識と組織が表裏一体をなす面を行政改革の中あるいは法規の改革の中で行わないと、本当の意味でこの水俣の教訓は生かされないというのが私の考えです。
 では、どうすればいいかというと、例えば環境問題・公害問題に対する基本法の中で、何らかの異常事象の端緒があったときに、公務員がきちんとそれに対して門前払いしないような形で合理的に対応するようなことをうたうことがまず一つ。それから第2には、そういうものを受け付けたり分析する会合を持ったりする、そういう権限と義務感を持った組織をつくること。具体的には、私は、被害者家族支援局のようなものをつくること。理想的に言えば、これは内閣府に直属すべき問題だと思います。なぜならば、一省庁の問題ではなくて、極めて多省庁にわたることが、この半世紀の間に起こったさまざまな環境破壊や公害問題で明らかになっているから、一省庁だけではどうしようもない問題がある。内閣の決定に属するようなことがあるわけです。そういった意味で、内閣府直属の、あるいは総理大臣が直接指揮するような、そういう被害者支援局のようなものをつくる。支援というと極めて限定的になるので、名称はもっと考えなければいけないわけですけれども、実態を調査し、専門的な検討を加え、そしてそこに出た被害者に対して公的な手をどのように差し伸べればいいのかとか、被害拡大を防ぐにはどうすればいいのか、そういう総合的な取り組みをする機関の意味なんです。とりあえずは支援局という名前をつけましたけれども、これが1ページ目にあるような最も重要な初期の対応に対する私の提案なんです。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。具体的なご提案は後にまた議論させていただきたいと思います。
 吉井さん、よろしくお願いします。

○吉井委員 昭和31年以前に水俣における魚介類または猫、動物の異変が見られたのが水俣病の前兆だと言われておりますが、それと同時に、自然の前兆だけではなくして、既に潜在的な水俣病患者がその当時たくさん発生していたわけです。自然現象だけではなくして、そういう患者を早く発見するという手段がなかったということで非常に問題が残ったと思うわけです。それは、自然現象を調査する所管部署といいますか、当時は厚生省・農水省だったと思います。それぞれ守備範囲内に消極的に取り組んでおられて、この情報交換をして総合的に調査をしていくという機関がなかったのではないかと思います。現在はこれはまさに環境省の所管だろうと思いますし、環境省においてそういう総合的な調査・判断もされていかれるというのができていると思いますけれども、それはどうでしょうか。
 また、危険と判明しても魚を食べ続けたという指摘があります。確かに魚を食べ続けたというのが現実に起きています。これはやはり漁獲禁止をしなかった、販売の規制をしなかったというのが主因でありますけれども、漁協に自主規制を任せて、行政が本腰でその危険性のPRをしなかったというのがあると思います。自主規制をした漁民も隠れて自分のとった魚を食べておりましたし、さらにはまた水俣沿岸でとった魚を阿久根産とかと偽って販売していたという事実もあるわけであります。それはなぜかといいますと、やはり追い詰められた漁民の生活苦あるいは貧困、ここに原因がある。追い詰められて生活ができなくなったというところにあるわけです。その漁獲の規制とともに漁民対策が同時進行的に行われなかったということです。それは、漁民の生活をある程度見ていくというのがないと、こういう事態が起きてくると思います。
 それから、行政の広報の不足、これは決定的ですけれども、それは危険であると行政が広報いたしますと、それは直接漁獲禁止をしなさいということにつながっていくおそれがあって、それで積極的にできなかったというのがあると思っております。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 吉井委員にちょっと私は伺いたいのですが、もちろんチッソの問題がありましたから、当時の通産省が前面に出てくると思うのだけれども、同時に漁民問題になれば、当然農林・水産の問題でありますが、健康の方は厚生省の問題、そういう省庁間の協力体制というか、この問題に関して一緒に調査をしようということはなかなかなかったのですか。

○吉井委員 なかったと思います。

○有馬座長 それはなぜでしょうか。

○吉井委員 それは、大臣がおっしゃったように、国策としての高度成長を進めていくという基本があって、高度成長を担っている大きな企業であるチッソの操業をやめさせたくないというのが根底にあって、そして排水の規制もしない方向にいったし、漁獲禁止もしない方向にいったと、基本的にはそういうことだと思います。

○有馬座長 私があえてお伺いしたのは、やはりその辺に一つ大きな問題があるということを感じましてお伺いしたわけですが、先ほど柳田さんのおっしゃったようなこともこれに関連してくると思いますけれども。

○吉井委員 主導的には、当時の通産省だと思います。いろいろ県とかそういうのが申し上げても、なかなか中央が動かなかったという構造があると思います。

○有馬座長 ほかに何かご意見はございませんか。どうぞ。

○丸山委員 先ほど柳田委員がおっしゃったように、この種の問題が発生したときには、縦割りの省庁のそれぞれの、例えば厚生省は国民の健康・生命に責任を持つんだということで、ではそれで徹底できるかといったら、結果的に徹底できなかったわけでしょう。だから、そうなると、意思決定の最高部門としての内閣府といいますか、そういうところできちんと対応する。当時は、事実経過を見ていますと、厚生省は厚生省で、それなりにある程度は国民の健康を守るという観点から取り組んだのだけれども、それより強かったのが通産省の産業政策であったわけでしょう。それで結局その通産省の産業政策に厚生省や水産庁が押し切られたという形で、これは後の話にもなりますけれども、いよいよこれは有機水銀が原因であるというところを熊大の研究班が結論づけたところで、もう厚生省関係の調査機関は、一応それで終わりと、あとは経企庁に任せますみたいな、当時の経済企画庁、これが各省庁の調整機関だったということで、ある程度大義名分的なものはつくのですが、結局は、だけど経企庁が一応問題が鎮静化するまでは4回ぐらい会合をやりましたかね。でも、もう水俣病問題が一応社会的・政治的な問題でなくなったということで、後はもう結局やられないままで、これは次の期間になりますけれども、暗黒の水俣病時代が10年ぐらい続くということになるわけです。本来経企庁が調整機関としての強い権限を持っていたら、あるいは先ほどおっしゃったような総合調整ができたのでしょうけれども、結局経企庁自体に力がなかったという、どうも内閣の中での力関係が結果的にこういった事態を生み出したと言えるのではないでしょうか。

○有馬座長 どうぞ。

○屋山委員 ちょうど1968年から1969年にかけて私は厚生省担当だったのですが、そのときには園田直厚生大臣でした。それで、何か公害問題が起こったんです。それで、この園田さんというのは非常に先進的な発想の人で、要するに公害を出すようなものは産業ではないということを非常にはっきり言われた。私はちょうど外国から帰ってきたばかりだから、日本も変わったなという非常に強い印象を受けたのですけれども、そのときは佐藤内閣で、その後佐藤さんに徹底的に干されるんです。だから、大臣がそう思っていても、雰囲気として、そのころは公害と産業成長というのは、何とか公害の方を抑えて、でも余りすごいのが出たらそれはあれですけれども、なるべく成長という方にウエートがかかって、そうではないという意見も相当台頭していたのに、それを抑えていくという雰囲気があった。
 ですから、私はこの議論のあれで、基本的な発生拡大と責任というので、さんざん迷った末に意見を出さなかったのですけれども、どうも要するに時代の流れといいますか、システムがどうのというのももちろんそうなんでしょうけれども、時代の流れがあって、最近、例えば愛知万博のときに、私は海上の森の開発というのに大反対して、その運動もしたのだけれども、それは要するにオオタカがすめなくなる、だからその辺のカエルやネズミがいなくなったら困るんだという運動です。私は昔だったら手を出せなかったと思うのです、そういう問題に。オオカタがいなくなったって、それだけ役に立つことならいいじゃないかと。だけど、私はやっぱり、自然破壊の限界がもうきた、これ以上環境破壊とか、あるいは公害とか、そういうものは許されないんだと、ようやく今そう確信しているから一生懸命言っているので、そのころはみんな、原因もわかっている、責任も大体わかっている、だけどそいつを糾弾しなくてはいけないのだという雰囲気ではなかったと思うんです。まだ成長の方が大切だと。だから、その後三木さんが総理大臣になって、排気ガス規制をサンフランシスコ並みに特別一段上げましたね。あのときに、僕なんかの印象では、この総理大臣はとんでもない総理大臣だ、日本の自動車産業をつぶすのかと思いました。後から考えると、それがきっかけになってエンジンの開発とかそういうものが一段進むので、ですから私は、成長がなければ豊かにならないと、余りそういうことを確信するものじゃないなという反省をしました。

○有馬座長 ありがとうございました。大変貴重なご意見をありがとうございました。
 私は、大臣あるいは次官にお聞きしたいことですけれども、今は随分環境省も、省にもなったし、調整能力が随分向上していると思うんです。強くなったと思う。私の原子力についての経験でありますが、ちょうど私が科学技術庁の長官をやっていたときにJCO事件が起こるわけです。そのときに、科学技術庁の長官としては、直ちに危機対策委員会を法律に従ってつくったんです。これは科学技術庁のもとにつくった。これはこれなりに非常に早く動き始めたのですが、内閣府の方の危機対策室がさらにそれを心配をして、内閣府に総理直結の危機対策委員会をつくった。そことの調整にちょっと戸惑ったことがあります。いずれしても、そういう一つの問題が生ずれば、大臣として、環境省のもとに直ちにこれは調査すべしということを、何も環境省だけに限らず、全体に関して、日本の政策に対して発言することができると思うんです。そういうものがあれば、柳田先生のおっしゃったようなことはかなり機能すると思うんです。というのは、環境省は別に利益を代表している省ではありませんから、農業であろうと、その他の産業であろうと、それに超越してものが言えると思います。その辺についてどうお考えですか。これは、内閣府にきちんとしたものがあった方がいいとお考えかどうか。現在でも、私は柳田先生がご提案のようなことはかなり実行する気になればできるんだと思うのです。その辺はまた後ほど柳田先生のご意見も伺いたいと思いますが、現在はどうお考えになっておられるか。

○小池環境大臣 実はきょうがアスベストの対策の申請受け付けのスタート日でございまして、今朝ほど、川崎の方に私自身初日ということで参りました。このアスベスト問題で一番最初に出てきたのは、この問題も、実は省庁のすき間と狭間で、対応がこの時期になったということではないか。それを最大の反省として、これまでのいろいろな問題点の反省を踏まえて、いち早く省庁の垣根を取っ払ってこの新法をつくり上げたということではないかと思っております。私は、かつて陸軍と海軍との間に壁があって、それが太平洋戦争のときにどういうマイナスをもたらしたかといったことを「失敗の本質」という本で学びました。今回のアスベストの問題というのは、そこのところはむしろ各省庁が本当に一丸となって対応でき、そしてきょうの申請受付けに至ったと思っております。
 柳田先生は当初から、これは一省庁の問題ではないので、もっと全体で話し合ったらどうだということをお話になっておられました。その意味では先生方のご指摘はまことにそのとおりで、むしろどうやってこの水俣を代表として、こういった課題に省庁の壁を取り払ってできるのか。一つは、政治的なリーダーシップだと思います。それから、霞が関における壁、-きょうもどこかの新聞に「我が省」と言うのをやめろという論文が出ていたように思いますけれども-、それをどうやって取り払って、国益もさることながら、一人一人の国民の安全と安心を守るのか。役所の省益を守るよりはそちらの方がよっぽど優先するというのは自明の理なのですが、なぜこういう形になってしまうのか。これは日本のみならず、どの国を見回しても、例えばアメリカでもUSTRと商務省とやりとりがあるとか、ないとか、その辺のところの障壁はどの国にもあるわけでございますけれども、だからといってそのままでいいとは思いません。今、座長からお話がありましたように、また柳田先生がご提言いただいている点については、例えば今は、食品安全委員会というのがあります。それから原子力についても、保安院はまだエネ庁ですけれども、原子力委員会というのは内閣府の方にあります。事象がそれぞれ全く別のことなので、それぞれの専門家の方々に入っていただいてそういった組織をつくった方がいいのか、もしくは、国民の命・安全・安心にかかわる問題であるならば、それは共通した問題としての専門家の存在があった方がいいのか、考えどころだと思うんです。ある意味で、そういった臨機応変に対応するようなところをつくるべきだという考えは、私にも実はあるんです。ただ、一方でそれが対処型になってしまうと後手に回って委員会をつくってどうするのだということもありますので、そういったことを予防するためのマシンはどういうものがあるのか、このあたり、私自身これがいいという方向はまだ見当たりませんけれども、それこそ先生方のご議論を通じて、一つ大きな提言に導いていただければ大変ありがたいと思っております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 私も柳田委員のご提案に大変賛成なところがあって、ただし、今お聞きしたのは、これは環境省の中にもつくれるのではないかという意味でお聞きした次第でありますが、もともと環境省というのはそういう調整能力を持っているところですので。ただ、柳田先生の提案で私が非常に賛成するのは、恒久的なものをつくっておかれた方がいいだろうという点であります。要するに、原子力とか地震は恒久的なものがあるわけです。ですから、地震なら、常に危ないところはないかというのを調べて対策を講じている。原子力も、今おっしゃられたように、原子力委員会があり、原子力安全委員会もまた内閣府へ持ってきましたから、内閣府でやっている。それと保安院が組んでやっているわけですから、環境問題について常に見張っていた方がいいだろう。そういう意味で、水俣病に限らず、そういう公害に関係した問題がいつ発生するかわからない。それを常にネットワークを張ってぴしっと調査をしながら、必要なときには直ちに緊急の委員会でさらに具体策を講じる。そのようなものがあった方がいいと私も思っていて、その点、柳田先生のお考えに私は賛成しているということを申し上げて、次の話題に移らせていただきたいと思っています。
 それから、アスベストの件ですが、私、非常に不思議に思うのは、私が東大総長をやっているころにアスベスト問題が出まして、少なくとも東大で目に触れるところは全部対策を講じたんです。ですから、今はそれほど東大の中ではアスベスト問題はなくなっていると思うんです。あのときになぜできなかったかといまだに不思議に思っていまして、いまだに小学校・中学校にもまだアスベストが残っている。どうしてあのときにもっと強力に全部やらなかったかなという気がありまして、いつかまた、余計なことですが、ここの懇談会とは違うことですが、またお伺いしたいと思っています。
 それでは次に、昭和34年末の水俣病問題の終息化の問題でご議論を賜りたいと思います。この点に関しまして、柳田委員、吉井委員より簡単にご説明をいただいた上でご議論を賜りたいと思います。まず柳田委員。

○柳田委員 これは、先ほどの議論の延長線上で私はとらえているのですけれども、先ほど被害者の支援局のような話をしましたが、ここではより明確に、例えば生活安全保障庁のような組織をつくったらどうか。これはアメリカでいいますと、アメリカにも全体を統括するものはないのですけれども、FDAとか、あるいは原子力規制局とか、緊急事態対応局とか、さまざまに分かれているわけですが、しかしいずれにしてもすべて大統領直属ですし、例えば昨年のハリケーン・カトリーナの被害があったときなどは、緊急事態対応局の大失敗が明らかになって、ブッシュがいろいろな意味でてこ入れせざるを得なかったり、人事にまで口出しをするようなことになったわけですけれども、こういう深刻な事態が起こる、それも頻繁に起こるということは、組織的なしっかりした恒久的な裏づけのある形での取り組みがないからであって、臨時編成の検討会や専門家会議をつくるのでは、直ちにそこに政治や行政のちょっかいが入って、途中でやめてしまったりとか、あるいはその程度の結論でいいとか、行政ができるのはここまでだとか、そういう形でなし崩しになってしまうんです。やはり、第三者機関的な性格を持つそういう独立した生活安全保障局というようなものを、今、座長が命という言葉を使いましたけれども、まさに命保障庁が、そういう包括的なものを見る機関がないとだめなのではないかと。次善の策として、あるいは少なくともこういう機能を持ったセクションが各省庁全部になければおかしいなと。それがあれば、たとえ経済産業省であれ、財務省であれ、あるいは文部科学省であれ、その所管の中で起こった問題に第一義的に対応できるわけです。しかも、そういう部局があることによって省内・庁内の役人の意識も当然そっちを向かざるを得ないといったことになるわけでして、この中途半端にふた閉めが行われないようにするためにも、恒久的な組織と、それに対応する機動的な専門家会議がその中で行われていくような、そういうシステムをつくる必要があるという考えです。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それからもう一つ伺いたいのは、柳田先生、ここに「科学者の責任については、本懇談会の名において、提言書とは別に声明文として発表すること」というご提案をなさっておられますが、これは科学者に対してどういう提言をなさるお考えですか。

○柳田委員 基本的には、科学者・技術者の倫理の問題というのは非常に重要だと思うんです。

○有馬座長 そのとおりです。

○柳田委員 それが、今日のようなネット社会になって、また新しい意味でも非常に重要になってきているわけです。そういうことを発言する場というのが政府の中ではないんです。本当は科学技術審議会のようなところが大ぶろしきを広げてやってくれるといいのですけれども、

○有馬座長 本来は、これは学術会議とかがやらなければいけないこと。

○柳田委員 でも、この水俣病というのは、余りにも露骨に科学技術者のいわば政治性みたいなものがあったことが非常にこの事態を悪くした要因になっているわけですから、その現実を踏まえた上で、この懇談会でも、科学者・技術者のあり方としての倫理綱領的なことを我々の提言書の中に盛り込む、あるいは提言の別項としてうたい上げるということが必要ではないかと思うんです。

○有馬座長 ありがとうございました。

○屋山委員 ちょっと質問があるんですが。

○有馬座長 はい、どうぞ。

○屋山委員 ちょっと小池大臣に伺いたいんですけれども、昔は何しろ、これは公害だから何とかしようとすると、各省横並びで、結局次官会議まで行って、そこでまとまらないものは閣議にも出ない、こういう官僚内閣制みたいなものがずっと来ましたね。ですから、公害の問題でも、非常に良心的な官僚が取り上げても、それは組織として上へ行かない。そういうこともあって、それで環境庁では余計発言力がないということで省に格上げして、一方で内閣総理大臣の発議権というものも設けましたね。省に上がって、それから総理大臣の発議権というのが備わって、それで今までの官僚内閣制というか、官僚の言いなりという政治から何か脱却したような感じはあるのですか。組織的にも、それから心理的にも、何か変わったのですか。

○小池環境大臣 屋山先生とはこういう行政改革のことなどでずっと一緒に闘ってきた同志でもあるのですけれども、庁から省に変わってどうかということは、歴代に聞いてみないとわかりませんが、例えば先ほどのアスベストの話ですけれども、これは私が閣僚懇のときに発言をして、それを閣議として受けとめて、結果的にその日のうちから各関係省庁の会議が開かれたといったことがありました。ですから、システムの問題もさることながら、その時にそれをきちんと受けとめる、かなり属人的な部分があるのではないかと思います。それから、先ほど屋山先生がおっしゃった時代の流れというのがあります。ですから、いつ何をどのようにして発言するかによって社会としての受けとめ方も違うでしょうし、また社会の受けとめ方によって、政治というのもそれを受けて動くという部分があるわけですから、システムもさることながら、今申し上げたようなことが総合的なこととして動くのではないか、もしくは動かなかった部分があるのではないかと思います。けれども、大分変わってきたと思います。

○有馬座長 吉井委員。

○吉井委員 水俣病のような公害問題において、原因とは何か、どこまでわかったら原因として対策を講ずるのかという点でありますけれども、水俣病は、当時の食品衛生法が想定してない事件であったと思いますし、人々がどんどん死んでいく、それを横目で見ながら法律を守り抜いた事件だと思います。法律と起きている事態が大きく乖離している場合、それをどうするか。法律を解釈する人の問題だろうと思いますけれども、やはり人命優先の、柳田先生がおっしゃっております2.5人称の対応というのがここでは大切ではなかろうかと思います。また、排水の規制についてでもありますが、これは科学的な原因究明の確定を待っていたら、とてつもない大きな人命が失われるというのを証明した事件だと思います。しかし、科学的な究明が確定していない時点で、もう既に排水路の変更で現実的にはチッソの排水が原因だというのは確定されていたわけです。事実が証明している場合、科学的な詳細な究明より優先させるべきだと思います。
 例え話ですけれども、仕出し弁当で食中毒が起きた。そうしますと、必ず製造販売を禁止して、それからその原因が何なのか、玉子焼きなのか、焼き魚なのかを究明します。これは常識であって、正常なやり方だとわかります。水俣病の場合は全く反対だったわけです。排水のなかの何という物質が原因なのか、それがわからないから排水はとめられないという理由ですから、まさに弁当の中の玉子焼きか焼き魚か、原因がわからないから製造販売をとめませんというのと全く同じです。そういう順序が逆転した対策であったと思います。なぜそうなったのか、そのところをしっかりと究明しなければならない。だれがどうしてそういう決定をしたのか。これは、当時の通産省とか経済企画庁とか、担当の省庁の内部検証でないと、外部からはなかなかわからない。その内部検証をしっかりすべきだと思います。しかし、それはよほどの覚悟がないとできないのではないか。これは菅直人元厚生大臣の国会答弁の中にあるわけですけれども、「行政は一度方向を決めると、なかなか変更できないという体質を持っている。その一つの理由に、後輩として先輩の非を暴き責めることは最もやりたくないことだから」とおっしゃっております。確かにこれは人間的な弱さであって、人情だと思います。しかし、これを乗り越えて、そして人命優先を基本とした予防原則、それから危機管理のあり方、これを国として確立していく必要があるのではないかと思います。
 それから、チッソの排水をとめろという漁民と患者の大変なデモが起きたわけですけれども、そのとき、市長を初め、水俣市全体、市民を含めて、排水をとめるなという陳情をやっているのです。なぜそういうことが起きたのかというのがここであるわけですけれども、市のやり方は人道的にも、あるいは住民の生命を守るという地方自治の本旨にも背いたもので、これは非常に道徳的な責任があると私は思ってきました。そこで、市長就任直後、このことを謝罪して、その贖罪の対策をとってきたところであります。それは、チッソと水俣市は運命共同体だったし、チッソ城下町と言われた。操業停止が地域の存亡の危機でありますから、追い詰められた市が、住民が、市民が、一時的な試行錯誤をやった。排水の危険性というのは余り認識されていなかったときでもありますし、これはやむを得ないことであったと認識いたしております。しかし、それが道義的にも非常に問題だと気づいたら、即改める勇気が必要だということ。それから、地方自治体の地域存亡の危機に直面したとき、危機管理はどうあるべきかという教訓を残したと思います。これは、地方自治体がこれから教訓として受けとめていただきたいと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 どうぞ、柳田委員。

○柳田委員 新しい思想を提起しなければいけないと思っているんです。それはどういうことかというと、社会あるいは人の安全のためのコストというのはどうあるべきかということなんです。これについては、水俣の場合には経済成長を優先して多くの漁民が犠牲になったわけですけれども、当時はそういう命の安全コストというのは全く視野に入っていなくて、一国の経済成長なり、1億人が食っていくにはどうすればいいかということのみを優先したわけです。そのツケが今回ってきて、最高裁判決で国も責任を持ってお金を出せというのは、税金から払うということで、それは、国民全体がそのツケに対して応分のコストを払うと解釈していいのだろうと思うのです。我々は実はその恩恵を受けて今日こうやってビフテキを喰ったり背広を着たりしているわけでありまして、そういう意味では我々のうちなる水俣というのが一方であるわけです。そういうことを考えたときに、これから同じことを繰り返してはいけないというその教訓を生かすには、事前に、安全というのはお金がかかるものであり、そのコストが必要なのだ、それは先行投資でなければだめなのだという思想を確立しなければいけない。そのためのコストとしては、組織的な裏づけやマンパワーの裏づけが必要だし、専門家の応援も必要だし、さまざまな意味でお金がかかる話であるわけです。そうやってこそ初めていろいろな、これから新しく組織をつくったり、対策をつくったり、あるいは被害が出たときの支援、援助、救済といったものにもお金をどんどんかけていくという仕組みがきちんと成り立つのだろうと思うんです。その思想的確立をぜひ我々の提言ではうたわなければいけないのではないかと思います。以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは、3分ほど残っておりますので、加藤さん、何かありませんか。

○加藤委員 今まで各委員が言われたことの繰り返しと思いますけれども、これだけ、少なくとも31年問題、それから34年からの終息化の問題も含めて、人の命が奪われ、甚だしく健康が害されるような状態が起きているにもかかわらず、その異常に対して敏感になれる体質を行政が持っていなかったということが一番大きいと私は思います。だから、これはこの懇談会でも繰り返し言われていますけれども、現地で起こっている今の問題をどうするのかということが、今も問われているんだと思います。ですから、この懇談会が幾ら発生拡大と責任ということで議論を繰り返しても、今、水俣の現実で起こっていることについてきちんとした対処ができなければ、懇談会の意味そのものがなくなってしまうと思います。ですから、この後半のきょうの議論にこれから力を注ぎたいと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 終息化するために、現在の患者の方々をどうするか、それからその家族の方たちにどのように補償していくか、こういう問題が残っていると思うということが加藤さんの言われたことだと思いますので、このことは後にまたもう一度お考えいただきたいと思います。
 それでは、次に参りまして、昭和35年以降の行政の不作為等についてのご意見をいただきたいと思います。この点についても柳田委員、吉井委員よりご提案いただいておりますので、お二人のご意見をまず伺いたいと思います。まず、逆に今度は吉井委員から参りましょう。3ページ目です。

○吉井委員 35年から43年のいわゆる空白の時代でありますけれども、これは、早期鎮静化という政治主導の目的がございまして、問題の拡大を恐れた水俣市、あるいは熊本県、それにチッソの操業を続けさせたい通産省、こういうものの思惑が一致して、そして漁業補償のあっせんとか見舞金契約とかによって、早期の鎮静化というのが一応成功したかに見えた期間だったと思います。その政治的な作為の陰で、能動性を失った不作為が重なった期間でもございます。厚生省の食品衛生調査会の水俣食中毒特別部会など、こういう研究部会を全部解散し、そういう研究の取り組みを全部やめてしまっております。それが現在の混乱につながっていると思います。そこで、行政は、政治的思惑とか政治的な動きとは別に、地道に科学的な調査あるいは原因の追求というのをやっていかなければならないということを非常に訴えている事件だと思います。

○有馬座長 今のことでちょっとお聞きしたいのだけれども、ここでも事件の本質に迫る行政の能動性ということをおっしゃっています。具体的には、どのようにしたらその能動性が増すと思われますか。もう一度そこをご教授いただきたい。

○吉井委員 今申し上げましたように、政治の動きとは別に、政治は表面で動いていく場合が多いわけですから、そうではなくして、この事件がなぜ起きたのか、どういうことをすればよかったのか、将来のためにここは押さえておかなければならない、そういうことをしっかりと押さえていくのが行政だと、それが行政の本質だと思います。それがこの水俣病の場合は見えなかったと、いわゆる不作為だったということだと思います。これを教訓として、これからいろいろな事件が起きますけれども、根底の部分をしっかりと押さえていただきたいなということです。

○有馬座長 それでは、柳田委員、お願いいたします。

○柳田委員 2点、ここにも書いてあることですけれども、先ほど来の延長線上で、全く同質の問題でありまして、行政官は何をなすべきかというところで、公害あるいは環境基本法のようなところへきちんとその責任を明示する形で書いておけば、不作為ということの逃げ場がなくなるのではないかと思うのが1つ。
 それから第2点は、何らかの解決策を政治的に打ち出したときに、あるいは行政レベルでもいいですけれども、打ち出したときに、それは非常にその時点での諸条件、さまざまな困難な問題を抱えながらのとりあえずの妥協策であることが多いわけです。ちなみに95年の政治解決もそうだと思うんです。そうしたときに、これで終わりということではなくて、これはとりあえずこうしたけれども、残る問題が何であり、そして、それについては継続的にどういう対応が必要かということを、特に政治決着のような場合に、明記して引き継いでいくということが非常に重要だということです。そうしないと、何もそういう引継事項が明記されないと、だれもやらなくなってしまう。役人というのは、自分の所管と自分のとりあえずの仕事で精一杯ですから、そういうことを明示されていなければ、だれも見向きもしないわけです。そこのところをはっきりするような形でいきたいと。裁判の判決で言えば、少数意見などもきちんと書くといったことと共通する問題だと思うわけですけれども。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございます。
 それでは、このことについてご議論賜りたいと思います。裁判等のこともありますので、亀山委員、ご意見はございませんか。

○亀山委員 今のところ余りまとまった意見というものもないのですが、まず私はどうしても現在の問題を何とかしなければ一歩も前に進まないんじゃないかという気がしておりますので、余り先々のことを議論する気に今はなっておりませんが、きょう各委員がおっしゃられたことは、私はまことに同感でございます。組織的、制度的な仕組みを何か考えなければいけないだろうということはもう当然のことで、それをどうしたらいいかということは、これからちょっと詰めてお考えいただくことなのだろうと思うんです。その前の基本的な考え方としまして、公害問題のようなこと、殊に水俣病問題で言えば発生時、それから不作為期間、空白期間、なぜこういうことになったのかといいますと、これは何と言っても、国家全体の成長といいますか、そういうものを優先させたということにあるわけであります。これはみんなそう思っていたのだろうと思うんです。しかし、そのことをもっと深刻に受けとめておかなければいけなかった。つまり、国民の生活を向上させるためにやむを得ない犠牲が生じているのだということをもっとちゃんと認識しなければいけなかったのだろうと思います。つまり、国民の生活を向上させるためには、コストがかかっているのだと。それはやむを得ないコストであったと一応見るとしても、そういうかかったコストをどこかで払わなければいけない。そのために生じた犠牲なわけですから、一度生じてしまったものに対しては手広く手厚く補償するという考え方が原則なのだということをはっきり認識しなければいけないのではないか、そういう認識が一番大切なのではなかろうかという気が今のところしております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 丸山委員。

○丸山委員 この時期は、皆さんご承知のとおり、35年というのは60年安保で、岸内閣がそれで終わって池田内閣が誕生した年ということになるわけですけれども、大状況としてはそういう大状況があって、なかなか水俣病問題をきちんとフォローしていくという雰囲気ではなかったという現実があると思うんです。昭和34年の12月の大詰めのときに、とにかく困窮した患者に見舞金契約で何とか補償が済んだ、漁協に対しても一定の補償は済んだということで、社会問題・政治問題としての水俣病が終わったという、これは終わってくれた方が都合のいい立場にとっては非常に好ましくてよかったわけですが、マスコミ自体ももうこれで終わったという認識があって、余り新聞でも放送でも取り上げないという状況が出てくるわけです。実は、だけれども、この空白の時期には、例えばきょうは胎児性の諸君が来ておられますけれども、それまで小児麻痺様ということで片づけられていた胎児性の諸君が実は胎児性なのだということが確定されたのはこの期間です。それから、熊大の研究者がチッソの排水のスラッジからメチル水銀の結晶を発見して、確かにチッソの排水中にメチル水銀があったということがちゃんと確証されたわけですけれども、結局それも全然問題にならなかったし、その時点で化学構造式はどうなんだと言っていたのが確定したにもかかわらず、何らかの積極的な対応というのは全然出てこなかったということで、とにかくそれから社会問題・政治問題として水俣病の問題は終わったからこのまま事を荒立てないという状況があって、先ほど申しました経済企画庁の協議会も4回で終わってしまう。積極的にその原因とメカニズムをきちんと確定して防止策をとるといったことが一切怠られたまま放置されてきたわけです。ですから、これは前にも言ったことですけれども、歴史にもしということはないのですが、新潟に第2の水俣病が発生しなかったら、あるいは本当にそのまま闇に葬り去られたかもしれない、そういう8年間。43年にようやく政府見解が出るわけですから、その間はずっと被害者は鎮静されられていたといいますか、そういう時期だった。先ほど吉井委員が言われたように、積極的に能動的に原因を確定し防止するといったことが全然行われなかった。それまでもそうですけれども、何か社会問題化したら一応受動的にその場しのぎで対処するといったことが一貫してずっと続けられてきている。それをどうするかということが大きな課題ではないだろうかと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 屋山委員、マスコミは静かだったという話が出たけれども、その辺はどうですか。

○屋山委員 私も、内心忸怩たるものがあるのですけれども、今なら声を大きくして「この野郎」と言える自信がありますけれども、最初、国は、国民は食べなくてはいけないという意識というのは、たまたま昭和34年というのは私が新聞記者になったときなんですけれども、このことは話には聞きました。だけど、チッソを助けなくてはいけないという当時の地元の意見を非常に大きく受けとめました。科学者でもないし、よくわからないし、そういうので産業をつぶしていいか。ところが、だんだん時代がたって、さっき言ったように、園田直さんみたいな厚生大臣が出てくるとか、あるいは三木さんみたいな総理大臣が出てくる。それから、私にとって画期的だったのは、スイスに行って、スイスでとにかく彼らは100人の社会と言うんですけれども、例えば日本だと、100人に2~3人の身障者の方がおられると、その人たちには我慢してもらって、97人の社会をまずつくるという社会です。私は、それはしようがないことだなという意識がどこかにあったんですけれども、スイスでは、彼らは全く100人の社会、97人が3人を完全に抱える社会を実現しているんです。例えば歩道橋などでも、公共の設備はどこへ行っても、車いすの人が通れないとか、そういうところは一切ないんですから、これはもう30年前の話ですから、そういうことをいつから始めたのかといったら、それは赤十字を設立したのが1864年ですが、そのときにアンリ・デュナンという人がそういう人道主義を国家目標にしようとして、100年ぐらいは相手にされなかったらしいんですけれども、でもだんだん国民がその気になってくるんですね。ですから、私はこういうことが国家目標にもなる大きなことなんだ、重要なことなんだということを、私は今度のこの会議に非常に期待してというか、心を込めて出てきたのは、そういう時代なんですよと、我々はもはや食べることを第一義にするような時代はもう終わったのだから、そういう3人を97人が支える社会を本当につくるスタートなんですよという思いで今いるわけです。

○有馬座長 ありがとうございました。
 バリアフリーに関しては私も言いたいことがたくさんあって、何とか国としてもっとしっかりやってほしいと思っているのですが、私の勤めているところですらバリアフリーになっていない、科学技術館といったところでもバリアフリーになっていないんです。だから、何とかバリアフリーにしようと思って今やっているのですけれども、お金がかかってなかなか実現しないとか。そこで私はこの点に関して環境大臣にお聞きしたいことがあるんです。要するに、環境庁が環境省に上がったというのも、そういう願望を我々は込めて行革で省にしようということを言ったのですけれども、国の環境問題に関しては主導的な立場をおとりにならなければならない。そうすると、かつての公害問題、一例を考えますと、足尾銅山問題といった大問題が昔あって、農民たちが大変な被害をこうむるわけですが、それと似たようなことがこの水俣病で起こっている。しかし、現在はさらに前に比べてはるかに進歩しているわけですので、その際、この間、当時はまだ環境庁でしたが、環境庁として水俣病に関する追跡調査のようなことはおやりにならなかったのでしょうか。これは大臣にお聞きするよりも次官なり部長にお聞きすべきことかもしれませんが。要するに、これだけ大きな問題になっていて、そして一応の政治的解決が行われたかのごとく見えていても、その後いろいろな問題が起こってきている。新聞にも胎児性の問題その他が載っていたわけですから、そうしたときに当然当時の庁の中でもこの問題に関して追跡しておられた人がいるのだろうと思うんです。その人たちの声が大きくならなかったのはなぜであろうか。この辺は柳田先生のいろいろな研究機関をつくれとか、何かの委員会をつくれとか、そういう御意見に関係するのです。これは何もこの水俣病だけの問題ではなくて、原子力ではJCO問題にしろ、後に尾を引いているものがいろいろあるわけです。そういうものに対して、国として常に調査をし、直すべきことは直していかなければならないと私も思っているわけでありまして、そういう意味で、何か事が起こったときに、もちろんそれをすぐにそこで解決するということは、臨時に調査委員会を作るなり対策委員会を置けば済むことですが、長期にわたったような場合に、何らかの格好で常にそれを追跡するものがあってしかるべきだと思っているわけです。そういう点について環境省は、かつてはどうであって、特に水俣病に関してはどうであって、今後何かお考えがあるかどうか、この辺をちょっとお聞きいたしたい。

○滝澤環境保健部長 かつての部分は、ご承知のように環境庁ができたのは昭和46年だったものですから、きょうまさに部分的に話題になっております当時の厚生省がとか、あるいは経済企画庁がとか、そういう省庁縦割りでありながら、それぞれの法律とか視点でもって調査会を開いたり、審議会をやったり、途中で中断したりというお話がございました。ちょっとそこを正確に私は振り返れませんけれども、そういう非常に細切れの縦割り的な対応に終始した時代が43年まであったかと思います。その後、46年に環境庁ができて、平成13年から環境省になったわけでございますが、平成7年の政治解決以前平成3~4年でございますけれども、健康管理をきちんと水俣の地域でやっていこうということで、健康管理事業といったことに着手して、政治解決のときにそれが非常に拡充された形になってきていまして、その地域を特定しながらもその中で住民の健康チェックをしていくといった体制はそれなりに私どもとしてはやってきたつもりでおりまして、今後という意味で、現在熊本県からいろいろなアイデア、健康調査、環境調査をすべしというご提案をいただいていますが、それは昨年来ずっと問題点あるいはどういう調査設計が可能かということを我々で協議しておりまして、今後18年、19年をどう進めていくかというところは今、協議中という状況でございます。ちょっと断片的なお答えで恐縮ですが。

○有馬座長 丸山委員、何かご意見はありませんか。

○丸山委員 青木さんがおられるところは、いつできたのですか、室は。

○青木特殊疾病対策室長 昭和50年代だと思います。

○丸山委員 これはまさに水俣病に関する室として置かれたわけですけれども、そこで具体的にどのようなことをやってこられたのでしょうか。

○青木特殊疾病対策室長 正確に申しますと、私のおりますのは特殊疾病対策室としては、昭和51年の10月1日に設置されたということでございます。基本的には、旧救済法、また今の公健法に基づく、公健法の認定制度について県とともにその実務を担当しているということとあわせて、国水研というのが現在水俣市にございますけれども、そうした形の中で水銀問題全般に係る研究調査なり、今はそれに加えまして海外への情報発信でありますとか、海外の途上国の研修生等を受け入れた技術移転だとか、そういうことをやっているという状況です。

○亀山委員 ちょっとついでですが、よろしゅうございますか。

○有馬座長 どうぞ。

○亀山委員 全くついででお伺いして恐縮なのですが、例の公健法の認定審査会が何か実質的には動いていないということを伺ったような気がするのですが、そうだったでしょうか、現在。

○滝澤環境保健部長 一昨年の1月末ですか、熊本県でいいますと、審査会委員の任期が切れた時点で任命できないという状況がございました。その後約1年半近くたちますが、それぞれ最高裁判所の判決の意味合い、それから行政基準の意味合い等々、各先生方に県、それから私どもと連携してお話をずっと、私どもの伺った回数だけで20数回を数えますが、現地に直接私以下赴いております。司法基準と行政基準と二重基準ではないかというご指摘があるのですが、それぞれの意味合いについては、どういう意味を持つかということについては、各委員の方々はかなり理解を深めていらっしゃると私は思っております。約10名いらっしゃいますが、そのうち1人、2人の方がまだ態度保留という状況かと思いますが、粘り強くお話を続けたいと思っております。

○小池環境大臣 座長、すみません。ちょっと失礼させていただきます。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 大臣、もう一つお願いですが、二酸化炭素問題をちゃんと環境省としても強く言ってください。よろしく。

○小池環境大臣 これこそ予防的アプローチだと思いますので、よろしくお願いいたします。
(小池環境大臣退出)

○有馬座長 それでは、次の話題に入らせていただきます。公害等の問題に当たっての行政や科学者等の対応のあり方であります。ご意見をいただきました丸山委員、柳田委員、簡単にご説明を願います。丸山委員よりよろしく。

○丸山委員 この点では、私は安全性の考え方について少し出しております。これは水俣病の第一次訴訟のときにチッソの過失責任が確定されたわけですけれども、そのときに、結局化学工場のように非常に危険なさまざまな化学物質を扱っているところでは、高度の安全監視義務がある、単に工場排水の排出先監視義務というのは、単に漠然と海を見ていろといったことではなくて、そのたびに工場排水がどのような影響があるのかないのかを調査する義務等があると、かなり突っ込んだ判断がなされたと思うんです。そして、調査すれば明らかに有害な結果が起こっているということはわかったはずである、そこをきちんと調査しなかったというところで既に過失があるということで、チッソの過失責任というのが確定されたと思うのですけれども、一般に公害問題はさまざまな有害な化学物質が引き起こしているわけですけれども、水俣病の教訓から出てきていますのは、とにかく安全が確認されていない物質は環境に放出されてはならないという、逆に言えば、無害との確証がない限り環境には放出すべきでないという安全性の考え方を政治・行政・産業すべての面にわたって浸透させていくということが重要なことではないかと考えます。これは、今実は環境ホルモンの問題というのがいろいろ関心を持たれていますけれども、ある意味では環境問題のはしりと言えるのが水俣病です、現実に被害が起こったのは。現在でもさまざまな化学物質がいろいろと合成されて使われているわけですけれども、そうしたものを使うという場合に、よほど安全性についての考え方というのを厳しくやっていかないと、取り返しがつかない事態が出てくるのではないか。そういう意味で水俣病の発生というのはそれの問題提起をしているのではないかと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは、柳田委員のご意見を賜ります。

○柳田委員 すべてが底流においては共通するので、先ほど来の組織的な裏づけのほかに、より広く国家公務員、地方公務員、公共事業に携わる者、それから科学者・技術者、そういう中で、私の提唱する2.5人称の視点というのが定着する必要があると思うんです。ここではあえて「被害者倫理」という言葉を使っておりますけれども、これは被害者が主語なのではなくて、被害者の立場に立ってものを考える倫理ということが今日ほど必要なことはないのではないかと思うわけです。今日、科学者・技術者においては、科学的証拠、エビデンスというものが闊歩しておりまして、特に医学の世界などですと、科学的根拠のない治療は使わないという意味で、EBM――Evidence Based Medicineということが闊歩しているわけです。そういう中で、極めて個別性を持った患者・被害者に対して寄り添ってみる考え方というのが往々にして切り捨てられていく。これは医学の世界だけではなくて、いろいろな分野で起こっている問題だと思うんです。それと対応して、行政における一般性とか、あるいは整合性、平等性といったものが闊歩して、今の法律ではできないとか、あるいは対応できないとか、そういうことで不作為が起こってくるという問題があるわけです。ですから、科学技術者における立証主義と、官僚における一般性・整合性を主張する法律根拠の主張というのは、ある意味で一体になっているのではないかと思うんです。これを破るには、今はこういう法制度だけれども、その中で運用で何かができるはずだとか、あるいは法律なり政令を変えればできるとか、変えなければいけないとか、ダイナミックな対応をしていく基準が、被害者倫理というものを実体化していくものではないかと思うわけです。このあたりをどのように裏づけ、保障していくかということがとても大事なのではないかと思うわけです。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 これをめぐってまたご意見を賜りたいと思うのですが、その前にまず環境省にちょっと私がお伺いいたしたいのは、さっき丸山さんから、化学物質等々を廃棄物として排出するときに安全性を確認しておくべきだという話があったのですが、私は当然、現在環境省では工業排水等々に対しては厳しく安全性を調査しておられると思いますが、いかがでしょうか。

○滝澤環境保健部長 まず環境汚染の実態という意味で、昭和49年から大気、それから水質、それから底質等々のスポットを決めまして、これは長年基礎データを蓄積しております。そのデータで、モニタリングと言われていますが、異常があるかないか、程度はどうかということは常々チェックをして、データベース化もしているわけでございます。片や規制する法律で私どもの保健部の関係で申しますと、化学物質の審査規制法というもので製造と輸入、これは制度上新規の化学物質についての規定でございまして、特別有害性の高いものについて、3ランクに分けまして、製造・輸入禁止からいろいろ監視をしていこうという物質まで、いろいろとその都度個別に審議会に諮り、決めてきております。それからもう一つ、これは若干付随事項でありますけれども、よくPRTR制度と呼んでいますが、化学物質が工場から排出される、あるいはそれが移送される、いろいろ運命をたどる。これを全部、企業から登録制で届け出てもらう。それから、そういう届出の対象にならない物質でも、換算式を用いて、どの程度世の中に出回っているか、あるいは排出されているかというデータを公表していこうと、これは4年目に入っておりますが、つい先般、4回目を公表いたしました。そういうことをもとにリスクコミュニケーションを図っていこう。市民、行政、学者それから企業を含めてやっていこう。これが大枠の仕組みでございまして、そうした中で、若干繰り返しになりますが、有害性が特定できたもの、それからリスクの評価、それからばく露がどの程度心配されるか、そういったものを定量的に分析しながら、より有害性の高い化学物質についての対策を特化していくということで、時間のかかる割合地味な作業ではありますけれども、長年環境保健部としてはやってきております。
 一方、水質汚濁あるいは廃棄物とか、それぞれの部署に分かれますので、私どもの廃棄物リサイクル対策部あるいは水質関係の水・大気環境局等々で、水質で言えば基準の設定とか、そういうことによって監視をしていくとか、そういうシステムもあわせて動いております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 そういう意味では、丸山委員がおっしゃった安全性は、一応環境省としてはちゃんと対策を講じていると思うのですが、その点でなお不十分である、ここはこうしたらどうかといったご提言があれば、ひとつお聞かせいただけますでしょうか。

○丸山委員 私もそのあたり、具体的には……。

○有馬座長 随分よくなったと思うんです、確かに。

○滝澤環境保健部長 環境ホルモンも、そのほか、やってきております。

○丸山委員 環境ホルモンに関しては、もう3けたの疑わしい物質があると言われているわけですけれども、それについての検証といいますか、その体制というのは日本ではどうなっているのですか。

○滝澤環境保健部長 ちょうど6年前ですか、64物質をリストアップしまして、環境ホルモンをきちんと調べていこうと。その中から2つ、3つ、やや生態系への異常があるものというものは公表してきています。それで5年たちますので、昨年の3月、ちょうど今ごろでございますが、Extend2005というふうに体制を、5カ年計画の考え方を少し変えまして、およそ1,500の物質について、海外文献情報とかいろいろな、要するにプライオリティーを学者に決めてもらって、その中からエントリーして、それぞれリスク評価をしたり、あるいは生態系nについての国環研での調査なり実験なりというものを踏まえて、その有害性について調べていくといった、環境ホルモンに限定したスキームをつくり直しました。ですから、それはそれでまだ昨年度ですから、5カ年計画として進めていこうと。そういうもので生態系の異常あるいは動物・人間への異常というものが科学的に立証されていけば、それはもちろん公表もし、対応もしていこうというシステムになっています。

○有馬座長 ありがとうございました。
 吉井委員、どうぞ。

○吉井委員 柳田先生にちょっとお尋ねですけれども、救済機関の問題について。水俣病が再び騒然となったときに、環境庁が発足いたしました。これは46年です。そのとき、私たち市民は水俣病の救済のための機関だと喜んだわけです。公害防止あるいは被害者救済、自然保護、環境保全、そのように経済とか工業とかの中で強者に対する弱者の立場の官庁だということで、確かに法律の整備とか、救済制度の確立とか、研究機関の設立とか、たくさん仕事をやっておいででありました。しかし、現実には現在は患者と一番対立する官庁になってしまっているわけです。国を代表して対立する官庁になっておられる。それは、他の官庁との関係があって、決して環境省だけで動けないという点、それから縦割り制度が厳然としていて、調整官庁としての限度があるという点があろうかと思います。そこで、行政から独立した大きな権限を持つ組織をつくったらという先生のご提案ですね。そうだと思います。そこで、では水俣病の場合、どういう救済があるのかということです。第一番の問題は金銭補償の救済ですけれども、この問題で環境庁と鋭く対立しているわけです。それから、そのほかに原因企業との闘争の支援、座り込みの支援とか、それから裁判闘争の論理づけとか、それから生活相談とか、こういうのがあります。これは、民間のボランティア、全国から集まった支援者団体というのがございまして、これで行っているわけです。それから、精神的救済の面は、地域社会の住民の役割だと思います。そうしますと、公的な支援機関をつくった場合、どの部分をどういう形で支援が可能なのか、先生はどうお考えでしょうか。

○柳田委員 私は、行政というのは限界があるという考えが基本にあるんです。これは、災害問題をずっと長いことやっていて痛感するわけです。そして、10年前の阪神・淡路大震災の被災者救援にしても、一昨年の新潟県中越地震の被災者の救援にしても、大枠として、例えば仮設住宅をつくるとか、復興住宅をつくるとか、あるいは集まった義援金を均等に配るとか、大枠のマクロなところは対応するわけですけれども、細かいところでは対応できない。例えば、仮設住宅の中で、阪神・淡路大震災の場合に、最初の5年間で255人の孤独死があるわけです。だけど、その一人一人をケアしていくだけのマンパワーもシステムも行政は持っていない。そこへボランティアがふれあいテントなどをつくって中へ入って戸別訪問したりして、そして少なくともそういうものをかなり救ったとは思うんです。でも、最初の1例の場合などは、ボランティアの方が、あの家はドアもあかない、どうもおかしいというので警察へ言っても行政に言っても、事件でない限り立ち入れないということでほったらかしになっていて、3カ月後にミイラになって見つかった。そういうことがあって、ボランティア活動の中から生まれてきたのは、最後の1人までという思想なんです。それは、行政だけではもうどうしようもない、我々が自分でやっていかなければいけないということでやっているわけですが、同時に、では我々だけで何ができるかというと、そうもいかないところもあって、やはり行政にはちゃんとやってもらわなければいけないこともあるから、そこで協働という思想が生まれたわけです。これは、行政と市民活動なりボランティアがお互い補いつつ、いい形を探っていくという新しい思想なわけで、この協働という思想は阪神・淡路大震災以降生まれてきたものです。
 実は、おととい長岡で、中山間地域の再生と今後永続的に生きていける方法をめぐるフォーラムがありまして、これは山古志村の例をとりながらやったわけです。でも、それは震災を受けた山古志村に特化する問題ではなくて、山古志村を救済するためには、それが普遍性と一般性を持って全国共通の何らかの救済法というのが出てきて初めて、今日の平成大合併の中で切り捨てられていく中山間地域というものに愛着を持って生きていくことがたとえ高齢者でもできるような仕組みをつくっていこうといったことを討論したわけです。そこからすぐにいい考えが出てきたわけではないけれども、非常に細かいところでさまざまな意味でヒントになることが多かったのですが、被災者あるいは被害者というものを救援する場合に、行政には限界があるということを前提にして、どこまでどうやったらいいかというと、これはやはり行政の側が、ボランティア活動なり、あるいは被災者自身、そのご家族を含めて、そういうものと絶えず手を携えて寄り添って、いい形を探していかなければいけないというシステムをつくらないとだめなわけです。一方的に一つの法律あるいは施行規則の枠の中、あるいは基準の枠の中だけで選択していくような、それだけではだめなわけで、どぶ板を渡って路地裏の話まで拾って対応していって初めて被災者の本当に実感のある救済というのは生まれてくると思うんです。そういう機能を、私が生活支援局か救済局か、そういうものをつくったときに、それが非常に重要な要素になるだろうと。ということはどういうことかというと、行政だけでやるには限界があるから、実際に一番ニーズをはっきり持っている被災者なり被害者なりが言うことに耳を傾け、またそれを支援する市民団体とも協働して、どうやってすき間や最後の1人まで取り残しがないようにするかというのを探る、そういう機能を持たせる。
 しかし、今の環境省にそれをやらせるといったって、今の環境省の設置法なり、あるいは環境省で仕事をしているお役人の方々の発想にはそれはないわけです。とても無理なんです。こういうときには革命的に何か制度改革をしなければいけない。世の中が変わったり、制度が変わったりするというのは、戦争で負けたときか、あるいは進駐軍が来たときか、あるいは革命が起きたときか、そんなときしかないと思ってはいけないので、平時においても、本当に大胆に政治決断によって取り組むこともできる。私は、小泉内閣というのは確かに郵政改革のときには決断をもってやったと思うんです。僕はその問題については若干の異論はあっても、そういう政治姿勢を貫けばできることがある。この問題というのは政治的なリーダーシップによって十分可能な範囲の問題だし、それが政治におけるリーダーシップを発揮してそういう役人の考え方とか組織的裏づけというのをつくっていけば、日本の世の中が変わる。それは日本の国家的品格と日本人の品格にかかわる問題だと思うんです。それが、今のような、やれ根拠がどうだとか、政治決着があるからとか、何だかんだと既成事実の上だけで議論をして先へ進めないというのは、まさにこれは「バカの壁」だろうと思うのですけれども、そういうところを突破していくような役目をこの50年目を迎えた水俣病というのが持っているのではないか。だから、我々懇談会が何かの助言あるいは提言をする場合には、相当踏み込んだことをうたうべきではないかと思うんです。通常、行政の審議会とか検討会というのは、役所が答案をつくって、それに対して裏づけの判こを押すみたいな形になりがちなのですが、環境省の発想の中では、ここで革命的な変化というのは起こらないと思うんです。そこをどうするか。

○屋山委員 ちょっといいですか。

○柳田委員 はい。この辺にしておきます。

○屋山委員 柳田さんの考え方には賛成なんですけれども、例えば、新しい機関をつくるということは、今それが結論になったというと、ただ問題を先に延ばしたということになるので、私は、将来的には、今度の水俣病をどう解決するかという具体的なものを出して、恒久的にはこういうことも考えなさいというのは、付録と言っては悪いけれども、それが出てくる。そうでないと、これで新しい機関をつくることになりましたというのでは、10回我々がここに来た意味がないと思うんです。私は、今までいろいろつぎはぎ、つぎはぎ、あるいは10年休んだとか、いろいろなことがあって、結局これは基本的には国の責任なんだ。だから、先ほど柳田さんも触れられたけれども、環境省がほかの役所と一緒になってこの問題を押さえ込もうという発想に立っているとすれば、役所の存在価値はないので、要するに環境省というものはそういう被害者をとことん助けると。例えば、エイズのときだって菅さんはそれを決断したではないですか。そういうことがなければ、この役所はほとんど意味がない。それこそ、柳田さんのおっしゃった新しい機関をつくって、こんな役所はつぶした方がいいと思うんです。ですから、私は、あなた方がここで万難を排して今までの問題にけりをつける、そのためには他の役所とも対立する、小池さんにも働いてもらう、そういう覚悟をしないと意味がないと思う。
 今私は、この責任の所在とか、いろいろなことでさんざん考えて、結局出さなかったというのは、大きな時代の流れがあるので、そこで過去の問題で、あいつが悪かった、こいつが悪かった、ここで失敗したということは、その検証は必要ですけれども、その問題に終始していたのでは何もないと思うのです。だから、私はここで高い補償をする。要するに、何で救済なんだというと、結局金銭補償しかないわけでしょう。だから、そこで高い補償をする。そうすると今までの人は非常に割を食っているわけだから、つじつまが合わなくなる。そうしたら、その人に追加的に補償するといったことをやらないと、例えば「もやい直し」ということを一つとっても、それは非常に補償についての不平等とか、ねたみとか、そねみとか、そういうものがあって言っているわけです。それを「もやい直し」という何か教育的な問題で解決しようとしている。私に言わせれば、それはごまかしだと思うんです。ですから、みんなが満足する補償、これは私はほかの問題でもそうだけれども、国家が賠償してしかるべき問題だと思うんです。それから、これから公害が起きたら、国家が賠償するという大原則を打ち立ててやる。それは企業が悪かったら、国家が賠償した後に企業から取るとか、それをやらないと、吉井さんかだれかがおっしゃったけれども、これはもたもたしていたら、たしか10年時間を稼いだら問題が消滅してしまうんだ。だから、今何でここへ私が来る気になったのかというのは、問題を解決したいと思うから来たので、だから問題を消滅させようなどと思ったら大間違いですよということを申し上げたい。

○有馬座長 ありがとうございました。
 次の話題に入らせていただきますが、その前に一つ、科学者・技術者の倫理的な責任問題、これはもうちょっと広く科学者・技術者に対して訴えなくてはいけない。この点、私は先ほどちょっと申しましたように、学術会議であるとか、あるいは総合科学技術会議に、こういう問題に対してちゃんと考えてくれということを訴えた方がいいと考えているということを申しておきたいと思います。
 そこで、次の話題に入らせていただきまして、責任と謝罪のあり方、このことを今からご議論賜りたいと思いますが、もう一つ残っている問題として、たびたび出てくるのですが、どうするかということをきちんと議論しなければいけないと思って私が考えたのですが、救済というものを今後どうするのか、支援をどうするのか、この現在の問題がはっきりしないと議論にならないということを亀山委員も繰り返しおっしゃっておられますし、時々この救済問題が出る。これを一度きちんと議論しておかないといけないと思っております。そのことを言っておいた上で、最後に責任と謝罪のあり方についてご議論を賜りたいと思います。ご意見をいただきました柳田委員、吉井委員にそれぞれ簡単にご説明いただければ幸いです。
 まず、柳田委員、お願いいたします。

○柳田委員 謝罪の問題は、言葉だけでは済んだような形になっていますけれども、実態的には済んでいないと思うんです。だからこそ、被害者が今新たな問題をさまざまな形で提起しているわけだと思うんです。今、吉井委員がおっしゃったように、国家賠償というのはどういうことかというと、日本人1億人が食うために犠牲になった人に対して相当賠償金を払うべきだと、これは国民的合意として払うべきだと思うんです。我々が今日このように高度成長の恩恵に浴しているということにのうのうとしていられないという意識が必要であって、そのためには、ここにも書きましたけれども、けちるなと。思い切った補償対策をすべきであり、ここで補償や、あるいは健康救済やさまざまな細かい問題はありますけれども、より大きな枠組みをつくり直して、そうした個別の被害者に対して救済の支援をすべきであると同時に、「もやい直し」というのもうたい文句だけではなくして、本当に差別や偏見をなくすためにも、水俣の地域が本当に住みやすい、お互いに偏見のない社会モデルとしてでもつくるためには、そういう地域再生の公的資金の投入というのは当然あってしかるべきではないかと思うんです。ですから、ここで責任に対応する謝罪というのは、そういう具体的な形で国家が示すべきではないかと思うわけです。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは、吉井委員、お願いいたします。

○吉井委員 日本社会全体の問題ですけれども、日本国民が現在の豊かさを享受しているのは、水俣病発生のころからの高度経済成長のおかげであることにはもう間違いはないと思います。しかし、その高度経済成長のひずみとしての公害があるわけでして、同じ国民でありながら、もがきながら生命を失った、あるいはこの豊かな社会の中で楽しいはずの人生を、きょう見えておられます胎児性の水俣病患者さんみたいに、全部棒に振ってしまった、こういう悲惨な方々がたくさんいるわけで、このように悲運な人々が生まれた事実というのを国民全体が直視する必要があると思います。国民の豊かさは悲惨な人を踏み台にしている部分があるのだ、それで国民はその被害者に温かい手を差し伸べるべきだという認識が、私は必要だと思います。その認識を持たせる手段は、国の広報が大切ですし、それからマスコミの役割というのは非常に大切です。今、地元水俣では水俣病問題はたくさん毎日押すな押すなで出ておりますけれども、この東京とか大都市では全然ないわけです。この問題は大都市の人たちにしっかりと教えるべき問題だと思います。そういう意味で、今までは水俣病関係者だけの論議が50年間続いてきたわけですけれども、初めてこの懇談会は、水俣病を外れたいろいろな分野の有識者が集まって論議をされる。この論議というのはすごく大切だと、これは全国民の意見だとして受け取ってもらいたいなと思います。
 それから、最後の最高裁判決を踏まえ、反省と謝罪を前提とした水俣病対策をどのように考えるかという点でありますけれども、私は謝罪とは過去の非を認めることだ、そして謝罪によって敵対関係に区切りをつけることだ、そして新たな協調関係をつくりたいと、前向きの姿勢の表明だと思います。謝罪の内容は、何を非と認めたのか、何が間違っていたのか、これは具体的に言及されるべきだと思います。そして、反省すべき課題、検証課題が明確に示されなければならない。その反省というのは、過ちの実態を徹底的に検証する上になさるべきものだと思います。何回も謝罪をしたり、何回も謝罪を要求されたり、謝罪がもとで混乱したりするのは、その謝罪の要件が満たされていないからではないかと思います。
 行政みずからが徹底的に検証する必要があると、懇談会で意見が続出いたしておりますが、これはなかなか難しいと思います。なぜ難しいかというと、第2回で指摘いたしましたけれども、現在の環境省は国を代表して責任を背負い、そして謝罪をされておりますけれども、環境省は拡大責任に罪もないのにしりぬぐいをしているというお気持ちがあるのではないか。それから経済産業省、厚生労働省は、環境省という担当があるという気楽さがある。そして、続々と新しい事件が発生して、50年前のことにはもうかかわっていられないという空気があるような気がしてなりません。それは、公害で苦しんだ人は50年間苦しみ続けているわけですけれども、チッソの社長を初め幹部はもう何代もかわっているし、国は3年ごとにかわっておいでだから、その当時の人はもう過去の人です。それで緊迫感がない。それで事務的に処理される。そこにあるのではないかと思います。
 それからもう一つは、個人と公人の使い分け、これが何とも不可解でならないものがあります。例えば、与謝野元通産大臣が国会で、「当時の通産大臣は企業責任、行政責任にぬかりがあったと反省しておられる」と答弁されておりますし、菅直人元厚生大臣は、「歴代大臣はやめた後で、自分は責任を認めたかったが、なかなか言えなかったと言われるのを聞いている」という答弁をされた。そしてその上で、「行政は患者・一般人の感覚を大事にして、過ったと思えば変えていく勇気を持つべきではないか」と述べられております。なぜ歴代大臣が率直にその責任はあると私的には思いながら、公の場でこれが言えなかったのかです。大臣を縛っている、良心を縛っているのは一体何なのか。責任のある大臣の勇気をしぼませ、すくませた、その見えない呪縛の本体、これに光を当てないと、水俣病の本質は見えてこないのではないか、そのような思いがしてなりません。その本質とは何なのか。それは私にもよくわかりません。これはぜひひとつ内部で検証していただきたい。そのことが現在も続いているから、水俣病の問題は混乱していると思います。その根本的なものを解明していただきたいという気持ちです。

○有馬座長 ありがとうございました。
 加藤さん、その責任とは何か、何を謝罪してほしいかについてご意見を。

○加藤委員 まず、中身を伴わなければいけない。中身を伴わないということは、現に被害を受けている人が、自分が失ったものは取り戻すことはできないのですけれども、それに少なくとも何分の1かでも満足できる気持ちになれる、そういう方策がちゃんと講じられることだと思います。そして、特にこの間謝罪ということで、この50年の節目に水俣に総理に来てほしいとい気持ちが患者さんたちの中に実際あります。だけれども、総理が来るときに、ではその中身というものが今本当にあるのかと言えば、きょうもこの懇談会の流れを実際暗澹たる気持ちでここにいざるを得ません。実際に現地の患者さんが思うことは、前回も私は申し上げたのですけれども、たとえ中身が伴わなくてとまでおっしゃっているんです。自分たちのこの被害というのは、この国が高度成長していくためにその犠牲にさせられたこの自分たちに一度きちんと国の責任において謝ってほしいという、このお気持ちから皆さんおっしゃっているのです。では、中身を伴わなくて総理が来ていいのかと言ったら、きっとそんなことはないのです。そのことを本当にこの国は深く考えてほしいと私は思っています。
 それで、あえて今からちょっと言わせていただけば、きょうというこの日、この懇談会に最初から各委員の方が非常に緊張して臨んでおられると思います。私自身も非常に緊張しております。それはなぜかと言えば、3点あるかと思います。
 まず、きょう胎児性の患者さんたちが水俣から、この懇談会ではどういう話をしているのか、自分たちにかかわりのあることがどのように話されているのか、そのことをこの場に身を置いて聞いてみたいというお気持ちから来られています。そこに身を置かれているだけで、やはりこの懇談会で何か一つ発言するときに、その発言の重みを私は非常に感じます。そのときに、これから先、本来この懇談会に与えられた課題は、50年の節目で、少なくとも水俣病の51年目から混乱、困難をもたらさないということです。それは現実の問題を解決するということですけれども、このことがなかなか見えない中で、なかなか発言ができない。
 それからもう一つ、きょう3月20日は、1973年第一次訴訟の判決が下された日です。その判決の中で裁判長がおっしゃった一つの中に、公序良俗に反するような事態を招いた、そういう見舞金契約ということが厳しく指弾されたと思います。この公序良俗ということを考えたときに、残念ながら、今この国の環境省に、水俣で多くの方たちが新たな被害を訴えている状況に対して、これだけ委員の方たちも、常識的に考えてなぜこのようなことが起こったのかということを繰り返し述べておられるのですけれども、これに対して一向にこの10回の懇談会の積み重ねというものがどうも反映されていない。このこと自体、まさにだれが考えてもおかしいなと思うことがそのまま進んでしまっているという状況だと思うのです。屋山委員からも自分が10回参加したのは何だったのかという発言もあったかと思います。その議論を少なくともきょう今始めてほしいと思っています。実際には、やはり死んでいく被害者よりも企業の利益が優先され、その中で国民の生活を守る行政が機能しなかった、異常な事態に敏感になれなかった行政があったという、このことは大きな水俣病の教訓なんです。このことを今生かすことがこの懇談会に問われているのだと思うのです。
 最後になりますけれども、2.5人称の視点を持つことはとても大事なことだと思います。国がまさに機構をつくっていくことはできると思います。だけれども、その機構に携わる人たちが、2.5人称の視点に立った、いわゆる被害を受けた人に対する想像力を持たなかったら、どんなに機構をつくっても、それは私は動かないと思うんです。今私たちに必要なことは、そうした想像力を持った人材がまずは行政の中に育たないことには、どんなに新たな機構をつくっても、それは始まらないのではないかと思います。そのことはやはりもう水俣病の教訓に学ぶしかなく、新たな2.5人称の視点を持てる、そういう人材をつくることにつながっていくと思います。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 亀山委員、先ほど救済に関する問題が出ておりますけれども、その辺、それから現在の環境省の認定基準は変える気持ちがないということについて、ご意見があればお聞かせください。

○亀山委員 昨年の4月に環境省が発表された「今後の水俣病対策について」という一文の中には、「昨年10月の関西訴訟最高裁判決において国及び熊本県の責任が認められたことを受け、規制権限の不行使により水俣病の拡大を防止できなかったことを真摯に反省し」云々と書いてある。実は私はこれだけのことを確認するために前回ご質問を申し上げたのですが、思いもかけず連帯責任などという民法の講釈を承りまして、へえと思ったのですが、伺っていると、要するにチッソが払うのだから国は実際上払わなくていいのだということの方にどうも主眼をおいておられるようだ、そういう気がして、実は私は愕然としたわけであります。最高裁判決を踏まえるということは、まず第一に、国の責任、不法行為責任が認められたということ、そしてその不法行為責任が認められたということは、当然のことながら、連帯であろうが何であろうが、損害賠償の責任があるということなんです。その損害賠償の責任があるということを踏まえるということは、その訴訟の原告になった人、訴訟はその原告になった人しか関係しないわけですけれども、それを含めて水俣病の患者と言える人々すべてに対して国は責任があるということを実質的には認めたのだということだと思っていただかなければ、私は困ると思うんです。それがまず非常に大きい第1点です。
 その次に、認定基準の問題があります。この認定基準の場合に、判例解説などを引かれまして、公健法の認定基準と不法行為の認定基準とは性質が違うのだから、これは別段どちらも両立するのだ、だから変える必要はないのだということを盛んに強調されております。理屈はそのとおりなんです。両方ある。しかし、両方あるということは、公健法の認定基準ではない基準で国の不法行為責任が認められ、それに対して賠償義務が課せられているということ、つまり現実にダブルスタンダードが生じているということなのです。このことをもっともっと深刻に考えていただかなければ、現実にあの判決によってダブルスタンダードが生じてしまったわけです。その生じたダブルスタンダードは、いや、公健法のあれを変えるつもりはありませんと言うだけで済むのかどうか。もしそれで済むとお考えならば、今訴訟が起こっているところはまた争って、そこでまた認定基準を裁判所に認定してもらおうかということをお考えになっているのだろうかという気がするわけであります。だから、ここでも私は最高裁判決を全く踏まえていることにならないという気がいたします。
 それから、ついでながら申し上げますが、そのダブルスタンダードのうちの一つの公健法の方でも、最高裁判決が出たことを恐らく契機として、多数の人がまた審査を申し立てられています。ところが、私はここへ来て本当に驚いたのですが、その審査会の審査が全然行われていない。それはもう何年になるのでしょうか。1年半以上。それは要するにほうってあるわけですね。どうも環境省は、これは県の責任で審査会を構成しなければいけないのに、それができないから打つ手がありませんといったことを言われるようでありますが、そんなことでいいのでしょうか。ではこの審査会が動かない理由は何だというと、要するに委員が構成できないということらしいです。では何で委員が構成できないか。こういうことを引き受けてくださる人が10人ぐらいあってよさそうなものなのだけれども、全然そういうのが起こらないのは一体なぜなのでしょうか。これは、まさしくダブルスタンダードの問題が国民の常識と反して、つまり公健法の基準とは違う基準で不法行為責任を認められている人がいるという事実を、目をつぶっているとまでは言いませんが、それをよそに置いておいて、現在の基準は現在の基準で断固守るんだというやり方が一般の常識に反しているのではなかろうかということを非常に強く疑わせるものなのだろうと思うのです。いずれにしましても、最高裁判決を踏まえてと言いながら、私の感じによれば、最高裁判決を踏まえない、最高裁判決では本当は言っていないことを踏まえておられるような感じがする。
 それは大問題なのですが、しかもその後新たに出てきた、しかもその数が半端ではない、審査の申し立てと提訴と合わせれば4,000人ぐらいのものが出ていて、それに対して何の具体的な対策もおっしゃることなく、おっしゃっているのは医療費の負担とか保健手帳のあれとかいうことなのですが、これもまた私としては非常におかしなことをされているなと思うんです。この横長のフローチャートを見ますと、公健法の認定申請者のうち、保健手帳を申請するという人たちには、所定の検査を経てそういうものができる。しかし、申請者については、申請の方をとるか、保健手帳の方をとるかのどちらかを選択すると書いてあります。そうして、一方においてその認定申請の方は1年半もほったらかしてあるということは、これは非常にどぎつい言い方をすれば、認定申請の方を抑えておいて、それを放棄させて保健手帳の方へいかせようと考えているのだと言われてもしようがないような状況ではなかろうかという感じがするわけです。
 ということで、私はこの現在の最高裁判決を踏まえてとおっしゃる環境省の今まで言われてきた考え方には全く不信の念を持っております。したがって、この点が、現在ある、現在また既に生じてしまった、今までの方でもいろいろの問題がまだ残っているのだと思うのですが、しかも新たに何か現にどうだというのがあらわれているのに、これをほうっておいて50年の節目にどうのこうのと言ってみても、これは前から言っているのですが、何もならないではないかという感じがいたします。
 以上であります。

○有馬座長 それは具体的には、必要な補償はちゃんとせよとおっしゃっているのでしょうか。

○亀山委員 これはいろいろな考え方があると思うんです。だけれども、この点でこそ先ほど来ほかの委員の方々が言われていますように、水俣病というのは、経過を見ておりますとだれでもわかることは、行政の過誤ということになっております。確かにある意味で過誤なんですが、これはしかし大きい目で見れば、日本の産業政策、高度成長を支えるために一定の人が犠牲になったということだと言わざるを得ない。そういう意味では、こんなところで刑事の考え方を持ち出しては恐縮なんですが、これは過失犯というよりは故意犯に近いわけです。しかし、それはそれで、そういう生きるために、高度成長というか、日本の経済の成長を続けるためにやむを得なかったという面があるんだろうと思います。現に私ども、要するに戦後の混乱期からずっと何とかかんとか生きてきた者にとっては、まさしくその恩恵をこうむっているわけです。ですから、そのこと自体はどうのこうのというわけではないのですけれども、そういう状況なのだったら、その犠牲になっている人の方にはやはり普通の過失責任とかそういうこととは全然違う次元の手厚い補償、それから手広い救済が当然考えられてしかるべきであると、そういう考え方をとるのだということが一番大切なことだと。そういう考え方をとれば、今までの公健法による認定制度もさておき、それから現在のダブルスタンダードになった基準もさておき、そういうものをすべて、前回私が申しましたように、一度もうリセットしてやり直して、今までのものを広範囲にかつ手厚く解決するという方策を考えるべきであろうと思います。
 それともう一つは、これも柳田委員などがおっしゃっていますが、そして私も先ほど言いましたが、これは訴訟の原告だけでなく、水俣病患者の皆さん、犠牲になった皆さん方全体に対して不法行為責任が認められたのだと実質的には考えなければいけないわけです。そのことを考えれば、全体に対して何かできること、例えば相当額の基金を設けて、いろいろな事業をやることができるようにするとか、そういったことを当然考えるべきではなかろうか。つまり、個々のことに補償するということも大切なのですが、それも今となってはなかなかできにくい、あるいは不公平とかいろいろな問題が起こってくるかもしれません。そういうことも大切ですが、全体として何かそういう水俣病のあれを、記念と言ってはちょっとおかしいのですが、そのような基金の創設ということも考えていいのではないかと思っております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 大分煮詰まった議論が行われておりますが、加藤さん。

○加藤委員 今、亀山委員がご発言されたことでよくわかるのですけれども、ただ、実は会議というのは、前回の議論があって、きょうさらにその議論を深めていくということだと思うのです。実はきょうの資料を見ますと、これまでは前回までの論点の主な事項というのが整理されて、いつも事務局の方から出されていたと思うのですけれども、きょうその資料がありません。そして、前回の議論の各委員共通して一番出てきたことは、認定基準にかかわるところの、水俣病とは何なのかと、このことを今問い直す時期に来ているのではなかろうかということです。最高裁の判決も踏まえ、そしてこの新たな20年、30年の中で医学の知見が出てくる中で、少なくとも見直されてこなかったことについて、新たにきちんと水俣病とは何なのかということを見直す、そういう機会を設け、そこから現状、今水俣で続いている混乱を打開していく一つの方向に導けないかということが前回の議論だったと思うのです。このことについて、なかなか環境省の方の動きを見ていますと、新たな国の審査会を設ける方針が出てしまって、これは20年前、1978年にまた逆戻りをしてしまっているわけです。あの国の審査会を設けたとしても、この間のそれ以降結局混乱は回避できなかったわけですから、そのことを踏まえたときに、新たな国の審査会を設ける方向にまたいってしまうということがどういうことなのか、この点についてきちんとこの懇談会で議論してほしいと思います。
 それと、どうも先ほど吉井委員の方からも、地元では50年ということで非常にマスコミを含めてたくさんの報道がなされている。ただ、この地元でなされている報道が全く東京周辺には伝わってこない。だから、一般的に新聞を見ても、なかなか委員の方ですら情報が今届けられる手だてがないんです。きょう金平委員が欠席されていますけれども、欠席されるということをお電話をいただきまして、なかなか地元の情報が届かないということで、私が持っている情報の幾ばくかを金平委員にお届けいたしました。この情報に関しては、この懇談会でも昨年の5月、6月、7月ぐらいまでは地元の情報が届けられていたような気がするのですけれども、それが秋以降なかなか単純な新聞報道すら地元紙のものが扱われていないということも、非常に水俣病の教訓、教訓といったときに、こうした情報の共有すらできていないような状態は一体何なのかなと思います。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 では、手短に。

○丸山委員 これは3時半まででしたか。きょうのテーマの話をしているとちょっと長くなりますので、これからどこに焦点を当ててこの懇談会を取りまとめするかということについての私の考えを言わせてもらいたいと思います。
 これは私が最初の第1回のときに言いましたことの繰り返しになりますけれども、大臣から失敗から教訓を学んで発信する、だからそこを検証してくれといった話だったかと思います。その点では、発生させてしまった失敗、拡大させてしまった失敗、これは実は前にも環境庁のときにつくられた研究会がそれなりに総括しておられるんです。かなりのところまで突っ込んでおられます。管理するための機構とか、そういうところまでは論及していないですけれども、もうかなりここできちんと総括されています。このときにはかなり資料なども、それぞれ皆さんが収集されたものを勉強しながら、その意見を集約されたものがこの1冊にまとまっていると思います。ですから、最終的に2つ、前回が被害救済と地域の再生、きょうが発生拡大と責任ということでしたけれども、私としては、前回の、先ほど来加藤さん等のお話がありますけれども、いま一つの大きな失敗というのは、救済・補償の不徹底、おくれ、混乱、この失敗がいまだに続いているという、これはもう緊急に対処すべき事柄でして、これだけでもきちんと何かある程度の方向性がこの懇談会で提示できれば、この懇談会の意味もあったのかなと考えております。もちろんほかにも、メチル水銀汚染の影響の実態が十分解明されていない失敗であるとか、環境再生について言えば、前回申しましたように、きちんとヘドロが無害化されるというところまでの環境再生がまだなされていないというのもありますけれども、何よりも中心は、この救済・補償の不徹底、おくれ、混乱というこの失敗、現在も続いている失敗についてどう対処するかということが中心にならなければならないのではないかと考えております。それについての私の考え方については前回述べましたので、ここでまた繰り返しは述べません。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 それでは、一応きょうご報告いただきました、作成いただいた表についての議論はこれで一応終わりましたので、前回の懇談会で私から環境省に対して、きょうのご議論の中にも時々出てきたような問題についてどのように考えておられるのか、その辺について、例えば賠償責任をどう考えておられるか、その他について、そしてまたこの懇談会に対して何を依頼しておられるのか、もう一度お聞きしたいということをこの前お願いいたしましたので、環境省としてのご意見をいただきたいと思います。あるいはお返事と言うべきかもしれません。

○炭谷事務次官 どうもきょうも熱心なご議論を本当にありがとうございます。事務次官の炭谷でございます。前回いただきました宿題について、若干、本当に行政的な考えになりますけれども、ご説明することをお許しいただきたいと存じます。
 冒頭で大臣もあいさつの中で触れましたけれども、この懇談会にお願いしたということは、丸山委員にもおっしゃっていただきましたけれども、最高裁判決で水俣病の被害の拡大が防止できなかった責任が問われているわけでございます。なぜ水俣病のような問題が起こったのかについて、行政の責任を含め、改めてとらえ直して、過去の失敗を二度と繰り返さないための教訓について幅広い分野の有識者の方々にご議論をいただき、このような観点を中心とした提言をいただきたいということで出発いたしました。また、今までご議論いただきました新たな認定申請を行っている方への対応については、被害者団体を初めとして関係者とも相談しながら決めまして、きょうも引用していただきました4月7日の「今後の水俣病対策について」に基づく取り組みを逐次実施しているところでございます。また、新たな裁判が提訴されていることでございます。したがいまして、これらの問題についていろいろとご意見をいただいているところでございますけれども、中には行政としてはなかなか対応できない部分もあるということをご理解いただきたいと考えております。
 認定基準の見直しや、それを前提とした専門家会議等の設置についてでございます。関西訴訟最高裁判決でも認定基準の見直しを要請しておらず、公健法の認定基準の合理性について何ら判断を加えていないこと、直接関係する棄却処分取消訴訟について、平成9年の福岡高裁の確定判決がございますけれども、これは認定基準を是認しているという判決が出ているところであり、環境省として、認定基準を現在見直すことや、その検討を行うための専門家会議などを設置することは考えていないところでございます。
 また、今までの懇談会の中で、環境省として最高裁判決をどのようにとらえているのかという厳しいご質問があったかと思います。環境省といたしましては、最高裁判決で問われた責任について重く受けとめており、判決当時に発表した大臣談話、また昨年4月に発表した今後の水俣病対策においても、規制権限の不行使により水俣病の拡大を防止できなかったことを真摯に反省し、すべての水俣病被害者に対して謝罪の意を表明したところでございます。そして、行政として今何をすべきかを検討し、早急に施策を講じていくことが、最高裁判決で問われた責任を果たしていくことであると考え、関係県と協議し、被害者団体の方々や地元市町村などから意見を聞いた上で、「今後の水俣病対策について」を取りまとめて打ち出し、昨年の10月の保健手帳の再開など、これに基づく行政施策を逐次実施しているところでございます。
 現状の説明というところが主になりましたけれども、前回出されました座長からの宿題について、やや行政的、事務的かもしれませんけれども、このように考えている次第でございます。

○有馬座長 これは非常に多くの疑問点を残していると思いますので、ひとつ各委員からご質問がありましたらお願いいたします。まず柳田委員、それから亀山委員にもぜひひとつご質問をいただきたいと思います。よろしく。

○柳田委員 環境省の考えがこうだというのは、まあわかりましたというか、わかりましたのですが、この説明を我々が受けて、この範囲を出るなと言われたと解釈すべきか、これに関係なく、我々は提言するのか、そこだと思いますけれども、いかがですか。あるいは、まず第一には、環境省として、そちらからこの懇談会をつくって委嘱したわけですから、懇談会はこれを出ては困るという考えをお持ちなのかどうか、そこが大事だと思うんです。これは環境省の考えですから、それはそれで結構ですけれども、これがあるという上に立って、さらにここから先へ進むということを我々議論しているわけですが、そういうことはやめてくれということなのかどうか。

○炭谷事務次官 この問題は、行政として、先生方にこれまで随分貴重なご意見をいただいたところでございます。中には私どもの方で十分取り入れて、そしゃくして対策に具体的にできるというものももちろんございますし、そういう面では我々は大変ありがたいと思っております。ですが、ここで出された意見すべてに対応できるかといえば、なかなか対応できない部分もあるという点でございまして、これは現在の考え方でございますので、それをさらにこのように発展させるべきではないかというご意見が、これまでも随分そういう視点でのご意見だったと承知しております。ですから、必ずしもこれに限定されずということは、もちろんこの懇談会をつくった趣旨がそういうものではありませんので。ただ、私どもは、何分にも大変難しい問題があるということで、できる問題とできない問題があるという当たり前のことかもしれませんけれども、そういう点のご理解をいただきたいというだけでございます。

○有馬座長 亀山委員はございませんか。

○亀山委員 余り申し上げることもないんですが、司法の問題が絡んでいるところがあるものですから言いますが、「最高裁判決でも認定基準の見直しを要請しておらず、公健法の認定基準の合理性について何ら判断を加えていないこと」とありますが、これは当たり前のことなんです。公健法の棄却処分取消訴訟であればまた別で、損害賠償訴訟ですから、こんな余計なことに判断を加える必要は毛頭ないわけです。だからといって、それに何も触れていないから最高裁判決でも現在の公健法上の認定基準が全体の水俣病を判断する上でのすべてについて通用する非常にいい基準なのだと言っているのかといったら、そんなことも全然言っていない。だから、ここは余り理由にならないのだと思うんです。ですから、公健法上の認定基準を見直すことは考えていないということはよくわかりました。私はこれも少なくともちょっと検討した方が世間体はいいのではないかなと思いますけれども、それはわかりました。
 しかし、全体としての問題解決のために、全く新たな視点から水俣病の被害者をどうとらえて具体的な救済策を講じたらいいかということは、これとはちょっと離れた立場でお考えいただきたい。また、そういう点は、少なくともここに書いてある環境省の考え方の外の問題ですから、我々が考えても一向に差し支えなさそうだなと。それをどの程度取捨選択されるかは、これはこういう懇談会の提言を受けた方の責任問題だと思っております。

○屋山委員 今のこの役所の文書は、現状を説明したというだけで、これから何をするのかということを官僚の方は全く認識されていないのではないか。私は、官僚というのは政治家ではないんですから、要するに今の日本の官僚というのは、行政府を握って、立法府も握っていると。これは明治以来ずっとそうなんです。行革などがうまくいかないのは、政治家が幾ら言っても官僚が言うことを聞かないからなんです。それと同じ発想なんです。ですから、今政治判断を恐らく小池さんも含めてそういうことを思っていると思うんですけれども、例えば補償しなくてはいけないというのが恐らくこの懇談会の大勢だったと思うのですけれども、では小池さんがそれを背にして、あなた方、補償してくださいと言ったときに、あなた方は絶対動かないと思うんです。それは、要するに法律は本当は政治家がつくらなくてはいけないのに官僚がつくってきたということがそもそも問題なんです。実際にそうだったし、あなた方の頭の中も、我々が行政府を握っている、当然立法府も握っている、小池さんも握っているという発想だから、新しい問題が解決しないんです。だから、ただ、今までの延長線上でずっとのんべんだらりと説明して、これでどうしようというのですか。物事を解決するには、ポンと高いところに飛び上がって、そこから過去を振り返って、どういうことをすればよかったかなといったことを保障しなくてはいけないんじゃないですか。あなた方は実際のところ何を考えているのか、本当に聞きたい。もう一遍小池さんに聞いてみたいですよ。

○有馬座長 吉井委員。

○吉井委員 この懇談会をおつくりになったのは、一応提言を受けて検討していただいた上で、それを可能か不可能か選択されるものだと、そのように私は理解していたわけですけれども、今のように、論議の途中で提言をする前にもう完全に否定されるということになりますと、答えが確定してしまっているということになりますと、提言をする意味がほとんどないんじゃないかという思いがいたします。過去の検証、責任の所在、教訓が何なのか、論議をしてきましたけれども、これも認定問題を除けば、すべて他の省庁の責任の問題です。他の省庁はもうすごく醒めているように私は受けとめております。そこで、環境省のこの懇談会で意見を出す、すなわち環境省というフィルターを通しての提言が果たして国あるいは他の省庁に通用するのかという疑問を私は持っております。いわゆる徒労に終わる、隔靴掻痒という言葉がありますが、まさにそういう思いがいたしております。提言をするとすれば、柔軟に受けていただく柔軟性というのが、少なくとも検討するのだという姿勢がないと、私はもう提言をする必要はないと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 まず丸山さん、加藤さん。そして柳田さんが最後に締めてください。

○丸山委員 これは、先ほどおっしゃったように、現状こうしていますということなんですけれども、本気でこれで解決できる見通しを持っておられるのかどうかということです。結局、行政に対応してもらえなかったら裁判という道もありますからということだとしたら、現に今新しく認定申請を膨大な数で出してきている人たちなどは時間との競争で生きているわけでしょう。行政組織というのは、人がまたかわって、何年かかってもやればいいということなんですけれども、まさに時間との競争で生きているような人を相手にしている。そうしたら、少なくとも一定のこの期間までにはとにかくきちんと解決するんだというところまで提示しないと、これは非常に無責任だと思います。現に、例えば申請者は、多分かなり1年を過ぎた人が多いんです。ですから、治療研究事業で医療費はちゃんと負担してもらっているから、新保健手帳に加わらなくても実質的には変わらないわけでしょう。何ら認定申請を取り下げて新保健手帳にかわったからといって、その当の申請者自体の条件というのは変わらない。もう治療研究事業で1年たったら医療費はちゃんと面倒を見てもらえるということであると、申請者の人たちも何も申請まで取り下げてこちらに移るとかということにはならないでしょうし。だから、そういうことを現実的に判断して、この方策で近い将来に解決のめどがつくと本気で思っておられるのか、そこの現実認識が非常に甘いし、まず第一に、最初に申しましたように、今現在日々生きている、それでも亡くなっていっている人もいるわけですが、そういう人たちを対象にしているということを忘れてはならないと思うんです。行政組織としては5年、10年、また裁判で決まったら対応しますということかもしれないですけれども、それは余りにも国民に対して国家としては無責任な態度だと思いますので、ちょっとここの点は、いずれにしろ、今現状説明で、これ以上は今のところ出てきていないということであれば、なおのことこれは懇談会としての取りまとめということになりますと、これを前提にしての取りまとめなどというのはあり得ないと思うんです。ですから、これは最終的な懇談会としての取りまとめ方をご相談しなければいけないかなと思います。

○有馬座長 ありがとうございます。
 加藤さん、そして柳田先生。

○加藤委員 各委員とほとんど同じ感想を持っております。私はやはり、2.5人称の視点、そして当事者の視点、被害を受けた人の立場に立ってものを考えるということは、これから新しい機構をつくってやっていこうではなくて、今、この懇談会の中で出てきたことを、環境省が今そのことを人としてきちんと受けとめて、きちんと対応してほしいと思うんです。別に機構ができ上がってから2.5人称の視点でやっていく行政ができるのではなくて、今まさにその2.5人称の視点で考えたときに、このような趣旨は出てこないと思います。まさに、過去の失敗を同じように繰り返す、失敗の本質を探ろうというところから出てきた一番根本問題に行き着いたのが、では水俣病は何なのかということをこの懇談会としてはずっと問うてきているわけです。それは、先ほどから言っているように、認定基準を即見直すということを今懇談会が提言しているのではなくて、少なくとも今の何千人という被害者の方たちの現状を打開していくために、水俣病は何なのかということをもう一度問い直す、そういう機関を少なくとも提言していきたいということでずっと出てきている議論をこういう形で切ってしまったら、まさに私たちは正直言ってこの10回出てきた責任があって、このペーパーで、はい、そうですかというわけにはいきません。そういう意味では、懇談会の委員共通で、この後どうしていくのかということは、委員の中でも取りまとめを考えていく必要があると思います。それと、現に起きている熊本地裁で係争中であるという理由も一つ出てきたということは、ちょっと残念です。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 柳田さん。

○柳田委員 この1枚の説明文というのは、極めて明快に官僚の考え方というのがわかったので、これは大変貴重な文献になると思うのですけれども、私は冒頭、この会の第1回が始まったときに申し上げたかと思うんですけれども、日本のがんの診断医の第一人者であった市川平三郎さんがイギリスに招かれて、「胃がんの二重造影法について知りたいからレクチャーしてくれ」と言って行ったら、向こうの放射線部長が「何か参考になることがあれば我々のやり方もインプルーブする」と言ったので、市川さんが「インプルーブだったら私は帰る。あなたが考えをチェンジする気持ちがあるのかどうか、根本的にそこのところで確認できない限り、ここでレクチャーしても意味がない」と言って渡り合ったということは話したと思うんですけれども、今、次官のご説明によりますと、この懇談会は10回にわたっていろいろ参考になるところもあったので、あちこちつまみ食いさせていただくと。しかし、基本的なところは、できることとできないことが行政にはあるのだから、そこは了解してくれということは、要するに認定制度その他の救済問題については現状お役所がやっていることに任せてくれと言うに等しいわけだし、それから大規模な組織改革的な提言についても、これは行政では恐らくできないという方に入るのでしょう。つまり、10回、何の意味もなく、ただご意見を拝聴しました、ところどころつまみ食いさせていただきますということで終わるのだなということで、大変絶望的な気持ちになっております。
 私が委員を委嘱されたときに、「この懇談会と並行して法的委員会もつくる。そちらでしっかりと法的根拠について検討して、我々の懇談会の参考資料を提供する。だから、ぜひ大局的な見地から検討してほしい」と言うので、一たん断ったけれども、引き受けました。ところが、いつの間にか法的研究会は説明もなく消え失せて、そしてこの会で亀山委員がしばしば質問したようなことに対してものらりくらりでよくわからない話しか出てこない。一体こういう中で、では我々はどういう提言をまとめるべきか、ぜひ座長に一任したいと思いますけれども。
 以上です。

○有馬座長 一任されても困るけれども、ありがとうございました。
 予定を10分過ぎましたので、きょうの会はとりあえずここで終わらせていただきたいと思いますが、もう一度環境省に対して宿題を出したいと思います。
 一つは、きょうのこの次官のご説明を拝見すると、終わりの方に、「行政として今何をすべきかを検討し、早急に施策を講じていくことが最高裁判決で問われた責任を果たしていくことであると考え、関係県と協議し、被害者団体の方々や地元の市町村などから意見を聞いた上で、今後の水俣病対策について取りまとめて打ち出し、昨年10月保健手帳の再開など、これに基づく行政施策を逐次実行に移しているところです」と、こういうご見解はわかりますけれども、そうすると、懇談会では、今現在環境省が進めておられる施策、それ以上施策の上で超えるような提案はどう考えればいいのか。仮に我々がしても、それはもう受け入れる余地がないものであろうかどうか、この辺についてひとつこの次にお聞かせいただきたいと思います。
 もう一つ、私はいろいろな当時の文部省などのこういう懇談会とか中央教育審議会とかやりまして、そのときには、私の経験では、それぞれの省庁の考え方を超えたものを随分出したことが具体的にあります。あえて申しませんけれども、現在行われているいろいろな行政の中で、初めは考えていなかったようなものが随分提案されたことによって実行に移っている。そこで私がもう一つお伺いしたいのは、懇談会として、単に環境省に対する提案だけではなく、国に対して、すなわち環境省だけでは済まない、厚生労働省にしても、文科省にしても、あるいは特に経済産業省にしても、そういうところに対してもいろいろ言いたいことがある。こういうことに対して言うことがあり得ると思うのですが、これは越権行為とお考えかどうか。すなわち環境省を越えた問題だと考えられるのか。
 それからもう一つは、きょう盛んに賠償とか謝罪という言葉が大きく出てまいりましたが、その点に関しては、もちろん予算を伴ったり、さまざまなことがあるし、環境省だけで済まないことが多いと思いますが、こういうことに関して我々が考えたときに、それに対してどういうお考えであるか。具体的に、きょう特に柳田先生から中心に出されました、今後こういうことを調査研究し、対策を考えていくさまざまな手段について提案がありましたけれども、こういう具体的な提案というのは、懇談会の結論として、私は出すべきだと思いますが、それはどうでしょうか。この辺について、次にまたちょっと環境省の方のお考えをお聞かせいただければ幸いであります。これはもちろん懇談会として考えるべきことですが、参考にさせていただきたいと思います。
 もう一つ、最後に、本来、きょうこういう問題があり、次のところでもう一度さらに水俣病の発生拡大と責任の部分について、きょうご出席の委員も少なかったことですし、もう少し詰めた議論を行っていきたいと考えておりますので、これについてまたご意見をちょっとお聞かせいただきたいと思います。
 そして、以前、4月までに結論をという話が合ったと思いますが、この間の議論を踏まえますと、もう少し議論に時間をかけた方がいいのではないかという気が私はしております。そういう意味で懇談会を少し延長することを提案させていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。忙しいからだめだというご意見の方が強いですか。
 そして、私はこの前申し上げましたように、最終的にこの報告書をまとめる際にどのようにしてまとめていくか。一つのチョイスは、もちろん普通のように、環境省に一応素案をつくっていただいて、我々がそれをたたき台にして次のものをまとめていくのが一つの方法。それからもう一つは、逆に完全に懇談会の方で責任を持って最終的な答申をまとめていく方法。もう一つは、環境省と我々の側とがもう少し少人数でたたき台をお互いにつくっていく方法というのがあると思います。私は、最後の環境省と我々がもう少し少人数で議論をまとめていくのはどうかと考えていることを申し上げて、この次にまたご議論を賜れれば幸いであります。
 きょうは大変活発なご意見を賜りまして、ありがとうございました。一応今お諮りいたしました懇談会を少し延長することの提案はお許しいただけますか。
(「異議なし」の声あり)

○有馬座長 それでは、そのことを前提にいたしまして、これをもう少し延ばして、5月になるか、6月になるかわかりませんが、結論を少し延ばさせていただくことにして、今後話を進めさせていただきたいと思います。そして、先ほど既に申し上げたように、水俣病の発生拡大と責任について、もう一度少し突っ込んだご意見を賜りたいと思います。
 最後に、事務局から今後のことについてご発言があったらよろしくお願いいたします。

○柴垣企画課長 次回の懇談会の日程でございますけれども、今、日程調整をさせていただいておりまして、先生方のご都合ということで、4月21日金曜日午前中10時~12時まで、場所はいつもやっております環境省内の第一会議室ということで、やらせていただきたいと思っております。よろしくお願いいたします。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 それでは、きょうの議論はまだまだ尽くしていないところがありますけれども、一応準備した議事はすべて終わりましたので、以上をもちましてこの懇談会の第10回を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

午後 3時45分 閉会