エコジン2・3月号

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エコジン2・3月号

2011年3月11日、生島さんは講演のために訪れていた仙台市のホテルで震災に遭った。震災発生時の2時46分は、まさに講演が佳境震災で親を亡くした、いわゆる震災遺児の支援にも乗り出した。遺された子どもたちが高校を卒業するまでは支えたいとの思いから、に入った瞬間だった。「ものすごい揺れととも友人のタレント・和田アキ子さんとともにに、僕の背後にあった2メートルほどの円柱「アッコヒロシ基金」を設立。「僕とアッコさんが倒れてきました。もう少しずれていたら直の二人だけでやっている、あくまでも個人レ撃していたかもしれないと思うと、今でもゾッベルの基金です。自分のやれる範囲でできるとします」。ことをやっていきたいと思っています」。気仙沼市出身の生島さんは、小学校4年生一方、被災地では雇用の創出も課題となっの時、チリ地震による津波に遭遇。「地震が来ている。外からの支援も大切だが、これからた時は津波が怖い」という教訓はずっと胸には被災者の自立も重要だ。そこで生島さんが残っていた。さらに、2002年の中越地震ではひらめいたのが、コールセンターの立ち上げ新幹線の車中に7時間も閉じ込められる経験だった。もした。「たまたまNHKの番組で、被災地にコール「災害に対する意識は高いほうだと思っていセンターをつくる活動をしているDIO(ディましたが、まさかこれほどの被害になるとは想像もしませんでした。翌日に仕事が入っていたため、3月11日はタクシーを5台乗り継ぎ、17時間かけて東京へ。気仙沼にいる妹に連絡ecojininterviewをしても、まるでつながらない。安否確認がHIROSHI IKUSHIMAできず不安は募りましたが、一週間くらい経った頃、『僕が意気消沈してちゃ駄目だ』と腹をくくりました。何もしないとさらに考え込んでしまうので、とにかく動こう、と」。生島さんの事務所がある目黒区と気仙沼市は友好都市の関係にある。生島さんの復興支援の提案に目黒区長も速やかに対応し、生島さんは所属タレントとともに中目黒駅前で募金活動をスタート。駅前には大勢の人々が募金に訪れ、新聞やテレビでも大きく取り上げられた。これを機に、生島さんの復興支援活動は本格化する。そこには、帰らぬ人となった妹さんへの鎮魂の思いと、生きる者の責任が込められているようにも見える。04