御苑案内図(蛤御門)

写真:蛤御門

 御苑の周りには、かつての公家町と市中の境界であった九つの御門があります。この蛤御門は、もとは新在家御門と呼ばれ常に閉ざされていましたが、江戸時代の大火で初めて開門されたことから「焼けて口開く蛤」にたとえられ「蛤御門」と呼ばれるようになりました。 また、幕末の禁門の変では、御苑一帯が主戦場となり、この戦いに長州藩が敗れたことで幕末動乱の転機となりましたが、その最大の激戦地だったのが蛤御門で、弾傷らしき跡が残っています。