我が国における国内排出量取引制度について(概要版)


1 背景

  1997年12月に京都で開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3)において採択された京都議定書には、先進国の温室効果ガスの排出削減について法的拘束力のある数値目標が盛り込まれている。現在、京都議定書の遅くとも2002年までの発効に向けて、本年11月に開催されるCOP6で必要事項に合意できるよう国際交渉が行われている。
  我が国として京都議定書の締結を行うに際しては、温室効果ガスの排出削減の数値目標を遵守できるよう、様々な政策・措置の立案、実施が不可欠である。政策・措置としては、規制、経済的手法、協定等があるが、それぞれの特徴を踏まえて、複合的に実施していくことが求められる。
  様々な政策・措置の中で、費用対効果が期待されるという点で、経済的手法として炭素税と排出量取引に対する関心が、近年高まっている。排出量取引は排出総量に一定の制限を設けることができ、かつ市場メカニズムを活用して費用対効果のより高い対策の実施を促進することが期待できることから、その具体的イメージや特徴等を明らかにしていくことが求められている。
  このような状況を踏まえ、環境庁としては、(株)野村総合研究所に委託して、国内排出量取引制度の論点整理とオプションについて検討することとした。

2 本報告書の趣旨

  本報告書では、温室効果ガスを対象とした国内排出量取引制度について、[1]基本的な制度の仕組みを概説するとともに、[2]制度を組み立てる際の主要な論点とオプションについて記述し、[3]幾つかの制度例を提示している。
  本報告書が、国内排出量取引制度について、事業者や国民等関係する各主体に対して必要な情報を提供し、理解を促進するとともに、国民的な議論に資することで、地球温暖化対策の推進に貢献することが期待される。
  なお本報告書の作成に当たっては、(株)野村総合研究所に「排出量取引に係る制度設計検討会」を設置し、内容の検討を行った。

3 今後の課題

  今後、具体的な国内排出量取引制度を選択していく場合、例えば、ポリシーミックス(他の政策・措置との複合的な実施)の観点、制度の導入による経済全体及び個別の産業に対する影響の考慮、トラッキング方法(レジストリーの設計を含む)等について、対象となる関係者の受容性を十分に踏まえながら検討を進めていくことが必要である。


排出量取引に係る制度設計検討会委員

(順不同、敬称略)

【座 長】   大塚 直  学習院大学法学部 教授
 
【委 員】常岡 孝好 学習院大学法学部 教授
浜岡 泰介 興銀第一フィナンシャルテクノロジー(株) 業務企画部 次長
日引 聡 国立環境研究所 社会環境システム部環境経済研究室 主任研究員
前田 陽一 立教大学法学部 教授
松尾 直樹   (財)地球環境戦略研究機関 上席研究員



1.国内排出量取引制度の論点とオプション

 排出量取引において、排出枠が設定されている主体の間で、排出枠の一部の移転(又は獲得)を認める制度をキャップ・アンド・トレード方式という。一方、温室効果ガスの排出削減プロジェクト等を実施し、プロジェクトがなかった場合に比べた温室効果ガスの排出削減量をクレジットとして認定し、このクレジットを取引する制度をベースライン・アンド・クレジット方式という。
 この報告書では、温室効果ガスの排出総量に一定の制限を設けることができ、かつ市場メカニズムを活用して費用対効果のより高い地球温暖化対策の実施を促進する政策・措置として、キャップ・アンド・トレード方式の国内排出量取引制度について、以下のような論点とオプションを検討した。

(1)排出枠の制度上の取り扱い

  排出枠は、ある一定期間について、その保有する量以上に温室効果ガスの排出等が行えないという意味で総量規制枠としての性格を有している。一方で取引を可能とすることにより、経済的な価値が生ずることになる。したがって、国内排出量取引制度は、事業者のとることのできる選択肢(排出枠を買う、売る、排出量を削減する)が広がり、社会全体として、低コストで削減を図ることができるというメリットがある。
  この他、京都議定書との関連や、排出枠の取引の自由度、一定期間の期末に余剰となった排出枠の次の期間への繰り越し(バンキング)についても検討を行った。

国内排出量取引制度がない場合国内排出量取引が制度ある場合



(例)
A社B社合計
対策コスト単価$200$100
必要削減量
実削減量
削減コスト$400$200$600
売買コスト
遵守コスト$400$200$600
A社B社合計
対策コスト単価$200$100
必要削減量
実削減量
削減コスト$200$300$500
売買コスト$150−$150 $0
遵守コスト$350$150$500


(注)B社はA社に排出枠1単位を$150で販売する。ただし、取引のために必要なコストは含まない。

(2)国内排出量取引制度の対象範囲

 対象ガス
  京都議定書では、二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素、HFC、PFC、SF6の6種のガスが数値目標の対象になっている。本報告書では、主体別の排出等の量を正確に把握(モニタリング)できるかどうかの観点から、それぞれの温室効果ガスを国内排出量取引制度の対象ガスとする場合の留意点について、検討を行った。
 上流部門、下流部門
  排出枠の交付を受ける主体(交付対象主体)は、大きく上流部門と下流部門の2つに分けて考えられる。上流部門とは温室効果ガスを直接排出しないが温室効果ガスの発生源の生産・輸入もしくは販売を行っている部門、下流部門とは温室効果ガスを直接排出している部門と定義できる。
  上流部門に交付する場合は、排出枠の調達コストを販売価格に転嫁することを通じ、下流部門がコスト削減のために温室効果ガスの排出削減を行うことが想定される。下流部門に交付する場合は、交付対象主体が、排出量取引で排出枠を購入することと、対策を実施して温室効果ガスの排出量を削減することを比較した上で、よりコストの低い選択をして排出量を排出枠以下にすることが想定される。

(3)排出枠の交付方法

  代表的な排出枠の交付方法としては、グランドファザリングとオークションが挙げられる。
  グランドファザリングは、排出枠の交付を受ける主体の過去の特定年あるいは特定期間における温室効果ガスの排出等の量の実績を基に、排出枠を交付することである。排出枠の交付対象主体にとっては、最初に排出枠獲得のためのコスト負担がなく(もしくは少なく)、基本的には一定の計算式によって交付量を決定するので、将来交付される排出枠がある程度予想できる。一方、少なくとも最初に交付量を決定する際に、交付対象主体ごとに過去の排出等の量を把握することが必要なため、行政コスト等がかかるという問題もある。
  オークションは、政府等が排出枠を公開入札等により販売することである。排出枠の交付量を決定するに際して交付対象主体間での排出枠の初期獲得機会の公平性や透明性を確保できる。一方、排出枠の交付対象主体にとっては、最初に排出枠獲得のためのコスト負担が必要であることに加え、どの程度の排出枠を獲得できるかが予想しにくい。
  また、上記以外に、企業等における排出枠の交付量について、一定単位の製品等を生産する場合の温室効果ガス排出量(原単位)についてあらかじめ目標値を定めておき、一定期間内の実際の製品等の生産量に目標原単位を乗じて算出する方法(原単位目標による排出枠の交付)がある。

(4)排出枠の取引方法

  代表的な排出枠の取引方法としては、相対取引と取引所取引が挙げられる。
  相対取引は、特定の売手と買手が直接相対して、又はブローカー等を介して行う個別交渉の取引であり、特に大口取引に向いている。様々な取引が行える反面、取引が標準化されていないため、取引の成立までに時間等を要し、取引コスト(transaction cost)がかかる。
  取引所取引は、公的主体により管理された取引所において、取引所会員を通じて不特定多数の売手と買手により(匿名の)競争売買を行う取引である。取引は一定のルールを設けて標準化しており、市場の流動性を確保するように設計される。また取引主体のニーズがあれば、先物取引やオプション取引等を扱うことも容易である。一方で、一定の取引ルールがあるため、大口取引に伴う価格交渉等を行うことはできなくなる。また、取引所の設立及びその運営を行うためのコストが必要となる。

相対取引取引所取引

(5)トラッキング方法

  トラッキングとは、排出枠の取引に伴う、主体別の排出枠保有量の変動状況を把握することである。トラッキングに際しては、排出枠の保有状況を記録するレジストリー(登録簿)が必要となる。
  トラッキング方法としては、相対取引の場合には、排出枠の取引当事者がお互いにレジストリーの管理者に報告し、レジストリーが書き換えられた時点で移転が完了したとみなすことが想定される。また取引所取引の場合には、取引所がレジストリーに必要な情報を一括的に提供することも可能と考えられる。

(6)モニタリング方法

  モニタリングとは、交付対象主体の、一定期間の温室効果ガスの排出等の量を正確に把握することであり、その方法としては、排出係数換算によるものと、実測定によるものが挙げられる。
  排出係数による換算は、温室効果ガスの排出に関連する活動量に排出係数を乗じて、その排出量を算出する(例えば、燃料燃焼量に排出係数を乗じることにより、排出量を算出)。
  実測定は、連続測定装置等によって測定した排気ガス流量と温室効果ガス濃度を乗じて、温室効果ガスの排出量を算出する。

(7)マッチング方法

  マッチングとは、交付対象主体の一定期間の温室効果ガスの排出等の量と、期末に保有する排出枠を照会し、排出等の量に見合った排出枠を無効化することである。
  温室効果ガスのうち、例えば工業プロセス起源の二酸化炭素や固定発生源からのメタンや亜酸化窒素のように、下流部門(実際の排出主体)に排出枠を交付する場合には、マッチングを確認する対象も交付対象主体である下流部門となる。
  また、化石燃料起源の二酸化炭素等について、上流部門(化石燃料の生産・輸入もしくは販売主体)に排出枠を交付する場合には、マッチングを確認する対象は交付対象主体である上流部門となる。
  化石燃料起源の二酸化炭素等の排出枠について、下流部門(実際の排出主体)に排出枠を交付する場合に限っては、下流部門でのマッチングと上流部門でのマッチングの2つの方法が考えられる。

(8)排出超過時等の措置

  マッチングの結果、一定期間内の温室効果ガスの排出等の量が、期末時点で保有している排出枠を超過していた場合の措置の内容としては、超過した量に対して課徴金を課す、超過した主体が法的義務を遵守しなかったことを広く世の中に公表する、超過した量にペナルティ分を加えた量を次期の交付量から差し引く(サブトラクション)、改善命令を出すことなどが考えられる。
  ただし、ある一定期間のある主体の排出等の量が排出枠を超過していたとしても、すぐに法的措置を課すのではなく、一定の調整期間を設け、その間に超過分の排出枠を獲得すれば、義務を遵守したとみなすことも考えられる。

(9)国際的な排出量取引との関係

  国内取引市場と国際取引市場とをリンクさせた場合、国内の交付対象主体は、国際取引市場において、海外主体と排出枠を直接的に取引できることになる。
  一方、国内取引市場と国際取引市場とを分離させた場合、国内の交付対象主体は、自らの義務の遵守のために、国際取引市場において海外主体と排出枠を直接的に取引できないことになる。この場合、国内排出量取引制度との関連で、国際取引市場において海外主体と排出枠を取引するのは日本政府となる。

国内取引市場と国際取引市場とのリンク

国内取引市場と国際取引市場との分離



2.国内排出量取引制度の例

 国内排出量取引制度の例として、「排出枠交付に関連する論点」について、(1)上流交付・オークション型、(2)ハイブリッド交付・グランドファザリング型、(3)下流一部交付・グランドファザリング型の3パターンを提示。
 各パターンぞれに対応する「排出枠交付関連以外の論点」について1パターンを提示。

(1)、(2)、(3)についての簡単な比較
  国内排出量取引制度によって、化石燃料起源の二酸化炭素を全て対象とするのが(1)(2)であり、その一部と二酸化炭素以外の温室効果ガスも対象とするのが(3)である。
  排出枠の交付対象主体は、(1)は上流部門、(2)上流部門と下流部門、(3)は下流部門の一部(自ら交付を希望する下流部門の事業者を含む)である。
  排出枠の交付をオークションで行うのが(1)であり、主にグランドファザリングで行うのが(2)(3)である。


(1)上流交付・オークション型

概要

 化石燃料起源の二酸化炭素排出源のすべてをカバーすることで数値目標達成の実効性を確保するため、上流部門に排出枠を交付する(上流部門が排出枠の調達コストを燃料価格に転嫁することを通じ、下流部門に二酸化炭素の排出削減のインセンティブを与えることになる)。
論点内 容





対象ガス化石燃料起源二酸化炭素対象ガス・交付対象主体・カバー範囲のイメージ

交付対象
主体
上流部門
化石燃料生産・輸入もしくは販売事業者
交付方法オークション
カバー範囲83% 1
対象主体数
70〜80
マッチング方法上流部門でのマッチング
モニタリング方法燃料販売量等から換算


(2)ハイブリッド交付・グランドファザリング型

概要

 化石燃料起源の二酸化炭素排出源のすべてをカバーすることで数値目標達成の実効性を確保するため、基本的に上流部門に排出枠を交付するが、実際に温室効果ガス排出削減のための対策を持ち、かつ上流部門の事業者と実質的に燃料の直接取引を行う発電事業者や下流部門の大量排出事業者にも排出枠を交付する。

論点

内 容





対象ガス化石燃料起源二酸化炭素対象ガス・交付対象主体・カバー範囲のイメージ

上流は石炭・石油・天然ガス

交付対象
主体
ハイブリッド
上流は化石燃料生産・輸入もしくは販売事業者、発電事業者、下流は大量排出事業者(直接排出分のみ)
交付方法グランドファザリング+
一部オークション
カバー範囲83%
対象主体数
100前後 2
マッチング方法上流部門でのマッチング+
下流部門でのマッチング
モニタリング方法燃料販売量等・消費量等から換算

1 1997年度の我が国における温室効果ガス排出量全体に占める比率。以下同じ。
2 上流部門の主要商社、石油会社等と、発電事業者及び高炉メーカーを想定。


(3)下流一部交付・グランドファザリング型

概要

 実際に温室効果ガス排出削減の対策を実施できる下流部門の事業者や発電電事業者に排出枠を交付する。交付対象主体は、年間一定量以上の温室効果ガスを排出する事業者、及び自ら交付を希望する下流部門の事業者とする。排出削減対策を多様化させ、全体費用を最小化するため、可能な限り多くの温室効果ガスを制度の対象とする。

論点

内 容





対象ガス化石燃料起源二酸化炭素
工業プロセス起源二酸化炭素
燃料起源メタン・亜酸化窒素
HFC・PFC・SF6
対象ガス・交付対象主体・カバー範囲のイメージ

  排出量取引制度の対象外の部門については、
別の政策・措置(規制、炭素税等)が講じられる
ことが前提

交付対象
主体
下流部門
一定量以上温室効果ガス排出事業者、発電事業者。自主参加主体も認める。
交付方法グランドファザリング+
一部オークション
カバー範囲50〜60%
対象主体数
数千
マッチング方法下流部門でのマッチング
モニタリング方法化石燃料起源二酸化炭素、メタン、亜酸化窒素は燃料消費量や製品生産量から換算
その他のガスについては実測定


(4)排出枠交付関連以外の制度例

  排出枠交付関連以外の制度例について、以下の表にその内容について提示する。

論点
内  容
取引方法相対取引+
取引所取引
 制度例[1][2]の場合は、交付対象主体数が70〜100程度と少なく、かつ事業者規模も大きいため相対取引のみで十分と予想される。 制度例[3]の場合は、交付対象主体としての取引参加者が多く(数千)、事業者規模にも差があると想定されるため、公平・透明な市場を形成するため、取引所取引があることが望ましい。
バンキング認める 交付対象主体による温室効果ガス排出の早期削減のためのインセンティブを与え、削減時期の選択について柔軟性を確保するため、バンキングは認める。
調整期間の有無有り 期末終了時点で超過していても一定の調整期間(例:1〜2ヶ月)を設け、この期間内での排出枠の調達を認める。
 ただし2012年以降については、京都議定書の国際的な排出量取引で調整期間が認められている場合に限って認める。
超過時の措置課徴金・
その他
 2007年以前に制度を導入している場合は、排出枠超過に対する措置は緩くし、超過量に比例した課徴金(例:2008年以降の予想国際排出枠価格として数千円/t-C)を課す。また超過主体の公表は行わない。
 2008年以降は、超過量に応じて段階的に単価が上がる課徴金(数万円/t-C)を課し、例えば2年連続して超過した主体について公表する。課徴金に関しては租税と同様に、政府が強制的な徴収権を持つこととする。
国際的な排出量
取引との関係
各事業者が、直接的に国際的な排出量取引に参加2008年以降、交付対象主体が、自らの判断で直接的に国際的な排出量取引に参加する。ただし、詳細については国際的な排出量取引のルールに依存する。