第3節 生物多様性の損失をくい止めるために

 地球規模の生物多様性の損失をくい止めるためには、COP10の成果を各国が着実に実施していくことが求められます。2011年(平成23年)から、COP10で日本が提案した、国際社会が生物多様性の問題に重点的に取り組む「国連生物多様性の10年」が始まりました。この節では、生物多様性に関する対策の現状と愛知目標の達成に向けた今後の取組の方向性について論じていきます。

1 世界における対策と方向性

 GBO3では、2010年目標は達成されなかったと結論付けられましたが、2010年目標を設定したことにより、保護地域の拡大、特定の種の保全の進展、生態系へ悪影響を与える汚染や外来種等に対する取組の増加、生物多様性国家戦略・行動計画の策定、保全に投じられる資金の増加、生物多様性に関する研究、モニタリング、科学的評価の進展といった効果がみられました。しかしながら、取組の規模が不十分、広範な政策や戦略、事業の中に生物多様性への配慮を組み込むことが依然として不十分、生物多様性の損失をもたらす根本的な要因への対処が不十分、開発を目的とした資金と比較して、生物多様性関連の資金が少ない、といったことが課題として明らかにされました。例えば、保護地域の指定に関して、保護地域の面積は年々増加していますが、依然として保護が不十分な地域が存在するとともに、保護地域の中には指定されたにもかかわらず、適切な管理が行われず地図上の保護地域(ペーパーパーク)となっているものもあるなど、その管理効果にもばらつきがあることが課題とされています(図3-3-1:国による保護地域の指定状況、図3-3-2:陸域におけるエコリージョンごとの保護地域の指定状況)。


図3-3-1 国による保護地域の指定状況


図3-3-2 陸域におけるエコリージョンごとの保護地域の指定状況

 平成22年10月現在、生物多様性条約の締約国はEUを含めて193か国となっており、各締約国は、個々の状況等に応じて、生物多様性国家戦略を定めることが義務付けられています。国連大学が実施した評価報告書によると、平成22年10月までに171か国が生物多様性国家戦略を策定済みであり、13か国において策定中となっています。同評価報告書では、生物多様性国家戦略の策定により、多くの国で保護区の指定や絶滅危惧種の保護などの取組、生物多様性の主流化に向けた取組などが進みましたが、生物多様性の損失をもたらす主要な要因を減少させるには至っていないと評価しています。また、生物多様性国家戦略の策定以降、一度も改定していないもの、前回の策定または改定から長期間経過したものも多く、生物多様性条約の決議を履行するためのメカニズムとして機能していないものもみられると評価しています。生物多様性国家戦略は生物多様性条約の目的を達成していくためのロードマップとしての役割を担うものであり、愛知目標では、2015年までにその改定作業を行うことが個別目標の1つとして設定されました。今後、各締約国は愛知目標の達成に向けて生物多様性国家戦略の改定をはじめとした取組を進めていくことになります。また、名古屋議定書についても、各国が早期に締結し、議定書を発効させ、適切に実施していくことが求められています。

2 日本における対策の現状と方向性

 わが国では、1993年(平成5年)に生物多様性条約を締結し、政府は生物多様性国家戦略の策定をはじめとした各種施策を展開する一方、地方公共団体、企業、民間団体、国民などの各主体においても、生物多様性の保全と持続可能な利用に向けた取組が進められてきています(図3-3-3:生物多様性国家戦略2010の概要)。一方、平成22年5月に公表された生物多様性総合評価では、「人間活動に伴うわが国の生物多様性の損失は、すべての生態系に及んでおり、全体的に見れば損失は今も続いている」とされています。今後、愛知目標の個別目標である「2020年までに陸域の17%、海域の10%が保護地域等により保全される(目標11)」や「劣化した生態系の少なくとも15%以上の回復を 通じ気候変動の緩和と適応に貢献する(目標15)」ことなどを達成していくためには、保護地域の質と量の拡充や自然再生など、生態系の保全と回復に向けた取組を一層推進していくことが必要です。このため、全国規模から地域規模まで様々な段階における重要な生態系や生物の生息・生育地が、国土の生態系ネットワークの核となる地域としてよりよく機能するよう、科学的なデータに基づく保護地域などの指定、見直しを進めます。さらに、保護地域などとして指定された地域については、その生態系タイプに応じた保護管理の充実を図ります。また、23年3月に海洋の生物多様性の保全と持続可能な利用について基本的な考え方と施策の方向性を示した「海洋生物多様性保全戦略」を策定し、今後展開する施策の一つとして、国立公園の海域公園地区の面積を24年度までに21年に比べて倍増させることを目標として掲げています。


図3-3-3 生物多様性国家戦略2010の概要

 また、日本に特徴的な危機として里地里山などにおける人間活動の縮小を要因とする「第2の危機」がありますが、平成22年9月には「里地里山保全活用行動計画」が策定されました。同計画では里地里山を共有の資源(新たなコモンズ)として国民全体で支え、農林業者や地域コミュニティだけでなく、市民、NPO、企業、専門家、行政などのあらゆる立場からの参加と協働により未来に引き継いでいくこととしています。人間活動の縮小への対応に加え、希少な野生動植物の保護や外来種への対応を進めていくためには地域の特性に応じた取組が必要であることから、同年12月には「地域における多様な主体の連携による生物の多様性の保全のための活動の促進等に関する法律(生物多様性保全活動促進法)」が公布され(図3-3-4:生物多様性保全活動促進法の概要)、今後、地域の多様な主体の連携による保全活動が進展していくことが期待されています。さらに里地里山の利用低減への対策に資する取組の一つとして、森林が有する水源かん養や水質浄化という生態系サービスを提供してもらっている人々がこれを維持するための管理費用を管理者に支払うといった「生態系サービスへの支払い制度PES:Payment for Ecosystem Service)」又はそれに類する例もみられます。


図3-3-4 生物多様性保全活動促進法の概要(地域における多様な主体の連携による生物の多様性の保全のための活動の促進等に関する法律)

 COP10では「生態系と生物多様性の経済学TEEB)」の最終報告書が発表され、世界銀行では、このTEEBの成果を踏まえ、森林や湿地帯、サンゴ礁などの生態系の経済価値を国民経済計算のシステムに組み込むために必要なツールを開発し、途上国に提供する新たなグローバル・パートナーシップを立ち上げることを発表しました。また、愛知目標においても、「生物多様性の価値が国と地方の計画などに統合され、適切な場合には国民勘定、報告制度に組込まれる(個別目標2)」ことが盛り込まれましたが、今後、直接お金に換えられない生態系サービスの価値を評価した上で、社会経済的な仕組みの中に組み込んでいくことも、第2の危機を始めとした生物多様性の危機に対処していくうえで重要といえます。

 さらに外来種や化学物質など人間により持ち込まれたものによる「第3の危機」や「地球温暖化の危機」に対しても、外来種の監視体制の強化や計画的かつ順応的な防除、温室効果ガスの排出量の削減や地球温暖化に対する適応策などの取組を一層進めていかなければなりません。

 一方、社会経済上の変化などの間接的要因についても並行して対策を講じていくことが必要です。生物多様性に関する認知度はCOP10を契機として飛躍的に高まってきたと考えられますが、今後は「知る」という段階から生物多様性に配慮した「行動」へと結びつけていくことが重要となってきます。引き続き、生物多様性の現状や重要性についての理解を進めるための広報活動や普及啓発のためのイベント等を展開していくとともに、地域における生物多様性の保全と持続可能な利用のあり方について認識を深め、合意形成を図っていくことが必要です。現在、地方公共団体では、生物多様性基本法に基づく生物多様性地域戦略の策定やその実施に向けた取組が進められています。生物多様性地域戦略は地域に応じた、地域らしい取組を進めていくうえで有効なツールの1つであることから、より多くの地方公共団体による策定が望まれます。また、企業の事業活動や国民ひとり一人の消費行動やライフスタイルなどに生物多様性への配慮を組み込んでいく際には、生物多様性や生態系サービスの価値を認識できるようにしていくことも必要です。今後、わが国においても生物多様性や生態系サービスの価値が適正に評価され、事業者や消費者が生物多様性に配慮した取組を進めていく際の判断材料として利用していくことが期待されます。また、生物多様性の保全と持続可能な利用を進めていくうえで従来の規制的手法に加え、生物多様性や生態系サービスの価値に対する市場メカニズムを活用した政策オプションの可能性についても検討を進めていくことが必要です。

 今後、わが国は2012年(平成24年)にインドで開催されるCOP11までの間、議長国として「愛知目標」や「名古屋議定書」を始めとするさまざまな決定事項について、率先して取り組んでいくことが求められます。

 国際的には愛知目標を踏まえた途上国における生物多様性国家戦略の見直しの支援、名古屋議定書の実施体制の確立、SATOYAMAイニシアティブの推進、IPBESの設立支援などの取組を進めていくことになります。

 また、国内では愛知目標を踏まえた生物多様性国家戦略の見直しを行っていくこととなります。特に愛知目標で掲げられている20の個別目標を達成するためには、各個別目標の目標年や数値目標などに応じた行動計画を立て、その実施状況と個別目標の達成状況を確認しながら、着実に取組を進めていく仕組みづくりが必要となってきます。また、個別目標の中には「生物多様性の価値が国と地方の計画などに統合され、適切な場合には国民勘定、報告制度に組込まれる(個別目標2)」といった新たに検討していくことが必要なものの他、「すべての関係者が持続可能な生産・消費のための計画を実施する(個別目標4)」といった企業、事業者、地方公共団体、NGOなどの各主体による取組を求めるものが含まれており、社会全体での取組が不可欠です。2010年(平成22年)12月に開催された国連総会では、2011年から2020年までの10年間を「国連生物多様性の10年」とすることが決定され、今後、国際社会が協力して生物多様性の保全に向けた取組を進めていくことが求められますが、国内においても各主体による取組がますます重要になってきます。

 次節では、生物多様性に配慮した社会経済への転換に向けた芽生えを紹介します。



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