むすび

 本年の環境白書は、持続可能性とは何か、そして豊かさとは何か、という点について分析し、地球と共生するための知恵と規範、そして行動についてまとめました。各国の利害を乗り越えて地球環境を保全しなければならない理由は何か、という問いに、持続可能性に関する考察が重要な答えを与えると考えたためであり、そのためにわが国は何ができるのか、という点をよりよく認識することが時代的意義を有すると考えたためです。

 近代以前の社会活動が、その規模や質において、自然の再生能力や浄化能力の範囲内のものとなっていたならば、これを仮に原始持続可能社会ととらえることもできます。この原始持続可能社会におけるわれわれの活動は、非科学的なものも含めた様々な知恵とこれをルール化した規範により、結果として自然と折り合いのつく範囲におさまっていたものと考えられます。

 時を経て、人類は、直面した様々な社会発展上の制約を、技術や制度などの進歩によって乗り越えてきました。しかし、近代以降、人類の社会は、持続可能性という観点からの知恵を十分にその内部に蓄え、活用する前に、あまりにも多くの技術的・制度的変化を経験してしまったものと考えられます。産業革命により、大量の生産が可能となり、大量の流通によって、大量に消費されるようになった製品は、大量の廃棄物となって新たな問題を引き起こしました。

 このようにして経済的な意味での富は先進国を中心に著しく増大し、物質面で充足される人間は増える一方で、貧困にあえぐ人々も厳然として存在する現代社会が形つくられてきました。社会全体としてみると、持続可能性を踏まえた知恵が行き渡らず、またこれを規範化することも十分でなく、様々な活動の多くも、非持続的なものとなっていたとみることができます。

 経済社会活動への投入物が安定的に確保できないことは、経済社会の不安定化につながり、社会の持続可能性確保の点で大きな障害となって立ちはだかります。したがって人類全体の持続可能性を考える面からも、また個人にとっての安全安心で豊かな生活を考える面からも、身の回りはもとより地球の生産能力や自浄力を維持できるように環境を保全し、資源やエネルギーを効率的に、大切に使っていくことは、人類全体の課題であるといえるのです。

 こうした状況から、国際社会は、総論としては、急増する世界人口を支えきれないおそれもある資源やエネルギーの制約から解放されることを望み、持続可能な社会の構築を希求する方向にあります。先に見たように、持続可能な社会は、かつて人類の暮らしの中で実現されていた社会です。この社会は、しかし、現代、とりわけ先進国の人からすると様々な不便さや不都合さとともにあった社会であるという見方もできます。現代のわれわれは、いわば、持続可能社会に精神的に回帰する一方で、原始持続可能社会とはあまりにも多くの事柄が違いすぎる現代社会の現実とのギャップに、進むべき道筋、取るべき対策、あるいは守るべき規範が容易に見つけられず苦悩しているという捉え方もできるかもしれません。

 例えば、このところ、数千年から数万年という長大な時間的スケールで人類の歩みを紐解いた著書が人気を博しています。このことは、閉塞感の漂う現代にあって、過去の困難な時代に現代を置き換え、幾多の課題を克服してきた人類の経験を通史的に分析することを通じて、現状を打破する糸口を模索している様にも見えます。

 非持続型の社会から、私たちが目指す持続可能な社会の実現に向けて必要なことは、何でしょう。

 まず地球の有限性をよく知ること、生態系に対する知恵を蓄えることが挙げられます。

 人類の持つ資源採取から生産、流通にいたる技術、また消費、廃棄に係る環境負荷は地球の生産能力や自然の自浄作用に比べてあまりに大きく、場合によっては、十数年のうちにもこれまで経験したことのない早さや規模で資源やエネルギーの枯渇に直面するおそれも生じています。また、われわれの生活を支える生態系は、そのつながりが確保されることで本来の機能が発揮できるものですが、人類の経済社会活動により、これが分断される傾向が世界の各地で確認されています。時として壊滅的な影響が加えられた例も少なくありません。生物の移動は、国境を越え行政区分に関わりなく行われることや、生物の生存には、時に極めて広範囲で多様な生息環境が必要となることを理解し、系として全体を如何に保全するのか、という観点から地域住民や関係行政機関、場合によっては周辺国等が協力して、生態系の保全に臨むことが重要です。また、経済活動とりわけ輸送に伴う環境負荷を低減させる上では、地産地消・旬産旬消を進める方法も考えられます。生産方法の違いから一概に比較することは困難ですが、遠方からの輸入品などフードマイレージが大きい場合には、地元の産品を選択した方が、環境負荷が少ない場合もあると思われます。

 そして、知恵を結集する必要があります。知恵の結集については、現在、欧州を中心に従来のGDPを越え、様々な観点から持続可能性を捉える指標群を開発し、これを政策や活動の目標に据える動きが進んでいます。物差しを、一つの基準でなく、多様な観点から持続可能性の程度を示すものや人類の幸福の増進につながるものに変えていこうとするものであり、人類の様々な側面を総合的に捉え直す動きです。

 知恵を蓄えることに終わりはありませんので、科学的な確からしさを判断し、規範化を進め、具体的な行動を公平に、かつ、一刻も早く起こしていくことが必要です。しかし、これまでの地球環境問題の国際交渉の様子からも明らかなように、規範化(国際的なルール作り)については、既に経済成長の果実を得てきた先進国とこれから得る権利を主張する途上国の間での認識・国益の相違などが、大きな壁として立ちはだかっています。さらにマーケット・メカニズムが強く支配するようになると、必ずしも長期的に見てより望ましい選択がなされるとは限りませんし、倫理的な価値判断があと回しになってしまう可能性もあります。持続的な発展に関する知恵は、行動につなげることが重要です。そのためにルール(規範)が必要であり、皆がこれを守ること、また守らない者が得をすることがないような規範として制度化することが大変重要になってきます。

 その意味で、昨年10月に名古屋で行われた生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)の成果は深い意義があります。遺伝資源へのアクセスと利益配分について、各国が立場の違いを超え、一歩踏み出したのです。とりわけ、交渉がまとまらない事態も懸念される中、わが国の議長案が合意に向けて主要な役割を果たしたことが特筆されます。

 我が国は、平均寿命で世界一を誇ります。そのこと自体が多くの国の理想とするところかもしれませんが、世界的に見ても、我が国の少子高齢化は進んでおり、社会全体が成熟段階にあるといえます。成熟段階は、終焉に至る道を意味するのではなく、引き続き成長・発展する社会であると考えるべきでありましょう。では、成熟社会における成長・発展とは、どのようなものでしょうか。

 もとより何に幸福を感じ、豊かさを実感するのかは、人や地域、国によってそれぞれに異なりますが、少なくとも現代人が享受している物質的に豊かな生活は、良好な環境無しには考えられないことには異論も少ないでしょう。今回の環境白書では、良好な環境が豊かな生き方に極めて大きな役割を有することや、環境保全に寄与する経済活動や都市・生活空間が、充足感を高め豊かな時間を生み出す例も取り上げました。つまり、豊かな生活の実現は、各人が充実した時間や良好な環境(空間)の中でどれだけ意義深い生活を送ることのできるかという可能性の多寡にかかっていると考えることもできるでしょう。

 その豊かな暮らしが、できるだけ長く続くよう、地球の持続可能性を検証してみると、国際的に繰り広げられる有限な資源の争奪など大変厳しい現状が浮き彫りになる一方で、足元に一つ朗報がありました。それは、いわゆる脱物質文明であるとか、昨年の環境白書が指摘したような枯渇性資源に過度に依存しない文明への萌芽が、我が国で着実に見られることです。世界的な経済不況という要因等を考慮する必要もありますが、近年のマテリアル・フローのデータは、我が国の経済活動に投入される天然資源量が減少傾向にあることを示しています。また資源の循環的な利用も進んでいます。一方で、GDP付加価値の寄与度において、サービス産業は、マテリアルに多くを依存する産業のそれを上回っています。資源の有限性を考えると資源生産性が向上している現在の動向は、なお一層進められるべきでしょうし、後者については、そのこと自体の評価はさておき、それほどの経済影響を伴わない形での産業構造の変化が可能であることを物語っています。

 こうした点から、地球の持続可能性について示唆を得るなら、エネルギー効率や資源効率に優れ、低環境負荷を誇る日本の生産技術やシステムが、従来型の技術やシステムを代替し、広く地球規模で展開されることで、より地球の持続可能性が高まるのではないか、ということです。そのために、政府も全力で取り組んでいく必要があります。そのことが、国益にも叶い、人類益、地球益にも叶うと考えられるのです。

 さらにもう一つ、日本の強みがあります。これまでややもすると人類の経済社会活動は、西欧諸国による発展の指向に沿って方向付けられてきた側面がないとはいえません。一方、我が国は、西欧諸国とは異なる風土、歴史を有し、征服すべき対象・客体としての自然ではなく、主客合一しそこに共生していく自然、という自然観を持っています。この価値観は、COP10の成功に見られるように、国際社会を牽引していくだけの支持を得られる説得力を備えていると考えられます。

 私たちは、地球との共生を確実に図るため、日本の知恵を大いに世界に打ち出し、行動によって範を示すべき時期を迎えていると言えましょう。


 平成23年3月11日、我が国は未曾有の大地震に見舞われ、東北、関東地方を筆舌に尽くしがたい大災害が襲いました。

 自然の恵みを大切にしながら歩んできた地域が、自然の力によって破壊されました。技術の粋を集めて作られた原子力発電所も深刻な事故に至り、地震と津波に加えて大きな被害をもたらしています。「それでも海で生きる。」被災した漁師の方々の言葉です。私たちは、恵み豊かな、しかし時に牙を剥く自然と、共に生きていかなければなりません。そのための知恵が今求められています。

 被災した方々が助け合いながら懸命に生き抜く姿は、日本中の、そして世界の人々の心を深く揺さぶりました。私たちはまた、世界の国々からさしのべられた暖かい支援に心を動かされました。被災した方々の深い悲しみと勇気が、現代文明の中で分断されがちだった人々の心を近づけたのかもしれません。そして、苦境にある人々を思う心は、様々な支援とともに、自身の不便を厭わず節電に協力しようとする機運も生みました。

 私たちは、国を挙げて、この大災害からの復旧、復興を成し遂げていかなければなりません。そしてその取組を、新しい日本の姿を見つけるきっかけにすべきとの声もあります。悠久の歴史の中で、我が国は過去にも巨大災害に見舞われましたが、その度にそこから立ち上がり、豊かな暮らしを実現し、今日まで受け継いできました。この大震災からも立ち上がって、私たちの暮らしを将来にわたって引き継いでいかなければなりません。人々の絆と知恵によって被災地を復興し、自然と共生し、安全・安心で、将来にわたって持続可能な地域として再生していく。それはまた、我が国が持続可能な社会を目指していく上でも第一歩となるのかもしれません。

 我が国の、そして私たち一人一人の真価が問われています。



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