本文へジャンプ

環境省 > 水・土壌・地盤環境の保全 > 閉鎖性海域対策 > 閉鎖性海域ネット
 > 近畿/中国/四国 > 瀬戸内海 > せとうちネット > 瀬戸内海とわたしたち
 > chapter1 > 瀬戸内海の歴史と文化

ここから本文
瀬戸内海の歴史と文化
遣新羅使の航路図

遣新羅使の航路(天平8年(736))

イラスト:解説の女性

瀬戸内海地域は、昔から我が国の政治・経済・社会・文化のいろいろな分野にわたって、いつも先進的な歩みを進めてきました。 この大きな要因として、大陸の中国などの文化が主として北九州から瀬戸内海を通って、大和(今の奈良)の方面へと伝えられてきましたが、瀬戸内海地域がたえずこの橋渡しの役割を果たしてきたためです。
つまり、瀬戸内海地域は文化の伝わりの大動脈の役目をしてきました。

村上水軍の分布図

村上水軍の分布図

B.C6000年ごろ ほぼ、現在の瀬戸内海の海域が形成される

4000年ごろ 縄文海進。現在より約3m高い所まで海だった

3000年ごろ ほぼ現在の海面の高さとなる

300年ごろ 弥生文化の時代が始まる

A.D57年 倭の奴国の王が後漢に使者を派遣し、光武帝から印綬を受ける

147年 倭国大乱。このころ、瀬戸内海の沿岸、島嶼部の山頂などに高地性集落が作られる

188年 女王卑弥呼の邪馬台国が成立

290年ごろ 古墳文化の時代始まる

350年ごろ 大和政権が成立する

396年 日本が朝鮮出兵。高句麗の好太王軍に破られる

538年 仏教伝来。百済の聖明王が仏像・経巻を我が国に献ずる

607年 遣隋使の派遣始まる

630年 遣唐使の派遣始まる

645年 大化の改新

804年 遣唐使船で空海、最澄が唐へ

867年 伊予の海賊、宮崎付近に集まって掠奪を行う

894年 菅原道真が遣唐使の中止を建議

934年 海賊が瀬戸内海などに横行したため、朝廷が追捕海賊使を任命する

935年 紀貫之の「土佐日記」が出来上がる

939年 藤原純友が伊予国日振島を拠点に反乱を起こす

940年 平将門の乱が終結

1152年 平清盛が安芸、厳島神社の社殿を修復

1167年 平清盛が太政大臣となる

1168年 尾道が備後大田庄の倉敷地に認定される

1172年 宋の明州刺史が後白河法皇・平清盛に物を献上。このころ清盛が大輪田泊の築港や音戸瀬戸の修理などして日宋貿易を振興

1185年 屋島の合戦。壇ノ浦の戦い、平家滅亡。河野通信、兵船を率いて源義経軍に加わる

1192年 鎌倉幕府が成立

1281年 元寇−弘安の役。伊予の河野通有、博多へ出陣して奮戦

1308年 幕府、河野通有に西国と能野浦の海賊を追捕させる

1324年 弓削島荘の住民、小山弁房承誉の非法を訴える

1338年 足利尊氏、征夷大将軍になる。懐良親王、西国へ

1371年 今川了俊が九州探題として現地赴任

1404年 足利義満、明との勘合貿易を開始

1434年 室町幕府、大島村上氏に遣明船の海上警固を命じる

1450年 村上吉資の級官宮地氏ら、因島に金蓮寺を造営

1462年 能島村上氏が小早川一族の小泉氏らと弓削島荘を押領する

1483年 室町幕府、大内氏に貿易の全権を委任する

1489年 このころ、今治的場の海賊、厳島神社から太刀、鎧を盗むが河野氏が取り戻す

1552年 陶氏、厳島での村上氏の関銭徴収権を停止させる

1555年 厳島の戦い。毛利元就が村上水軍の来援を得て、陶晴賢を厳島で討つ

1581年 ルイス・フロイスが瀬戸内海を航行

1588年 豊臣秀吉、海賊禁止令を出す

1592年 秀吉、朝鮮侵攻を始める

1600年 関ヶ原の戦い

1604年 村上武吉が周防大島で死去。藤堂高虎が今治城を築城

1607年 朝鮮通信使が初めて来日

1672年 河村瑞賢が西廻り航路を開く

1762年 このころから瀬戸内の塩田で石炭の使用が始まる

1853年 ペリー艦隊が浦賀に人港

1868年 明治維新

1886年 このころ、石炭使用量の51%を塩田で占める

瀬戸内の関連年表