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第9回水俣病問題に係る懇談会
会議録


日時:

平成18年3月2日(木)11:02~14:54

場所:

虎ノ門パストラル アイリスガーデン

午前11時02分 開会

○柴垣企画課長 それでは、定刻を過ぎておりますので、水俣病問題に係る懇談会、第9回をただいまから始めさせていただきます。
 本日は、お忙しいところお集まりいただきましてありがとうございます。
 本日は全員の委員にご出席いただく予定ですけれども、嘉田委員は1時間ぐらいおくれ、また金平委員は30分程度おくれてのご到着というふうに伺っております。また、小池大臣につきましては、衆議院の予算委員会に出席のために本日は欠席とさせていただきます。また、副大臣につきましても、公務のため後ほど退席をいたしますので、よろしくお願いします。また、事務方ではありますが、炭谷事務次官は1時過ぎに出席する予定にしておりますので、あわせてよろしくお願いいたします。
 また、本日は、いつもよりも時間を延長しまして3時まで、途中12時30分から30分程度、昼食を挟ませていただきたいと思っております。
 まず資料の確認をさせていただきます。
 議事次第にもありますように、資料は1つです。これは、こちらでこれまでの議論の論点をまとめさせていただいたものをあらかじめ各委員にお送りしまして、各委員から論点についてのご意見の追加とか方向性とかということで書いていただいたものを、今回全部まとめまして、提出いただいた委員のお名前をつけさせていただいております。また、重要性ですとか緊急性ですとかというところにつきましては、二重丸、丸、無印というような印を各委員にお願いしたものをつけさせていただいております。
 また、お手元に幾つか、これまで私どもが配らせていただきました資料を置かせていただいておりますけれども、これはまた議論の中で、こちらが説明する場面などで適宜ご参照いただくためのものでございます。
 それから、参考資料としまして前回の議事録を置かせていただいております。これもあらかじめ委員の先生方にお目通しいただいておりますけれども、本日の会議の終了後に公表したいと思っておりますので、もし何かありましたら事務局までお申しつけください。
 それでは有馬座長、よろしくお願いいたします。

○有馬座長 皆さん、おはようございます。お忙しいところお集まりいただきましてありがとうございます。
 きょう及びこの次ぐらいは非常に山場でございますので、少し時間をかけよう、特にきょうはかけようというので、11時からお集まりいただき、3時まできょうの会議を続けさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 議論に入ります前に、たびたび私からも環境省にお聞きしておりますことでもあるし、この懇談会で、いろいろ議論が出るところでございまして、要するに、この懇談会にいかなることを求めておられるか、一度大臣からお話しいただきたいとお願いしておりました。そのことを含めまして、江田環境副大臣がおいででいらっしゃいますので、ひとつお話をいただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

○江田副大臣 環境副大臣の江田でございます。
 本日は、先生方、お忙しい中ご出席をいただきまして、まことにありがとうございます。小池大臣が国会公務のため出席ができませんので、私の方が大臣にかわりましてごあいさつをさせていただきます。
 懇談会も今回で9回目を迎え、議論の内容も佳境に入ってきたところでございますが、この時点で私どもがこの懇談会に期待して、またお願いしたいことを、先ほども有馬座長がおっしゃいましたように、私どもの方から申し述べさせていただきます。
 第1回のときに大臣が申し上げましたように、水俣病の公式確認50周年に向けまして、長い経緯の中での行政の取組や、その責任を含め、水俣病問題が持つ歴史的・社会的意味について、さらに水俣病が抱える失敗の本質について、異なる分野でご活躍の委員の方々がそれぞれの視点からご議論をいただくことが、懇談会開催の一番の意義だと思っております。そのような趣旨で大臣からお願いしました本懇談会でございますので、その後の懇談会の展開におきましては、被害者の救済問題も含め、かなり広範な議論が行われておることは承知しておりますが、まずは水俣病の発生拡大とその責任の問題について、戦後日本の高度成長や、それを支えた産業政策という背景も踏まえた上で、なぜこのようなことが起こったのかを、その責任の明確化も含めてとらえ直し、過去の失敗を二度と繰り返さないための教訓や、それを今後に向けて生かすべき方策などについてご提言いただければということでございます。
 さて、今回も議論いただく被害と救済の問題につきましては、現在も進行中の被害者の方々への対応につきまして、環境省としても本懇談会の開催とあわせて、昨年4月に医療対策の充実を柱とする「今後の水俣病対策について」を発表させていただき、新保健手帳の交付など、逐次実施に移しているところでございます。したがって、懇談会におきましては、さらに水俣病の被害を健康面のみならず生活の面や差別、あつれきといった地域社会の問題も視野に入れてとらえ直し、地域福祉などと連携した新たな救済の方向についてご助言いただければと考えております。
 本日は、時間も延長して詰めた議論をしていただけると思っておりますが、何とぞ引き続きよろしくお願い申し上げます。
 以上でございます。

○有馬座長 江田副大臣、ありがとうございました。
 公務がおありかと思いますので、必要なときにご退席いただいて結構でございます。

○江田副大臣 どうぞよろしくお願い申し上げます。

○有馬座長 それでは、議事進行に移らせていただきます。
 まず初めに、本日の懇談会につきましては非公開とする必要はないと私は判断いたしますが、いかがでしょうか。原則どおり公開にいたしたいと思いますが、ご異議ございませんでしょうか。

(「異議なし」の声あり)

○有馬座長 ありがとうございます。それでは、本日の懇談会は公開で行い、議事録は出席された各委員の確認、了解をいただいた後に環境省ホームページに掲載し、公開させていただきます。
 さて、本日ですが、「被害救済と地域再生」、この点につきまして、今の副大臣のご発言も踏まえまして議論していただきたいと思います。
 あらかじめこれらのことにつきまして各委員からご提出いただきました意見をまとめた資料では、「被害救済と地域再生」を6項目に分類しております。1つずつ区切りにいたしまして意見を出していただきましたが、そのいただきました方々にそれを発表していただいた後に、各委員からご意見を伺う形で議論を進めていきたいと思います。それぞれの項目について約25分やらせていただきたいと考えております。
 それでは、まず「被害の実態把握などの適切な初期対応」でございます。ご意見をいただいた金平委員、柳田委員、吉井委員、簡単にご説明をいただければ幸いです。
 それでは、吉井さんからどうぞ。お出しくださったご意見についてお話をいただきたいと思います。

○吉井委員 この調査票についてですか。

○有馬座長 これについて、これを見ながら簡単にお話しください。重要なところを特にご指摘ください。第1ページ目のところで、初期対応のところ。

○吉井委員 わかりました。じゃ、私の考えを述べさせていただきます。
 一昨年の最高裁判決、そして本年が水俣病発生50周年。その節目に当たって、地元の新聞、それから大手の新聞の熊本版は、水俣病に関する特集、あるいは連載をメジロ押しに掲載をいたしております。それも被害者に視点を当てて、救済とは何なのかという問いかけが主体でございます。出口のない迷路にはまり込んだ患者救済、それをどう解決していくのか、これは当面の大きな課題だというふうに認識をいたしております。
 当懇談会におきましては、認定問題については諮問しないということでございましたけれども、有馬座長の方で本日の懇談会で論議をするというご決定をいただいておりまして、これは非常に重要な決断だというふうに私は思います。それは、今までの論議を省みまして、行政の責任、反省すべき点、すなわち行政への教訓が数多く浮かび上がってきたわけですけれども、これらの教訓は、先ほど副大臣がおっしゃったように、今後に類似の公害の発生を未然に防止するという点、それから、不幸にして発生してしまった場合、被害をいかに最小限にとどめるかと、この面に生かされるということでございます。
 しかし、当の水俣病問題は、50年を経ても現在進行形です。その教訓は、まず現在進行形の水俣病問題の解決に生かすべきだというふうに思いますし、また、現在進行形の水俣病に生かされない教訓というのは意味がないのじゃないかと、そういうふうに思います。このような観点から、当懇談会で水俣病問題の検証をする上で、現在の救済問題の行き詰まり、これをどう考えるかというのは非常に重要なポイントであるというふうに思います。もちろん、私、医学的に知識は皆無でありますし、認定問題を具体的に論ずる能力はない。これはするつもりはございません。また、当懇談会に諮られた課題でもないのでございますから、環境省におかれてそういう意見があるというご参考に受け取ってもらえれば、それで結構ではないか、そのように思います。
 そこで、混乱している問題を少し整理をしてみますと、本来、患者救済というのは一本であるわけだというふうに私は考えております。時間の推移とともに原因究明や病状の研究が進んでまいりました。そうしますと、どうしても不合理や矛盾が生まれてきます。それを必要に応じて検討して制度を見直していくというのが必要であったろうと思います。ところが、固定化してしまって、執拗にこれの見直しを拒否してきたという経緯がございます。そこで不合理や矛盾の改善を求める声が大きくなってきた。その圧力を緩和するために、本来の制度を見直すことなく、その外側に新しい解釈をつけてきた。それで複雑になってしまったんじゃないか、こういうふうに考えます。今では理路整然とこれを整理するということが非常に難しくなってきていると思います。
 また、認定審査会が機能していないというのがございます。三千数百人もの認定申請者が出ているのに、2年近く審査会が開かれていない。いわゆる不作為であります、異常でございます。認定審査会が機能しない理由、それは、委員の皆さんがご就任を渋っておられるというふうにお聞きをいたします。じゃ、なぜ審査会委員が就任を渋っておられるのか、ちゅうちょしておられるのか、その原因は何なのかというのが一つ問題であると思います。その原因を是正しないとできないのではないか。また、審査会が成立しても機能しないのではないかと、そういう懸念もございます。
 それから、もう一方、訴訟する人々が増加をして1,000人近くなったとお聞きをいたします。かつての訴訟される人たちは、認定審査会で棄却された人たちが司法に救済を求めておいでだったんです。ところが今回は違います。今回は認定審査会を経ずして、直接司法に救済を求めておられるわけであります。そうしますと、認定審査会の存在そのものが申請者から無視をされた、否定をされたというふうにとることができるのじゃないかと思いますし、また、審査会が開かれて審査をされ、ところが、現在の状況を見ますと、水俣病と認定される人はごく少ないのではないかと思われます。そして棄却された人がほとんど。そうすると、棄却された人は保健手帳をお求めになるか、また訴訟に参加されるか、2つに分かれる。そうしますと、患者補償はもうすべて司法で、そして行政は健康管理だけという図式になってしまうおそれがございます。それでよいのかという一つの疑問があります。
 私は、このような状況にどう対処するのかと、その考えられる対策の一つとしては、現在実施をされております新対策だけで、批判があろうが抵抗があろうが我慢に我慢を押し通していくという方法があると思います。被害者は昭和40年代前半で水銀に暴露された人たちでありますから、これから漸減をしていきます。それから、あと30年もすると被害を訴える人々はいなくなる。裁判闘争も10年ぐらいで終わるのではないかと思いますし、認定条件をいじくることで想定される混乱も回避できる。特に政治的最終決着についても触れることなく終わってしまうんじゃないか。年を経るごとに一般社会も関心が薄れる。それから、やがて自然消滅してしまう。こういうことを考えますと、水俣病問題を解決するのではなくして消滅させるという意味で、一つの現実的な選択でなかろうかと思います。しかし、これは国民的、あるいは歴史的批判に耐えることができるのかという重大な問題があります。それから、国の責任とは何なのか。環境省と国政の根幹が問われることになると思いますし、国際的にも先進国と言われている日本が恥ずかしい教訓を残したと、こう言われかねないというのもあります。
 そこで私は、第4回に会議で提言をいたしております。繰り返します。それは、行政は、法律と権威ある審議会の答申を根拠にしてなされているというふうに理解をしております。これまでの水俣病対策も、いろいろと批判がございましたけれども、行政手法としてはそのように進められてきたというふうに受けとめております。その根拠の一つになっているのが、平成3年の中央公害対策審議会がございます。しかし、これからもう15年経過をいたしております。まさに説得力がなくなってきているように思います。その間に水俣病の症状、病状、多くの医学的研究が発表されておりますし、新しい医学的な知見を無視することができないのではないか。採用するか否かについて検討はすべきではなかろうか、こういうふうに思います。
 また、最高裁判決で事態も大きく変化をしております。判決は認定条件を否定していない。司法と行政の認定条件は違ってもよいというご説明をいただいておりますけれども、しかし、否定はしていないが肯定もしていないのではないかなというふうに思います。これは、司法は行政みずから妥当かどうか判断しなさいよというふうに求めているんじゃないかなというふうにも思います。そこで、新たに公平で権威のある第三者機関を設けて検討をお願いしてはどうか。そして、その答申をいただいて、しっかりした新たな行政根拠に基づいた政策決定をなされるべきではないかという提言であります。その際、第三者機関には認定条件だけの諮問にとどまらない、制度そのものの検討をしていただく必要があるんではないか。これ以上混乱を増幅しないで決着できる道はないのか。50年の経験を生かした知恵はないのか。そのような幅広い論議をお願いし、答申を求めるべきではないかというふうに思います。
 それから、審議会がございましたけれども、この審議会の構成、委員の選任については、ためにする委員会だとか御用委員会だとか隠れみのだとか、たくさんの批判が続出いたしておりますし、大いに論議になってきたところでございますので、委員の選任というのはすごく困難だろうと思いますけれども、その困難を避けては大きな問題の解決はできないのではないかと思います。一般論ですけれども、真摯に受けとめて公正を期した委員会をつくっていくというご判断が必要であろうと思います。このような順序を踏んで決定した解決策は、立場の違いで異論はあろうかと思いますけれども、やはり従ってもらえると、このように思っております。
 それから、次は患者救済の問題でありますけれども、これは患者救済……

○有馬座長 すみません。後でまたその問題はやりますので。今は大体ずっとほとんどのところをおっしゃられましたので、ありがとうございました。進行を私が明確に申し上げなかったので、大変ご無礼いたしました。一応ここでお切りいただいて、今ご議論をいただくというふうに申し上げたことは、このご意見をいただいたものの最初のページ及び次ぐらいにあります被害の実態把握などの適切な初期対応についてお聞きした次第です。今、吉井先生、随分ずっと全般を見通してくださいましたので、大変議論がしやすくなったと思います。後の方でご議論いただくことも、既に吉井さんからご意見をいただいたことにいたしまして進めさせていただきます。
 柳田委員、手短にご意見をおっしゃっていただければ幸いです。

○柳田委員 ちょっとその前に質問なんですが、このアンケートのIの方の扱いはどう……。順序で2種類あるわけです。IIの方を先にやるということ。

○有馬座長 一番最初の「被害の実態把握などの適切な初期対応」というのが出ていますね。そこに2つ3つありますので。

○柳田委員 きょうはこちらで、このIはきょうはやらない。わかりました。

○有馬座長 IIの方です。IIの最初のページをちょっとご報告くだされば幸いです。

○柳田委員 わかりました。
 そこに書いていることに尽きるんですけれども、むしろアンケートの大きなIという、きょうはやらない方に詳細を書いてあるんですが、初期の対応の間違いについては大変いろいろな問題を含んでいるので、ここでは、今後対応の仕方を具体的にどうするかという点で、極めて専門的に細かく議論を詰めなければいけない問題や、あるいはさまざまな実務に通じてきた医学者や、あるいは関係の社会学者など、そういうものに対してもう少し突っ込んだヒアリングを行っていかないといけないのではないかと思うんです。この当懇談会は5月までにまとめて何らかの提言をするという、一応のそういうターゲットがあるわけですから、そこまでに枠組みを基本的につくった上で、そして今度は最後の各論的に細かいところを継続してやるか、あるいは今、吉井委員が提言したように、第三者機関のような委員会を立ち上げてやるか、どちらかかなというふうに思うわけです。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは金平委員、お願いいたします。

○金平委員 私は、ここに書きましたように、本来被害救済とは、事実の確定から始まると思っています。しかし、水俣病問題というのは、これが適切にいかなかった。もっと言えば、やはり失敗だったと言えるかもしれません。もちろん50年前のことでございますから、今のあらゆる科学的な知見、これをもって当時なぜできなかったということは酷だと思いますが、何しろ異常事象、それから特定な身体症状が地域的に発生したわけですから、やはり実態の把握が必要であったと私は思います。水俣病は行政による調査が行われなかった。新潟はその教訓が生かされたのかと思います。
 この会で何をするかということですが、残された時間はとても少のうございますが、私は行政の判断ということについて考えてみたいと思います。行政というのは、いろいろな社会的な事象が起こる。それに対して常に実態の把握、実態の確定をしなくてはならないわけですけれども、すべてが医学的、科学的な知見が統一的に結論を出したから行政が動けるというものではないと思います。ないからこそ行政に持ち込まれる問題というのが余りに多いと思います。それでも、やはりそこに何かが起こっている限り、行政は何らかの対応をしていかなくてはいけない。したがって、それは行政の決断であると思います。その決断の根拠というふうなものを、私はきちんと説明をしていく。そして、その決断をもってある一つの基準で行政が動いたとして、もし新たな知見が出てくる、新たな結果が生まれる、そういうことで判断がもし誤っているというふうにわかる、または矛盾が出てくるというふうなことがあれば、それはその時点で、行政の判断が誤りであったというよりも、新しい知見に基づく新たな対応をしていく。行政というのは、やはり常に事象に対応していくものでありますけれども、それには、今言ったような自分たちが判断した根拠というふうなものを常に明確にし、そしてそれを説明していく。そして、時には誤りを認めて、また新たな判断に基づいた新たな施策に移っていく、こういうものだと思っております。
 私は、事実の確定を当時、50年前にさかのぼってということはとてもできないというふうに思いますけれども、公的なもの、民間のものを含めていろいろなところでいろいろな調査等が行われていると思いますので、この際こういうふうなものをしっかりと表に出すことが必要です。それと、専門家という方、患者の前に開示してほしいと思います。
 私のところに前回から今日までの間に、日本精神神経学会から多くの資料が送られてまいりまして、初めて拝見いたしました。私は専門でございませんから、この内容については意見を申せませんけれども、こういう日本精神神経学会のご努力みたいなものを、どういうふうに今の時点でほかの分野の方も含めて考えればいいのか。こういうふうな努力をしたらどうかということが一つ。
 それからもう一点は、先ほど私が行政の役割ということを申しましたけれども、やはり水俣の行政は、どういう判断をもっていろいろな施策をとってきたか。これを一回、第三者機関でもいいんですが、そういうふうなものをぜひ起こして、これを明らかにしてみると、問題点というものがはっきりするのかなというふうに思っております。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは、あと二、三分ございますので、今ご発言にならなかった方々からご意見をいただければ幸いです。
 私は、原子力の場合もそうですけれども、やはり速やかに客観的な情報を公開すべきだということは非常に強く思うんですね。原子力の場合も、いたずらに誤解を招いてしまう。隠していたことによって誤解を招くようなことが非常に多いので、やはり科学的、技術的、客観的なデータは必ず公開をするという、それはやはりやっていただきたいと思います。それは産業界に対しても、国に対しても申し上げたいと思います。私の意見はそういうことでございます。
 どうぞ。まず柴崎さん。

○柴垣企画課長 きょうは詰めた議論ということで、事務局からも必要最小限の説明をさせていただければと思います。
 今、金平委員からお話にあった調査と説明ということで、この最初の被害の実態把握と適切な初期対応ということで、過去、これまでの議論の中で、やはり30年代の必要な、かつ有効な時期に必要な調査が行われなかったことが、その後の救済なりの混乱の要因になっていたということが言われ、また行政としてもそういう認識を当然持っております。そういう中で、ではどういう時期ならば必要な調査ができるのかということで、熊本県や鹿児島県でも、30年代には余りやっていないんですけれども、40年代の後半に調査がありまして、それはまだ43年のチッソの水銀の排出がとまってから数年の間ですから、そういった有効な調査の解析なりを今後きちんとやって、そういった情報を提供するということ。それでわかったこと、わからないことを説明していくということはあり得るし、またやっていかなければならないというふうに考えております。
 すみません、以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは屋山委員、お願いいたします。

○屋山委員 議論を聞いていて、ちょっと私の常識と乖離があるなという気がずっとしていたんですが、私はちょうど30年前にジュネーブに赴任したんですけれども、そのときに、歩道橋からホテルから、要するに身障者が行けないというところはなかったんですね。ところが、今の日本では、東横インみたいなところが平気な顔をして身障者の駐車場をつぶしたり、部屋をつぶしてホテルをやったり、ああいうことが行われているわけですよね。そういうときに、私は非常にスイスの社会というのに感動して、いつからこうなったんだ。100年前からそうやっているんですね。アンリ・デュナンという人が赤十字を設立して、それは1864年の話ですけれども、それ以来、人道主義というのを国家目標に掲げてずっとやってきた。それを掲げていると、国民みんなが本気でそういう気になるんですね。日本じゃ、非常に人のいい人がそういう気があって、ほかの人は余り関心がない。だけれどもスイス人は、100人生まれれば二、三人の身障者がいるのはしようがない、したがって、100人の社会をつくるために九十七、八人がみんなで二、三人を助けるわけですね。日本はその当時、九十七、八人のための社会で、二、三人は我慢してもらおうと、そういう社会だった。それを今変えなくちゃいけない。これは国家目標として徹底的にそれを変えなくちゃいけないという常識を日本の常識にしなければならない。
 それから、私は特にお役人に言いたいんだけれども、お役人というのは漸進主義で、少しずつ、少しずつ、毎年1センチずつよくなろうと。ところが、世の中はもう一気に進んでいるといいますか、発想の転換というのが必要なんですよね。私は、行革審に入ってずっと行革をやった経験から言うと、お役人というのは前任者の否定ということは絶対しないわけですよね。だけれども、こういう公害問題というのは、飛び上がるといいますか、前任者を否定して、それでやる必要がある。だから、前任者の顔をつぶしちゃいけないとか、そういう考え方じゃだめだと思うんですね。例えば監査法人ですが、同じ監査法人の中で、例えば屋山という男がずっと5年もやっていた。そうすると、ほかの人が代わっても、同じ監査法人だと、「前任者の屋山というやつは悪いやつだ。あれは間違えていたんだ」なんていうことは絶対言わない。だから、堤義明なんていう人が40年ぐらい粉飾決算をやっていたんですよね。役所も全く同じで、そういう意味で、前任者がだめだと指摘できれば、薬害エイズだってあんなふうにはならなかったと思うんですよ。
 だから私は、前任者、それから縄張りとか、そういうことから脱却して発想の転換をして、今、困っている人たちをどうやって助けるか。その根拠が昔どうだったとかこうだったとか、証拠がないとか、そういう問題じゃないと思うんですよ。今困っている人をどうやって助けるかというアプローチをすれば、それは前任者否定になるかもしらん。しかし、それが社会には必要なんだというふうに思います。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。初期対応において必要があればジャンプしろということですね。
 どうぞ。じゃ、ちょっと短くお願いいたします。次の話題に入りたいと思います。

○嘉田委員 今の屋山委員と、それから柳田委員の意見に賛成です。
 初期対応のところ、私も当時の患者さん並びに生活者の立場から、当時どういう社会認識の中におられたかということを聞き取りをしながら、2つのことがわかりました。一つは、患者さんが病気になったということを言いたくない。つまり「患者」という名前も嫌だし、「病気だ、病気だ」ということはむしろ大げさにしたくない。言いたくない。それは今でもそうですが、状況がかわり少し言いやすくなったということでしょうか。そういう中でぎりぎりの状態で生活もできなかったという、ああいうときに地域社会なり人々はどう生きていく力を得たのかということ、これはかなり、今改めてその立場に立って、国民として共感を持って知らなければいけないと思います。
 そのときに、どうにもふさがってしまっていたときに、助けるべきはお役人だと思うんです。行政だと思うのです。医学者ももちろんありますけれども、それで今、屋山委員が言われたような形での、行政が何のために自分はいるのかということの根本的な価値観というのは、実は50年前と今とほとんど変わっておりません。つまり、自分たちの囲われた──最近、ある社会学者が「囲い込まれ症候群」と言っていますけれども、囲い込まれた内部論理で緻密な手続的な正しさは追求するのですが、果たして何のために行政は存在するのかというところの倫理なり価値観のところが、やはり日本は50年前もできていなかったし、今もできていないのではないだろうかというところが大変当時の初期の対応の問題だったと思います。
 つまり、行政マンは法的手続を正しくフォローしなければいけないのですけれども、行政マンであっても一個の人間として、目の前にどうにも八方ふさがりの生きるか死ぬかの人々がいたときに、自分たちが何かできるのか、ということを考えてほしい。実は、新潟の場合にはそういうふうに思う行政マンがおられたわけです。お医者さんもおられたわけです。そこが熊本と新潟の大きな違いではないかということで、まさに倫理、価値観、日本人のそのあたりを問われているのが水俣病で、それは50年前と今と、先ほども屋山委員が言われたこと、つまり「多様な人間存在を認める社会になっていない」ということが本質的には今でも変わってはいないのではないだろうかと思います。
 以上です。

○有馬座長 じゃ、まず鳥井さん。それで加藤さん。

○鳥井委員 簡単に申し上げたいと思います。
 金平さんのおっしゃったことは非常に重要なことを示唆をしているというふうに思います。行政が柔軟に対応できるかできないかという問題なんですが、別な言い方をすると、行政というのは試行錯誤が許されるのか、許されないのか。許されるとした場合に、いいこともあるし悪いこともある。許されないとした場合に、いいこともあるし悪いこともある。これをちゃんと見きわめないと、水俣病の議論だけから行政は柔軟に対応すべきだという結論にいっちゃうと、ほかの問題で大変大きな失敗を犯す可能性がある。
 ですから、許されると考えたときにどういうことが起こるのか、許されないと考えたときにどういうことが起こるのか。許されないと考えたときに水俣病が起こったわけですけれども、どういうことが起こるのかをきちんと整理をした上で、どういう場合なら柔軟な対応の試行錯誤が許されるのか、どういう状況では試行錯誤が許されないのか。例えば、何か罰則みたいなことがあって、きのうは許されたけれども、きょうはこの問題は罰則がかけられたというんじゃ、国民の方はたまったものじゃないという側面もあるわけですね。ですから、そこはもうちょっと一般化した形で議論ができると、大きな示唆に富んだ提言ができるんではないかというふうに思います。
 以上です。

○有馬座長 大変難しいところですね。
 加藤さん。

○加藤委員 初期対応のところで、新潟に関連して少し意見を述べさせてもらいます。特に新潟のヒアリングが、新潟の現地には行けませんでしたけれども行われまして、その中から出た初期対応というのが、私は、新潟の受胎調整の問題というのをよかったというふうなところで残してしまうのは、水俣病50年を振り返るときに大変大きな過ちを犯してしまうというふうに思います。
 それは、水俣に来られて、多くの委員の皆さんは胎児性の患者さんにお会いになっています。その方たちは、生まれてきたことによって可能な限り豊かな人生を過ごせたわけですね。これが、初期対応のところで受胎調整が指導されてしまっていたら生まれなかった命だったわけですね。このことは、最近胎児診断というのが大分問題になっていますけれども、やはり受胎調整の行政指導と、命の問題ということでは、初期対応において決してそこまで踏み込むことがいいことではなかったということは、きちんと残すべきではないかというふうに思います。少なくとも障害を持つ命が調整されるような実態を招いてはいけないというのは、これは水俣病の胎児性の患者さんたちが警告を発していることだし、とても大きな教訓として、50年の節目ではきちんと残しておいていただけるといいというふうに思っております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 丸山さん。

○丸山委員 初期の実態把握に関しては、私は、どうしてそういう経緯になったのかということでは、一つは医学側の問題があったと思うんです。これは、一つは原因究明を求められたんですね。医学がもっぱら被害の実態がどうであるかという病状の解明よりも、原因物質は何なんだというような、そこに結局ずっと追い込まれていったために、当時科学的に水俣病の実態を明らかにする一番の責を担った医学者たちが、全部原因究明の方に、原因物質の解明の方に全力を注いで、被害の実態解明の方にほとんど及ばなかったというのが一つあると思います。
 それから、もう一つは、行政の責任との関連で言えば、行政がやはり被害実態の全容がどうなのかということを本来取り組むべきだったわけですけれども、実は逆にふたをしようというんですね。実態を解明しようどころか、初期に県の水産課の三好さんという人が、いろいろ水俣湾の汚染の状態というのを報告した文書なんかがあるんですけれども、それをさらに進めようとしたら、これは熊本県の当時の副知事だった人なんですけれども、「もうあなた達は水俣の方には行かなくてもよろしい。八代から南には行かなくてよろしい」と。結局、水産課なんかの場合だと、やはり漁業被害が現に発生していましたから、せっかく実態を明らかにしたいという意向があったのを、それをむしろとめてしまったといいますか、実態を解明するというよりも、むしろふたをしろという、そういうこともあったので、結局昭和30年代というのは本当に被害の実態というのはほとんど把握されないまま推移して、それが結局、水俣病の身体的被害がどうなのかということの解明を非常におくらせてしまったと言えるんじゃなかろうかと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 嘉田さん、何かご意見が……。

○嘉田委員 あえて議論をさせていただきたいのですが、先ほど鳥井委員が言われた、行政が柔軟に対応するときに、どういうときだったら柔軟に対応できるのかという、そこまで含めてある約束事をつくるということですがそれは行政マンの人間性というか倫理の問題であり、そこまで規則はつくれないのではないか、と思います。私自身、20年間、滋賀県行政の現場におりまして、行政は机で仕事をしなければいけないと言われてきました。確かに机で仕事をするというのは、いわば基本的約束事だと思うのですけれども、そのときに、どうしてもある部分、机を外れることがあるんですね。今言われたのは、机の外れ方まで議論ができて、それをいわば約束事にできるということなのでしょうか。それは最終、人間の存在にかかわるところで、例えば外れた話かもしれないんですが、例の第二次世界大戦のときに、杉原千畝さんがエストニアで、いわば日本の領事としての役割を超えてユダヤ系の人にビザを出しました。やはり人々は、ある部分、そういう行政も求めるわけですね。でも、あれは確かに順法性ということから問題があったかもしれない。手続的には違法していたわけですよね。ですから、ある意味で行政マンとしてののりを外してしまったわけですけれども、議論をしたいのは、そののりの外し方までここで議論できるのかということなのです。それは最終、先ほどから屋山委員が言っていらしたような形での、人々のまさに倫理観なり、あるいは行政マンの人間としての判断ではないだろうかというようなことです。

○有馬座長 ちょっとごめんなさい。今のは、行政が柔軟であるべきということに対して、行政が試行錯誤をやっていいかということをめぐってのご議論であります。確かに重要なことでありますけれども、ちょっと本題から離れますので、改めて時間をとってご議論いただければ幸いです。とりあえず少し進行させていただいて、今の問題、後ほどもう一度取り上げたいと思います。
 まず「水俣病のとらえ方」ということを、次の2ページをごらんくださって、そこについて、これはそれほどご議論がないかもしれませんけれども、少し手短にこれをやっていただければ幸いです。ご意見をくださった方々から、どうぞお願いいたします。
 この中で、まず加藤委員、それから屋山委員、吉井委員、3人の方々から簡単にご説明いただきたいと思います。
 加藤委員、お願いします。

○加藤委員 この問題については、私は医学について全く専門でも何でもありません。ただ現地にいて患者さんを目の前にして思うことは、まず、少なくとも52年の判断条件と56年の判断条件から20年以上の経過がある中で、今なお、少なくとも水俣病の医学の研究というのは、その間進んでいるわけであり、患者さんの症状もさまざまに加齢とともに変化しているということも考えたときに、じゃ、現状の水俣病の病状というのはどういうことなのかということを議論する場というのがあってしかるべきだというふうに思います。このことが行われてこなかったことが今の混乱を招いているというふうに思います。だから、この原点に返る医学についての論議をするべきでないかというふうに私は考えています。
 少なくとも、現時点において、この懇談会が開かれているけれども、やはり新たな被害救済を求める人たちがいるという、この現実は、医学の問題とはやはり切り離すわけにはいかないと思うんですね。ですから、少なくともこの問題についてきちんとしたテーブルをつくるべきでないかというふうに思っています。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは屋山委員、お願いします。

○屋山委員 今も新しい人が3,500人訴訟をやっている。これは非常に政治的なものだという見方もありますけれども、そういうとらえ方はちょっと間違いなんじゃないかと思います。私はやはり、昔どういう経緯があったにしろ、現に今調子が悪いという人たちは、全部面倒見るべきだ。個々にいろいろ病状が変遷したり、途中から出てきたり、あるいは親族の関係で黙っていたり、そういう人たちがいたに違いないと思うんですよね。ですから、そういう人も含めて全部面倒を見る。さっき言ったように97人の社会じゃなくて100人の社会を目指す。そういうとらえ方が必要なんじゃないか。私は医学のことはよくわかりませんけれども、しかし、現に症状を訴えている人というものを、「あなたは前にチャンスがあったのに、何で訴えなかったんだ。だからあなたには資格がない」と、そういうとらえ方というのは私は間違いだというふうに思います。

○有馬座長 ありがとうございました。この辺、また後ほど、具体的にどうしていくかというあたりでご議論賜ろうと思います。
 吉井委員は先ほどおっしゃられたと思いますけれども、もう一度ここだけちょっとかいつまんで……。

○吉井委員 各ページごとに論議をすべきものを、全ページ一遍にやってしまいましたので、その中に含まれておりますので割愛させていただきます。

○柴垣企画課長 ちょっと出張らせていただきますけれども、前に、第4回のときにお配りしました、お手元に1枚紙で横長で三角形といいますか、模式の表がございます。水俣病のとらえ方ということで加藤委員から、52年、それから小児の場合の56年の判断条件から20年たっておる。医学的な議論をということでございます。確かに医学という点ではいろいろ論議があるかもしれませんけれども、丸山委員からも認定医学というような批判もございますけれども、ここは、そこの一番上にありますように、行政としてどういうレベルで認定すべきなのかということで、判断条件も、もちろん医学的な知見を前提としておりますけれども、まさに行政の責任において政策判断としての通知として出させていただいている。
 それで、そこにありますように、水俣病の可能性がそうでない可能性を上回る、いわゆる蓋然性50%以上というところで線を引っ張っておるということで、そのことについては昭和60年、それから平成3年の中央公害審議会の答申などでも妥当であると言われておりまして、その後の裁判の中で原告被告の医学論争が行われてきてはおりますけれども、行政としては、そこで出された知見を踏まえても、また認定基準による認定がこれが資料の概念図にありますように、公健法による給付ではなく、患者団体と原因企業との間での民事の補償協定というものに直結しておるということも踏まえて、行政として過去一貫して同じ基準でやってきて、補償もこういった固定的な補償になっておるという現実も踏まえて、行政としては、新たにこれを見直さなければならないほどの医学的な知見の変化はないという判断をし、認定基準の見直しは行わないししているものです。
 そういう意味で、最高裁の判決につきましても、お手元に最高裁の判決の調査官の解説を置かせていただいております。確かにこの認定が棄却された人について、それは水俣病の蓋然性が、こちらの判断としては50%に至らないけれども、何がしかの可能性があって、それでそれが症状に出ている方というふうに思いますけれども、そういった方に対して賠償は、そこの法制度というか、補償協定の1,800万から1,600万ではなくて、関西訴訟でいえば400万から800万円という、そういった賠償として認められておるという事実はあるわけです。そこは第4回のときにも説明しましたように、行政としても認定に至らない方に対する行政施策としての救済、さらには政治解決という形での和解的な救済ということはあって、裁判もその一つとして出てきているということで、認定基準は過去、まさに30年一貫してやってきて、補償とも直結していて、行政としてそれを今変えて、あえて混乱を招くような事態をとるべきではないという判断のもとにやってきておるということで、そういう医学的な議論と別のところの判断も働いておるということを、この表の中でちょっとあえて申し上げさせていただきます。
 以上です。

○亀山委員 環境省が認定自体の行政的な妥当性ということを主張されるお気持ちは大変よくわかるんですが、少なくとも私が知りたいのは、今、最高裁判決後に新たに三千数百人の認定申請者がいる。この人は、現在、この水俣病問題の広がりという、きょう机上にあったあれを見ますと、未処分者数となっている。2月20日現在3,647人。これ、申請したまま、まだ認定も却下も棄却もなされていないと、こういう意味ですか。そういう人が3,600人いる。それから、さらに損害賠償請求をしている方が876人おられる、そういうことですね。これに対してどうなさるつもりなのかということなんですよ。公健法認定の方は、それは認定の方をやるんですとおっしゃるのかもしれないけれども、先ほど吉井委員がおっしゃったところによると、それはとても動きそうにもないということを言われて、これは一体どうなさるおつもりか。
 それから、賠償請求に対して、これはちょっと聞くところによると、もう第1回の口頭弁論が始まったそうですが、国としてはどういう対処方針を立てて、どういう答弁をなさっているんですか。

○柴垣企画課長 亀山委員からは、今回のまとめの最後のページにも、そういったことの現状報告と、それから対応の説明ということを求められています。また今、ご意見で言っていただきましたので、ちょっと説明をさせていただきます。
 その円図と、それからもう一つ、フローチャート、横長のフロー図、それから、今ちょっと触れました横長の概念図がございます。それで、事実として、今現在公健法の認定申請をされておって、審査会がとまっておるということで、このフロー図の中で認定申請のところでとどまっておられる方々が3,647人という方がございます。それで、その内数として、その中で国家賠償請求訴訟を起こされている方が876人。これは4回に分けて、一番最後は先週、186人の方が新たに提訴されておる。それで、その裁判の事実だけ言いますと、第1回が12月、第2回が2月24日と2回口頭弁論が開かれておりまして、とりあえず今、まだ原告一人一人の症状ですとか、それから発症とかということの資料が裁判所から求められているという状況でございます。
 それで、おっしゃるように、そういった現実。裁判の提訴は、ですから、ちょっと懇談会の途中のできごとでございますけれども、懇談会が始まったときにも同じ円図を示させていただいて、そのときは認定申請者は1,900人ということだったわけです。それが3,600人にまでふえておるということでございまして、それに対して行政はどうするのかということでございます。きょうの最初の副大臣のごあいさつにもありましたように、この懇談会の発足に合わせまして、昨年の4月7日に──これもきょう机の上に置かせていただいています。これも最初の懇談会のときにお出ししておりますが、裏表で今後の対策ということで出させていただいております。それを簡単に概念図の中で示しておるのが、一つは、この概念図の一番下にあります3,600人の方、もしくはそれ以外の方につきましても、やはり何らかの症状があって、それは丸山委員のこの間の調査のご報告にもありました、症状があって、それが今後また高齢化の中で老後の医療の不安ということにもつながっているし、症状を何とかしたいということがベースとしてある。それは申請者のうちの幾つかの団体や医療機関から聞いた中で、申請者の人のかなりの部分が、まずは医療を求めて申請をしているということも聞いておりましたので、症状のある人に医療やはり・きゅうが適切に受け入れ、受診していただけるようにということで4月7日に発表し、10月から保健手帳ということで、医療、はり・きゅうが必要な症状のある方、そのような要件の該当者への支給ということを始めております。その部分の数字が円図の中にも、保健手帳交付者ということで1,571人ということでございます。それはどういう形かというのが、このフローチャートの中で認定申請から乗り移る人、それから新たに保健手帳を直接求めて申請する人ということで、認定申請からは212人、新たな直接の申請は1,600人そしてその中で要件該当が1,571人ということでございます。
 実際には、吉井委員が先ほど言われましたように、認定申請の方は横に向かう流れ、検診、それから認定審査の方が最高裁判決の直後から動いておりませんで、今現在その方々はどうなっているかといいますと、真ん中の四角の中にあります申請後1年、もしくは重症の場合6カ月を経過したということで、医療費の支給は受けておられるということでございます。それから保健手帳は、認定申請が再開した場合に、棄却された場合の受け皿としても機能するようにということで、右側の下への矢印ということでございまして、検診審査の判断に基づく認定棄却の処分が基本にあり、それを補完し、またそれとは別個に、とにかく医療、もしくははり・きゅうを求めるという形に対する対応ということで、まずこれが新たな申請者の急増などへの行政としての対応におけるベースの対策としてあるということでございます。
 それに加えて、4月7日におきましては、今まではこの懇談会でも議論がありましたように、一義的には原因企業との補償協定による補償、もしくはその外側に行政、もしくは政治や司法による救済ということでやっておりましたけれども、そういった個別の補償、救済、それプラス、やはり地域的な取り組み、もしくは胎児性に象徴される方への支援ですとか、被害者全体、もしくは地域全体の高齢化に伴う被害者を中心とした介護支援ですとか、また地域の水銀に暴露された方々、症状が今出ている方、出ていない方も含めての健康管理の事業ということに取り組むべきだ、より充実を図るべきだということで、昨年4月7日に一応の方向は打ち出してございますけれども、それをどういうふうにより抜本的に進めていくかということが課題としてあるというのが今の状況でございます。
 以上です。

○有馬座長 亀山委員、よろしいですか。

○亀山委員 いや、全然よくないですよ。余りわかったようなわからないことで……。

○有馬座長 続けてください。

○亀山委員 これで一体どうなるのかということを聞きたいわけですよ。まず、この認定申請が出されている3,000なんていうことがずっととまっている。このずっととまっているというのが、これは県のやることですかね。だから、環境省としては手をこまねいていなければどうしようもないと、こういうふうなご趣旨なのかどうなのか。そうでなければ、この3,600何人という方は、不安を抱えて全く宙ぶらりんになるわけでしょう。それに対して一体、この人たちはどういう人たちなんだと環境省はお考えになっているのか。これをまず知りたい。
 それから、さらに直接訴訟されている方が870何人も現在おられる。恐らく、この公健法がもし動き出して棄却が出てきたら、それがまた流れていくんでしょう。それに対して一体どういうスタンスで向かい合っておられるのか。この訴訟の方はどういう請求をされているかは、今までのあれで大体見当はつく。しかし、どういう答弁をされているのかというのが、私にはちょっとわからん。

○滝澤環境保健部長 ちょっとよろしいですか。すみません。長々説明させていただきまして申しわけございません。
 審査会がなぜ動かないのかということで、吉井委員からもかなり状況が厳しいと批判的なコメントがございましたが、私どもは、多少時間がかかっておりますけれども、昨年の夏以降、相当臨海2県と連携しまして、前任の先生方への説明、あるいはお話し合いを進めております。延べ20回、30回になると思います。もう10人も先生方がいらっしゃいます。状況は、時間がかかっておりますけれども、少しずつ今の現行の認定のあり方、認定制度についての基本的な理解はもちろん、再開へ向けての意思表示が進んできておりまして、若干楽観的な響きに聞こえるかもしれませんけれども、もう少しというところまで来ていると思っております。これは愚直に再開へ向けて我々も努力は続けなければいけない、こういう状況でございます。これが再開できたとして、それでこの3,600人の申請というものが動き出すわけでありますけれども、現に、現状としてこの真ん中の申請者医療、あるいは新しく下に矢印をつけました新対策、こちらで現実的に日常的な医療費が手当てされるということで選択していらっしゃる方もいらっしゃいますし、そうしたことを見きわめて、手前みそですけれども、その新対策の成果というようなことも見ながら認定制度の再開の課題としております。
 それから、最後のことですけれども、課長からも申し上げましたが、12月と2月24日と2回、既に公判が開かれております。冒頭の1回目でしたか、裁判長から個々の病状等について基礎的な資料を提出すべしというお話がありまして、原告側がいろいろそういう医学的な病状、あるいは基準めいた勉強といいますか、検討をいろいろな先生方が集まってされているという報道も起きておりますし、そういう裁判長のご指示によって1回、2回と公判されている状況でございます。
 国としてどう臨むのかということでありますけれども、私どもとしては非常に、若干言いわけがましく聞こえますが、最高裁の判決を踏まえて6カ月後の4月に、いろいろな関係者、地元の水俣市もそうですけれども、県庁、それから水俣病のもともとの団体の方々と直接率直なご意見を踏まえて、あの時点でこういう対策が優先的に必要だろうということでまとめた対策でございます。それに沿って対策を今まで、まだ発表してから1年たっておりませんので、進めていくということを行政としては対応していきたいと思っています。
 そうした中で、残念ながらといいますか、900人近い新たな提訴がございます。損害賠償、あるいは慰謝料的な要求がされているわけでございますけれども、我々としては、いろいろな関係者を踏まえて対策を示した。そういうことで、その対策を進めることによって一定の理解が得られるんではないかと予想していたところ、こういう動きが出てきたということで、率直に言いまして気持ちとしては戸惑っておりますが、裁判が提訴された。それに対していろいろな内容はちょっと細かには披瀝できませんけれども、それについて国としてもやはりきちんと主張していくべきところはあるわけでございまして、そこは、まだ2回目が終わった段階ですけれども、主張はしていきたいというふうに考えている状況です。

○亀山委員 ちょっと2点ばかり質問、よろしいですか。

○有馬座長 どうぞ。これはやはり非常に重要なことでありまして、やはりこの懇談会として、今のご議論になっているところに何らかのコメントをつけるかどうか。国としても動いておられるので、今まで報告を伺うという格好になっておりましたけれども、しかし、ややそこでおくれがあるようでありますので、この懇談会として何か申し入れをするか、提言をするか、その辺のことで大変重要なポイントでありますので、亀山委員、もう一歩突っ込んでご発言願います。

○亀山委員 一つは、きょうお配りいただいた公健法認定制度と保健手帳、この関係ですが、ちょっとわからないのは、認定申請をしたと点線で囲ってありますね。そして、それと「保健手帳の交付要件を満たす者」という、その下のところで保健手帳の交付ということなんだと思うんですが、これ、どちらかを選択というふうに書いてありますが、これはどういうふうになるんですか。

○柴垣企画課長 保健手帳の交付を受けられるかどうかの際に選択をしていただきまして、保健手帳の交付を受けられる場合には認定申請の取り下げの手続をしていただくということになります。

○亀山委員 そうすると、認定審査会の申請がどんどん留保されているということは、なるべくこっちの保健手帳の方へ落とし込もうという意図だと言われても、ちょっと言いわけがつかないんじゃないですか。

○柴垣企画課長 言いわけというよりも、そもそも窓口が申請しかなかったがために、医療を求める方がそこに申請されておるということを、昨年の3月段階での団体や地元のそういった方々を診られている医師などからも聞いておりまして、それで、そういった方々で、もうとにかく恒久的な医療、もしくははり・きゅうということを望まれる方が選択をしていただこうというふうに考えてつくっております。

○亀山委員 すると、ここで手帳の交付1,571人というふうに書いてありますが、これは3,647人の中から1,571人が保健手帳の交付を受けたと、こういう趣旨ですか。

○柴垣企画課長 いいえ、そこに矢印で、そちらにかわった方は212人という……。

○亀山委員 212人、こちらだけね。それじゃ、やはりこの保健手帳制度は、これじゃ足りないというか、これじゃ嫌だと言われる方の方がまだ多いと、こういう現状なんですな。

○滝澤環境保健部長 それは率直に認めざるを得ない部分もございます。新たに私どもは4月の時点で一番いいと思ってまとめた案でありますけれども、当然個別に、もっとこのようなことを配慮してほしい、こういうことを追加策として認めてほしいという個別のご要望もたくさんいただいていますし、何せ10月からスタートしたものですから、まだ三月分、ようやくこの1,500人が新手帳を持つに至っていますけれども、そういうご要望も並行していただいていますし、それをまたどういうタイミングで、どのように我々がこの新手帳をブラッシュアップしていくという意味で、あるいは、平たい言い方ですけれども、もっと魅力ある医療手帳にしていくかという問題も、今勉強中でございます。

○亀山委員 それから、訴訟の方の関係ですが、訴訟の方の国側の現在の主張というのは、そもそも国に損害賠償責任はないという争い方をされているか、あるいは水俣病の認定方法が違う。つまり、前の大阪高裁の判決、これと公健法のあれとは食い違っているわけですね。それで、この公健法上の認定の方が水俣病ということの認定のためには正しいんだと、こういう争い方をされるのか。あるいは、個々の患者、訴訟の原告について、そういう症状がない、あるいはそういう症状を起こすはずの状況がないというふうな個々的な争い方をされていくのか。それは一体どういうことなんでしょうか。

○柴垣企画課長 一つは、責任の部分は、つまり34年12月末の不作為ということは確定しておりますので、そこはもう争いようがないと思っておりますが、きょう最高裁の調査官の解説もつけておりますけれども、どういう人が水俣病かどうか、もしくは有機水銀による被害についての賠償をどのような範囲において受けるべきかどうかという点について、最高裁は高裁の事実認定のもとに、その限りにおいて是認するということで、かの国賠訴訟がすべて大阪高裁の判断に倣う必要があるとはしていないということで理解しております。また、ここの部分はまさに事実認定の問題として、原告一人一人がいつから、どういう症状で、またどのように水銀に曝露してきたかということが問題となるわけでございますので、そういう意味で、最初に裁判官の方も原告一人一人の症状なり、それから喫食歴といいますか、暴露の状況なりという資料を今求めておるということでありますので、そこについてどう考えるべきかということで、必要があれば争っていきたいということでございます。最高裁においても、公健法の認定基準と、それから賠償訴訟での判断というのは別個のものであるべきであってということを言われておりますので、あえてそこで認定基準の是非をこちらから争うということは今のところ考えておりません。

○有馬座長 この辺は、やはり非常に重要なポイントでして、今後の対策の中で、やはりここのところをもう一度振り返って議論をしなければならないところだと私は考えております。
 じゃ、加藤さん、短く。

○加藤委員 認定と補償を結びつけてしまうところで今の現状の問題を打開しようとするとすごく無理があって、やはり水俣病の病状は何なのかということを、まずはきちんと整理をする。そのことのテーブルをつくるべきだという提言は、この懇談会でできると思うんですね。結局、このままでいけば裁判は繰り返されていくわけですよね。納得できない方は、やはり棄却をされてもまた新たな申請をされますよね。本当にこれは、今この懇談会が水俣病の現状に対して本当に教訓を生かすということは、被害者がそういう状況にあるというところに立って、一番基本であるところの水俣病は何なのかということを、きちんとこの間の新たな医学の知見に基づいて新たな見解を出す、そういうテーブルをつくらなければ、まさに今のところに教訓が生かされなければ、水俣病の教訓というのは何もなかったことになってしまうというふうに思います。だから、そういう意味で、この懇談会でできることは私はあると思います。
 ただ、認定と補償をすぐ結びつけてしまうところから議論をすると、これは議論は始まらないと思うんですね。たくさんの方たちが今、こういう形で申請をされているときに、決してこれは補償協定をそのまま皆さんイメージされているのではなくて、やはり自分の病気は何なのか。水俣病であるという、このことがずっと、95年の政治解決からもそうだと思いますけれども、そこが一番皆さんが求めていることだというふうに私は思いますので、ともかく単純なところから、この懇談会をもう一度考えてほしいと思っています。

○有馬座長 ありがとうございました。

○柳田委員 ちょっと1点よろしいですか。何かこの懇談会は、最も基本的な問題をきちんと整理する役目を持っているのではないか。個別の認定制度のここがどう、あそこがどうとか、どういうふうに仕分けするとかという、そのこと以前の問題として根本にあるのは何か。
 一つは、認定制度というようなものが持つジレンマがあるわけでして、認定制度をつくると、当然水俣病であるかどうかの認定の医学的基準というのを決めるわけですが、そうすると、役所にしても、あるいは認定のメンバーになった医学者にしても、その条件と照らし合わせて合うとか合わないとか、1つ足りないからだめだとか、こういう話になるわけですね。そうすると、必ず全体的に未解明である部分がたくさんある水俣病なり有機水銀中毒症状なり、そういうものについて、あたかももう確定し、わかったかのような形で条件が設定されていくというような、制度化というのはそういう面もあるわけですね。
 被害者の救済というのは基本的に何かというと、私は、ちょっと分野が違うんですが、キャッシュカードの犯罪被害者の救済制度を去年立法化しましたけれども、その経験の中で感じたことは、もう既に20年も前から、こうしたコンピューターなりATMシステムの中で起こる一般的な犯罪と、それに対する被害のあり方を見ると、もう従来の判こと通帳の次元ではなくて、お年寄りまで含めて極めてアベレージな人がはまってしまうような被害というのが起こった場合に、従来の銀行法なり、あるいは行政の対応というのは、これが犯罪、つまりみずから詐欺をしようとして申告しているのではないということを被害者自身に立証させたわけですね。それが従来の法律の建前であって、言うならば、それと非常に類似した問題がここにあるんではないかと思うんです。今度は、新しいキャッシュカード犯罪の被害者については、常識的に見て申告したものがうそはないだろうと思って、まずは被害を救済してあげるということで被害額を全部補てんする。それで銀行に負わせるということで、これは180度変わったわけですね。もし被害申請が虚偽であって詐欺であった場合には、事後的に銀行側が証明して、そして賠償請求をするという、こういうふうな逆立ちになったわけです。この認定制度なんかも、厳密な状況を並べて、そしてどんどん疑わしきは排除するんではなくて、ある程度、見たところ、この患者は水俣病としていいんじゃないかということを全部包括しておいて、そして疑わしきについて、もし厳密な認定作業が必要ならば、それは事後的にやっていくという逆立ちをしなければいけないのではないかと思うんですね。
 今までは行政なり専門家というのは、すぐ科学的厳密性とか医学的厳密性とか、そういうことで排除する方向で来てしまう。それから、行政というのは、何かきちんと根拠がないものにはお金は使えない、税金は使えないということが先に立って、被害者の立場に立つ視点というのが欠けてしまうわけですよね。そこのところの発想を逆転すると、こんな複雑怪奇な表じゃないものができるんではないかというふうに思うんです。どうしたって、このフローチャートを見ていると、摩訶不思議な、実に行政の技術を駆使したシステムだなと思うんですね。そのあたりの根本的なあり方ですね。あるいは、認定制度が仮にあるにしても、認定制度というのは、認定条件は一つのモデルであって、その条件が欠けていても、これは未知の水俣病という病状からいうと認定すべき対象ではないかというような、そういう見方をきちんと成文化して認定制度の中に記述しておかないと、現場というのは対応できない。そこに我々懇談会がやるべき提言の一番基本的な問題があるんではないかというふうに思うわけです。
 以上です。

○有馬座長 じゃ、手短に。

○柴垣企画課長 おっしゃることはそのとおりで、そういう意味で、被害という概念は、そういった金銭補償ですとか医療ですとかというところにとどまらずに、より広げて、またそれに応じた救済のことを広げるということは、きょうの議論をしていただいております被害救済と地域再生、地域的な取り組みと被害救済という点でどうしていくかということもあろうかと思っています。
 1点、この認定について言えば、そこの概念図にありますように、補償協定と完全にくっついておりまして、そこは行政がどうこうできる話ではなくて、補償協定の規定に基づき行政の認定者が協定の補償を選べるということでくっついておりますので、そういう意味で、現実としてはなかなかこれをどうこうするということが極めて難しい状況になっている。だからこそ、その外側に政治の救済、政治解決なりがあり、また、その外側で被害にどう向き合うかということが──外側といいますか、それを含めてどうするかということがあろうかというふうに考えております。

○有馬座長 もう一つ午前中に終わらせていただきたいと思っていたことは、次の問題でありまして、「救済の重層構造の問題」というややこしい問題でありますけれども、予定の12時25分ぐらいが来ておりますので、とりあえずここでこの問題は積み残しで、後でやらせていただくことにいたしましょう。ここで昼食休憩といたします。その間にまた雑談的にご議論を少し賜ってよいかと思います。そして、13時より再開をさせていただきたいと思います。
 私は実は3時にご無礼をするというのは、もう一つ並行して会議が行われておりまして、私がパネルのディスカッションでシーボルトについて話さなければいけないものですから、3時にはここを出なければいけませんので、3時には終わらせていただきたいと、よろしくお願いいたします。
 では、昼食にさせていただきましょう。

午後 0時27分 休憩

午後 1時02分 再開

○有馬座長 それでは、1時3分ですが、始めさせていただきたいと思います。
 午前中に熱心なご議論をいただきまして、少し積み残したものがありますので、それをまず少し手短にやらせていただくことにいたします。それは3ページ目に対応いたしますが、「救済の重層構造の問題」であります。
 これにつきましては、金平委員、丸山委員、柳田委員、吉井委員からご報告をちょっと簡単にいただきたいと思います。文章はここに書いてありますので、それを中心に、まず金平委員、お願いいたします。

○柳田委員 その前に一言だけ、議事進行ということなんですけれども、恐らく次回で実質的討議というのはもうほとんど限られてしまうんですが、最後に提言書をまとめるときに、役所の方で全文を書いて、これでいいか、我々が議論して、ここがああだこうだと添削するのか、起草委員を決めて作文するのか、どっちですか。

○有馬座長 今のところは決めていない。

○柳田委員 そうですか。何か今議論していますと、いろいろと複雑で行政が頑張っていますみたいなトーンが非常に強いわけなので、その最後の提言書をどういう文体で書くか。

○有馬座長 それも最初に、私もこの問題は提起したはずでありまして……。

○柳田委員○ぜひそのことをあれして……。
 それで、この3ページの問題になりますけれども、私としては、非常に複雑なので、本当に技術的なものを含めて提言をしようとすると、とても今回の議論だけでは無理なので、大枠として何をすべきかということをきちんとすべきなんですが、大枠としては、私は大胆に、ここでフローチャートに書かれた公健法認定制度と保健手帳の問題の、この大きなフローチャートを壊すぐらいのことをやらないと、今回は我々が懇談会を開いた意味がないんではないか、50年という節目として、完全に脱皮して新しいシステムをつくるというところへ行かないんではないかというふうに思うわけです。その基本にあるのは、病状なり、あるいは認定基準なり、そういうものと補償というのを絶えず密着した形で決めている制度自体を組み直さなければいけないということでございます。補償と結んでいると、認定に当たるような医学者なり医師なり臨床医なり、そういう方々というのは、本当に厳密にこの診断基準に頼らざるを得なくなってくるみたいな、ある意味でくそまじめにやるわけですね。だけれども、そこのところを本当に疑わしきは補償するというような方向に切りかえるために、あるいは先ほど私が言いましたように、虚偽の申請をした人も含めて、とりあえずは補償して、そして疑わしきについては後でやっていくというような、そういう制度をつくるには、今のこのフローチャートでは不可能だと思います。そのことをちょっと提言いたします。技術的なことは後でまた別途、懇談会を続けるなり、別途委員会をつくるなりすべきではないかと、以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは、丸山委員。

○丸山委員 これは私はもう最初のところから言ってきていることなんですけれども、現在の公健法による補償、救済といいますか、これはもう破綻しているということの現実を、やはり直視するところから出発しなければいかんのじゃなかろうかと思っているんです。もう既にこれまでも吉井委員や加藤委員や柳田委員がおっしゃったように、やはりいろいろな過去の経緯があって、非常に混乱し複雑になってしまっている。きょう事務局でつくっていただいた資料を見てもそうですよね。ですから、この隘路から抜け出すためには、やはり私は新たな制度をつくらないとできないんではないか。その際に、やはり水俣病の医学と補償という2つの部分をリンクする部会的なもので、全体として1つでいいわけですが、医学に補償というところまで任せると非常に無理があるといいますか、結局、水俣病認定医学の枠内にずっと取り込まれてきていると思うんですよ。ですから、世界の有機水銀中毒症の研究と全然連動していない。素人目にも連動していないという不幸な水俣病医学の世界があると思いますので、だから、水俣病医学は医学として、これからもさらに研究を進化させていけるような条件づくりをして、そして一方で補償というのを別個、もう医学に任せるんじゃないやり方で対処するという、そのための仕組みが必要だということを、この懇談会で提言できたらいいかなと思っております。

○有馬座長 今の丸山さんのことについて質問したいんだけれども、新しいやり方というのはどういうことですか。

○丸山委員 ですから、医学的には水銀の影響が身体にあるかどうかという、純粋にそこを判断してもらえばいいので、医学にはメチル水銀の汚染による影響があるかどうかと、それだけで、この人が1,600万円の補償対象者であるとか、そういうところまで医学者に判断してもらわなくてもいいと。

○有馬座長 水銀汚染によるものであるかどうかの判断はしますね。

○丸山委員 それはやはり医学専門家にやってもらわなければいけないですし、それによるところの、いわば裁判でいうと損害論のことですが、どれだけの被害があったのかということについては、別途どのぐらいの償いが妥当であるかというのを吟味する部門を設けて、どういう顔ぶれでやるかという、そこらあたりはまだ次の段階で検討したらよかろうと思いますが、いずれにしろ、そうしたやり方で対処しない限りは、今の公健法による認定制度で何とかといっても、もうこれは先が見えてこないと思っております。

○有馬座長 それでは、あと吉井委員、手短にお願いします。もういいですか。
 それでは金平委員、お願いします。

○金平委員 ここに書いたとおりでございます。人間社会、解決困難な問題というのは幾つも起こってくると思います。私は、政治解決というふうなことが時に必要であるということは十分わかります。しかし、政治解決が何を解決したかというと、当面の課題、またはとりあえずの課題の解決にすぎないのではないかと思っています。したがって、何が解決され、何を残したかというふうなことこそ、私はきちんと解明されるべきだと思います。そういう中でも、水俣病に限ったときは1995年の政治解決で、吉井さんが市長をなさって新しい地域づくりをなさった。ああいうふうな解決されない部分、積み残した部分を新たな市民と行政の協働というふうな形で新しい社会づくりに持っていかれたということは、そこは本当に多とするところです。しかし市長さんが代わられてしまうと、あえなくだめになってしまうというのでは地域に根ざしたものになっていないと思います。やはり私は、政治解決には積み残しをきちんと解明して、私は情報公開の話ばかりしていますけれども、きちんと厳格にすべきだと思います。

○吉井委員 先ほど第三者機関へ諮問が必要だと申し上げましたが、その中で、認定制度だけではなくして制度そのものを何か新しい方法はないか考えるべきだと、こう申し上げました。まさに柳田委員さんがおっしゃいました認定制度、それの大枠を壊すぐらいの発想が必要ではないかと、そういうことであります。

○柴垣企画課長 先ほど来、概念図の表をお示しさせていただいておりますけれども、確かに認定制度だけで解決するものではない。認定制度には限界がある。ですから、その外側に医学を離れてといいますか、一定の症状がある方に、もう割り切って医療事業をやったり、それから、それが前提として政治解決の和解が行われたりということだろうと思います。そういう意味で、認定制度自体が行政がコントロール不能な補償協定と結びついておるという現実がありますので、もう認定制度をやめてしまうというようなご意見はあり得るとは思います。

○嘉田委員 嘉田でございます。
 先回欠席をしてしまったので、意見を出すということを知らずにきょう来たものですから文書で出していないのですが、ここの部分でもやはり50年という、この懇談会では何をできるのか、あるいは何をやらないのかということを考えますと、柳田委員なり、あるいは丸山委員、吉井委員が言っておられるような形で、いわば個別の制度ではなくて、この段階できちんと発想を変えるということが一番社会的に求められているのではないかと思っております。50年というのは、かつて人一代30年と言っていたのですけれども、もう1世代超えているわけですね。ですから、やはり患者さんなり地域社会が納得できる方向ということで、柳田委員が言われるような、いわば発想の転換というのがここで出せたらと……。
 そのときに、最終的な懇談会の文章とか、後で議論になるかもしれないんですが、やはり行政は行政言語というのを持っていますよね。それはそれで大事なんです。ところが、懇談会の意見書というのは、もう少し社会に対してわかりやすい言語が必要ではないかということで、できたら柳田委員のような筆の力のある方がまとめていただけたら、起草委員みたいなものが可能かどうかということも含めて社会的に発想を転換するというのが、この救済制度というところでも大事だと思います。

○鳥井委員 柳田さんのおっしゃった、発想を転換するという物の考え方に対しては賛成でありますが、疑わしきはすべて補償しようよというときに、その「疑わしきは」をどう定義するかというところで、下手をするともとへ戻るわけですよね。その辺、どんなことをお考えでしょうか。申請者は全部疑わしいと考えるのか、ある地域に居住していた人は全部疑わしいと考えるのか、やはり何らかの水銀の影響があると判定された人を疑わしいと考えるのか、その3つぐらいの選択肢があるかと思うんですが、どんなことをお考えでしょうか。

○柳田委員 最初に申請した人が、水俣病なり、あるいは水銀中毒なりという、そういう判断をする組織は、それは個別の開業医ではなくて、あるいは病院ではなくて、当然必要であるわけですよね。そこの判断の仕方の問題だと思います。つまり、最初に言いましたけれども、認定条件というのがありますね。それは非常に厳密に考えるわけですよね。50%とかなんとか言いましたけれども、そんなことではなくて、もっと現実は厳しいものだと思います。だからこそ現地では非常にストレスがたまっているわけですが、そういうときに50%じゃなくて、もうほとんど98%でいいんじゃないかと思うんですね。だけれども、それは当然医師が判断すれば、すれすれだなと思っても入れるとか、これは全然違うよというのは、それは当然ドクターであれば判断できるわけですから、そのあたりの問題というのは余り厳密に定義じゃ──もちろん認定基準というのは、これだけの症状がそろいますとか、一つモデルとしてあっていいと思うんですね。だけれども、私は、この認定基準についておかしいと思うのは、例えば薬なり治験薬なりを投与したときに副作用が出ます。しかし、副作用の出方はみんな個別的に、患者の身体状況や年齢や、あるいは持っている慢性疾患などによって全部違うということを言っておいて、この水俣病に限ると、この病気は水銀の影響が出るとこうなんだというふうに限定しちゃうんですね。だれでもそんなになるわけがない。人によると、そのうち3つしか出ないかもしれない。人によると10出るかもしれない。そのあたりの幅がない決め方を認定基準としているというのは、通常の医学の副作用の見方とか、あるいは病状、病態の出方とかと全く違う、非常に特異な思想を持ち込んでいるなと思うんですね。

○鳥井委員 そうしますと、やはりお医者さんが「この人は疑わしいね」と判断するというような、大まかに言うとそんな感じ。

○柳田委員 そういうことです。

○鳥井委員 わかりました。

○加藤委員 ということは、水俣病とは何なのかということを新たに今定義することからしか始まらないんですよね。今までのようにハンターラッセル症候群の3つがそろわないと水俣病と認めないという、風邪で言えば、風邪は熱が出て鼻水があってせきが出ないと風邪とは言えなくて、どこか1つでやはり風邪とも言うわけで、その単純なところに一回水俣病の医学を戻していくということをまず前提にしないと、その前提の中の条件としては、今までの認定制度、それから補償体系含めて、一回とにかく壊してみるということかというふうに私も思います。

○有馬座長 今でも、水俣病とは何かというのがちゃんと定義されているわけではないとお考えですか。

○加藤委員 ちゃんと定義されている、それが認定基準ということですよね。だから、その認定基準が、現実の患者さんのいろいろな訴えからいくと甚だしくかけ離れてきた20年というふうに思います。

○有馬座長 ですから、今言っておられることは、認定基準に出る項目をもう一回洗い直しなさいということですか。

○加藤委員 そうですね。だから、根本に返ったら、水俣病はこういうものですよというところが、今まで甚だしくたくさんの条件がそろわないと水俣病というふうに言わなかったこと自体が、非常に実際の被害者の人たちの感覚からも大幅にずれているのと、前回、屋山委員が言った、素人が考えても余りにも常識からかけ離れているところに医学があるところも問題だというふうに思います。

○有馬座長 ですから、今の条件というのをもう一回洗い直しなさいということを言っておられるんですね。

○加藤委員 はい。

○有馬座長 それでは、この件に関してはひとまず終わらせていただきまして、その次の問題に入らせていただくことにいたしましょう。
 次は、「被害の捉え方とそれに応じた救済の考え方」ということでありまして、ページといたしましては4ページでしょうか。それについてご議論賜りたいと思います。これについては、ご意見を金平委員、丸山委員からいただいていますので、簡単にご説明ください。

○金平委員 少しそこに長く書きましたので、そこのとおりでございます。水俣病といったときに、先ほどから認定の基準の問題が出ております。認定基準の見直しの必要もあるということですが、それはともかく、私は、お話を伺っていて、水俣には認定を受けた人以外にも、やはり認定申請を受けたいが渋った人もいらっしゃるんじゃないか。それをストレートに社会の中に言えなかった人たちというふうなものもある。これが今になって、50年たってみていろいろな症状が出る。それからまた、およそ発症には至らないけれども、水俣に住んでいるということ自体で起こってきたいろいろな差別というふうなものに、社会というか市民そのものが被害者であったのではないかというふうに思いますので、私は、被害者の立場に立った地域興し──これは私は、吉井市長のおっしゃるもやい社会づくりに尽きるんじゃないかと思っております。水俣市民は吉井市政時代に、既にこういうことについて学習済みだと私は思っているんですけれども、もっとこれを進めるべきではないかと思っています。

○有馬座長 ありがとうございました。
 質問があるんですが、「認定イコール金銭補償」の考えに引きずられ過ぎたと書いていらっしゃいますね。ということは、今後認定をしたけれども補償とは無関係ということもあり得るわけですか。

○金平委員 そうでございます。私はやはり、余りに水俣病というと金銭補償に引きずられてきているというふうに思うんですね。それで水俣病そのものというふうなものにきっちり向き合う勇気を失った人たちも出てきたんじゃないかというふうに思わざるを得ないので、私は、やはり認定というものは、一番最初に申しましたように実態の把握ということが必要でございますが、それはそれ。しかしその中で一つの政策として金銭補償というふうなものはどういうものにあるべきか、これはまた別の議論であっていいかと思われます。

○丸山委員 最初の話で、初期の実態解明の問題と連動することですけれども、やはりこの水俣病被害の場合というのは、非常に断片的にしか事実の把握というのは行われていないなと、私はずっとこれまでフォローしてきてそういう印象を持っているんです。ですから、被害の全容、これはなかなか難しいことですけれども、わからない部分というのがまだ多くあって、例えば不知火海、八代海の生態系にどのような影響があったのかということ自体も、これは本当に部分的に、それも研究者の自発的努力によって明らかになっているだけで、行政としてというような視点からのそういった把握というのは行われていないなと思うんですが、そういう生態系レベルの問題。それから、人間の身体における被害の、それこそこれはいわゆる病状の問題になるわけですけれども、それが本当にメチル水銀によって身体がどのような影響を受けるのかという病状のところの問題と、今改めて先ほどからお話しになっていますけれども、やはり実態解明の努力をすべきじゃないか。
 それから、身体がそういう条件に置かれた中で生きている人間の暮らしですね。暮らしというのは、一人の生活世界もあるわけですが、家族とか地域社会、そこにどのような影響があったのか。ここらあたりになると非常に不十分といいますか、ちょっとケースでいろいろ指摘があるぐらいで、不知火海沿岸の地域社会、地域の人たちの暮らしがどのような影響をそれによってこうむったのかというのは、まだなかなか解明されていない。結局そういったような実態が把握されていないから、どういう救済なり対処が必要かというのもわからないということが今でも続いているんではなかろうかと思うんですね。
 ですから、そういう意味では、今、企業からの排水はストップしているわけですけれども、現時点でわかる限りでの、取り組める限りでの全容解明というのを行政の責任でやっていくべきではないかと考えております。

○吉井委員 患者救済といえば金銭的補償と、そういうことに結びついてきたわけですけれども、決してそうばかりではないわけですね。患者の精神的安定というところが最も重要です。それは、水俣は不幸にして内面社会が大変な混乱をいたしました。水俣病でないかと思った人が申請をする、また認定をされる。そうすると、閉鎖社会ですから、隣の人が1,000万、2,000万お金をもらう。そうすると、羨望、ねたみが生まれます。そしてにせ患者だ、金の亡者だという中傷誹謗が殺到いたします。そうしますと、いかにお金で補償をもらっても、決してその人は救われないわけです。むしろ針のむしろに座らされるのと全く一緒ですよね。それは救済ではない。患者のいわゆる苦しい状態を理解をし、助け合い、励まし、そして手助けをしていこう、そういう温かい隣近所、そして周囲の社会が生まれて初めて救われるわけです。それがなかなかそうではなかった。30数年間あった。しかし、そのことを余り取り上げてこなかったというのが問題。それを市民が気づいて「もやい直し」という運動を起こした。そういう市民の生活する社会が乱れてしまっている中では、決して水俣病は解決しないし救済もされないわけですね。そういう運動を起こして、ようやくそういう方向に向かってきました。これからも、もう少しそれを促進していくということがすごく必要です。
 不幸なことに、また市民の「もやい直し」、そういう再建もしようという状態を崩してしまうような事件が今起きております。これはまた最後でお話をしたいと思いますが、やはり救済というのは、そこまでみんな踏み込んでやっていただきたいなということです。今、申請者が50年たってたくさん出ておりますけれども、それは申請をしたくてもちゅうちょをする、断念をする、そういう状況にあったわけですね。今、精神的な圧迫といいますか、その迫害、それが薄れてきたということで申請を踏み切ったという人たちもおるわけですね。現在までずっとその悪影響が続いてきているというのは事実であります。

○柳田委員 発言してよろしいでしょうか。ここで偏見の問題が出てきましたので、そのことについてです。
 人間社会、水俣病に限らず、いろいろと障害を持っている方とか、あるいは特定の疾患の場合とかもすごい偏見があるわけです。私、たまたま今、脳死移植の問題で厚労省で懇談会のメンバーをやっているんですが、表へ出ていませんけれども、ドナーに対する周辺の偏見というのはすさまじいものがあって、「お金をもらったんだろう」とか「何千万もらったんだ」とか、そのドナーの家族が自殺未遂までした例も出ています。
 こういう問題というのは大変深刻であるし、水俣の場合なんかも、人数のことを考えると、そういう偏見、差別に遭われた人たちと家族というのは大変なものだと思うんです。これを今、吉井さんがおっしゃったように、どういう形で懇談会が前向きにこの問題に取り組めるかというのは非常に難しいと思うんです。でも、それは本当に人間の生き方そのものなり、人生観なり価値観なり、すべて包含するような問題なんですけれども、しかし、ほうっておけない。救済というテーマをここでもらって議論するからには、今、吉井さんがおっしゃったような精神的側面を持った社会というのがどうやったらできるのか。地元で「もやい直し」ということで、いろいろ具体的なことを展開していますし、さまざまな産業再生なんかもやっていますけれども、この委員会でプラスアルファ何ができるか。何かそのことを少し議論しようと思ったら、私、別項目のところで書いたんですけれども、この問題だけでも別途専門委員会なり何かをつくる必要があるんじゃないかと思うんです。そこで有効な提言ができれば、例えばこういう問題が起こったときに行政がどうあるべきか、あるいはメディアはどうあるべきか、あるいは専門家はどうあるべきか、そういうものについての一つの方向性みたいなものを出せれば、大変意義深いんではないかなと思います。単に水俣プロパーの問題ではなくて、日本の社会そのものの変革にもつながるんではないかというような気もするわけです。

○柴垣企画課長 今の柳田先生のお話は、7ページ、最後のページに入れさせていただいております。

○有馬座長 ずっとご苦労になった吉井さんにお聞きしたいんですけれども、50年間で随分差別の問題とかは変わっていったと思うんですよね。私は、この前に2日ほど訪問させていただいたときの感じで、前に比べたらはるかによくなってきているという感じはするんですが、まだ不十分ですか。

○吉井委員 そうですね。偏見その他の問題は100%よくなるということはあり得ないと思うわけですね。市民の大部分がそういう形になることが望ましいことですね。ほとんどその点については進んでいないかと思うんです。
 これは、時期は平成に入ってからそういう形になってきた。それは、それまで市民も30数年間、補償されない被害をすごく受けたわけですから、そういうことでうらみ、あるいはそういうのをチッソにでなくして患者にぶつけた。「おまえたちがそうだからおれたちも苦しむんだ。観光客も減ってしまったんだし就職もなくなったんだ」、そういうぶつけ方であったわけですね。ところが、それがだんだんわかってきたわけですね。わかってきて、そして市民自体が差別された。よそに出ていくと水俣者だと差別をされる。「水俣病がうつるから近寄るな」とか、そういう市民全体が被差別の地域になってしまった。そのことで目覚めたわけですね。やはりそういう偏見、差別、あるいは中傷誹謗の渦巻く社会はすごく住みにくいと、みずからがそういう体験もしたというのが一つ大きな要因だと思います。そして、私は水俣病犠牲者慰霊式で謝罪をしました。そのことで市民も、やはり自分たちのやってきたことは患者を苦しめたんだなという、内心でそういう思いが起きたということがあると思います。そういうことで、だんだんよくなった。
 よくなりましたけれども、まだ完全ではない。後で出てきますけれども、例えば福祉の問題でも、まだ少しそういうのが残っております。そういういろいろな部分で「もやい直し」、それから行政と患者の間の「もやい直し」とか、そういうこれからやらなければならない問題はたくさん残っておると。

○有馬座長 小学校、中学校、高等学校でも、ちゃんとこの問題については教育していますよね。若者に対しても、その若者も30年もたてば大人ですけれども、そういう意味では教育の効果はかなりあると私は見ているんですが、違いますか。

○吉井委員 それは、今、熊本県の小学校全校、水俣で環境教育、公害教育をいたします。この関東からもたくさんの中学校、高校においでをいただきます。その中で、資料館とかホットハウスとかを視察をされた人たちの感想文が寄せられます。その感想文を見ますと、そのことにすごく触れておるんですよ。そして、それが人ごとではなくして自分のこととして引き取っていい感想文を書いている。私はすごくそういう面で効果が上がっているというふうに思います。

○加藤委員 一つは、水俣病を伝えるということについてどうであったかということについて言えば、吉井委員の報告していただいたことに、もう少し補足したいというふうに思います。
 正直言って、積極的に水俣病を特に現地の学校の中で伝えていくということは、まさに吉井市政が誕生して、ようやくそれからだというふうに思います。それまでは、水俣病を学校の中で扱うことに対して、まず地元の保護者からそういう教師に対する迫害があったりとか、さまざまな苦労を教育現場で教師たちがしていたというふうに聞いております。公害サークルという、30年間水俣病を教育現場で伝えていこうという先生たちの集まりがあるんですが、今でこそその先生たちが中心になって伝えるという活動ができていますけれども、まだまだです。例えば、水俣病の資料館を小学校の先生が水俣病を伝えるために見学に行きたいから公務にしてほしいというふうに教育委員会に申請をしても、それが認められなかったことが数年前にあったりしています。

○有馬座長 私が先ほど最近と言ったのは、平成に入ってから随分変わってきているんじゃないかということをお聞きしました。

○加藤委員 そうですね。ただし、私たちも随分、もう8年間、水俣病を伝えるということで、小中学校、高校、ずっと行き続けていますけれども、その活動に対する十分な手当というものがなくて、個々の教師の努力と、それからそれぞれのボランティア精神でやっていて、これがいつまで続くかということでは、この50年を機に、その辺のところについては見直しをしてほしいということで、今これは行政にも伝えているところです。

○吉井委員 補足です。「もやい直し」が平成になって進んだ例を1つ抜かしておりまして、それは、政治解決が大変大きく貢献もしております。政治解決というのは相当いろいろと批判もされておりますけれども、政治解決以後に患者と、それから市民の「もやい直し」というのは格段に進展をいたした。これは大きな効用だと思っております。

○屋山委員 この被害のとらえ方と救済の考え方ということですが、私は、補償されていない人で、水俣病の症状が10あるなら10のうち1つでも該当すれば、それを持っていれば──今の段階でですよ──そうしたら当然認めるということ。この問題は、これは国家賠償だと思うんですね。チッソに幾ら出せと言っても、チッソが裁判でも起こしたら、結局いつ払うかわからないわけですよ。
 それから、近代国家というのは、瑕疵のない市民が被害を受けたときに、それを賠償する。例えば拉致問題でもそうですけれども、天下の公道を歩いてさらわれた。これはどう見たって国家補償ですよね。それと同じ観念を持ち込む。水俣の人たちはだれから賠償を貰うか目に見えるから、チッソから持っていけば会社が困るじゃないかとか、いろいろ懸念があると思うんですよね。水俣で偏見が醸成されたというのは、補償をだれが払うかとか、そういう問題が根底にあったと思うんですね。ですから、私は、こういう被害の場合は国家賠償。企業が悪ければ、国家が後から企業から取ると、そういう形にしないと、さっき吉井さんがおっしゃったようにけりがつくまで──それは皆さんが亡くなって、それでけりじゃなくて消滅しちゃうわけですよね。だから、そういう解決のやり方が通用しないんだという原則を立てないといけないと、こう思います。

○青木特殊疾病対策室長 よろしいでしょうか。被害の症状と、あと救済の程度との関係で1点だけ、これは事実関係だけお答えいたしますと、先ほどの各制度の表の中でございますけれども、法制度救済というのがございます。先ほどからハンターラッセルの4つの症状というお話が出ておりますけれども、今の公健法の認定制度の中で対象としておりますのは、4つの中の主要な症状2つの組み合わせで救済の対象としている。その2つの組み合わせがすべてということではございませんけれども、そして、今、1つの症状というお話がございました。この中で政治救済、そして行政救済がございますけれども、この政治救済については、その中でも四肢末梢の感覚障害という1つの症状を有する方を対象としているということでございます。その下の行政救済の中に、保健手帳をこの先に書きましたけれども、これについても1つの症状ということで対象としております。そして、公健法の対象者については、実質申請者が1万人でございましたけれども、この対象は3,000人ということで、認定率としましては3割で、この政治救済、行政救済の1つの症状の対象者については、申請者のうち、この両方で大体9割方は既に救済されているという状況でございまして、もう一つのフローチャートの表もございましたけれども、最近も1万8,000人の方が申請のうち、その1つの症状で1万5,000人の方は既に救済をされているという状況でございます。
 以上でございます。

○有馬座長 青木さん、そうすると、今の問題になっている3,300人は、その人たちが症状を1つでも持っていれば救済されるわけ。

○青木特殊疾病対策室長 そのうち、既に200人の方は保健手帳の方に申請されていますが、ちょっと数字はわかりませんが、9割以上の方は既に救済の対象になっている。

○有馬座長 200何人はね。だけれども、まだまだ3,200ぐらい残っているでしょう。それはどう。

○青木特殊疾病対策室長 恐らく、この3,000人の方について、10月13日に保健手帳を再開いたしましたけれども、その時点で3,000人の方が公健法の認定申請をされている。それ以降申請をされた方が4カ月で1,600人ぐらいおられまして、そのうち公健法から移ってきた方もプラス200人で1,800人おられます。その方が大体9割方、既に救済の対象になっておりますので、恐らく三千数百人の方についても、これももちろん症状はわかりませんけれども、保健手帳の対象者という意味ではおおむね近い数字になり得るんではないかなというふうに考えております。

○有馬座長 そうすると、我々が具体的に提案をしなくても、その人たちは条件のうちの1つが満たされれば補償の対象になるということですか。

○青木特殊疾病対策室長 そういうことでございます。ただ、あくまで保健手帳でございますので、給付は医療費の救済ということでございますけれども、救済の対象としては9割の方がなっているということでございます。

○亀山委員 ちょっと確認ですけれども、さっきお尋ねしたことなんですが、この3,000何人の人が、今おっしゃった保健手帳の救済を受けようとするためには、認定申請の方はあきらめなければいかんと、こういうことですね。

○青木特殊疾病対策室長 両方選択でございますので、保健手帳を選ばれる方は公健法の認定申請は取り下げをしていただくということでございます。

○嘉田委員 嘉田でございます。
 先ほどの救済の話に戻るのですが、これは4ページのところで大変大事なのは、制度的な救済と文化的な救済。この文化的な救済というところが今までほとんど議論されていなかったので、今回、大事な概念として出てきたと思うのですね。患者さんというのは、まさに社会的・文化的存在ですから、吉井市長さんなりが言ってこられた「もやい直し」というような、ここのところはまさに文化的救済ですね。
 私は、水俣のことから大変学ばせていただくことが多いんですけれども、その学びの一つは、やはり近代化の中で、いわばないものねだりをしてきた。日本人は、近代工業が欲しい、工場が欲しい、働く場が欲しい、お金が欲しい、豊かなものが欲しいとないものねだりをしてきたところで、水俣では、工業開発を優先してきたわけですけれども、そこで大変な、いわば健康だけでなく、人間性への被害を受けてしまった。その逆境をばねにして、どう地域をつくり出すかということは、患者さんだけではなくて地域の再生にかかわってくるわけですね。私どもは水俣から始まった地元学というので大変学んでおります。これは日本の地域社会の内発的発展のモデルと言えるようなものでして、「ないものねだりではなくて、あるものを探そう「。森があるじゃないか、海があるじゃないか、田んぼがあるじゃないか、人と人とのつながりがあるじゃないかという、これは患者さん自身の生きる場と地域社会をつくり出していくという意味で、大変精神的な誇りを取り戻すこととあわせて、文化的救済になるのではないかと思います。少し広義の解釈になるかもしれませんが、ぜひそのことをここで強調させていただきたいと思うわけです。
 そのこと一点に集中していくと、水俣という名前は恥ではない。水俣に生きるというのは誇りではないか、と地元の方たちが思ってくれるような水俣をつくることが、文化的救済のひとつの意味でもあります。つまり「水俣に生きる」ことを誇りにおもえるような精神の再生です。最初にも申し上げましたけれども、半年ほど前に、いわば環境モデル都市としての水俣というようなところが、この文化的救済の一つの表現になるのではないかということで、少し広く考えたいと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 じゃ、手短に。

○鳥井委員 今のお話に悪乗りしてというか、新潟と水俣でどういう文化的な努力がされてきたかということをきちんと一度整理をして、それで、行政がやらない方がいいこともたくさんあるでしょうし、行政がやらなくちゃいけないこともあるでしょうし、その辺、地方行政と、それから市民、文化的救済におけるそういう人の役割みたいなものを一度整理しておくと、これはほかのところに大変役に立つような気がいたします。

○柳田委員 本日のこの資料の中で各種救済の表がありますけれども、ここには救済すべき対象がお金と体だけなんですね。つまり、医療というのは肉体的な被害に対する救済であり、補償のお金というのは、まさにお金の世界の話です。だけれども、水俣病全体における救済すべき現象というのは、家族の崩壊であったり人生の崩壊であったり、あるいは地域の崩壊であったりしたわけですから、こういう図だけで我々の報告書を書くわけにいかない。やはりこの図面の中に、そういう人生、家族、地域社会、その全体の崩壊が救済の対象になるものとして、この図式の中に加えなければいけないことだと思うんですね。
 それから、今、行政がしてはいけないこと、やらない方がいいこともあると言いましたけれども、それは不作為でいいという意味ではなくて、例えば民間のNPOとか、あるいは学問的な取り組みとか、さまざまなものをバックアップするという、そういう意味で、直接介入はしないけれども、解決に取り組む上でのそういう市民の動きなり学問の動きというものを積極的にバックアップしていくという意味ではなすべきことに入ってくるかと思うんですね。そのあたりも明確にすべきだと思います。

○有馬座長 ありがとうございました。
 私、その文化的救済とは何ぞやということは、実は本当のことを言ってわからないところがあって、確かにお金を出すことと医療をやる、これは非常にはっきりしていていい。それから、今、柳田さんがおっしゃられた人生の崩壊であるとか、家族の崩壊、地域社会の崩壊、これをどうやって償っていくか。こういう問題について、また少し掘り下げていただきたいと思っております。具体的に文化的救済とは何ぞやというあたりも、時間も非常に迫っておりますけれども、時間があればまたご議論賜りたいと思います。
 そこで、次に「被害救済と地域対策」についてご議論を賜りたいと思います。これについても柳田さんがよいご意見を出しておられましたので、柳田委員にお願いをいたします。5ページ目でありますが、別なところにも書いていらっしゃると思うんです。

○柳田委員 フリーノンブルで見ていたものですから、すみませんでした。
 具体的にどうするかというのは、これから議論で詰めなければいけないわけですけれども、今までのように医療、福祉、生活、それぞればらばらになっていたさまざまな対策というものを総合的にとらえる。それは被害者なり家族なりを一つの存在として見ると、体のある部分は医療のサービスを受け、体のある部分なり生活のある部分は福祉の援助を受け、それが行政的にはかなり縦割りでばらばらになっているし、まして生活像全体に対する社会的支援となると、これはまた違う次元になってくるわけですね。
 卑近な例で言えば、最近の高齢化社会の中で、医療と福祉というのは、もう垣根を取っ払わないとだめだということがはっきりしてきて、そういうことは厚生行政の中で積極的に取り組まれているわけですが、その端緒となった、例えば老健法をつくったころの一つのモデルになった広島県のみつぎ総合病院なんていうのは、市の福祉課を病院の中に持ってきて、病院長が判こを押せるようなシステムになる。そうすると、脳梗塞で退院して動かなくなった方が家庭に行って、寝たきりのまま支援もなくということじゃなくて、家族介護の支援を受けられるようなことを病院の医療の延長線上でちゃんと取り組まれるとか、そこに始まって、最近はかなり医療と福祉というものが相乗りしたり一体化したりしているような取り組みが、地域によっては進んでいるわけですね。そういうことを考えると、この水俣病の患者、家族の救済のあり方なり支援のあり方というものは、今までの縦割りと統合的に見るような、そういう何かを発明していかなければいけないんではないかということを提言したかったわけでございます。
 それから、もう一点は、ここでは情報を国民全体で共有できるものにしようということでございますけれども、私は、水俣に行けば、いろいろな意味で展示センターがあったり、それから水俣展という形で全国行脚している、そういう自主的な動きの影響というのが非常にプラスの方向で働いているわけですが、この機会に首都・東京に、水俣を含め環境破壊全体、さまざまな全国の公害、薬害などを含めた環境保護資料センターのようなしっかりとしたものを、これは仮称ですけれどもつくって、そして社会的な啓発、あるいは学校における教育のいわば学びの場にしていくとか、いろいろと科学技術資料館のようなものをつくるべきではないか。その中で水俣病の問題というのは中心に据えるべき課題であろうということでございます。

○有馬座長 私は、今のご提案で大変賛成でして、水俣だけじゃなくてアスベストにしてもそうですね。それから、もうちょっと卑近な例で言えば、ぜんそく。環七ぜんそくのようなものもかなり貴重な資料であります。そういうものをあわせて環境省としてお考えいただければありがたいと思います。
 鳥井さん。

○鳥井委員 お昼休みにちょっと申し上げたんですが、化学科の出身で大学院に来た学生に、水俣病の話だとか、インドの化学工場の大事故の話なんていうのを読んでもらったら、彼らはほとんど化学であったにもかかわらず、小学校のときにはちょっと習っているんですけれども、それ以外ではちゃんと習っていないんですよね。僕は愕然としたんですが、そういう意味で、水俣だけじゃなくて環境だとか、大きな環境破壊する事故みたいなものの経験を学生たちに教える大学の教育プログラムみたいなものを支援するような、ある種の競争的資金みたいなもので公募をして、10校とか20校とか、そういう拠点校づくりをやっていってもいいと思うんですよね。
 もうちょっと申し添えますならば、今の学生たちは過去の人たちの失敗から学ぶことがなくて、なぜだかわからないけれどもこういうことをやっちゃいけないとか、理由がわからないうちにルールだけを教えられている状況なんですね。それだと、やはりなぜというのがないと、これはちゃんとはできないんだと思うので、そういうことをちょっと文科省あたりとご相談になって、環境省は今度研究開発にも取り組むというのをしっかりやられるというようなことが基本計画の中でも出ているようなので、その中で教育にも少し……。

○有馬座長 ありがとうございます。大人の問題でもある。大人の技術者の間の問題。
 柳田さん、どうぞ。

○柳田委員 ちょっと補足します。今、パソコンの時代で、すべてバーチャルな情報、あるいは電子情報で、子供たちでも幾らでも検索したりして、学校の先生もそれで調べろなんて言うわけですけれども、それはみんな眉毛の上、頭の上の知識だけであって、こういう人体被害とか公害とか環境破壊とかというのは、本当に現場なり現物なり、あるいは被害に遭った人なり、生身の体験というのがもう欠かせないんですね。それがやはりおなかにずしんと来たり、本当に涙を流して感じたりというところにならないと本物にならないんですね。
 そういう意味で、幾つかの私の取り組んだ事例を言いますと、例えばJR東日本は、事故の原点として、昭和37年の三河島二重衝突事故を今の教育訓練に使って、東白河にある訓練所にその展示をきちんとしてやっています。それから、今、日本航空ががたがたしていますが、実は私が座長をやった安全提言の中に、20年前の御巣鷹山の事故の残骸をきちんと展示して、それと同時に、世界の航空界がどのような事故を経験し、それをベースにしていかに安全性を向上したのか学べるような安全啓発センターをつくれという提案をしたんですね。一私企業がそういうことをやっているところは世界的に見てもないんですが、やはりここで日本航空は変わらなければいかんというので、それを全面的に採用して、我々の提言の150%ぐらい内容の充実したものが今できつつあるんです。たった一、二カ月でスタッフが精力的に動いて、4月にはオープンになると思うんですけれども、それは社内の社員全員の必ず通過すべき教育訓練施設であると同時に、外部の教育研究のためにも役立てるということなんですね。だから、そこに行けば、飛行機が壊れると何が起こるか、その残骸を見ながら学べるから、本当にこれはズシンとくるわけですね。
 そういう意味で、この首都・東京に、本当に水俣の被害というのはどうだったかというのが、単に電子情報なんていうような眉毛の上の話ではなくて、実感を持って若い人たちに継がれていくというような、そういう意味がこのIT革命の中であるからこそますます重要になってくる。そういうふうに感じるわけです。

○有馬座長 ありがとうございました。
 では、嘉田委員。

○嘉田委員 私は、琵琶湖の出来事を子供たちにいかに伝えるかということで琵琶湖博物館というのをつくってきました。また、吉井市長さんのところなども水俣病資料館とかをつくっておりますが、皆で情報を共有するというのは大変難しくて、まさに今、柳田委員が言われたように、現物なり現場というのは大事なのですけれども、そこに連れて行って受け身だけだと、ある限界があるんですね。私自身は、ここで子供たちによる聞き書き集というのを提案したのは、つまり、受け身で情報を受け取るのではなくて、そこの現場で、それこそ水俣を回りながら、被害を受けた人、患者さんとともに生身の話を聞きながら、それを自分たちが発信をする。その発信をする回路を子供たちの精神の中につくることによって、随分と受け方が違ってくるんですね。今、近畿圏で水害史の聞き取りをやっていまして、子供たち自身が聞き書きを自分たちでつくりはじめています。そうすると、今度は親とか、あるいは大人も、子供たちがつくったものだといって、プロではない、うちの子がというようなことで耳を傾けてくれるんですね。そういう意味では、今のような展示なり、あるいはそれをどうやって次の世代に伝えるかというときに、いかに主体的に次の世代が五感を働かせて共感の表現物をつくっていくか。場合によってはそれは演劇になるかもしれませんし、そんなところを少し具体的に提案できたらと思っております。そのときに、東京にある拠点を置かざるを得ないかなと。これは東京以外に住んでいる者にとっては「何でみんな東京なの」と思うのですが、ここに一つ拠点を置いて、それで全国のさまざまな近代化の中での公害の問題の情報交換をしながら現場とつながっていくというようなセンターについては賛成でございます。

○有馬座長 ありがとうございます。
 加藤さん、手短に。

○加藤委員 実は教育の中でということで、水俣学ということでは、既に熊本では熊本学園大が取り組み、そして今度、中央大学の方でも水俣学が取り組まれるというふうに聞いております。その中で大事なことは、やはり現場から学ぶという点で、実際に教壇に被害者、患者さんたちが行き、そしてまさに五感に訴える伝え方という課題、先生の方からも出ましたけれども、やはりその視点が欠かせないというふうに思います。
 私たちも今、地元の学校を中心に、小学校から高校までプログラムをつくって水俣病を伝えるということでやっておりますけれども、まさにこれは人の生き方に学ぶ、患者さんの誇り高い生き方に学ぶという視点でもって伝えるときに、決して水俣病が悲惨な歴史ではなくて、むしろ自分の町が経験した、世界に伝えることのできる、いわば宝物としての存在になるというところの視点まで行ったときには、これはすばらしい総合教育になるというふうに思っています。よろしくお願いします。

○有馬座長 ありがとうございました。後の人々に、日本の国民だけじゃなくて、世界の人にどういうふうに伝えていくかというようなことが今話題になっています。私もいろいろな国際会議で、日本の工業化の問題点をよく勉強してくださいと言いますけれども、そういうときに、今、柳田さんがご提案になったようなセンターがあれば、そこへ行って見てくれというようなことができますので、ちょっとお考えいただければ幸いですね。
 やはり日本だけの問題じゃなくて、特に私が非常に心配していることは、中国、それから東南アジア、インド、あの辺の国々が今後急激に工業化していくだろうと思いますが、そのところを見ていますと、やはり空気汚染にせよ、日本がかつて失敗したことを繰り返しているところがあるので、これはぜひとも避けてもらうべく我々は努力していかなければならないと思っています。そういう点で、水俣病のことを中心にしっかりした展示をしたものがあれば、外国の人たちが来たときに、そこを見ていただくことによって勉強していただく。日本人だけの問題じゃなくて、やはり世界に対して失敗を繰り返すなということを発信するいい場所だと思いますが、そういうことをお考えいただければ幸いであります。
 時間が大分押してきておりますので、ここでこの問題をちょっと置きまして、その次の問題といたしまして「胎児性水俣病に対する支援」ということ。重要な問題でございますが、これについてご議論賜りたいと思います。
 加藤委員。

○吉井委員 ちょっとその前に、すみません。この一番上の方に「被害者の支援が水俣病支援団体の専売特許に」と、こうなっております。これは2回ぐらい前の私の発言の中からとってあると思いますけれども、この「専売特許」というのはちょっと不適当ですので、私の発言からとってあるとすれば、これをかえていただきたいと思うんですね。これは「水俣病支援団体が主体となって」というふうに書いていただきたい。この項目は、加藤さんのホットハウスを指しているわけではございません。ホットハウスはすごく開かれておりますので、そういう認識をしていただきたいと思います。

○加藤委員 今のことで言えば、かなりこれは慎重に扱わないとなかなか誤解が生じてくるということで、吉井委員といろいろ話をさせていただきました。
 胎児性水俣病患者に対する支援というところでは、私は、前々回に報告もさせていただいていますけれども、まず詳細な実態がまだまだ明らかになっていないということ、そして、早期に少なくとも一番必要だったのは、彼らが大人になっていくというところが余りにも水俣病の全体の中では認識されてこなかった。それは先にライフステージごとの支援が必要だったんだと、単にそこで金銭的な補償を行えばそれで済むのかというのではない問題というのを大きく問題提起できているというふうに思うんですね。
 今、現状で胎児性の患者さんたちが抱えている状況というのは、もちろん胎児性の患者さんたちは、確かにさまざまな障害の症度ではありますけれども、おおよそ全体的に障害を2つ以上あわせ持つ重複障害ということで、非常に障害としては重いというふうに思います。そういう意味では、重い障害を抱えている人の問題とももちろん重なりはするんでけれども、水俣病をめぐる差別と偏見の中で、通常の障害を持つ方が経験しなくてもいい社会的な二次被害というのを大きく受けています。この方たちが今後水俣の中で過ごしていくときに、少なくとも患者だから得られるというような対策の中では、ますますまた浮き上がっていく。今後の対策の中で気をつけていかなければいけないのは、やはり地域全体を地域福祉ということでカバーできるような新たな対策を立てていただきたいなというふうに思います。その中には、多分他地域には見られない、水俣病をきちんと教訓に据えたところの地域福祉というものを打ち立てるべきだというふうに思っています。
 実際には、家族、ご両親の高齢化の中で、今後どういうような生き方をしていきたいかというところでは、ほとんどの方が施設ではなく地域の中で在宅で過ごしていきたいと、この人たちが今望む、そういうシステムが水俣の中にはできていません。そこを早急に、この50年を機に用意していただきたいなというふうに思います。このことは、今、水俣病50年ということは、胎児性の患者さんは50歳。本当に残された時間が非常に貴重だということです。そういうことで、環境省の方としても、先ほどのこの表の中でも、胎児性水俣病の患者支援ということは大変大きな課題ということで、既にさまざま取り組みを始めていただいている兆しはもちろんありますので、このことには大いに期待をしております。

○有馬座長 ありがとうございました。
 金平委員、お願いいたします。

○金平委員 加藤委員のご発言に賛成の立場でございます。先ほどから水俣病の問題は、思い切った意識の変化ということが言われています。私は、この胎児性の問題について思い切って提言したいと思います。やはり被害の深刻な胎児性の水俣病の患者さんたちを、水俣市民が自分たちの中核に据えるような地域再生ができないかと私は思います。これにはもちろん市民の意識というか、発想の転換が必要だろうと思いますが。加藤さんのお話にありましたけれども、私は、熊本に伺ったときに、この水俣病のお母さんたちに会いました。お母さんたちはなかなか表に出たがらない。だから、秘めやかに子供と自分たちが生きてこられたし、表舞台には出たがらないんじゃないかと言われました。しかし、ホットハウスというようなものができたこともあったと思いますが、お母さんたちは表にも少しずつお出になるようになって、やはり自分たちの水俣病、また子供の問題を訴えていらっしゃいます。
 私は、かわいそうだからという発想は、少なくともこの重い水俣病患者さんたちには通用させないということではないでしょうか。それより、もしこの方たちが施設に入るということを望むならば、その選択もあり得るけれども、加藤さんのお話にもあるし、私もじかに伺いましたけれども、地域で普通の市民として暮らしたいというお気持ちがあるならば、市民の中で暮らせる仕組みをやはりつくる。私は、これが胎児性水俣病の方が本当の水俣市民になることではないかというふうに思っております。
 先ほど文化的という言葉が出ましたけれども、私は、水俣病の重い障害を持っても家で暮らしたいならば、在宅の施策が整っており、音楽会に行きたいと言えば音楽会に普通の市民として行くことができ、おいしいものを食べたいならばおいしいものが食べに行ける、やはり普通の地域の市民になられる、それには多分支援が必要だろうと思います。仕組みも必要だろうと思います。そういうことを用意することによって、水俣病の患者さんたちを中心に据える地域再生。水俣の方たちがもしそういう社会をおつくりになったら、本当に誇れる社会じゃないかなというふうに私は思っております。
 以上です。

○加藤委員 すみません。2点補足させていただきます。
 1つは、今、水俣病の50年ということで現時点になったときに、そもそもやはり胎児性の問題というのは早期に今の事態を警告していたというふうに思います。それは、胎児性の患者さんたちの問題というのは、まさにお生まれになったときは氷山の一角で、一番重症の方たちが氷山の上に見えたわけですね。だから、その当時、同世代に生まれた方たちは同じように汚染を受けていたわけで、その方たちの被害が既にそのときに潜在していたということを少なくとも私たちは気づいてきていない。あるいは、気づいてきても、そのことについて何も調査もできなければ対策もなされてこなかったということだと思うんです。今の新たな水俣病の被害に対する数千の訴えというのは、もしこのときにきちんと調査がされていたら早期に解決できた問題だということだと思います。この点が1点。
 それから、今、胎児性の患者さんのある方たち、特に私が今一緒にやっていますホットハウスにつながる方たちは、水俣病を伝えるということを自分たちの誇りにして活動をしております。毎日のように学校やいろいろなところに行って自分たちの被害を訴えることで、そこを生きがいにして取り組んでおります。やはり彼らは最後まで水俣病を伝えていく世代なんですね。こうした活動をぜひとも支えていくような仕組みをつくってほしいというふうに思います。何よりも彼らが望んでいることは、自分たちの責任と義務を果たすような形で、仕事として取り組んでいる水俣病を伝える活動ということだと思うんですね。実は、この懇談会にも大変注目しておりまして、一つには環境省にも一度も来たことがないし、最後は環境省に来てみたいなということで、何人かの方たちが最後には一緒に行きたいということで、次回には一緒に来ていただこうかなというふうに思っていまして、その際に、できたら会場が環境省であってくれたないいなというふうに思っています。これは非常に積極的に前向きに取り組んでいるところから出てきている発想です。
 それから、もう一つ、ちょっとこれは補足させていただいて、実は今、私は常々現地からの声を伝えるということを自分で心がけておりますけれども、救済をめぐって論議としても大変な状況になっています。その中で、少なくとも懇談会に来る前に何人かの患者さんから直接、あるいは間接的にいろいろな声を聞いておりまして、今、患者さんたちの中で一番気になっているのは、50年の5月1日に、やはり総理大臣に来てほしいというお気持ちを持っていらっしゃいます。これは、やはり自分たちがこの国のこの高度成長経済を担う一つのしわ寄せの中で被害を受けた。少なくともそういうところで自分たちの被害があったんだというときに、やはり5月1日にはこの国の総理に来てほしいという、大変自然なお気持ちを持っていらっしゃるということを私はちょっと伺いまして、このことはぜひ伝えてくださいというふうに頼まれました。あえてこの場で、これについてはさきに新市長が環境省の方にもお願いに来られたかと思いますけれども、あわせてお伝えしておきます。

○有馬座長 ありがとうございました。
 さて、残りの時間で、最後にこれにつけ加えるような論点についていろいろなご意見をいただいておりますので、そのご意見をお聞きして、きょうの議論を終わろうと思いますが、まずお願いがあります。ここにもう既にご提出のことについてご意見を賜りたいんですが、同時に、どうまとめていくかという、先ほど柳田委員からおっしゃられたこともありまして、そのまとめ方についてもご意見があればお聞かせいただきたいと思います。
 それでは、論点としてご提出いただきました方からご意見を伺いましょう。加藤委員。

○加藤委員 今、あと1回を残すというところのこの懇談会の、少なくとも委員の皆さんのこれまでの論議というのは、非常に私は実りのあるものだというふうに思っています。でも、水俣病の全体像というのは非常に膨大でありまして、とてもこれでは論議がし尽くせません。それと同時に、50年たった水俣病を、この節目のところできちんとした国の責任としての検証をするべきだというふうに思っています。ですから、ちょうどお隣に金平委員がいらっしゃるんですけれども、金平委員がかかわられたハンセン病の検証会議に類似したような検証の場を、この懇談会から提案できないかなというふうに思っています。少なくとも数年間のスパンをもって、まだどこかでこの懇談会に対しても、なぜ被害者が入らないんですかという質問を私はよく聞きます。この懇談会の成り立ちを説明をいたしますけれども、それでもやはり被害者の方たち、患者さんたちの中には、まだまだ自分たちの訴えが十分声が言い切れていないというものが残っているというふうに思っています。ですから、直接被害を受けた方たちの声がしっかりと残り、記録されるような検証の場を改めて提案できたらというふうに思っています。
 さきに1995年の政治解決の後に行われた、国水研が中心になって事務局となって開催された社会科学的研究においては、昭和44年までになっております。それ以降のところが全く手つかずで、それを今回の10回の懇談会で補うには余りにも時間がなかったというふうに思っています。そして、その中でも一つ、やはり被害者の声を聞き切れなかった、患者の声が聞けなかった。そして現地での開催ができなかったということが本の末尾の方に、さまざまなかかわった方からの感想として寄せられていると思います。この辺も含めて新たに検証の場を提言できればというふうに思っています。

○有馬座長 ありがとうございました。
 亀山委員。

○亀山委員 私は、今度のこの提出意見等というところで全く意見を書かなかった。書いたのは、ここに最後のことだけ書いたということは、私にとっては、この点が意見を提出する、あるいはこの懇談会をまとめる前提条件になるんではなかろうかという気がしているからです。
 私の一番の希望としては、具体的な救済、少なくともこの水俣病患者とか、そういうふうなものの認定とか、そういう問題がすべて終わっている中で50年の節目ということになれば、これは一番いいはずだ。それを実は期待していたんですが、どうも伺っていますと、そういうことには到底なりそうもない。なりそうもないといって、これはどうなるんでしょうか。
 公健法の認定申請者という方たちが3,600人、今4,000人近くもおられる。このあれがまだ全然審査会が動いていないということ自体が非常に問題だと思うんです。そうでなくても、今までのこの認定審査会の認定基準で、これは環境省の方が盛んに認定基準、公健法のあれは揺らいでいないんだと、こういうふうに言われておりますから、そうなりますと今までの認定基準と同じことで、1万数千人の中から1,000人ぐらいの認定者が出ると、こういう結果になるんだろうと思うんです。そうなると、やはり相当数の、少なくも恐らく3,000人以上ぐらいの方が棄却ということになって訴訟に流れ込む。現在でも訴訟が900人近くおられる。すると、それにさらに3,000人ぐらいがもし上積みになるとすると大変なことになる。この今おられる方々は、少なくともこの今の補償制度の枠組みに対して不満、不平を持っておられる方であることは間違いないんですが、この人たちを環境省自体としては一体どういうふうにとらえておられるのか。つまり、これはもう救済の対象でない人たちがやってきているんだというふうにとらえているのか、あるいはそうじゃなくて、個々に救済の対象になるかどうかをちゃんと調べないとわからない人たちなんですと──恐らくそう言われるんだろうと思うんですが、それにしては立ち上がりが遅いし、もしこれでそれらの人たちが何年か後に判決が出たら、判決は予測するわけにはいきませんけれども、一応そういう方の専門家の顔をしている私の感じとしては、あれだけはっきりした最高裁判決が出ていて、それに反するような下級審の判決が今さら出るとは私は思えません。ということは、また国側敗訴ということになる可能性が非常に大きいと思います。よっぽど提訴されている方々の個々の事情が非常に違うというのであれば別ですけれども、似たようなことなのであれば、もう似たような判決が出る。そうしますと、今ここで何かいろいろな提言をしてみたところで、「何だ、まだ未解決の問題があって、また国側が敗訴したじゃないか」ということになったら、一体我々は何をしたんだろうかということになるんではなかろうかという気が私個人としてはいたしております。
 ですから、私個人の考えでは、具体的な救済問題については触れないで、今後の同種の問題のあり方ということ自体だけで提言が済ませられれば、それが一番きれいなんですが、実はこういうふうな、もう未解決の問題がこんなにたくさんあるという事態になってしまったら、それは避けて通れないだろう。この現在の事態をどう解決するかということを、この懇談会の提言自体で触れなければ、これはまたばかみたいなことになるんではないかということになって、実は非常に絶体絶命みたいな感じになっているわけであります。
 私としましては本当は、今まで認定問題とかいろいろ錯綜した、あるいは公健法という枠組みを苦心してこしらえていろいろなことをやった。しかし、それがいろいろまた問題を生んで、また政治解決という一つの手法で解決したけれども、またそこで新たな問題を生み出した。そういうふうなごたごたしたところを司法の判決という、これは実はある意味では行政にもどこにも責任のない判断なんですね。独立なんですから、司法が勝手にやっているんです。その勝手にやっている判決がもう出ちゃって、それも変えようがないという、そういう事態をむしろ前向きにとらえて、もう最高裁の判決が出ちゃったんだからしようがないじゃないか、今までの枠組みをもう一度考え直してやろうじゃないかという契機に環境省がなさる気があれば、最高裁判決をうまく使えることになるんじゃないか。
 そういう意味で、私自身としては、今までの行きがかりを、最高裁判決という一種独立した、今までの行政運営や何かのことを知っている人たちから見るとばかみたいな判断を、これをいわば奇貨として組み立て直すということをお考えになるべきではなかろうかなという気がしておりますし、もしそういう方向で提言が考えられるのであれば、私もそれに参加できるかなという気がいたしておりますが、そうでなければ、私としては、この前ちょっと申し上げましたように、後で笑い物になるような報告書に名を連ねるつもりはないと、こういうことでございます。

○有馬座長 それで質問があるんですけれども、その前に、まず環境省の方で、今、亀山先生が言われたことに対して何かご意見はありますか。

○滝澤環境保健部長 若干さっきの繰り返しのような言い方になりますけれども、最高裁判決を受けて国の責任が問われまして、大臣談話で反省し謝罪もいたしました。責任が問われたということと、その後、どういう対応、対策が必要かということとを半年かけて考えてきたわけでありまして、それが4月の決議上の結論でございます。
 したがいまして、最高裁判決の国の責任とか、あるいは解釈とか病状論とか、あるいは損害賠償が認められたとか、そういう逐条的な意味合いを私どもなりに受けとめ吟味して反省、謝罪と対策の提示という2つの大きな、割り切った言い方をしますと対応を、関係者の一応コンセンサスを得ながら進めてきたということでございまして、亀山委員のお話でリセットといいましょうか、そういうところを重く受けとめて、この際というようなご提案でありますけれども、4月までのプロセスという意味で私どもの考えを改めて申し上げますと、繰り返し的になりますけれども、今申し上げたようなことでやってまいりました。決して独断で提案したわけでもございませんし、何度かコメントしたように、関係者の当時のいろいろなご意見をかなり詳細に伺いながらまとめてきたということでございます。それに対していろいろなご不満があり、いろいろな方から提訴が起きというようなことに結果的になってきているということは厳粛に受けとめておりますけれども、プロセス、あるいは考え方という意味ではそういう対応をしてまいりました。

○有馬座長 亀山先生に質問ですが、リセットってどういうことですか。

○亀山委員 今までの公健法なら公健法ができてきてやってきた、その経過があるわけですね。もちろん行政的にはそれを理由づける考え方がある。それはそれでいいわけです。現にそれもやっておられる。ところが、それでははみ出した部分というか、あれができなかった部分があって、それはやはり政治解決というふうなものをまた引き出さなければならない。ところが、その政治解決も、またそれでは解決になっていない。そうなりますと、今までずっとこうやってきたから、あとこうすべきではないかというふうな考え方では、ちょっともう無理なんだと思うんですね。だから、そういうことは全部抜きにして、先ほど来ほかの委員の方が言われているように、今までとはちょっと観点が違う考え方で、この水俣病の現在の患者、あるいはそういうふうなところを全部包み込めるような枠組みというものを考えた方がいいんではないかと、こういうつもりなんです。

○有馬座長 その全部の患者、疑わしき患者を包み込むということは非常によくわかると思うんですが、単に自己申告だけでも包み込むのか、それとも、さっきから議論になっている審議会が動かない、動くという大問題がありますけれども、お医者さんたちがきちんと10項目なり10項目のうちの1項目でも満足する、あるいは2項目でも満足すればいいと、こういう判定を入れた上で包み込むのか、その辺はどうお考えですか。

○亀山委員 私はこういう点は全く素人ですから、これは全く根拠のない意見としてお受け取りいただきたいんですが、これだけ問題になって、ほかの人もみんな、だれがどういうことをやるのかというのを見ているわけですね。そうなりますと、余り厳密なことを言わなくても大体おのずからわかってくるんじゃなかろうか。例えば一つは、いわば疫学的な観点といいますか、例えばどの地域にどのぐらいおったかとか、そういうふうないわば客観的なことでわかる条件と、それから、ある程度どうしても医学的な判断は必要でしょうけれども、そんなに厳密でない。例えば症状が、こういう症状のうちどれがあればいいだろうという程度のことを、これはどこかで決めていただかなければいかんわけでしょうが、いわば先ほど言われていますように疑わしきはすくい上げるということ。我々の方の言葉で言えば、ある程度推定できたらそれでよろしい。あと、どうしてもそれは悪意だということであれば、それは悪意の立証を認定する方でしなければいかんというふうな仕組みにしておけば足りるんではなかろうかという気がするんです。

○有馬座長 それからもう一つ、認定審査会というものに対してご要望はありますか。ともかく早くやれと。

○亀山委員 今のですか。私はそれは無理だと思います。これは、やはり今、法律と、それから恐らくこれの運用基準、これは通達か何かも恐らく出ているんだろうと思うんですが、そういうものに縛られざるを得ないわけです。ですから、今、認定審査会に関するあれは環境省ですね。環境省が思い切って認定基準を緩めろという内部通達を出されるようなことをされれば別ですけれども、なかなかそうもいかない。それこそ公健法のやつは、やはりこれまでの行きがかりがあるわけですね。だからそういうのは、やはりそれぞれの関係者にとって、今までの行きがかりがあってなかなかできないということを考えて、違う枠組みをつくってしまった方がいいんじゃなかろうかというふうに思っています。

○有馬座長 違う枠組みは、例えば同じ名前になっちゃうのはまずいけれども、ある種の審議会なり認定会議なりというものを置いて、そこで認定をしますか。

○亀山委員 恐らくそうなるんでしょうね。

○有馬座長 わかりました。
 それでは、続けまして丸山委員。

○丸山委員 その他の論点で1つだけ私が出しておりましたのは、例の埋立地の水銀、ヘドロの問題です。これが、あのケーソンをつくってから大体耐用年数50年と言われて、もう20年近くなるんじゃなかろうかと思うんです。ですから、そろそろこれについてどう対処するかというあたりの検討も始める必要があるんではないか。
 それと、何よりも汚染された環境を復元する、再生するという場合に、とにかくこれも有害なものにふたをしたというようなことでは、世界に対しても発信しにくい。ちゃんとヘドロを無害化したんだと、これはもう、国水研なんかにおられる関係者は実験室段階ではできているわけでしょう。ですから、今ただ閉じ込めておるというんじゃなくて、完全に無害化。日本はこうやって本当の意味での環境復元、自然を復元したんだという、それをアピールできるぐらいの取り組みを検討し始めなければいかんのじゃないだろうかというのが、これまで余りこのことは話題になっていなかったですけれども、そういう視点も一つ入れたらどうかなと思っております。
 それから、これはまとめ方ですけれども、先ほど来いろいろ委員がおっしゃっておられますように、どうもこの懇談会が主体的に何か提言を出すということにするとすると、やはり委員の中に原案作成者を絞り込んでやっていった方がいいのかなと。事務局に原案をつくってもらうということになると、非常に委員の意識と何かやはりどうしてもずれが出てきて、あくまでもこの懇談会の責任でこういう提言をしますという形にした方がいいのではないかと思うんです。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは、柳田委員。

○柳田委員 7ページに書いてあることは先ほど偏見の問題で発言しましたので、違うことを申し上げたいと思います。
 本日は、救済、地域再生の問題が中心になっていたわけですが、最初に議論した1ページから2ページにかけての議論と、次回においてパートIの方の発生・拡大と責任問題に関する1ページから2ページにかけてというのは、ほとんど同じ問題なんですね。私は、パートIの方でいろいろなことを細かく書き込んだんですけれども、きょうは起こってしまったことに対する救済ということが中心になっちゃう。これからの再発防止という意味ではどうあるべきだということを次回ぜひ突っ込んだ形で議論して、一つの頭出しというか、芽を出しておきたいと思いますのは、やはり異常事態が発生した初期初動ですね。犯罪の刑事の初動と同じですけれども、その初動を行政の組織的な形で裏づけないといけないんではないか。そういった意味で、動物であれ人体であれ、何らかの異常が発生したときには、それをきちんとしかるべき行政機関、自治体であるのか国であるのか、それはケースによって違うかもしれませんけれども、そういうものを基本データとして記録し、公表し、そしてより専門的な判断が必要であれば、それに対応して異常事象評価委員のような──これは仮称ですけれども、そういうものを準備しておいて、いつでも緊急に招集して対応できるような体制とか、それは言うならば、病院で患者さんが自分が何かわからなくて来たときに対応する総合診療の窓口のような形のものをつくっておいて、より専門的な診断が必要なものについては、さまざまな分野別のものが動員でき検討できるようにするという、こういう二重のシステムが必要なのではないかなと思うわけです。
 それから、行政機関の不作為ということがないようにするには、公害対策基本法のような基本法の中に、そういうことに歯どめをかける、不作為行為に対して歯どめをかけるようなうたい文句というのをきちんと書かれるべきではないか。そしてまた、そのことが行政間の教育訓練なり研修なりの中で、しっかりとこれから裏づけを持った形でなされなければいけないのではないか。この立ち上がりのところの問題について、きょうは芽を出すような、頭を出すような提起をしておきたいと思います。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。
 それでは屋山委員、どうぞ。

○屋山委員 私が申し上げたいことは、もうさっき亀山さんがすっかり述べられたので追加することはないんですが、これは行政がやると、どうしても一歩一歩歩いていく、改善していくとか改良していくとか、そういう動きにならざるを得ないんですね。だから、やはり一挙に解決するために飛び上がった点にポイントを当てて、そこから見て行政がどのぐらいのことをやらなければいけないかと逆算する。高さをまず示す。それをやらないと、それこそ事務局がつくった図を見ると、どうやってはじくかというふうにしか見られないんですよね。──これからの公害問題全部含めて、どうやってはじくか補償しなくて救済かという発想はやめた方がいいと思います。
 以上です。

○吉井委員 先ほど、第三者機関をつくって、それに諮問してはどうかと申し上げました。その中で、これ以上混乱を増幅しないで決着できる道はないか、幅広く検討していただいてはどうかと申し上げましたけれども、例えば先ほどご説明がありましたように、救済制度は法制度救済、政治救済、司法救済、行政救済、異質のものが4つ並んでおる。しかし、この中で政治救済は、もう既にこれは過去のものになっているわけですね。ここがすっぽり抜けておるわけですよ。そこに今、一つの混乱があるわけです。この政治救済にかわる何かはないかとか、そういうことを審査会に諮って新しい考え方を入れていくということをなさらないと終結しないんじゃないかということを先ほど申し上げた。
 それから、第2点は、「もやい直し」の件で後でと申しておりましたが、それは、今、水俣市民が懸命に50年間努力をして、新しい町をつくろうと懸命な努力をして、ある程度成果を上げてきたわけですけれども、その市民の努力の前に大きく立ちはだかるものが今あるわけです。それは、産業廃棄物最終処分場というのを水俣市民の水源に九州一の埋立地をつくろうと、そういう計画がなされている。先ほど丸山委員がおっしゃいましたように、水俣は既に水銀、ヘドロの産業廃棄物処理場。これは世界初めてだと思いますが、そういう廃棄物処理場で、これがどうなるのか大変な心配をしているわけですね。そういう中に、また水源にこれをつくるということですから、水俣病患者を初め、もうごめんだという反対運動が今いっぱい起きているわけです。
 そこで、日本には、痛めつけられて弱り切った者をさらに足げにしないというすばらしい倫理があるわけですね。これは惻隠の情と申しますけれども、これはまさに企業にその惻隠の情がないという見本でありまして、そのことが今、日本の社会をすごくおかしなものにしているというふうに私は思っております。まさに水俣の産廃問題はその象徴的な事件だというふうに思います。
 水俣の苦しみは企業だけではなくして、行政も拡大責任とか責任があるんだという判決を下されているわけですから、その上にまた市民が再出発をしようというところに、また踏みにじっていくということは、恐らく行政としてはなさらないだろう。惻隠の情を持つだろうと、こういうふうに私は思っております。法的問題もあるかもしれませんけれども、それを超えなければいかん。それを超えて、惻隠の情、そういうことで解決をしていただきたい。柳田委員がおっしゃいました2.5人称というのはまさにそのことだと私は思います。ぜひ思いとどまるように指導していただくものと、そのように期待をいたしております。
 以上です。

○有馬座長 ありがとうございました。

○亀山委員 ちょっとよろしいですか。先ほどちょっと言い忘れたことがあるんですが、環境省の方も最高裁判決を踏まえてと、いろいろな機会に言われておる。最高裁判決のどこを踏まえなければいかんのかという問題なんですね。今度の最高裁判決で一番肝心なのは、国に直接責任を認めたという点なんですね。つまり、国が直接金を払わなければいかんということが認められてしまったというのが、実は一番大変なところなんです。そこのところを踏まえるのでなければ、実は本当は最高裁判決を踏まえたとはなかなか言えないはずなんです。また一方、国が金を出さないで済ませようという必死の努力が今までの迷走を生んだとも言って言えないことはない。
 そういう点を考えますと、私が先ほど審議を分け直してリセットと言いましたのは、そこらあたりのところもよくやはり考慮に入れて、医療費とか保健手帳とか、こういうのも重要なことなんですけれども、やはり国が直接金を払わなければいかんという事態になっているんだということを前提にした枠組みを考えた方がいいんではないかと、そういうことでございます。

○柴垣企画課長 今の亀山委員のご発言、釈迦に説法のところもありますけれども、最高裁判決、その前提としての大阪高裁の判決は、まずチッソに100%責任があって、それで、国、県はそれに重なって4分の1の限度において連帯して責任があるということでございまして、そういう意味で、その裁判における賠償の構造も、チッソが賠償を払っていて、国、県への求償的なことはないということでありますので、確かに責任が34年12月末の不作為ということで認められたことは事実ですけれども、賠償という観点から言えば、チッソに対する4分の1の限度での連帯ということでありますから、従来からチッソが賠償を払えるように諸支援をやってきておって、逆に4分の1という限定された形ではあれ、それがきちんと継続するというようなことでありますから、そういう意味で、財務省的な目から見れば、直接のお金を出す云々ということにはなりにくく、ただ、過去からのチッソ支援の施策が判決で認められたということではという議論もあるわけです。環境省としては、水俣病問題に対してもう一回、どういうふうにこれから取り組んでいくのかということを考える契機として、そういう意味で最高裁判決を踏まえて、昨年の4月に今後の水俣病対策についてというものを出して、それで地域の再生といいますか、そういったことに対する地域的な取り組みということを新たに構築していくということが、行政が責任を果たしていくことではないかということで考えております。

○亀山委員 そうすると、環境省は、国側は直接損害賠償金を払う義務はないんだと、こういう理解ですか。

○柴垣企画課長 連帯責任という意味ですね。

○亀山委員 だから、連帯責任というのは払うということじゃないですか。そうでしょう。そうじゃなければ連帯なんて言わないですよ。それは、チッソがさっさと払っちゃえば払う必要はなくなるというだけのことじゃないですか。チッソが払えなかったらどうなるんですか。

○柴垣企画課長 チッソが払えなかったら、4分の1の限度で……

○亀山委員 それじゃ、あんた、払う責任があるんじゃないですか。そういう変な逃げ口上をこの場に至ってまだやっているようじゃ、到底何もできないですよ。

○柴垣企画課長 逃げ口上ではなくて、判決の解釈として。

○亀山委員 解釈としてって、だって払うことになるわけじゃないですか。

○柴垣企画課長 チッソが払えない場合はですね。

○亀山委員 連帯というのはそういうことでしょう。だから、もし国に払えと言ってこられた場合、どうするんですか。チッソに先に要求して、チッソが払えなかった場合に払いますというふうに答えるつもりですか。

○柴垣企画課長 原告から請求があれば、払った上でチッソに求償をするということになると思います。

○亀山委員 そうでしょう。それだったら、やはり払わなければいかんわけじゃないですか。

○柴垣企画課長 ただ賠償責任の構造すなわちチッソと行政の内部負担関係を言ったまでであって、チッソが100%で国、県はその4分の1を限度に連帯しているということです。

○亀山委員 だから、4分の1であろうが何であろうが、国が支払わなければならんということを認められたわけでしょう。そうじゃないんですか。

○柴垣企画課長 賠償責任があるということは認めています。

○亀山委員 だから、賠償責任ということは払う責任がある。そうでしょう。あなた、連帯してというのをどういうことだと思っているんですか。そういうことでは到底環境省に何を言ってもあれにならないんじゃないですか。

○有馬座長 私が初めから大臣に、環境省はどういう考えでこの懇談会をつくられたのかということを何回かお聞きしておりますが、その中には今の亀山委員のご指摘の件がありまして、やはり国として責任があるということを我々がきちんと認識をして、この懇談会としても、これは国としてやらなければならないことであるということを認識して提案をしてもよいかということなんですよ。そこまで踏み込むかどうかということは、私は非常に気にしていて、何回となく、どこまで我々がこの懇談会にゆだねられているか、そのことをどこまで私たちとして提案をしてよいか、このことを遠回しに何回となく聞いていたんです。根本的にはまさに今の問題で、もちろんチッソが払えれば問題ない。あるいはほかの方法で払えれば問題ないけれども、最終的に国としての問題がどこにあるか。これは明らかに国として裁判でも決まっているわけですから、その裁判で出ていることに対して、我々としてもかくかくしかじかの条件を満足するような場合には、国としての責任を果たしてほしいというようなことを申し上げるということが許されるかどうかということを、私は気にしていて聞いていたわけです。
 きょうの議論は、皆さんエクスプリストにおっしゃって、私は黙っておりまして、いつかそれをもう一回確認しようと思っていましたけれども、きょうは大分皆さん、はっきりとおっしゃられましたので、そういう意味で、もう一度私はこの点に関しては、環境省に一応ここの段階でお返しして、そこのところをどう考えておられるか、これは一度きちんと環境省のお考えを次回にお聞かせいただきたいと思っています。
 それで、きょうは非常にたくさん、非常に豊かなご意見を賜りましたけれども、一番大きな問題は、現在被害の救済及び地域の再生ということでありました。被害の救済ということに関しましては、今、3,300何人かの人が、自分たちは被害を受けたというふうに言っておられる。そういう人々に対してどう対処していくか。残念ながら認定審査会というのがなかなか動いていないことは事実のようであります。これはこれとして今までのやり方で進んでいかれるでありましょうから、それに対してまで干渉がましいことは申し上げられないと思いますけれども、それにしてもなるべく早く動かしていただきたい。これが第1点であると思います。
 それから、もう一つは、きょうここで大きな議論となりましたのは、疑わしい患者、患者として──日本語が非常に難しいんですが、「疑わしい患者」と言うと、何となくいんちきを言っているような感じにとられるといけませんよね。ちょっとこれは気をつけないといけない。「患者の可能性がある人々」と言った方が私はいいと思うんです。「疑わしい」と言うと、何かごまかしているというような感じがありますが、そうではなくて、患者の可能性があり、自覚的に自分は患者であると思っている人々、こういう人々をなるべく多く救済すべしと、こういうことがきょうご議論の中で大きく出てきて、ほとんどの方が同じことを言っておられた。じゃ、しからばそれを救済するとは何を意味するかということに関して、チッソなり国がきちんと賠償責任を果たすということが一つ。
 それからもう一つは、文化的な救済をすべしということもありまして、文化的救済は、私は実はまだわからないところがあります。具体的に何をするのか、家庭の崩壊とかご本人の人生の崩壊をどう救済すればよいだろうか、いろいろありますが、そういうことも含めて、地域的な文化的な救済とは何かをもう一歩進めて議論していただきたいと思います。いずれにしても、具体的に救済するとは何か。国としてどこまでやるかということを、やはり環境省としても考えていただきたいと思います。これは答申となってしまって、もうにっちもさっちもいかなくなる前に、少し態度を環境省としてお考えいただきたいと思います。
 それから、もう一つ、私が非常に気にしていたことは、丸山さんが前にも言っておられたことでありまして、水銀の閉じ込め。水銀というのは未来永劫水銀ですから、無機水銀なら問題ないけれども、今、有機水銀として閉じ込めてあるわけでしょう。有機水銀のままで閉じ込めたときにどういうことになるかというのが心配でありまして、50年閉じ込めがもう既に30年たっている。今後これをどうしていくか。これは水銀だけじゃなくて、さまざまな廃棄物に対する共通した心配点でありますので、環境省として、さまざまな廃棄物の閉じ込めをどういうふうにより安全なものにしていかれるか、この辺について、できれば次の機会までにちょっとお考えをお聞かせいただければ幸いであります。私も丸山さんのおっしゃられたことを非常に気にしておりまして、今後も安全であるように閉じ込めてほしいのですが、その辺をひとつよろしくお願いいたしたいと思います。
 きょうはここまでにいたしまして、次の機会の議論は、未来をどうするかということですね。その辺について、次の機会の議論の内容と、それから、いつやるかについて事務局の方からお教えください。

○柴垣企画課長 前回、有馬座長の方から整理いただきまして、次回は、今回のものとあわせて送らせていただいておりますけれども、今回はIIの「被害救済と地域再生」ということでございますが、Iの「水俣病の発生・拡大と責任」というものについて、柳田委員などにはお送りいただいておりますけれども、改めてその部分についての事務局の論点のまとめについてのご意見、また今回のような別途のご意見ですとか、そういったものをまた書いてお送りいただきまして、次回の日程でございますけれども、3月20日の13時からということで、時間の末尾は、座長の日程もございまして3時半までということでお願いをしたいというふうに思っております。3月20日でございます。
 それで、今後の予定として、まず3月20日にそういったIの「水俣病の発生・拡大と責任」ということをやらせていただきまして、また4月に1回、もしくは必要があれば追加のあり得るかもしれませんけれども、そういった形で進めさせていただければというふうに思っています。3月20日の1時から3時半までということで、場所はまた追ってご連絡をさせていただきます。

○有馬座長 どうもありがとうございました。
 そこで、今度は委員の方たちだけに対してお聞きいたしますけれども、どういうふうにこの懇談会の報告を書いていくか。この点について次回には明確にしたいと思いますので、少しお考えおきいただきたいと思います。起草委員を我々の仲間で置いてその中で書いていくか、それとも事務局に今までの議論を踏まえてある種の原案をつくってもらうか、この辺についてどうしたらよいか、次の回までに十分お考えいただきたいと思います。
 それでは、きょうはありがとうございました。

午後 2時54分 閉会