要 旨

 環境汚染物質排出・移動登録(PRTR:Pollutant Release and Transfer Register)は、行政、事業者、国民、NGOといった様々なセクターの参加のもとに、化学物質の環境リスク管理を進めるための新たで画期的な手法であり、それが果たす役割は極めて多面的である。1992年にアジェンダ21第19章で位置づけられたのち、1996年2月にOECD理事会において加盟各国に対しその導入に取り組むよう勧告が出された。米国、カナダ、オランダ、英国等で、既に環境保全のための制度の一つとして導入されている。
 このような国際的な動きを踏まえつつ、我が国においてもPRTR導入に向けた検討を進めるべく、環境庁は、平成8年(1996年)10月に本検討会(PRTR技術検討会:座長:近藤次郎・中央環境審議会会長)を設置し、PRTRの実施の枠組や技術的事項を検討したうえ、平成9年6月より神奈川県及び愛知県の一部において、PRTRパイロット事業を実施してきた。パイロット事業の実施方法及びその結果の評価は、報告書に詳細にとりまとめられているが、本要旨は、このパイロット事業の概要、技術検討会によるパイロット事業の評価結果、国民のPRTRに対する意見等を簡潔にとりまとめたものである。

1 PRTRパイロット事業の概要

(1)パイロット事業の設計

 本パイロット事業は、PRTRの一連のプロセスを検証しつつ、技術的事項等に関する諸課題を整理するとともに、PRTRに対する国民、事業者、行政機関の理解を深め共通認識を形成し、我が国においてPRTRが円滑に実施される素地を醸成することを目的としている。
 本パイロット事業を進めるに当たって、全体の設計、実施計画の立案及び事業結果の評価を行うために、学識経験者、産業界代表、NGO等からなる本検討会が設置された。
 パイロット事業では産業構造や土地利用形態が異なる3地域を選定し、工場、交通、家庭、農地等からの排出・移動状況のバリエーションが把握できるよう設計した。対象3地域における製造品出荷額は全国の7%強、人口比で2.5%を占めている。また、対象物質としては、諸外国での実施例を参考にしつつ、我が国での規制状況や生産量等も考慮し、発がん性、吸入・経口慢性毒性、生態毒性等を有する潜在的に有害な化学物質178を選定した。
 対象とした約1,800工場・事業場に対しては調査票(第1章p39及び40参照)を送付し、平成8年度における対象化学物質の環境への排出量及び廃棄物としての移動量について、自主的な報告を依頼した。一方、農薬散布、家庭、自動車などの移動発生源等、いわゆる非点源からの排出に関しては、既存の統計資料や本パイロット事業のために実施した調査結果等に基づいて環境庁が推計を行い、両者を併せて集計することとした。
パイロット事業の概要をまとめると次表のとおりである。

表:パイロット事業の概要
対象地域 神奈川県川崎市、湘南地域及び愛知県西三河地域
対象物質 発がん性、吸入・経口慢性毒性、生態毒性等の有害性及び生産量等の暴露可能性から判断して選定した178物質(混合物の場合は含有率1%以上のみ報告対象)
対象事業所 製造業及び一部の非製造業の従業員数30人または100人以上の規模の事業所(約1,800)[ただし、対象物質を年間 0.1t(有害性が低いものは10t以上)製造又は取扱っている場合のみ報告]
事業者の報告内容 大気・水・土壌への排出量、廃棄物としての移動量等
非点源の推計内容 農薬散布、移動発生源、家庭、中小事業所からの排出・移動量を環境庁において推計

(2)パイロット事業の実施概要

 事業所に対する調査を行うに当たっては、排出・移動量の算定や記入方法の統一を図るため、あらかじめPRTR技術検討会において「排出量算定マニュアル」を作成し、これが全対象事業者に調査票とともに配布されたほか、地方公共団体の協力を得て事業者への説明会、技術講習会が開催されるなど、本事業への理解を深めるための努力が図られた。さらに、希望者には電子媒体で報告できるシステムが配布された。また、今後のPRTRの本格的な導入に資するため、対象事業者に対してアンケート及びヒアリング調査が併せて実施されている。さらに、神奈川県及び愛知県に、地方公共団体、事業者及び地域住民の代表からなる地域推進委員会が設置され、円滑な実施が図られた。
 調査票は平成9年9月に配布され、12月を目途に回答が寄せられた。事業所に対する調査票の回収率は約52%であり、うち約53%の事業所から対象物質を取り扱っているとして排出・移動量の報告があった。なお、併せて実施したアンケートやヒアリング調査に対しては約68%の事業所から回答を得ている。
 パイロット事業で得られた対象化学物質の排出・移動量の集計結果は、PRTRシステムに関する解説等とともに、「PRTRパイロット事業中間報告」として本年5月1日に公表され、インターネット上でも公開された。環境庁では、この公表時から6月末日までの2か月間にわたって、PRTR導入のあり方やパイロット事業の設計等に関する国民の意見を広く求めたほか、パイロット事業の結果を直接国民に紹介しつつ意見交換を行うため、全国7か所でセミナーを開催した。これらを通して、企業、一般国民、NGOなどからあわせて600件近くの意見が提出された。

(3)対象化学物質の排出・移動量集計結果の概要

 対象とした178物質のうち、事業所(点源)から排出・移動について報告があった化学物質は96物質(約半数)であり、その他の発生源(非点源)からのものをあわせると134物質(約75%)について何らかの報告・推計が行われた。(なお、残りの44物質について報告がなかったのは主に対象地域が限定されたことによるものであり、全国的な集計ではその大部分は算定されるであろう。)

表:発生源別の物質数
分類 点源のみ 点源及び非点源 非点源のみ 報告・推計なし 合 計
物質数 66 30 38 44 178

 環境中への総排出量は約20,700t/年であった。点源からの総排出量は約15,800t/年であり、媒体別にみると、大気への排出が物質数、報告件数ともに多く、総排出量でみても98%が大気への排出(15,400t/年)であった。次いで公共用水域への排出(333t/年)であり、土壌への排出はわずかであった(0.6t/年)。こうした第1次的な環境への排出の結果、これらの化学物質はそれぞれの性状に応じて環境媒体を越えて移動し、最終的には複雑な経路を通じて人や野生生物に摂取されることになる。
 排出量の多かった化学物質としては、キシレン類(溶剤、工業原料等)、トルエン(溶剤、工業原料等)、ジクロロメタン(溶剤、金属洗浄剤等)などがあり、多様な発生源からの排出状況が明らかになった。
 この他、業種別の排出状況、地域別の排出状況等について集計がなされ、業種ごと、地域ごとの排出特性の違いが示された。また、廃棄物やリサイクルとしての移動量や、廃棄物の移動先も明らかになった。

(4)PRTRパイロット事業に関連する普及啓発

 本パイロット事業を実施する過程においては、PRTRに関する知識の普及・啓発が重要な要素になっている。このため、環境庁では、パイロット事業の準備と並行して、PRTRに関する世界の取組についての情報交換の場として、国際シンポジウムを平成8年11月と平成9年7月に開催した。
 また、中間報告の公表に際しては、報告書の他に解説版及びパンフレットを作成、各都道府県・政令市に送付し、環境担当部局又は一部の公共図書館などで閲覧ができるようにするとともに、環境庁のインターネットホームページに全文を掲載した。さらに、前述したように、全国7都市で「化学物質のリスク管理とPRTR」と題するセミナーを開催し、パイロット事業の成果を広く国民に説明した。インターネットへのアクセス件数はパイロット事業期間中に約2万件、セミナーの出席者は計2,000名に及んだ。

2 評価結果の概要

 パイロット事業の評価は、報告・推計結果、アンケートやヒアリング調査の結果、国民意見、諸外国における実施状況などを踏まえて行った。技術的に詳細にわたる事項については、「PRTRパイロット事業評価検討ワーキンググループ」(座長:浦野紘平・横浜国立大学教授)において予備的検討が行われた。これらを踏まえ、本検討会において、全体について評価を行った。

(1)枠組みに関する事項の評価

1) 対象化学物質

 パイロット事業では人の健康や環境に影響を及ぼすおそれのある化学物質のうち国内での生産、使用の実績等に基づき暴露可能性を考慮して有害性をランク分けした178物質を選定して実施した。むろん、対象物質は有害性に関する科学的知見の進歩などを勘案して適宜見直しを行うべきものである。
 技術検討会では、こうした原則の上に立って、今回のパイロット事業での経験と寄せられた意見に基づき、特に以下の点には留意する必要があると指摘した。

2) 対象事業所

 パイロット事業では、全製造業に加え、非製造業においても多くの業種を対象に調査を実施したが、一部の非製造業を除くほぼ全ての業種から対象化学物質の排出・移動量の報告が得られた。しかし、一部の非製造業の業種(総合工事業、道路貨物運送業等)については、対象化学物質の排出実態を事業者自らが把握しにくい状況にあること、これら業種の事業活動に伴い排出される対象物質がごく限られていることなどから、事業者からの報告の対象業種とするのか、非点源として環境庁において推計するのかについて、さらに検討する必要がある。
 裾切りについては、従業員規模別の報告状況や、対象規模未満の事業所を対象とした調査結果から、従業員規模30または100人による裾切りは概ね妥当と考えられるが、金属製品製造業等一部の業種においては、現行の裾切り規模では排出・移動量の把握率が低いと考えられるため、裾切り規模の引き下げについて検討を行う必要がある。

3) 報告内容

 報告項目の設定は、概ね妥当だったと考えられるが、「取扱量」等データの検証等に必要な項目の追加や、様式や記入要領の記述等について、パイロット事業における指摘事項を踏まえ、制度化の際にさらに検討・改善する必要がある。なお、製品としての移動や保管量を報告させるべきとの意見もあったが、それが製品として流通し、所有者に管理されている限りは環境への直接的な排出には該当しないため、PRTRの対象範囲から区別して取り扱うべきと考えられる。ただし、製品使用の最終段階での廃棄については、「移動」としてとらえる必要がある。

(2)報告・推計等の実施に関する事項の評価

1) 排出・移動量の算定

(ア)点源

 今回のパイロット事業は、事業者の協力を得て、自主的に報告をいただいたものであるが、すでにPRTRを導入している国々の実施レベルと同程度の入念な設計のもとに実施されており、信頼度の高いデータが得られたと考えられる。
 点源からの報告に主に使用された「排出量算定マニュアル」の内容については、分量が多く難解との意見もあったが、わかりやすいとする評価が相対的には多かった。指摘事項としては、多くの事例を取り上げること、簡易な方法や業種ごとのマニュアルを整備すること、精度の向上を図ること等があり、事業者の負担を少なくするために、洗濯業等特定の業種について業種別資料を作成するなどの改善を進める必要がある。また、本格実施までの間にさらに知見を集積し、必要な修正を行うとともに、排出量の多かった物質についてモニタリング結果と比較しつつ算定方法の検証を行うなど、より精度の高いものになるよう適宜見直しを行う必要がある。

(イ)非点源

 非点源の集計は、精度の面で点源に劣る部分があること、必要な情報の入手が困難なこと、統計資料の利用可能年次が点源の報告年次とずれることなどの問題点もある。しかし、非点源からの排出量を推計することは、点源からの報告と併せて、化学物質の排出・移動実態の全体像を把握し、環境リスクを総体としてより正しく把握し評価するために不可欠であるとともに、今日の社会における化学品の流通の仕組み全体の中で、効果的なリスク低減のための対策を企画立案し実施する際に、極めて重要な判断根拠となるものである。
 推計に当たっての基本スタンスは、主要な発生源からの排出・移動量について、十分なデータを用いて可能な限り推計することとすべきであり、今回のパイロット事業でも最大限の努力がなされた。推計に当たっては、データ利用の有効性と限界が判断できるよう信頼性に関して的確な説明を加えるとともに、今後、更に推計に必要な情報の収集・整備とそのための体制整備を行い、早急に推計値の精度向上を図る必要がある。

2) 事業者負担

 アンケート結果によれば、1事業所当たりの平均対象化学物質数は米国・カナダと同程度であった。作業量(時間)的負担としては取扱品等に含まれる化学物質の調査など入り口部分の作業が多く、また金銭的負担は分析・測定を行っているところの負担が多かったものの、全体の平均は1事業所当たり14万円程度であった。
 これらの結果から判断すると、PRTRに係る事業者の負担は、初回であるために多かった面もあり、今後調査を重ねれば省力化により軽減されるものと予想される。いずれにしても、事業者負担の種類、性格あるいは程度を的確に把握し、PRTRの実施による環境保全上の費用対効果を最大化するよう引き続き努めることが重要である。

3) 支援方策

 PRTRの実施を円滑にし、事業者負担を軽減する観点から、対象事業所への支援対策が講じられる必要がある。すでに述べた排出量算定マニュアルもその一つであり、これを一層利用性の高いものにする努力は必要である。また。今後の課題として、対象化学物質のユーザーとしての対象事業所における排出量の算定が正確かつ迅速に行えるためには、対象化学物質を含む製品の成分情報を化学物質流通の上流に位置する事業者が提供する体制を整備することが重要である。
 また、電子通信技術の普及によって、電子媒体による報告を可能にすることによって、対象事業所のみならず、集計を行う行政サイドにおいても作業負担を軽減することができる。このため、紙と電子媒体による報告を併用することが適当である。

4) 集計

 異常値については、集計段階で明らかに他と比較して異常であると考えれるものについて、地方公共団体を通して、事業者に確認した。ただし、今回は取扱量など比較可能な指標を調査項目としていなかったこともあり、十分でない面もあった。データチェックは事業者において的確に行われることが効率的であるが、報告を受ける行政側でも効果的なチェック方法により正確な報告・集計値となるよう努力する必要がある。
 データの集計については、排出・移動量について基本的に物質ごとに集計し、全体の集計結果の他に、媒体別、業種別、地域別の集計結果も中間報告に掲載されたが、国民意見等を踏まえ、できる限りきめ細かな集計を行うとともに、モニタリング結果との比較や、リスク評価への活用などを図る必要があると考えられる。

5) 情報提供

 パイロット事業においては、報告書及びインターネットでの、本来PRTR制度の一環として行うべき情報提供に加え、パイロット事業の目的の一つであるPRTRそのものの普及のため、解説版の作成やセミナーの開催を行った。後者については、マスコミでもPRTRについて数多く取り上げられるなど、国民的な関心を高めることはできたが、化学物質の名称やハザードデータが専門的であることから、セミナーを引き続き開催するなど、国民の理解を深めるための広報活動について努力する必要がある。一方、PRTRの本格実施を念頭に置いた情報提供としては、今回ハザードデータの提供を行ったが、さらにPRTRの結果を踏まえた環境リスク評価をどのような形で行い、国民にどのように伝えるかについて検討すべきである。
 併せて、リスクコミュニケーションの推進のため、地方公共団体などにおいて、PRTRの結果やそれに基づくリスク評価の結果を円滑に住民に説明できる専門的知識を持った人材を養成し、相談ができるようにすることも必要である。そのための体制整備も重要であろう。環境庁が認定している環境カウンセラーを活用する、あるいはNGOや企業において専門的な人材を養成するといった提案も出された。

【リスクコミュニケーションとは】
 化学物質の環境リスクに関して幅広い人々が認識をもつことが、化学物質の環境保全上適切な管理を進めるために不可欠であるとの考え方に基づき、関連する正確な情報を行政、事業者、国民、NGO等のすべての関係者が共有しつつ、環境リスクへの認識を深め、また環境リスク管理の進め方について話し合いを進めること。
 PRTRはこうしたリスクコミュニケーションのための基礎データを提供するものであり、環境庁では現在、PRTRの導入と並行してリスクコミュニケーションの手法の開発などを進めている。

(3)技術的事項以外の諸点に関する議論

 本検討会の任務は、PRTRの技術的な事項に関して議論・評価することであるが、パイロット事業の実施に際し事業者に対して行われたアンケート調査項目やパイロット事業の中間報告に対して寄せられた多くの意見等の中には、技術的な事項以外の、PRTRを我が国に導入しようとする際に重要となる点がいくつか含まれていた。また、本検討会の委員からもそれら重要なポイントについて熱心な議論をいただいた。
 ここでは、そうした技術的事項以外の重要な事項に関する意見及び検討会での議論の経過を整理して紹介する。本格的な議論は中央環境審議会等における審議に委ねられるべきものである。

1) PRTRの利用価値を高めるために

 PRTRの利用目的はきわめて多様であり、行政、事業者、国民、NGOといった様々な主体による利用可能性については中間報告の解説版に示したとおりであるが、PRTRが基本的には潜在的に有害な化学物質による環境リスクの低減と管理を図るための道具であることは共通に認識されているといえる。しかも、排出・移動量に関する情報を国民に的確に提供しながら、環境リスク低減・管理のために社会の構成員のすべてが参画し、費用対効果が大きい対策を実現する手法となりうるという点が、PRTRの最も大きな特徴といえる。
 このようなPRTRの利用価値を高めるため、各主体が留意すべき事項等について、これまでの意見・議論などを整理すると、以下のとおりである。

2) 回収率の向上と公平性の確保のために

 パイロット事業は事業者に自主的な協力を得て実施されたが、初めての試みでもあり、全体としての回答率52%は決して高いものとはいえない。しかし業種に立ち入ってみれば、最も関心が高いと思われる化学工業は83%、輸送用機械器具製造業で85%と高いものとなっている。一方、家具・装備品製造業では33%、出版・印刷・同関連産業では37%にとどまっている。このように、製造業でも業種によりばらつきがあり、非製造業ではさらにばらつきが見られる。規模別に回収率を見ると従業員規模が大きくなるほど回答率はよいが、従業員規模100~199人の企業で69%、従業員規模1,000人以上の大企業でも84%にとどまっている。
 国民意見の中では、公平性の確保、数値の信頼性の確保のために法制化が望ましいとする意見が多かった。また、全国セミナー出席者へのアンケートでは、セクターを問わず制度化が必要とする意見が大多数を占めた。なお、制度化の際に、十分に議論することが必要との意見、既存の届出制度との重複により事業者の負担が増加しないような配慮、ISO14001との連携などについての意見もあった。
 こうした点を踏まえて検討会においては、回収率の向上を図り、また、公平性を期するうえから基本的には対象事象所には報告を義務付けることが必要であること、その際には小規模の事業所の負担が重くならないよう配慮が必要であることなどの意見が出された。義務付けする物質と自主的に報告する物質とを組み合わせるという提案もあったが、集計等の点から物質を統一した方がよいのでは、という意見が多かった。

3) 個別データの公表に関する議論

 パイロット事業は各事業者に協力を求める依頼調査であり、プロセス全体を検証することが大切であるため、個別データの公表を行わないことを前提としてデータの報告を求めた。これに関連して、今後PRTRを本格的に実施する際に個別事業所ごとのデータを公表すべきかどうかという点については関心が高く、特に多くの意見が出され、個別データを公表すべきとする意見が、国民・NGOを中心に多く出される一方で、公表すべきではない、あるいは慎重に行うべきとする意見が企業・業界を中心に出された。
 個別データの公表問題に関し、事業者アンケートにおいて、PRTR本格導入の際の個別情報の公表についてどう思うか尋ねたところ、全て公表あるいは一部公表してもよいとする意見、極力公表しないあるいは全面反対とする意見、どちらとも言えないとする意見が概ね3分の1ずつであった。その一方で、セミナー参加者へのアンケートにおいて、事業所ごとの排出・移動量の情報公開について尋ねたところ、どのセクターからの参加者においても、情報公開が必要と思うとする意見が、必要ないとする意見を大きく上回った。
 個別データの公表が必要とする理由として、データの透明性が確保され排出量の削減につながる、あるいは地域の化学物質の排出状況を把握することにより地域の環境管理のために役立てることができる、とする考え方がある一方で、数値の意味の説明もないまま公表されれば社会的に無用の不安を招くおそれがあるとする意見もあった。
 諸外国では、アメリカ、カナダのようにPRTR制度の中で個別データの公表をしている国と、オランダ、イギリスのようにPRTR制度の中では個別データの公表は行わないが、別の仕組みで個別データにアクセスできるようになっている国とがある。いずれも、企業秘密については一定の配慮をしつつ、個別データにアクセスすることができる前提でPRTRが実施されている。なお、我が国では、情報公開に関し、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律案(以下、「情報公開法案」という)」が現在国会に提出され、審議されているところである。
 これらを踏まえ、検討会でも、個別事業所データの公表について、少なくとも個別情報にアクセスできるようにすべきという意見、企業の自主発表を尊重してほしいという意見など、様々な意見が出された。また、個別データの公開を進める上でリスクコミュニケーションの推進を図ることの重要性が指摘された。さらに、経験してみることが重要であり、事実パイロット事業の経過の中で関係者が一定の学習を積んでいる状況も見受けられる、あるいは、米国や英国で年を追うごとに定着してきたことなど諸外国での事例や経験も参考なるとの指摘もあった。
 本件については、今後さらなる検討が必要である。

4) 企業秘密に関する考察

 個別データの公表に関連してもうひとつ重要な点として企業秘密の保持の問題がある。事業者アンケートの中で、今回の報告の中に企業秘密が含まれているかどうか尋ねたところ、企業秘密があると答えた事業者は全体の1割のみであった。企業秘密の内容も「使用物質及びその組成」とするものが多く、「排出量」とする答は少なかった。これらのことから、企業秘密である一部のデータさえ守られれば個別事業所データの公表も可能であると考えられる。
 また、国民の意見の中には、挙証責任を事業所に付した上で認める、判定基準の透明性を図るべきといったものも含まれていた。
 諸外国における企業秘密の取り扱いは、国によって若干異なるが、基本的に企業の申請に対し、環境省(庁)がこれを審査し、企業秘密に該当するか否かを判定する形式が一般的であり、その手続きや判断根拠が明文化されているケース(米国、カナダ等)もある。しかし、企業秘密に該当すると認められた事例は少ないようである。
 こうした先例をみつつ、また情報公開法案における取り扱いや不正競争防止法での定義などを踏まえながら、今後、適切な取り扱い方法について検討していく必要がある。

5) OECD勧告付属書のシステム構築の原則との比較

 検討・評価の最後に、OECD理事会勧告の付属書である「PRTRシステムの構築に関する原則」をレビューすべきであるとの意見があったので、原則の項目ごとに、現時点での取り組み状況及び考え方について「評価」としてまとめている。このような評価は、PRTRが制度化された以降に行うことが適当であると考えるが、今回のパイロット事業についての評価は、今後の検討の参考として見ていくことが適当と思われる。
 特に、今後の検討プロセスにおいては、

【13】目標・目的の必要性を最もよく満足するメカニズムについて、関係・関連団体と合意すべきである。
【14】PRTRシステムを構築する全過程及びその実施・運営は、透明かつ客観的であるべきである。

の2項目が重要と考えられる。パイロット事業の設計は本検討会で行ったが、パイロット事業の評価に当たっては、中間報告が公表され全国でセミナーにおいて説明がなされ、国民意見が2か月にわたり求められた。また、パイロット事業の評価を行う本検討会には産業界や一般国民・NGOの立場の委員も加わって議論がなされた。また、その際に用いた資料、検討過程は本報告書において公開しており、パイロット事業の評価は透明かつ客観的に実施された。今後とも、可能な限り透明性、客観性の確保に努め、関係・関連団体との合意を図る必要がある。

3 おわりに

 PRTRは、潜在的な有害性を有する化学物質の環境媒体への排出源・排出量及び廃棄物としての移動量等を把握することにより、人の健康及び環境へのリスクを評価するためのデータを提供するものであり、また、従来の規制行政を補完しつつ、環境保全型技術の導入促進をもたらし、環境政策の進展度や国の環境目標の達成状況を評価する尺度ともなるものである。このような様々な機能を果たせるよう、関係者が議論を重ね、よりよいシステムを構築することが重要である。
 パイロット事業の目的は、PRTRの一連のプロセスを検証しつつ、技術的事項等に関する諸課題を整理するとともに、PRTRに対する国民、事業者、行政機関の理解を深め共通認識を形成し、我が国においてPRTRが円滑に実施される素地を醸成することにあったが、この目的は概ね達成されたと考えられる。特に、パイロット事業を通して、様々な議論や検討がなされ、また環境庁により各方面に普及・啓発が図られてきたことから、パイロット事業のスタート時点に比べれば、PRTRについての事業者や国民の関心はかなり高まったのではないかと思われる。今後は、本評価結果を踏まえ、中央環境審議会等において、どのような制度を構築していくかについて議論を重ねていただき、その結果を踏まえて、我が国にふさわしいPRTR制度を作り上げる必要がある。
 なお、PRTRの導入に向けて、平成10年度以降においてもパイロット事業を継続的に実施し、PRTRの円滑な実施のためにさらに基盤整備を行っていく必要があろう。また、PRTRの親しみやすい呼称について、国民からの提案もなされたが、現時点で新たな名称を採用することはしなかった。正式にPRTRがスタートするまでの間の宿題としておきたい。
 本報告書にまとめられた国民意見は、今後引き続き進められるパイロット事業やPRTRに関する検討の中で配慮されることになる。関係各位の活発なご意見に感謝するとともに、今後ともPRTR及び化学物質による環境リスク対策についてのご意見を賜れば幸甚である。