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里なび

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活動レポート

里なび研修会 in 長野県飯綱町
【森の生きものと人とをつなげよう
―森のようちえん・昆虫の森の保全と活用を通じた里の文化的魅力の創出―】

日時 平成25年11月17日(日)13:30~17:00
場所 りんごパークセンター

■概要
 長野県北部に広がる丘陵には、人々が代々積み重ねてきた山里の暮らしによって、人と自然が織りなす文化的景観・里山が残されている。近年、地域の高齢化により、自然と集落文化の存続が危ぶまれているが、飯綱町の里山では、さまざまな主体と連携して、子どもたちの森、昆虫の森などの保全活動がはかられている。当地域における里山での学習・保育活動をモデルにしながら教育分野を中心とした里山空間活用の可能性について議論を深めた。

■基調講演
テーマ:「子どもの眼がきらめく里山づくり」
講演者:片山雅男(夙川学院短期大学教授)
配布資料:レジュメ「子どもの眼がきらめく里山づくり」
説明資料:パワーポイント「子どもの眼がきらめく里山づくり」

 大学では児童教育学科で教えており、幼稚園・保育園・小学校の先生を養成している。私は植物生態学を専門にしているので、各地の幼稚園や保育園、小学校の現場を見ながら、自然と子どもたちとの関係を考えている。今回は、子どもたちが自然と関わるというのはどういうことなのか、子どもたちの発達を促していくためにはどのような里地・里山がよいのかについて話してみたい。

1)子どもたちの発達と自然
 子どもたちが自然の中で暮らすとどういう発達をするのか。今日も午前の里山散策会に参加した子どもたちは自らの感性に従って森からいろんなものを見つけてきてくれた。自然は無限の刺激を子どもたちに与えてくれるものであり、その中で子どもたちは遊び、そして「なぜ」「どうして」という視点からもう一度自然を見つめなおす。この繰り返しによって子どもたちの情緒的・感性的・知的発育が促されていく。
 自然は繰り返し使うことができるという特徴を持っている。身近に子どもたちが扱うことができる動植物が豊富な自然環境を整えることは子どもの発達上重要な要素で、里山はまさにこの対象となるものだといえる。里山の新たな利活用として里山保育が掲げられるのにはこうした背景がある。子どもにとって自然とは、遊びを通じてかかわる環境となっている。生活の中心が遊びともいえる子どもにとって、心理的・時間的・空間的に自由な発想の場である自然が大切。この点で自分の意思で活動ができて、動植物にすぐかかわりあえたり、自然の素材から自由な発想を促してくれる環境として、里山は魅力的だといえるだろう。
 子どもたちにとって野外の遊びは大人になり社会の中で暮らすためのトレーニングでもある。私にも子どもの頃、近所の小川でドジョウを発見し、それを上手に捕まえるためにざるの形状や捕り方を工夫したりするなど試行錯誤をした思い出がある。子どもはこのような経験を通じて、意欲や集中力、本質的な思考力、そしてさまざまな技能の発達が促され、生きる力が身についていくのではないかと考えている。これらは大人になってからの技術・技能と密接に結び付いているところがあり、いかに小さい時にきちんと遊んでいるかということが大切だと思う。このような本質的な能力を身につける場としても里山は重要だといえるだろう。

2)子どもにとっての自然環境
 子どもが接する自然環境として大きく2つのタイプが指摘できる。1つは、犬・猫・鹿・猿・小鳥・魚・虫・カタツムリ・ダンゴムシ・ザリガニ・草花・樹木といった動植物。これは接した時の心情が動機づけとなって、さまざまな行動や興味あるいは嫌悪感などを惹起する。もう1つは、触れているうちに興味を抱く自然物。絵や好きな童謡・童話の中の自然現象の他、水・雨・風・雷・虹・雪・氷といった自然事象、熱・光・音・電気・火・煙といった物理現象、あるいは月・星・太陽・雲といった天体現象などがあげられる。これらを理解したり発達を促したりするためには大人の適切な支えも必要だ。

3)子どもにとって自然の持つ意義
 子どもの発達上重要な要素として想像力があげられる。子どもの「見立て」遊びは、大人がやっていることを見て、自分もやりたいと思い、イメージを膨らませた行動だ。自然と接しながら子どもが一見突拍子もない空想をするように思えるときもあるが、それを周囲の大人が否定するのではなく一緒に考えていく姿勢が大切。発見の喜びを楽しむ場として捉えていきたい。自然の中でこうした能力を育てていくことは、将来的に環境保全意識を高めていくことにもつながる。このため特に小さい時に環境教育をすることがより有効だといえるだろう。
 子どもたちは脳が発達していく途上にある。1歳半~4歳半は模倣の時期であり、側頭葉が発達して記憶・学習の能力が高められる。5歳~10歳は創造の時期であり、前頭葉が発達し、思考力・意志力・創造性・情操が高められる。したがって、4歳ぐらいまでの間にたくさん見て体験していることが大事で、実物で触れる機会を多く作ってあげることが重要である。この意味でも里山での体験は有効だといえるだろう。

4)かつての里山の特性
 かつて里山はどのように利用され、どのような状態だったのか考えてみたい。
 里山とは、人々が生活していく上で必要な物を調達するための集落周辺の林だ。だから生活を維持していくためには持続的に利用していけるようでないといけない。また個々の家の生活必需品を賄うために必要量を考慮した多種類の植物の管理が必要となる。
 そのため樹木であれば毎年伐って薪などに利用して、何年スパンで元に戻るというような設計となっている。また、いろんな種類の植物が用意されているため、生物多様性が高く、小面積の土地を最大限活用して適地適木の考え方で管理されている。例えば、ここは薪をとるためのどんぐりのなる木が多い、ここは果実がよくなる林、といったようにパッチ状にさまざまなタイプの森ができる。こうした里山のもつ多様性は、子どもたちにいろいろな刺激を与え、生きる力を育むことに寄与してくれることになる。
 里山は身近な自然の中から有用なものを探し出し、生活に生かすことを通じて個々の有用物の特性を把握し、維持管理されてきた。その中で淘汰され、より良いものが継承されてきた結果が里山だといえる。

5)現在の里山の活用法
 人の暮らしの営みの中で創出され維持されてきた里山だが、今はかつての里山で行われていたことがなされていない。何かに利用できればそれでよいということで一過性のイベントや景観を整えるためだけの手入れ、例えば手を入れやすい低木を伐採して大径木だけを残してしまい更新を難しくしてしまうなどの、ある意味で短絡的な思いつくままの利用が見られるようになってしまった。
 そうではなく、かつての里山の特性を維持・継承する形での新たな利用展開が必要だ。里山の樹木の葉や実を利用したつまものビジネスなどはその一例だといえよう。また、里山保育も、子どもたちの需要に応じて多様な種類の植物・樹木を育成し多様な場所を提供するという点で、まさに里山の本来的利活用形態と同じだといえるだろう。

6)保育空間としての里山の利活用
 子どもたちが里山の自然で活動するときには、子どもたちなりのテクニックを駆使して器用さや生活技術を習得している。そこにはフランスの思想家ロジェ・カイヨワが指摘する遊びの4要素とも通じるものがある。

※遊びの4要素と関連する里山の遊び

  • 競争:昆虫、カエル、サワガニなど動物の捕獲、仕掛けの作成、観察と飼育、植物の採集(木の実拾い)・水晶捕り、工作の材料採集(草木染、ツル細工)
  • 偶然:探検ごっこ・迷路
  • めまい:縄ばしご、ジャングルジム、ブランコ、ターザンごっこ、草すべり
  • 模倣:秘密基地・ツリーハウス・ままごとの材料採集

 これらは対象物の特性を把握する能力や、社会観察による疑似体験、実生活のトレーニングといった子どもにとって重要な発達要素を含んでいる。

7)保育のための里山づくり
 保育活動を維持・継続できるような里山づくりのポイントとして次のようなものがあげられる。

  1. 里山保育のさまざまな活動を可能にする多様な生態系、生き物集団の創出
    多様な生物の生息環境を創出・整備することで、保育の活動のメニューを豊かにする。また自然との共生を意識した維持管理を行う。
  2. 安全な里山保育の場
    安全に活動できるための維持管理を行い、子どもが自由に活動できる場を保証する。
  3. 里山保育の場としての自然環境づくり
    子どもたちの自然の活動を想定した自然環境づくり。自然環境の保全を意識した里山保育のための環境の維持。
  4. いつでも自然の活動ができる場
    子どもたちが自由に楽しめる里山保育のメニューの提案。四季に対応した自然の活動ができる環境整備。いつでも自然遊びができる空間を確保。

8)どのような“資源”がどれだけの“量”あるのか
 子ども達の活動範囲に境界はない。広い意味で里地・里山を捉え活用していく姿勢が重要だ。里山の林内はもちろん、林縁、畔、田、畑、池、湿地、草地など多くの環境が対象となるだろう。そこには多様な動植物が生存しており、それらが子どもにさまざまな刺激を与えてくれることになる。
 そこで、植物相・動物相調査を行って子どもたちが活用できるものを探し出したり、量的に必要なものについては増殖を図り生育地を管理するなど、効果的・継続的に利活用していくための工夫も大事だ。

9)子どもたちが自由に活動できるために
 里山で触れてはいけない有害植物、気をつける植物、自由に使える植物を分かりやすく示せることが大切だ。例えば、子どもたちにわかる形(絵・色)で表現するのも一つの手だろう。また、採ったら消滅してしまう植物ではなく、資源量が十分あり自由に使える植物で遊ばせることもポイントである。
 子どもにとって魅力のある里山として、次のことがあげられる。

  1. 親しみのある自然、感性・情緒を経験できる自然
  2. 季節感に恵まれて、四季の変化に富む
  3. 五感の活用で感覚的な把握ができる
  4. 繰り返し扱える素材を自由に選べる
  5. 子どもの主体的な活動・発想・創意工夫が生れる
  6. ひとつの事象を多面的・多様的に把握できる

 これらは子どもたちが自分で意欲を高めていくための要素だと考えられる。

10)里山保育で身につくもの
 里山保育で身につくものとして次のことがあげられると考えられる。1.生きていく上で必要な身体能力の獲得。筋力、心肺能力、持久力や運動能力等の体力。2.知識・経験などの習得と鍛錬。3.大人になって必要な生活技術の訓練(遊びの効用)。これは技術の開発、習得、洗練のための試行錯誤に通じるもので、里山での活動は工夫・改良する態度や能力を育成してくれる。
 保育活動にとって里山の強みとは、希少な植物・動物があることではない。子どもたちの発達を促すための試行錯誤が可能な材料が豊富にあるということなのである。

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■事例報告

(1)「昆虫少年の森づくり」
報告者:跡部治賢(北杜市オオムラサキセンター館長)
配布資料:リーフレット「北杜市オオムラサキセンター」
説明資料:パワーポイント「昆虫少年の森づくり」

 昆虫が大好きな少年だった私が、故郷の北杜市でオオムラサキセンターを拠点にしながら地元の仲間たちとどんな森づくりを行っているのか紹介したい。

1)オオムラサキセンターについて
 北杜市長坂地区は釜無川の河岸段丘にクヌギやコナラ、エノキなどの里山林が広がっている。オオムラサキセンターは、長坂町(現北杜市)が昭和53年環境庁(当時)の調査で国蝶オオムラサキの国内最大の生息地であるという結果を受け、地域内外の関心の高まりから、平成7年に建設された町営施設だ。
 現在、私が仲間たちと共に組織しているオオムラサキや里山の保全保護活動を行うNPO法人自然とオオムラサキに親しむ会が指定管理者となって運営している。里山再生活動とオオムラサキを基本にした環境教育を実践している。できる限り生きたもの、本物に触れさせたいという思いで工夫を凝らしてた展示を行っている。

2)昆虫少年の生い立ち ―帰郷と青年活動、そしてオオムラサキ・里山保全活動へ―
 小学校時代の思い出の一つは登下校時の道草だ。道すがらの里山を探検したり、生き物を捕まえたり、存分に楽しんだ。夏などはクワガタを採取して、学校に持っていき友達のものと競争させたことなどが思い出される。
 大学進学で一度は都内に出たが、故郷への思いがあり、町の一般企業に就職。当時故郷は年寄りばかりで若手で残るものは珍しかった。その後、徐々に若手の仲間たちも戻ってきて、彼らと共に青年活動としてオオムラサキの保護保全に取組み始めた。オオムラサキセンターができた時、それまでの仕事を退職して町からの要請で館長に就任。一方でオオムラサキと里山保全に取り組むNPOを組織して、活動を続けてきた。
 オオムラサキセンターの運営がNPOに指定管理委託された現在では、センターでの環境教育や展示と里山の保全整備活動を一体的に取組んでいる。いろいろと苦労はあるがライフワークが仕事にできたことを幸運に思っている。

3)里山林の管理方法 ―台場クヌギの事例から―
 北杜市はクヌギやコナラの里山林が広がっている。そこでは秋から冬にかけて、ササを刈ったり不用な木を除伐して林床をきれいにしてから、落ち葉を掻きあつめる。薪(まき)や炭の原料として、クヌギ、コナラを根元で切ると翌年の春には新しい芽が吹き出てくる。こうした切り株から芽を出させて、新しい幹を作る方法を萌芽更新と呼ぶ。広葉樹の中でも萌芽力のある木とない木があり、樹皮中に潜在芽を多く持っていることによる。また萌芽更新を促進させるには、根の働きが大きく作用し、新しい芽に適応した根を発根させる力が必要だ。クヌギ、コナラ、エノキは萌芽力が大きく、雑木林の代表格である。特にクヌギは発根力が強く、高い位置で切っても再生した幹の下で、新しい根を形成している。コナラにはこうした特性はみられない。
 新しい枝は4本くらい残して切り取っておくと7、8年経つと、再び薪炭の原料として利用ができる。こうした方法により、下が太く、上は細い幹が何本も出ている奇妙な樹形をしたクヌギを台場クヌギとか台木と呼んでいる。クヌギのこうした特性を活かした台場クヌギ(台木)は農民の手でつくられていった。この作業を毎年、場所を移動しながら行うと永続的に原材料を生産することができる。
 萌芽更新による新芽は5月頃水田に入れて養分とする「かっちぎ」と呼ばれる農法に利用されていた。また、チョウなどの生きものにとっては、まだ低い丈のクヌギの新芽を食べるタイプから高く伸びたクヌギの新芽を食べるタイプなどがいる。したがって15~20年サイクルで更新されることによって生長過程の違う雑木林があることは、いろんな種の生息を可能にするものだった。

4)里山の原風景の変化
 前述のように手入れと管理がなされてきた里山だが、昭和40年代にいわゆる稲作革命・燃料革命が起きた。冷害対策として、田植えの時期を早くする方法が考案され、クヌギの若葉の時期より田植えが早くなり「かっちぎ」が行われなくなった。また昭和40年代後半から、化学肥料や化石燃料の普及により、農家にとって雑木林は必要では無くなってしまった。
 人々は雑木林の利用方法を見いだせないまま放置してしまい、手が入らなくなった林はササやツル草に覆い尽くされ、ゴミが不法投棄される事例も見られるようになった。
 こうしたことがオオムラサキなどの里山の生きものが少なくなってしまっている大きな原因の一つだと言える。これをかつての昆虫少年たちが遊んだ頃の状態に戻していきたい、その思いが私たちを今の活動に駆り立てているのである。

5)保全活動とその効果 ―昆虫少年にとっての里山林とは―
 里山保全整備活動として、NPO法人自然とオオムラサキに親しむ会では、平成19年から荒れてしまった雑木林を、市民の手で再生する活動を始めており、次のような取組を進めている。
 ・生い茂ったササを刈り取り、倒木を整理して明るい雑木林を再生。
 ・生き物が集まる落葉広葉樹の苗を植林して森を再生。
 ・台場クヌギを保存するため、太くなりすぎた枝を切り落として萌芽更新。
 ・昔のように雑木林の木で薪炭を生産したりキノコを育てる活動を実施。
 このような活動を行った結果、草花が豊かになり、蜜を吸う虫や葉を食べる虫が集まるようになった。そして虫を食べる動物としてハチや鳥が集まり、シロスズカミキリなど樹液を出す働きをする虫も集まるようになった。これによって、ますます多くの昆虫が集まり、生きもの豊かな里山林が再生しようとしている。
 このような里山林を再生すると共に、環境教育や様々な体験活動を行いながら、これからも子どもたちの楽しい思い出づくりの場を創出し守っていきたいと思っている。

(2)「里山保育で共に育む子どもと大人の生きる力」
報告者:青山 繁(NPO法人大地 理事長)

 午前に幼児子ども教室大地の里山を散策された方も多いことと思う。普段子どもたちが遊んでいるところで皆さんも楽しく体験しいろんなことを感じてもらえたのであればよかったと思う。本日の話とも関係するが、昆虫少年が大人になって社会に貢献できるといったようなライフワーク(天職)を生きることで豊かな人生になるということは本当に素晴らしいことだと思う。

1)幼児子ども教室「大地」の誕生と取組 ―「暮らし」が感じられる保育を―
 私は25歳から学び直し2年間で保育士・幼稚園教諭免許を取得し、東京で保育園に就職した。しかし都会での保育業務はあまり楽しいものではなかった。30歳を過ぎてここ故郷の飯綱町(当時三水村)に戻ってきた。自分が子どもだったら、食べ物がある、好きなことをやっても文句を言われない、そして山の中でいたずらができれば楽しいだろう、そんなことを思い描いてこの里山をフィールドに幼児子ども教室「大地」を開設した。以来20年以上この里山で子どもたちと共に過ごしている。
 幼児子ども教室といっているが、私の5~9月の仕事の3分の2以上は草刈だ。それも里山保全や生物多様性を高めようなどと難しいことを特別考えているわけでなく、ヘビなどの危険な生き物のすみかになったら厭だなとか、あるいは単純にきれいにしておくと気持ちがいいとかそんな思いから取組んでいるものだ。
 子どもたちにとって「暮らす」ということがとても大切だ。私たち夫婦2人と子ども4人は、この「大地」の園舎の2階に住んでいる(1階は園の保育室となっている)。しかしあるとき苦しくなったことがあった。平日はもちろん土日も様々な取組を行うここでは、家庭と職場が同じために気が休まらなかった。職場は職場として切り離して、通うようにした方がよいのではないかと悩んだことがあった。しかし、ドイツのシュタイナー教育を受けたある方から、「ここの子どもたちは幸せですね、人が暮らしている流れが常に感じられるところで過ごしているのですから」との言葉を頂いた。それで単に里山環境だけでなく、そこに人が暮らしていることで子どもたちにある種の生きるエネルギーを伝えていくことできる、それこそが大事なのだということを理解した。それ以来、生活が感じられることが価値あることなのだと思いながら、家庭生活と「大地」幼児教室の取組との両方を自然に行えるようになった。

2)本物に触れる原体験から学ぶことの大切さ
 子どもたちにとって、「本物」から学び、探求していく姿勢がとても大事だと思う。たとえば「カエルにへそはあるのかな」という質問をすると、今の子どもたちはどうだろう。図鑑で確かめる、あるいはインターネットで調べてしまうのではないだろうか。昔の子どもたちはおそらく走って田んぼに確認しに行き、カエルを捕まえて調べることになるのだろう。走って行く時に「へそ、あるのかな、ないのかな、どんなだろう」といろいろな感情を動かしていることだろうし、捕まえるために様々な工夫もするだろう。そして実際にカエルに手で触れて実感としてその答えを理解するものだろうと思う。
 図鑑やインターネットに頼ってしまってはこの感動の過程がない。「知ってはいるけど見たことはない」という状況は、ある意味とても恐ろしいことだと思う。自分でやってみる、触れて、感動して、実感として理解するという原体験が大切だ。

3)子どもたちにとっての幸せとは ―里山の暮らしから考えること―
 子どもにとっての幸せを考えた時、それは往々に大人の幸せと反比例することがあることを理解する必要があるだろう。例えば近所にコンビニのような店ができれば、何でも買ってすぐ用を済ませられるようになり、大人は便利になるだろう。しかしその分だけ子どもは手間暇をかけて生活する機会を奪われてしまう。里山暮らしは、人に頼むのではなく、自らが様々な工夫を凝らしていろんなものを作ったり準備したりするなどまさに手間暇をかけた生活だ。そして里山での保育は、子どもたちに何かを教えるというよりは、このような生き方を大人がしているかどうか、ということが大事になるのではないかと思う。大人が身近なものを利用して自らで工夫をしながらより生活を豊かに楽しくしていく、そのような姿を見せていくことではじめて子どもに伝わるのではないかと思う。だから親自身がそのような生き方をしながら、子どもと共に一緒に体験しながら取り組んでいくことが大事だと考えている。
 里山での教育とは、子どもたちに里山暮らしのノウハウを教えることではない。まずは大人がその里山の暮らしを楽しみ、その傍らに子どもがいるという風景が大切だ。里山で食べ物を作り自給を行いながらいろいろな工夫を凝らして暮らしを楽しむ、そんな大人がたくさんいるところで子どもが過ごせば、そのエネルギーを子どもが受けて、生きる力を自然と身につけていくものだと思っている。
 四季がはっきりしている飯綱町は、まさに絵本に出てくるような季節通りの風景が見られ、子どもたちにも大きな影響を与えているのではないかと思える。この素晴らしいフィールドで自分が気持がよいこと、心が震えること、そんな感動を味わいながら、子どもたちと接して過ごしていくことを大事にしていきたい。

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■ディスカッション
テーマ:「里山の自然文化の保全と新たな利活用による地域活性化」
パネリスト:片山雅男、跡部治賢、青山 繁、青山雄飛(幼児子ども教室「大地」第2期生・野外教室「夢のたね」代表)
コーディネーター:竹田純一

 コーディネーターより、テーマに関連して過疎化・高齢化が進む各地の里地里山では後継者がいないために引き継がれずに荒廃していってしまうという問題が提起された。里山での保育活動が里地里山の継承という面でどのようなかかわりを持ちうるのかを中心に議論が交わされた。なお本話題に関連して幼児教室「大地」第2期生の青山雄飛氏(青山繁氏の長男)にもご登壇いただいた。
 青山繁氏からは、保育の世界において「このような保育をすると、将来このようになります」というようなことははっきりといえないものだ。里山保育活動は子どもの将来がどうなるかということを明確に保障できるようなものではない。しかし少なくとも子どもの気持ちがそこに向いているかどうかが大切なことではないか。里山保育に携わる教育者のノウハウは、ある意味その人一代限りのものである。しかし保育活動で活かしてきた里山の環境はきちんと残していきたい、という話があった。
 関連して青山雄飛氏からは、自身が「大地」で里山保育を受けてきた経験に触れながら、 大地で育った子どもたちには、青山園長が話していたような「大地」保育の考え方・感じ方が息づいているのではないかと思う。里山という素晴らしい環境があり、それが一つの基礎となりながら、さまざまなことが伝えられ、自然と人とがかかわりあうことによって人を育んでいる。自分が育ってきたこの「大地」の里山では暮らしの中でいろんなチャレンジをし、楽しんでいる大人たちが周りにいっぱいいた。今、自分は「夢のたね」という野外教室を主宰している。大人になることがこんなに楽しいことなんだ、そしてこんな素晴らしい世界があるんだということを感じてもらいたい、そしていろんな可能性の種をまいていきたいと思って取り組んでいる。こうした動機づけは「大地」での里山保育の影響が大きいと感じているという話を頂いた。
 片山氏からは、野外活動において子どもたちが利用しやすい里山をつくっていくために、どのような手入れや管理をしていけばよいか、伐採方法や手入れの仕方に関する具体的なアドバイスを頂いた。また、しっかりとしたポリシーを持って戦略的に取組んでいくことが重要で、ここ「大地」の考え方を反映した今後の里山づくりが期待されるとの話を頂いた。
 跡部氏からは、自分のオオムラサキの活動地においても後継者育成を考えていく必要があるのだが、「大地」の取組事例を見て心強く感じた。里山保育によって活力のある子どもになるということを目の当たりにすることができたからだ。今回のようなネットワークができていくことで里山を、世界を変えていけるのではないかとの思いを強くしたとの感想を頂いた。
 パネリストの話を総合して、コーディネーターからは、閉じていく、里地里山が多い中で、今後それを担っていく人材を育てるためのヒントが里山保育にはあるのではないだろうか。里地里山をめぐって植物、昆虫、教育・保育それぞれの分野でネットワークがあり、それらをつないで子どもたちに提供していくことが、将来里地里山を継承する人材を育てることにつながるのではとの話がなされた。

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■オプションプログラム
「はっぱ博士とあそぼう!里山観察会」

 研修会に先立って幼児子ども教室「大地」の里山フィールドを、大人と子どもが一緒になって、片山氏・跡部氏の案内で散策した。
 参加者は、この季節に見られる植物を、危険な植物、食べられる植物、民話や伝承などのいわれのある植物など片山氏の説明を興味深く聞き、実際に植物を採取したり触れながら観察した。また、跡部氏による里山に住む昆虫や昆虫が生息した痕跡などについての解説も楽しんだ。
 子どもたちは植物や里山地形を活かした遊びを体験し、大人たちは子どもたちが里山をより活用できるようにするためのノウハウについて実地に学ぶことができた。参加者からは、観察会で得たアイディアを今後の保育活動や整備活動に活かしていきたいとの話も聞かれた。

片山先生の話を聞きながら林を散策
片山先生の話を聞きながら林を散策
「大地」の里山フィールド
「大地」の里山フィールド

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■まとめ
 里山の自然文化を保全し、新たな利活用を促して地域を活性化させるためには、里山を継承していく人材の育成が重要である。
 今回の研修会は、里山での保育活動が子どもたちの発達に大きく寄与をするだけでなく、将来里地里山を担う多様な人材育成につながる可能性を示唆するものだった。里山保育活動をめぐり、現代の暮らしとライフスタイルに関する問題提起を含む文化論的議論から、子どもたちにとって有効な里山環境づくりを行うための科学的知見についての検討まで、幅広い視点から議論を深めることができた。

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