2015年07月30日

町名の由来(北の丸公園)

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北の丸公園や近隣の文化施設等の住所は、「東京都千代田区北の丸公園」です。

現在、北の丸公園として一般公開されている一帯の土地は、徳川家康が江戸幕府を開いた後に拡張した江戸城の一部で、北の丸公園という町名は、この地が江戸城本丸の北側に位置する「北の丸」と呼ばれる場所だったことに由来します。

※清水濠と石垣(国指定特別史跡「江戸城跡」の一部)。北の丸公園を囲む皇居のお濠の一つ。千代田区役所庁舎から撮影。


江戸時代のはじめ頃、この辺り一帯は、関東総奉行を命じられた内藤清成をはじめとする徳川側近の大名家の屋敷地となったことから「代官町」という町名で呼ばれるようになります。

図:絵地図


その後、御三卿と呼ばれる徳川宗家に近い血筋の3つ武家のうち、田安氏と清水氏の屋敷が置かれ、明治維新後はその名残から「東代官町」と「西代官町」の2つの町名に住居表示が分けられた時期もあったそうです。

※旧江戸城田安門(国指定重要文化財)。

※旧江戸城清水門(国指定重要文化財)。千代田区役所庁舎から撮影。


戦後、国民公園皇居外苑(北の丸地区として編入)の一部として一般公開されることが決まり、公園として生まれ変わるための造営工事が進められる中、昭和42年(1967)に行われた住居表示の改訂によって、「北の丸公園」という町名が生まれました。

※写真は、千代田区が設置した町名由来板(竹橋駅から代官町通りを北の丸公園に向かって紀伊国坂を少し上がった歩道の脇に設置されています。)


北の丸公園では、休憩所(ザ・フォレスト北の丸)の一角にインフォメーションコーナーを設け、この地域の歴史についても常設展示でご紹介しています。

夏休みに北の丸公園や近隣の文化施設等へお越しの際は、散歩の途中でインフォメーションコーナーに立ち寄って、歴史など学びながらちょっと休憩(クールシェア)されてはいかがでしょうか。