エコジン6・7月号

エコジン6・7月号 page 8/36

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RI +20 GUIDE 1インタビュー構成 / 本吉恭子写真 / 時事1972球の環境問題について、初めて国際的に議論が交わされたのは 1972 年、ストックホルムで開催された「国連人間環境会議」です。60 年代、アフリカ諸国をは....

RI +20 GUIDE 1インタビュー構成 / 本吉恭子写真 / 時事1972球の環境問題について、初めて国際的に議論が交わされたのは 1972 年、ストックホルムで開催された「国連人間環境会議」です。60 年代、アフリカ諸国をはじめとする旧植民地諸国が数多く独立し、国連の仲間入りを果たしましたが、当時は議論といっても先進国がリードする立場で、開発途上国はいわば受け身の姿勢。途上国のみならず、60~70 年代、池田内閣の所得倍増計画の下でめざましい経済成長をとげていた日本もグローバルな環境問題への関心は決して高くなく、「本当に重要なのか」と疑問視する声さえありました。しかし、この会議で人間環境宣言が採択され、国連環境計画 (UNEP) が同年の国連総会で設立されると、ようやく日本政府もこの問題に関心をもつようになりました。80 年代にはいってからも、途上国の最大の関心1992は貧困削減や経済成長に集まり、環境問題への関心は二の次でした。そういった中で、1992 年、国連主導で「地球サミット( 国連環境開発会議 )」がブラジルのリオデジャネイロで開催されました。「地球サミット」には各国首脳も多数参加し、大きな成果をあげました。21 世紀に向けて持続可能な開発を実現するために各国および関係国際機関が実行すべき行動計画を明確にした「アジェンダ 21」の採択、生物多様性条約、気候変動枠組条約の署名開始など、その後の重要な取り組みにつながる流れができたのです。その 10 年後、2002 年に南アフリカで「ヨハネ08